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2010年8月

柿食えば…

 こないだ床屋に行った時に、二代目マスターから、奈良でいいお寺とか仏像とかあるかな、と聞かれたので、期間限定かも知れませんけれど、法隆寺の国宝館、薬師寺のインチキ坊主の説法、唐招提寺の庭園、長谷寺、女人高野の何とか寺(そこには運慶の彫刻が何体もある)、東大寺の戒壇院の、四天王像、春日大社の灯籠、興福寺のこれまた運慶が彫った仏像二体などといろいろと述べた。詳しいね、と言われると、昔、薬師寺の坊主と問答してきました、などとふざけて言っていた。その代わりに薬師寺名物の一本二千円もする般若心経の写経帳なども買ってから、坊さんに質問した、とも言った。

 京都・奈良の観光シーズンは、祭りを除いて、十一月なのである。その時だけの特別公開展などが多いのだ。私は奈良では、正倉院展なども観たし、京都では御所に入ることも出来た。もちろん、地元の方に聞いてからのことなのだが、旅ではそれが一番いい。

 で、今日のお題、『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』という、正岡子規の句のどこが秀でているのかが解らなかった。改めて考えてみると、当たり前の様に口ずさんでさんでいる句ではある。しかし、これが、子規が漱石に借金してまで旅立った句とは思われなかった。家の中でいても解らない、この憂鬱な疑問を私は親父に聞いてみた。すると、「奈良行ってこい」、「そんな金ねーよ」、「じゃあ貸したるけれど、存分に行ってこい」と言われ、私は高野山から奈良へと向かった。車での旅だったが、車中泊を続けた。奈良に何日もいた。そうして私は気がついた。奈良は大阪や京都ほど忙しくなく、田舎だけれど、包容力のあるとこと知った。

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こんな日もあるよな

 何故だか今日は、無性に眠い。6:30に一度起床したのだが、寝直してしまった。六時間ぐらい寝たのだが、まだ眠く、頭が回らない。キーをひねってみてもエンジンが掛からない状態だ。まさか、ナルコプレシー(睡眠障害)というわけではあるまいが、今日に限って、異常に眠い。まあ、こんな日もあるよな。

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いつ飲もうか

 こないだハワイに家族で行ってきた友人とは、夏の会でスケジューリングが合わず、一緒に飲むことが出来なかった。また、仕事で欧州に出張していた友人とも会えなかった。そこで、涼しくなった、秋のいつの日かに、このメンバーを中心にして、飲みたいと考えている。それは私の旅の前か後かになるのだが、スケジュールをきっちり組むなら、旅の前がいいし、土産話をするんなら、後がいい。とは言っても、このメンツ、意味のある討論がなされるので、中途半端に考えるわけにもゆかない。なかなか歯ごたえのあるメンツなのでもある。

 問題は、いつ、どこで、行うのかということになるが、草加の『Katsu』でもいいし、赤坂見附でもいい。これもみんなの意見を聞いてみようかと思うが、いかんせん、この暑さが引いてくれないと、アンケートも採れない。また、友達を選ぶ様な真似はしたくないので、今度は、前回来れなかった、この二人を優先しようと思う。

 今年の夏の会は草加の『Katsu』でやったが、美味いものが食えるのは嬉しいが、我が家からは遠すぎる。東京に住んでいれば、ちょくちょく私も通うのだが、往復五時間以上となってしまうと、話している時間より、電車に乗っている時間の方が長くなってしまうのだ。そして、話が盛り上がってきた頃に、終電となってしまう。これほど悔しいこともない。

 何はともあれ、この歳になっても、喜んで飲みに付き合ってくれる友人が大勢いるというのは、有り難い話である。何でも語り合える仲間だからこそ、ここまで、ずっと続いてきた。軽い話ばかりしていた友人とは、いつの間にか縁が切れてきた。寂しいが。

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ガリガリ君国宝説

 いつも、出来るだけ午前中にblogを更新する様にしているのだが、今日は、床屋と整形外科とに行ってきたので、更新が遅れた。床屋には、いつも営業時間前から行き、一番乗りをしている。いつも通りの坊主頭で、とりとめのない話をしていた。話題の中の一つに、現在の日本の政治に関してどう思うか、と聞かれたが、私はサラリと、日本沈没でしょうね、と言ったら床屋の二代目マスターが、ゲラゲラ笑っていた。

 続いて、いつも通り、通風の薬を処方して頂くために、整形外科に行ったのだが、今日は案外すいていた。薬の処方以外に、秋に(多分)車での旅を考えていることを伝え、古傷の腰痛が再発した時の予防のために、コルセットも処方して頂いた。コルセットは整形外科でもらえ、というのは鉄則なのである。薬局では数千円するが、病院だと保険がきくので、極めて安く手に入るのである。

 そうして、猛暑の中、帰宅して、blogの構想を練りながら、昼食に、ニンニク味噌汁を食べていたら、こんな時間になってしまった。一日のうちで、最も気温の高い頃合いである。クーラーを入れたので、現在の自室の温度は下がってきたが、パソコンを立ち上げた当初は、うだる様な暑さであった。慌てて階下に降り、台所の冷蔵庫から、『ガリガリ君』というアイスを取り出して、食べた。思えばこの夏は、『ガリガリ君』ばかりを食べていた。当たり付きのアイスなのだが、一ケースに一本ぐらいしかないらしい。私はこの夏、四本当たりを引いた。これだけでもどれだけ『ガリガリ君』のお世話になったか分かるものである。店の人に聞いても、夏はよく売れるそうである。既に、国民的なアイスになっているのである。中尾彬も大好きだと言っていた。私は『ガリガリ君』を開発した方々は偉大だと思うし、これだけの猛暑続きの中、『ガリガリ君』は国の宝であると言っても過言ではないと考える。

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お袋のありがたみ

 『お袋のありがたみ』などというタイトルを付けてしまったが、もちろん普段から感謝している中で、私のことをよく観察しているなあ、ということを、昨日はつくづく感じた。朝起きてみたら、「今日は、しったかと、アジと、イカと、スイカを買いに行くよ」といきなり言われ、漁師のやっている魚屋と、農家がやっている野菜の直売所に行くことになった。もちろん運転は私である。

 blogを更新し、仏壇に参った後、出発したのだが、空は快晴で、眩しいほどだった。車で一時間ほどの、とある漁港で止まり、海を観ると最高に気持ちが良かった。潮の香りも久々だなあ、と大きく深呼吸した。そういえば、親父が存命中の頃に来て以来だと、ぼんやりと思った。もう三年振り位だったのだが、店の人は顔を覚えていてくれた。お袋が買い物を済ませると、今度は野菜である。野菜というより、スイカなのだが、弟の次男が好物らしく、購入することにした。それから家路についたのだが、帰りの車の中で、何で行く気になったのかを聞いた。すると、母は、「兄ちゃんここの所、相当ストレスがたまっていたでしょ。釣りにしようか迷ったけれど、この暑さじゃねえ。しったか買いに行くと誘ったら行くと思った。気分転換も、時には大切なんだよ」と語った。私は相当に感激した。

