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2010年10月

数学の話

 最近は交流がないのだが、私の大学一年の時のクラ友で、その後もつきあいのある数学科の友人がいた。彼とは様々なジャンルの話を楽しむことが多かったが、私が数学について疑問を持った時には、いつも丁寧に教えてくれる友人でもあった。そんな彼が、我が家に遊びに来てくれた時に、一緒に飲みながら、いろんな話をしているうちに、数学の話になった。その時に、数学科の授業で、ガロア理論をある教授が説明していたのだが、その証明を黒板に書いているうちに、最後につじつまが合わなくなってしまい、独りで、「う~ん」と二十分ぐらい悩んでいるうちに授業が終わってしまったそうだ。その話を聞いて、私は大爆笑し、どうしようもねえ奴だな、とコメントした。そして、私が、ふと、一番尊敬している数学者は誰だ?と聞いたら、彼は、いっぱいいるけれど、強いてあげるなら、ガウスかな、と応えた。私は、なるほど、ガウスか、と素直に納得していた。

 ガウスといえば、小学校の頃に、教師から、「1から100まで全部足しなさい」と言われて、一瞬で解いたという話が有名である。教師が訝しがる中、答えは合っていたので、どうやって解いたのかを説明させた。ガウスは1から100までと、100から1までとを上下に並べて、上下の和が全て101になることを説明し、それが百個在るから、100倍して2で割った、と説明した。結果、解は5050になるのだが、その解法の発想力に教師は驚いたという。いわゆる神童である。ガウスの他の業績を僕は詳しくは知らないが、数学で出てくるガウス記号『||』は苦手だった記憶がある。

 同じような話で、トーナメント戦をやる時に、何試合やらなければならないか、ということを、小学校の時の塾で習ったことがある。例えば、出場者が200人の場合とか10000人の場合でも、試合数は簡単に出てくるのである。答えはそれぞれ199試合と9999試合なのである。単に出場者から、『1』引けばいいのである。何故ならば、一人の優勝者を決める場合に、1試合で一人脱落すると考えれば、簡単に理解できる。

 最近は頭の柔らかさが無くなったなあ、とぼんやり月でも眺めながら、自分の老いを感じ始めている。

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名医とヤブ医者

 昨日は、就寝時間が遅めだった。というのも、母の不満を聞いていたからである。何でも、耳鼻科で突発性難聴(風邪とは関係ないらしい)を治すつもりなら、かかりつけの医者に、きつい睡眠薬をもらいなさい、と言われたそうだからだ。私は、「それはおかしい。耳の病気で、何で睡眠薬をもらえと言われるんだ。そいつは睡眠薬を飲むと、飲まない時に不眠症になるリスクを解って言っているのか。大体、何で耳鼻科の医者が、睡眠薬をどうたら言うんだ?そんなのヤブ医者だ。今度俺が一緒に行って、ボロカスに言ってやろうか?」と言うと、母は、「気にしてないからいいよ」とだけ言った。私は腹が立って、なかなか寝付けなかった。悔しいので、せめて母の傷を癒してあげたいと思った。そんなクズ医者など、どうでもいいと考える様にもなった。

 一方で、名医もいる。現在、私が通っている神経科と整形外科の先生は名医だ。神経科の先生は、何より誠実である。整形外科の先生は、私も救われたが、友人の命を救ってくださった。小学生の頃からのつきあいで、一緒にプールに通ったりしていた。その時、彼の背中には大きなほくろがあった。それから数年、お互いに高校生になった頃、バドミントン部の彼は、背中を痛め、整形外科に行った。すると、その先生は一目見るなり、彼の背中のほくろが気になったらしい。念のため紹介状を書くから、総合病院で観てもらいなさい、と指摘されたそうだ。

 それから間もなく、彼は総合病院に行ったらしいが、あと一週間遅かったら、命に関わる所だったらしい。また、彼は、がん体質との診断を受けたとのこと。それから彼は性格が変わった。いい方向へ。そして、彼は、「俺は結婚しない」と言う様になった。私の部屋で飲む度に、本当にお前を愛してくれる人が現れるから、馬鹿なことは考えるな、と言っていたが、三十前のことか、彼が僕の部屋に来て、「ごめん。俺、結婚することになっちまった」と言った時には、驚いたけれど嬉しかった。裏切り者パンチを冗談で彼の胸に当てた。

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気候の反動

 昨日あたりから、急激に気温が落ちた。これで、あの夏の猛暑から、二度目の下落である。これが株価だったら大変なことになっている所だが、現実に、リーマンショックとギリシャショックで、株価は冷え切っている。円高も歯止めが効かず、打つ手が無くなっているのが現状だ。経済の情報を聞く度に、この国も、もう終わりなのかも知れないと、憂鬱な気分になる。

 猛暑から一度目の冷え込みの時、私は東北を旅していた。東北では三日ぐらいかけて寒くなった記憶がある。それでも薄着をしすぎて、帰って来てから風邪を引き、こじらせた。やっと、昨日ぐらいから調子が良くなり、風邪が治った模様だ。風邪を引いても、甚兵衛を着ていたのだが、もう一度ぐらい気温が急激に落ち込む日がやってくるだろうと予測していたので、今回の、二度目の気温変動には対処できた。もう、真冬の格好である。

 春と秋が無くなったな、と考えることが多い。夏は熱帯化したと感じていたので、当然、その反動で、極寒がやってくることは、容易に予測できた。まだ冬ではないのだろうが、暖かくなったり寒くなったりを繰り返しながら、冬になるのだろう…それも猛烈に寒い冬に。

 この気候の急変動で、九十歳を超えている父方の祖母に微熱が出ているそうだ。歳も歳だし、心配である。母方の、今月他界した祖父も、夏を乗り切ってから逝ってしまった。お年寄りには、かなりきつい気候になった。今年だけの異常気象ならいいのだが、私は、そうは観ていない。多分、今後もこんな感じだろう。

