« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010年6月

プレトリアの死闘

 先程まで、サッカーの日本代表が、ベスト8を賭けて、パラグアイと試合をしている所を、TVで観ていた。審判が、パラグアイに偏っているなと感じる中、日本代表は点を上げるしかなかった。日本にばかりイエローカードが出るのは、明らかに不審だった。

 後半三十分ぐらいから、私と一緒に観ていた母は、「体が潰れる覚悟で頑張れ。その代わり、勝ったら国民栄誉賞だ」とか、後半三十分を切ったあたりで私が、「ギャンブルだ。もう一か八かしかない」などと言っているうちに、延長戦に入ってしまった。私が、「今日は遠藤が当たってね-なー」と言うと、遠藤選手のファンであるお袋も、「今日は、今ひとつだね」などと言っていた。

 延長戦30分が終わった後、みんながグラウンドに倒れ込んだ。これは、皆がチームのために、前後半含めて、120分走り続け、体力の限界まで頑張ったことを意味する。ああ、選手達は、極限まで闘ったんだと納得する。それぐらい気合いが入っていた。…それにしても、男と男が国の誇りをかけて、全力でプレーするという姿は美しかった。TVを観ているこちらまで、胸が熱くなった。

 結果、PK戦で負けたが、PKを外した駒野選手は、一生涯それが忘れられないだろうな、とも思った。PKは時の運。涙を流してもいいが、ここまで頑張ったのだから、顔を上に上げて、胸を張って帰国してもらいたい。それだけの価値のある試合だったと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

友人との懐かしい思い出 その2

 昨日紹介した友人との思い出は、数限りない。昨日は高校の文化祭の映像をTVで観たと書いたが、そのTVも個性的だったので、「これ、どうしたんだ?」と私が聞くと、「高校の時に秋葉原に通って、必要な部品を寄せ集めながら、いろんな本を読んで、自分で作った。映像が映った時は嬉しかったなあ」と彼が言うので、私はおったまげた。もちろん液晶TVではなく、ブラウン管のものだったが、「凄い!!俺も学校の授業でトランジスタラジオなら作ったことがあるけれど、全部マニュアル通りにハンダ付けするだけだった。これとは比べものにならないな」と私が言うと、彼も、「何ヶ月も悩み抜いて、作ったから、愛着が湧くんだよな」と応えていた。それにしても凄い。

 彼の家の近所に、『白山ラーメン』という、夜の九時から営業開始のラーメン屋があった。丁度、酔ってきた頃合いだから、夜の十一時ぐらいに二人して片道一時間かけて、食べに行ったのも懐かしい。スープは醤油に鶏ガラだったと思う。あっさりしたラーメンで、いかにも東京ラーメンという感じだった。

 彼とは殴り合ったこともある。私は足を怪我していて、手を出さなかったが、口は出した。どっちもどっちである。もちろん尾は引いてはいない。

 また、彼が就職して、品川の御殿山のマンションに引っ越した時、私は自宅で酔っぱらって手首をひねってしまい、引っ越しの手伝いが出来なかったので、引っ越しが完了してから、暫くして、巨大なザックに米10Kg、他にも缶詰などを大量に持って行ったことがある。彼は喜んでくれ、「どうしておばさんは俺の必要なものが分かるんだろうなあ」と言って私の母によろしくと言ってくれていた。私は彼のマンションに、行くたんびに、お酒を持ってきて、ボトルキープしていた。瓶にはマジックで、『○○○のもの。飲んだら殺す』と幼稚なことを書いていたのだが、いつの間にか無くなっている事もあった。何だか懐かしい。この歳でセピア色した思いを振り返ってはいけないことは重々承知しているのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

友人との懐かしい思い出 その1

 以前、我が家に遊びに来てくれた友人とは、何回、一緒に鍋をつつきあったか解らない。もちろん他の友人も含めてのことだが、彼は自宅の離れに住んでいたので、伺いやすかった。彼の部屋である離れでは、いろんな話を交わしながら、キムチ鍋をよくやった記憶がある。

 私が大学院を辞めた最初の夏休み、はるばるスクーターで彼の離れの部屋まで行った記憶がある。事前に、電話かメールで、一週間程ご厄介になってもいいかなあ、と話したら、彼は快諾してくれた。基本的に食事は外で食べ、風呂は銭湯に通っていた。一度だけおばさんのオムレツか何かを頂いた覚えはあったが。夜には、彼の部屋で話したりもしたが、一晩だけ、私一人で寝たこともあった。それでも彼は全然気にしなかった。

 彼の家は東京のど真ん中にあるので、スクーターであちらこちらへと行き、東京見物を楽しんだが、いつも神保町の本屋街で、足が棒になるまで立ち読みしていた。買った書籍は主に文庫本だったが、五万円分ぐらい買ってしまい、彼の家の側のコンビニから、自宅に段ボール箱で送った筈だ。

 彼は高校の時、体操部をダンス部に変えてしまった男でもある。文化祭で、マイケルジャクソンの『Smooth Criminal』をやろうと言った際、一人だけ反対した奴がいたそうだ。仕方がないので「解った。お前がマイケルをやれ」と彼が言った途端に、「やる」という返事が来たそうである。その話を聞いた時、私は、「現金な奴だなあ。でもそいつにマイケル譲ってやったから上手くいったんだと思うな」と述べたら、「だろ。俺が中心になり過ぎちゃあいけなかったんだ」と彼は応えた。そうして、彼が、「当時のビデオがあるけど観るか?」と言うので、私が、「Sure」と応え二人して観た。相当盛り上がっており、終わった後にはアンコールの声援が飛んでいた。「素晴らしい舞台だな」と私が言うと、彼は嬉しそうな顔をしていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

またフライング

 今日の0:00過ぎに、UPしようと考えていたblogが手直しで、昨日付となってしまった。またフライングしたと気付いた時には、遅かった。だから皆さんは、昨日のblogが今日のものと思って読んで欲しい。わがままではあるが。もう、blogを書くパワーがないのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

じいちゃん頑張れ!!!

