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2009年12月

年の瀬か

 早いもので。2009年も今日で終わる。部屋で吐く息が白い中、黙ってblogを打つ。そういえば、机以外は、まだ掃除していなかった。五日前にに掃除した机の上には、すでに資料が載っかっている。こんなんじゃ駄目だ。大体この部屋のキャパシティーを超えるぐらいの本や資料が眠っている。掃除しても無駄かとあきらめる。

 頭のいい人の掃除の仕方は、本棚を観ればすぐに解る。アイウエオ順に規則正しく並べられている。これは面倒なようだが、そうでもない。本棚から、ガバッと取り出し、まずはあかさたなで別ける。そして編成していったら、あっという間に終わる。解っていながら、やらない私は、ただの怠け者である。

 しかし、膨大な資料(フォダーとかに納めきれない)が毎日続いている私の身にもなってほしい。掃除すればするほど、納まりがつかなくなるのだ。私の部屋だけでリモコンが四つ。統一してほしい。CDなどは、訳がわからなくjなってしまっった。本も十冊ぐらい並行して読んでいるので、収拾がつかない。

 お袋が、明日あたりに初詣に行きたいと言っていたので、明日は寝ぼけながら、おみくじを引くことだろう。去年は親父の喪中だったので自粛したが、今年は伸び伸びと行きたい。親戚の葬式も増えるだろうと予測しているのが現段階である。さよならだけが人生か。

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臥薪嘗胆・呉越同舟

 臥薪とは、薪の上で眠ることである。嘗胆とは、苦すぎる熊の肝をなめることである。中国に故事であるが、実際に、昔の出来事として、中国の春秋時代の、呉の国と越の国との争いによって生じた故事成語である。ちなみに呉と越は無茶苦茶仲が悪かった。

 越の国が呉を攻めたとき、呉は大きな痛手を被った。このとき、呉の王が、その屈辱を忘れぬ為に、毎晩、薪の上で寝た。そうして、準備が整った際に、越の国を侵略した。このとき、越の王は、やはり復讐を誓い、毎晩、とりわけ苦いとされる熊の肝をなめ続けた。結果、越の国が再び勝利する。、

 これらのことから、臥薪嘗胆とは、復讐するためなら、どんな辛抱でもするというようなニュアンスになったのである。根性論のようだが、復讐するために、その初心を忘れまいとすると同時に、自分にストレスをかけてでも、必ず成し遂げるというニュアンスになった。

 さて、呉の国と越の国が仲が悪かったのは有名であるが、『呉越同舟』という言葉もある。呉の国の人と越の国の人とが同じ舟に乗ることになったのだが、舟の上で喧嘩をしてしまったら、舟が沈む。そこでお二方は我慢するのだが、いざ、窮地に陥れば、敵同士でも協力し合うというようなニュアンスで用いられている。

 曖昧な記憶なので、間違いがあっても勘弁してほしい。

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裏切り

 今日は新年会幹事として、ひどい裏切りを受けたので、かなりショックだ。裏切った奴は許さないし、どうにでもなれと思っている。最悪、参加したくない気分にもなった。店選びだけを頼んでいたのだが、自分で仕切り始めた。まかせるとしよう。

 こんなはずじゃなかったのにな、とキーボード蹴飛ばす。裏方でみんなの嫌みまでもかって日程調整したことが裏目に出た事がやりきれない。一番遅く来た奴が次の年の幹事というルールだが、仕事で遅れたのなら仕方がないとボランティアの気持ちでやってきたが、今回ばかりは許せぬ。ロクにお仕事してない奴が大手をふるったからだ。私としyては参加はしたくなくなった。

 ここまで、日程調整するのに、もしくは来れない奴のために、どれだけ気を遣ったかは解らない。日程調整だけで、のべで20通はメールを送った。それらがくだらないやりとりの末に決まったのなら仕方がない、くだらないのだ。・・・そう、くだらないのだ。

 今回、副幹事を頼んだ奴は、見栄っ張りである。当然、全責任は彼がかぶると共に、来年もやってもらいたいものである。この馬鹿副幹事は、混乱するから店のURLを送ってくれたらいい、というところ、自分が幹事になってしまった。このバカはどうしようもない。

