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2010年9月

旅のスタイル

 私は、三十歳ぐらいまでは、車中泊の旅をして、知らない道を走りながら、各地の名所に寄り、夜は道の駅などに泊まっていた。しかし、それでは疲れがとれない上に、人との出会いが無いのが残念だった。そこで、最近は、お金が掛かるけれど、ユースホステルを利用することにしている。ユースでは、「こんにちは」から始まり、様々な人との出会いがある。ユースにもよるが、談話室のような所があり、いろんな方とおもしろおかしい話をするのがなんともいえず、楽しいのである。時には、夜の十一時頃まで盛り上がることもある。旅に出れば、いい人もいれば、嫌な思いをする人もいるが、基本的にみなさん親切な方が多い。ユースで相部屋になっても、貴重品などはよっぽどのことがない限り、預けない。ユースを利用する方は、マナーを心得ているからである。その代わり、私の様に、持病の薬を飲んでいる場合は、少し気が引けてしまう所もあるが、誰もそのことには触れない。普通に接してもらえるのが嬉しい。逆に、ユースに独りぼっちだと、とてつもなく寂しいものだ。

 今回の旅は、のんびりしようと、三回、連泊したユースがある。早めにチェックインして、風呂に入り、洗濯する。温泉にも入りたかったが、足を深爪して痛めていたので、温泉巡りは出来なかった。青森のユースでは、温泉巡りが旅の醍醐味という方がいて、一日二回、温泉につかる方もいた。他にも、定年してから囲碁が趣味になったというおじさんもいて、「『ヒカルの碁』というマンガを読破したよ」という方もいた。また、夜遅くにチェックインする人もいれば、あわてんぼうの人もいた。世の中には、本当にいろんな方がいるんだなと、改めて思い知らされた。だから、この世は面白いと思ったし、勉強になると感じた次第である。

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緊張感が解けて

 昨日は田沢湖のユースを朝の七時半に出て、一路花巻の宮沢賢治記念館に向かった。ナビを観ると、九時頃着くということで、下の道を走った。開館時間は九時か十時だろうと思っていたのでそうしたが、なんと、八時半から開いているとのこと。驚いた。入場料は350円。平日の朝早くなので、のんびり観られたが、もう三回目なので、感動よりも懐かしさの方が強かった。賢治先生が、ある生徒に宛てて書いた、『告別』という手紙に、久々に感動する。この作品は、本にも載っているのだが、実物を見ると、震えが来る。他、妹トシの死ぬ間際に書かれた、『永訣の朝』も素晴らしいものだった。一通り観て、宮沢賢治は、日本語よりもアルファベットの方がきれいな字を書いていることに気がつく。一回りして、トイレに寄り、土産物コーナーを観ると、銀河鉄道の夜の生原稿の複写が1000円で売っていたので、ためらわずに買った。これで、また、家宝が増えた。

 その後、母が風邪を引いていることもあり、高速で、一路自宅へと向かう。雨がひどく、80Km/h制限だったが、適度に飛ばす。途中、仙台近辺のSAで牛タンを二つ、母と私の夕食にすべく、購入。その後、那須のSAで給油した。以前の旅で、那須から南は東北道は覆面が多いと聞いていたので、スピードを控えめにした。雨がやみ、速度制限が無くなったので、微妙に飛ばしていたら、追い越し車線を相当なスピードで飛ばしているバンがいたのだが、暫く走っていたら、見事に覆面につかまっていた。こういう時、私は、「南無阿弥陀仏」と、呟く。それから、およそ六時頃、自宅に無事到着した。お袋の症状は思ったよりも悪く、早めに帰って来て良かったと感じた。旅の緊張感がほぐれたのか、今日は、朝の10時まで寝てしまった。起きると、旅の疲れが一気に出てきた感じで、暫くのんびりしていた。リフレッシュできたのだが、今日が疲れのピークだろう。

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ぬか喜び

現在、田沢湖のユースホステルにいる。美人三姉妹は二人だった。しかも、姉は三人の子持ち。その子供も合わせて、三姉妹ということなのだろうか?まあ、確かに、美人と言えば美人だが、ハッとする程のものではなかった。ぬか喜びとは言い過ぎだが、性格の良さそうな、笑顔のかわいい働き者だった。今日は花巻のユースホステルに泊まる予定だったが、休みとのこと。そろそろ帰ることも考えねば。

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十二湖めぐり

現在、秋田市のユースホステルにいる。シルバーウィークが終わり、部屋には私一人だけ。他の部屋にも、人はいる様子だが、人は少ない。ここのユースホステルは、ベッドで寝られるので、熟睡できた。疲れも回復した。今日は、田沢湖に向かう予定なのだが、余りに近いので、チェックアウトぎりぎりまで休む。田沢湖のユースホステルには、美人三姉妹がいるという情報を、途中のユースホステルでしいれたので、それも楽しみだ。ところで、昨日は青森から黄金岬を通るルートで秋田入りしたのだが、白神山地がよく見えて、日本海に没する光景は見事だった。宮澤賢治の詩を、ぼんやりと思い出していた。昨日は最高気温が23℃もあったので、暑かったが、途中、十二湖という数々の池が点在するところに寄った。アキレス腱が痛かったので、初心者コースをゆっくり回ったのだが、青池という池は、コバルトブルーに染まり、深い森の中で、とりわけ神秘的だった。何でも、鉱石などが溶けているわけではなく、海の色と同じく、天候に寄って色が変わるらしい。世話になっている方々への土産も、そこでゲットした。さて、朝食を食べにいくか。

