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2010年7月

オッペンハイマーとヒンズーの聖典

 前に書いたのだが、データに残っていなかった作品のプリントされたものが出てきたので、今日はそれを写すことにする。

 2008/8/2付。

 目が覚めた瞬間に、オッペンハイマーが、演説だったか何かでヒンズー教の聖典を引用して涙ぐんでいた映像が脳裏をよぎる。これで完全に目の覚めてしまった私は、その聖典について、ネットで色々と調べていた。肝心の王子とヴィシュヌ神とのやりとりを、詳しくの書いているものは見つからなかった。ただ、オッペンハイマーの涙ぐんでいる理由は何となく推測できる。聖典(バガバット・ギーター)に書かれているのは、物語調で、戦争に向かうのにためらいを感じている王子に、戦争指南役のクリシュナが、「正義のための戦争なのだから迷うな」と言い、ヴィシュヌ神が「我は死に神である。世界の破壊者なり」と言って現れる。

 ここで、『原爆の父』と呼ばれた、オッペンハイマーの立場を考えると、見事に当てはまる。ユダヤ人迫害を推進したナチスとの原爆開発競争の中で、オッペンハイマーはアメリカが早期開発することが正義だとは思ってはいなかったか?彼はユダヤ人でもある。また、物理学者としての抑えきれない衝動もあったであろう…しかし、いざ開発が終わり、原爆実験を試みた時に、あまりの凄まじさに、上のヴィシュヌ神の言葉、「我は死なり、世界の破壊者なり」という原爆の声を聞いたのではないか。彼の聡明な頭が、その後、世界中に原子爆弾が拡散して、核戦争が起こり…ということを予見できなかったはずはない。従って、戦後は、水爆開発に関わらず、核兵器の撲滅運動に加わったのではなかろうか。

 以前、カンボジアを旅した際に、アンコールワットに行った。ヒンズー教の寺院だと聞いた。その一階の回廊には、人類の歩むレリーフが、石掘りされていた。一周して観て回った私は、最後に、多くの人が武器を持ち、火に包まれている様子を観て、仏教の地獄絵図を思い出すと同時に、耐え難い気持ちになった。

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辞世の句が完成

 昔、とある友人と、哲学談義みたいなことで、メール交換していた。彼とはいろんなことを話してきたけれど、教えられることの方が、多かった。そんな彼が、とあるメールの最後に、『孤独に歩め 悪をなさず 求める所は少なく 林の中の象のように』という言葉を贈ってくれた。仏陀の言葉のうちの一つで、意味は、良き伴侶が得られるなら、共に歩めばよい。しかしそうでない場合には、愚かな者を道ずれにするな、というニュアンスだそうだ。しかし、私には、どう考えてもそういう意味に受け取れなかった。我流で解釈しているのだが、この言葉、気に入ったので、紙にボールペンで書いて、パソコンの前の壁に貼っている。有り難い言葉だと認識している。

 一方、私は、一人きりで悩む時は、海を観に行くことにしていた。思春期の頃から三十歳ぐらいまでそうしていた。特に二十代後半にはよく行った。いろんな問題が山積みになっていたからだ。水平線をじっと見ているうちに、解決される問題もあれば、そうでないものもあった。そんなある日のこと、浜辺を歩いているうちに、ひらめきに近い感覚で、『道なす枝の 末の枯れ松』というフレーズが出てきた。私は語呂がいいので、これを辞世の句の下の句にしようと考えた。しかし、なかなか上の句が浮かんでこなかった。私には、現在、自殺願望など無いのだが、辞世だけは考えておかねばならぬとは考えていた。

 昨日、久々に思い出の海岸を歩いていたら、簡単なことを難しく考えていた自分がいたのではないのかと感じた。すると、スーっと上の句が浮かんできた。『潮風の せせら渡りき 浜辺にて 道なす枝の 末の枯れ松』と、悲しい句なのだが、辞世が完成した。嬉しくもあり、複雑な思いもあるが、自分の人生へのけじめではある。覚悟でもある。

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同じネタを書いてしまった

 一年弱前のネタと同じネタを、近頃書いてしまった。謹慎することにする。

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映画『借りぐらしのアリエッティ』を観て

 最寄り駅近くの、田舎の映画館で、映画『借りぐらしのアリエッティ』をやっていることは、ネットで調べて知ってはいたが、観に行くことには、余り乗り気ではなかった。夏休みに入り、どうせガキばかりだろうと思っていたからだ。すると、お袋が、どうしても観たいと言うので、仕方なく付いていくことにした。

 朝一番に行くと、開場前なのに、既に行列が出来ていた。私は外の喫煙所で煙草を二本吸ってから列に戻ったのだが、まもなく入場となった。やっぱりガキ密度が濃い。

 鑑賞し終わった後で、映画の感想を考えていたのだが、面白い映画だったけれど、何が言いたいのかよく解らなかった。第一感は、同じ人間でも、心が澄んでいる人もいれば、そうでない人もいるということだった。あと、ガキと大人で笑うツボが違うんだなとも感じた。それから、宮崎氏は、なんで女性ばかり主人公にするんだろう、とも思った。今回の作品の準主人公の男の少年は、優しさのオーラが出ていた。バランスがいい映画だとは思った。

 昔、親父が他界する数日前に、友人の家に招待されたのだが、娘さん二人がジブリの映画を全部持っていて、少しだけ一緒に観たことがある。たしか、あの時は娘さん達へのプレゼントに、トトロのお皿かコップかを持って行ったが、タイムリーであった。

 今年の五月ぐらいに、その友人とサシで飲んだのだが、娘さん達は、全ての作品の、すべての台詞を覚えているというので驚いた。そして、ハリウッド映画なんかは、下らない映画が多く、一度観たら飽きてしまうが、日本映画の繊細さは、何度観ても飽きない。特にジブリ作品はその傾向が強く、それって、凄いことなんだな、という結論に至った。