 後は私の忍耐次第である。バカに頼んだ私がいけなかった。

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勝つには勝ったけれど・・・

 昨日の有馬記念、最後の直線でのブエナビスタとドリームジャーニーの叩き合いは凄かった。他馬を抜きんでて、段違いの強さを見せつけていた。途中、スリーロールスの故障がなく、フォゲッタブルが大外でなければ、どうなったか解らないが、結局ド本命が来てしまった。

 予想した時点で、中山2500mでの大外枠の不利は覚悟した上でフォゲッタブルに本命を打ったのだが、四着が精一杯だった。有馬では赤い帽子が勝っているイメージが強い。ピンクの帽子が勝ったのを観たことはない。ここの所をしっかりと押さえていなかったのは不覚であった。つまり、内枠有利なのである。しかし、フォゲッタブルの血統の良さに、そのセオリーを忘れてしまっていた。大体、出走した馬のほとんどが、サンデーサイレンスの血統でもあった。これは凄いことだ。

 馬券としては、二万投資して、三万返しという結果で、勝つには勝ったけれど、リスクを考えれば、これは負けたも同然である。3コーナーで、スリーロールスが故障した時点で、一瞬、目まいがしたが、結局、来たのは一番人気。うま味も何もなかった。押さえていただけだからである。過去、有馬記念を四連覇したこともあったが、今回が一番むなしい勝ち方だった。

 レースで不思議に思ったのは8番のリーチザクラウンに乗っていた武が、なんであそこまでハイペースにしたのかが疑問だった。掛かったのかも知れないが、1000m58秒というのは早すぎる。あれで差し馬、追い込み馬が俄然有利になった。まあ、私にとっては嬉しい誤算であったが。とりあえず、故障したスリーロールが予後不良にならないことを祈ると共に、久々の競馬で、馬券がとれ、とりあえず正月を迎えられたことには感謝せねばなるまい。

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有馬記念だ!!

 今日は競馬の有馬記念の日である。軍資金ができたので、競馬新聞を見て、久々に血がたぎった。久々に馬の名前に目を通すと、知っているのはコスモバルクとマツリダゴッホだけ。昔私がお世話になった馬たちは、みんな種牡馬になってしまった。

 私の競馬歴は二十年近いが、競馬に関しては勝ち越している。しかし、五年ぶりの予想となると、少し迷う。迷ったときには、『東スポ渡辺に従え』という格言の通り、16番のフォゲッタブルに本命を打つことにした。父ダンスインザダーク、母エアグルーヴ、母父トニービンと超良血さに惹かれたのもあるが、ここ数戦の出来がまたいい。枠は大外だが、鞍上ルメール君がなんとかやってくれるだろう。対抗は実績輝かしい2番のブエナビスタ。ただ、これはちょっと不安である。冬には牝馬というものは、夏に比べ、相対的に牡馬より走らないものなのである。しかし、トレセンの状況も変わっただろうと観て対抗に押した。この二頭、サンデーサイレンスの孫同士でもある。単穴としては9番のドリームジャーニーがいい。ジャパンカップを飛ばして、有馬で勝ちに来ていると観る。この三組で間違いないだろうと思っていたときに、私の苦い記憶の数々が、頭をよぎった。そして、神の声が聞こえた、「菊花賞組をあなどるでないぞ」と。これで、押さえに菊花賞馬10番のスリーロールスも含めた四角買いとすることにした。全部で六点の馬券を買う。これが当たらないと、年を越せないのだ。頼むから来てくれ。

 どちらにしろ、古馬のレベルが低いので、菊花賞組が絡んでくる気がする。私は馬単ではなく馬連で買う。三連単、ワイドは買わない主義である。三着の馬を当てても、その馬が恵まれないからだ。それにしても、昔に比べ、ローテーションが解らなくなった。調教法の代わり具合も解らないし、GⅠのスケジュールが変わりすぎた。どちらにしろJRAの手の平で踊らされている気分だ。ちなみに、当然のごとく、馬券を買うのは自己責任です。外れても、復習してがんばりましょう。久々に競馬場で叫きたくなってきた。