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足がいてえ

現在、青森のユースホステルにいる。起きたら、左足のアキレス腱に激痛が。多分、通風性のものだ。慌てて、痛み止めを飲んだ。今日は秋田市のユースホステルまで行くというのに。ちなみに、昨日は龍飛崎まで行ったが、ものすごく眺めが良かった。階段国道なるものまであった。北風が強が強かったが、寒さ慣れしてきた。結局、津軽半島を一周してきたが、知らない道を走るのは、楽しい上に、風光明媚だった。

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予約とれず

現在、青森のユースホステルにいる。昨日は晴れたので、奥入瀬渓流を歩きたかったが、時間の都合で、車で往復するにとどまる。奥入瀬渓流は、まだ紅葉していなかったが、人で溢れかえっていた。その後、八甲田を抜けて、青森のユースホステルへ。9人位で、夜中まで話す。現在、まだ、眠い。また、今日は秋田市のユースホステルに泊まる予定だったが、満室とのこと。仕方なく、このユースホステルに連泊することになった。さて、今日はどこへ行こう。腹具合は、正常を通りこして、便秘気味。困ったものだ。

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バークゴルフにて

現在、牧場のユースホステルにいる。二泊目の朝だ。昨日は、ずいぶん、のんびりしていた。牧場内にあるパークゴルフを楽しんだ。9ホールずつ、4コースあるので、36ホールを回った。一人で回るのも寂しいものだった上に、午前中は雨にも降られた。ボールを一個無くしてしまい、弁償した。コツをつかむまでは苦労したが、コツを掴んだら、結構、楽しめた。スコアはひどかったが。その後、ユースホステルに早めに戻り、軽くビールを飲んだ。結構、アップダウンがきつく、いい運動になった。また、ここのユースホステルの方は、皆さん親切な方ばかりだった。また来たいユースホステルだ。緑に囲まれ、大分、癒された。腹具合は良くなってきたのだが、足の深爪した所が、なかなか治らない。

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寒くなってきたなあ。

現在、青森の八戸側の、牧場の中のユースホステルにいる。昨日は、寒い中を、エアコンなしで、走ってきた。あまりに寒かったので、10年前に北海道の道の駅で、地元の方から頂いたジャンパーを着た。それから暫く運転していたら、ナビが、エンジンオイルの交換時期だと言うので、間もなく、ガソリンスタンドにピットイン。取り替えてもらった。それから、一路ユースホステルに向かう。無事到着したが、宿泊者が、私とライダーのおじさんの二人だけだった。しかし、そのおじさんと話に花が咲き、夜の11時まで語る。私は布団が厚く、汗をかいてしまい、夜中に目覚める。寝直して、現在に至る。のどかな所なので、天候次第では、また、連泊するかも知れない。腹具合は回復傾向だが、未だ悪し。

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龍泉洞

昨日は、ここ、宮古のユースホステルから車で一時間の所にある、龍泉洞という鍾乳洞に行った。北上山系から流れ出る、清水が鍾乳洞の中を流れ、美しく、澄んだ地底湖もあった。山口の秋芳洞に匹敵する位に、美しい場所だった。しかし、最後の登りの階段がきつく、膝が笑ってしまい、日頃の運動不足を痛感した。何故、こんな時間に起きているかといったら、猛烈な腹の痛さで、トイレに駆け込んだからだ。後でもう一度行こう。今日は、北上する予定なので、もう一度、寝直そう。とにかく眠い。

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三陸の海の幸

現在、三陸のユースホステルにいる。昨日は、牡鹿半島にも行ってみたのだが道がとんでもない山道で参った。親父が、昔、牡鹿半島に、よく出張に来ていたので、どんな所か行ってみたかったのだ。風光明媚な所だったが、ナビでここのユースホステルの到着時間を見ると、夕食に間に合わないことが判明。写真を撮る暇もなく、ひたすら北上。これでは、何のためにやって来たのか分からない。天気も、雨が降ったりやんだり。急ぐなか、途中で無料の、中途半端な高速をいくつか発見。何とかチェックインの時間に間に合う。夕食は、三陸の海の幸を大いに味わう。疲れたので、今日は、ここに連泊する予定。

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朝日見に行くも見れず

現在、奥松島のユースホステルにいる。同部屋の方、三人で海辺に朝日を見に行くも、曇りで見れず。しかも、南の方角を視ていた事に気が付く。間抜けなミスをしてしまった。今日は北上する予定だが、雨が降るとか・・・憂鬱な気分だ。昨日は、20時間位起きていたので、疲れがとりきれていない。しかも、学生連中が深夜まで騒いでいたので、よく眠れなかった。食事だけはきちんと採らないと。今日はゆっくり行こう。

