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2011年11月

お子さんご懐妊おめでとう!!

・コンピューターのプログラムを作れ、という授業で、二年連続で単位を落とした私は、その後、院生の時に、その授業のT.Aをしていた友人(当時はそれ程、親しくはなかった)に、「お前がT.Aをやっているんだったら、ツブしが効いたのになあ」と言うと、即座に彼は、「あげないよ」と応えた。私は一瞬、呆気に取られたが、彼の厳しさというか、信条に打たれた。次に私が放った言葉は、「お前、いい味出しているなあ。うん、俺が間違っていた。おまえが正しい。そういう不正があるから、世の中、おかしくなるんだよな。俺は、お前が気に入った」だった。そうして、私は独りで頷いていたのだが、今度は、厳しい事を言った彼が驚いて、呆気に取られた様な顔をしていた。だから、友達を十五年もやっていられるんだろうな、と今でも思う・・・そんな彼に来年三月出産予定の双子の赤ちゃんが産まれる予定だという事を、昨日廻した新年会のメールで知った。祝辞はもう書いたが、心からおめでとう!!、を何度も言いたい。奥さんにもおめでとう!!出産が無事である事を祈っています。新年会での五年来の約束が果たせて良かったね(^^!!)。

・『彼は左翼の中でも最左翼だと信じていた。だから左翼の人間でさえ敵に見えた』(芥川龍之介)という、非常にシニカルな表現だが、物事の本質を鋭くとらえている一節に昔、出合った。偏った人間ではなく、バランスのとれた人間になりなさい、という事だ。

・桑田佳祐は何曲もクリスマスソングを出しているが、一曲も当たってはいない。

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詩の原点

・人は恋をすると、皆、詩人になる。どんな景色を観ても、その人のことが頭に浮かぶ。そして、詩が生まれる。

・スタンダールの『恋愛論』を読むと、結晶化作用がどんなに恐ろしいかが解る。

・柔道部の奴から、剣道に勝つには、『柔道三倍段』と聞いた事がある。例えば、剣道初段の相手に勝つには、剣道の三倍の柔道三段が必要だとの事だった。高校の時の格技大会で、剣道と柔道でクラス対抗の大会があった。私は、団体戦での剣道のクラス代表だったが、剣道の大会の方が早く終わってしまい、柔道の個人戦のトーナメントを観戦に行った。すると、勉強面で、いつも皆からナメられているのだが、愛嬌のある(私に上記の事を教えてくれた)奴が、バッタバッタと相手に勝ちまくり、決勝戦で、陸上部の運動神経のいい奴で、筋肉ムキムキの奴と対戦していた。一進一退の攻防だったが、みんなから、『頑張れ』コールが、その愛嬌のある奴に向かって起こり、見事に優勝した。これこそまさに、『花道状態』であった。

・男には男同士にしか解らない事がある。同様に、女には女同士にしか解らない事があるのだろう。美術の先生が、「性が二つ無ければ、お前らだって、オシャレに精進しないだろう?」と言ってらしたが、名言である。

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友達だろ

・面白き 事も無き授業を面白く 棲みなすものは 友人なりけり・・・進級の為にある授業を取っていたら知り合いも取っていた。彼が欠席している時には、私が多めにプリントを取っていて、渡していたりする仲だった。私は、授業の内容もつまらなかったのだが、人数も少なく、眠るわけにも行かず、逆転の発想で、血眼になって聞き、その授業の疑問点はどんどん質問した。ある時、私が質問していると、後ろに座っていた彼と二人で、先生を質問攻めにした事があった。そんな中で、彼と私は認め合っていった。ある時、その授業の一環として、工作機械の工場見学というものがあった。昼食をごちそうになり、私は誰よりも大きな声で、『頂きます』と『ごちそうさま』を言った。見学が終わり、慣れない姿のネクタイをほどくと、彼が車で来ていて、「送ろうか?」と誘ってくれた。彼には興味があったので、「近くの駅まで頼む」と言って助手席に座らせてもらった。帰り道、お互いに『さぐり』を入れながら話をしていると、カーステからホテカルが流れた。私は、「これ、ホテカルだろ?この中に出てくる『BEAST』ってどういう意味なんだ?」と尋ねると、帰国子女の彼は、困った顔つきで、「それは一言では言えない」と、苦笑いしていた。私が何度も、「近くの駅まででいいからな」と言っても、彼は、「友達だろ」の一言で、自宅まで送ってくれた・・・その後一度きりだが、私の部屋に遊びに来てくれた事もある。それからというもの、現在では15年来のくされ縁でもある。

・『着るもので人は変わる』というのは本当の事だ。(NHK『カーネーション』より)

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どっちがええ?

・いろんな国で、素質のある子供に英才教育を国ぐるみで行っているらしいが、そういう事をすると、偏った人間しか育たない。学問にしろスポーツにしろ、一芸のみで秀でている人間にしかならない。というより、むしろ、多くの落ちこぼれを造っているのが手に取る様に解る。そんな教育は駄目だ。人間として一番大切な事は、多くを学び、広い視野で自問自答する中でのバランス感覚だ。

・JRAの元ジョッキーの田原に、あるオッサンからこんな質問が飛んだそうだ。それは、「馬に乗るのと、ねえちゃんに乗るのと、どっちがええ?」という、ヤジめいた質問だったそうだ。なんて答えたのかは知らないが・・・

・尾崎豊は、甘えん坊で、エゴイストだと考える。彼の音楽を、歳を重ねて聴くうちに、それが実感できる(現に彼の音楽は普遍性を持たない)。真実を知りたい方は、冷静に今月号の文藝春秋(2011.12月号)を読まれたし。もっとも、私は、どんな人間にも、少なくとも二つの顔を持っていると、最近は考えつつある。

