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2011年1月

『グローリリゼ-ションノの敗北』

 グローバリズムなんて、吹っ飛べ

日本が無くなる前に

誰かが何かをしなくては、事は動かない

絶対に、この国を滅ぼしてはならない

 「私の祖国はどこなの?」と

滅んだ国の少女が言う

いったい帰国子女には

どこに根を張る場所があるのだろう

 革命的な仕組みの中で

地図に写らぬ、多くの人が、迷い続ける

いつまで成長すれば、僕達は

どこを母国と呼べるのかと

 全てが悪いとは言わないが

子供達はどんな思いをするだろう?

アイデンティティが薄れて、寂しさは広がってゆき

本当に良い、時代のために、ひっそりと

静かに、幼い子供達が、涙を浮かべているよ

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『車窓から』

 のんびり走る、車窓の隙間から

いつも見かけていた先輩が

木立並ぶ公園の陰に座っていた

私は あの時の横顔が 忘れられない

 誰かとの恋に破れ

疲れ果てていたのでしょうか

貴女は、憂いの面影で

ただただ、俯いていた

 市電は何事もなかったかの様に

貴女の姿を横に滑らせて

私は何も言えない中

仕草の中の溜息をのみ込んでいた

 あれから何年も経ったのに

いつも忘れられない、あの日の姿

きっと、一生、胸から離れないでしょう

今は幸せである様に祈っています

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神秘の一行

 最近は、私の詩作に押されてか、暇があったら母も、殴り書きの様な詩を書く様になった。私は調整役で、、一人苦しむ。母の味を消してはいけないし、自分のものにする気は毛頭無い。従って、素直にペンを走らせるのだが、私では、仕切れない一行が、必ず母の詩にはある。そんな一行を大切にして欲しい。

 母に『桑田佳祐』を聞かせてあげた。歌詞カードを見せながら。すると、お袋は、「時代が違うね」とポツリともらした。私が、「桑田佳祐って天才だろ?」と聞いたら、「確かにその通りだけど、私達の頃の価値観では許されなかった」と言うので、「常識に流されすぎているんだ!!」と、私は声を張り上げた。詩に国境はない。打ち破らなければ!!

 母は、幼い頃から、バイオリンまで習っていたらしい。しかし、美に関するセンスは、皆無に近い。だから、骨董屋に寄っても、私と趣味が異なる。高い買い物などしないが・・・けれども、母の書く詩には、斬新な、今まで聞いた事のない一行「があるのだ。

 余り影響されていない、自然の天然水というか、貝殻の底の真珠というか、そういう『光る一行』があるのだ。それがなければ、私など母を相手にもしていない。その、輝く一行が観たくて母の詩を眺める。恋愛ものばかりだが、最初はそれでいい。母の青春と、多感な日常が浮かび上がる。時々、ふと、私よりも上手いんじゃあないかと、私を悩ませる。

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『星空の夜』

 眩しすぎる 舞台では

一番大切な光線の中に 輝いていた

貴女のどこが 変わったのか

黙って全てを 受け留めた

 時に、僕は 田舎を思ふ

世話になった じいちゃんとばあちゃんと

子供の頃から 多くの 苦しみを

背負ってくれた My Home

 星がきれいな 瀬戸の海

満天の星が 慰めてくれた

美しい星々は 教えてくれた

疑う前に 大切な人を 信じなさいと

 宇宙の全ては 判らないけれど

いつもロマンを 与えてくれる

何で、そうなのかは 解らないけれど

海辺で観る星空に 弟と母を祈った

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誕生日かあ・・・

 三日前が私の友人の誕生日なら、今日は、私の誕生日である。詩作に凝っていた頃、自分の誕生日について、何か書こうかとも考えたが、自分を祝うための詩など出来るはずもなく、あえなく挫折した。三十数年の人生を振り返ってみて、悲喜こもごもだが、産んで、育ててくれた両親には感謝したい。