 家に着いて、サンダルを下駄箱に入れようとしたら、父の靴が無くなっていた。母に聞くと、「三回忌も済んだし、親父のことも思い出に変わったから捨てた」と言っていた。心のけじめが付いたので、親父の病院帰りによく行っていた店にも行けたんだろうな、と思った。

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「今行って、宿が取れなかったら、死ぬぞ」

 一昨日の晩に、友人からショートメールで、「元気か?」と送られていることに、昨日、気がついた。その友人とは夏の会で会っていなかったので、即座に、「元気だよ。そろそろ俺も旅行に行きたいよ」と返し、暫くショートメールのやりとりがあってから、夕方頃、携帯電話が鳴った。多分その友人からだろうと、電話を取った。

 「もしもし、夏の会の時は、ハワイ行ってたんだって?」と聞くと、「家族で行ってたよ。久々の気分転換になったよ」と言うので、「またあの望遠鏡がある島に行ったのか?」と聞き返すと、「そうだ。溶岩が海に入っていくのを観たりして、凄い所だと思ったよ。標高1000m位の所に、宿を借りたんだけど、気温が11℃とかで、寒いくらいだった。でも星はきれいだし、一度は行く価値あるぞ」と勧めてくれたので、「今、円高だから海外行くチャンスなんだよな。でも、独りでハワイ行くのって空しくないか?だから三陸海岸でも走ってこようかと思ってる」などと、言ってみた。

 友人は、「ハワイは独りでも楽しいぞ。ホノルルとかは駄目だけれどな。ところで、三陸海岸ってことは、また車の旅か?」と問いかけてきたので、「そうだよ。でも、今年は北海道まで暑いじゃねーか。涼しくなってから行くことにするよ」と応えた所、友人は、「今年の暑さは異常だ。今行って、宿が取れなくて、車中泊なんかしたら、死ぬぞ」と、気持ちのこもったアドバイスをしてくれた。「俺だってそんなことぐらいは判る。だから秋に行こうと思っている。それにな、俺の携帯は多分、海外からメールが打てないんだよ。一年半前に台湾に行った時もdocomoショップで携帯借りて、毎朝タバコを吸いながら、携帯でblogを更新してた。俺、何しに来たんだろうというバカバカしさと、日本人としての恥をさらしている気分になって、嫌気がさしたよ」と言うと、友人は、カラカラと笑っていた。

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「お前の政治思想はどうなんだ?」

 五、六年前に、大学時代の友人何名かと、飲んだことがある。昼から飲んでいたのだが、その中に、アメリカからの帰国子女の友人夫妻もいて、討論になった。きっかけは、私が、「アメリカに一ヶ月ぐらい行ってきたけど、哲学のない国だと思った。つまり文化がない。例えばアメリカの名物料理ってなんだと聞いてみたら、七面鳥の丸焼きかなあ、などと答えていた。それは、まだましで、俺はハンバーガーぐらいしか無いんじゃないかと思った」と述べたら、友人も否定せずに、「それは言える。でも、文化はともかく、日本みたいに思想の無い国は滅びるんじゃないか?」と返された。私はしばらく考えた後に、「宗教観が入っているので、そのことについては、ここでは言いにくいから、後日メールする」と言ってその話題を切り上げた。

 他にも友達がいたので、気配りしながら、話題を振っていると、そいつから質問が来た。「お前の政治思想はどうなんだ?」と。それは私が普段から考えていたことなので、簡単に述べた。「俺はな、政治に限らず、あらゆる事象に対して、右からも左からも観る。そして、どっちも極端だということに気がつく。だから、ニュートラルに行くかというと、オートマのニュートラルと同じで、アクセルを踏んでも、前には進まない。結局、自己分析してみると、ニュートラルよりちょっと右ぐらいに位置していることに気がつく」というと同時に、友人の一人が、「そうなんだよ、ニュートラルポイントという位置では、物事は進まない」との賛同を受けた。質問した友人は、理解しながらも、「具体的にはどうなんだ?」と聞いてきた。私は適例を三十秒ぐらい考えていた。

 結果、原発問題の話をすることにした。原発問題は、私の高校生頃、盛んに論議された。その時、私は、技師であった親父には批判的な意見をぶつけて、色々と聞いてみた。また、反対派の学年友達には、推進すべきだと言って、推進派の意見をぶつけた。反対ばかりするのがいいわけではなく、この時の私は、右と左の主張を聞いて、自分の意見を形成したかったのである。結果、どっちもどっちやな、という感触を受けて、私の考え方は、ニュートラルに向かったが、現代の温暖化問題や効率を考えると、仕方がないけれど、原発は必要だなという立場に立った。「これがニュートラルより少し右ということだ」と述べたら、友人は、「なるほどな。自分の意見を固める為にそうしていたのか」と言ったので、私は、「それもあるけれど、自分の視野を広めたかったんだよ」と応えた。

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悔しい

 この歳になると、徹夜はきつい。だから今日も、blogはお休みだ。朝方続けていただけに何だか情けなくて、残念だ。悔しい。

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ユースの登録更新と一通無視

 もうすぐ涼しくなった頃、旅にでも出たいと考えていた私は、最寄りのユースに会員登録に行った。その際、帰路で買い出しもするので、母も着いて来た。財布に金がなかったので、まずは銀行に寄って、金を引き出し、ユースに向かった。私はそこが一方通行だとは知らずに、ユースの側の道にいつも車を駐めていた。後で、進入禁止の標識に気が着くのだが、左折してその道に入る際は、進入禁止の赤い標識が死角になり、見えないのだ。余りにも暑かったので、エンジンをかけたまま、徒歩二分ぐらいのユースで、手続きを行った。年会費は、新規の場合、2500円である。会員カードと、日本のユースのマップが書いてある、ホステリングガイドという本が着いてくる。潰れるユースも多い中、私はその本が欲しかったのである。

 手続きが終わり、車に向かう時に、初めて車を止めている場所が、一方通行だと気がついた。すると、私の携帯が鳴る。警官に見つかったかと焦る中、電話に出てみると、お袋が、「兄ちゃん、ここ、一方通行だって、地元の叔父さんが教えてくれた」とのこと。その頃にはもう、車が見える距離にいたので、罰金と点数は免れたと思ったが、そういう場所は早く退いた方がいいに決まっている。交通量の少ない道路だったので、難を逃れたが、大慌てで、かつ、車をぶつけない様に、慎重にUターンをして、事なきを得た。