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そういえば…

 そういえば、昨日のコメントは何だったんだろう。的外れなことを書いた気がする。単にGoogleで読みたいからRSSフィードを教えてくれというメールな気もする。blog上にRSSフィードは載っている筈だ。まあ、私のblogを海外の方に読んで頂けるだけでも光栄である。

 そういえば、一昨日は、風邪が辛い中、お袋と墓参りに行った。二ヶ月ぶりの墓参りだったが、台風が来る前に行けて良かった。お花を供え、般若心経を二人で唱える。祖父の他界も報告してきた。蚊が多くて困ったが、今頃、泉下で一緒に釣りでもしてるんだろう。

 そういえば、神経科の医師に話す事がとりわけなかった。これはいい兆しだと、母は語っていたが、自分もそう思う。世間話と風邪を一ヶ月近く引いていることを報告しただけだ。母は待ち時間に、野菜が無茶苦茶安い八百屋で、韓国産の松茸を買っていた。香りは国産とは比較にならないが、松茸ご飯にしたら美味しかった。

 そういえば、最近は、全然映画を観ていないことに気がつく。興味のある作品が少ないのと、体調が優れない事に依る。風邪が治ったら、久しぶりに観に行きたい。

 そういえば、最近は夜型になってしまった。これは治さないと。旅の途中で髪を切ってから一ヶ月以上が経つ。いい加減に切りたいのだが、坊主にしようかどうかで迷っている。明日は冷え込むからと、現在厚着している。風邪を引くのは、もう、まっぴら御免である。

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英語の返事

 さっき、コメント欄を観てみたら、一通、新しいコメントが来ていた。また、エロコメントか何かと憂鬱な気持ちでいたら、英語でのコメントだった。その方のホームページを開いて、パッと観ると、ドイツ語かフランス語かスペイン語かポルトガル語で、何か書かれていた。読めないので、困ったが、コメントは英語だったので、英和辞典を引いて、おぼろげながら意味を把握していった。これはもしかしたら、大きなチャンスかも知れないかとも思ったが、ネットに精通していない私は、英語でコメントを書いて、やんわりと断った。文法やスペルが合っていようと、そうでなかろうと、断ったことに変わりはない。悪い気もしたが。

 そういえば、送られてきたコメントには、RSSフィードを教えて欲しいとも書いてあったが、マシンに詳しくない私は、触れなかった。害がないのなら、教えてさし上げるのだが、自分で自分のRSSフィードの値を知らない。でも最近は、英語のコメントも増えてきた様に思う。まずは、Mr.なのかMs.なのかで迷うのだが、今回の場合は、会社だったら、どう表現すればいいのかに戸惑った。よく考えてみると、相手は日本語が読めていることになる。そして、わざわざ親切に英語で書いてくださっている。特に、日本文化を愛する方からのコメントが多い。

 英語で返事を書くのにも気を遣う。こういう表現は失礼にあたいしないかなどということに気を使う。よりよい表現を求めて書くのだが、日本語を考えてから、それを英語に変換するのだが、ネイティう゛な奴に聞くと、英語で考えているとのこと。これじゃあ駄目だと思いつつ、でもドラえもんの翻訳こんにゃくが欲しいと願うばかりである。

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夜中に起きちまった

 今日は病院をはしごして、墓参りにも行く予定だった。6:00頃、目覚めればいいのだが、何故か0:00に目覚める。体内時計が狂っているのかなあ。とりあえず、寝直す。

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忘れていた母の誕生日

 風邪で外出できない中、話題はどうしても家の中の事に限られてしまう。この一ヶ月のblogを観ると、風邪と母との話題がメインになっている。これでは駄目なのだが。昨日は日曜ということもあり、blogを久々に夜中に書いたので、午前の八時には起きるつもりが、何故だか時計は午後二時を回っていた。

 私は起きてから三十分位は水分を取りながら、タバコを吸って目覚ましの時間に使うのだが、母から、「何か忘れてない?」と言われ、「寝ぼけ頭だから勘弁してくれ」と返した。すると、「今日はお赤飯を炊いたんだけど」と言われ、初めて今日が母の誕生日だと気がついた。即興で『Happy Birthday To You』を歌い、ダンスバージョンや、バラードバージョン、ポップスバージョン、オペラバージョンなどで歌った。母は「そこまでしなくてもいいわよ」と言っていたが、嬉しそうだった。本当は何かプレゼントしたかったのだが、適当な物が思い当たらなかった。

 父の没後、母は、「いつ死んでもいい」などと言っていたが、私が、「自分の仕事も一区切りついたし、これから金儲けのことを考えてもいい。そしたら、サンフランシスコにでも旅行に行こう。南極もいいな」などと話していたが、「いつになるかねえ」などと言うので、改めて、「俺は父さんに恩返しが出来なかった。だから、母さんには、せめて恩返しがしたいんだ。長く生きることも、考えて欲しい」と常日頃から言っていた。その母が、健康への第一歩として、一年間で10Kgダイエットすると言ってくれた。母からプレゼントをもらった様な物であるが、私の生きる励みになったことは間違いない。

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伏見での行者との会話

 とある地にて、車中泊を繰り返しながら、京都観光を行った時のこと。東福寺を観光した後に、伏見稲荷にたどり着いた。結構山深い中、鳥居だらけの中、ある女易者と出くわす。