 母方の祖父が危ないらしいという話は先週書いた。しかし、それから少し持ち直したらしい。をれでも医者からは、余命一週間から、最長でも一年と言われているらしい。私や弟が幼い頃、散々世話になったじいちゃんなので、感慨深い。瀬戸で、ミカンを作り続けてきたじいちゃんなのだ。いつでも飛んでいける様にしなければならない。弟とお袋と私とで、車で帰る事になっている。

 病名は、大腸がんと動脈瘤が出来ていて、もう、手の施しようが無い状況だったらしい。幸い歳をとっているので、進行は遅い。じいちゃんは、無理矢理入れられた施設で肺炎になり、言葉が喋れない様になった。無念だっただろうが、私は神の救いだと信じたい。本人は解らないが悩まずに、死んでゆけるのだから。

 こういう風に書いている自分も辛い。じいちゃんの大腸がんは、深まっており、人工肛門を付けるのがやっとだったのだ。

 お袋に、「もし親父の三回忌と重なったらどうする?」と聞いた所、「葬式に行く。三回忌は多少ずれても構わない」と言った。私もそれに従うことにした。大恩あるじいちゃんと、私を認めてくれ、散っていった親父の三回忌とは、比べようもないが、どっちかを選べと言うなら、私は母に従う。いずれも哀しい話なので長くは書きたくは無い。しみじみと考えてしみじみと深みにはまる。悲しきことこの上ない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日焼けで欠席

 うちの弟がまだ独身の頃、泳げもしないのに、サーフィンに凝っていた時期があった。どこでやっていたのかは知らないが、友達としょっちゅう繰り出していた。普通、サーフィンをする場合、ウェットスーツみたいな物を着るものだが、金がなかったのか、弟は海パン一枚でやっていた。だから、多分、夏にしかやってなかったのだと思う。泳げなくても、サーフボードと足のくるぶしあたりを紐で結んでいるから、サーフボードにつかまっていれば、何とかなったらしい。夏にしかやらないから、波に乗れていたのかは怪しいが、楽しんではいる様子だった。

 そんなある日、弟は、サーフボードの上で寝てしまったらしく、強烈な直射日光を浴びて、半端ではない日焼けをしてしまった。火傷に近い日焼けである。その日の晩は、痛すぎて眠れず、当時通っていた専門学校を日焼けで休んだらしい。医者に行き、日焼けを治すクリームの様な薬をぬっていた。すると後日、専門学校の教官に、「長く教えてきたけど、日焼けで欠席したのは、お前が初めてだ」と笑われたそうだ。

 ある時、弟が溺れかけた時に、友達の兄さんが助けてくれたらしい。しかし運命の皮肉か、その人は交通事故で亡くなってしまったらしい。弟は「命の恩人が死んじまった」と泣いていた。喪服を着て葬式に参加したらしいが、それからは、サーフィンをやらなくなった。

 その亡くなった人の弟は、JRAのジョッキーであった。ある年の、とあるGⅠで弱い馬に乗っていたのだが、私は線香代にと思って、彼の単勝馬券を買った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

VIVA日本!!

 何とか夜中に起きる事ができ、日本の予選リーグ三戦目を観る事が出来た。と言うより、昨日の十時頃には起きていた。母は寝ていたので、直前に起こす事にした。昨日のW杯予想で、私はよくても1-0悪くても1-1だと書いたが、まったくの間違いで、3-1で勝ってくれた。めでたくベスト16入りなのだが、岡田監督のあの陣形は、なかなか良い。控え選手は苦しいが。

 海外でプレーするプレイヤー多き中、日本のサッカー界で、時には急激的に進歩を遂げる選手も多い。20代の前半でそうなって、スタープレイヤーとなったら、頭の良さ、ポジショニング、覇気、それらの上に、人一倍の才能とと負けん気を備えていなければならない。

 僕が、認めている選手は、DFの中澤選手だけである。彼がディフェンスの際の頭を張っている。それだけである。サッカーファンでない人も、W杯を機転に、まず最初は、中澤選手の動きと、どうやって敵の動きを食い止めるかに絞って、観てみてもいい。

 スポーツは、ケジメが良くなければ成り立たない。しかも、いくら才能に恵まれていても、馬鹿ではやってゆけない。そう考えると、弟の子供達に、おもちゃを土産に渡すのは悪い様な気がしてきた。でも、お年玉とかでやっちゃうんだよな。

 でも、盆・正月ばかりでなく、みんなで来てくれること望んでいる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ある日の床屋にて

 現在、私がお世話になっている床屋さんは、二代目マスターと故マスターの奥さんさんでやっている。二代目マスターは、多趣味な方で、スポーツ全般(現在は水泳がメイン)、高校野球の観戦(毎年甲子園まで行く)、寝台列車に乗る、など、色々とある。こないだは、大阪まで高速バスで行き、プールで4Km 泳ぎ、寝台列車で、札幌まで行って、新千歳から飛行機で帰ってきたそうだ。幸い天気も晴れていて、日本海沿いのトワイライトタイムが美しかったとおっしゃっていた。これで、あと全寝台特急制覇までマジック3とのことだった。

 それを聞いた私は、自分が24歳の時にヨーロッパを鉄道で旅した時の話をした。「日本の鉄道って、車掌のアナウンスがあるじゃないですか。ヨーロッパでは全く無いんですよ。それでもお金の節約のためや、目的地に朝に着くと宿が取りやすいという事で、寝台車を使うんですよ。乗り過ごすのが怖いんですけれど、必ず停車駅の三十分前には、目が覚めていました。何というか、命が掛かると、人間の本能が出てくるんですよね」と言ったら、二代目マスターは、笑いながら、「解る様な気がする。俺も今度のワールドカップのデンマーク戦で、自然と目が覚めそうな気がするもの」と応えて下さった。