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旅立つ朝に

 最近は超朝型が続いている。今日も、安岡力也が経営している床屋で、髪を切ってもらっている夢で目覚めた。何でこんな夢を見たのかは解らないが、旅立つ朝に、妙な気分である。夢での安岡力也は、とても親切かつ丁寧に、髪を切ってくれていた。やはり、凄みはあったが。多分、旅の途中で床屋に寄るのだろうが。

 超朝型とはいえ、既に眠い。支度が完璧に済んで、このblogを更新して、風呂に入って、朝食を食べたら、丁度いい時間になるだろう。今回のお彼岸は、私は墓参りできないので、仏壇でいつも通りに経を唱えることで許してもらおう。そういえば、親父も旅好きだったなあ。また、友人の親父さんの三回忌も、もうすぐだな。

 無くなる命があれば、産まれてくる命もある。別の友人の娘さんの誕生日が今日だった筈だ。お誕生日おめでとう。きっと友人の所では、今日は幸せな一日となることだろう。

 夏バテ気味だが、無理してでも食べないと、旅先で骨を埋めかねない。私が旅する時は、朝食べて、昼は抜いて、晩にがつりと食べるのである。そして夜は、次の日に残らない程度に、ご当地の地酒を飲む。しかし、朝になると、blogを更新するために、携帯をガチャガチャしなければならないのには参る。何はともあれ楽しんできたい。車のメンテナンスは、高速に乗ってからになるだろう。いかに早く首都高を抜けるかが勝負である。

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旅の準備

 旅する場所は、岩手、青森、秋田と曖昧に決まった。本当は北海道まで行きたいのだが、確か、東日本フェリーが原油の高騰のために、大幅に船を減らしたと、昔、何かで読んだ。それに、北海道まで行ってしまうと、瀬戸の祖父の、万が一の時に間に合わない。

 やっと涼しくなり、旅に出ようと考えているのだが、夏バテのせいか、体調が優れないのも事実である。明日の今頃、私は車を運転しているのだろうな、とぼんやり考える。車の旅で一番つまらないのは、切符を切られることである。それから事故にも注意しなければ。とにかく晴れて欲しいというのが、私の希望でもある。

 折角の一年半ぶりの旅なのだから、羽を伸ばしてきたい。伴い、携帯からのblog更新となるので、短いblogになることは、ご容赦願いたい。私は、携帯ガチャガチャが、大嫌いなのだ。特に旅先では。

 旅の準備と言っても手慣れたものである。以前、親父の存命中に北海道まで行った時は、新潟でデジカメの電池が切れている事に気がつき、仕方なく『写ルンです』を買った。今回はあんな間抜けなことは出来ない。あとは、車に積んでいくものは、念のために夏布団を積んでいこうかとも考えている。まだ暑いので、着るものは今日のニュースを見てから決めようと思う。常備薬も持って行かなければならない。後はCDのチョイスぐらいか…楽しんでやろう。

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旅のプランを考える

 やっと涼しくなってきたこの頃、東北方面に旅に出ようかと考えている。それにしても昔の夏は、今ぐらいの気候だったんだけれどなあ・・・と、愚痴を言っても始まらない。今のところ、プランも練ってはいない。東北地方で行きたい所は、ほとんど行き尽くしてしまったからだ。あてどもない旅もいいものかもなのかも知れない。凝り固まった頭をほぐしてくれるだろう。今回は、当然、高速料金が安い日に出る。渋滞を避けるために、早朝に出発することになるだろう。とりあえず、決まっているのはそれだけである。今日一日掛けて、ある程度のプランを練らねば。とにかく、のんびりに越したことはない。

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嘘をつかれて

 中・高時代の知り合いに(一回そいつの家で麻雀を打っただけ)、大嘘つきがいた。そいつは見栄っ張りでもあった。酒に弱いくせに飲むものだから、酒が回ると、大口をたたくか、嘘ばっかりをついていた。そいつは現役で大学に行ったのだが、私は一浪だった。その時に、「あいつが俺よりいい大学に行ったなら、俺は退学をして、東大を受け直す」と言ったということが、複数の友人から伝わってきた。随分、ナメられたものだなと感じたが、私は、何故そいつがそんなことを言うのだろう、と悩んだし、模試の結果では、そいつの通っている大学は、いっつもA判定だった。そこから上を目指すのは、当たり前のことだし、そいつの大学を蹴ってやろうとも考えていた。実際、そうなったが、責めることはしなかった。自然とそいつの信用が離れるからである。

 それから、バブル経済が吹っ飛び、そいつの大学の生徒は就職難になった。そいつもロクでもない就職先を選んだらしい。その頃は、私も大学院の一年で、そいつとつながりのある友人に電話を掛けた。すると、その友人は、「お前、中・高・大、一緒だった親友のことをボロカスに言っていたそうじゃねえか。そいつから聞いたぞ。お前みたいな奴とは、もう、絶交する」と言って、電話を切られた。私は訳が分からなかったので、大学時代の友人で、当時、愛知県にいた友人に電話を掛けた。すると、「何言ってんだお前。こっちは何にも知らねえぞ。それより元気か?」みたいな電話で幕を閉じた。私は絶好宣言された友人に電話を掛け、「お前が言っていた様な事実はねーぞ。お前は、俺を信用せずに、あの馬鹿の嘘に乗りやがって…お前とは絶好だ」と言い返して電話を切った。