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海で流され…

 私の父方の家系は、耳鼻系が弱い家系である。だから、故親父はスポーツ万能だったが、水泳だけは、大学生になるまでカナヅチだったそうだ。そんな親父が、大学の夏休みに熊野のユース(今あるかは分からないが)で住み込みでバイトをしていた。ペアレンツの方も、やることさえやっていれば、自由にさせてもらえたそうである。そんな親父が、遊泳禁止の所で泳いだらしい。すると、流れが速く、引き潮のパワーが半端でなかったそうである。死ぬかもしれんな、と思いながら、10Kmほど流されて、何とか助かったそうである。もし、そこで命を落としていたら、余りにも間抜けな死に方である。

 小学生の時、私はスイミングスクールに通い、基本を身につけた。辞める時に身についていなかったのは、バタフライと平泳ぎだけだった。バタフライはともかく、平泳ぎはマスターしたかったので、中一の夏休みに父と毎日、近所の屋内プールで平泳ぎの上手い人の姿を参考にしながら、独学で身につけた。中一で、平泳ぎでなら余裕で2Kmは泳げる様になった。

 前にも書いたが、高二の夏休みに九十九里に、二泊三日で、友人数名で海に行った。夜はお酒を飲んでいたが、着いた日の翌日に海に五年ぶりに入った私は、もう一人の友人と沖まで行ってしまい、流された。友人に、「慌てずに、海水だけは飲まないようにしよう。そして、砂浜に向かう波が来た時にだけ必死に泳ごう」と言って、二人ともそれを実行した。数百メートル流された時に、二人とも岸の砂の感触を足が感じた。助かったと思ったが、ライフセイバーの方が来てくれていて笑顔で、「お前ら怖かっただろう」と言われた。「はい」と応え、外海の恐怖を二人して感じた次第である。

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幹事の苦悩

 七月の終わりか、八月の初めに、大学時代の親友何名かで、草加の『Katsu』で飲み会を開く予定であったので、七月の頭に、みんなに予定を聞かせてくれ、というメールを打診した。みんな、すぐに返信してくれたのだが、その時期ずっとヨーロッパ出張の友達は、また会えなくなってしまった。計八名いるうちの、二人は完璧に不参加となった。すると、六名か、という話になるのだが、そんなに世の中は甘くはない。四人は確定したが、それ以外の二人の日程がバラけてしまい、どちらかの都合のいい日をを選択しなければならなくなった。

 これは幹事泣かせである。僕は友達を選ぶ事はしないが、どちらかを選ばねばならない。悩んだ挙げ句に、返信メールが早かった方を優先しようと考えた。それ以外に判断する材料がない。差別などもしていない。差別などしていたら、友人を失うだけだ。遅く返信された、友人のメールも、タッチの差だったのだ。彼宛に、『その日何とかならねーか』メールも後で送ったのだが、海外出張が入っているとのこと。仕方がないので、彼とは別の機会に飲む場を作ることにした。

 『Katsu』の店長は、本当にうまいものを食べさせてくれるのだが、遠い。まあ、本でも読んで行くのだが、親父が他界した時に、忙しい中、わざわざ家まで来てくれて線香をあげてくれた。これからは冬に『Katsu』でやって、夏には都心でやろうかとも考えている。忙しすぎる友人が多すぎるからだ。

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blog病

 父の他界による名義変更で、何話かは消えてしまったが、残っているものの合計は、今日で1237話目となる。こうなってくると、書くことが無くなってくるのは必然である。誰かと話していたりとか、映画を観ている時でも、常にネタ探しをしている自分がいることに気がつく。そして、キーワードはメモしている。そのうち使えるのは、一割程度である。自分でも辛いなあと思うのだが、そういう時は、亡き親父が語っていた、「気楽にやりなさい」という言葉を思い出すことにしている。しかしそんなに生やさしいものでもない。完全にblog病である。

 私は、煮詰まったら旅に出るのだが、旅先でも起きてすぐに、携帯電話をいじってblogを書いている自分がいる。台湾に行った時などは、わざわざblogの打てる携帯電話を借りてまで、打っていた。台北のホテルの脇で、甚平さんを羽織り、煙草を吸いながら、携帯電話をいじっているいる時は、『俺、何しに来たんだろう』と、自己嫌悪に陥った。まあ、観光も楽しんだのだが。

 昼寝などをしていて、パッと目覚めると、まずblogを更新したのかが気になる。パソコンを立ち上げて、確認して、安心する。こんな生活が、いつまで続くんだと考えると嫌になる。それでも、止めてしまうと、自分の居場所が無くなる気がする。完璧にblog病である。

 何はともあれ、今は、暇が出来たら旅に出たいと考えている。

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雨ニモマケズ

 私と弟が子供の頃、雨ニモマケズ、風ニモマケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ、丈夫な体を持った、新聞集金のおばさんがいた。月に一度の集金なのだが、私が物心つく前から来るたんびに、私と弟を可愛がってくれていたそうだ。もう、おばさんの面影は忘れてしまったが、おばあさんになってもその仕事を続けていた。

 数年前のこと、家で私一人が留守番をしていた時に、玄関のチャイムが鳴ったので、出てみると、新聞の集金だった。いつものおばあさんではなく、若いおばさんが来たので、私は思わず、「いつも集金に来ていたおばあさんは、どうしたんですか?」と聞いたら、おばさんが、「こないだ亡くなりました」と話してくれた。ショックを隠しきれなかった私は、「ちょっと待ってください」と言って、財布から千円札を取り出し、「これ、線香代にしてください」と言って渡した。おばさんは、「分かりました。ありがとうございます」と言って去っていった。

 数日後、再び玄関のチャイムが鳴った。母が出て行くと、その時の新聞集金のおばさんが葡萄(巨峰)を持ってきてくれて、「あのときの千円が非常に有り難かった。母の仕事を認めてくれている方がいるなんて思いませんでした」と言って、泣きながらいろんな話をしてくれたと、後で母から聞いた。私が線香代を渡したおばさんは、亡くなったおばあさんの娘さんだったのだ。考えてみれば、新聞の集金など、嫌な顔をされながらお金を集めるのが仕事である。辛い思いもしたのだろうなと想像した。亡くなったおばあさんに、合掌。