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『野垂れ死に』を読んで

 故藤沢秀行名誉棋聖の『野垂れ死に』という本を読んだ。秀行先生は、晩年、競輪場あたりで勝ち車券を握りしめながら、野垂れ死ぬ筈だった、と語っておられる。しかし、運悪く、野垂れ死にし損なった、と本気でおっしゃっているのだ。また、勝負というものは、勝てばいいというものではない。己の芸が勝っていれば、おのずから勝ちは結果としてついてくる、だから、自分とその芸を高めルことが大切だと力説しておられる。また、『無悟』という概念について、俺には一生かかっても碁が解らないということが解った、と語ってもおられる。ただし、『無悟』の境地に行くまでには、相当その道で研鑽を積んだものしか解らない、という言葉も印象的だった。

 また、『無頼の遺言』というDVDを観てみたが、奥さんのモトさんも凄い人だと感じた。現に秀行先生が「化け物みたいな強敵」とおっしゃっているように、あのような奥さんあって、初めて秀行先生が成り立つのだなとも感じた。モトさんが執筆された、『勝負師の妻』では、かなりリアルに藤沢家のことが語られていた。また、DVDの方では、秀行塾での様子が描かれていたのだが、国籍問わず、来る者拒まずで、秀行先生が指導している様子が描かれていた。だから、秀行先生は中国でも有名人であるのだが、秀行塾の目的は、強い碁打ちになりたい(を育てたい)という一念につきるそうだ。

 父を亡くし、碁を打つ相手がいなくなった私は、強い囲碁ソフトを求めて、ダウンロードしてみたのだが、実際に打ってみると、亡き父より格段に弱いのである。昨日Lv.7を倒したが、隙だらけで打ち甲斐がない。昔、親父に四目だった頃に、戦い抜いて勝ち、親父から、「おまえもだいぶ強くなったなあ」と言われたときの喜びが忘れられない。

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ゆっくりするか

 さっき車のエンジンをかけたところ、カーナビに「メリークリスマス」と言われ、「メリークリスマス」と、言い返している自分が嫌になった。今日はゆっくりするか。

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『値切り』について

 元々、関西人であった亡き父は、値切るのが上手かった。特に、現在我が家にある車を買うときには、すごかったらしい。普段はおとなしい父だったが、いざという時には、ディーラーの営業の主任など軽くひねってしまったらしい。母から聞いた話だが。

 そんな父がよく言ってたのは、「関東人は見栄っ張りや」とのことである。関西では値切らない方がアホなのに対して、関東では値切ったらケチに観られると言うのである。関西には買い手と売り手の間に、『値切り』という文化がある、と話していた。

 私が大学一年の時に、一般教養で経済学を採っていたのだが、一年間で一回だけ出た講義の時に、教授が、「経済は東京中心に回っているように思われがちですが、商売の成熟度などは大阪の方が、遙かに上です」と語っておられた。古い記憶なので、一部、間違っているかも知れないが、退屈な講義で、唯一印象に残った言葉である。世の中の右も左も判らない頃に、『そうなのか、世間は広いんだな』と感心したものである。

 私は関東育ちなので、値切りは下手である。お人好しな面もあるが、何だか店員さんを可哀想に思ってしまうのである。なるべく安いものを買いたい気持ちはあるが、店員さんの生活を考えると、値切るのが気の毒な気持ちなってしまう。亡き父の姉のおばさんなどは、TV一台買うのに三回店に通って、店員に顔を売ってから、値切ったというから、たいしたものである。私なら面倒なので、その場で即決してしまう所だ。関西人のたくましさを感じた。

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冬至か

 今日が冬至だと言う。北半球で最も夜が長い日である。寒いはずである。ここ数日は、部屋の中でさえ吐く息が白い。指先が冷え、キーボードが冷たい。打つ度に指が痛身を感じる。こういうときに、パソコンは無機的なものだと感じる。せめて、文章は温かくせねば。

 冬至と言えば、ゆず湯に入るのが我が家のしきたりである。母方の故郷がミカン農家なので、昔からゆずには困らなかった。風呂桶の中、ゆずで体をこすると、甘酸っぱい香りとスベスベ感が得られる。無性にゆず湯に入りたくなってきた。

 そういえば『ゆず』っていうバンドがいたな。ボランティアで福井に行ったとき、『ゆず』が好きだという女の子がいた。僕は聞いていなかったので、話がかみ合わなかったが、地元に戻って、『ゆず』のアルバムを借りて、聞いてみたが、僕の趣味ではなかった。