 いつか、母から聞いた話だが、私が産まれる時は超難産だったらしい。へその緒が胎児である私の首に絡まり、母は、パンパンに顔を腫らせて、何とか産んでくれた。赤ん坊の私は、仮死状態で産まれてきたのだが、先生が私のお尻をたたくと、「オギャー」と泣いて、蘇生したらしい。お産だけで、六時間かかったとか。私は昼に産まれたのだが、生前の父は、その晩は満月だったと、よく言っていた。入院中の母と産まれてきた私が一段落つくと、車で出かけ、何時間も月を見ていたらしい。父は月が好きな人だったのだ。

 妊娠中の母は、生まれてくる子(私)が男の子と決めつけて、丈夫な子になるようにと、ひたすら目刺しを食べてくれたらしい。よく、妊婦の方は、無性に何かが食べたくなるという話を聞くが、私の時は、スモモだったらしい。弟の時は、早生ミカンだったとのこと。

 今日は、母が赤飯を炊いてくれるらしいのだが、実は、私は、あまり赤飯が好きではなく(ガキの頃、好きで食べ過ぎたため)、一口でいいと言ってある。それはそうと、折角、この世に生を授かったのだから、休み休みでもいいから、真剣に生きてゆきたい。

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魚の目が治らない

 去年の夏頃から、右足の膝の甲に、魚の目が出来た。痛くもなく、放っておいたのだが、なかなか治らないので、整形外科に行った際に、薬を張って、テーピングして頂いた。看護師さんは、「十日に一回ぐらい来る方がいい」と言ってくださったのだが、そんなにヒマでもない。仕方ないので、市販の魚の目用の絆創膏を張っていた。貼り薬は十日に一回ぐらい変えればいいとの事で、対処していたのだが、市販のものでは、一向に良くはならなかった。

 次に病院に行った際に、先生に聞くと、魚の目の薬は、魚の目の直径の1/3から2/3程度に張らなくては、かえって逆効果との事だった。何故だかは解らないが、市販のものは魚の目よりも大きいサイズの絆創膏だったのだ。先生は、貼り薬を処方してくださり、指示に従って、張っていた。再来の時に、大分小さくなったので、先生に見せると、「多分もう大丈夫だろう」とおっしゃってくださった。しかしながら、それからしばらく放っておいたら、赤くはならないものの、白いこぶの様になって復活してきた。私が指でつぶそうとしたら、中からゲル状の透明なものが出てきた。これで治るだろうと思っていたが、甘かった。白いこぶは、みるみる大きくなっていった。

 仕方がないので、再び貼り薬を張る事にした。現在の感覚では、大分、小さくなってくれたと思う。風呂で魚の目の小さくなったものを、十日に一回こすっても、なかなか治らないどころか、しぶとい。痛みがないので、余り普段は気に掛けないが、このしつこさを考えると、自分の体に、何か別の生き物がいるような錯覚を覚える。明日、病院に行く予定なので、先生に教えを仰ごう。

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「Take it easy」でいこうぜ

 昨日は、いつも電話をくれる友人の誕生日だった。四年くらい前に、仏画を頂いた友人である。ご家庭では、さぞかし盛り上がった事だろう。私もショートメールで、お祝いの言葉を贈ったら、しばらくして、ありがとう、との返事が来た。彼と私は誕生日が近く、大学時代は似たもの同士だった。

 一方、昨日は親父の月命日でもあり、墓参りにもいった。その前に、私は神経科の主治医の所に寄った。先月は、パソコントラブルのせいで、病院にも墓参りにも行けなかった。昨日も、寝ぼけ頭で、話す事は別になかった。ただ、「最近は起きた直後にブルーになる事が多いことと、そういう時は、大概、何日か取り憑かれた様に、仕事をしている」との話をした。そして、故親父からの、「気楽にやりなさい」という言葉を思い返している旨を告げた。すると先生は、「Take it easy だね」と話された。私が、「EAGLESの曲みたいですね」と話すと、「気楽にやろうぜってことだよ」と話された。