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業務用おろしニンニク

 数日前に、美味しくカップラーメンを食べている夢を見て目覚めた。なので、禁断の食品とはいえ、朝一番に、近所のコンビニでカップラーメンをいくつか購入し、食べてみたのだが、夢の中ほど美味しくはないという体験をした。日清のカップヌードルなどは、以前より味が薄くなっている気がした。塩分を減らしたのだろうか。

 また、私はラーメン屋では、辛いのが苦手なので、豆板醤は入れないが、おろしニンニクはスブーンで五杯入れる。その代わり、スープも全部飲む。しかしこれをやってしまうと、翌日、私の部屋はニンニクのフレバーで一杯になってしまう。腹をこわすことも多い。

 何故こんな話を書くかと言えば、昨日、床屋に行った後に、母と車で買い出しに行き、業務用のおろしニンニクで、ラーメン屋に置いてあるサイズの物を購入したのだ。なぜなら、我が家では、お袋が作るチャーシュー麺を食べることが多いからである。それに入れようと提案したのだ。昨夕、お袋が、「チャーシュー麺を作ろうか?」と、私に聞いてきたのだが、猛暑の中、大量の荷物を運んだのと、ここ数日、私はあまり食べていなかったので、チャーシュー麺を食べるパワーがなかった。しかし、おろしニンニクは夏バテ対策にもなるしなあ、と考えた私は、カップラーメンにおろしニンニクを小さじ一杯だけ入れてみた。スープを飲んでみたら、確かにニンニクの味がする…そして今日、スタミナが回復した感触を受けている。この猛暑を乗り切るためにも、おろしニンニクを購入して正解だった。今日は、どうやっておろしニンニクを使おうか…お袋と相談してみよう。

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お中元

 数日前、故親父の姉に当たるおばさんが、仙台にでも旅行に行ったのか、笹かまぼこの詰め合わせを、お中元に送ってくださった。私も母も、美味いなあと言いながら、一日で平らげてしまった。笹かまぼこと言っても、チーズが入っていたりして、全然あきなかった。

 お袋とお返しをしなきゃな、と話していたところ、お袋が行きつけの整形外科で、痛めている腰に、ブロック注射なるものを打ってもらうべく、街に出かけた。そのついでにデパートで、鮎の昆布巻きやゴボウの牛肉巻きなどの詰め合わせを送ったそうだ。とってもお世話になっているおばさんなのだ。

 おばさんは多忙な方なので、送った旨を伝えるべく、夕方か、日の入り頃に、母が電話をしていた。すると、おばさんの娘さん…つまり、私の従姉に当たる人が海外から帰って来ていたらしい。私の従姉はバグダッド大学を出たイラク人と、オランダのアムステルダムに住んでいる。レストランの経営権を持っていて、生活には不自由しないそうだ。そのイラク人の旦那との間に、二児の娘さんがいる。母は電話で従姉と話したそうだ。元気そうだったとのことである。

 おばさんは従兄と二世帯住宅に暮らしているのだが、前回、オランダから従姉が帰宅した際に、本当にバグダッド大学を出ているのか、従兄が専門的な質問をしたらしい。すると、堂々と質問に答えたそうである。おばさんは、いたずら心で、お酒を飲ませたらしい。その盃も、躊躇することなく飲んだとか。

 イラク人でも、頭が良く、柔軟な方なそうだ。

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帯広のユースにて

 北海道には『セイコマート』というオレンジの看板のコンビニがある。お酒も含めて、水関係が安いのだ。帯広のユースに行く前に、近場でビールを買っていった。夕方頃、迷いながらユースにたどり着いた。車を降りて、荷物を運び出すと、ユースのオーナーの方に挨拶して、手続きを済ませた。時間があったので、洗濯し、ビールを飲みながら、本棚の本を読んでいた。ビリヤード台もあったが、一人では何も出来ないので、暢気にしていた。煙草が吸いたくなったら、外の灰皿コーナーで、犬を眺めながら、ぼんやりしていた。

 まもなく、若いライダーがやってきた。もう一人ライダーがやってきたのだが、彼は道に迷って、遅く着いた。他には、連泊するという、日本一周している京都の家族五名がやって来た。ライダー達二人はプログラマーで、マニュアックな話についていけなかったので、私はおっちゃんたちと、ナインボールをしていた。確かその後で、ユースのサービスとして、珍しい温泉に連れて行ってもらった。また、ユースで売っているビールが、コンビニより安いことを指摘したら、「値上げしなきゃ行けないのかなあ」と暢気に語ってらっしゃるユースのオーナーに、親近感を覚えた。

 私は早起きだったのだが、夏なので、甚平さんを羽織りながら、外でのんびり煙草を吸っていた。若い二人は早々と出て行ったが、連泊するおじいさんが、やって来たので、今晩は屈斜路湖のユースに泊まる予定の旨を告げ、阿寒湖のユースは星が一つなので避けるということを言ったら、じいさんは、「阿寒のユースでいいのは温泉だけ。阿寒はアカンですなあ」とおっしゃったので、笑ってしまった。代わりに私も泊まってきたユースの情報を話した。旅先での情報交換は重要である。ユースの情報だけでなく、どこそこでネズミ取りをしていたとか、貴重な情報が手に入る。私がのんびりしていたから、じいさんはいろんな事を教えてくれた。有り難いものである。

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暑いなあ

 月命日が15日の故親父の墓参りに、五日遅れで行く予定だが、半端ではない暑さに嫌気がさしている。汗だくになって階段を登るのかと思うと、うんざりするが、墓参りは、さぼれない行事なので、気合いを入れて行く。それにしても、35℃位まで気温が上がるというのは、異常である。私が子供の頃は、こんなに暑くはなかった。温暖化のせいなのだろうか、墓参りよりもプールか海にでも行きたい気分である。まあ、親父も暑がっているだろうから、墓石に、たっぷり水をかけるつもりである。団扇でも持って行って、扇いであげようか。