私:「何やってるんですか?こんな所で」

女易者:「易です」

私:「じゃあ、適当に僕のことを占ってください」

女易者:「30分3000円ですがいいですか?」

私:「じゃあ、結構です」

女易者「では2000円にします」

私:「易の何を勉強されたのですか?私は以前、易者にスカウトされたこともあるのですが・・・」

女易者「女性と男性で感じ方が異なりますから」

私:「私にはどうしても、貴方の欲の皮がつぱっているようにしか見えないのですが」

女易者「貴方のお好きな様に」

 山を降りて駅へ向かう途中、一人の行者がいた。私は好奇心をそそられ、質問してみたくなった。財布から千円札を取り出し、行者の懐に入れた。そしてこう切り出した。

私:「貴方はまだ若い。何故、行者の道を選んだのですか?」

行者:「私は一度死んだ身ですから、行を行っているだけです」

 この場合、出家の理由をほじくり返すのは失礼に当たる。

私:「最近は堕落した坊主だらけだと思うのですが」

行者:「それは私の師匠もよく言っています。行をする場合は、良き師匠を選ばねば意味がない、と」

私:「お邪魔ですが、いくつか質問してもよろしいでしょうか?」

行者:「はい」

私:「師匠の教えで一番大切なことは何ですか?」

行者:「人間は、損得勘定で墜ちるということです」

私:「なるほど、それが堕落への第一歩だと、師匠はおっしゃるのですね」

行者:「はい。それから、『行』はきついから若いうちにやっておくべきともおっしゃっていました」

私:「解ると思いますが、私も興味があるので、貴方に質問しているのです。私には、まだ浮き世でやらなければならないことがありますし、この歳では俗世にも興味があります。全て期待はずれで、がっかりすることが多いですが、いつかきっと、自分が納得する世界が来る様に思うのです。私はそれを信じたい。…今日は、貴重なお話、ありがとうございました」

行者:「いえいえ、勉強になります。ありがとうございました」

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コンポぶっ壊れる

 前にも書いたかも知れないが、六年前に買ったコンポが、またぶっ壊れ、修理に出そう出そうと思っているうちに、三ヶ月ほどが経ってしまった。それ以来、音楽のない生活を送っている。音楽を聴こうと思えば、パソコンやプレステ2などで楽しむことも出来るのだが、音楽を聴くためだけにパソコンを起動したり、プレステを稼働させたりするのは、何か間違っている気がするので、せいぜい車を運転している時のカーステや、パソコンをいじっている時のBGMとして聴く程度である。しかも、このblogを打つ時の曲は、『ゲゲゲの女房』のテーマソングと決まっている。旅先のユースでも、最後の一週間の放送は全部見たし、朝食後に、TVで観てから目的地に向かう方が多かった。このドラマが観たくて、私は朝型になっていたし、一日に五回観ることもあった。だから、終わってしまった現在は、風邪を引いていて一日中寝ていた事もあって、夜型気味になっている。だから今日は、こんな時間にblogを打っている。

 話を元に戻すと、コンポは多分、今年の猛暑でやられたのだと思う。前回ぶっ壊れた時は、保証が効いたので、それを使ったのだが、今回は自腹で直さねばならぬので、それが私の修理に出す気持ちに歯止めをかけているのだろう。第一、修理に出すために店まで持っていくのが面倒である。年賀状用にプリンターのインクを買うついででいいや、などと考えていたが、今月母方の祖父が他界してしまったので、喪中の葉書を出すことになり、インクも別に仕入れなくても良くなってしまった。

 とりあえず風邪を完璧に治さないと、何も出来ないのが現状である。もう一息だ。頑張ろう。

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在る検問での会話

 卒論のデータが入っていたノートを、電車にザックごと忘れてしまったが、見つかったとの知らせ。ザックを取りに、駅に向かっていた時、お袋も用があるというので、一緒に乗っていた。すると、走り慣れた道で、ホイッスルを鳴らされ、『止まれ』の旗で誘導され、訳が分からず車を降りた。ちょうど季節は冬、師走の出来事だった。

警官A:「はい、ここに車駐めて。お宅ここの道の制限速度解ってる?」

私:「60Km/h じゃないんですか?」

警官B:「40Km/hだよ。免許証見せてちょっと来てくれる?」

警官C:「20Km/h違反で罰金だ。この調書にハンコ押してくれる?」

私:「たかが20Km/hで捕まえるのかよ。お前は、1Km/hでも違反しないんだな」

警官D:「違反は違反なんだよ!!」

 その時、三台の車が同じ道を80Km/h位で、轟音を鳴り響かせ通り過ぎてゆく。

私:「おい!あいつら捕まえねーっていうのはどういうことだ?明らかに俺より違反が多いいじゃねえか」

警官C:「うるせえ!!お前がここにハンコ押しゃ済むことなんだよ!!」

私:「そんな言い方があるか!!あいつら捕まえてから俺に文句言えよ」

警官C:「・・・」

警官D:「ここにハンコつかなきゃ、裁判所行きになるぞ」

私:「うるせえ。お前らの冬のボーナス査定のためにハンコ押すわけ無いだろ。汚ねえ真似しやがって。やるんなら、さっきの三台も含めて、全部やれよ」

警官D::「押さないと、裁判所行きだって言っているのがわからねえのか、この野郎!!」

私:「送りたきゃあ、送れよ。でもな、こっちはお前らが考えているほど暇でもねえんだよ」

警官C:「だったら押せ」

私:「あいにくハンコがねーんだよ。それを取りに駅に向かってんじゃねーか」

警官D:「だったら、指紋を捺印するだけでもいい」

私:「指が汚れるじゃねーか。拭く物あるのか?」

警官C:「ウエットティッシュを貸してやる」

私:「そんなもんで落ちるか!!これ、人間が舐めたら有害なんだぞ。お前らなんか保証なんかしてくれないだろうけどな。それから、ここの取り締まり、民間の家電売り場の駐車場使っているみたいだけれど、俺は、二度とここでは買わないからな。知り合い全体にもネズミ算式に伝えておいてやる」

 私は渋々捺印し、車に戻った。悔しいので、車の中で指を拭いた。待たせたお袋に、申し訳ない、と言って、駅に着くと、探していたリュックがあった。これでやっと卒論のグラフが描けると思った私は喜んだ。半年後、原付で走っていたら、その店は潰れていた。

