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2010年2月

疲れがたまっている

 二日間で神戸まで車で往復し、1000Km以上独りで運転してきたので、疲れがたまっている。今日は、おいしいものでも食べて、疲労回復したい。

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現在神戸

現在、神戸のビジネスホテルにいる。父方の祖母の見舞いと、祖父の墓参りをするためだ。昨日、風こそ無かったものの、台風なみの雨の中を丸一日かけて帰ってきた。運転中、視界がほとんどなく、運転好きの私でも、怖さを感じた。事故だけは起こさぬ様に注意したので、時間がかかった。昨日の夜に到着した時点で、疲労困憊。夕食が喉を通らなかった。まあ、よく眠れたので、少しは回復した。さあ、服を着替えよう。

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映画『交渉人』を観て

 映画を観るまで、僕は『交渉人』シリーズがTVドラマだったということを知らなかった。ただ単に、他の映画での予告編を観て、面白そうだから観ることにした。主人公、宇佐木(米倉涼子)が全体を通して活躍するのだが、トリックが矛盾だらけで、ちゃちに見えた。

 また、この映画のいいところは、悪役の配置にも気を配った点にある。存分に悪役に見えたという所だ。これにより、宇佐木や警視庁特殊操作係のチーフである桐沢(陣内孝則)の行動がリアリティを帯びた。このコントラストがいい。その中に人間味が出ている。

 最初の爆弾破裂事件にせよ、飛行機のハイジャック事件にしろ、現実味が薄かった。何処でどう交渉しているのかも、曖昧だった。矛盾だらけの中、決して上質の映画とは言えないが、サスペンスとしては、手に汗握るシーンもあった。オチも二転三転して楽しめた。

  僕はTV嫌いなので、ドラマが存在することを知らなかったが、その分だけ、映画では期待を込めていたのだが、空振りに終わったというのが感想である。もちろん、役者は精一杯の演技をしているのだが、その分だけ、無理があったし、『交渉人』というタイトルが不発に終わった様な気がする。交渉の余地を赦さない悪役達だったからかも知れない。結局、交渉していないのだ。

 お客さんの入りはまずまずだった。私はハズレくじを引いたなどと、厳しいことを言ったりもする。

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どうやって神戸に帰ろう?

 父方の祖母のパワーが無くなってきているらしい。もう90歳を超えているので、仕方のないことである。私や母が見舞いに行っても、多分、誰だか解らないだろう。それでもばあちゃんに会いたい。健全な頃は、一日に三回づつ、仏壇と神棚を拝んでいた。その功徳か、阪神淡路大震災でも家は壊れなかった。そんなばあちゃんに、写経した紙を持って行ったりしていたが、いつ頃からか、僕のことも解らなくなってしまった。それでも会いたい。

 賢いばあちゃんだった。嫁姑のこじれはあったものの、確実におばさんが悪い。僕が遊びに行った時も、鬼の形相でばあちゃんを叱りつけていたが、ばあちゃんは耳が遠い振りをして、相手にしていなかった。その直後に神棚に拝む際に、そのおばさんの名前も入っていたので、僕は感激して涙が止まら無かった。この人は凄い人だと、改めて感心させられた。

 さて、そんなばあちゃんが入院している病院に、近々お見舞いに行こうと、母と話していたのだが、問題は車で帰るのか、新幹線で帰るのかということである。新幹線ならとんぼ返り、車なら一泊二日である。私はどちらでもいいのだが、ここ一年旅行に行っていないので、できれば車で帰りたい。しかし、渋滞は嫌である。このところの高速道路料金のシステムも変わってしまい、僕にはどうなっているのか解らない。要するにややこしすぎるのだ。新幹線だと慌ただしいし、じいちゃんの墓参りに行く足がない。悩ましいところである。

 近日中に結論は出ると思うのだが。

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映画『人間失格』を観て

 太宰の原作は持っていたが、読まないうちにどこかへやってしまった。大体僕は、自殺した作家というものを認めてはいなかった。映画の『人間失格』も、相当迷った挙げ句に観た。そこには切ない男心が描かれていた。暗い作品である。太宰の自伝の様な物だ。

 親しい友人との自己紹介メールで、インパクトを受けた作品として、太宰の『人間失格』を挙げていた。相当女にモテる男だ。私は原作を読んでいなかったので、暗い奴だな、というぐらいの反応しかしなかった。しかし、この映画を観ているうちに、男心が解っていないと理解できない作品だとも感じた。男というのは、普通なら、モテてモテて仕方がない時季というのがあるのだ。また、真の男ならば、それに嫌気が指して、堕落してゆくものなのだ。堕落と言っても、いつか這い上がるチャンスを狙っての堕落なのだ。ところが太宰は優しすぎて、堕落の一途をたどる。