 その十年後ぐらいに、メールが来たが、適当にあしらった。現在、音信不通である。けれど、私はそれで構わないと思っている。信用関係が壊れたら、絶対に上手くいかないからだ。一番悪いのは、嘘をついた奴だが、それを即座に信用する奴も同罪なのである。

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アメリカでのちょっとしたお買い物では…

 アメリカに行った時に感じた、日本とのカルチャーギャップはほとんどなかったが、ちょっとしたことならあった。行った当初は、私も解らなかったのだが、一ヶ月もいていると解るというものである。それは、現金で払う、ちょっとしたお買い物の際に(スーパーや個人商店など)、日本では、984円などという場合、千円札と84円などとレジで出した方が感謝されるのだが、アメリカでは、その払い方が嫌がられるのである。確かに、待っている人が多い時に、そんなチマチマしたことをされてはかなわない。レジの横にはチャリティー用の募金箱もあるのだ。

 こういう場合、千円払って、おつりはチップにするか、募金箱に入れるものなのだ。それに気がついたのは、渡米して半月ぐらいたった頃だが、みんなが買っている様子を観て、そういうものなのかと、妙に納得した。それからは自分もそうすることにした。チマチマした払い方をしていると、日本人は細かくてケチだと思われかねない。おつりの受け止め方一つとっても、日本とアメリカで正反対なのである。

 まあ、細かい買い物ならキャッシュで払うが、宿泊料やら高価なものは、みんなカードで払ってしまう社会なのだが、私はキャッシュ派なので、そういうことに気がついたのかも知れない。もちろん、現金も持ってはいたが、ほとんどはトラベラーズ・チェックで持って行っていた。サインさえしなければ使えないし、番号を抑えておけば、再発行出来るというのもメリットだった。だから、アメリカに行った時には、TCのサインは漢字にしておいた。使ってしまったTCは再発行できないので、使っていないTCの番号をしっかりとノートに付けていた。

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原チャリが壊れる時 その2

 二代目の原チャリを買って、通学していた頃、大学四年生の秋だったか(確か十一月頃だったと思う)、友人の研究室をのぞきに行ったら、教授を囲んで、三十人ぐらいが、飲み会をやっていた。私の飲み友達もいて、自己紹介から始まり、少しばかりの麦ジュース(麦茶のこと)をひっかけて、いろんな話をしたり、聞いたりしていた。教授に、「駅からどうやって帰られるんですか?」と聞いたら、教授は、「カミさんタクシー」とおっしゃっていたので、思わず笑ってしまった。その会も、適度な所でお開きとなり、家路についた。

 電車に揺られ、乗り継ぎ、最寄り駅まで着いた。私は、麦ジュースしか飲んでいなかったので、素面だった記憶がある。原チャリで家に帰ろうとしたら、ヘアピンカーブみたいな所が在り、そこから細い路地へと入っていった瞬間に、私はバランスを崩した。電柱との衝突が避けられないと思った私は、前輪をわざと電柱の正面にぶつける様にした。そうすれば少しはクッションになってくれるかと、思ったのである。ヘルメットは半帽で、眼鏡をかけていた。気がついたら転んでいたが、意識もあるし、これといった痛みもなかった。ただ、眼鏡はぶっ壊れた。急いで立て直し、家まで無事に帰った。原チャリをしまって、玄関を開けると、お袋が悲鳴をあげた。玄関の鏡で見てみると、なるほど、右の眉毛の所を切って、血だらけの顔になっていた。救急病院に行き、縫ってもらった。次の日の予定は全てキャンセルし、暫く経って、バイク屋にその原チャリを持っていったら、フロントフォークがねじ曲がってます。こんなスクーターに乗っていたら、命がいくつあっても足りませんよ、と忠告された。

 その後、バイクに詳しい友人に聞くと、バイクの死亡事故は、電柱にぶつかる事故が一番、多いんだとのこと。狭い路地だったので、スピードが出ていなかったので無傷で済んだが、その原チャリには、友人も少し関わっていたので、危うく迷惑をかける所だった。

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原チャリが壊れる時 その1

 大学一年の夏、弟から買ったスクーターに乗って最寄り駅に向かった。中高時代の友人とゲームセンターに、夜遅くまでいた。そいつの終電が無くならないうちに、別れたのだが、大学が始まる前の晩ということと、夏が終わったことが寂しくて、どこか遠くに行きたくなった。海沿いの道を走り、秋の風を感じていた。目的地に着くと、タバコをふかして、公園に大の字になって、夜空を見上げた。夏なので、それ程、澄んではいなかったが、哀しい気持ちを吹っ飛ばしてくれた。原チャリのエンジンは、かなりヒートアップしていたので、水でもかけたかったのだが、財布には、帰りのガソリン代を差し引いたら二百円しか残っていなかったので、冷やす事をあきらめた。