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恐怖のマーボウ豆腐

 体の調子が冴えぬ中、寝てばかりいる。昨日は、母が、インスタントのルーを使わずに、料理のレシピ本通りに作ったマーボウ豆腐を夕飯として食べたのだが、豆腐とルーのバランスが悪い上に、どうやったら、こんなに辛いマーボウ豆腐になるんだ、という具合のものが出された。何より、熱すぎる物と、辛すぎる物が苦手な私だったが、我慢して食べていた。すると、料理を作ってくれた母本人が、「これ、異常に辛いわね。無理して食べずに、何か他の物を作ってあげようか?」と言ってくれたのだが、母も風邪でしんどいし、何より、もったいなかったので、黙って完食した。

 その後、私の好きなお酒を飲みながら、ペットの弥吉君をからかったり、母と昔の思い出話(大学生の頃、私が車を運転していて、20Km/hオーバーでネズミ取りにひっかかり、警察車両の中で、ぶち切れた私が30分以上も文句やなんやかんやといちゃもんをつけたことなど)を話しているうちに、段々と私の額に脂汗が出始め、急に気持ち悪くなり、プラスチック製の可燃物のゴミ箱に、嘔吐してしまった。母は驚いた様子だったが、マーボウ豆腐が悪かったのだろうと、私に謝っていた。少しだけ吐血したのだが、以前切った、喉のところが痛かったので、心配ないと言って、水を飲んで、歯を磨いた。確かに、胃の中で何かが発酵する様な感触と共に気持ち悪くなったので、食べ物がいけなかったのだろう。

 風邪の間は、寝っぱなしなのだが、先程起きたら、母が煩っている右耳の突発性難聴も、体の具合も、良くなってきたと言っていた。私は二十日以上煩っている風邪が、少しずつ回復している具合である。

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ちょっとしたばあちゃん孝行

 母方の祖父が亡くなったのが10/3(日)の早朝だったので、瀬戸に帰ってから、もう半年以上になる。臨終の前の日に、母の弟に当たる長男の叔父さんから、連絡があったので、私達は、いつでも帰れる準備だけはしておいた。叔父さんは、仕事の後に独り病院に向かったらしい。詳しい話は、葬式が終わったあとで叔父さんから聞いたのだが、夜中に三度ほどじいちゃんの呼吸が止まり、その度に、叔父さんが、「父ちゃん!父ちゃん!」と体を揺らせて、蘇生させたらしい。その頃は、まだ、瞳孔反応があったらしいのだが、午前四時に臨終を迎えたそうだ。最期は、大腸に出来ていた大きな動脈瘤が破裂したらしい。叔父さんは、末っ子の長男だったので、とりわけ可愛がられたらしい。胸中を察するに余りある。親孝行な叔父さんだったから、親の死に目に会えたのだろうな、とも感じた。

 一方、祖母は朝一番に家に出て、病院に向かったらしいが、一年半ぐらい、ほぼ毎日、意識のない祖父の元に通い続けたそうだ。昨年、私と母で祖父の見舞いに帰ったら、祖母はガリガリに痩せていた。私も母も、ちゃんと食事を採っているのか心配で、帰宅してからは、お袋が日持ちのするものを送る様になった。看病をするだけで疲れ切ってしまうのだろう、八十四歳の祖母は料理を作るのが面倒な様子であった。葬式の時も二日ほど寝ていなかったらしく、最後のお経では、祖母はうつろな様子であった。

 母の他の兄弟の都合では、ばあちゃんを引き取れないので、母と、母の弟で長男に当たる広島の叔父さんの話を聞いてから、家で面倒観てあげようか、などと話していた。いざというときには、そうするしかないのだが、広島の叔父さんの立場もあるから、難しい問題でもある。祖父と祖母の面倒を見るために、叔父さんは広島で就職したのである。暫く考えていた私は、とりあえず、一日一回、五分ぐらいでいいから電話してあげようよ、と提案した。父を亡くした当時の私や母がそうであった様に、意地っ張りなばあちゃんだけど、寂しいに決まっているのだ。

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馬鹿だけどかわいい人

 瀬戸内のじいちゃんの葬式に出た後、最後のお経が読まれ、集落の会館で夕食を採った。その際、お袋と小学校の時に同級生だったというおじさんが、私と弟にビールをついでくれた。ありがいたと思いながら、、おじさんにビールを注ごうとしたら、「わしは、もう酒が飲めない体じゃけん」と言ってらしたが、昔話に花が咲いた。初対面のおじさんだったが、定年の後、農業をやりながら、海釣りを楽しんでいるらしい。私が笑って、「どっちが本職なんですか?」と聞くと、「どっちもじゃ」と言ってお互いに笑い合った。すると怪しい人がビール瓶を持lってやってきた。

 その人曰く、「息子は日テレ系のアナウンサーになり、娘を関東の有名大学に入れたんじゃ」とおっしゃる。「ああ、そうなんですか、それは凄いことですね」と言うと、さっさと次のテーブルに行ってしまった。私は弟と食事していたのだが、「あのおっちゃん、葬式なのに、自慢話しかしなかったな」と言うと、弟は、「ほっとけよ、兄ちゃん」と呟いた。そのおっちゃんが近づくと、集落の人は、蜘蛛の子を散らす様に去っていった。嫌われ者なのかなと、訝しげに観ていたが、家に帰ってから、お袋が、「あの人は近畿の私立大学に八年通ったけれど、よう卒業できんかったのよ」との話を聞いた。子供だけが自慢なんだろうとぼんやりと思った。

 そのおじさんのこともあって、母方の祖母は、私が自主退学したにも関わらず、勉強が出来なくて、学校を放り出されたと思っていたらしい。それだったら、大学院に推薦で行けるわけ無いだろう、とも思ったが、私の名誉は回復され、今更、何も言うことはない。