 劇中に、中原中也が出てきたのも新鮮だった。彼は実在する詩人なのだが、太宰の中に、ピエロな自分がいることを見抜く。道化は俺だけでいいという中原は、太宰よりも早く死ぬ。原作では中原は登場していないらしいのだが、中原の死は太宰の心を揺さぶる。

 作品全体を振り返ると、やはり太宰の二面性が目立つ。生まれながらにしてピエロを演じてきた面と、純粋な本心。彼は女に不自由しないが、逆にそのことが命取りになる。男は優しいだけでは駄目なのだ。心中に心中を繰り返した彼を僕は軽蔑する。

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映画を観に行く

 今日は映画を観に行く。二本。すでに疲れている。

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パソコンのメンテナンスと友人

 昨日は税務署まで、車で友人を迎えに行ったが、確定申告が思いの外、早く済んだせいで、午後の二時半には、大慌てで着替えて、高速を飛ばし、迎えに行った。着いてすぐに、友人に電話をしたのだが、あろう事か、そこは駐停車禁止の場所であった。片側二車線あるから、駐車禁止だろうと思っていたら、駐停車禁止だった。すぐさま友人を誘導し、車を出発させたが、パトカーが近づいてきたので、罰金を覚悟したが、そのパトカーは、他の任務があるのか、素通りしていった。

 友人を家に招くと、母が挨拶し、友人も挨拶していた。二階の私の部屋に来た友人は開口一番、「独り暮らしの男の部屋みたいだな」と言っていた。それもその筈、書物に埋まって作業する様な環境だからだ。別に私は気にしていない。友人もすぐに慣れてくれた。

 パソコンのメンテナンスをやりながら、友人はTVを点け、「そろそろ俺も地デジ対応TVを買わなくちゃな」と言っていた。パソコンのメンテの方は、うまくいったのだが、私がメールパスワードを忘れて@niftyに電話して、パスワードの書き換え方を教えてもらった。しかし@Niftyとgmailの相性の悪さが浮き彫りになり、予定を完璧にはこなせなかった。それは残念だったが、友人は犬好きで、家の弥吉君も相当甘えた様子だっだ。

 最後にお袋がチャーシュー麺を作ってくれたので、それを二人して食べた。仏間だったので、友人は線香を上げて、手を合わせてくれた。有り難いと同時に、友人も大学時代に親父さんを亡くしているので、いろいろと相談に乗ってもらったことも多い。その後、友人を駅まで送ったが、なにはともあれ、眠いのだが、オリンピックも観なければ。

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初めての友人

 今日の夕方から、コンピューターに強い中高時代の友人が、我が家のパソコンのメンテナンスに来てくれる。普段、コンピューターを仕事にしている友人であるから、嫌だろうな、と想像していたが、快諾してくれたので、非常に有り難いと感じている。そういえばその友人、我が家に来るのは、多分、初めてである。別に、理由などないのだが、何故か来る縁がなかった。夕方からというのは、彼は明日床屋に行き、確定申告もしなければならないらしいのだ。その友人も私も独身なので、泊まっていってくれても構わないのだが、よく考えると、明日は月曜日であった。

 明日は税務署まで、車で迎えに行くつもりであるが、夕方というだけで、時間が曖昧なのがやっかいである。場所はカーナビで探る。夕飯はごちそうするつもりであるが、彼は車での送迎は望んだものの、夕飯とか泊まりとかをひたすら遠慮していた。結局の所、お礼に夕飯をごちそうするということで落ち着いたのだが、お互い、昔からのつきあいで独り身、そんなに遠慮しなくてもいいのにな、とも感じた。

 彼は明日、仕事であるから、今夜の九時頃が限界なのだが、そうなると四時間ぐらいしか時間がない。それだけの時間でパソコンのメンテナンスが完了するかは微妙だが、彼のパワーに賭けるしかない。また、せっかく初めてきてくれるのだから、ビールでも用意しようかとも考えたが、帰りも車で送らなければならないので、それはできない。まあ、新年会でも会った仲だし、今度、彼が何かで困った時に恩返しできたらいいな、と考えている。

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奥入瀬渓流を歩いて

 今年の年賀状には、奥入瀬渓流で撮って頂いた写真を使った。奥入瀬渓流とは、十和田湖の北にある渓流で、四季折々美しい。一番人気があるのは、紅葉の季節らしいが、私が行った若葉の季節も悪くはなかった。日本の中でも緯度が高いので、六月頃が若葉の季節である。以前も車で通ったことがある道なのだが、今回は歩いてみたいと思った。丁度その日は晴れてくれたので、歩くこととした。この裏には、旅立つ前に、故親父から、「じっくりと観てこい」という指令があったのだ。