・立川流家元、こと、立川談志師匠に、心からお悔やみを申し上げる。きっと、信じられない程の孤独と、時代の矛盾を感じていらっしゃったのだろうな・・・

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今は昔

・歴史の流れとは、竹取物語の冒頭の、『今は昔』に象徴される様に、新しい様で古く、古い様で新しいものである。考えてみれば、ギリシャのパルテノン神殿は、今から1500年前に造られたが、現在、私達が観て圧倒される様に、その頃のギリシャ人も、その1500年前に造られていた、エジプトのピラミッドを観て圧倒されていたに違いない。現代の我々から観れば、どちらも太古のもので片付けられてしまうのが、歴史の錯覚というものである。言い換えれば、3000年の歴史というものは、長い様で短く、短い様で長いものであると同時に、歴史というか、時の流れの不思議さというかに、怖ささえ感じる。裏返せば、『今』を大切にする人間には、時間がいくらあっても足りないものである。

・いつもの犬の散歩のコースで、盆栽の立派なものがたくさんある家がある。ある日、眺めていたら、その家の御主人が庭にいらして、私を庭に招いて下さった。松の盆栽が多い中、御主人が、「(トマトで言うならプチトマトの様な)柿が見頃だよ」とおっしゃって下さったので、拝見させて頂いた。綺麗に色づいていた。すると、御主人が、一番、幹の高いのを指さして、「あれは、『日本一』って言うんだけれど、今度、もっと上まで伸びる、『世界一』っていうのが出来たんですよ」と仰ったので、私は、「じゃあ、もっと伸びるものが出来たら、『宇宙一』にしなければなりませんね・・・さて、もっと伸びるものが出来てしまったら、何と名付ければ、よろしいのでしょうね」と、話したら、御主人は、「さあ、どうすりゃあいいんだろうねえ」と、気さくに笑って下さった。

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消えた生徒

・中学一年の時、『勉強』と聞くと登校拒否になる生徒がいた。遠足とか、林間学校などの遊びの時には来ていた。軽く話した記憶もある。どんな内容だったかも、覚えている。『遊び』の話だ。別に、色が白いだけの普通の少年だった・・・ある時の自習の時間、誰からともなく、「あいつはズルいよな」というような声が上がり、その話題で持ちきりになった。すると、自習の顧問をしてらした、美術の先生が、「お前ら、何でズルいと思うんだ?ズルいどころか、可哀想じゃないか」と言うと、生徒達は遊びたい盛りだったので、その先生の言っている言葉の意味が、よく解らない様だった・・・数年後、彼の名前は、名簿と皆の記憶から消えていった。

・桑田佳祐は、英語圏に生まれていたら、途方もない大金持ちになっていたかも知れない。その代わり、プライバシーも何も無かったであろうが・・・ただ、あの繊細な歌詞と絶妙なメロディーは、日本人向きなのは確かである。他にも、作家の吉行淳之介と開高健の対話で、自分たちの小説が英語圏だったら・・・という対談を読んだ事がある。こちらも疑問で、川端康成は、ノーベル賞のスピーチの際、『美しい日本の私』という表現を使っていたのも事実である。

・硝酸と塩酸とを1:3の割合で混ぜると、『王水』というものが出来る。化学反応式までは解らないが、金を溶かす液体が出来るはずだ・・・非常にもったいない事だが。

・所詮、宮崎駿も、息子が可愛いか・・・つまんねえ映画ばかり作る、才能無き、息子が。

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オペラ映画、『ドン・ジョバンニ』を観て

・N.YのMET(メトロポリタン歌劇場)で、つい半月前の10.29に上演されたばかりの、モーツアルトのオペラ、『ドン・ジョバンニ』が映画館で上映されていると知り、早速、行ってみた。上映時間は4時間近くあり、途中で15分程のブレイクがある大作である。普通映画のチケットは一般1800円なのだが、その倍近い3500円を払ってでも観てみたかった(私は、モーツアルトのCD全集を持っているし、クラシックなら他には、J.S.バッハが好きだ)。また、オペラというものを観たことが無かったので、大変、楽しみであった。いざ、上映が始まると、オペラ歌手達の美しい歌声と、生オーケストラの伴奏に、心が躍り、シビれた。また、ストーリーは、主人公の騎士、ドン・ジョバンニが、ヨーロッパ各地(舞台設定はスペイン)で、身分も年齢も問わずに、2000人以上の女性を食い漁り、手帳にメモり、放蕩の限りを尽くす(よく考えてみると、同じく手帳にメモっていた将棋の棋士でも、あの、悲願千人切りで御高名な米長大先生も及ばない恐ろしさである)が、騎士団の騎士長の娘との結婚の約束を裏切り、騎士長を殺した時点から、人生の転落が始まるというものである。また、私には、ドン・ジョバンニがモーツアルト本人と、騎士長がモーツアルトの父、レオポルドと重なって観えた(映画『アマデウス』のサリエリが、モーツアルトを殺すための伏線として、このオペラの全公演を観に行き、レオポルドの振りをして、レクイエムを書かせたという説に、個人的には信憑性を感じた)。さて、中だるみの観もある、このオペラの中で、圧巻だったのは、やはり、ドン・ジョバンニが騎士長の亡霊に滅ぼされるシーンであった。演出が素晴らしかったのだ。最後に、オペラが終わると、METの劇場全体が、スタンディング・オベーションで渦巻いていた。私も、お金と相談して、もう一度、N.Yに行ってみたくなったが、よく考えてみると、生のオペラでは言葉が分からない事に気が付いた(ちなみに、『ドン・ジョバンニ』はイタリア語)。