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愛犬弥七君の一周忌

 今日、7/19は、先代の愛犬であった弥七君(ミニダックス・満十一歳半・♂)の一周忌である。死ぬ三日前には、ステーキを一人前、ぺろりと平らげていたので、信じられなかった。前の日に様子がおかしかったので、動物病院に連れて行ったら、膀胱炎だろうということで、注射を打ってもらったのだが、容態は回復しなかった。母と交代で徹夜の看病をしたのだが、明け方、大きく伸びをしたかと思うと、脈が無くなっていた。何も玄関で死ななくてもいいのにと、泣いた覚えがある。しかし、世の中にはもっと苦しみながら、何十万というお金をかけて死んでいく犬やネコがたくさんいるのだから、一晩苦しんだだけで済んだことは、不幸中の幸いかも知れない。最後まで手の掛からない犬だったし、好きな物をたくさん食べる生涯を送ったのだから、大往生だろう。

 弥七君が子犬の頃、二階の私の寝室で、私が TVを観ていた時に、悲しくて泣いていたことがある。すると弥七君は、私の側まで来て、涙を一生懸命なめて、「もう泣くなよ」と言わんばかりの振る舞いを見せたことがある。私は犬がこんなに感情豊かなのかと、驚いたものだ。家族の中でも、場の空気を読む能力は最も優れていた。人間の言葉も大方解る様子だった。

 何よりも忘れられないのは、食いしん坊であったことである。ネギとチョコレート以外の物は何でも、わけてやっていた。空豆を喜んで食べている姿には、正直、驚かされたが。また、散歩よりもドライブの方が大好きだった。

 今日は弥七君が大好物だった肉の缶詰を仏壇にお供えして、読経することにするか。

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アンパンマンのマスコット作り その2

 クズクラスの中のクズばっかりが集まったマスコット作りだが、それなりに出来上がってきた。この時、メンバーの一人が、「俺にクラス代表である『C』と言う文字を書かせて欲しい」と言われた。私は少し躊躇したが、アツシも、それでいいんじゃないの、と言ったので、任せることにした。その代わり、「念力を入れて描けよ」とは言った。思えば、その時そいつの要請を受けいらなかったら、チームワークが乱れる所だった。

 選抜クラスのA組の方が早く終わったらしく、描いていた奴とは別の奴らが、大工仕事をしていた。まともにいったら勝てないかも知れないな、という思いの中、そいつらは大工仕事でミスった。テーマであるナウシカの額に、ヒビが入ってしまったのである。物にならないマスコットだった。我々は喜んでいたが。

 いざ釘打ちと組み立ての段階になったら、私は声を張り上げて言った、「ここでミスったらナウシカと同じだぞ、気合いを入れていこう」と。みんなが真剣に取り組み、素晴らしい物が出来た。いつ頃から知らないが、担任がカメラを持って、撮影しだした。手の平を返した様な待遇である。しかし、よほど嬉しかったのか、作ったメンバー全員に、額縁に入れた大きな写真をくれた。

 体育祭には、母も来てくれ、「いい仕事をしたね」と後から聞いた。弟も、「これ、生涯の記念になるね」と写真を観ながら言ってくれた。投票結果は知らないが、お子様のハートをつかんだだという点では、間違いなく一位であったろう。それにしても、アンパンマンは色使いがカラフルで、素晴らしい。秋の日の中、誇らしげにアンパンマンのマスコットは、映えていた。

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アンパンマンのマスコット作り その1

 高二の時、クラスで、何の役職にも着いていなかった私は、文化祭兼体育祭の、大きなマスコット作りを依頼された、というより、やらされた。他にも数名が選ばれて、やることになった。アツシという私のトランプ友達でもある奴もいたので、そいつと組み、どうせだったら、いいをものを作ろうと、みんなをあおり立てた。

 モデルになるアンパンマンの絵は横長で、仕方がないので、私が方眼紙に構図を書いた。そうしてから、みんなに、「これでいいか」と聞いた時、異存はなかった様子であった。ベニヤ板を4*3で並べて、炭で下絵を描いた。いざ、アンパンマンに筆入れ刷る際に、黄土色がないことに気がついた。そこからは、裏道をすり抜け、ペンキ屋で何種類かのペンキを買い入れたはずである。どうせ費用は学校持ちなのだから、好きなだけペンキを買ったものである。当然、領収証は『上様』で書いてもらい、後で突きつける感じだった。                                                                                        

 「他の所に負けてらんねーぞ」という気迫の中、他のクラスの絵が出来上がった頃に、偵察に行く奴が何人かいた。彼ら曰く、「ほとんどのクラスは駄目だ。でもA組だけが敵だ」言っていた。A組は選抜クラスであり、美大願望の強い一人に書かせていた。仲間はみんな、それを眺めるだけであった。クズの中のクズとして扱われてきて、死んでもあいつらだけには負けたくない、という気持ちが煮え滾った。私は、「あんな事をしていては駄目だ。いつか逆転の芽が出るから頑張ろう」と、仲間を鼓舞した。我々には、不思議なチームワークが出来ていた。

 ペンキ一つ塗るのだって、黄土色を出すのに迷っていた私達だが、『これで決まりだな』という色が出た。制作していたのが美術塔の一階だということもあって帰り道に通りかっかた美術の先生から、「いい黄土色出しているじゃねえか」とのお言葉を授かり、みんなで喜んだのもいい思い出である。

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保証人にはなるな

 私が高二の頃に、通っていた数学塾の恩師が、クラス全員に、ポツリとこう言った。「保証人にはなるな。人生の鉄則だ」と。それが『保証人』を意味しているのか、『連帯保証人』を意味しているのかは判らなかったが、貴重な人生訓となった。大体、保証人になってくれと頼む方が悪い。トラブルになってしまうことが多いからだ。

 数年前のことか、近所の本屋の親父が、30年間、隣で商売している女に、「保証人になって欲しい」と言われ、「本当に大丈夫なのかよ」と言いながら、保証人の欄に実印を押してしまったらしい。するとその女、とんでもない奴で、店に来るお年寄りなどを騙して、金を巻き上げていたそうである。その額およそ4000千万円と聞いた。本屋のおっちゃんが気付いた時には、時既に遅し、その女は雲隠れしたそうだ。本屋のおっちゃんは、保証人であるということから、家も店も全てを失った。まんまと騙されたわけである。どうしようかと迷ったそうだ。