 車を十和田湖畔に駐めて、JRバスに乗り、奥入瀬渓流の途中で降りた。そこから約15Km、上流に向かって散策道を歩いた。なんでも、奥入瀬渓流は下流から観ないと良くないと、観光案内所のおばちゃんや、Y.Hの人から聞いた。まるで鏡面のようなせせらぎがあったり、かと思えば、小さいが迫力のある滝があったりで、まるっきり飽きなかった。なかには、釣りをしている方や、絵を描いていらっしゃる方もいた。私は裸足にサンダルだったので、ぬかるみでコケそうになったりもしたが、自然の見事なことったらなかった。おおよそ三時間半ぐらいで歩ききったが、気温がそれほど高くもなかったので、快適に散策ができた。

 都会にいると、時折、自分を見失ってしまうことも多い。そんな中で、見事な渓流を観ながら、緑の中を進む。最高に癒された瞬間だった。自分の足で歩いたというのも、のんびりした旅として、快適だった。もう一度行きたいな、と思う場所の一つである。

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映画『ゴールデンスランバー』を観て

 『ゴールデンスランバー』というタイトルがBeatlesの楽曲から付けられているとは知らなかった。ジャズとも、ソウルとも、バラードともとれる一曲である。アルバム『ABBEY ROAD』の中の一曲でもあったので、メロディは記憶に残っていたが、肝心の歌詞は訳したことがなかった。訳すつもりなぞないのに、歌詞を観ると、止めどななく切ない。劇中でも、何でポールがこの曲を書いたのかが一つのテーマになる。『昔はよっかったね』と言う様な構成なのだが。

 この映画、訳もなく、主人公の青柳雅春(堺雅人)が、ひたすら逃げ続けるのがいい。首相暗殺犯とされるのだが、その裏が解らないのがまたいい。彼の、生き残ろうとして逃げる姿に何かをなぞらえた。かつて、作家の開高健氏は、アラスカなどに釣りに行く際、シェフを引き連れていったそうだが、ある時に、『もしも明日が地球最後の日だとしても、君はリンゴの苗を植える』と書いたそうだが、人間、これくらい前向きでなければいけない。

 また、この映画には、伏線が様々なところで引かせてある。結局は、主人公の人間性によって助かる…などと書いてしまったが、最後まで、どうなるのか解らない映画であった。どうやってオチを付けるんだろうと考えながら観ていたが、痛快なオチが待っていた。

 また、主人公の親父役の青柳平一(伊東四朗)が、記者団のコメントに対して、完全に息子を信用し、記者団に息子の無実を問いかける姿勢には亡き親父が重なって、感激した。親父も子供を信頼して守ってくれる様な人であったからだ。

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blogのピンチ

 毎日blogを書き続ける約束をしてから、早二年半。一度もタイマーを使わずに、継続して来られたことは嬉しい。しかし昨日はピンチでもあった。一昨日にほとんど寝ていなかったために、24時間近く寝てしまったのだ。ベッドで目が覚めても、時計を観て、まだ4:00か、もう少し寝よう、などと考えていたのだが、それは午前ではなく、午後の16:00だったのである。目覚めたのは17:00。夕方であることに気がついて、唖然とした。

 こういう時にまず思い浮かべるのがblogについてである。更新されているかされていないかで大違いなのだ。更新してないよなと思いつつ、コンピューターを開けると、案の定、更新されてはいない。残り六時間、ネタを何処に求めようかで、一時間ぐらい費やした。

 猛省を繰り返すうちに、新型インフルのワクチン接種のネタを思いついたが、焦りのせいか、なかなか頭の中でまとまらない。こういう時は素直になるに限る。座禅を組み、一呼吸置いてから、猛然とパソコンに立ち向かった。指の赴くままに打った。

 私は、blogを文章を書く際のトレーニングと位置づけているものの、blogの文章は拙いと感じている。自分で自分を否定するのもおかしなことだが、本当にそう感じているのである。なのに、何でここまで毎日書くことにこだわるかと言えば、単なる意地である。

  しかし、blogは性に合っている。進めてくれた友人達には感謝の思いだけが募る。blogさえ続けられなければ、私はnobodyのままだったからである。そうなると、親友に感謝しなければならないのだが、一筋縄ではいかない。約束は守ろう、と言いたい。

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新型インフルエンザワクチン接種完了

 昨日は二時間半ぐらいしか寝ていない中、日が昇る前に墓参りに行ったのだが、風が冷たく、ひどく寒かった。その後、整形外科に向かい、着いてみたら、9時からの診察の所、7:30だった。車で寝てることにしようと思ったが、八時頃、院長先生が、病院の扉を開けていたので、病院の中で待つことにした。しかし、院長先生が一番乗りしていたことには、えらく感心した。

