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辞世の句が完成

 昔、とある友人と、哲学談義みたいなことで、メール交換していた。彼とはいろんなことを話してきたけれど、教えられることの方が、多かった。そんな彼が、とあるメールの最後に、『孤独に歩め 悪をなさず 求める所は少なく 林の中の象のように』という言葉を贈ってくれた。仏陀の言葉のうちの一つで、意味は、良き伴侶が得られるなら、共に歩めばよい。しかしそうでない場合には、愚かな者を道ずれにするな、というニュアンスだそうだ。しかし、私には、どう考えてもそういう意味に受け取れなかった。我流で解釈しているのだが、この言葉、気に入ったので、紙にボールペンで書いて、パソコンの前の壁に貼っている。有り難い言葉だと認識している。

 一方、私は、一人きりで悩む時は、海を観に行くことにしていた。思春期の頃から三十歳ぐらいまでそうしていた。特に二十代後半にはよく行った。いろんな問題が山積みになっていたからだ。水平線をじっと見ているうちに、解決される問題もあれば、そうでないものもあった。そんなある日のこと、浜辺を歩いているうちに、ひらめきに近い感覚で、『道なす枝の 末の枯れ松』というフレーズが出てきた。私は語呂がいいので、これを辞世の句の下の句にしようと考えた。しかし、なかなか上の句が浮かんでこなかった。私には、現在、自殺願望など無いのだが、辞世だけは考えておかねばならぬとは考えていた。

 昨日、久々に思い出の海岸を歩いていたら、簡単なことを難しく考えていた自分がいたのではないのかと感じた。すると、スーっと上の句が浮かんできた。『潮風の せせら渡りき 浜辺にて 道なす枝の 末の枯れ松』と、悲しい句なのだが、辞世が完成した。嬉しくもあり、複雑な思いもあるが、自分の人生へのけじめではある。覚悟でもある。

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