 「Take it easy」とはいろいろな解釈があるから、面白い。「気楽にやろうぜ」はもちろんの事、「気にするなよ」とか、「なるようになるさ」というようなニュアンスも含むだろう。言葉の面白いところだ。一言で、アメリカの文化の一面を物語っている言葉の様な気もする。

 昨日は夕方に携帯電話が鳴り、とってみると、友人が、「体調を崩したので、今日の新年会は・・・」と言うので、「新年会は再来週だぞ」と話した。友人は相当体調が悪そうだったので、話を短く済ませ、「こういう時は、お大事に、とでも言えばいいのかなあ」と言ってお互いに笑った。「今年もよろしく。皆さんにもよろしく」と言って電話を切ったのだが、普段、正確無比な友人だっただけに、よっぽど調子を崩しているんだろうな、と思った。早くよくなるといいね!!

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『アトリエのある風景』

 若いけれども、名もない絵描きが

『これは』という女に、自分の絵を見せて

涙を重ねてきた、美しい表情を持つ貴女に

モデルになって頂けませんか、と告白した

 彼女は自分の心の底を、見抜かれた気がした

なぜなら彼女は同じ様に、川沿いの道を

ミュージカルのオーディションに向かう途中だったから

けれど、その絵描きの、情熱に惚れた

 彼女は、彼のアトリエに

何度も何度も足を運んだ

いつしか、彼の描いてくれる自分に

最高の悦楽を感じる様になった

 二束三文の生活の中、必死に描いても

パン代すら、絵の具代すら無くなって

その女は、「自分を売る」と言った

どうしようもなくもめる中、彼女は泣きながら出て行った

 ただの絵描きから、画伯にになった彼は

あらゆる手段で、彼女を捜したが

『シルアテナシ』の電報ばかりだった

彼は改めて、彼女との日々を思い返した

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無理矢理、昼型に戻す

 中高時代の仲間達との新年会で、完璧に夜型になった私は、無理矢理、昼型に戻すべく、昨日は早寝した。12時間ずらすのに、二日がかりで行う事にした。夜型の頃、とりつかれた様に、詩を書きまくっていた私は、どうも、今日の目覚めから、メンタル的に疲れていた。優しい歌が聴きたくて、i-podで、ブルーハーツの曲を聴いていた。久々に聞いたら、心が癒された・・・今日はのんびりしたい。明日は親父の墓参りだ。

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『みんなが、みんなのために(ラビンを偲んで)』

 仮に、何かに、恵まれていたとしても

それが幸せに繋がるとは限らない

人の世は、いつも、せわしく、揺り動くから

どうか、あなたは、自分を大切にして・・・

 仮に、何かかが、劣っていたとしても

それが不幸に繋がるとは限らない

人の世は、いつも、巡りに巡る

どうか、あなたは、試練を乗り越えて・・・

 いつの日にか、きっと

皆が満足できる日が来る

その事を、みんなで信じましょう

天は、必ず、見捨てたりはしない

 だから、どうか、人生の扉を閉めないで

自分からそうする事ほど、愚かな事はないよ

あらゆる、肌の色、血、宗教、すべてで争わないで

私は、いつしか、みんなが共に分かち合う日が来ると信じている

 裏の世界の人達にも、考え直してみて欲しい

どうか、みんながみんなの為に、尽くす様にしなければ・・・

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『いじめの未来』

 何故か解らぬが ガキ大将に

目をつられて いじめ抜かれて

ひしぐ心を 我慢していた

打ち明けたお袋は 殴り返せと言うが

けれど、僕は そういう気分になれない

 どうしてだか解らないが 意地悪な娘がやって来て

おまえは汚いから 寄ってくるなと言われた

よじり切れない思いを 胸の内に抱えていた

誰にも言えぬ、つらさを 泣きながらお母さんに打ち明けた

幼い僕たちには、 それは、 到底耐えられなかった

 それでも母が言ったのは 先生に全部まかせなさい

アザだらけの僕や お風呂上がりの私も

必死必死で先生に いやな悩みを訴えた

けれど先生は頷くばかりで 何にもしてくれず

結局、僕らは、 大人を 信じなくなった

 どこの世界にも いじめはあるが

何もしない大人など 教師ではない

先公ならば もっと 真剣な態度で

痛めつけられた 子供達を守ってやれよ

事が起こるまで 放っておく馬鹿はいない

 はっきり言って 今の世の中で

何事もなく やっていけると思うのか?