 私は、冬場は関西、夏なら東北・北海道と決めているのだが、今年は猛暑続きで、展開が読めない。しかし、一年半ぶりの旅なのだから、大切に計画を練りたい。ユースのガイドブックを観ると、やっぱり廃業したユースが多かった。残念きわまりない。

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「先輩、何でバナナ買ってるんですか?」

 大学四年の研究室の秋口、そろそろ卒論が忙しくなりそうだなという頃、その日の夕刻の研究室には四年生が四名、院生が二人いた。誰からともなく、「今日、飲みに行かねーか」という声が出てきた。みんなストレスがたまっていたのだろう。私も付き合うことにし、当初、消極的だった先輩達も誘った。結局、六名全員が、大学のキャンパスの側の店へと飲みに行くことになった。

 男ばかり六名で飲んでいたら、初めのうちは先輩が、卒論の事などを気遣ってくれていたのだが、酔いが回るにつれて、「論文なんて、難しく考えるからいけねーんだ。何とかなる、何とかなる」という感じで、日頃の鬱憤を晴らしていた。私も相当飲まされてしまった。

 「そろそろあがりましょうか」という一言から、お勘定は割り勘で、駅に向かって歩いていると、先輩が八百屋に入っていった。みんな道で待っていたが、出てきた先輩の手にはバナナの房が何故かある。私が、「先輩、何でバナナを買っているんですか?」と聞いたら、「これはバナナじゃねえ。バトンだ」と言って、陸上競技場に連れて行かれた。六人が、じゃんけんで三チームに分かれ、トラックを一周する事になった。よく考えると、その先輩は、陸上で国体に出たことのある方なのだ。そして、トラックを一周して、ビリのチームは、研究室の嫌われ者である女に、告白しなければならないということになった。じゃんけんをしたら、私は運良くその先輩と組むことになった。私は暑いので、上着を脱いでいた。スタートの合図と共に、私はバナナを持って二番手を走っていた。これで先輩につなげば楽勝だと思ったコーナーで、酔った私は三回転ぐらいして、こけてしまった。不覚である。

 上半身裸で走っていた私は、傷だらけになり、水で洗った後、焼酎で消毒した。そして、上着を着ると、約束通り、電話して、偽名を語ったのちに、「世界中の誰よりも貴方のことが好きです!!」と告白した。みんなが盛り上がる中で、先輩も偽名を語った後に、「先輩への口の利き方気をつけろ、このバカヤロウ!!」と怒鳴りつけていた。みんな腹を抱えて笑っていたが、今になって思うと、ひどい事したなあと思う様になってきた。

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バナナと車中泊と水

 最近はしていないのだが、道の駅やら、それが無い都市圏では、地元の方に、安い駐車場を聞いたりして、よく車中泊をして、旅に出ていた。今ほど、ガソリンも高くなかった時代だった。車中泊をする条件として、必ず必要なのが、洗面台とトイレである。それさえクリアすれば、どこでも泊まれる。私は、墓地で車中泊をしたこともあるが、シートを目一杯に下げて、寝っ転がって、ただ寝るだけである。夜には、その土地の辛口の地酒(720ml)を飲んで、早寝する。今まで、沖縄以外は全都道府県を制覇したが、地酒が一番美味しかったのは、丹波の地酒である。まあ、翌日に、飲酒運転にならない程度にしか飲まないが。

 外が明るくなってくると、気温の上昇で、嫌でも目が覚める。朝方、厠に行って、その後、洗面所でひげを剃る。歯磨きをしてから、前の日に買っておいた、バナナをモシャモシャと食べる。道の駅などで自動販売機があったら、お茶を買って飲む。ペットボトルは捨てずに、車に積み込んである2Lのミネラルウオーターを継ぎ足して飲むのである。毎回150円出して、ペットのお茶を買うよりかは、遙かに経済的である。もちろん、運転しながらはしないが、ペットボトルからペットボトルに水を移すのにも慣れた。また、水のペットボトルは、いざというときのために、最低五本は積んでいる。何回も移し替えていると、水が生ぬるくなってくるが、金の掛からない旅を目指しているのだから仕方がない。おかげでバナナは大嫌いになった。

 折角、旅に出たのに、孤独だなと感じた私は、最近は、ユースホステルを使うことにしている。知らない方達と談笑したり、外国人と話す機会も多いからだ。それでも、ユースの経営というのは厳しいと思う。最近の若者はユースなど使わないと聞いた。使うのは、もっぱら団塊の世代であるとか。このままでは、我が国からユースが無くなってしまう。ある友人に言わせると、「今の若い奴は、ゲームで旅をした気分になっているんだよ」とのこと。余りに、かっこわる過ぎないか?

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久しぶりの大ゲンカ

 昨晩、久しぶりに母と大ゲンカをした。私は酔っていたので、原因をよくは覚えてはいないが、母が、「もう寝る。夕食は勝手に自分で作りなさい」と言われた。悔しいので、自分で作って食べたのだが、酩酊状態だったせいか、味付けを滅茶苦茶にしてしまった。まずいもの食べたなあ、という記憶は残っている。

 暫くして、母が自分だけまともな食事を採っているので、腹が立ち、テーブルをひっくり返そうかとも思ったが、そこは自制心が働き、やめた。しかし、口でボロカスに言った。すると母は、「出て行く」というので、「勝手にせい」と言って、私は二階の自室に戻った。はらわたが煮えくりかえっていたが、本を読んでいるうちに落ち着いた。そして、小さなもめ事で怒っている自分がバカバカしくなった。

 下に降りて、母の寝室に行き、「大人げないケンカはやめようや」と言ってみると、母も興奮し眠れなかったらしく、二人して居間に行った。「何か食べるかい?」と母が言ってきたのだが、「今日はもういい」と私は応えた。『喧嘩両成敗』とはよく言ったもので、片方だけが一方的に悪いわけではないのである。

 前日の喧嘩を次の日まで持ち越さないことも重要だが、最近は、その日のうちに解決することにしている。小さな事かも知れないが、二人きりで生活している場合、大切なことでもある。

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テキ屋の親父との勝負

 小学校何年生だったかの夏休み、親父が海外出張で家を留守にしていたので、ラーメンを食べに行くことになった。お袋と弟と私の三人で向かったのだが、途中で夏祭りがあった。気温は今ほど暑くはない。私達は盆の祭りに参加することにした。地元の政治家志望の地主の娘が主催だったとは知らなかった。