 さて、帰るかという段になったら、帰り道は快適だった。普段は60Km/h 出ない原チャリのエンジンがヤケに調子いい。時計を観たら、午前一時。これだったら二時には着くなと思って走っていたら、いきなり、『ピャーーッ』という音がしたので、後ろを振り向いたら、どこからか火花が飛んでいる。そして、エンジンブローを起こしたので、私はエンジンを切り、歩道で様子を見てみた。キックでエンジンをかけようとしても、ペダルが回らない。どうしようか迷ったが、終電はとっくに行ってしまったし、両親は寝ている。次の日の一コマ目には、単位が危ない『体育』がある。どうしようもなくなって、バイクを蹴る。仕方なく、一晩中、歩道を押していった。後からバイク屋に原因を尋ねたら、クランクシャフトが折れていたとか…

 四時間は押したであろうか、私は二百円のうち、百五十円をポカリスエットに費やしてしまった。隣駅の市営の駐輪場に駐めて、駅へと向かった。当時は、まだ、自動改札ではなかったので、自宅の最寄り駅まで、JR様にお世話になった。そこから、まだ一時間かけて、帰宅した。親父は、「アホやな」と言いながら、朝飯を食べていた。私は風呂に入り、三十分ほどで、古いチャリンコを取り出して、学校へと向かった。太陽が黄色かった。

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弟の誕生日だ

 今日、9.12は弟の誕生日である。今日が日曜日で、休みなのだが、長男の野球に行くだろうと思って、昨日、電話した。昨日は、よく考えると、母方の瀬戸の祖父の誕生日でもあったので、先程、母が実家に電話したのだが、誰も出なかったとのこと。祖母が朝一番のバスで、看病しに行ったのだと思う。

 私の時もそうだったらしいが、弟が倦まれる時も、超難産だったと、さっき母から聞いた。私の時は、へその緒が首にひっかかり、お袋は顔をパンパンに腫らせながら産んでくれたらしい。弟の時は、羊膜が破れずに、看護婦さんに破いてもらったらしい。するとすぐ産まれたとか。それでも十時間以上は掛かったという。

 うちの弟は不思議な所が在る奴でもあった。正月に、ストーブの上に、もち焼き網を置いていたのだが、風呂上がりの弟は、何を考えたか、その上に座ってしまったのである。「あちぃ!!」という声と共に、家族がが振り返った。それから暫くは、弟の尻に、もち焼き網の跡形の火傷がくっきりと着いていた。軽傷で済んだから、笑える事件だった。その後、暫くして、東京ガスの作業員の方が、不完全燃焼している、と言ってくださり、親父はストーブを買い換えた。危うく、家族四人が一酸化炭素中毒になるのを免れた。

 また、うちの弟は、子供時代、疲れた電車の中で、座っている人の膝に座ってしまったこともあった。そしたら、その席に座っていた若い男の方が弟に席を譲ってくれた。私達家族は、恐縮してしまった。そこらへんまでかな、小学校前までの記憶は。来年続きを書くよ。何はともあれ、弟も二児の親になった。毎日頑張っているのが解る。その努力は、必ず報われるよ。改めて、誕生日、おめでとう。

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1$札のある意味

 円高に歯止めがきかない状況だ。昨日、ニュースで観たら、1$が83円台まで行ってしまい、もうなるようになれという感じになってきている。アメリカでは、例えば、20$50¢という様に、ドルの下にもセントという、コインの通貨単位があるが、1$が日本の百円に満たないとなると、セントなど価値がなくなってしまう。

 日本では1000円札から紙幣があるが、アメリカでは百円以下から1$札という紙幣が存在することになる。何でこんな事になっているのか、考えてみた頃がある。固定相場制で、1$が360円もしていた時代なら、納得がいくのだが、現代では、もう、1$札は必要ないんじゃないかと考えてみもした。しかし、思わぬ所に、自分の考えは行き着いた。

 アメリカでは、ちゃんとした店や、ホテルのベッドメイキングなどにチップがいる。私がアメリカに行った頃は、ホテルに一晩泊まったら、わかりやすい所に、灰皿の下などに、1$札を置いておいた。ホテルの掃除係の方などは、それが収入になることもあるのだ。これに気がついてから、私はニューヨークのエアポートホテルから、JFK空港まで行くための、早朝の乗り合いタクシーで、降りる時に、運転手の黒人の人に、5$のチップをあげた。すると、一瞬、マジかよ、という顔をしてから、「Thank you ,sir.」というお礼を言われたので、『Sir』なんか付けなくていいよ、ありがとう、とお礼を言った。

 これで私は、1$札というのは、チップの為にあるんだな、と確信した。下働きの方にも敬意を払うという意味では、素晴らしい風習だと思っている。

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旅に出たいなあ

 友人がハワイ島を旅してから一ヶ月ぐらい経つ。昨日、送られてきたツアー情報でも、ハワイ島への旅は、一週間で、20万円ぐらいかかる様だった。自由はどれだけ許されるのか、などは調べていないが、かなり制約されることだろう。前に、このツアーで行った両親からは、飯はかなりまずいぞ、とは言われはていた。その代わり、見所はしっかりと観せてくれるらしい。しかし、ハワイなら家族を持ってからでも行けると考える。弟は社内旅行であったが、ハワイに行き、それまでのミーハーなイメージが崩れたと、いつかの時に語ってくれていた。