事件が起こる度に TVに並ぶ、正当防衛のハゲ頭

それで責任を 取ったつもりなのか?

それでも、悲しい事に 実際、子供達は命を絶っている

 君たちが本当に 自分を強くさせたいなら

いじめっ子の事など 気にせずにおけ

その代わり、自分を本気で 愛してくれる人達の事を考えなさい

そうしたら、きっと 人にやさしくなれる

君たちの苦しみは、必ず 未来の光に変わる

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中高時代の友達との新年会を終えて その4

 仕事明けの友人が、十時過ぎに来てくれた。私が、「何か食べてきたのか?」と聞いたら、「軽くつまんできた」との応え。『本当かな?』と思いつつ、彼のジョッキが届くと、みんなで改めて乾杯をした。『私がパソコンのルーターを替えさせられた件と関係があるのかな?』と思いつつ、現在、彼はめちゃくちゃ忙しいらしい。

 まもなく、私が風邪で喉をつぶしているせいもあり、二次会はカラオケバトルという事になった。店に向かう道すがら、ヒデちゃんに、妊婦の奥さん(早産)について聞いてみたら、もう、入院しているとの事。安心した。カラオケは七人いたので、一組が三人組という事になった。ニギリ寿司もあり、白熱した戦いとなった。時間がないので、どんどん回していったが、二回りが限界だった。私は、『いつか何処かで』と『路上のルール』を歌った。風邪の中、無理矢理声を出したので、すぐに喉がかすれてしまったが、いい相方と組めて、ニギリ寿司はごちそうになった。そのカラオケ店の採点は厳しく、バラードが有利との事で、みんなバラードを歌っていた。本当に自信のある奴は、自分の好きな曲をチョイスしていた。

 一人だけ、あえて終電を逃した友人に、「うちに泊まってもいいぞ」と言ったが、彼は、「隣駅の温泉ランドに泊まる」と言った。終電五分前、改札から入ったら、二人がトイレに行った。その時、ノリ君が私に、「お前なんかヒマなんだから付き合ってやれよ」と言ったので、殴り飛ばそうかとも思ったが、経緯を話し、「お前の方こそ泊めてやれ」と言い返した。そうして、上り組と下り組で、別れを告げて、家の近い友人達と電車に乗って、帰ってきた。仕事明けの友人の事を思うと、ノリ君などを殴る気も起きなかったのである。

 人間の一生なんて短い。縁を大切にして、完全燃焼したい・・・たとえ、結果が出ようが出まいが。私は私なりに必死なのである。泣く日もあれば、笑う日もある。狂いそうになる日だってある。それでも、人は、次の一歩を踏み出してゆく。人間の尊厳の問題だ。

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中高時代の友達との飲み会を終えて その3

 仕事明けの友人を待っている間にも、話は進んだ。ボクシング部だった友人が、私に、「国民の三大義務を果たさなきゃ」などと言ってきたので、私はタバコの箱を、テーブルに叩き付け、「ナメんじゃねえ、俺ほどの高額納税者がいるか!!」と、逆ギレした。友達の子供を可愛がっていた友人は、「確かに、お前ほどたばこ税と酒税を払っている奴はいない。あと、消費税もか」みたいにフォローしてくれた。