 夏祭りといえば、テキ屋の親父との駆け引きが面白かった。いろんな夏祭りに行ったが、絶対に安い商品しか当たらない射的などをやった記憶はある。向こうもガキ相手の商売で、百円から勝負しているので、隙がない。どれだけ金を落としていたか判らないくらいだ。

 当時参加した夏祭りで、ヨーヨーすくいのテキ屋がいた。ルールは至って簡単、釣り針の上の紙の部分を持って、ヨーヨー(水風船)をすくうのである。最初は、弟も私も苦労したが、あることに気がついた私は、弟に、そのコツを伝授した。するとヒトハリで、十個も二十個も取れるのである。テキ屋のおっちゃんは、不思議がり、「おまえら、何か、イカサマしてないか」とのぞき込む。私は、「おっちゃん、甘いよ。イカサマなんかしていない。水に溶ける針の紙の、一番、内側をギュッと握りしめて取ってんだよ」と言うと、テキ屋の親父も黙り込んだ。そんな勢いで、私が三十個以上、弟が十五個位、水風船のヨーヨーを釣った。これはテキ屋にしてみれば、大損害である。結局、水槽を空っぽにしてしまった、私達兄弟は、テキ屋の親父から、上限六個までということで、折り合いを付けた。それから帰る道すがらで、ヨーヨーで遊んでいたのだが、よく考えたら四十個以上も持って帰れなかった。夏祭りの思い出である。

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じいちゃんが…

 親父の三回忌も無事に終わった晩に、母が、母の弟に当たる叔父さんに、電話で、じいちゃんの様子を聞いていた。じいちゃんは、不潔な施設で肺炎にかかり、喋ることが出来なくなっていた。でも以前、母と瀬戸に帰った時、じいちゃんは何か言いたそうに、僕の目を見つめていた。焦点は合っていなかったが、多分、今後のことを任されたんだと思う。財産のことではなくて、母の面倒を頼むぞ、という目をしていた。責任重大である。

 その後、じいちゃんは、大腸がんだったことが解ったが、齢八十八、米寿にもなったので、がんの進行が遅いらしい。余命一週間から半年と言われ、いつ逝ってもおかしくない。人工肛門を付ける手術をして、飯も食べられなくなり、点滴で栄養を取っていた様だ。あの元気だったじいちゃんが、朽ち果てる姿は見たくない。

 そんな僕に、衝撃的な情報が来た。酸素吸入を始め、ストローで看護士さんがタンを取っているというのだ。これは、私の親父の最後の姿でもあり、長くはないことを予期している様に覚悟せねばなるまいと、直感的に解った。悲しい、哀しい、かなしすぎる。もう、あの光景は二度と見たくない。

 母の弟に当たる、長男の叔父さんも、酒と煙草はやめたらしい。両方とも、うちの親父が教えたのだが…多分、一人息子に真似させたくなかったのだろう。優しい叔父さんだったから、気持ちがよく解る。人生の引き際というものは、潔いものではないとならぬと、改めて気付かされた。

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三回忌の法要

 お坊さんが、笑顔で、「途中でみなさんの読経が止まりましたね」とおっしゃったので、私が、「あそこの所は、普段、私もお袋も唱えていないので、読めませんでした。また、読むのかどうかも迷ったのですが、何故か一斉に、止まりましたね」と、既に、あぐらになり、痺れた足を揉みながら、私が応えた。お坊さんも、お茶を飲みながら笑ってらしたが、そこから、我が家からお寺までの間にある渋滞のひどい交差点が立体化される話など世間話をした。他にも、親父が誕生日と命日が一緒な事などを話したら、「珍しいですね」とお坊さんは語っておられた。お坊さんがお茶を飲み終えて、着替えて帰って行く際に、再びお礼を言って、頭を下げた。

 その後の身内だけの会食まで、少し時間があったので、親戚のおばさんと話したり、弟のガキ共の相手をしたりしていた。頃合いを見計らって、弟の一家と、私とお袋と親戚のおばさんとで、懐石料理を食べに、最寄り駅近くの店に向かった。この店もお盆は忙しいらしく、半年前から予約していた。私は友達どうしの幹事を務めることが多かったので、その経験から、人数全体より、少なめに予約する鉄則をお袋に伝えた。店側の立場になった場合、増える分にはいいけれど、減る分には困るからだ。

 店では、母がペーパードライバーなので、私はノンアルコールビールを飲んだが、弟は奥さんが運転できるので、ビールを頼み、おばさんも飲んでいた。私が中ジョッキで、どれくらい飲めるのかと、おばさんに聞かれたので、十杯は余裕です、と応えたら、おばさんはたまげていた。でも、家では、安売りスーパーの焼酎を食塩無添加のトマトジュースで割って飲みます、と言った。また、弟の長男は、お年玉でカニを買うぐらい好物らしく、知ってたら、僕の分をあげたのにな、と後悔した。次男の方は、野菜好きを知っていたので、全部あげた。

 いろんな話題が行き交う中で、みんな食べ終わり、弟の家族は弟のかみさんの運転で家に向かい、私はお袋を乗せ、親戚のおばさんを最寄り駅まで送り、家路についた。親父の三回忌も、無事終わり、私とお袋は家に帰って後始末をした。その後、猛烈な睡魔に襲われ、気がついたら次の日の朝だった。

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足がちぎれる覚悟で正座

 昨日が父の命日でもあり、三回忌ということもあり、五時起きで、墓参りに行った。お盆だから、混んでいるだろうと思われる海沿いの道を避けて、山道を行った。すると四十分程で着いた。私がバケツに水を汲み、「親父、暑いだろう」と言って、墓石に水をかけた。お袋が雑巾で墓石を磨き、花をやり代えてから、線香を点け、生前父が好きだった、ビールと煙草をお供えして、お袋と般若心経を唱えた。それから帰宅したのだが、汗をかいたので、シャワーを浴びて、服を着替えた。

 帰宅してから暫くして、十時半頃か、あと十分で、弟の家族がやって来るとの知らせが入り、私とお袋は、正午に、親戚のおばさんを駅まで迎えに行かなければならなかったので、弟の家族に留守番をお願いした。父の姉に当たるおばさんなのだが、路駐だったので、私は車で待機、お袋が駅の改札まで迎えに行った。おばさんも早めに着いたらしく、すぐにお袋と合流できたらしい。車に乗ってもらい、「暑い中、いつもありがとうございます」と言って、自宅へ向かった。