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風邪の治り際

 風邪は治り際が肝心である。食欲も出てきた。今日は、ゆっくりと休もう。

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初めての味覚

 ここのところ、風邪がしんどく、寝てばかりいる。大分、症状は緩和されたが、嫌な汗をかく。今日も目覚めると体調が優れなかったが、昨日はけだるさがとれていたので、安売りスーパーに買い出しに行った。ペットの弥吉君のダイエット食や、ガム、我々のシャンプ-などを購入した後に、食料品を買った。昨日の午前十時頃、体調を見計らって、風呂に入ってから出かけた。ガソリンを入れたりと、忙しい中、一昨日のニュースで、松茸が豊作とのことで、こんなチャンス滅多にないから、百貨店に寄って、母と割り勘で購入した。TVで21000円と出ていたので、銀行に寄ってお金をおろしてから向かった。すると、最寄り駅の百貨店では、国産のものが8400円で売っていたので、ラッキーだなと思った。どちらにしろ、えらい贅沢なのだが…

 母と二人なので、小さいやつを松茸ご飯とお吸い物にし、大きいものを焼き松茸にして、ポン酢醤油で食べた。私は、焼き松茸を食べたことがなかったので、焼かれた松茸をちぎって、風味を楽しみながら、味わって食べた。初めての味覚で、感動した。もちろん、弥吉君にも別けてあげた。その後、松茸のお吸い物と松茸ご飯を食べた。香りが良すぎたので、昨日は、わざと歯を磨かないで寝た。

 なんで、こんなに感激しているかというと、国産の松茸を私は一度も食べたことがなかったのである。1パック350円で売っている、香りの全くしない中国産のものや、多分、薬品で香りを出している様なものばかりしか食べてこなかったからである。久々の贅沢だった。

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我が輩は弥吉であるが

 我が輩は弥吉であるが、名前は、飼われる以前から決められていた。先代の弥七兄さんもそうらしい。何でも、名前を決めてから、ペットショップに行くというのだから、我が輩は複雑である。弥七兄さんは、パチンコでスーパーリーチが掛かった時に参上するらしい、『弥七』から名付けられらしい。僕も、弥七の弥と吉多い一生である様に、名付けられたそうである、だから僕の名前は『弥吉』なのだ。これを不愉快とは思っていないが、弥七兄さんと比べられると少し戸惑う。弥七兄さんはドライブが好きだったが、僕は酔ってしまうのだ。

 僕のコンプレックスもある。弥七兄さんがよくできた犬だったので、比べられては困る。僕は弥七兄さんほど、良くできた犬ではない。でも、僕にも、僕のいい所があると家族は言ってくれる。弥吉兄さんは、おもちゃなどを自分の小屋に隠していたが、僕にはそんなつもりはない。投げてくれるのなら、いくらでもボールを持ってくる。何回でも取りに行く。

 僕には悩みもある。それは、主に、食べ物のことだけれど、ミニ・ダックスとして、大きく育ちすぎた僕は、もっと食べたい。でも、獣医さんにはメタボと言われてしまった。ショックだったけれど仕方がない。そう言われてから、散歩にも連れて行ってもらえる様になったし…

 祖父の葬式で、三日ほど動物病院にお世話になった弥吉君は、声をからすほどに吠えたらしく、寂しさから出たものだと思い、慰めてやったのですが、どうも暫くは、人間不信に陥っていた様子です。

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父の月命日なのに…

 今日、十五日は、いつも書いている通りに、父の月命日である。先月のお彼岸は、私は東北を旅行中だったので、父が亡くなってから、初めて毎月の墓参りに行けなかった。その代わり、毎日、般若心経を唱えていた。母が一人で行ってくれたそうだが、うちのお墓は、墓地の一番奥にあり、女性一人で行くのは不気味だということで、みんなが墓参りに来る、昼頃に行ったらしい。幸い、電車とバスで行ける場所なので、車が無くても墓参りが出来たそうだ。今月も月命日の今日に、母と二人で行く予定だったが、二人とも、きつくてしつこい風邪を引き、後日にしようということになった。

 昨日は調子が悪かったが、食べるものだけはしっかりと食べて寝た。今朝は五時に目覚める予定が、九時半になってしまい、起きた瞬間に、鼻に違和感を覚えている。母は既に家にはおらず、耳鼻科と区役所に行っている様子だった。父の墓参りと、食料品などの買い出しにも、そろそろ行かねばならぬのだが、風邪がひどすぎる。母も私も、もう、一週間ぐらい風呂に入っていない。それぐらい風邪がきついので、仕方がないのだ。父の墓参りには身を清めて行きたい。

 仏間で毎日、読経するのだが、父と先代の犬である弥七君の遺影に、母方のじいちゃんの遺影が加わった。気持ちを込めて、冥福を祈らなければ。今頃、父と祖父とで、将棋でも指していることだろう。

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チリの脱出劇を観て

 一昨日病院に掛かって、風邪と診断され、抗生物質などを飲んでいるが、私は、ずっと寝っぱなしである。午前五時頃起きるのが、私が一番いいリズムで一日を過ごせるパターンなのだが、今日も十二時間以上寝てしまい、正午に目覚めた。まだ、鼻水と咳と変な汗が出るものの、体調は少しずつ回復傾向にある。お袋の方も、体調は回復傾向らしいが、右耳の耳鳴りが止まないらしい。祖父の遺産の相続の書類が今日届くらしく、私に目を通して欲しいと頼まれた。とは言っても、確認のためだけで、基本的には広島に住んでいる、母の弟に当たる叔父さんが全て相続するのが筋だと言っており、黙ってハンコをつく気持ちだそうだ。お袋の実家のことは、全て叔父さんが面倒を見てくださったので、当然と言えば当然である。印鑑証明などを取りに、区役所に行くと言っていた。そのついでに耳鼻科に寄るらしい。