 しかし、捨てる神あらは拾う神ありで、同じ商店街でガラス屋とかクリーニングとか写真の現像とかを引き受けているおやじさんが、コロッケで特許を取り、休日には営業に東京のデパートまで行ったりするのだが、元本屋のおっちゃんを雇ってあげて、手伝ってもらっているそうだ。そこの親父さんは、うちの親父が亡くなった後に、色々と励ましてくれた。母も私も救われた。おやじさんも男気のあるいい方だが、奥さんもいつもニコニコしている。跡取りの息子さんも、その奥さんも感じのいい方だ。おやじさんは、胃がんになったこともあるらしく、すごく親身になってくださる。有り難いことこの上ない。

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田子の浦 うち出でて みれば白妙の…

 江戸時代の浮世絵師で、唯一、私が天才だと思うのは、葛飾北斎のみである。富嶽三十六景という功績を残したが、その中でも圧巻なのは、有名な波の絵である。奥に富士山があって、右下には船が描かれており、左側から大きな波が、かぶさらんばかりに描写されている、あの絵である。一瞬のとらえ方としては、流体力学もない時代に、よくぞあそこまで書ききったと思う。仏師である運慶も、一瞬の姿を捉える事に秀でていたが、北斎も半端ではない。中学時代に、江戸時代の浮世絵は、その斬新な色彩や構図で、西洋の印象派達にも影響を与えたと習ったが、それも納得できる位にものすごい。

 私が歩きの旅の時に、田子の浦を歩いたことがある。田子の浦と言えば、百人一首にもある、山部赤人の、『田子の浦 うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪はふりつつ』という歌が有名であるが、宿の方に海辺の絶好ポイントに、連れて行って頂いた記憶がある。私が訪れたのは梅雨明け時だったのだが、冬には空気が澄んで、見事な富士山が見えると聞いた。それにしても美しい場所だったので、北斎の有名な絵も、こういう所から生まれたのだろうと、一人で感激していた。

 私を田子の浦の絶景ポイントに案内してくれた方は、宿付きのサウナランドみたいな所で、夜勤のアルバイトをしている、とおっしゃっていたが、いかにも人の良さそうな方だった。夜も色々話したが、全然スレていない方なのである。今頃どうしてらっしゃるだろう。久しぶりに行ってみたくなった。旅とは不思議なもので、いろんな方に、いろんな事を教わるものだ。

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温泉巡り

 これまで入ってきた温泉は数多ある。北海道でもあちらこちらにあったし、箱根の湯や草津の湯も良かった。関西では、有馬温泉の金色の湯、松山の、『坊ちゃん泳ぐべからず』という札の貼ってある、道後温泉(当然私は泳いだが)、別府の湯、指宿の砂風呂、などを楽しんできた。そういえば、鳥取や富山や長野でも、温泉を楽しんできた。私が楽しんできた温泉というのは、いつも独り旅で、車中泊が続く中で、ひょいっと洗面器と石けん、タオルととプルラスチックの桶一つで通っていた。北海道の公営の温泉に行った時は、荷物を持っていたのだが、受付のおばさんに、「あなた、洗濯したいんでしょ」と言われ洗濯の脱水までやって頂いた記憶がある。他にも、「おにぎりならあるけれど、食べる?」とまで親切にしてもらったが、昼は食べないことにしていたので、泣く泣く遠慮した。

 大学時代に、友人の運転で、三人で箱根の温泉までドライブした。私は詳しくはなかったのだが、奥湯本のさらに奥に、いい温泉があると聞いた。そこでは入浴料(確か500円)を取られたのだが、サウナもあり、紅葉を眺められたりと、見事な温泉であった。

 その後も親父が存命中の時は、年に二回は家族で通っていた。親父も私も、烏の行水なのだが、その後のくつろぎルームで、毎回、親父と将棋を指した。お袋が、そっと、「女湯にモデルの娘がいたよ」と言ったのだが、私は、「ああそう」で、将棋に集中していた。結果、私が勝ち、外の喫煙室で親父と反省会をしたのだが、お袋の助言も、まともに聞いておけば良かったという話になった。私は、孤独な将棋指しより、一人の美人を選ぶ。

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映画『必死剣 鳥刺し』を観て

 言うまでもなく、藤沢周平氏の作品が原作となっている映画であるが、藤沢作品を読んだことのない私でも、感銘を受けた。物語は海坂藩士の兼見三左ェ衛門(豊川悦司)が、藩主である右京太夫に悪政を促す妾の錬子を刺殺する所から始まる。三左右ェ門は死を覚悟して行った振る舞いだが、屈指の剣の使い手であることから、中老の津田民部(岸部一徳)が藩主に、三左右ェ門を生かしておくことを進言する。結果、三左右ェ門は一年間の謹慎を言い渡されるのだが、藩主の悪政は変わらなかった。そんな折、藩主の従弟で、こちらも屈指の剣の使い手である帯屋隼人正(吉川晃司)が藩主を討って、分家から藩主を立てようとする。そんな折、津田民部は、藩主を守る様に三左右ェ門に立ち向かわせる。

 感想としては、ラスト十五分の殺陣がもの凄かった。と同時に、初めに闘うことになる、隼人正と三左右ェ門は、藩政を憂いているという意味では、どちらも同じであるのに、何故、闘わねばならぬのかという思いが溢れて来た。こんな皮肉があるのかと感じた。

 映画としては、様々なる伏線の引き方が見事であった。上弦の月の意味するもの、木彫りの鳥などであろうか。また、隼人正が屈指の剣の使い手であるかの様に観せる殺陣師の技。他にも、この映画は殺陣でいい血を使っているとも思った。他にも、吉川晃司の侍姿というのも、なかなかイケていた。

 鳥差しが必死必勝の剣でその秘剣が抜かれる時、使い手は半ば死んでいるとされる、ということの意味が知りたければ、エンディングまで観ないと解らぬ仕組みに出来上がっている。