 9時頃になり、私の名前が一番最初に呼ばれた。診察室に入って行き、院長先生に挨拶してから、体に何にもトラブルがない旨を告げ、痛風の薬の処方箋を書いて頂いた後に、新型インフルエンザについての説明を受けた。なんでも、免疫は約一年くらい続くらしいが、豚インフルエンザウィルスが変異してしまう可能性もあるとのこと。接種はとりあえず一回で構わないともおっしゃっていた。私が、鳥インフルエンザの話をすると、先生は、鳥インフルエンザウイルスは強力だけれど、豚インフルエンザウィルスに比べて、感染力が弱く、多分、大流行しないだろうというのが、大方の見方だとおっしゃった。また現在は、季節性インフルエンザと新型インフルエンザのワクチンを別々に打たなければならないが、一緒に接種できないかとの研究が進んでいるともおっしゃっていた。

 注射は看護士さんに打ってもらったが、私が、血などを抜いてもらう注射に比べて、打ち込む注射の方が痛いですよね、と言ったら、確かにそうらしいのだが、打ち込む注射の針の方が圧倒的に細いとのこと。なるほど、と納得して病院を後にした。

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墓参りだ

 昨日、目覚めると、母がいなかった。どこかに失踪したのかとも考えたが、そういえば歯医者で二時間の予約を取っていると言っていた。何でそんなに時間が掛かるのかは不明だが、何でも、新しく歯を埋め込んでもらうらしい。その両脇の歯も削ったということであるが、途中で麻酔が切れ、打ち直してもらったらしい。

 親父の月命日に歯医者の予約を入れるなど、言語道断であるが、母のうっかりミスであるから仕方がない。本日、墓参りに行く予定である。いつも車で行くのだが、相当冷え込んでいるので、路面の凍結が心配である。いざとなったら、電車とバスで行くしかない。幸い雪は降っていないので何とかなると考えている。それにしても寒そうだな。部屋の暖房をつけても、寒い空気しか送られてこない。今年の冬は何でこんなに寒いんだ、と腹が立つ。

 昨日、オリンピックの女子アイスホッケーを観ていたが、やっぱり女の子なんだなと思った。スピード、スキル、パワーで、男子と全然レベルが違う。おしとやかなホッケーなのだ。女子はそれでいい。

 今日は墓参りの後に映画を観て、整形外科に行く予定であるが、新型インフルのワクチンを打ってもらう予定である。風邪も治り、平熱な今が丁度いい。整形外科の先生とは、いつも何かしらの笑いが起きる。ユーモア溢れる先生なのだ。気さくな先生なので会うのが楽しみである。また、隣の薬局のおばさんも明るい人だ。私は、いつも何かジョークを飛ばす。そんな環境なのがまたいい。

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脳が凍った

 寒すぎて、脳が凍った。blogを書こうにも書けない。

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バンクーバー五輪開幕

 バンクバー五輪の開会式を観ていた。荒川静香がメダルを取ったトリノから、もう四年も経つのかと、時の流れの早さに驚かされる。今回の五輪の予想紙は、日本は銀メダル三つと書いていたとか。この予想、なにげに当たるから怖い。選手の皆さんは、ベストを尽くし、この憎き予想をを裏切ってほしい。

 注目する競技は、当然アイスホッケーである。サッカーフィールドの1/4位のリンクだが、スピードが出る分、運動量は半端ではない。衝突の際の運動量は、(質量)*(速さ)で決まるので、怪我の絶えない種目なのだ。しかし、駆け引きといい、パワーといい、私自身は冬のキング・オブ・スポーツと思っている。男ならば血が滾る様な種目である。

 さて、眠れない夜が続くと思っていたが、父方の祖母(94歳)が、口から物が食べられず、こないだ胃にバイパスを造る手術を受けた。大分、弱ってしまったらしい。今は入院中だが、八年前の元気だった頃に神戸の実家を訪れた際、いろんな知恵を別けてもらった恩は忘れられない。ここで、急遽、今生の別れの為に、母と帰省しようかという話が持ち上がってきた。ドライバーは私独りのみである。構わないのだが、今年の冬は寒いので、凍結や雪が心配でもある。今のところ三月案が挙がっているのだが、一刻も早くばあちゃんに会いたい気持ちは変わらない。母方のじいちゃんのことも含めて、神戸と広島に寄るかも知れない。そうなったら、ドライバーとしては疲れる。当然、ETC割引を利用するのだが、渋滞に巻き込まれるのだけは勘弁してほしい。天候と相談しながら、帰る時季を模索しているところである。

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映画『インビクタス』を観て

 この物語は、荒廃した南アフリカの現実に、敢然と立ち向かい、ラグビーを通じて、わずか一年でワールドカップ優勝という奇跡を成し遂げ、その原動力となった勇気と信頼と愛を、余すところなく映画化したものである。という様に、南アフリカ風のスクールウオーズの様な物語である。フィクションではない。