 みんな、ハワイなんぞいつでも行けるわい、と考えてしまうので、足が遠のくのかも知れない。そのまま死んでいった方も多いと思う。手に届きそうな所で、なかなか手にはしがたいのが、ハワイなのだ。私が金を出すと言っても、お袋は乗り気にならない。いっそ、その金があるのなら、倍、楽しんでこいと言う。私は母には面倒をかけたので、お袋に恩返しがしたいのだが、母は頑として、断り続ける。

 今年の日本列島は、恐ろしいほどの猛暑である。このページにも、『日本熱帯化説』なる意見に、大いに賛同を得た。しかし、私は日本国民である以上は、この問題は避けられないと思う。ハワイにも行きたいが、運転好きなので、車に布団を積んで、北へと旅をするのも悪くない。暑さだけが問題だ。

 どちらにしろ、旅に出たいなあ。

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バッテリーが切れた

 よし、今日は充電日といたそう。

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映画と散歩が僕らを救ってくれた

 父が亡くなった後、母と二人で家にいるのが嫌だった。母も、「外に出たくない」などと言い出したので、重傷だと思った。そんな時は、無理矢理、外に連れ出し、映画などを観ていた。歩いて歩いて、一時間ほどの最寄り駅のシアターまで歩いていった。もちろん暑かった。

 そうこうしているうちに、映画を観るのが習慣になった。母も気が晴れるのか楽しをうだった。そのうち、車で出かけてまで映画を観に行く様になった。アメリカ映画などで、マシンガンが、景気よく、ぶっ放されるのには、お互いにスカッとしたものだ。日本映画の繊細さにも触れた。週に一度は観に行く時期もあった。

 母は、私の文章のためにと、観に行ったそうだが、私は、母の気が紛れるためにと、通っていた。映画を観に行く場合、朝一番に並ぶのなら、午前八時までに車を出さなければならなかった。私は、朝の連続ドラマ『ゲゲゲの女房』も観たいので、午前五時起きなどしょっちゅうだった。すると、映画館で眠くなってしまうのである。しかし、この映画を、是非、blogに、という思いがあると、重いまぶたが開いてくるのだ。観た映画は必ずblogというか、意見を残す、という方針でやって来た。

 ここ一ヶ月、映画を観ていない。今日も午前二時半に起きてしまったし、何より暑すぎる。映画館で涙を拭うぐらいならいいのだが、汗を吹くのは嫌だなあ。ここ数日、映画館には通ってない。観たい映画が無いというのもあるが、気分転換に行きたいなあ。

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弟へのGK特訓

 私と弟は、生まれ月で一年八ヶ月しか離れていないのだが、私が早生まれな為に、学年は二つ違った。いや、二つしか違わなかったと言った方がいいかもしれない。何故だか、背丈がほとんど同じなのである。そんな弟が、小学生の二年の時に、サッカーチームに入った。地元では、そこそこ強いメンバーがそろったチームで、弟は後から入ったせいで、すぐにレギュラーにはなれなかった。控えの子も多い中で、弟は監督からGKの控えに回された。そして、私の両親は、一年間続いたら、ユニフォームを買ってやる、と言っていた。

 それから、私と親父は、日曜の試合が終わった後に、夕方から、公園でGK用のグローブをした弟のゴールめがけて、日が暮れるまでシュートを打ちまくった。それまでは、家族で野球をやっていたのだが、弟がサッカーを始めたということで、こうなったのである。初めのうちこそ、私や、特に父のシュートに対して、「兄ちゃん、怖えーよ」などと言ってはいたが、半年ぐらい続けているうちに慣れた様子だった。弟も自信を持った様子であったが、なかなかレギュラーにはなれない様であった。どうしても試合に出たい弟は、他の控えの子と違う行動に出た。試合が始まって、後半に入ると、監督の前を行ったり来たりして、黙ってアピールし始めたのだ。監督も途中出場させてくれる様になり、ついには、レギュラーの座を取ってしまった。

 それから、弟は小学校の四年の頭まで続けるのだが(塾に通い始めたので)、その間、私も塾帰りに弟の奮闘振りを観ていた。結構、いいプレイをするので、弟に、「怖くないのか?」と聞いてみたら、「今じゃもう何ともないよ」と、逞しい返事が返ってきた。そのチームは弟が抜けると、負けが込み、誰からともなく、うちの弟を連れてこいよ、という声が挙がったという。とても名誉な事だ。特訓から始まり、監督の前ウロウロで、世渡り上手な面も見せていた。今、弟の長男は、野球に熱中してるのだから面白い。