 すると、待っていた友人の仕事が終わった、との知らせが入った。まだ数十分時間があったので、みんな飲んでいた。すると、後輩のヒデちゃんが、未だ独身の、私とノリ君に対して、「今、いい人はいないんですか?」と聞いてきた。ノリ君が黙っていたので、私は、「女のいやらしさに嫌気がさした。だから、こうして坊主頭にしている」とふざけると、「本当ですか?」と笑いながら聞いてくるので、私は、「嘘だよ。大体俺には安定収入がない時点で、女を誘う資格がない」と言った。そして、「ヒデちゃんは、子供が産まれて、自分を客観視できる様な所があるかい?」と聞き返した。すると、「それは確かにあります。どう言ったらいいか解りませんが・・・」と返してきた。ヒデちゃんは、長年のつきあいの末に、二、三年前に結婚したのだ。

 私は、「恋人と結婚出来れば最高だけれど、最近、俺は、自分の遺伝子を残してもいいと思える女が、結婚相手だと思う様になってきた。ただ、余り歳をとってから子供が出来てしまうと、その子の成人までに自分が死んじまうかもしれないから、焦っている面はある」と応えた。ノリ君が黙っていたので、ヒデちゃんは、「だったらノリさんが一番、お金持ちじゃないですか」と気を利かせていた。

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中高時代の友人達との新年会を終えて その2

 ボクシング部だった友人が(既婚)、友人の奥さんに、下ネタをフリだしたので、、何回も、「ええ加減にせえ」と注意した。友人の奥さんは、それに乗ってこれるぐらい度量の広い人なのだが、もう長男が小学生なので、やめろ、と言ったのだ。「小学生なら、全部解ってしまうぞ」と言ったのだ。「わかんねえよ」という中、後輩のヒデちゃんが、「自分は小学校の二年生の時から、エロ本読んでました」と言った。一同、爆笑したが、他の友人も、「小学生だったら何でも解ってるぞ」という話になり、男だけの時に猥談をする事になった。

 友人の一人が、子供達をたいそうかわいがっていた。さすがだな、と思った。兄妹二人が完璧に、なついていた。ボクシング部だった友人は、長男に、その友人の股間をさすれと言っていた。そんな中で、私は後輩のメンバーに、「お酒を飲み過ぎると、男が弱くならないか?」と聞いた。後輩も、「そりゃ、弱くなりますよ」と言っていた。子供から解放された友人にも、「飲んで立つにしてもそうならないか?」と聞いたら、「そんなの当たり前じゃねーか」と言われた。私は昔、ある別の会で、失礼ながら、女性にこの質問をぶつけた。「それは、あるわね」と応えて頂いた後、みんなに訴える(失礼な質問だから)感じの所を、「すいません。一気します」と言ってビールを一気したら、その人も許してくれた。

 その後、友人の奥さんと子供さん等が途中で帰る事になり、四、五人で飲んでいた。友人は奥さん達を駅まで送っていった。子供達が華だったので、もはや宴の後という雰囲気は否めず、出勤している友達をどうやって受け入れようかという話にもなった。

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中高時代の友人達との新年会を終えて その1

 昨日、中高時代のバドミントン部主体の新年会が、行われた(私は帰宅部)。また、ボクシング部だった友人も招待した。一昨日起きたらガラガラ声で、イソジンでうがいしたものの、あまり食欲がが湧かない状態であった。18:00、夜景が見渡せるビルで、会は始まった。ただ一人だけ、昨日、出社命令が出て、間に合わない友達がいたのが可哀想だった。

 最初は、ボクシング部だった友人が、いきなりなじめないだろうと思って、隣に座り、友人の子供二人と、奥さんとで話をしていた(席の都合上)。ボクシング部だった友人は、友人のお子さんに、手品を披露して、子供達をビックリさせていたが、私は横から見ていたので、すぐにタネが解った。一通り手品が終わると、子供達を自分の横に導き、二種類の手品のタネ明かしをして、「学校でやったらヒーローだぞ」と言って、教えてあげていた。長男の子供さんは、器用にマスターしていた。友人の奥さんも、笑ってらした。奥さんと会うのも五年ぶりぐらいだと思う。気がつく人で、いろんな話をした。昨日のblogで書いた事は過ちだった様だ。子供達が場を明るくしてくれた。その友人も酔ってきたので、私は席替えをする事にした。