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2010参議院選挙

 私は、日曜日に動くのは好きではないので、参議院選挙にも期日前投票で行った。入れる党は二つに絞っていたが、投票直前まで迷った。どの候補者、どの党に入れたのかは、当然黙っている。軸になったのは、民主党をどのように評価していいのかだった。

 民主党は衆院選でマニフェストに、高速道路無料化、ガソリン税撤廃、普天間問題の解決、子供手当、消費税については今後四年間は議論しない、などと言っておきながら、ことごとく公約を破った。私はばらまきには反対であるし、小さな政府を作ることが必要だと考えている。その上で入れる党を絞った。

 知り合いには、「もう一度、民主党にチャンスをやってもいいんじゃないか」という者もいた。しかし、今の時代、国民の懐は寂しく、きつい北風を受けて生きているのだ。そんなに悠長に待っている気分にもなれない。本当の民間の苦しみをしょって立つ政治家がいないとも感じた。これは倦むべき事でもある。

 今回の選挙では、自民党が大分、取り戻したかの様にも見えるが、総裁の谷垣が言っていることは、民主党の弱みつつきだけだった。僕はこういう男を、最も醜いと思う。谷垣なぞは、決して大物などではなく、一国の政治を任せられる器などではない。参院選の結果を観たら、二大政党制は強まっていくと思われる。何はともあれ、現実に、国民の生活苦を無くすことが、現時点では重要なのではないか。国民が絶望する前に、この世の中を美しい姿にかへよ。これが国民からの真のメッセージである。

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自画像

 画家は何で自画像を描くのか?…後世に自分の顔を残しておきたいからである。

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弥七と弥吉

 弥七君(ミニダックス・♂・満十一歳五ヶ月)が亡くなったのが去年の7月19日の未明のことである。よく考えると、もう一年ぐらい前のことだが、昨日のことの様に覚えている。骨になった姿を見て、帰りの車の運転中に号泣したのを覚えている。親父の死に際や、葬式でも泣かなかったのに不思議なことだなと思った。

 家の空気の重さに耐えられず、まもなく弥吉君(ミニダックス・♂・満一歳二ヶ月弱)を飼うことになるのだが、弥吉君は場の空気を読む力が、先代の弥七君よりも劣っているなと感じた。間抜けなのか、賢いのか、未だにはっきりしない。大きめの犬になって欲しかったので、成長期にカロリーの高い餌をたらふく食べさせた。そうしたら、生後半年で獣医から、「既にメタボです」と言われ、食べるものを少なめにした。大きすぎる犬になってしまったのである。

 先代の弥七君に比べて、弥吉君はおっとりしている。どんな人に対しても吠えない。軽く噛むクセがあるが、本気で噛んだことは一度もない。最近は、お袋の布団で眠る習慣がついたのだが、その条件は、ブラッシングをさせることである。もう慣れたのか、いつも心地よさそうにしている。先代の弥七君はブラッシングが大嫌いだったのだ。弥吉君は上に書いた理由により、いつも飢えている。ゴミ箱あさりが趣味なのだが、これは治させないといけない。しかし、人間の食べるものの方が、ドッグフードより美味しいと解り始めた様子である。用心しなければ…

 しかし、母と二人で生活している中での、弥吉君の存在はありがたい。先代の弥七君と比べると、おなじミニダックスでも、こんなにも性格が違うのかと、驚かされる。今度買い出しに行ったら、また何か、遊ぶおもちゃを買ってきてやろうか…粗相さえしなければ。

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パソコンの思い出

 私が最初に買ったパソコンは、NECの98であった。WINDOWSも3.1バージョンで、使い勝手がえらく悪かった。大学二年の頃のことである。MS-DOSでコマンドを入れているうちに、パソコンの内部情報を全て消してしまったりしていた。当時はハードディスクも80Mb位しか無かったと記憶している。80Mb位だと、当時のOfficeが入らなかった。困って友人に相談した所、外付けのハードディスクを買うしかないな、と教えてくれた。私は秋葉原駅で友人と待ち合わせをし、友人が来るまで読書をしていた。余りに遅いので、おかしいなあ、と周囲を見渡すと、友人も読書に熱中していた。お互いに笑いあった記憶がある。

 秋葉原で、120Mbのハードディスクが当時は三万円位した。裏道の安売り店でのことである。それを買い、友人は我が家にコンピューターソフトをいっぱい持ってきてくれ、インストールしようとしたのだが(もう時効だし、MicrosoftのソフトやOSは死ぬ程買っている)、外付けハードディスクを含めても、Windos3.1は入っても、Officeを入れる場所が無くなった。友人と相談した結果、Officeはヘルプが重いから、それをインストールしないことにしよう、という結論に至った。そうすると、パソコン内のハードディスクと外付けハードディスクの合計200Mbで何とか抑えられた。当時はまだCD-Rなど無く、Dr.中松氏が開発したフロッピーディスクが主流だった。

 今にして思えば、ハードディスクの容量や、パソコンのスペックが、これほど短期間で伸びるとは考えられなかった。一方で、コンピューターチルドレンが増えるのもどうかと思うが。

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タイヤ交換にて

 私が以前、縁なし眼鏡とサングラスを買って、出来上がったので、取りに行こうとしていた時の話である。親父から、行きつけのガソリンスタンドで、タイヤ交換をしてきて欲しいと頼まれた。暇だったので、承諾し、親父の車を運転して、スタンドで知り合いの店員に、「タイヤ交換して欲しい」と話して、ガソリンスタンドの中で待っていた所、その店員が飛び込んできて、私に、「いや~タイヤの軸を外す機械が故障しているんですよ。兄弟店から持ってくるのに、30分くらい掛かりますけどいいですか?」と聞かれた。私は、待っていても良かったのだが、その間に、注文した眼鏡を取りに行きたい旨を告げた。