 それからワールドカップの話で盛り上がり、私が、「日本は守備は堅いけれど得点はあまり望めない。勝つとしたら1-0でしょうね」と言った所、「確かにその通りだと思う。引き分けでも1-1だろうな」というような話をしていた。…さて、サッカーを観るためには、明日の深夜に起きる事が大前提であるが、起きられるかなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画『カラバッジョ 天才画家の光と影』を観て

 地元の映画館で、カラバッジョの映画をやっていると、ホームページで確認したので、観に行った。観終わって、パンフレットを買おうとすると、無い、と言われた。理由は古い映画だからだそうで、ホームページをよく読んでみると、半年近く前に他のシアターでは上映されており、唖然とした。さすが田舎のオンボロ映画館と思ったが、まず焦ったのは、blogを書く資料が無いという事だった。従って、キーワードだけ昨日中にメモをしておいた。それを元にして感想を綴ってみる。

 まず、ヨーロッパシネマだけあって、無駄がない。そして、映画の中で、『ミケーレ』と呼ばれている『カラバッジョ』とは、あの有名な、ミケランジェロの事である。最初はローマでホームレス同然の生活をしているのだが、画材道具と剣だけは手放さない。やがて、ミケランジェロの絵が、画商の目にとまるのだが、二束三文で買いたたかれる。しかし、その余りのリアリティに、バチカンで宗教画を描く様になるまで、出世する。聖母の絵を描くのに娼婦をモデルにしている事が問題となるが、他の追随を許さぬ絵描きとしての実力に、みんな圧倒されてしまう。しかし、ミケランジェロが決闘でごろつきを殺してしまってから、運命は変わりだし、バチカンにいられなくなってしまう、という様なストーリーだ。

 この映画は400年以上前の時代背景の映画だが、まず、優れた芸術家は皆そうなのだろうが、ミケランジェロの気性の荒さに驚かされる。また、伏線としては、湖畔で野垂れ死んでいる死体をじっと眺め続ける、ミケランジェロの特異な行動もエンディングに繋がる。

 映画批評とは異なるが、私がローマに行った時に、バチカンまで行けばよかった、と悔やまれるぐらいの映画である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

blog本の増刷

 こないだ遊びに来てくれた友人が、面白い事を言っていた。「会社の近くの本屋の地下一階から二階までの、本棚の本、全ての裏ページを読んだけれど、それだけで内容が解っちまうんだよな。それで、本当にいい本というのは置いてはいなかった」と。私は、「本を見る目が肥えてくると、タイトルや帯、観ただけで、何となくその本が言いたい事が解る様になってくるんだよな。いい本が無いというのは、よく解る。結局、売れねーんだよな。アマゾンとかで欲しい本があっても、三ヶ月待ちぐらいで、散々待たせておいて、廃刊になりましたって、書いてきた経験あるもの」と応えた。

 その後、私が、今年の一月までのblog本を出した話をすると、「是非観たい」と友人が言うので、上下巻両方持ってきて、サラリと読んでくれた。彼は、遙か昔に『101匹目の猿』という本を読んで、シンクロニシティ(共時性)について興味を持っていたので、それについて私が言及したblogをいくつか紹介した。私は、彼とも面識のある友人に、巨大な仏画をもらったお礼に、その友人に送った旨を話しをしたら、「俺も欲しい。買うから刷ってくれ。それから、某友人(やはり大学時代の友人の一人)にも買わせる」とその友人は言ってくれた。

 私は友人達からお金を取るつもりはないが、久しぶりにココログ出版に注文を入れた。コンピューター上での注文は便利な代わりに、判りにくい。メールで、以前と同じフォーマットにしてくれと頼んだが、どうせ、他の友人達も欲しいと言い出すだろうから、多めに刷る事にした。親戚のおばさんにも送ろうか迷っている所である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

壮絶な兄弟ゲンカ

 もう大分、昔の事なので、忘れてしまった事も多いが、我が家は男二人兄弟なので、何かあるとすぐにケンカになっていた。しかも、私も弟も背の丈が近く、3cm位、弟の方が大きかった。私にはこれといって反抗期はなかったが、弟は結構、荒れていた。学校の不良グループのボス格をやっていた。そして、仲間達に、「シンナーとカツアゲだけは絶対にやるな」と命令していたらしい。近くの学校の生徒が、弟の仲間にいちゃもんを付けてきた所、弟は止めに入ったらしいのだが、馬鹿な奴が弟に一発入れてしまったらしい。これでぶち切れた弟も、殴り合いになり、返り血を浴びて帰ってきた。弟は無傷なのである。だからと言って、私も弟も格闘技などやった事がないのだ。

 私が高二か高三の時だから、弟は中三か高一の筈である。ある時、私が自室の机で本かマンガでも読んでいた時に、いきなり弟が入ってきて、「兄ちゃん、俺の財布から二千円盗っただろ!!」と言ってきたので、私は、「そんな事するか!!勝手に人の財布を開けた事なんて一度もないわ!!」と言い返した。すると弟が、私の部屋で唾を吐いたので、私がキレてしまった。「おい、ちょっと待て!!」と言って、私は高校生になってから初めて、弟に左フックを一発入れた。そして、「唾ふいていかんかい!!」と怒鳴った。自分よりガタイのいい弟相手に、ケンカを売るのは怖かったが、弟は黙って下の部屋に降りていった。

 そのうち、弟にも落ち着きが出て、一緒にTVゲームをやったりと、基本的には仲がいいのである。今では、弟はいいお父さんをやっているし、時々、人生について語り合う様にもなった。しかし、私の中高時代に、いつケンカが勃発しても仕方がないピリピリとした火種が、二年間ぐらいくすぶっていたのは事実である。今となっては、いい思い出だが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