 バドミントン部の友人達の輪に入ると、何故、今日だけ、私の瞼が二重になっているのかという事を聞かれた。私も、言われるまでは気がつかなかったのだが、自分でも解らない。整形疑惑が取りざたされるなか、私は、「明日になったら、また奥二重に戻っているよ・・・というより、男は顔じゃねえ」と言って、疑惑を否定した。その頃には、ボクシング部だった友人も輪の中に入ってきていた。子供達は既に走り回っている。なかなかいい会になりそうだった。仕事を抱えている友人が、不憫でならなかった。

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中高時代の友人達との新年会の日だ!

 今しがた、メールチェックをしたら、共に幹事を引き受けてくれた友人からのメールが入っていた。長年、私がアンケート調査をしていたが、疲れるので、ノリ君と呼んでいる友人に飲み屋の手配はまかせていた。私は、安くて、旨くて、座敷という条件をつけた。予約数も人数によっては、減らし気味に予約する様にしてもらった。こんな事は、ノリ君も承知なのだが、改めて、別の友人の家族が参加するらしい。子供も来るそうだ。今回は、その子供達の場となるだろう。私としては、奥さんとも懇意にさせて頂いており、あまり、子供達に夜の街を知って欲しくないというのが本音だ。出来た奥さんだけに、奔放主義なのだろうか。

 私は、彼と奥さんの披露宴で、トリのスピーチを任された。と言うより、数日前に、酩酊状態で、「俺とお前の仲なら、俺にも何か喋らせろ」と言った記憶がある。友人代表のスピーチは、別の友達がやったが、最後に私にマイクが回ってきた。覚悟していた事だ。私は、立ち上がり、マイクを持って、古いつきあいについてユーモアを交えながら語った。友人の親父さんが、大笑いしてくれた。

 さて、今日の新年会、横浜でやる予定なのだが、どうなるか見当がつかない。一人だけ、後で仕事が入ってしっまった友人がいるので、飲み明かすかもしれない。カラオケ勝負でも、ボウリング勝負でも受けて立つが、私は現在、かすれ声しか出ない。それでも勝つ。ラーメン代ぐらいは稼ぎたいなあ・・・何にせよ楽しみである。

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一口にblog本といっても

 昨日、お袋が祖母に、私が自費出版しているblog本が、一冊あたり、六千円以上することを喋ってしまった。それが、注文してくれた親戚の叔母さんに伝わる前に、なんとしてでも、口止めしてくれと頼んだ。多分、叔母さんは、高くても三千円ぐらいだと考えているだろうと思ったからだ。まあ、どちらにしろ、祖母の面倒もみて頂いているので、お金は受け取らないつもりだが・・・

 本音を言うと、原価が六千円なら、一万五千円で売りたいくらい、自分の魂を込めて書いてきた本である。しかし、このblogは私の修行の場であり、神聖な領域の元で書かれたものを、売る気はない。友達や親戚には何冊かプレゼントしたのだが、お金は受け取ってはいない。今回もそうするつもりだ。

 大切なのは、それまで何にも長続きしなかった私が、三年半以上、タイマーを使わずに、『継続できている』という事実なのである。それが、私の人生に於いて、どれほど大切な事を教えてくれているのかは、計り知れない程の財産なのだ。『石の上にも三年』と言ってくれた友人には、謝辞を述べたい。

 そもそも、blog本など、当初は出版する予定はなかった。しかし、@Niftyのココログ(blogサイト)では、書けば書くほど、昔の自分のblogが参照しにくいという事で本にしたのだ。その点はサイトにも問題がある。けれども、物書きとして、自分の本を欲しがってくれる人がいるというのは、最高の名誉なのである。現時点では、お金などいらない。・・・しかし、自分の本が出来るというのも、物書きからしてみれば、嬉しくて仕方がないものなのだ。