 一時からの法要だったのだが、時間があったので、みんなで談笑していた所、十分前に玄関のチャイムが鳴り、お坊さんが来てくださった。お坊さんも、着替えを済まし、一礼して、皆で、「宜しくお願いします」と言ってから、法要が始まった。昨年と同じく、私は、微動だにしない正座を通すつもりだった。普段、仏壇に向かう際も、十五分ぐらいなら、正座している。坊さんの読経が終わり、みんなで読経することになった。普段唱えているお経を、坊さんと一緒に読んだ後で、普段唱えていないお経を、坊さんは唱えだした。いきなりも字が小さくなったのと、読み慣れていないせいで、途中からみんな読めなくなってしまった。三十五分が経過しており、私の足は完全に麻痺していた。読経が全て終了した後、お坊さんが、有り難いお話をしてくださったのだが、私はクーラーの効いた部屋の中で、脂汗をかきながら聞いていた。全てが終わり、「ありがとうございました」とお礼を言うと、母がお坊さんに、お布施とお茶を出した。感じのいいお坊さんなのだが、ふと、「途中でみなさんの読経が止まりましたね」と言われ、私達は顔を見合わせた。  (つづく)

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父の三回忌

 今日で父が他界してから丸二年になる。墓参りと三回忌の法要を行わなければならない。それにしても、盆には死者の魂が帰ってくるというが、誕生日と命日が同じ人というのも、珍しい。父は誰かの生まれ変わりだったのかとも、ぼんやりと考える。さて、今日は忙しい。今から墓参りに行く予定だが、暑くなりそうだな。

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自分からパンチを打て

 これは以前にも書いた内容かも知れないが、重要なことなので、綴ってみる。大学時代に、中・高・大と一緒の友人がいた。私は、彼とよく遊んでいたのだが(今でも年賀状は出している)、ある時大学のキャンバスのベンチで話していたら、友人のクラスメイトがやって来て、友人の隣に座り、「おい、ホストのバイトやんねーか?」と、もちろんギャグなのだが、そいつなりに精一杯のジョークを飛ばす奴がいた。私はその男の持っているムードに惹かれた。友達になりたいな、とも思ったが、その時の私には、パンチを打つ勇気がなかった。

 そいつと友人とは、クラスとの仲間との関係が深く、話しかけづらかった。しかし、そいつ以外のクラスメイトは、みんな学部で文系就職してしまった。そいつは院にいったから、ひとりぼっちになってしまった。大学院の後期の授業で一緒になる機会があったのだが、退屈な授業を面白くするために、私は必死で聞いていた。少しでも疑問点があると、黙って手を挙げて、質問した。すると後ろから、そいつも質問した。結局、先生を質問攻めにして、授業を楽しくしていた。そいつが欠席している時に配られたプリント類なども、二部づつ取って、後日に、そいつに渡していた。工場見学などもあり、その頃にはすっかり、そいつとは仲良くなっていた。我が家に遊びに来てもらった事もある。

 その頃の私には、心を割って話せる友人が何人かいた。私は、そいつと深い話などもしていたのだが、私以外にそういう話が出来る大学時代の友達はいない様子だった。才能がある奴に、そういう友人がいないのはもったいないと思った私は、自分の親友達の席に招待した。初めは一人から、そして仲間全員に紹介した。すると、そいつは精一杯に自分を売り込んできた。そいつなどと書いてしまったが、今やもう、立派な親友である。こないだの夏の会は、海外出張で来られなかったが、今年の新年会では、三田で会議があったものの、一時間半の休憩時間にタクシーをひろって、一時間だけでも参加してくれた。みんなとの会合を、そこまで大切にしてくれているのは有り難いことだし、何より彼が楽しいのだろう。みんなに紹介して良かった。

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小学六年生の夏休み

 六年生の時、私のブロックには、六年生の女の子が他に三人しかおらず、私の住んでいるブロックの代表を選ばなければならなかったのだが、みんな嫌がったので、男の私がやることになった。普段の会合には一切出席しなかったが、夏休みの朝の公園でのラジオ体操にはどうしても出なければならなかった。各ブロックの代表は、みんなの前で見本にならなければならない。出席したという証である、出席の印も押さなければならなかった。だから毎朝6;00には起きていた。

 それから、家に帰り朝食を採ってから、八時ぐらいのバスで、塾に通っていた。私は小学校の四年生の頃から塾通いさせてもらっていたが、中学受験向けの塾だったので、六年生の時の夏期講習は、休み時間があるとはいえ、朝の九時から夜の八時まで、缶詰状態で講義が続いていた。唯一の楽しみは、休み時間にみんなで外で遊ぶことだった。いくら受験のためとはいえ、子供がカンヅメになっているのを不憫に思った先生もいて、国語の時間に、テキストそっちのけで、芥川龍之介の『芋粥』という短編を朗読してくれたりしていた。

 夜の九時頃、家に帰ると、親父が麻雀牌を会社の同僚の方から買ったらしく、私の遅い夕食が終わると、隣の部屋で麻雀の役とルールを教わってから、毎晩、二時間ぐらい家族四人で打っていた。しかも親父は、子供からでも何十円という単位だが、勝った分を請求し、「いつもニコニコ現金払い」と言って徴収された。夏休みといえば、受験生にとっての天王山であるのに、私は麻雀の勉強もしなければならなくなった。本屋で麻雀のセオリーを書いた本を買ってきて、バスの中で読んだりもしていた。結局あの頃の睡眠時間は六時間半ぐらいだったが、多分、親父も、『芋粥』を読んでくれた先生と同じく、私に気分転換が必要だと考えてくれていたのではないかと思う。

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blog本の配送ミス

 当初、昔の古いblogを、コンピューターで閲覧するのが面倒で、blog本を上梓することに決めた。その際、多分、高価だったであろう仏画を送ってくれた友人の分と、上下巻を二部づつ、計四冊を自費出版することにした。出来上がったものも悪くはなく、その友人の所へ送った。その友人は、毎日、私のblogを閲覧してくれているので、主に、親交のある奥さんや娘さんが読んでくれている様子だった。友人伝えに聞いた感想は、私が実際に経験していることの方が、リアリティがあって面白い、とのことだった。また、私に小学校の先生になって欲しいとも言われた。何でだと聞くと、最近はまともな先生が減っているからだ、とのこと。俺は教職の資格取ってねーしなあ、とぼんやりと考えた。

 また、先日、我が家に遊びに来てくれた友人に、blog本があるけれど、読んでみるか?と尋ねたら、是非読みたい、と言ってくれたので、見せた所、私に、買うから増刷してくれ、と頼まれた。友人を送った後に、増刷の手続きをパソコンで行い、どうせならいつものメンバー全員分、計十冊を増刷した。半月ぐらい経ってから、十冊が来たのだが、私は新品のまま送りたかったので、封を切らずに計五人に送ってしまった。すると、みんな、上巻二冊だけとか、下巻二冊だけとかという様になっていることが発覚した。そこで、こないだの夏の会の時に、みんなで交換会をしてもらった。しかし参加できなかったメンバーもいるので、今朝もメール交換して、住所などの情報を提供した。全て私のチョンボである。やっとblog本の上下巻がみんなの所にそろいそうである。ちなみに、増刷を依頼してくれた友人は、普段から飲みの席で、僕の分まで多めに払ってくれていたので、お金はもらわないことにした。