・・・気落ち

 母方の祖父が、いよいよ危ないかも知れないとの事。憂鬱である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いらないガキ大将

 小学校の二年生の頃、私の向かいに引っ越してきた家族がいた。その中に、私より二学年上の男がいた。僕と、僕より二学年下の弟は、家の塀に寄りかかりながら引っ越し風景を眺めていた。すると、私よりも二学年上の男は、「何観てんだ」と言ってきたが、私も弟も「別に。珍しいから」などと応えていた。

 この町に、まだ、ガキ共が大勢おった時、そいつは、私の家の通りのガキ大将を気取っていた。そして、同学年の友人から相手にされていないのか、私の友人仲間で野球をやった時に、自分はピッチャーで四番だと言い張らした。何も、二年も下の、私の友達仲間を相手にしなくてもいいだろう、と思った。そいつはノーコンでファーボールを連発し、打つ方も、てんで駄目だった。リトルリーグで野球をやっている連中から観れば、単なる馬鹿である。みんな一斉に辞めて、そいつの悪口を言いながら、チャリンコで消えた。私も消えたかった。

 ご近所のガキ大将は、他にも面倒な事をしてくれた。ガキ大将は、私と弟ともう一人の『ツネ』というガキが集まっている時に、チャリンコレースをしようと言いだした。この、馬鹿ガキ大将が、コースを決めた。私は父と『絶対に交差点で飛びさすようなことはするな』と言われていたので、参加しないと言った。弟にも辞めろと言ったのだが、この馬鹿ガキ大将は、弱虫と、私の事を罵った。そしてレースが始まると、ガキ大将は1着を取りたくて、自分からスタートした。二番目に『ツネ』という奴がスタートしたら、私の思っていた通りに、車とぶつかって気絶していた。幸い、車の横に当たったので、怪我もなく、大事には至らなかった。しかし、ツネのお袋さんが、「ツネちゃ~ん」と、大声で走ってきた姿は忘れられない。で、その馬鹿ガキ大将は現場に戻って、こなかった。つまり、逃げたのである。卑怯な事この上無い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

蚊帳(かや)の思い出

 父の墓参りに行ったのだが、夏の鎌倉や湘南は混むな、という印象を受けた。鎌倉は、三方が山で一方が海なので、幕府が開かれたと聞いた事があるが、確か、鎌倉に入るために、五つぐらいの切り通しが作られたという。昨日は快晴な事もあり、異常に混んでいた。VICKSを観ても真っ赤だった。眠い中、イライラと運転する私、墓参りは早朝に限ると感じた次第である。墓参りでも、般若心経をお袋と唱えていたら、蚊にさされた。畜生、と思う元気もない程の暑さでもあった。汗だくである。今でも痒くて痒くて仕方がない。

 ところで、皆さんは、蚊帳(かや)というものをご存じだろうか。寝ている時に蚊にさされない様にする、工夫なのだが、現代で蚊帳を張っている家の話を聞いた事がない。私が最後の世代なのだろうか。原理は簡単で、部屋の四方に紐をくくりつけ、ネットを張り、蚊の進入を防ぐというものだ。当然、先に布団はひいておく。もちろん蚊取り線香も焚くのだが、当時は、あの豚の入れ物で焚いていた。私が、何故この様な体験をしたかというと、お盆に家族全員で、母方の実家でである、瀬戸の島に帰ったからである。ずっと親父が車を運転していた。

 蚊帳に入って寝た経験というのは、私にとって非常に貴重な体験であった。今だったら、蚊取り線香以上の物が開発されているから、もう蚊帳などいらないのだ。友人曰く、「蚊取り線香は日本のやつが一番効くんだ」とも言っていた。まだ、蚊の季節には早いが、何となく思いついた事を、何となく綴ってみた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画『アウトレイジ』を観て

 『アウトレイジ』とは、『極めつけの悪』という意味らしいが、それぞれに個性はあるものの、全員が悪人といういう事は間違いがなかった。いろんな俳優が個性的なヤクザを演じる中で、マル暴対策の刑事までもが、ヤクザとつるんでいて、ことごとく悪人だった。そんな中での罵り合いなども、迫力があったが、殺し方にもインパクトがあり、さすがR15指定の映画だと思った。北野武監督の映画を観たのは、『HANABI』以来だったが、作風がまるっきり異なっていた。ヤクザ映画をエンターテイメントにしてしまう実力というのも凄い。それでいて、リアリティーがあるのは、脅し方や殺し方の表現に依るものだろう。

 私が観ていて、こんなにたくさん殺し方があるのかということにも驚いた。メインは拳銃だが、殴り殺したり、マシンガンをぶっ放したり、手榴弾を使ったり、紐を使ったり…と結構、グロテスクな面もある。

 物語は、弱小の村瀬組がやっている、ぼったくりバーに、たけし率いる大友組が、上からの命令で、組の若い者をわざと行かせ、いちゃもんを付ける所から始まる。たけしの大友組は、山王会やその下の池元組という組織の下に属しており、汚い仕事はすべてたけし率いる大友組が行う。それを契機に抗争が始まり、『アウトレイジ』たちは次々と滅びてゆく。

 しかし、この映画のパンフレットは良くできている。700円でこれだけの内容のものなら、納得が行く。読んでみると俳優さん達がみんな北野武監督をリスペクトしており、その逆も成り立っている。だから、チームワークが良い。また、映画の冒頭で出てきたと思われる料亭のCMを載せている所にも感心した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