 すると、灯油を販売するトラックを持ってきて、「これで行って下さい」と言われた。「じゃあ、ちょっとお貸りします」と行って運転席に乗ると、タクシーなどで用いられている、コラムシフトで、しかもマニュアルだった。オートマのコラムシフトなら何回か運転したことはあるが、マニュアルは初めてだった。おそるおそる半クラッチにして、アクセルを踏んだ。動く。そしてギアを上げていったのだが、灯油を販売する車だけあって、1速と2速がメインバンドで、3速と4速の伸びが悪かった。しかも、4速には入れにくいという特徴があった。焦らず運転していると、次第に慣れて、その車の特徴が解るというものである。

 注文していた眼鏡を取りに行ってから、再びガソリンスタンドに戻ると、タイヤ交換が終わっていた。私は車を貸してもらった礼を言い、「ギアの4速が入りにくかったです」と言うと、店員の人は、「みんなが乗るから、クセがついちゃっているんですよ」と笑っていた。

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親父の形見のジャリ銭入れが…

 昨日は50銭パチンコを楽しんだのだが、なにせ、釘が悪かった。一球50銭なので、500円で1000発は買える。ここまで来ると、ほとんど負けない。1000発使い切りそうになった時、連チャンが始まった。私は時間の都合もあったので、5ラウンドで終わる代わりに、当たる確率が高い台を選んだ。結果、7連チャンしたので、二箱積むことが出来た。途中、お袋から『買い物終わったよ』という合図の、携帯のヴァイブレーションが続いたが、連チャン中だったので、引くに引けず、無視した。お袋も、勝手知ったるもので、粗悪品を扱っていない激安の八百屋でスイカなどを買っていたらしい。

 フィーバーが終了した頃、お袋を待たせているだろうし、ここら辺が引き際かと、店員を呼び出して、辞める意志を伝えた。出玉は3500発ぐらいだったと記憶している。用紙を受け取り、トイレで手を洗ってから、景品交換所に行き、タバコ三箱と、口約通り、レトルトのカレーを二つ取った。後は適当に見積もってもらった。

 パチンコ屋を出て、お袋に電話し、四連勝だ、と連絡してから駐車場に向かったのだが、途中で札束入れはあるものの、ジャリ銭入れがないことに気がついた。親父の形見である。750円くらいは入っていたのが、パチンコ屋で落としたのなら、もう誰かに盗られているだろうとあきらめ、デパートにジャリ銭入れを買いに行った。2000円ぐらいだろうとナメていたら、5000円弱することが解り、愕然とした。その後、選挙に行ったのだが、家に帰ると、「今日の晩飯は俺が取ってきた『銀座カリー』だ」と母親に自慢し、食べたらすぐに寝てしまった。

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バタバタするだろう一日

 今日は、私の自律神経の薬をもらいに、午前中に病院に行く予定だ。診察は、調子を聞かれて、世間話をしてすぐに終わるのだが、薬局がものすごく時間が掛かるのだ。私が飲んでる薬は、マイナーの薬ばかりなのだが、カプセルではなく、分包にしてもらうので、ものすごく時間が掛かる。お世話になっているお医者さんは、大学時代からのつきあいなのだが、専門は、アルツハイマーについてである。僕が飲んでいる薬について、別の医者の意見も聞きたくて、ある友人の奥さんで内科医の方に意見を聞いてみた事がある。すると、「この薬は内科では、胃薬に使いますよ」と教えてくれた。他の薬は脳の神経を結ぶ、シナプス細胞というものを、常時安定させるためのものだとおっしゃった。私が、「その話は主治医から聞いたことがあります」と言うと、「いいお医者さんですね」と応えられたので、主治医に対する私の信頼は、より一層、深まった。

 さて、今日は先生と話して、薬をもらいに行く日なのだが、何分、時間をもてあます。私は50銭パチンコでタバコ三つと、今日の晩飯となる、レトルトカレー二つをとらねばならない。母はその間に、格安の野菜スーパーに行き、その後、お供え用の花とせんべいを買い、ドラッグストアでウコンと梅肉エキスを買い、体重計がぶっ壊れたので、ヤマダ電機で新しいものを買うと言っていた。今日は私が待たされる気がする。まあ、のんびりといきましょう、と考えている。

 帰りには、区役所に寄って、参院選の期日前投票をするつもりである。それにしても、今回の選挙は入れる党がないので、よっぽどボイコットしようかとも考えたが、投票には行くことにした。まだ、どの党に入れるかは決めていないが。それにしても悩むなあ。

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もう七月か

 夕べは座椅子で寝てしまい、起きたら体中がビシビシである。多分、大仏の様な格好をして寝ていたのだろう。おかげで、なかなかblogを書くパワーが湧いてこなかった。夕べは夕飯を食べたかどうかも解らない。食べたとしても、何を食べたか忘れてしまった。この歳になると、重要なことだけを覚えておく様にしている。それにしても、遠い記憶は、明確に覚えているのに、近い記憶は忘れる様になってしまった。まあ、嫌なことを考えて、悩まなくて済むのだから、それも悪くはないものだ。

 もう、7/5なのに、先程、カレンダーをめくった。友人達の集まりのメールはどうしようか、などと考えていたが、そろそろ夏の集いのスケジュールを決めなければなるまい。またいつも通り、私が幹事をやることになりそうだが、私は、梅雨が明けたら、久しぶりに旅に出たいとも考えているので、スケジュール調整が面倒である。来月には親父の三回忌もあるから、ぼやぼやしてはいられない。今日か明日にでもメールを回そうか。

 7/5といえば、友人の子供さんの誕生日かも知れない。もしそうなら、誕生日おめでとう!!という気持ちで一杯である。

 また、もう七月か、という気持ちも湧いてくる。今年の折り返し地点を過ぎたわけで、時の経つのは早いなと、しみじみ感じる。夏は私が一番好きな季節なので、七、八月は、最もパワーが出る時期でもある。ペシミスティックになっている場合じゃない、頑張らねば。