 さて、blog本がもう二、三冊必要になったので、昨日、出版依頼をしようとしたら、お盆休みで手続きが出来なかった。がっくりしたのだが、それだけお世話になっている方が多いということでもある。何はともあれ、いろんな人に、お世話になっているんだなあと気付かされる。有り難いことこの上なし。

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味噌と味噌汁

 最近の私は、夏バテ防止のために、味噌汁の中に、小さじ一杯のおろしニンニクを入れている。これが案外いけるのだが、ガーリックのフレバーが強烈なので、出かける用事がある時には、味噌汁を飲まない。具は、脂肪を燃焼する効果があると言われる、マイタケと他の物をミックスする。

 さて、何でどうでもいい、味噌汁の話を書いたかというと、こないだ草加の『Katsu』に夏の会で行った際に、店長の弟のケンちゃんが、「blogもいいですけれど、そろそろ次のステップに行かれては…」と言われたことに依る。それからずいぶんと考えさせられたが、私のblogというのは味噌汁の味噌みたいな物なのである。だしを取って、味噌をお湯の中に入れ、具を煮立てて出来るのが味噌汁であり、これは小説みたいな物である。味噌がなければ味噌汁は作れないのである。私は遊びでblogを書いているわけではない。十日に一回ぐらいはサボるが、必死な思いで、書いていることには間違いはない。

 私のblogはジャンルを選ばない。これが毎日続けるコツなのだが、言い換えると、いろんな味噌を造っているとも言える。私が味噌汁に例えた小説には、様々な味噌をブレンドして、いい味が出ないかと模索しながら、アイデアをひねっている。味噌造りでもアイデアをひねるのだから、結構きつい。しかし、美味しい味噌が出来た時の喜びは何物にも代え難い。そのために色々と調べたりもするのだが、アイデアが連続した時の嬉しさは、いい響きとなって僕を興奮させる。味噌造りをしながら、味噌汁を美味しく作る訓練をしているのだ。

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日本熱帯化説

 昨日は雨が降り、若干の涼が取れたが、今年の夏ほど暑い夏もない。友人に言わせると、気圧配置などを観る限り、日本は熱帯化したとの事である。私も天気予報などで気圧配置を観ると、太平洋高気圧が北海道まで包んでしまい、異常だと感じる。ゲリラ豪雨なども、熱帯でよく起きる、スコールみたいなものだとも考えられる。

 熱帯化すると、春と秋がほとんど無くなる。日本独特の梅雨のような季節も、無くなるかも知れない。とにかく気候変動が極端になり、異常に暑い夏と異常に寒い冬が突然やって来るという感じだ。その合間の期間は、暑くなったり寒くなったりを繰り返すのだろう。お年寄りなどには体にこたえるだろうな、と危惧する。まだ若い私でさえ、今年の春先は風邪を引きっぱなしだった。つくづく体調管理には気をつけないといけないと思った。

 この様な気候になたのは、当然、地球の温暖化が原因だろう。車の排気ガスが原因だとばかり言われているが、飛行機や船だってそうだろうし、火災や違法伐採による森林の減少も大きな問題だ。また、地球温暖化といえば、私は宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』を思い出す。当時の東北地方は『やませ』という、冷たい北風による冷害によって、稲作農家はことごとく苦しめられていた。宮沢賢治は童話の中で、ブドリの命と引き替えに、火山を爆発させ、それで発生するCO2で、地球全体の気温が2~3℃上がり、東北地方の農村が救われるという童話を書いた。つまり、宮沢賢治はCO2によって温暖化が生じることを知っていたのである!! 私はこれを読んだ時に複雑な思いがした。稲作農家が救われたのは、稲の品種改良によってだし、現在の温暖化の中で、小麦などが干ばつに襲われているからだ。現在の、世界各地の異常気象を、賢治が生きていたら、どういう解決策を考えるだろうかとも、ふと思った。

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夏の会にてat 『Katsu』 その3

 夏の会で、ある友人が、モンスターペアレンツについてどう思う?という質問を私にぶつけてきた。私は、親を教育することもできねえしな、と応えつつ、例えば、ベンツ乗っている奴が給食費を払わないなどと言うのは論外だ、とは話した。そして、その親たちには、廉恥心が大いに欠けているとも言った。だから、給食費を納めない生徒は、よっぽどの事情がない限り、食わせなくて、見せしめにした方がいいんじゃないか、とも言った。しかし、友人曰く、モンスターペアレンツはそんなことでは収まらないし、逆に文句を言ってくると聞いて驚いた。

 結局、モンスターペアレンツは、過保護で我が儘だという結論に落ち着いたのだが、解決策は出ては来なかった。現状では、学校の先生が一番ダメージを食らっているし、そういう親の元で育った子は、いじめなどにあった際も、自分で解決する能力が無いだろう。

 他にも、いろんな話をしたのだが、時間切れになってしまった。『Katsu』の店長は、本当によくしてくれたし、お土産に冷凍している、グリーンカレーなるものを頂いたが、私は辛い物は駄目なので、昨日の昼にお袋が食べたら、細かいレシピなどは解らないけれど、夏に合う、と言っていた。そして辛みをキクラゲか何かが、まろやかにしてくれているとも言っていた。

 『Katsu』は店員の接客態度も見事であったし、何より友人を中心として、チームワークが凄いなという印象を受けた。我々はVIP待遇を受けたが、恐縮してしまうぐらいもてなしてくれた。店員に、あれだけ教え込んだ事も凄いが。店員みんなが、明るくて素直な子だった。

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夏の会にてat『Katsu』 その2

  夏の会で、ストレス解消法という話にもなった。ある友人は、まず、本を読み、それでも駄目だったら、旅に出るといっていた。私も煮詰まったら、車に布団を積んで、現実逃避の旅に出る、と言ったら、彼が今読んでいる本を見せてくれた。何でも、大正時代の日本人のバックパッカーで、その筋の人にはバイブルとされているそうだ。私が、バックパッカーといえば、沢木耕太郎の『深夜特急』が有名だけれど、多分、その本を参考にしているんだろうね、と言ったら、間違いない、と言っていた。他のみんなは、解消法がすぐには出てこなかった。