 ネルソンマンデラ氏は、30年弱の服役に耐えた。政治犯として南アフリカのアパルトヘイト(人種差別制度)に対抗したが為である。マンデラ氏は、釈放された後の総選挙で南アの大統領となり、激務をこなしながら、どうやったら黒人と白人の溝が埋まるのかを真剣に考える。それまで、白人を恨みに思っていた部下にも、まずは赦すことだと、説得する。マンデラ氏自身の哲学であるから、説得力もある。みんなそれに従う。

 そんな中で、マンデラ氏は、一年後に母国で開かれる、ラグビーのワールドカップに目を付ける。今、この國に必要なのは誇りだと。当時は弱小チームであった南ア代表の主将に、会い、語りかける。その後も事あるごとに、代表チームを訪れ、激励する。そんなマンデラ氏の行動に周囲が変化を起こし出す。

 弱小だった南ア代表チームも気合いを入れ直し、逞しくなってゆく。ある時、バカンスだと言って、マンデラ氏が囚獄されていたロヘン島を代表チームが訪れる。代表チームの白人のキャプテンは、その狭い独房で特別なインスピレーションを受ける。私はこのシーンに感動した。涙もこぼれた。

 そして、ワールドカップで、目覚ましい働きをする代表選手達。見事勝ち抜いてゆき、決勝はオールブラックスが相手となる。延長戦となった激戦の末に、何とか勝利をものにし、世界一となる。この時、南アの人々が、肌の色関係なしに、歓喜する。

 嘘の様で本当の話なのである。マンデラ氏の狙いは当たった。

 南アのすべての国民が、ラグビーを通じて、一致団結する姿にも感激した。マンデラ氏が独房で、心の支えとしていた詩にも心打たれた。何でもない映画の様だが、アメリカの映画としては珍しく、感動する映画であった。実話なのが、またいい。

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弥吉君二階へ上がる

 映画の話を書こうかとも考えたが、夕べは弥吉君が初めて二階で寝たので、その話をさらっと書いてみる。夕べは雪も降ろうかという寒さだったが、私は友人の電話待ちをしていた。なかなか掛かってこない中、母はさっさと寝てしまい、弥吉君だけが一階に取り残された。それを不憫に感じた私は、家にきてもう半年以上経つし、弥吉君を二階に上げてみることにした。二階の私の部屋は暖房が効き、ホットカーペットも点いていたからだ。上げてみると、珍しそうに私の部屋を観察し始めた。そして私がコンピューターの方に向かうと、ドタドタ駆け回り始めた。そして私のベッドに飛び乗り、掛け布団にダイビングして落ち着いた。

 間もなく友人からの電話が入り、コンピューターを消した頃には、午前一時を余裕で過ぎていた。私も寝るかと、弥吉君の方を振り返ると、彼はまだ起きていた。じゃあ、一緒に寝るかと、電気を消し、ベッドに入り、弥吉君と寝ることにした。間もなく彼も私も眠りについた。

 何時間経ったか解らないが、暗い室内で、ベッドの上を弥吉君が歩いている気配がしたのだが、まだ眠い私はほっといて、寝ていた。すると、弥吉君は私の顔をなめだした。私はチョップを食らわし、また眠りについた。しばらくすると、また、なめてきたので、再びチョップを食らわす。この繰り返しであったが、私が起きると、弥吉君は嬉しそうに部屋の中をダッシュしていた。私の一番の気がかりであった、弥吉君の粗相もなく、部屋を荒らされている形跡もなかった。合格点である。弥吉君は暖かい布団で寝られたのがよっぽど嬉しかったらしく、下の居間に連れて降りても、私の膝の上に乗っかってきた。また二階に上げてやろう。

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映画『食堂かたつむり』を観て

 昨日は一般千円で、レディースデーでもあり、一部の大学生が春休みに入ったことから、映画館は一日中混んでいた。私と母は、朝一番に並び、『食堂かたつむり』と『インビクタス』のチケットを取ってしまった。一日に映画を二本観るというのも、くたびれるものだが、母がいなかったら絶対に観なかったであろう『食堂かたつむり』について、今日は触れたい。