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八兵衛雲隠れの巻

 水戸老公一行が世直しの旅をしているある日のこと

助さん「おい、八。それは何だ」

八兵衛「えっへっへ、肩こりに効く数珠でやんすよ」

格さん「仏教にでも帰依したのかと思ったぞ」

八兵衛「いやいや、何せこれは、バテレン製の魔法の数珠でやんすよ」

ご老公「聞き捨てなりませんぞ、八。我が国は鎖国しているのに」

助さん「我々が世直しの旅をしているというのに示しが付かん」

格さん「この愚かものが」

 助さん格さんに袋だたきにされそうになった八兵衛、焦る。

八兵衛「いてててて、あっしとしたことが、ちと厠へ」

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高さ30cmのハンバーガー

 こないだの火曜日に、またも弟がうどんを食べに来た。その他、母方の祖父の葬式の際についてなど、重要事項を打ち合わせてから、色々と話をした。弟が、前に勤めていた会社の慰安旅行の話をしてくれたのだが、それが傑作だったので、今日はそれを書く。

 私は旅慣れているのだが、弟は英語の日常会話も出来ないらしい。勉強が嫌いで、特に暗記が嫌いだと言っていた。私も暗記は嫌いだが、英語は基本的なことを覚えれば、暗記だけではなく、英文を、どう上手く訳そうとか、面白い面もいっぱいあるぞ、と応えた。

 まあいい。弟がハワイに会社の同僚と行った時、自由行動で仲のいい先輩と、飯を食おうと、ハンバーガーショップに入ったらしい。後輩である弟が注文を取りに行ったのだが、カウンターで店員が何を言っているのか解らなかったらしい。仕方がないので、『YES』を何度も繰り返していたら、ハンバーガー二つで40$とられたらしい。弟も、『こんなにアメリカのハンバーガーって高いのか?』と不審に思ったそうだが、出てきたのが高さ30cmのハンバーガー二つ。「唖然としたよ」と言っていた。どうやって食べたのかまでは聞かなかったが、「兄ちゃんから、アメリカのハンバーガーは、旨いって聞いていたけど、それどころじゃなかったよ」と言っていた。それを聞いて、「セットで何種類か書いてなかったか?NO.4とか?」と聞くと、弟は、「オイラ、英語読めないんだよね」と笑っていた。

 他にも、ピザ屋で五種類のピザを食べたら、全部同じ味だったとか、出かけた時に、帰りのバスが解らなくて困ったらしい。何とも間抜けな話だが、弟は必死なのである。そして、食事以外はハワイ最高だったよ、などと言うので、私は、思わず笑ってしまった。

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映画『マイケルジャクソン~キング・オブ・ポップの素顔』を観て

 昨日は朝一番から、都会の映画館に、マイケルジャクソンのドキュメンタリー映画を観に車で繰り出したが、月初めのせいか、道がかなり混んでいた。月初めということは、映画の日ということで、一般1000円で映画が観られる。喜び勇んで映画館に向かったのだが、着いたのは九時過ぎということで、開場待ちの列が出来ているだろうなと思ったが、平日だったせいか、それ程、人はいなかった。

 映画の内容としては、マイケルがインディアナ州のゲイリーの生家に戻り、ファンから熱烈な歓迎を受ける所から始まった。それから、マイケルジャクソンの自宅の敷地にある、『ネバーランド』で、多くの一般客を招待したシーン。そしてマイケルの四十五歳の誕生日で皆からマイケルが祝福を受けるシーンへと続く。他にも慈善事業を数多くやったりしたことについて触れていた。

 感想としては、マイケルのファンである私が観ても、マイケルの熱狂的ファンのコメントばかりであり、偏っているなと感じた。それ以上に不満なのは、あくまでもマイケルがまともだということをアピールする余りに、マイケルの歌や踊りは一切出てこなかったことである。エンターテイメント性が無く、映画そのものも、ちゃちで、退屈きわまりなかった。ただ、感じたのは、マイケルジャクソン程のスーパースターになってしまうと、プライベートが全く無く、一人でのんびり散歩にも出られなくなるだろう事は、可哀想にも思えた。富や名声がいくらあっても、相当、孤独なのだろうなと感じた。自宅に遊園地を作る気持ちも、少しだけ理解できる。

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普天間問題を解決する見事な論文

 鳩山政権下では、普天間基地移設問題で、にっちもさっちもいかなくなり、退陣するしか無くなったことは、記憶に新しい。基地の一部を徳之島に移すなどといった、ナンセンスなアイデアが出たが、暴論に近く、結局は辺野古沖にさせて下さいと、首相が沖縄まで行ってお詫び行脚した。沖縄県民とアメリカとの間を、まるでイソップ童話の中のコウモリの様に行き来した以上、沖縄県民が激怒するのも当たり前のことである。国民も基地問題に辟易し、毎日のニュースで取り扱われても、相手にしなくなった。沖縄県民には申し訳ないが、対中国、北朝鮮ということを考えると基地を沖縄に置くのはやむを得ない事でもある。菅内閣に代わっても、基地問題については解決されておらず、泥沼にはまった状態である。

 そんな中で、ある友人の親父さんが、『生活者主権の会』というメルマガの中で、素晴らしい論文を書いていることを知った。『普天間問題の解決は逆転の発想で』というタイトルなのだが、新しく基地を作るのではなく、普天間基地の周りの住人に立ち退いてもらうという案だ。それも、ただ立ち退いてもらうのではなく、辺野古に基地を作った場合にかかる費用、約一兆円を、立ち退いてもらう住民に分配すると、各家庭に、およそ二億円ずつ配れるらしいのだ。これなら住民も納得する。他の都道府県の方がどう思うかは解らないが。

 また論文では、沖縄の経済問題にも触れられており、先程述べた一兆円の一部を、沖縄の振興策に当てるべきだとも書かれている。

 友人の親父さんは、ずっと、「このままでは日本は滅びる」と言って、齢七十半ばにして、いろんなボランティア活動を行ってらっしゃるそうだ。凄い方である。

 論文の掲載されているURLは、

http://www.seikatsusha.org/

 である。今日、7/1付けで発表された。他にも、いろんなテーマを扱った論文のバックナンバーがあるので、私も時間のある時に拝読しようと思う。皆様も是非ご一読あれ。

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