 私としては、風邪も治ってきたことだし、うどんなどの炭水化物だけでなく、もっと、パワーの付くものが食べたい。一昨日はサッカーの日韓戦を観ていたが、いい試合だったと思う。昨日は、チリの鉱山の落盤事故から約三ヶ月ぶりに、全員が無事救助されるのを、祈りながら観ていた。今朝方、全員が無事救助されたと聞いて、嬉しい気持ちで一杯になった。みなさん、良く耐えたと思うし、普通の炭鉱やトンネル工事などの事故では、必ず犠牲者が出るものだ。全員無事と聞いて、奇跡だと思ったし、チームワークが良く、みんなが一致団結したことが、この奇跡を生んだのだろうと思う。みんながみんなを信頼し会えたことが、何より大きい。それに、地上との小さな穴が通じていた事も大きい。それにより、窒息死や食糧不足などを回避できた。地球上の人、全員が、感激したのではないだろうか。

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風邪だね

 昨日、blogを更新した後、父の仏前に参るべく、仏間のふすまを開けた。体調が優れない中、読経していたのだが、その準備の最中に嘔吐した。嘔吐したゴミ箱には、既に十時間以上経っている一昨日の夕飯が混ざっていた。同時に、喉を切って、僅かだが血も吐いた。

 これで病院に行くjことを決めた私は、点滴を受ける母と共に内科医へと向かった。9:00から診療なのだが、8:30から観てもらえることもあって、病院に8:00頃に着く様にした。ものすごく混む病院なのである。私は当初、マスクを付けていたが、咳が出ないのと、眼鏡が曇るとのことで、外すことにした。おとなしく待っていたのだが、左斜め前のおっちゃんが、混んでいる中、二席を一人で占領し、貧乏揺すりをしながら、時々、唇で高い音を出していた。私は、こういうデリカシーのない人間が嫌いである。みんな辛い中、来ているのだから、よっぽど文句を言ってやろうかと思ったが、体調が優れなかった。

 私の順番が回ってくると、症状を説明した。私は母と症状が似ていたので、てっきりインフルエンザ性のものかと勘違いしていたが、風邪だね、と診断され、抗生物質と胃腸薬を頂いた。両方ともすぐに飲み、お袋が出てくるのを三十分近く待った。すると、右耳が聞こえないというお袋は、その後、耳鼻科へと行くことになった。私は呆然としたが、家のキーを受け取って、寝てしまった。「ただいま」という声で目覚めたのは、午後二時半頃である。お袋は耳鼻科で三時間以上も待ったそうだ。内科にしろ耳鼻科にしろ、待ち時間が長すぎる。もっと、ローティションを良くしてもらいたい。

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ウイルスバスター2011インストール完了

 先日、ウイルスバスターの更新日が近付いているとのメッセージが画面上に表示された。そういえば、十月一杯で契約が切れるなと思った私は、振り込み用紙を送ってもらい、コンビニで一年契約分のお金を支払った。まもなく、払い込み完了のメールが来たので、メール上からウイルスバスター2011のインストールを行った。確か、去年の2010の時には、かなり苦労してインストールした覚えがあるが、2011は何事もなく、簡単にインストールできた。パソコンを扱い始めた頃から、セキュリティーソフトはウイルスバスターにしているのだが、昔に比べて、コンパクトになったし、使い勝手も良くなった。

 セキュリティーソフトは様々あるが、昔、コンピューターに詳しい友人から、主に公人がウイルスバスターを使っていることが多いと聞いた。また、もっと強力なセキュリティーソフトがあるんだけど、名前を忘れた、とのことで現在に至っている。別の友人からは、ウイルスバスターは更新料が高いだろ、それならウイルスセキュリティーの方が断然安いぞ、と教えてもらったので、今回の更新はどうしようかと迷ったが、いっつもウイルスバスター君が、マメに新しいプログラムを自動的に更新している姿を見ているので、2011も契約することにした。

 コンピューターに毎日向かう者としては、セキュリティーにも気を遣わなければならないが、マシンに向かう本人がインフルエンザ性のウイルスにかかっているのでは、どうしようもない。異常にに体調が悪い中、このblogを打っている。今日は病院に行こう。

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風邪が辛い

 関東でたったの一日で、十数度、気温が落ちたと旅先で聞き、真っ先に、お袋に電話した。間違いなく風邪を引いているだろう母への電話である。すると、電話先の声は、鼻声で、喉もガラガラだった。「厚着して寝ておくんだよ」と言った私は、旅を三日間切り上げて、早めに帰る事にした。そして、帰宅してからの初日こそ休んだものの、二日目は買い出し、三日目は病院巡りと、動き回っていた。買い出しの時ぐらいから、私にも変な咳が出始めたのであるが、放って置いた。すると日に日に健康状態が悪くなり、母を看病する予定だった私まで、風邪を引いてしまった。旅から帰って、三日目の晩に、咳が止まらなくなり、救急病院に向かった。風邪だと言われたが、未だに全く良くならない。その間、祖父の葬儀などもあり、無理したのも災いしたのだろう。重だるい中、blogを更新している。

 母は、もう何回も、地元の内科医に観てもらっているが、一向に回復しない様子。点滴を打ってもらったそうだが、患者の多くが風邪で、点滴を受けているらしい。私も明日、その内科に行ってみようかと考えている。先週の今日、祖父の葬儀に向けて出発したのだが、旅を早めに切り上げておいて正解だったと思う。適当な休みが取れたので、無理してでも葬式に行けたし、食料品や持病の薬などが手に入った。母が病院で血液検査を受けた所、インフルエンザ性のウイルスによるものだろうと言われたそうである。咳が出て、鼻水が出て、熱は出なくても頭が重く、体がだるい、という症状は私とそっくりな症状である。潜伏期間を考えたら、母からうつされたとは思いにくい。多分、竜飛岬当たりの北風にやられたのだろう。それにしても、病院での待ち時間を考えると、憂鬱である。本でも持って行こう。

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初対面の従兄達

 先程携帯電話を観てみると、いつも電話をくれる友人から、一昨日の晩に電話をもらっていたことに気がついた。多分その友人も、気を遣ってくれたのだろうが、インフルエンザ性のウイルスで風邪を引いている私は、早寝早起きを心がけており、気がつかなかった。今度私から電話してみようかと考えているが、これで彼とは、お互いに三年連続喪中ということになり、三年連続で年賀状が交換できなくなってしまった。彼とは秋に集まる約束をしていたが、インフルエンザが治るまでは、私は身動きが取れない。喪中の葉書も書かなければ。