 また、私が、今の日本には文化がない、という話をすると、GHQに骨抜きにされたという様な話も出てきた。そこで、私は、ある坊さんが、仏壇、神棚がある家に育った子とそうでない子とは、数世代で大きな差が出るという事を、言っていた、と話し、多分、それは、感謝の念や畏敬の念、あるいは謙遜だということだと思う、と述べ、今の多くのマンション暮らしの中ではなかなかそれが出来ないんだよな、と話すとみんな納得していたが、ある友人は千代田区のマンションに住んでいるのだが、仏壇や神棚を置いているぞと言うので、驚いた。

 そこから、新興宗教の話になって、オウムの話題になった。みんなマインドコントロールされていたのだが、実際にサリンを作っちまうっていうのは凄いな、みたいな話をしていたが、私が、サリンを作ったメンツっていうのは、まだまともだったんじゃないのか、と言ったら、みんな大爆笑し、まともじゃねえから作ったんだろう、という反論が来たので、オウムの組織の中では、まだまともだったんじゃねえか?と修正した。そして、例えば、いじめられた経験がある者なら、耐えて、人の気持ちが解る様になり、乗り越えれば、人に優しくできるのだが、一生かけてでも復讐する、という様な間違った方向に行った連中だから、新興宗教にハマッたのだろうし、サリンを平気な顔で作り、撒いたんじゃねえのか、と私が言ったら、みんな黙っていた。すると友人達は、実行犯全てが捕まった訳じゃなく、指名手配にもならずに、逃げ切った奴もいるんじゃないか?という意見が出たので、本当かよと、驚いた。まあオウムの話はここまでなのだが。 (つづく)

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夏の会にてat 『Katsu』  その1

 昨日は草加で、大学時代の友人がやっているダイニングバー『Katsu』http://r.gnavi.co.jp/b250200/で、これでもかというぐらいのごちそうと、ボリューム溢れる料理を頂いた。私は夏バテのせいもあり、胃を小さくしていることもあって、結構きつかった。私以外は皆食通なので、話についてゆけずに、黙って聞いていた。美味いことは解るのだが、味をどう表現したらいいのかとか、どういう風に改善したらいいのとかとアドバイスが出来なかったのが残念というより、申し訳なかった。二年四ヶ月ぶりに会った友人が、私の隣に座ったのだが、私の2.5倍は食べていた。ただただ驚くばかりだった。

 『Katsu』の店長もいろんなことを考えていて、その策略を聞いているだけでも、面白かった。新作の試作品を頂いて、いろんなアイデアが出たのだが、みんながいろんな批評をする中、私だけ、やはりついて行けなかった。計画の詳細は企業秘密なのはご理解頂きたい。

 二時間ぐらいでフルコースが出て、みんなが美味い美味いと言っていた頃、店長は眠りについた。きっと、相当、昨日のために試行錯誤してくれたのだろう。そして、テーブルの通路側には、仕事上がりの、店長の弟の通称ケンちゃんが、椅子を持ってきて、みんなといろんな話をしていた。付き合ってくれたのである。ケンちゃんは、時々、私のblogを閲覧してくれるのだが、三年も続けたなら、次のステップにいってもいいんじゃないでしょうか、とアドバイスをくれた。別の友人も、それは真剣に考えた方がいい、と言っていたので、この成り行き任せのblogからどこに行けばいいんだろうと、ぼんやりと考えさせられた。 (つづく)

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ジャイアン対策 その2

 ジャイアンは、いつもいじめる奴がいないと、不満だったらしい。私も一回り体格のでかいジャイアンに迷惑されていた。そんなジャイアンの論文発表の際、他の三人の先輩には、ダマリを決め込んでいたのだが、ジャイアンの時は攻めるつもりだった。

 ジャイアンの発表が終わったと同時に、質問をぶつけた。私はある程度、研究室でどんな研究がなされているのかを、論文を読んで知っていたからでもあるが、まず。ジャイアンが提出したグラフの信憑性について尋ねた。余りにも過去の研究と異なっていたからだ。すると、ジャイアンは誰にも解らない理屈を付け、正しい方向です、と言った。私は納得が行かず、どこの部分で説明が付くのですか?と質問した。ジャイアンはまた訳の分からないことを言った。私は、そんなのが研究なんですか?と言って、ボロクソに言った。結果、『嘘を書くんじゃねーよ』という思いの中、激論を交わしたことがある。専門知識についても、聞かれたが、私の範疇だった。そうやって、『お前の研究はおかしい』ということを研究室のみんなが納得した。

 そうやってジャイアンを一時間ぐらい、プレゼンの立場に置かしておいたのも作戦である。彼は肉体的暴力でしか、何も出来なかったが、知的な質問攻めには付いては来れなかった。自分自身では、「口げんかでは誰にも負けない」と言っていた男が。

 後日談で、その話を母に話すと、「一時間も文句を言ったのか、それは50発位ぶん殴ったのと同じことだよ。相当恥じかかされたのだから」と言っていた。と同時に、「その子は絶対に幸せにはなれない」とも母は言った。「因果応報か?」と聞いたら、「そうだ」と母は言った。

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ジャイアン対策 その1

 私が大学の研究室にいた頃、お世話になった先輩方も多いのだが、私に敵意を持っている先輩もいた。私はそいつをジャイアンと呼んでたのだが、本当に無茶苦茶な奴だった。恥もかかされたし、その時、後輩は、「俺だったら刺してますよ」と言うぐらいひどかった。私は黙って、「時が来るまで我慢だ」と言った。

 私が修士一年の時に、T.A.をやったが、ジャイアンは学校の最寄り駅にも関わらず、T.A.駐車場の名義貸しをしてくれ、と言ってきた。私は、わかりました、と言った。すると、秋口、担当助教授から、朝に電話が鳴った。趣旨を聞くと、T.A.駐車場料金が支払われてない、というクレームが来たが、これはどういうことなんだ、と怒鳴りつけられた。深夜までのバイトで疲れ切った私は、大方理解した。ジャイアンが名義だけ借りて金を払っていねーんだと。その時の担当教官とも、論文の打ち合わせで、もめることが多く、仲が悪かった。しかし私は、「僕に犯人の名前を言わせるのですか?(そんなことをしたら、もっと面倒なことになる)」と言ったのだが、担当教官は「言え」の一点張り。私は、こいつは、教育者じゃねえなと思いながら、「それだったら、ジャイアンの家に電話してみてください」とだけ言って切って寝た。これでジャイアンはチクリやがったなどと言っていたが、常識を備えていないのは、明らかにジャイアンである。

 私は黙々と、復讐の機会を狙っていた。ジャイアンが修士二年の中間発表の練習に研究室全体で付き合った時、他の修士二年の先輩には何も言わなかった。しかし、ジャイアンの番になると私は手を挙げた。 (つづく)