たけしの映画

 今日は、たけしの映画、『アウトレイジ』を見に行く予定である。数ヶ月も楽しみにしてきた映画だ。もし外したら許し難い…とは言っても、北野武監督でベネチアの金獅子賞を取った、『HANABI』のラストシーンは泣けた。昔、大島渚監督が存命だった頃、『戦場のメリークリスマス』で坂本龍一が賞を取った。出世作ともなった。当時のたけしは、評価されなかったが、その後、監督として絶賛を浴びる事になる。結局、一番才能が無かったのは、大島渚監督という事になる。それで仕舞いだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

テツガクの歌 その2

 哲学論について…

 私:「あの当時(大学時代)は、自己テツガクなど語ろうとすれば、馬鹿にされるか、相手にされないかのどっかだったよな」

友人:「当時は、馬鹿の集まりだったよな」

 私:「俺なんか脳みそ一杯に悩みを抱えていたけどなあ」

友人:「それが正しい。考えない所からは、何も生み出されない」

 私:「でもな、三年ぐらい前かなあ、座禅している時にとてつもなく哀しくなったんだ」

友人:「どういうことだ?」

 私:「いやな、人間は、永遠に悩み続ける者だと考えていたんだけどな、ある時に心が澄明になったことがあるんだ。その時に悟ったのが、人間というのは、楽観でも絶望でもなく、自分自身を納得した時にケリが着く者だと解ったんだ。それを知った瞬間に、俺は床で号泣したよ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

テツガクの歌 その1

 もう、一昨日のことになるが、大学時代から、今でもお世話になっている友人が、我が家に遊びに来てくれた。学生時代に僕に革命を与えた友人でもある。僕はその当時、自分がこんなに悩むのは、異常なのではないかと考えていたが、徹夜で討論した後に、彼は「周りが間違ってっている。お前が正しい」と言ってくれ、二冊の本を紹介してくれた。そのうちの一冊で僕は感銘をうけることになる。それからは大学の勉強どころではなく、真剣に読書する様になった。

 彼は我が家にきて、最初に親父のために手を合わせてくれた。有り難い事この上ない。お礼を言ってから、私の部屋で二人して飲んだ。「汚ねー部屋だな」と言うので、「本を置く場所がないんだ」と言った。それからipadの話になったのは言うまでもない。

 彼とは、いろんな深い話が出来たのだが、充実感いっぱいである。そんな中で、私は、「俺らがテツガクなんて言葉を使ったら、当時は笑われていたけれど、十五年経った今じゃ、当たり前の様に使われる様になったよな」と言ったのだが、友人も、「あの頃は馬鹿な奴らしか集まっていなかった」と言う。私は同意した。

 そんな友人だが、私のblog本を買いたいという。出版社との交渉は面倒だが、交渉してみるつもりである。そんな風に、本を欲しがってくれる友人…親友だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ブラックジャックは何故キリコを認めているのか

 ブラックジャックと言えば、手塚治虫先生の傑作である。主人公は、天才外科医、ブラックジャックである。その対として、末期医療患者や、自殺願望者を、金を取って安楽死させる、Dr.キリコという医者がいる。ブラックジャック(以下BJ)はいつも安楽死を止めようとするのだが(キリコを否定しているのだが)、説得は出来ない。いつしか、僕は、BJがキリコの事を認めているんだと感じる様になった。それが何故なのか解らないので、世話になっているお医者さん二人に質問してみた。

 まず、医者のA先生は、BJを読んだ事はあるけれど、忘れてしまった。と答えられた。そこで、上の様な概略を説明したところ、「BJは、心の中のどこかか、無意識のうちに、安楽死を認めている面があるからじゃないのかな、聞いた話を聞いた限りでは」と応えられた。その上で、「自殺を幇助する様な真似は許し難く、自殺願望の強い人は視野が狭くなっている。その人の視野や思い込みを広げる事で、大概の自殺は抑えられる」とも、おっしゃっていた。

 後日、医者のB先生に質問したところ、読んでないという事で、同じく、説明をしてから質問をしたのだが、その先生は、『医者』とは何なのか?という根源論に行き着く話だとおっしゃった。それから、まじめな会話が十分程度続いたのだが、極端な例として、患者や遺族の要望を聞かずに、心臓が動いている限り、患者が苦しもうが、何だろうが、一分一秒でも長生きさせるという医師も眼にしてきたらしい。その対にあたるのが、安楽死である。結局、『生とは何か、死とは何か』というところに突き当たり、医者それぞれの価値観の違いによって、変わってしまうという事をおっしゃっていた。がんの末期の患者や、どうしようもないお年寄りに関して、『消極的安楽死』を陰ながら認めている風潮もあるという。

 大枠では人間の死というのは、人間の尊厳と結びついている気がする。私も私の故父も母親も、延命治療は望まないという意見で一致している。その代わり、親父の死に際に、母が、「苦しまない様にさせてあげて下さい」と言った。親父は、酸素マスクを外してくれた看護士さんに、最後に、「ありがとう」と言って、散った。私からすれば、『延命治療』も『安楽死』も大差はないと感じる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

気合いが…

 今日は気合いが入らない。友人も来る事だし、部屋の掃除をしなければ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

満三年なれど達成感なし

 友達の、『毎日blogを書け』、という、友情溢れる脅しから今日で満三年になる。その友人は、「石の上にも三年」と言っていたが、友達の僕を見る目が変わった。お袋は、今日、赤飯を炊いてくれると言っていたし、めでたい事には変わりないが、ピンと来ない。

 blogにして1200通余り、メモリーなら、2.27MBをtxtファイルで打ってきた。最近は、セーブするのにも時間が掛かる。イライラしながらタバコをふかして、待つ。もちろん、なんども投げ出しそうになった事はある。でも、どんな事が起きようが、歯を食いしばってきた。この三年で、もっとも辛かったのは親父の他界であったが、たとえ一行でも書いてきた。そうやって心の整理は着いてきたが、自分自身や家族が報われる事は無かった。