 まず、ほのぼのとした作品である。主人公の倫子(柴咲コウ)がカレーの人と食堂を開業しようとしたら、カレーの人は何もかも持って、とんずらしてしまう。恋人に裏切られたショックで倫子は声を失う。料理しかない倫子は、郷里に帰って、ペットにエルメスという名の豚を飼っている母(余貴美子)の家の側に『食堂かたつむり』を開くことになる。こんな田舎で食堂がはやるのかと思いきや、『食堂かたつむり』で倫子が作った料理を食べた人は、願いが叶うという噂が広がり、食堂は軌道に乗る。その後、紆余曲折あるのだが、倫子の母は、生き別れた、高校時代に結婚を約束した人のために貞操を守り、その人の精子を水鉄砲で撃ち込んで、倫子が生まれたことを明かす。倫子はショックを受けるのだが、まもなく母が末期がんにかかる。そのときに観ていただいた医者が他ならぬ、生き別れた恋人であった。二人は結婚式を挙げるのだが、その際に、倫子の母は可愛がっていた、豚のエルメスを殺し、倫子に料理させ、皆にごちそうとして振る舞う。間もなく倫子の母が死に、ラストシーンはおおよそ予想がつくと思うが、大体、こんな感じの映画である。

 ペットを食べる残酷さということから、我々人間は、殺生しながら生かされているということに気付かされるという優等生的な意見もあろうが、私は、この映画の最大の矛盾点である、生き別れた人の精子をどうやって手に入れたのかという謎の方を邪推してしまう。

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今日はのんびりと

 しんどかった風邪もだいぶ良くなり、今日はのんびりと映画館にでも足を運ぶか。

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教習所でカマを掘られる

 大学一年の終わりの春休み、つまり、この時季に私は自動車教習所に通っていた。普通免許(現在で言う、中型免許)を取るためにである。私の通った教習所は、実技の際に、教官を指名できるシステムだったが、私はあえて指名しなかった。いろんな教官に自分の運転を観てもらった方が自分の為になると思ったからである。その代わり、延々と独り言をつぶやく教官など、おかしな教官に当たったりもした。私は第一段階で、初めてマニュアル車に乗った時に、エンストも違反もしていないのに、ハンコをもらえなかった。これは未だに納得がいかないのだが、まあ、こういういこともあるさと、降りてからタバコを吸っていた。その後は順調にゆき、第二段階からはストレートでクリアした。

 そういえば第二段階の時だったと思うが、教習所内の信号で停まっていると、ガクンと車が揺れた。私は何かミスったのかと思い、焦ったが、教官は降りてゆく。よく見てみると、第三段階の無線講習で独りで運転していた女の子が、サイドブレーキを引いたまま運転していたらしく、ブレーキがきかなくなったらしかった。ほんの十五分足らずのことである。要するにカマを掘られたのだ。まあ、お互い怪我もなかったし無事であったのは何よりである。

 それにしても、何で教習所は学科の授業にあんなに時間を掛けるのだろうか。私の時で、コマ数が三十もあった。当時の私はすでに原付免許を持っていたので、授業が退屈で仕方がなかった。本気を出せば一夜漬けでも合格していたと思う。学科は退屈だったが、実技は楽しくて仕方がなかった。まあ、最近では、もっぱら安全運転を心がけるようにしている。教習所の話はまた書くかも知れない。

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独り旅の魅力

 登山家に、「何で山に登るんだ?」と聞いたら、「そこに山があるからだ」と応える様に、旅人に、「何で旅に出るのだ?」と聞いたら、「冒険が待っているからだ」と応えるだろう。少なくとも私はそうだし、異文化との触れあいに、とてつもなく好奇心をかき立てられる。

 日本での旅でもそうなのだが、私は独り旅を好む。自分の気ままな性格に合っているのだ。気に入った場所があったら、予定を変更してでも、そこに居座る。老若男女、国籍問わず、魅力のある人に会ったら、邪魔にならない限り、何時間でも話し込む。

 私が生まれて初めての海外旅行は、23歳と遅めで、しかもアメリカだった。アメリカに骨を埋める覚悟で飛び立った。結果、文化的な面白みはなかったが、いくつかの目標(地平線を観る。大西洋を観る。サバイバルを生き残る。カルチャーショックを受ける)は達成された。ただ一つ、カルチャーショックだけは受けなかったが。

 私は恋の悩みから、悪循環の無限ルーチンに、二十歳の頃にかかってしまい、神経がズタズタになった。大学二年の秋から、自律神経失調症の薬を飲んでいた。しかし、それで行動が束縛されるのは嫌だった。目標の中のサバイバルというのは、それでもアメリカ横断をやってみせるという意思表示でもあった。後は、普段、自宅にいる私が、独り暮らしをしても平気な根拠を見つけたかった。当時、アメリカからの帰国子女であった友人(現在も親友)に旅の写真と思い出を語りながら飲んでいたら、「お前はもう、アメリカを見尽くしている。後は老後にフロリダにでも行ったらいいよ。それにしても、お前は一体何者なんだ」と語ってくれた言葉が忘れられない。アメリカ人に認められるより嬉しかった。何度も危ない目にあったが、避けてこられたのは、目標意識が高かったからだと思う。自分に負けるのが嫌だったのだ。