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母の悟り

 父が他界する二週間ぐらい前から、母は夏風邪を引き、熱のある中、それでも毎日病院に通っていた。父は胸水がたまり、それを抜く為に入院していた。この頃に、余命半年と言われたそうだが、退院したら直接、私に父が話すからと、母は口止めされていた。そして、退院したら、あと三回は旅行に行こうと言っていたそうである。一度は私も含めて、親子三人で、後の二度は、夫婦水入らずで行くつもりだったらしい。私は余命半年など知らなかったこともあり、体力のなくなった父が、個室に温泉が付いている旅館がいい、と言っていたので、ネットで調べた、近場の温泉街のうちで、適当なものを印刷し、父の病室に持って行ったら、父は喜んでそれを眺めていた。

 病状が急変したのは、父の他界する三日前ぐらいである。胸水がいつまで経っても抜けず、処置室という部屋に入れられた。母は泊まり込みで、病室で父といろんな話をしたらしい。父は、「納得がいかん」などと言っていたそうだが、母はこの言葉も自分で背負い込んでしまった。私は、「余命半年のところが二週間ということで言っていたんだと思うよ」と父の死後まで何度も話した。私は家に弥七君がいたこともあって、三時間睡眠ぐらいで、病院に通った。明け方に着くと、父は、じっと天井を見つめていた。母によると、何か言いたげな目をしていたこともあったらしいのだが、解ってあげられなかった、とも悔いていた。

 昨日、母と話したら、何となく意味が分かった気がする、と話した。「どういうことなの?」と私が聞くと、「父さんは全部解って死んでいった、ということが、二年経った今、やっと解った」と母が穏やかに語った。そして、「それでも、悔しかったんだろうけどね」と呟いた。

 母の長年の悩みが消えたんだなと思った私は、母の悩みが晴れたことを嬉しく思ったし、父の無念に応えるべく、頑張ろうと、思い直した。まもなく父の三回忌である。

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短編集をさらす

 ・大学四年の特別講義の時に、日産のOBが来た。そのとき、質問した生徒がいて、「何で日本の道路は100Km/hが制限速度なのに、180Km/hまで出る車を作っているんですか?」と聞いたら、OBの人は何にも応えられなかった。講義では、みんな笑っていた。

 ・マイケルジャクソンの、『BLACK OR WHITE』のギターのフレーズが、ちょっと前に発売された、ストーンズのシングルの曲のメロディラインとのフレーズと、ほぼ変わらないんじゃないかと、友人に言ったら、「GUN'S & ROSES のギタリストのスラッシュが気に入ったからじゃないかなあ」と言っていた。そこで私は、「ストーンズといえど、マイケルにパクってもらった方が売れるのかなあ」と言ったら、友人は、「ストーンズといえど、マイケルには文句言えないんだろうな」と語って、改めてマイケルのすごさを知った。

 ・最近、やたらとグリーとかモバゲーが、TVのコマーシャルに出ているけれど、最初は全部、無料ですと言っていたのに、最近は、有料なのか無料なのかが分からなくなってきた。

 ・友人と話していた時、私が、「現代哲学は、金で地球が回っている様なものだ」と言ったら、友人は頷き、「それと、後は、明るさをもたらせるものだ」と語った。「こんな世界なんていらねーな」と私が言うと、「まだまだ捨てたもんでもねーぞ」と友人は語った。

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あっ!!

 私が昨年受けた資格試験とは、宅建の試験だった。教科書を一通り暗記したのだが、途中で怠け、過去問は一切解いていかなかった。結果、ひっかけ問題だらけで見事に落ちた。今年は過去問をコツコツ何回も繰り返して、試験に臨もうと考えていた。しかし、やる気は全く無かった。本気でやれば、三ヶ月位の勉強で何とかなったと思ったが(友人のおやじさんは、二週間の勉強で取った)、どうにもこうにもやる気が出ないというより、つまらない試験だとばかり考えていた。私の弟もそうなのだが、暗記科目はてんで駄目な家系でもある。

 今年の本試験は、例年通り、十月の半ばに実施される。しかし、願書の受付は七月いっぱいである。私は、全く勉強してこなかったし、受験料の七千円がもったいなかったので、あえて試験を受けることをやめた。私が不動産屋になっても、全然やる気が出ないだろうな、とも感じていた。友人などは、「お前が不動産屋になっても、悪徳な商売をして、警察にパクられるのがオチだから、やめておけ」などとも、もちろん冗談なのだが、言われたりもした。私もやる気が湧かなかったので、その友人にスリーパーホールドをきめたが、じゃれあっている様なものだった。

 私は食えないとはいえ、物書きなのだ。blog一つ書く事でさえ、毎日苦しみながら書いている。ましてや小説などを書く時の苦悩など、桁外れだ。文章を書いていて、一度も楽しいなどと思ったことはない。あるのは苦しみだけだ。その代わり、blogなどでいいものが仕上がったら、達成感を感じる。嬉しくて何度も読み直す。しかし、今日の作品は、てんで駄目である。

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幹事の仕事

 草加の『Katsu』で、大学時代の友人達と夏の会を行う日まで、もう一週間を切った。私は幹事として、みんなに確認のメールを打とうかと考えている。『Katsu』の店長は、特上の料理に、特上のお酒を出してくれる。友人達には食通が多いから、どんな料理で勝負してくるのか、楽しみでもある。

 いつ頃からか、私が幹事の新年会と夏の会の時には、私の名字で『○○会』と名付けられる様になった。みんな東京に住んでいるし、仕事の都合もあって、普段から、よく飲んでいるから、私が幹事の時には、こういう風にネーミングされたのであろう。

 しかし、それにしても、『Katsu』の店長はよく働く。感心するぐらいだ。忙しい時には休みなぞ無い。三年前の新年会は、赤坂見附でやったのだが、約束事の会になってしまった。私は、毎日blogを書き続けること、が約束になったし(今でも守っている)、他の友人は、子供をつくること、が約束になったし、『Katsu』の店長は、前年比で売り上げ25%UPということになった。『Katsu』の店長も負けず嫌いなので、頑張ったが、23%UPまでしか伸びなかったらしい。すると、草加のイトーヨーカドーの食彩館の、3Fにある他の店は全部潰れたそうである。しかし、ご存じの様に、リーマンショックを受け、外食産業が滅茶苦茶に不景気になった時、さすがの『Katsu』でも、売り上げが、前年比20%DOWNなどということになってしまったらしい。みんな、あれは仕方がない、と店長を責める奴は一人もいなかった。

 何はともあれ、私は、みんなと会える喜びに満ちあふれている。遠いけれど、楽しみだ。

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