 母方の祖父の葬儀には、親族全員が集まり、村中の人達が来てくださった。私の母が長女なので、従兄の中では私が一番年上ということになる。最初は初対面の方ばかりだったのだが、段々場に打ち解けていった私は、積極的に叔父さんや叔母さん、従兄達に話しかけることにした。母の妹に当たる叔母さんの旦那さんに当たる叔父さんとは二回しか会ったことがなかったが、いろんな話をした。そのご夫婦の間に、一男一女の従兄がいるのだが、写真でしか見たことがなかったので、話題がなくて困ったが、無理矢理話題を作って話していたが、長男の子は関東に住んでいて、飛行機の時間がありますので、これで失礼します、とちゃんと挨拶して帰っていったのには感心した。

 また、母の弟に当たる長男の叔父さんともよく話した。叔父さんの一人っ子である、従兄にも話しかけていた。喧嘩をしたこともないんだろうなというぐらい、おとなしそうな子だったが、来年、高校受験らしい。頑張ってね、と声を掛けてから別れた。優しそうな子だった。

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じいちゃんの葬式 その2

 風邪をこじらせている間(多分インフルエンザ)、じいちゃんの葬式に出るのはしんどかったが、集落の人達、全員が協力してくれたのは有り難かった。私は、無理矢理の昼食の後、じいちゃんの骨をひらいに行ったが、じいちゃんの末っ子の叔父さんの子供は、中三の秋ということもあり、かなりのカルチャーショックを受けたのではないだろうか。私も初めて骨を拾った時には、その変わり様に唖然としたものだ。私は、親の葬式でも泣くまいと、自分にいい聞かせていたのだが、心で泣いても、顔には出さなかった。喪主の、母の弟に当たる叔父さんは、挨拶の時に、泣いていた。気持ちを察すると共に、親子の死別との辛さというのは、経験してみなければ解らないものなのだ。

 その後、墓に納骨し、村の青年団みたいな方々が、お経を唱えてくれていた。この墓も、私が幼い頃はバラバラだったのだが、大学生の時に帰ったら、亡きじいちゃんが、独りでコンクリートで作り直したそうだ。その頃のじいちゃんは、パワーに溢れていた。

 これで終わりか、と思ったら、隣町にある立派なお寺で、坊さんがお経を読む中、焼香が行われた。それが午後三時過ぎに終わり、じいちゃんも成仏しただろうと思っていたら、四時からシメのお経を読むとのことだった。最後のお経は、名前は忘れてしまったが、テンポのいいお経だった。村中の方々が合唱して読んでくれた。ありがたいことである。私はのべで二時間ぐらい正座していたのだから、かなりきつかった。しかし、じいちゃんが、村中の方から愛されていたことを知り、安心できた。ああいうお葬式もいいものである。成仏したことだろう。

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眠い

 じいちゃんの葬式について書こうと思ったが、今日は疲れのピークなので寝る。この半月で、東北旅行も含めて、車で3000Km以上移動したことになる。頭が働かない。とりあえず今日も、休息することにする。

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じいちゃんの葬式 その1

 私の父方は、浄土真宗の東本願寺大谷派であるが、祖父の方は、同じ浄土真宗でも、西本願寺である。基本のお経である、『帰命無量寿如来』から始まるお経は同じであったが、他にも、知らないお経がたくさん読まれた。読み方は多少異なっていたが、興味深く読経を聞いていた。母の実家のある集落は、過疎化が進んでいたが、みんな集まってくれた。ありがたいものである。そして、村の人達みんなに協力して頂いて、お葬式は無事に行われた。

 まず、朝の六時頃着いた私達は、荷物を持って、母の実家に入った。知らない叔父さん達ばかりだったが、お通夜ということで、私達が着く頃には、みなさん起きていらっしゃった。風邪をこじらせ、徹夜明けだった私は、坊さんが来る午前十時まで、二時間ほど寝た。起きてから、慌てて喪服に着替え、革靴を出した。弟は、数珠と革靴を忘れ、数珠は普段、私が使っているいる、片方の石の腕輪を貸してやった。革靴は、『ドンキホーテ』で買うと言っていたが、そんな店はなかったので、普段の靴で出るしかなかった。お袋は、「黒いマジックで塗ってあげようか」などと、ジョークを飛ばしていたが、どうにかなった。

 母方の孫の最年長は私なので、色々と気を遣った。最初の読経の際に、私は焼香が回ってきてから、正座をした。一時間ぐらいはしたであろうか、それでも苦にならなかった。その後出棺し、隣の島の火葬場に向かった。『じいちゃんともお別れだな』と思って、合掌しながらまじまじとじいちゃんの顔を観た。笑っていた。そして骨になるまでの間、食欲も湧かない中、無理矢理、昼食のうどんを食べた。じいちゃんの葬式だからと、吐く覚悟で食べた。

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瀬戸から帰って

 風邪で最悪の体調の中、車で片道800Kmを、二日間で往復したのだが、行きは弟がほとんど運転してくれた。日曜日の夜ということもあって、広島の最寄りのインターまで、三千円以内で行けた。その代わり、山陽道の途中から私が運転したのだが、夜の運転は久々だったので、なかなか感覚が掴めなかった。みんな寝る中、私だけが朝まで起きていた。午前六時頃、母の実家にたどり着き、暗いうちに到着できたのは、幸いだった。私はそれから二時間ほど寝たが、ものすごくけだるかった。行きだけで十三時間も掛かってしまった。