 「今年の風邪は長引くなあ」などと言っていた。私と母とで、風邪のうつしっこをしている様なものだ。いつからか、『しんどい』という言葉を使ったら、罰金500円という様になった。黙って500円玉を貯金箱に入れる様になった。異常気象とも呼べる今年の天気は、住む人々に風邪を引けいっている様なものだ。許し難い。

 まあ、自分の中で目標にしてきた、『三年間は毎日書くぞ』という目標が達成されたが、後には何も残っていなかった、というのが僕の結論だ。急に泣きたくなってきた。自分が何者なのか解らないうちに、四年目を迎える。ただただ泣きたい。俺の意地なんて、くだらないものだったのだと思うと嫌気が差す。毎日、毎日、毎日、blogのことばかりを考えて、はき出して、という生活が、ここ数年続いた…いったいあれは何だったのだろう。実際、この三年間で、アイデアが湧かずに、血こそ吐かぬものの嗚咽した事は何度でもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

リーチ

 まずは昨日のblogを読み返してみて、酔っていたとはいえ、親にあんな言葉遣いをするものではないと反省している。母が怒鳴ってきたので、勢い、私も怒鳴り返してしまったが、そこは冷静に対処できなかった自分を恥じる。言ってる事は間違っていないと信じるが、言い方に問題があった。反省している。でも、お互いに翌日にまで引きずらなかった。「おはよう」と言って終わりである。そして、昨日は私の買い物もあったが、主に母の買い物の足にされた。調子の悪い中、車を運転した。それで、もう、チャラなのである。

 話は変わるが、昨日、買い物から帰ってきて、メールボックスを開くと、大学時代からの友人(既婚)からのメールがあった。何でも、自分以外の家族が旅行に行ってしまったので、土曜日にでも会わないか、という趣旨のメールだった。私は、どうせこっちに来るのなら、久々に家に遊びに来ないか?と誘った。学生時代もその後数年も、彼が結婚するまで、何回、彼の家に泊めてもらったか解らないぐらいだ。そして、来てくれる事になった。二人でサシで飲むのは久々だから、非常に楽しみである。最近、私が凝っている、焼酎のトマト割りを勧めるつもりだ。昨日、安売りスーパーで大量に仕入れてきたので、在庫は豊富にある。口当たりが良くて、飲み過ぎてしまうのだが。また、彼はマイケルジャクソンが好きだから、『THIS IS IT』を上映する事にもなるだろう。掃除しておかないとな。

 さて、タイトルの『リーチ』とは何を意味するのだろうか。歯医者さんの考えた歯ブラシ、『リーチ』のことではない。野球で言うなら、マジック1といったところだ。はてさて。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いただきますと日本文化

 昨晩、母と相当言い合った。私が食事の際に手を合わせて、『いただきます』と言うのは、三つの理由からだ、と言った。一つは仏への感謝、もう一つは、この弱肉強食の世界で、自分より弱い生き物の命を奪ってまで、生かさせてもらっている事への感謝、もう一つは、作ってもらう人への感謝だと言った。すると、母が、「それじゃあ足りない、自分たちの代わりに殺生してくれる人達などにも感謝しなければいけない」と言った。直後に私が、「合掌しないで、いただきますと言わないのは、仏に感謝していない証拠じゃないか。それにいつも茶碗にご飯粒、残している人にそんな事は言われたくないぞ。要するに食い物のありがたみが解っていない証拠じゃないか」と罵ったら、母は仏頂面して、「それでも感謝してんだよ」と言ったので、私は腹が立った。

 「そもそも、あんたらの世代がアメリカの物質文化に追随したから、日本はこんな国になっちまったんじゃないか」と私が言うと、母は、「その恩恵を受けてきたのは、あんた達じゃないか」と怒鳴り返してきたので、「今のこの国の文化って何だ?あるんなら言ってみろ」と私も怒鳴り返したら、「じゃあ昔は何があったんだい。聞きたいね」と、母は、強気ながら弱腰になった。私は、「ドイツに留学していた頃の森鴎外は、日本の文化を尋ねられて、武士道と答えたそうだぞ。大体、新渡戸稲造の『武士道』読んでからものを言え。難しかったら藤原君の『国家の品格』でもいい」と言うと、「どういう教えなんだい?」と母が聞いてきたので、概略を教えてあげた。すると、「そんなの当たり前の事じゃないの」と言ってきたので、「馬鹿。今の世の中にどれだけ廉恥心持っている奴がいるんだ。ベネディクトの『菊と刀』で例えると、戦後の日本はアメリカが定めた憲法で、骨抜きにされ、菊は野ざらしにされて、刀は錆び付いてしまったじゃないか。この刀というのは武士道を指しているんだ」と私は説明した。母は黙っていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず

 タイトルの言葉は、中国の故事成語というより、諺に近い。『李下に冠を正さず』の李下とは、すももの木の下での事である。そこで冠を正す様な真似をしてはいけないという教えである。何故かと言えば、本人は冠を正したつもりでも、遠くの人からは、『あいつ、李(すもも)を盗んでやがる』と思われがちだという事だ。同じニュアンスで、『瓜田(うり畑)に履(くつ)を納(い)れず』というのも瓜畑で、履(くつ)を整える様な真似をしては、やはり、盗人との嫌疑をかけられてしまうからである。

 どちらにしろ、自分が疑われる様な、まぎらわしい行動は起こすな、という教訓である。特に『李下に冠を正さず』だけでも、意味を知っておいた方がいい。政治家を目指す方は、とりわけこの気持ちを忘れないで欲しい。

 『疑い』という意味では、日本にも、『火のないところに煙は立たない』と言う諺がある。これは、読んで字のごとく、煙が立っているという事は、火が出ているという事だ、というところから来ていて、やはり、怪しがられる様を表した表現である。火元を探すのが好きなのが日本人の特徴でもあるが…