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『手紙』を聴いて

 人は皆、心の奥に、誰にも言えない悩みを抱えているものだ…ことさらに、思春期には。傷つきやすく、ナイーブで、ちょっとしたことでも気にしてしまう。私にも、そういう時期があったし、悩みの塊だった。親には心配をかけたくはなかったし、独り我慢しながら葛藤していた。

 何でこんな事を書くのかというと、こないだTVでアンジェラ・アキさんの『手紙』という曲を聴いて、その頃のことを思い出したが為だ。こんなに素晴らしい歌詞が存在するのだろうかと感じたと同時に、あの頃を思い出して、目頭が熱くなった。もし、あの頃にこの曲を聞いていたら、どんなに心の励みになっただろうかと思った。即座にCDを購入して、『手紙』という曲を聴きながら、このblogを打っている。この曲は、多くの悩める心を癒していることだろう。久々に、いいものを聞いた。

 『手紙』というタイトルも面白い。私が、独り苦しみ続けていた頃、ノートに悩みを書き下したものである。不思議なことに、心のモヤモヤを文章に書き下すと、考えがまとまるせいか、心のストレス発散になるのである。私の場合は十冊以上のノートが今でもある。しかし、現在は読まないことにしている。人生で、前進する時に、ノスタルジックになってはならないからだ。

 何はともあれ、久しぶりに、私の心の琴線に響いた曲だった。こういうものには、CDだけではなく、お金を惜しまない主義である。

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色々と考える

 父の没後、私は、母に何でもすることに決めた。しかし、私も未熟者なために喧嘩をすることもある。大概、私が反省して終わる。母も根に持つ様な人ではないので、その場で解決する。多少の恥をかくことにも慣れた。母と行動していると、消えたくなる時もあるのだ。

 昨日の居酒屋の件も忘れた。母なりに、私に気分転換させたくて、無理をしてくれたのだ。居酒屋に入る前のパチンコ屋で、タバコを吸いながら観察している台があった。丁度、二時間前に、その台はもの凄い勢いで出ていたのだ。カド台は出ると言うが、本当に出していた。後で観に行くと、別のおっちゃんが打っていた。私はそのおっちゃんの財布の中までチェックしていた。前のフィーバーから200回ぐらいは回していた。おっちゃんの軍資金が、残り1500円という所で、私は母に電話をしようとポケットをさぐったら、携帯電話がないことに気がついた。自分のベルトがぶっ壊れて、買いに行ってもらっているのに、パチンコ打ったら、さすがのお袋でも、ぶち切れるだろうなと思った。おっちゃんはオケラになって、台を後にした。すると、すぐに、別のおっちゃんが、その台で打ち出した。そしたらお袋が来た。猛暑の中、汗をかいて行ってくれたので、文句は言わなかった。ベルトを装着し治し、居酒屋へと向かった。すると、その、目を付けていた台がフィーバーし始めたのである。忸怩たる思いを背に移動した。

 飲み屋でお袋にその話をすると、打っててくれても良かったのに、と言われた。驚いた。私は、飲む、打つ、は好きだが、中毒ではない。お袋の気持ちを尊重する。けれど、故親父は、お袋を待たせてでもチャンスは逃さなかったらしい。それでうちのお袋は、慣れているんだなと感じたと同時に、勝負師たるもの引けない時もあると感じた。何分、お袋様、お袋様、の精神ではあるが。

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お通し知らず

 昨晩、私のヤボ用があったのだが、荷物が重いので、お袋も行くことになった。酔ってもいたし、面倒だから、すっ飛ばしたかったのだが、いかなければならないことになった。バスで行くことになり、腹が減っていた私は、ラーメン屋でお袋と飯を食べた。そこの勘定は私が払ったのだが、お袋が履いている靴では、床でムーンウオークが出来るぐらい、脂で靴が滑ったらしい。

 お袋の用事が済んだら、(私はパチンコ屋で、打たずに観察していたのだが)私のベルトがぶっ壊れた。前屈みの姿勢で歩くのが嫌だったので、お袋にベルト買ってきてくれ、と頼んだ。その間、私はパチンコ屋を観察しながら、扇子の裏に、『一攫千金』と書いたもので暑さをしのいでいた。

 まもなくお袋がベルトを調達してきたので、着替えると、飲みに行くことにした。お袋は独身時代から、居酒屋などに入った経験がないらしい。お袋は、お酒も飲めないし、グレープフルーツのジュースを頼んでいた。全く飲めないので、私が飲んでも何も言わない。私は永ちゃんのビールを飲んでいた。すると、生キャベツのお通しが来た。母は、「えらく気の利く店だねえ」などと言っていたが、赤キャベツと普通のキャベツの余った所を出している様だった。私は、「これ、お通しって言って、有料なんだよ」と言ったら、おったまげていた。二人で630円とられたのだが、納得がいかない様子だった。その後に、母が注文したものは、居酒屋でイチゴパフェを頼んでいた。これにも私はずっこけた。母に、「居酒屋でイチゴパフェ頼むなんて、レストランでお子様ランチを頼むのと一緒だぞ」と言うと、母は、「そうなの?」と言っていたが、気にしていないというか、世間知らずもここまで来たら国宝だと思った。