 祖父の葬儀の話は、また後日書くが、立派なものだった。その日一日は、けだるかったが、段々アドレナリンが出てきて、気合いで乗り切った。

 帰る前の晩は八時間ほど寝たであろうか、六時に目覚めた。食欲がない中、朝食を採り、朝の七時に母の実家を出発した。私の体調が優れないこともあり、暫くは弟が運転してくれた。私は途中まで、車の中で寝ていた。自宅に帰る予想到着時間は、夜の七時頃とナビに出ていたが、伊勢湾岸道路の豊田ジャンクションでかなりの渋滞に巻き込まれた。丁度、東名が集中工事をしており、ナビの予想到着時刻は、どんどん遅れだした。一車線しか通れなかったので、ひどく渋滞していた。下り車線を観ていると、全く動いていない状態で、トラックの運転手さんが可哀想に思えた。そんなこんなで、夜の十一時頃に自宅に到着し、十六時間、車に乗っていたことになる。風邪をこじらし、疲れ切っていたので、夕食も取らずに爆睡した。朝の五時頃、咳で目覚め現在に至っている。

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祖父の葬儀

昨日の祖父の葬儀はすごかった。詳しくは、帰宅してから書く。今日は、急ぐので、ここまでにする。

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移動中

現在、瀬戸の祖父の葬式に向かうべく、山陽道を走って移動中。弟と母と三人で帰っている。ドライバーが二人いるので案外楽だ。風邪が最悪な中、体調は最悪だが。

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祖父の他界

 旅行から帰ってきて、三日で風邪を引いた私は、昨晩の三時頃咳き込んで目覚め、救急病院へと向かった。丁度、内科医がいて、診察を受けた。効かない風邪薬を処方され、これでは何のために行ったのか判らないというままに家路についた。するとまもなく、母の携帯が鳴り、広島にいる叔父さんから、母方の祖父が午前四時に他界したことを告げられた。散々東北を回って、運転などしたくないのに、今日がお通夜だそうである。我々は横浜からだと、とうてい車では間に合わない。葬儀と骨を拾うだけしかできない。

 大恩あるじいちゃんの葬式だから、全て出席したいのだが、弟の都合もある。結局、夕方の四時半頃出発することになった。最近は、祖父の葬儀よりも、子供の運動会を優先するのだから、よく解らない。特に弟にとっては、特別可愛がってもらった存在だと思うのだが。

 今日、瀬戸の母の実家に帰る。暫くは、短いblogになってしまうが、やむを得まい。骨になった祖父を観るのも嫌だ。辛い気持ちの中に、泪雨が振る。今日はこのぐらいにしておこう。

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とある整形外科にて

 昨日は、病院巡りの日だった。風邪を引いていたので内科にもかかろとしたのだが、時間が揺してはくれなかった。以前も書いたが、母の風邪のために、早めに旅行を切り上げたので緊張感が崩れ、私が風邪を引いてしまい、結局、青森の竜飛岬までいいったのだが、風が強く、そこでの寒さにやられた。

 一昨日は買い出し、昨日は病院巡りと、二日続けて出歩いたら、風邪をこじらせてしまった。夜半に咳で目覚め、現在に至っている。咳が続き、喉が痛い。おまけに、鼻水まででる。旅先で、痛風気味になったこともある。整形外科で薬を要望し、先生はその通りに出してくださった。その際、痛風気味で、左のアキレス腱が痛んだことを伝え、痛み止めを処方しもらった。その他にも、旅先で深爪した時に気がついたのだが、痛んでいた旨を伝えると、化膿しているじゃないかと、抗生物質を頂いた。他にも、膝に魚の目ができており、看護士さんに、十日に一遍は来る方がいいといわれたが、そんな暇がないので、来られません、と言って、市販の薬で治すことに挑戦します、と言ったら、仕方ないわねという感じだった。お土産の、石のカエル『若ガエル』を送ったら喜んでくださった。看護士さんも笑っていた。最後に、先生は僕の胸ポケットに在るタバコを指さし、「値上げだよ」とだけおっしゃった。

その後、神経科を訪れたのだが、異常に混んでいた。何でも金曜日は混むらしい。その先生にも、お土産を渡し、のんびり旅の話でもしたかったのだが、時間が許さなかった。混んでいる時に、お土産持って来ちまったな~と、反省しきりだった。今度、のんびり話そう。分包なので薬をもらうだけでも、二時間は掛かるのだ、

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買いも買ったり、21カートン

 今日、十月からタバコの値段が大幅に上がる。ただでさえ、喫煙者は肩身の狭い思いをしているというのに、これだけ値上げされると、たまらない。私は、旅に出る前に10カートンほど買っていたが、旅の途中でも、3カートンほど買った。そして昨日、旅で余ったお金を郵便局でおろして、母と買い物に出かけた。安売りが売りのスーパーであるが、車でしか行けない所にあり、一ヶ月振り位に買い出しに行った。母の風邪も、大分、回復し、いろんなものを買った。そして、帰り際に、タバコをまとめ買いできる場所があったので、旅のお金が余っていた私は、もう10カートンほど買った。これで、タバコのストックは、旅先で仕入れたものも含め、21カートンになった。多分半年弱ぐらいは持つだろう。

 タバコというのは、集中している時には、いらないものだが、考えが煮詰まったりして、一服休憩する時に、気分転換に吸ってしまうものなのである。旅先のユースでも、タバコを吸わない方が多かったし、やめた人も多かった。21カートンでも買いすぎかと思ったが、テレビで30カートン買っている方がいたのには驚いた。

 昨日は買い出しに行ったのだが、東北で寒さ慣れしたと思っていた私は、戻ってきて、緊張感が解けたせいか、変な咳が出始めた。現在、喉も痛く、どうやら風邪をひいてしまったらしい。熱も体調不良も無いのだが、風邪は引きかけが肝心と、漢方薬の風邪薬を飲んでおいた。母の風邪が治り始めたら、私が風邪気味になるというのも、皮肉なものだ。風邪を引いている時というのはタバコもまずくなる。まあ、無理して吸う必要などどこにもないのだが。

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