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blog本の増刷だ

 昨日の晩に、詩を書きながら、i-podで音楽を聴いていた。書いた詩の一部が気に入らなくて、サインはしなかったものばかりだった。一昨日までは、八時間ぐらい作業していたのだが、私の勢いに押されてか、母も父との思い出を認めていた。漢字の間違いだらけで、勢いだけで書いているので、リズム感もない。どこかで聞いた事がある様なフレーズもあったが、一つだけ素晴らしい終わり方をしているものがあった。私が、「これ、使ってもいい?」と聞くと母は快諾してくれた。また、私が詩を書く時の音楽というのは、大概、意味が解らないものである。歌詞が解ってしまうと、影響されてしまうのだ。

 また、気分転換に音楽を聴いていると、音の前に、なんて言葉は無力なのだろう、と痛感する。プロでも、曲から作る人と、詩から作る人に分かれると思うのだが、何分、私には、作曲の才能がない。音楽は山ほど聴いて、一流のものに触れる様にしてきたが。

 昨晩の話に戻すと、母方の祖母から電話が鳴り、母が取ると、なにやら私のblog本の話をしていた。何でも親戚のおばさんが買ってくださるとの話だったらしいのだが、私の拙書など、売るわけにはいかない。黙って増刷の手続きをしたが、出来たら、甥っ子の高校の合格祝いに、差し上げるつもりだ。なにせ、注文してから完成まで、三ヶ月近くかかるのである。

 今月の終わり頃には、第三巻を上梓するつもりだが、きりのない戦いが続く。

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『奥手な友人に』

 もしも おまえを 好いてくれる娘ならば

どんなことをしてでも  口説き倒せよ

おまえに惚れる女なんて 優しい娘だと決まっているから

かつての昔に  ダマされた女とは違う

 もしもその娘が ついてきてくれるなら

お前も本気で  愛してあげなさい

育ちや暮らしが  どうこうなんて

関係のない事だよ 二人にとっては

 互いになぜか悩む時  お前は心を洗って

精一杯の優しさで  じっくり我慢しろ

そしたらきっと  二人とも

大したことではないと 気が付く日が来る    

 青春の日々なんて  語る暇がない

世の中は 常に 移ろいゆくもの

だからお前は  素直になって

その娘のすべてを しあわせにしろ

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弟の子供との対局

 最近は、詩を書くのを趣味にしている。大体、一日に十本ぐらいか。しかし、ものになるものは、かなり少ない。私は勢いで書いてしまうので、そうなのかもしれないが、詩の神が降りてきた時には、恍惚となる。そんな時は、何も聞こえない。ただただペンを走らす。

 正月に、弟の家族がやってきた。家族で親父の墓参りをしてくれたらしい。弟のかみさんが犬の毛アレルギーらしく、弥吉君は一階でお利口さんにしていた。弟の家族と手巻き寿司を食べ、カニ好きの長男は、全部食べていた。楽しい時間を過ごせた。

 頃合いを見て、長男を、将棋に誘った。私は、子供が伸び伸び指す手が好きなのに、父親である弟が、余計なちょっかいを出す。何でも弟と長男は一勝一敗だとか。弟が横からアドバイスするのだが、私は長男に、「もう小学校五年生なのだから、自分で決断しろ」と言った。長男は、奮起してくるかと思ったら、弟にバトンタッチした。これは、弟がうるさすぎたのだ。

 駒を動かすのが次男に変わり、一手々々は弟が指す事になった。これでは弟との勝負に変わりない。私は飛車角落ちにしたのだが、弟陣は玉将の囲い方さえ知らない。私が桂馬を四枚そろえたあたりで、投了かと思ったが、粘る。こちらも大駒を切って、詰めろにした。その後、九手積みだと確信した私は、弟の玉を積ました。弟はしっかりと、「負けました」と言っていた。途中、弟が指した手で、即詰みになるので、「本当にいいのか?」と聞いたら、弟の次男が、「それじゃあ負けちゃうよ」と言った。弟が気がついていないチョンボに、幼稚園児の子供が気づいていたのである。これには私も、驚いた。

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『明るい詩(うた)』

 明るい詩(うた)を書きましょう

何でそんな思いになるかって?