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寝っぱなし

 重だるい風邪を引いてしまってから一週間、多少は良くなったものの、まだ治りきってはいない。外出するパワーも出ず、家で寝っぱなしである。風邪を引いているのだから、寝るのが一番の薬なのだが、昼夜関係なく寝ていたら、起床時間がまちまちになってしまった。だから今日のblogはこんな時間に書いている。

 それにしても、外出しないと、困ったことに、blogのネタが尽きてくる。必然的に思い出話が多くなってしまう。これもやっかいなことだ。仏壇には毎日向かっているものの、般若心経を唱えるだけで済ませている。なんだか、手抜きしているようで申し訳ない。

 食欲はあるので、そのうち良くなると思うが、もともと12時間ぐらい寝ていた私が、18時間ぐらい寝ている。私は長眠派なのだが、たしかアインシュタインもそうだったと何かで読んだことがある。一方で、ナポレオンなどは、短眠派で、三時間ぐらいしか寝ていなかったとも書いてあった記憶がある。

 自分でも何でこんなに寝られるのか不思議で仕方がないのだが、その代わりに、起きている間は頭はいつもレッドゾーンまで働かす。結果、オーバーヒートして頭を冷ますために、長時間寝てしまうのであろうか。…とは言っても、最近は頭の機能が落ちてきた。歳と共に、落ちてゆくのは、仕方がないことなのかも知れないが、何だか寂しい。その代わり、細かいことで悩まなくなったのは有り難い。

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「なあ、弥吉」

 久しぶりに、弥吉君(ミニ・ダックス、♂、八ヶ月)のことを書いてみようかと思う。最近は成長期が止まったのか、あまりがっつく事が少なくなった。一日の食事も1.5食ぐらいである。基本的に吠えない。ご飯がほしい時には、母に向かって、大きな声で吠える。

 ガキの頃から留守番ばかりさせてきたのだが、最近は自分も行きたがる。それでも、放っておくと、家中の物が滅茶苦茶にされている。また、コタツに入っていると、何故だか、私か母の膝の上に乗っている。気がついたら、弥吉がいたという感じである。あまえ上手なのかも知れない。人見知りもしない。

 私と母はコタツの対面に座っているのだが、私が母に憎たれ口をきこう物なら、母は三倍にして言い返し、私が、「そこまで言わなくてもいいだろう」と言うと、母は、側にいる弥吉に向かって、「いいんだもんな、なあ、弥吉」などと、何故だか弥吉に同意を求める。

 前に飼っていた弥七君と比べると、神経が図太い。もの怖じしないのだ。まだ、賢いのか鈍いのかは解らないが、いつも眠たげな表情をしている。まだ、場の空気を読む力はないみたいだが、繊細さは多少なりともあると観ている。まだ子供だから、甘えたい盛りなのだと思う。最近は、人間が食べるものに興味を持ちだして、食事をしていると横にびったりと張り付く。これは弥七との共通項だ。メタボになっても構わないから食わせろという感じだ、「なあ、弥吉」

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メガネ修理

 私は,小学校の一年になった時には両目とも視力2.0であった。それがゲームのしすぎか、揺れる電車の中で本を読んだせいか、現時点では裸眼では、0.1にも満たない。従って、メガネが離せない日々が続いている。なのに、こないだちょっとし事故で、メガネを破損してしまった。憂鬱である。

 先日、映画を見に行く際、行きに眼鏡屋に寄った。私は修理期間とおおまかの金額の見積額をj尋ねた。ここでも初詣のおみくじと同じように、雰囲気で人を選ぶのだが、その人は修理は30分ぐらい、金額は壱万円ぐらいだと話した。私が愕然としたのも、解ってもらえるだろう。

 その後、映画を観て、支払い覚悟で再度訪れたのだが、なんと、サービスで無料にしてくれると言う。多分、私がそこで買った事が解ったからなのだと思うが、これは、懐が寂しい私には大いなる助けとなった。札束入れと小銭入れと出して覚悟を決めていた私にjは嬉しい誤算でもある。店員さんの顔が聖母マリアに見えた。

 僕は左が乱視なので、、いきなり運転するのは怖かった。度数は合ってても、左右の目の感覚がいつもと違うと、遠近感がおかしくなるのだ。僕は左目で物を観る癖があるから、左目は重要なのである。暗記科目でも左目で観る。、ああ。何はともあれ、無料でメガネが治った事はありがかった。

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タマキシゲル?