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blogに費やす所要時間

 いろんな方のblogを、毎日、拝見させてもらっているのだが、みなさんは一つの記事を書くのに、どれくらいの時間を費やしているのだろうということを、時折、考えることがある。また、写真入りのblogが多い中、保存するのに時間が掛かるだろうな、とも思う。私の今までの記事を保存するのに、四カ所に保存場所を作っているのだが、一番最初の保存は、テキストで一分半ぐらいかかる。二カ所ぐらいに保存したら、後の二カ所は四十秒ぐらいで終わる。このタイムラグが、どうして生じるのかはパソコン音痴の私には理由が分からない。まあ、使っているパソコンのスペックにもよるのだろうが、私のパソコンも、それなりのスペックは持っている。

 所要時間の話に戻ると、私の場合、一つのblogを書くのに、平均時間で一時間ぐらいだろうか。平均でと書いたのは、いいネタが思いついた時には三十分ぐらいで終わるのだが、ネタがない時には、何時間も考える。ネタになりそうなことは、ことごとく紙に書いているのだが、使えるのは1/4ぐらいである。そのネタ帳も、三年間積み重ねて、A4用紙で5cm位の厚さになった。そのネタ帳をめくってもアイデアが湧かない時には、黙って一行blogなどにしてしまう。一行blogは、忙しい時とかにも打つのだが、何時間考えてもアイデアが浮かばない時のあがきでもある。

 朝早くに出かける時など、blogのネタが浮かばない時は、相当苦しむ。しかし、朝の五時頃起きて書く分には、それ程、苦労したことはない。blogを毎日続けるコツは、早寝早起きにつきるのかも知れない。その方が、はかどる。今回のblogは、いうまでもなくネタ枯れblogである。

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ジェットコースターに乗る心構え

 私が初めて乗ったジェットコースターは、小学生の高学年の時の家族旅行で、富士急ハイランドにある、後ろ回りのGのきついジェットコースターだった。最初、後ろ向きに360度ひねられて、次には、前向きに360度ひねられて、終わりだった。その時、私は、親父と一番前の席に座っていたのだが、機械で登っていくぶんにはのんびり富士山を眺めながら、あの辺が青木ヶ原か、とぼんやり呟いていた。しかし、カタン、という音がした後、ジェットコースーたーでは会話をする余裕など無かった。出口には携帯用のパンツが売られていた。

 久しく遊園地などにはいっていないが、いろんなジェットコースターには乗ってきた。ディズニィランドにも一回しか行ったことはないが、暗闇の中を走るジェットコースターは反則だろう。ヘタをすると首を痛める。大学時代の男の知り合いが、ジェットコースター好きで、後楽園遊園地の暗闇の中を走る、暴力的なGのかかるものに何度も乗った。

 ジェットコースターが苦手という方は、目線を代えてみればいいのだ。どんなに急だろうが、ループしていようが、ひねりがきつかろうが、ジェットコースターに乗られるのではなく、乗るのだ。具体的に言うと、私はジェットコースターに乗った時には、飛行機の操縦をしている気持ちで乗る。そうすると、怖くも何ともないのだ。私の弟などは、ジェットコースーたーは平気でも、お化け屋敷で泣いて出てきた。趣味は人それぞれなのだろうが、何にせよコツは度胸で、心づもりである。

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チャリンコのペダルが折れる時

 高校生の頃、チャリンコ小僧だった私は、チャリンコに乗って、当時通っていた数学塾に行くことがよくあった。片道で10Km程の、かなりきついアップダウンのあるサイクリングコースだった。高一の時は日曜日の昼に授業があったので、車も歩道も猛渋滞している中を車の左脇を通って通っていた。これを続けると、バランス感覚が良くなったのには驚いたが、10Kmのうちの3Km位は渋滞区間だったので、そこを抜けるのに苦労した。アップダウンと渋滞のせいで、たった10Kmの距離に1時間は費やしていた。

 また、その数学塾は、週一回、途中休憩はあっても、五時間は授業があった。前半は、試験とその週の範囲の講義、後半は、前の週に当てられた問題を、事前に部屋一面の黒板に解答を書いていたものを、プレゼンするので、夜の授業だと、終わる時間は終電に間に合う時間だった。私も学校から直接行く場合は電車で通っていたが、自宅から通う時はチャリンコで行っていた。

 高二の時だったか、週二回、夜の授業に通っていた。私はチャリンコのブレーキゴムにカッターで溝を掘ってみたりして楽しんでいたが、ある時、左右のペダルのこぐ時のバランスが悪いことがあった。もう、塾の手前まで来ていたので、帰ったら観てみようと考えていた。そして無事授業が終わり、チャリンコを漕いで登り坂を登り切って、その後にやってくる下り坂で、思いっきり加速しだしたのだが、気がついたら体が吹っ飛んでいた。奇跡的に怪我はしなかったが、後ろから車が来ていたら死んでいただろう。原因は右のペダルが根本から折れたせいだった。こうなると、もう漕げない。惨めな気持ちで自転車を押しながら歩いて帰ったら、家に着いたのは午前二時頃だった。

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