・ドン・ジョバンニはワインを飲みながら、一晩で10人以上の女性を抱いていた。『二十歳の頃』ならともかく、今の私には到底無理だ。上記の大先生の若かりし頃の武勇伝を、もっと聞きたくなった。

・今日のblogは長すぎるし、分かりにくい。箇条書き形式にしたくなかった。でも、そうしないと、もっと長くなってしまう・・・たまにはいいだろう。でも、臨機応変に対応する事も考えなければ。

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希望ある未来へ

・神経科の主治医に、3日前に書いた、『辛抱』と『我慢』の違いについての話をしたら、先生は、「それいいね。僕も使わせてもらっていいかなあ」と仰ったので、「もちろん、構いませんよ。その言葉で、苦しんでおられる患者さんが、少しでも癒やされるのならば、私としても本望ですし、先生への僅かながらの恩返しになります」と申し上げたら、先生は、「ありがとう」と仰って下さったので、とても嬉しい気持ちが溢れた。

・若かりし頃、ある友人が、「女は、『かわいい』に弱いんだよな」と言ったので、ついつい、「内心はドロドロしている奴が多いけどな」と応えてしまった。現在、三十路の私は、それもまた人間、と思うようになった。

・折角、手相観の先生がいい事を仰って下さったのだから、先生と交わした、おひさまが照っている間は、お酒を飲まない、という約束と、散歩などの運動をする、という約束とを守ろうかと、実行し始めた。たとえ、どんな思いをしても、人を恨まず、落ち着いていて、明るく生きて行こうと考えるようになった。その方が自分自身も気持ちが良いし、人に優しく接することができるだろうと思ったし、極端な事を言うと、blogに始まり、あらゆる機会で、そういう姿勢を示す事が、私の役割なのではないかと感じ始めた。そう思うと、自分も希望ある未来へと向かえる。現在、自室の窓を開け、深呼吸してから、太陽の明るさを感じて、クラッシックを聴きながら、blogを打っているのが、この上なく心地よい。ささやかな幸せを感じる。

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『花道状態』

・人間の価値というものは、その人が、どれだけ誇り高き魂を自覚しているかによって決まる。

・四人の男友達で夜遅くまで飲んでいたら、終電を逃したので、車で途中参加した友人(もちろん彼は飲んではいない)の家に行き、ザコ寝をした後、翌朝、簡単な朝食を頂いた挙げ句に、帰りに友人がみんなを最寄りの駅まで送ってくれる事になった。いざ、出発という時に、おばさんがみんなに千円ずつ渡そうとしたので、よっぽど、「息子さんとは、そんな付き合い方をしていません」と断ろうと思ったのだが、友人の顔を見たら、なんとも言えない表情をしていたので、私が一番に、「ありがたく頂きます。電車賃にさせて頂きます」と大声で言って、さっと受け取った。すると、みんなも申し訳なさそうに頂いていた。そして、帰りの車の中で、運転してくれている友人に、黙って、頂いたお金を渡すと、みんな同じ気持ちだったのであろう、全員が友人にお金を返していた。友人は、ぼそりと、「ありがとうな」と言って受け取ってくれた・・・彼とは2~3年前に、別の友人の結婚式で同じテ-ブルを囲んだ。久々だったが、元気そうで、いいお父さんになっていた。何より嬉しかった。

・男が自分の人生を賭けた大一番で、必死になって、この上なく張り詰めた表情程、美しい姿は無い。私はそういう状態を『SLAM DUNK』より、『花道状態』と呼んでいる。

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火野正平の一物

・久々にタクシーに乗った。運転手さんは初老の方だったが、話が盛り上がった。私が、「ここから京都までタクシーで行くのに、いくらぐらい掛かるんでしょうか?」と聞いたら、「東京から青森までで、二十数万と聞いた事がありますよ」と教えてくれた。また、高速で長距離を移動する際のガソリン代は、タクシー会社が受け持つと聞いた。一度はやってみたい技だが、私の財布には三万くらいしかなかったので、あくまでも冗談で聞いたのだ。その後、ますます運転手さんと盛り上がり、曰く「男女雇用機会均等法だかなんだか知らないが、女の運転は危なすぎる。男には男にあった仕事があり、女には女に向く仕事がある」とおっしゃたので、私も、「軽自動車、ピンク色、若い女、要注意ですね」とギャグで言ったが、運転手さんの言う事も解る。私自身も運転していて、一時停止無視の車にぶつけられそうになった事が何度もある。事故を起こしても、何にも良い事なんてないので、もらい事故だけは勘弁してもらいたい。まあ、うちの母も教習所で二回程事故ったので、偉そうな事は言えないが、母は車の運転を止めた。私から言わせると、母の助手席に座った際、人を殺すか自分が死ぬかというレベルの運転だった。そんな母がゴールドカードなのには納得がいかないし、おちおち飲みにも行けないのが不満だ。

・20年程前、誰が言ったのかは覚えていないが、「火野正平の一物はでかい。さすが女にモテる人は違うなと思った」という発言を聞いた事がある。問題は、一物の大きさではなく、あっさりとした性格にあるんだろうなと、幼心に思った。