 日本のマスコミも、火元ばかりを探すのではなくて、ジャーナリズムの根幹としての、『自分も強い人間ではないけれど、ジャーナリストとしての誇りはある』という様な人に出てきて頂きたい。政治では、野党に落ちた自民党の谷垣は批判しかしていない。駄目である。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

運と欲望の関係

 運と欲望の関係と言っても、ギャンブルのみに当てはまるものではないが、今日はギャンブルについて語ってみる。運が良くなってきた人は、欲をかいて、運気が下がる。逆に、欲のない人には運気が上がる仕組みだ。欲望と運とは、いわば、コインの裏表なのだ。

 私とお袋は、交互にtotoBIGを買っているが、いつもアンティークもののネコの下に入れている。それでも、全然、当たらなかった。こないだ墓参りに行った際に、寺の賽銭箱に十円入れて、どなたかが寄贈された大黒像の右手にある金色の打ち出の小槌にtotoBIGの券を擦りつけてみたら、四等の一万円弱が当たったのには驚いた。私としては、おまじないぐらいの気持ちで、さして、欲なぞ無かった。そもそも、totoBIGなぞ当たるものではないと考えていた面が強い。そうしたら運気が上がって、四等とはいえ当たってしまった。

 昨日の、競馬の安田記念は解らなかったので、私は昼寝していた。すると、普段、ギャンブルなどに無関心の、家の母親が、競馬中継を見ていたらしい。母はパドックを見ていて、⑰番の馬の、いわゆる、トモとかヨリとか言う部分が、光って見えたそうだ。GⅠだからどの馬もめいっぱいに仕上げているので、他の馬も毛づやがいい。しかし、八番人気の⑰番が気になって仕方がなかったらしい。欲がないから馬券は買っていないが、レースになると、本当に⑰番の『ショウワモダン』が勝ったらしいのだ。母は私より、馬を見る目があるのかも知れない。私の場合、パドックを見る時は、勝つ馬よりも、負ける馬を消去するために観るからだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ジミーちゃんの方が才能あるぞ」

 今日は競馬の『安田記念』があるが、十数年前に友人と二人で行った時の事…

 私:「(友人の競馬新聞を見て)こいつの予想は当たらないぞ」

友人:「なんでだ?」

 私:「そいつの顔写真を見てみろ。鶴太郎そっくりじゃねーか」

友人:「そうだな。どうせだったら、俺が昔の鶴太郎にしてやる(ボールペンで写真の髪型を変える。すると『ひょうきん族』の頃の鶴太郎の頭になった)。そもそも、鶴太郎、芸風二回ぐらい変えてるだろ。それが許せねーんだよ」

 私:「ボクシング語り出した頃から、おかしくなったよな。才能もねーのに役者のまねごとやってみたり」

友人:「あいつの原点は、『ひょうきん族』での「ピヨ、ピヨ、ピヨピヨピヨ、ヒヨコの親子がピヨピヨピヨ」だったはずだ」

 私:「もしくは、『笑っていいとも』でコーナー持っていた時の、オスマン・サンコンさんの紹介の時に、嬉しそうに、「オスマンマンマンサンコンさんです」と紹介していた姿だな」

友人:「最近じゃあ、絵を描いたりしているけれど、一度あいつに言ってやりたいんだよな。「ジミーちゃんの方が才能あるぞ」って」

 私:「確かにそれは事実だけど、タブーらしいぞ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

内定のもらい方

 一概に就職活動といっても、この不景気の時代に、内定を採りまくる、『内定ゲッター』みたいな奴もいれば、全く取れない奴もいる。理系なら、学校推薦で、すぐに決まる事もあるが、文系や理系からの文系就職で勝負する場合、何度もの面接をクリアしなければ、内定はもらえない。やりたい事を見つけてそれに猛アタックをかける奴もいれば、何となくのブランド意識で会社を選ぶ奴もいる。モチベーションがどうであれ、それぞれの人生だから、別に構わない。ただ、どうせだったら、『内定ゲッター』になった方が気分がいい。

 私が塾講師をしていた頃に、大学生の後輩講師が、就職活動をしている時に、ある男の講師から、「何か面接の必殺技ってないですかね?」と質問された。私は自分が就職活動をしていない事を断ってから、「実はある」と応えた。一緒にいた女性講師も、興味を持ち、「何ですかそれは?」と聞いてきた。二人とも文系だったのだが、私は、女性講師には、「女性には向いてない。成績が良ければ何とかなるよ」と言ったら、その娘は六大学に通っており、「私、これまで、成績はオールAですよ」と言ったので、「それだったら、普通にこなしたら、好きなところに行けるよ」と太鼓判を押した。

 もう一人の男性講師が、「じゃ~、男の場合はどうなんですかね?」と尋ねてきたので、私はゼミに入っているかどうかを聞いた。幸い、「入ってます」と言うので、「最低条件はクリアしてるな。あのな、面接の必勝法というのは、相手である面接官を笑わしにいかせるんだ。そして、話の主導権を取って、自分の得意分野に話を持ってゆくんだ」と、アドバイスした。「要するに、面接官を自分の土俵に入れちまう事なんだ。そして、できるだけ、テキパキ答える事も重要だ」と教えてあげた。二人の講師は、「なるほど」と肯いていた。結果女の子の方は、すんなりと決まり、男の方は苦労したものの、全部最終面接まで行き、全てには受からなかったが、見事、『内定ゲッター』振りをアピールしてくれた。

 就職活動をしていない私が、何でこんな作戦を伝授できたかと言えば、自分が学部の四年の時に、文系就職で内定を取りまくっていた奴の、面接の時の話を伝え話で聞いていたからである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ひどい女