 今日は、中高時代の後輩、ヒデちゃんにスポットライトを当てたい。いつも中高時代の飲みは横浜近辺なのだが、彼は、相当な田舎からでも、やってくる。何でバドミントン部の上級生と付き合うようになったの解らないのだが、ヒデちゃんがいると場が和む。みんな、先輩後輩の間柄無くている。彼の律儀なところや、遊び人である所を、みんな愛しているのだ。彼は、昔、歌舞伎町に住んでいたこともある。

 三十の時、友人の結婚式でも、「この歳になって結婚しないのは、もてないか、遊び人かのどちららかですよね」と私にささやいた。三十の時の事だが、「そのの通り」と応えた記憶がある。そして、余談だが、「男にはどうしようもなくモテる機会が、一生にに一度はある」、と応えた。彼もうなずいていた。

 私は興味がないのだが、ヒデちゃんのマンションの一角に、フィリpヒン・パブがあるらしい。独身の頃、偽名を使って、よく通っていたらしい。偽名は『タマキシゲル』だったらしい。その後、子供さんが生まれて、落ち着いた様子であったが、元来が遊び人、そうはいかないだろう。だから私は、「奥さんと通ると時にどうするんだ?」と聞いたとこと、「知らんぷりをいします。タマキさ~んて、何を言ってるんだという感じで演技するんですよ」と語っていた。その話を聞いても、私は奥さんが不幸せだと、思わなかったし、女の直観で分かったと思う。だって、ヒデちゃん、かつては東大一の遊び人だだったのだから、偽名を使うのもいい知恵だと思う。こんなこと、付き合っていたら言えないが、私では。

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映画『おとうと』を観て

 映画の『おとうと』を観てきた。平日にしては結構な賑わいようで、前からに2列目の席に座った。始まるまでは、眠くて眠くて仕方がなかった。しかし、いざ始まると、眠気がすっ飛び、スクリーンにかじりついた。思えば、あんなに泣いた映画はなかった。親父の葬式でも涙を見せなかった私が、人前で泣いているのである。おかしな気もしたが、親父の時は、がんになってから八年闘ってくれたから、覚悟も決まっていた。しかし、作品の最後を観てしまうと、やはり涙がこぼれた。酸素マスクを観た瞬間に、親父のことを思い出してしまい、不覚にも泣いてしまった。

 ストーリーは、姉の吟子役(吉永小百合)と弟の鉄郎役(笑福亭鶴瓶)の兄弟愛を描いた物である。吟子は東京で小さな薬局を開業しているのだが、鉄郎は大阪に住んでいる。吟子にさんざん迷惑を掛ける鉄郎だが、つきあっている女性がいるとなると、吟子は、「結婚しなさい。そうして子供を設けなさい」と説得するが、鉄郎は、「わいみたいなのから生まれた子供は絶対に不幸になる」と言って受け付けない。それでも吟子は、「あなたが不幸だと思っているなら、子供を幸せにしてあげるように努めなさい」と言う。鉄郎は相手にしていない。

 あらすじはここまでにしておくが、鶴瓶があんなに演技が上手いとは思わなかった。吉永小百合が大根役者に見えてしまうのである。まあそれはいいとして、この作品、人の死を見届けたことがある者ならば、必ず泣ける。悲しいけれど、この作品はハッピーエンドだったと信じたい。

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雪かき後

 雪かきをしたら指が凍ってしまった。今日はキーボードも凍っているので、とけるまでまつといたそう。

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オレオレ詐欺の弊害

 昨日は、去年、友人の結婚式で同席した大学時代の友人達に電話した。久しぶりの会話で、話に花が咲いた。山手線圏内で、近いうちに、また飲もうという話にもなった。みんなとは大学を卒業して以来だったので、お互いの携帯の番号が解らないという不具合も生じたが、年賀状に書いてある番号に電話してみた。

 最初は、携帯に掛けても誰も取ってくれないのである。番号を通知していても、しつこく掛けなければ繋がらなかった。また、自宅の番号に掛けてみても、いくら友達だと言っても、警戒されてしまうのである。これは明らかにオレオレ詐欺などの弊害であろうし、疑われるのも、やむを得ないことなのかも知れないが、あまり気分のいいものではない。しかし、よく考えてみると、私自身も相当警戒していることが、何だか間抜けでもあるが、今の時代、仕方のないことなのかもしれない。

 それにしても、詐欺まがいの電話や手紙には腹が立つ。こういう悪の力というか、黒い力というものは、世の中全体を暗くさせる作用があるのである。基本的に私は性善説というか、人間は生まれた時にはピュアであると信じている。しかし、いつも電話をくれる友人に言わせると、統計的に五千人に一人は絶対悪らしい。そんな奴とはつきあわないに限るのだが、こういう連中がネットや電話や手紙などで暗躍するのである。大概は金目当てなのだが、まじめに生きている人間を騙してむしり取ろうというやり方に腹が立つ。どうすれば世直しできるか、考えてみるのも悪くはないが、根絶は難しいであろう。

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