世の中は、暗く、せち辛い

いつも、人は、俯いている

 明るい詩(うた)を送りたい

何でそんな気持ちになるかって?

底辺を支えてくれる人達を

たたえる為に、歌いましょう

 時々感じる事がある

心の底から欲しくても

やっぱり駄目に、なってしまう人

手に入るのに、取り残す、チャンスをものにできない人

 社会は下から観ても

丸い事には変わりがない

 きっと、

そんな事を知っているのは一部分と

驕る人も思い込む

そんな奴デタラメだ

おまえは何を知るというのか?

 それなら、

せめて、明るい詩(うた)を捧げたい

精一杯の努力を込めて

歯を食いしばって生きている人達に

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『お年玉』

 今年の正月は、今のところ、友人と会う予定はないが、今日の昼から、弟家族がやってくる。弟は23歳ぐらいで結婚し、既に二人の子供がいる。男兄弟なのだが、当然、二人とも、『お年玉』を期待しているに違いない。私に余裕があれば、諭吉様を包んであげたいのだが、ガキが大金持っても仕方がないとも考える。結局、首里城のピン札でごまかす。もちろんお年玉袋に入れるが。珍しさでごまかすという、姑息な戦法を使っている。

 弟の長男はカニが好きで、次男は野菜が好きなので、こないだの買い出しの時に、カニと野菜を仕入れてきた。手巻き寿司をするので、現在、他のネタを買いに、お袋は出かけている。よく考えると、お袋は、サンタさんからもらったお金も使っているので、私も、間接的には関与していることになる。

 例年だと、いつも私に予定が入って、宴の途中で抜け出してしまっていたのだが、今年はフル参戦できそうだ。親父が生きていた頃(何か空気が悪くなって、私は、早々に外出したのだが)、一度だけ、弟のかみさんを本気で叱ったことがあると聞いた。母も私も弟も、親父から本気で叱られた事などなかったので、正直、後で聞いて驚いた。何でも、普段、死ぬ気で働いている弟が、正月にビールを飲んで、寝た事に対して、弟のかみさんがイライラしていたのが原因とか・・・詳しい事は全然知らないが、『思いやり』について激怒したらしい。

 今日は、私は、のんびりと、何故か酔っぱらうトマトジュースを飲むつもりである。

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あけまして・・・とはいっても

 喪中なので、『あけまして』という挨拶だけに留めておく。年賀状が一枚も来ないというのも、何だか寂しい気分だ。例年なら、年賀状を観ながら、雑煮でも食べているところだ。個性的な年賀状を、楽しく眺める。いろんなコメントを読んだりして、ボーっとしている。

 確か去年は、『一年の計は元旦にあり』ということで、いろいろと書いた記憶があるが、いくつかは守り、いくつかは達成されなかった。今年はどんな目標を立てようか・・・blogを毎日更新するのは当たり前として、現在構想が固まっている短編を仕上げる。他には、昼型にするというのも当たり前だし、仏壇で毎日、経を唱えるというのも達成した。お金に関しては、始末するというのが今年も続く。それから、料理を少しずつでも覚える・・・というよりも、家事全般に関して、お袋をサポートする。明るく笑って生きられる自分になる。人の気持ちを理解できる自分になる。友達を大切にする。そんなところか。これらも考えるだけならたやすいが、行動で示す事は大変だ。

 とにかく、すべてに意味があり、よりよき方向へとすべてが向かう年にする。歳を重ねて、時間が経つのが早いなあ、と感じるようになり、年々、目標も変わってくる。まだ、『これでいいのだ』といえる歳ではない。自覚を持って、有意義な日々を送るようにしなくては。

 孤独に歩め 悪をなさず 求めるところは少なく 林の中の象のように

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