 大学時代に、機械科には女性が四人しかいなかった。、私の採ったコ-スには三人しかいなかった。みんな固まっていたが、別のコースに行った女の子は『ロボットが作りたい』との理由で、そっちのコースへと行った。前にも書いたが、男社会の中でやっていくのは、大変なのだ。誰々が男と歩いていたぞ、などというニュースは一瞬にして拡まる。ヘタを打つと、学校に通えなくなってしまう。私は自分のコースの女性二人とは話した事はあるが、ナチュラルだった。残り一人は、男性友達からも、『エグめ』とボロクソに言われていた。

 三年が終わり、研究室選びが始まると、私は隠れ楽勝研究室に希望する研究室はすっばりと決まった。しかしその問題の女もくっついてきた。

 友人から、卒論前に、「お前の研究室の女、う~ん何て言ったかは忘れたけれど、男と歩いていたぞ…まあ、大したことなさそうな奴だったけれどな」との情報を得た私は、その女が、酔っぱらって夜に来てるので、研究室内で、平気な顔をしてタバコを吸ってやった。

 こいつは、前に嘘をついてでも、私にT.Aをやらせようとしたが、学部時代に、もっと非道い事をした。私は大学院に行くつもりだったが、学部で就職する奴も多い。チームメイトが企業と話を進めていた際に、同じ会社を志望していた、「○○君に譲ってあげなさいよ」と、人の就職活動にまで口を出した。さすがに、この時は、友人もぶちきれたらしい。当たり前の事だ。自分の一生が関わっているのに、他人が口を挟むべき事柄ではない。幸い、友人はその某企業に就職できたが、大体、卒論も先輩の二年前の写しでしか書けない奴は、単なる馬鹿である。私は嫌々ながら、三年環境をそいつと過ごしたが、そもそも、選ぶ研究室を間違ったと知っても後の祭りであった。まあ、最低の女が観られただけでも価値はあるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バルサンを炊いたら

 こないだ、ホームセンターに買い物に行った時、お袋が十個位バルサンを買っていた。多分、私が買ってきた古本に引っ付いてきた虫が、この時季に繁殖するからである。三年前に、バルサンを炊いたら、効果覿面だったのである。二階の各部屋と、母の寝室と、天井裏と家の地下ににセットした。これでもまだ、台所と居間とホールなどのバルサンが足りないので、次にまた買ってくると言う。私は、台所で炊くのは、衛生上疑問に思うが、一遍にことごとくやるのが、効果的なのである。

 バルサンをセットしたら、二時間以上はその部屋には入れない。三時間経過した後に、部屋に入ってみると、空気が白くなり、視界が悪い。それに、殺虫剤独特の臭いがする。健康に悪いんだろうと思って、窓を開け、風通しを良くしなければならない。だから、バルサンを炊く日は、晴れの日でなければならない。

 家には、室内犬の弥吉君(ミニダックス・♂・満一歳)がいるから、居間などで炊く時には注意しなければならない。今度の親父の墓参りの際にでも、炊く事になるのだろうか。

 今回、私の部屋でバルサンを炊いたら、CDコンポがぶっ壊れた。幸い、パソコンの方は大丈夫だったので、そっちでCDなどを聞いている。バルサンのせいでCDコンポがぶっ壊れたとは考えたくはないが、購入して七年余り、ぶっ壊れたのは二度目である。嫌気が差す。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画『アイガー北壁』を観て

 ヨーロッパアルプスの中でも1936年までに、唯一、登山家を寄せ付けなかったのが、スイスのアイガーという山の北壁だった。そこは日のあたらない、万年雪の残る、絶壁である。標高3970mと、高さはエベレストの半分にも満たないが、非常に難しい山なのである。

 まだ戦争前のナチスドイツが、アイガ-北壁の初登頂に成功したものにベルリンオリンピックで金メダルを授与すると発表し、オーストリア人二人組と、ドイツ人のトニーとアンディも参加する事になる。ドイツ人コンビを誘ったのは、新聞社で新米の、二人の幼なじみの女性記者でトニーと、かつて相思相愛だったルイーゼだった。ドイツ人が挑戦するという事で、マスコミ各社が食いつく。地元の高級ホテルに陣取り、毎晩パーティーをしながら、高みの見物をする。命を張る事になるトニーは、その会場を黙って出て行く。いざアイガー北壁に挑む直前に、ホテルのルイーゼに、それまでの数々の登頂経験を語ったノートを渡す。私はこのシーンは告白であると同時に、死を覚悟しているのだと感じた。

 ドイツ隊とオーストリア隊が、アイガー北壁にアタックし始めるのだが、最初は順調だったものの、もう少しで山頂という所で、雪崩や吹雪に巻き込まれ、ドイツ隊とオーストリア隊は、互いに協力し始める。四人いたうちのオーストリア隊の一人が命を落とした時、残った三人は登頂をあきらめ、下山し始める。猛吹雪の中、「寝るな、凍死するぞ」などと励まし合う。しかし下山も容易ではなく、トラブルで四人分の体重を支えていた、岩に打ち込むハーケンが抜けそうになった時、下の三人の一人である、アンディが自らロープを切って落ちていった。トニーはロープが無くて孤立してしまう。その時、山中列車の線路を登って、恋人のルイーゼが助けに向かう…というようなストーリーだったが、それからもぎりぎりの勝負が続く。

 この映画はドイツ映画であるが、よくぞここまでの撮影をしたなと感心した。あまり山の事は、私には解らないが、想像以上に過酷である事はよく解った。アイザー北壁は1938に初登頂を許すのだが、アタックしたうちの1/3以上が死んでいると聞いている。日本の若者が今度、挑戦する様なニュースを聞いたが、無事である事を祈る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画の日

 毎月、1日は映画の日。一般が1000円で観られる貴重な日である。こうしてはおれぬ、急ぎ映画館に足を運ばねば。それでは、失敬。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »