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文章の結晶

 三年前に『仏画』を頂いたお礼に、私は自費出版した『blog本』を送った。友人の奥さんに、お礼がしたかっただけなのだが、こんな感想が返ってきた。どうも、私のblogは、身近な事に関してのものは面白いけれども、想像で書いているものは、今ひとつだと…。ここで私は、フィクションの在り方について、悩む事になる。

 結局は、リアリティの問題なのだろうが、経験していない事を書くと、化けの皮が剥がれる様だ。これでは、全然駄目なのである。世の中に、すべてを経験した人がいない様に、作家は、巧妙な網の目を張る。丁度、ジョロウグモの網の目の様に。その手法は、人それぞれで異なるが。推理小説の作者が人を殺せない様に。

 自分で自分の癖とか、文体とか、気韻、とかが観えるのならばまだよい。しかし、問題は、そのことを、本人が解っていないところに原因がある。芥川龍之介は、それらを知る事は、丁度、自分の後頭部を観る様なもので、観ようとすれば、首の骨を折るのがオチだと言っていた。自分で自分の後頭部は見えないのである。

 時々、『美しい文章とは何だろう?』と考えてしまう時がある。そんな時は、私が迎合しなくても、結果として、ついてくるものだと考える様になった。世に、『何でも知っている人がいない』以上、悲観するものではない。結局、独りで出来る事なんて、たかがしれているのだ。

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