・悔しい思いをした事の無い人なんていないんだよな・・・

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『我慢』と『辛抱』

・ちょっと嫌な事があって、気分転換に数年ぶりで舟映(シュウエイ)という名の先生に、手相を観てもらった。お互いに意気投合して、盛り上がっていたら、不思議な質問をされた。「貴方は『辛抱』と『我慢』の違いが解りますか?」と。その質問に対し、私が、「『辛抱』というのは、先に光のある事を信じてトンネルを掘る事で、『我慢』とは、ただやみくもにトンネルを掘る事です」と即答したら、先生は、「この質問に応えられたのは、貴方が初めてです」と、落ち着いた表情で、私の事を認めてくれた。それからは、私の考え方も聞いて下さるようになり、さらに盛り上がった。ついでに金運の事を聞いてみたら、「大金が入るでしょう」と言われ、素直に嬉しかった(私は、他の方だが、二十代の頃は、寿命について聞いていた事が多い)。そこから先は、先生の自己哲学と、私の自己哲学が共鳴し合い、いい気分転換になった。八卦見にしても、やっぱり、一方的に押しつける奴はロクなものではないと思うが、先日、観て頂いた手相観のおばさんは、人間も出来ていた。ただし、私の生活の中に、気分転換として散歩などの運動をする事と、明るいうちのお酒は控える事を指摘というより、釘を刺された。さすがは手相観師、鋭いところを突っ込んでくるなと感じた次第である。

・「俺みたいな生き方をしていると、世間の風は冷たいんだよ。ただ、泣いたり、怒ったり、笑ったり、哀しんだりしているだけなのにな・・・」

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地裁にて・・・

・ある事情で、地裁に傍聴しに行く事になったが、余りにも早く着き過ぎたので、目的の裁判の一つ前の裁判から傍聴していた。被告は、手錠をかけられ、死んだ眼をした警備員二人に両脇を押さえられて入廷してきた。罪状は百万円の窃盗という事だったが、執行猶予中という事で、僅か21歳の若さで、実刑を食らうのが確実な裁判だった(被告は私の3m先にいた!!)。最初、私は、被告の事を、『どんな悪人なんだろう』と勘ぐっていたが、被告は、初めのうちこそ生意気そうな態度を取っていたが、いざ(屈辱的な)証言台に立つと、話が深くなるにつれ、涙声になり、ハンカチで何度も顔を拭っていた。彼は、もう、実刑を食らう事を覚悟していたが、弁護士の質問が友人や家族の事に及ぶと、涙声ながら声を張り上げて、「関係ありません!!」を連発していた。私は、この被告は、自分が犠牲になる覚悟で、『かばっているのだな』と思ったと同時に、彼の事を誤解していた事に、目が覚める思いをした。妙に性善説を信じたくなった。法廷の傍聴というのは初めてだったが、辛い気持ちになった・・・昔、司法試験の事も考えた事のある我が身を振り返り、『もし、合格したとしても、精神的にやっていけない職業なのだろうな』と身に染みて解った次第である。

・検事にしろ、弁護士にしろ、裁判官にしろ、私には到底耐えられない。上記の事件では、検事のおばちゃんが、『実刑三年』を求刑していたが、二年以上は、平成生まれの被告が、僅か二十一歳にして、服役する事が信じられなかった。検察官も好きでやっているわけではないだろうし、酷な商売だとも思った。

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卒業名簿

・燃焼というのは面白いもので、例えば、エンジンなどにガソリンだけを多く入れればよく燃える(馬力が出る)というようなものではなくて、燃焼するには酸素が必要で、混合比によって、それぞれBESTな値が異なる。化学反応式などで、基本的な割合は判るのだが、カーレースなどで、普通に走っているのに、車から軽く火が出るのは、ワザと燃料の比率を上げて、燃料によってエンジンを冷却させるという戦法も用いる事があるという事だ。

・(悲願千人切りで御高名な)米長大先生が、現役の頃、少し赤いお顔をなさって、放たれていたが、上の兄貴三人に対して、「兄貴達は、馬鹿だから、東大に行った」と言い張っていた。それを聞いた兄貴達は、「馬鹿でなきゃ、あんな奴の兄貴は務まりませんわ」と返したらしい。

・友人が中学生の頃、切れた定期券で、半年、学校に通っていたらしい。改札で見つかり、120万請求されたそうだが、友人は家にも帰られず、川辺で黄昏れていたらしい。その後、雀士の親父さんが、菓子折を持って行って、「未成年のガキのした事ですから、申し訳ありません」と、10万円に負けさせたそうだが、頼もしい親父さんだ。

・卒業名簿を確認したら、選択体育のアイスホッケーで、同部屋の、仲の良かった奴の名前が無かった。留年したのかと、心配に思った。

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空港

・花を振り向かせたかったら、自分が太陽になるしかないね。

・競馬で、勝負師たるジョッキーは、死ぬ気で勝ちに行く。福永の親父がそうだった。競り合う馬に、顔ムチを入れたりしてでも、一着を取りに行った。一着を目指さない奴などジョッキーの資格はない。ある時、福永の親父が、従弟と1,2着争いをした事があった。その時、福永の親父は、本気で勝ちに行って、1着を取った。その時、人から、「何で、従弟に花を持たせてあげなったのですか?」と馬鹿な事を聞くと、「俺の馬の単勝を買ってくれた人に、どう申し訳すればいいんだよ」と突き返したらしい。超一流の勝負師だったし、本当の意味でのプロでもある。

・試験で、「写させてくれ」と言う奴も厄介だが、女の子にそれを頼む奴は、私の感覚からいうと、『のぞき』をやっている気がして、男として許せない。そいつは人として腐っている。

・私が空港に行くのが好きな事は、以前書いた。展望台などに行って、飛行機が飛んで行く眺めが好きだった。けれども、ある時、最初は気づかなかったのだが、飛行機というものは、離陸する際に、一直線に飛んでいくものだと思っていたのだが、そうではなく、空を滑りながら飛んで行くものだと気が付いた。多分、燃料とか人などの重みによって、そうなるのだろうが、それから私は飛行機に乗るのが怖くなった・・・多分、9.11の悪夢のせいもあるだろう。

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青春の門

・アウェーでの北朝鮮戦を観た。試合では、てめえの都合だけではなく、地味だけれど涙を流す様な奴がいなかった。そういう奴がいないチームというのは成り立たない。

・スポーツをやる際、本気で勝ちに行く時には、汚いプレーも必要だ。それを、どうやって賢くやるのかが勝負だ。北朝鮮なんかに負けてるんじゃねえよ。

・友達同士のビデオの取引一つにしても、エチケットを守っているか、そうでないかで、そいつの品というか、口の堅さ、もしくは信用が判る(学生時代の事なので、時効)。

・尊敬していた、或る女から、「滅多な事じゃ、恋にはならない」と言われた事があると同時に、当時、精神的な事で、相当、参っていた私にその娘は、「どうしてそんなに卑屈なの?」とハッパをかけたが、「俺が大人じゃないんだよ」としか言えなかった。帰りの電車の中で、その娘は、さりげなく、背中でもたれかかってきた。

・女は見込みのない男には付いてこない。容赦なく見捨てる。

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バッテリーが上がったら

・車のバッテリーが上がった時に他の車から充電してもらう、赤(+)と黒(-)のバッテリーコードは、(+)と(+)、(-)と(-)をつなぐ事は知ってはいたが、つなぐ順番まであるとは知らなかった。(+)が先で、しかもバッテリーが上がった車から先に付けるという順番まであった。充電が終わり、コードを取る時も、付けた時と逆の順番でならないと教えてもらった。

・(悲願千人切りで御高名な)米長邦雄大先生が、千人切りについて、立花隆のゼミの東大生を相手にしたインタビューで、「女は歌声喫茶(今で言うカラオケ)で調達していたけれど、次の日の朝に、じゃあバイバイ、じゃあ駄目なんだ。一緒に、ビールでも飲みながら、カツ丼でも食って別れる事が大切なんだ」と力説しておられた(多分、目の前にカツ丼とビールがあったのだろう)。そして、三百人くらいまでは手帳に付けておられたらしく、まるで、ジェームス三木の様な事をしていたらしい。そして、「オール1の奴を東大に行かせる様な女も世の中には居るんだよ」と吐いてらっしゃったが、大先生は将棋よりも、むしろ、マグロの解体ショーの方が向いていらしたのではないかと考えさせられた。友人は大先生の事を、「ただ将棋が強いだけのおっちゃんで、他はロクでもねえ事してるだけじゃねえかよ」と言い、「叱ってもらった方がいいよ、内藤圀雄あたりに」と付け足したので、思わず私は、「同じクニオとして恥ずかしいよって感じでか」と爆笑してしまった。

・教えてもらう事は簡単だが、自分で考えるのは大変なんだ。代わりに一生涯忘れない。

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日本にいる外国人

・北海道の知床のユースで、ドイツ人の男性二人組と話をした。一人は全然話せなかったが、もう一人は日本語、英語が堪能だった。私としては、『ドイツ語か英語で話がしたいな』と思ったのだが、彼らも日本語で会話したいのだろうと思い、日本語で話をした。私が、「大学時代に、第二外国語でドイツ語を採ったが、今も覚えているのは、『ダンケシェン(ありがとう)』と『グーテンモルゲン(おはよう)』」だけだと言ったら、「発音はいいですね」と言われ、ちょっと悲しくなった。その後、ビールの都、ミュンヘンに行った時の話などをしたが、煮え切らない気持ちで一杯だった。

・お店などで、洋式トイレが増えたけれども、シャワートイレじゃないと少しがっかりする。

・「昨日のF1観たか?」と友人に言ったら、「どうせA.セナが勝ったんだろ」と言うので、私は、「それはそうなんだけれど、問題はそこじゃない」と言い、「放送の最後に、あいつ、M.シューマッハに説教たれていただろ。これ以上、敵を増やしてどうするんだよ」と主張した記憶がある。・・・A,セナは、クラッシュして死んでしまったが、出先でそれを知り、哀しかった。

・バブルがいい時代だったって?馬鹿言ってんじゃない、欲の皮の突っ張った連中が借金を作って、未だに不景気の底が見えないじゃないか・・・その裏側で、真面目にやってきた人たちが、どれだけ首をくくった事か。人は忙しそうにし、中身は何もない。よくよく考えてごらん。

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丸暗記

・馬が走る姿を観ると、カメラ(もしくはフィルム)が登場するまでは、今で言う、前足が右手前とか左手前などの3拍子で走っていた事が解らなかったそうだ。もちろん、騎手や関係者などはその前から解っていたのだろうが、昔の絵では馬の前足が、後ろ足と同じく、おっぽり出され、メリーゴーランド状態だった。

・オシロスコープは様々な使い道があるのだが、ただの計測機器でしかない。その実験レポートを書くのに、みんな4~5枚程度で済ましていた。そんな中で17枚書いたと自慢していた男がいた。みんな嫌な気持ちでそいつのレポートを見た。しかし、そいつが去った後に、みんな、「オシロでそんなに書く内容あるか?」というような疑問の声が上がった。「取扱説明書をコピーした方が早い」などと言っているうちに出た結論は、『あいつは、ただ暇なだけの馬鹿』という扱いになった。

・皆が就職活動していく中で、独り、海外青年協力隊に入った知り合いがいた。その時は、『あいつ、その後どうするんだろう?』などという様な、失礼な事を考えていたが、今、この歳になると、それも幅の広い生き方の一つだと、解るような気がする。若い頃に世界を観ておくのはいい事だし、何より彼の好奇心に興味を持つ。

・丸暗記は嫌いだ。考える楽しみがない。

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映画『英国王のスピーチ』を観て思い出した事

・隣のクラスの担任に、吃音症の理科の五十歳位の先生がいた。授業は、いつも明るく、試験で答えが解らない時に『8』を書くと1点くれるというユニークな先生だった。しかし、生徒もまだガキなので、その先生の吃音の真似をする奴が、私のクラスに現れた。皆、軽い気持ちでそいつを相手にしていたのだが、ある時、クラスで担任と生徒との懇親会みたいなものが開かれ、そいつが皆の前で、それを芸として披露した。子供というのは残酷なもので、大爆笑が起きた。私はその理科の先生が好きだったので、黙って観ていたのだが、事もあろうに、その先生の遙かに後輩である私のクラスの担任までもが、手を叩いて大爆笑していた。『最低な担任だ』と思い、その認識が頭から拭えなかった。すると後日、いつもは白衣を着て授業をやっている理科の先生が、柔道着を着て、私達のクラスに乗り込み、生徒全員に向かって、血相を変えながら、「俺に文句のある奴はいつでもかかって来い!!俺は、逃げも隠れもせん!!いつでも勝負してやる!!」と、一同をにらみつけながら、吃音を気にせずに、怒鳴りつけた。私のクラスの担任はいなかったが、一瞬、教室が静まりかえった。皆、いつもの理科の授業の時とのギャップに驚いていた。先生はそれを観ると、黙って教室から出て行った。教室がザワザワしたが、次の理科の授業の時には、先生は普段通りだった。みんな安心したのと同時に、真似をしていた奴も、やらなくなった。みんなが先生に一目置くようになった。知らぬは、私のクラスの担任だけという形になった。私は、それ以来、中・高、六年間、その担任の事を全く相手にしなかった。

・人の痛みの解らない者が人を指導してはならない。

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小さすぎた龍馬

・溶液に入っている陽イオンを当てるという、系統分析の実験が重要との事で、その前夜、加える試験液の量さえ間違えなければ、誰にでも出来る無敵のプリントを作った。実験は難なくクリアしたのだが、私が使った後で、別クラスの友人に、「くれ」と言われ、あげたのだが、コピーがコピーをよび、理工学部全体に広まってしまった。今でもあの実験が成立しているのかが不明な程、強力なプリントだった。

・昔、どこかの民放で、年末に、幕末を舞台にした長時間ドラマをやっていた。その時、一艘の小舟で昼寝をしていた坂本龍馬役の武田鉄矢がひょっこりと陸に上がり、多分、長州あたりの志士と時流について語り合うシーンがあったが、余りにも小さい龍馬に違和感を覚えた。番組制作のスタッフ一同も、私と同じ感触を受けたのであろうか、鉄矢の龍馬役は、そのワンシーンだけであった。

・ある合宿で、絡んできた後輩を殴ったことがある。一発入れた所で、周りを見ると、そいつと同学年の奴らは知らん顔でTVを観ていた。『こいつも可哀想な奴だな』と内心思ったが、私は、そいつと殴り合う事を覚悟し、やるのなら、とことんやってやろうと思ったが、そいつが掛かってこないので、私から手を出すわけにも行かず、微妙に対峙していたら、私と同学年の奴が風呂から大慌てで出てきてくれて、間に入って止めてくれた。翌日、殴った奴が朝食の時にグチグチ言っていたが、私は静かに食べていた。馬鹿な後輩はほっといたが、けじめとして、ケンカを止めてくれた友人には謝った。後味の悪い合宿であった。

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巨大な野望

・先日、友人から電話が鳴ったので、携帯を取ると、いきなり、「エベレストにでも登らねえか」という、あまりにも巨大な野望を突き付けられて、とりあえずショックを受けた。故父の同僚で退職された方によると、一千万あれば、誰でもエベレストに登れるという話を聞いた事があったので、その旨を知らせ、「俺にはそんな大金無いぞ」と応えたら、友人は、「金の問題じゃねえ、気合いの問題だ」と言うので、私は、「まず、日本の百名山から攻めるのが筋じゃねえのか」と言ってみたら、彼も納得したようだったが、「それでもエベレストを目指す」という彼の言葉は気合いに満ちていた。私も、なにか、気持ちが若返った。

・男子校の時の英語の授業で、優秀な方の先生が、ある授業で、気合いの入っていない奴を当て、「『important(重要な)』の名詞形は何ぜよ」と聞いたところ、そいつは答えられず、仕方なく先生が、「『importance(重要性)』じゃろうが、この馬鹿たれ!!」と叱る中、先生は場の空気を読んで、ここぞとばかりに、「インポテンツじゃないぜよ!!」と大声で言ったので、クラス中が大爆笑になった・・・その先生は、気合いの入っている生徒は一生懸命教えて下さったが、気合いの入っていない生徒は相手にしなかった・・・やればやる程、教わり甲斐があったので、必死で付いて行った覚えがある。

・下半身だけで動く男ほど、みっともない奴はいない。

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詩的な文章

・政治が共産党一党独裁なのに対して、経済が資本主義というのは、明らかに矛盾している。この国が本当の脅威となるのは、民主化後だろうが、何はともあれ、中華思想は勘弁してもらいたい。著作権も何もかも、国際的に無視している国など、それまで持たないだろう。

・幕末の長州藩の毛利敬親公は、寛容な藩主であった。毛利元就公まで遡ると、毛利家は、天下を狙うのではなく、家を存続させる事を目指す家風であったようだ。敬親公も将軍の座を狙うような馬鹿ではなく、優秀な人材を優遇し、ものすごく大切にした・・・日本人で初めてスペースシャトルに乗ったのも毛利さんであったし、小早川家も吉川家もちゃんと存続している。大したものだ。

・手の指で『3』を表すのに、イギリスでは、日本と同じ様に、『人差し指、中指、薬指』で示すのだが、ドイツでは、『親指、人差し指、中指』で表現するらしい。この事は映画で知ったのだが、この風習の違いだけで、第二次大戦以下では、イギリスのスパイがドイツのナチのS.Sと撃ち合い殺し合うというシーンがあった・・・癖とは自然と出てしまうものなのだろう。

・戦後に活躍した作家の中で、内容はともかく、最も美しい文章を書いているのは、野坂昭如だ。あの、詩的な文章にはシビれる。

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迷惑と配慮と

・黒柳徹子が極度のスポーツ音痴であることを知ってはいたが、数多の試練を乗り越えて、アースマラソンをやり遂げた間寛平の事を、『徹子の部屋』でコケにしたような態度をとったり、暴言を吐いた事は許し難い。その放送を見てから、私は黒柳が出る番組には関わらない事にしている。ただの気色の悪いババアだ。

・旅先のアメリカで知り合った、関西人のシゲが、塾講師の面接の際、世界中を放浪した話をしたら、塾長の『鶴の一声』で採用が決まったそうだ。すると、電話が掛かってきて、「教え方を教えて欲しい」などと、らしくもない事を聞くので、私が塾講師時代に、態度の悪い野郎がいたら、椅子の脚を蹴飛ばす振りをして、そいつの足を蹴飛ばしていた話をした。シゲもそれで緊張が解けたのか、気軽な話をいくつかしていた。「まあ、慣れもあるから、教えるのは何とかなるだろう。それより、生徒にナメられないようにな」と私が言うと、「まかしといてくれ」という頼もしい返事が返ってきた。シゲらしいな、と感じた次第である。

・確かに、人には迷惑をかけない方がいい。でも、人間やっていると、否応なしにかけてしまう事だってある。だから、配慮が大切なんだ。

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人付き合い

・高校の修学旅行で、担任が夜に何度も部屋の見廻りに来た。一緒に話していた体育教師が、ポソリと、「あいつ嫌な奴だな。酒も飲めねーじゃねーかよ」と呟いた時には、部屋中の皆が大爆笑した。もちろん冗談なのが、判っている上での笑いである。

・立花隆が駆け出しの頃、寺山修司に一生懸命、ゴマをすっている、いやらしい顔の写真が忘れられない。今や文藝春秋などで偉そうな事を書いているが、大した事ではない。ある友人は、昔の立花隆の風貌を見て、「あいつ、老けたオバちゃんにしか見えないんだよな」といっていた。これにも笑った覚えがある。

・吉田松陰は、どの塾生に対しても、長所を伸ばし、短所を縮めるような指導をした。これは、人付き合いでも大切な事だと思う。私も、できるだけ人と接する時に、学生時代からそうするように心がけてきたが、特に、『自分に厳しいか?』という点で疑問が残る。老若男女関係なく、人に優しくありたい。

・プロ野球の監督でも、野村や落合が選んだ選手は何故か伸びる。同じデータを見ても、きっと、選択する時の目の付け所が違うのだろう。野村はキャッチャーで三冠王、落合も三冠王を採った。しかも、右バッターで狙ってライトにホームランを打てたのは、知る限りでは落合と中村紀ぐらいである。野村の事は実際に見ていないのでよく判らないが・・・

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サバイバルゲーム

・いつの事かは余りよく覚えてはいないが、私が眼鏡を新調した後の友人達との集まりで、「何で、今はやりの横長の眼鏡にしなかったんだ?」と聞かれ、ポッと口に出た言葉は、「車を運転する時、視野が狭くなるのが怖いからだ」と答えた。一人が同調して、「俺も運転の時はコンタクトをする」という話になった。しかし、私の別の本音は、単純に、横長メガネが、自分の趣味に合わない、というだけの話なのであった。運転の事も本音なのだが、横長メガネをしている友人もいる中で、「嫌いだから」とは言えなかった。

・父は、若く体力がある頃、一夜漬けの名人だったらしい。コツコツ勉強するというより、短期集中型であったのは間違いがない。母もコツコツやるタイプではなく、私も弟もその血を引き継いでいる様である。私の場合、学生時代は、どうでもいい授業には一度も出席しないで、ラーメン一杯を友人にごちそうして、代返してもらい、試験前の晩に、それまでに集めておいた十年分ぐらいの過去問(答えなし)のコピーに書いてある、落書きみたいな解答を参考に徹夜で解法を導き出した事、数知れず、試験の度に、サバイバルゲームの様な作戦で臨んでいた。ふと気が付いたのだが、むしろそうやって単位を採ったもの程、成績が良かった。

・たけし軍団のダンカンは、自分のガキに『甲子園』という名前を付けた。いくら芸人とはいえ、やり過ぎな感は否めない。

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ほてかる

・『ホテル・カリフォルニア』の中で、主人公がキャプテンに、「ワインをくれ」と頼むのだが、キャプテンは、「1969年以来、ここにはそういうお酒はございません」と応える。私は、何故、1969年なのか考察してみた。1969で思い出すのは、一つは、ウッドストックでのライブであるが、もう一つはアポロの月面着陸などとアメリカの繁栄を象徴している感じがしてならない。ホテカルは、『昔のアメリカは良かったね』という様な曲らしいが、難解でならない。結局、現在を生きる私達としては、何もかもが膨れ上がってゆく、人間の欲望がフィーストの中での『ビースト』に象徴されている様に、物質文化の行き過ぎと受け止めるべきだと思う。

・ロシアは民主主義というものを履き違えている。実質的には、旧ソ連と大して変わりがない。

・小林「エントロピーが減少するというプロパビリティ(確率)はあり得るのでしょうか?」:湯川「符号を変えれば有り得ます」(小林秀雄と湯川秀樹の対談より)

・勝負事にあって、何が何でもという奴と、怠ける奴とでは、絶対に前者が勝つ。だから私は、たとえどんな状況でも、雀聖・故阿左田哲也氏の格言通り、博打とは戦争であり、負けたら全てを失う覚悟で臨んでいる。

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真っ直ぐな男

・男子校には男子校の嫌らしさがある。女子校程ではないだろうが・・・

・旨い福島牛が、お安めだし、たらふく食って太く生きるか、比較的高めだが、外国の肉を食べるかは迷う。個人的な問題ではあるが、前者を実行しようと思えば、かなりの度胸がいる。後者を選択すれば、英語で言うところの、『チキン』になりかねない。なんだかんだ言っても、長生きしたいのが人間の本能だ。

・英語を習い始めの頃、教師が、「筆記体を上手に書くコツは、ノートを斜めにして書く事です」と習った。実際にそれをやってみると、全く上手く行かなかった。私だけかと周りを伺うと、みんな出来ていない。圧巻だったのは、そうしろといった教師が、黒板に筆記体のスペルを書いたら、私達よりもヘタクソだった事である。挙げ句に、「いや~黒板は斜めには出来ませからねえ」と笑いながら言い放った。生徒全員が、内心で、『こいつは駄目だな』と思った事は言うまでもない。

・こないだ車を運転していたら信号待ちで、前にマツダのRX-8が止まっていた。思わず嬉しくなったのだが、マツダがロータリーエンジンの研究はしても、ロータリー車が打ち止めになったのは、悲しい知らせだった。一度は乗ってみたかったし、アクセルを全開にもしてみたかった。

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物事というもの

・物事というものは、何事でもそうなのだが、始めた当初は右も左も見えない中、暗中模索するのが当然の事と考えなければならない。その闇の中で、どれだけもがけるか、つまりは忍耐と勇気と辛抱の根性が必要なのは、言うまでもない。大概の人は暗闇を恐れて立ち止まってしまう。そんな中で、粘り続けた者だけが、その先の光溢れる果実を手にする。一度も、そういう体験をした事がない者は、何事に付いても同じ過ちを繰り返す。暗闇の中で、勇気ある一歩を踏み出せば、すぐに闇から出る事が出来るのに・・・

・曲名が限りなく放送禁止用語に近いので、詳細は書けないが、その曲の二番目の出だしは、「芥川龍之介が『スライ』を聞いてお歌がお上手とほざいたという」という部分があった。あらゆる文献を調べたのだが、『スライ』は全然載っていなかった。なんだこれは!と腹が立ち、それでも悔しくて、「スライ、スライ・・・」と呟くうちに、日テレの24間TVのテーマソングである『サライ』にぶち当たった。谷村新司はまだしも、毎年聞いていると、合唱の中で、永遠の若大将なる人物の音痴さ加減が嫌に耳に付く様になって仕方がない曲である・・・最初に取り上げた曲は、多分『そこら辺』をヤジった曲なんだろうと思った次第である。

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勝負師

・ノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈氏が、同じくノーベル賞をとった湯川秀樹氏のことを、本当の天才だと言っていたらしい。湯川氏がノーベル賞を取った『中間子理論』は、気分転換に、子供とキャッチボールをしていた時にヒラめいたそうだ。

・十数年前、まだサクラローレルが弱かった時代、友人と競馬場まで足を運んだ。お互いが予想を検討しあって、いざ、馬券を買いに行く段になって、急に私の腹が痛くなった。友人に、「悪い。トイレだ。長いぞ」と言うと、「信じられねえ奴だな。勝負の前に『ウン』を落とす気か?」というようなジンクスをかつぐので、私は即座に、「バカ野郎!!『ウン』を付けに行くんじゃねーか」と切り返した(実際に付けたわけではないが)・・・そのレースは結局、私が取って彼は駄目だった。しかし、ダテに彼も競馬をやっているわけではない。普通の奴なら機嫌が悪くなる所を、彼は逆に、両手を握って、「おめでとう!!!」と言った。仕方なく、私が、勝った喜びと共に、「寿司でも食いに行くか」と言って、彼をごちそうした。後に、さすがは勝負師たる者、転んでもただでは起きぬ、と悟った次第である。

・小学校一年の時、クラスの集合写真を撮るという事だったが、私は退屈だったので聞いていなかった。妄想していたのである。結局、写真では、私を含め、他数人が普段着で来ていた。後々、その写真を見て思ったのは、『俺は知らないで着てこなかったけれど、中には着たくても着てこれなかった奴がいるのではないか』という事だった。

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読書について

・本の中には、速読していい物と、そうで無い物とがある。以前、速読は、運転でたとえるなら、高速道路を走っている様なものだと聞いた事がある。私はその意見を聞いて、「高速を走ってたら、周りの景色が見えないだろう」と反論した。その後新聞広告で、『10分で一冊の本が読める』のキャッチコピーで、売り出している会社があった。体験者は、30代後半の女性で、「頭の回転が良くなり、私自身が驚きです」というようなことが書いてあったが、自分で自分の事を、頭の回転が早くなったと書いてあった。私には信じられない。悔しかったら、その辺の三文小説ではなく、小林秀雄なり、大江健三郎なり、ヴァレリーなどを読んでみればいい。世の中には、遅読でしか、解釈できない文章もあるのだ。

・競馬界では、年に約一万頭のサラブレッドが生まれる。年に五千頭前後の牡馬が生まれるという事だ。しかし、五千頭の牡馬の内で、種牡馬や施設に送られるのは、数十頭足らずだ。つまりは競馬界を裏側から見ると、ほとんどの馬が馬刺しになっている事が解る。私は、基本的に馬刺しは食べない主義だ。

・ブッダの教えを読んでいると、いい言葉を発しているのだが、裏の、当時の治安の悪さが伺える。

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