 というよりも、僕は邦楽といえば、宇多田ヒカルと坂本龍一しか聞かない。他はどうでもいい。服と同じで、流行を追うタイプではないのだ。いいものを長く聞くという点では、他のミュージシャンでも、一曲、気に入った曲があれば買ってしまう。感想としては、宇多田ヒカルの音楽は、対位法を上手に使っているところが目立つ。その矛盾する気持ちが、恋愛感情を上手く表現している。坂本龍一は捉え所がないのがいい。あらゆるジャンルの曲に精通しており、それらをミックスさせている。テンポはポップスで、ピアノはジャズ、そこにエレキギターが加わるなど、一見、無茶苦茶なのだが、ちゃんとした作品になっている。二人とも才能に満ちあふれている。

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年賀状を出して

 来年の私の年賀状は、パソコンで印刷したものではなく、『写ルンです』の写真を印刷したものになった。これは、旅先で、デジカメを持って行ったはいいものの、電池の充電をしていなかったが為に、やむを得ず『写ルンです』を購入したことによる。

 パソコンはフイルムを読み取ってくれないので、印刷を依頼したところ、あろうことか、ディズニーの妖精まで印刷されてきた。それを観て、私は頭を抱えた。どうやってフォローしようか、と考えた。マジックで塗りつぶすわけにもゆかず、仕方なく『私の趣味ではない』と一枚一枚に書くことにした。

 今年の友人の結婚式で、十年振り位に再会した、大学時代の友人三人にも送ることになり、去年より若干枚数が増えたが、住所とコメントは手書きにした。私は書道六級と、決して字は上手くない、というより、下手だが、その方が温もりがある気がする。

 去年は親父の喪中だったのだが、年賀状というものは、一年送らないだけで、次の年に相当不便することにも気がついた。しかし、エアメールにしろ何にしろ、もらった葉書は必ず段ボール箱の中に保存してきたおかげで、極端には不自由しなかった。

 私は宛先に家族全員の名前を書く。変な意図はないのだが、その方が賑やかだろうと思うからだ。気持ちである。だから、先輩の所の年賀状には、犬の名前まで書いている。しかし、これをやると、お子さんの多い家では、スペース的に大変苦しむ。まあ、それもめでたいことなので、別にかまわない。

 なんだかんだ書いてきたが、今年もあっという間に過ぎてしまった。せめてもの感謝の気持ちで年賀状を出してきたが、あとは自分の部屋の大掃除をしなければならない。

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映画『パブリック・エネミーズ』を観て

 ジョニー・デップ演じる、ジョン・デリンジャーとその仲間達が、1930年代の世界恐慌下のアメリカ(主にシカゴ)で、銀行強盗と脱獄を繰り返す。そんな中で、デリンジャーが一目惚れした女性、ビリー・フレシェット(マリオン・コティヤール)との儚い恋を描いた映画である。また、この映画は実話を元にしている。

 デリンジャーとその仲間達は、刑務所で知り合った仲間達である。信頼関係も厚い。映画の冒頭から、デリンジャーが仲間の脱獄を手助けするシーンから始まる。この仲間達と共に、銀行強盗を繰り返すことから、警察側から、『パブリック・エネミーズ(社会の敵ども)』と名付けられたのが、映画のタイトルでもある。しかし、デリンジャーは紳士的な強盗でもあったので、不況の中、銀行に不満を持つ大衆達のヒーローでもあった。デリンジャー達は銀行強盗のプロなのである。州警察との激しいドンパチを繰り返していた印象が強い。気分がスカッとするぐらい打ち合っていた。

 この映画、アメリカ映画にしては、なかなか伏線の効いた映画である。対位法のような手法も用いられている。つまり、デリンジャーとフレシェットの関係が、より密になればなる程、デリンジャーは仲間達を失い、自分も追い詰められてゆくという構図になっている。伏線の部分では、エンディングがとても切ない。

 しかし、どうしてアメリカの映画は嫌というほど銃を撃ち合うシーンが多いのだろう。でも、この映画は、人情味もあり、退屈しない。為になる映画とは思えなかったが、おもしろい映画ではあった。

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運転免許更新

 昨日は、運転免許の更新に行ってきた。数年ぶりなので何時頃行ってよいのかが掴めず、着いてみたら一時間以上一人で待つことになった。空は快晴だったのだが、風が冷たく、タバコを吸いに行くときにはジャンパーを着て、中で待っているときには脱いで、本を読むというサイクルで待ち続けた。

 何でも今年から免許証にICチップを入れる様になったらしく、そのための暗証番号を決めなければならなかった・・・適当に決めたが。間もなく時間となり、用紙に印紙を貼ってハンコをもらい、視力検査。私の前の方は二種免許なのか特殊な試験を受けていた。私の番になり、視力検査は難なくパス。次は写真撮影だった。

 前回の免許証の写真が悪人面だったので、今回はいい写真を撮ってもらおうと、鏡の前で服装を整えながら、表情を作っていたら、並んでいる人達が黙笑していた。私は顔から火が出るほど恥ずかしかったが、これでいこうという表情を決めて、写真撮影。後は講義だ。

 講義では、新たに法改正された所を重点的にやっていた。交差点などでの事故の映像も観たが、普段の確認に留まった。むしろスクラップ状態の車の映像は逆効果だった。嫌なイメージが頭に焼き付いたからである。講義終了後、免許配布。紙ではなく、プラスチックのカードになっていた。五年有効だが、ゴールドは遠いなと思いつつ、疲れ切って家路についた。

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本日休業

 ちょっと今日は忙しい。ご勘弁を。

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マイケルジャクソン特集を観て

 昨晩、日テレ系列のマイケルジャクソン特集を観て、複雑な気持ちになった。マイケルの児童虐待問題に於いて、すべてが”金”目当ての裏切りだったというのだ。もしこれが事実なら、一ファンとして、マイケルを、半分疑惑の目で見ていた自分を恥じる。

 マイケルは、整形したのは、鼻ともう一カ所(忘れた)の二カ所だけだと語っていた。しかし、これは明らかにおかしい。顔かたち、皮膚の色まで変わっているのだから。これは幼い頃からの、トラウマが原因かも知れないが、不気味ではある。私の中で、エンターテイナーとしての彼は認めていても、一個人としては認めてはいなかった。だから、幼児虐待がゴシップとするなら、それを疑わなかった私にも罪がある。真相は藪の中だが。

 番組で取り扱っていた、マイケルの子供への親切心を利用して、親が金をたかるという構図に嫌気がさした。マイケルを逮捕してまで陥れようとした検察官には、悪意とねたみすら感じる。死因は、裁判で神経をすり減らしたのが原因なのかとも感じた。訴えた側は熱狂的なファンに殺されるだろうとも思った。

 貧乏人も辛いが、金持ちには金持ちの悩みがあるのだとも感じた。多分、晩年のマイケルは、誰も信用できなくなったのではないか。自分の富と名声を利用しようという輩に潰されたのではないか。『THIS IS IT』を二回観た私の感想である。

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ミラノの街

 朝十時頃の特急列車で、ニースからミラノに向かった。宿が取れる保証などない。列車はジェノバなどを経由して、夕刻にミラノ駅に着いた。この心細さったらありゃしない。土地勘のない私は、目星をつけていたホテルに向かうべく、駅の売店で市街のマップを購入した。夕日に照らされた地図を見ながら、目指すべきホテルのある通りの名前を探した。すると運がいいことに、駅から東に五本目の大通りだと判った。そこに向かうべく、ザックを背負って、出発した。もう日没が近い。

 途中でくじけそうになり、あるホテルで交渉したら、目指すホテルの五倍ぐらいの料金を電卓で表示された。冗談じゃない、と再び、とぼとぼ歩いた。寂しくもなったので、途中のBARでビールを飲みながら、マスターに場所を聞いた。詳しい話は聞けなかったが、歩いている通りは、間違ってはいなかった。私はその通りを直進した。間もなく右手に、ホテルらしきものが見つかった。『地球の歩き方』で確認して、交渉したら、まだ年端も行かぬ娘さんが、やはり電卓で宿泊賃を示してくれた。交渉が成立し、私は二泊することを決めた。

 だいたいミラノの街は物価が高すぎる。私は昼と晩に、マクドナルドのハンバーガーを食べるしかなかった。それから五年間は、ハンバーガーが食べられなくなった。しかし、ミラノのデュオモ(教会)は、それまで観たものの中で一番立派だったし、感銘を受けた。側の高級店が集まるアーケード街も華やかだったが、バックパッカーの私には場違いな場所でもあった。他にも、お城のようなところにも行ったが、そこには何もなかった。駅は立派なものだったと記憶している。

 ここまでの私の旅は、リスボン→マドリッド→バルセロナ→ニース(モナコ)→ミラノとやってきた。次はどこへ向かおうかと、宿で寝る前に検討していた。あくまでも、行き当たりばったりである。

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寒い

 起きてみたら、底冷えがする。この感覚を私は耳で感じる。久々に暖房をつける。もし雨が降っていたら、雪になるんじゃなかろうか。体中が震え、キーボードを打つ手もぎこちない。外に出るなら、マフラーをし、厚手のコートを着なければならないだろう。

 今日は父の命日。墓参りに行く。早いもので、もう十五回目だ。いつも通り、まずは家の仏壇で手を合わせ、それから向かう。途中で仏花を二つほど買い、父の好きだったビールも持ってゆく。線香は家から持って行く。墓石にかける水が今日は冷たそうだな。

 墓参りには、バスと電車とでもいけるのだが、他の用事も多く、車で行くことが多い。寺の駐車場が狭いので、最近は隣の寺に置かさしてもらっている。墓参りは十分ぐらいで終わるのだが、今日はその後、お袋を整形外科に連れて行く。腰と足と膝が悪いみたいだ。

 お袋の足は三年前に、総合病院での内科の検査中に複雑骨折した。半月ほど入院して、七万ぐらい取られたが、その話を友人達にすると、「それで金取るのか?」とみんな言う。私もその病院には腹が立つことがあったし、何より評判が悪い。多分、潰れるだろう。

 母は右足が悪くなってから、左膝も悪くした。腰は元々悪い。そんな母だが、墓地には急勾配の階段が待っている。いつかは私が背負っていかなければならなくなるかも知れない。

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秀行先生の死を知って

 恥ずかしながら、昨日の教育テレビのETV特集『迷走・碁打ち藤沢秀行という生き方』という番組のTV欄を観るまで、私は、藤沢秀行名誉棋聖の死を知らなかった。というよりも、生命力の塊のような、怪物のような方だったので、最初は信じられなかった。 今年の五月八日に肺炎で亡くなったそうだが、巨大な星が消えたという哀しみばかりが溢れる。「そんなことを考えては駄目だ」と秀行先生に、しかられそうだが、父を亡くした時ぐらいの衝撃を受けた。『あの人はもういない』という気持ち程、辛い感情もないものだ。

 僕はロクに碁を知らないが、先生についての多くの書は読んできた。主にその生き様の凄まじさを語る本が多かった。酒・女・博打、二度のがんを乗り超えての66歳でのタイトル獲得、後輩に対しての面倒見の良さ、囲碁に対する真摯な姿勢、数え切れないほどのエピソードが、今、私の頭の中で回転している。

 亡き父が、がんで入退院を繰り返していた時、会社の部下の方もがんで入院していた。父も、部下の方も、気が滅入る様な人ではなかった。部下の方は、仕事で一番信頼していた方で、父が唯一、保証人になった方でもある。この方は、骨のがんで、父より早く亡くなったのだが、存命中には、病院で父の姿を見つけると、走ってやってくる方だったらしい。父はその方に、「藤沢秀行の本を読め」とよく言っていたらしい。秀行先生は、がんを煩った方々にも『喝』を入れてくださり、希望を与えてくれた。

 秀行先生のご冥福を、遅ればせながら祈る。

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蛍雪時代

 私が中学生の頃、学校の図書室の雑誌コーナーに、『蛍雪時代』という雑誌が置いてあった。主に受験生向けの雑誌だったが、現在、発行されているかどうかは知らない。ここで言う『蛍雪』とは、やはり中国の故事であり、昔の人は、夜、明かりがない中でも勉強する為に、蛍の光や、月明かりが雪に反射する光で勉強したという話である。受験のためだけの言葉だったか、どうかは定かではないが、そこまでして努力する様を指す。

 また、私が小学生で、中学受験を控えていた頃、机で居眠りをしてしまった。偶然、居合わせた親父が、「昔の人は勉強中に眠くなると、足のモモの部分を錐で刺してまでも、眠気に打ち勝とうとしたらしいぞ」と諫められた。それからの私は、勉強中に眠くなるとシャープペンシルの先で、足のモモを刺すようになった。もちろん、血が出ない程度での話である。しかしながら、なかなか眠気は去ってはくれなかった。

 やがて、高校生になり、大切だと思う授業の最中に眠くなると、私はこれをやった。遊びたい盛りで、遊びまくっていたが、それが原因で勉強をおろそかにすることは、言語道断だと感じていたからである。その代わり、どうでもいい授業の時は爆睡していた。私は未成年でも授業を聞くか聞かないかを、自分で判断する権利があってもいいと思う。嫌でも起きていなければ許さない教師の授業に限ってつまらないものである。迷惑をかけない限り、強制する方がおかしい。そういうときは、黙って本を読んでいた。

 これから受験シーズンで、追い込みの時期の方も多いと思うが、病気だけには気をつけてほしい。

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泰山鳴動、ネズミ一匹

 久々に、故事成語について述べようと思う。受験シーズンも近いことだし、そのニーズに応えるべく筆を執った次第。中学一年の時の記憶なので、曖昧なのは許してほしい。さて、何から述べようか。

 泰山とは中国にある山なのだが、古来より中国人が非常に神聖な山として扱っている山である。あの『論語』で有名な孔子も登ったとされる。現代では、日本の旅行会社などもツアーを組んだりしている。今は知らないが、山頂までの階段の写真は、中学の国語便覧などにも載っていたので、インパクトが強かった。

 さて、そんな神聖な山である泰山が、唸りを上げて、鳴動した際、中国人が、なんやの災いの予兆なのではないかと、不安に思い、心配が止まらなかったというのが前半の故事である。そんな中で、恐れをなして、騒ぎ立てていたら、泰山からネズミが一匹出てきただけで、泰山の鳴動は収まった、という故事である。つまり、徒に疑心暗鬼になったりしても、案外、物事の事実は大したことではない、ということで、様々なニュアンスで用いられる。例えば、明日が地球最後の日です、などというニュースが流れ、民衆がパニックになったとしたら、次の日、あれは間違いでした、というだけで、みんなずっこけてしまう。こういう状況を『泰山鳴動、ネズミ一匹』というのである。似た故事成語で、『杞憂』(余計な心配をすること)という言葉もある。こちらは由来を忘れてしまった。

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再インストール中にフリーズ

 ここ数ヶ月ほど、パソコンの調子が悪かった。従って、昨日は、バックアップをとった上で、午後三時からWINDOWSを再インストールすることにした。方法を調べ、踏み切ったのだが、途中で『しばらくお待ちください』の画面で四時間ぐらいフリーズ。おかしく思った私はサポートセンターに電話した。すると、プリンタなどの外部設備を取り外してやり直してくれと言われた。するとコンピュータが反応しなくなり、ふたたびコール。最初からやり直した。再インストールではなく、リカバリをしてしまったのだ。

 師走の忙しい中、新年会幹事として、なんとしても、メール機能だけは復活させたい、という私は意地を張った。リポビタンDをのみ、懸命にリカバリをした。幸い、友人達のアドレスとメールは保存されており、事なきを得た。一方で、インターネット・エクスプローラのお気に入りの保存データは照合せず、また作り直すことになる。思い出が消えたようで寂しいが、仕方がない。何でも、オペレーターによると、もっと簡単に再インストールできるらしい。悔しいが、最近は、動作中にアラームが鳴ったりしていたので、再インストールの時期だな、とは感じていたのだが。これも年末の大掃除である。

 夕べの段階でblogが書けなかったのは、18時間マシンに向かったせいによる、疲労困憊が激しかったためである。目がかすんで、画面が見えなかったのだ。

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タウリンがほしい

 現在、タウリンを所望している。疲労困憊。理由は後日か、今日の昼にでも書く。とりあえず、私を寝かせてください。

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休養開け

 ずっとbligを続けてきたが、最近は、ネタがなくて書けないということが減った。『毎日blog』を始めてから、一年弱経った頃には、blogを書くのに苦心したが、この頃は、無けりゃ無いで、それをそのまま綴る、などの技を覚えた。徒然なるままに記すといった感じである。

 従って、何日かに一度か二度取る、休憩日は、何らかの重要な用事の為や、単に気分転換していたり、インプットの時間として取っている。現に昨日も気分転換の為にオフを取ったのが実際の所である。頭のストレッチみたいなもので、何も考えずに、自分の過去のblogを読みあさっていた。いいblogが書きたいという欲望は常に持っているが、いいものが出来た時に限って、疲れ切ってしまうのである。ユーモラスなblogを書きたいという気持ちも強く、そのために、自分を客観視するための時間が必要でもある。

 しかし、問題は、休養を取った次の日のblogである。これがどうしようもなく書きにくいのだ。ネタはあっても膨らませる為に、しばらく寝かしておく事も多い。いきなりネタ出ししろと言われても、車に例えるなら、エンジンが温まっていない状態、生活に例えるのなら、まだ目が覚めて間もない状態で、寝ぼけている、といったところだ。

 ブラインドタッチにも慣れてきて、今日のblogなどは、指が書いてくれているようなものである。指が書いているから、のんべんだらりとしたものになってしまった。頭は使っていない。

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オフ

 今日はオフを取る。

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横須賀のベースでのこと

 大学三年か四年の時の事だったと思う。防衛大学に行った友人が、横須賀の米軍のベースに飲み行かないか?と誘ってくれたことがある。何でも、防衛大学の学生証を見せれば、友人を何人かまで、米軍基地に入れてもよいという規則があるそうだ。考えてみれば、防衛大学は、日本で唯一の士官学校として成り立っている大学である。戒律は厳しいが、大学生に給料を渡す、唯一の大学でもある。毎年、脱走者が出るらしいが(笑)。

 友人の誘いを喜んで受けた私は、半ば偵察模様で観察することにした。他に二人誘われていたから、合計四名である。私以外の、誘われた友人二人はネクタイをして、Yシャツを着ていた。

 横須賀の駅で落ち合って、ベースに乗り込むと、まずはディナーということで、上級士官のレストランへ行った。この時、私は腹が減っていなかったので、ハンバーガーを頼んだのだが、周りを見てみると、週末ということもあり、家族連れの米兵が多かった。と同時に、テーブルマナーの重要性を身に染みて感じた。

 ベースの中では、円をドルに替えた記憶がある。それも初めての経験で、新鮮だった。

 それから、下級兵のプールバーみたいな所に行って、カクテルを飲んだが、そちらの方が上級士官のものよりも、活気があって楽しかった。酔った勢いで、何人かの米兵と話をしたが、会話が成り立たなかった。読み書き英語と話す英語との違いである。そこで私は、英会話の重要性を、身をもって知った。

 帰宅後、両親に感想を述べると、テーブルマナーについては、「お前は基本はできているから、出されたものを外側のナイフとフォークから食べればいいんだ」とあっさりと言われた。英会話については、黙っていたが、その後、スクールに通わせてくれた。両親には、今でも頭が上がらない。おかげで、日常会話や、ちょっとした会話などはできるようになったが、英語で喧嘩ができるまでのレベルにまでは至ってはいない。

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『es(エス)』について

 イラク戦争は様々な問題を引き起こしたが、捕虜収容所での虐待について、今日は論じたい。捕虜となったイラク兵に、人間の尊厳を感じさせない程の、残酷なまでの虐待の映像をニュースで見たとき、私は『やっぱりな』と思った。単に敵兵だから憎い、というだけでは片付かない問題を、この事件は内包している。

 『es(エス)』という概念がある。Wikipediaによると、心理学・精神分析学の用語で、「無意識層の中心の機能」という概念を意味する語、とある。また、こうも書かれている。Esエス)は無意識において、無意識的防衛を除いた感情、欲求、衝動が詰まっている部分である、と。日本では、ミスチルの歌のタイトルになったりしたが、私は、2002年に公開されたドイツ映画の『es』について述べたい。

 元々はスタンフォード大学がやった監獄実験についての映画化である。無作為に二十人位を実験のモニターとして公募し、それらを看守側と捕虜側に半分ずつ分ける。捕虜側は看守の言うことに、絶対に従わなければならない。また、主人公は捕虜側に分配されている。元々、何でもない、普通の人格を持った人間の集まりであったのだが、次第に看守側がサディスティックになって行く。冗談だと思っていた、捕虜側のグループに対し、看守側は本当に偉い気分になってきて、虐待がエスカレートしてゆく。主人公は、特別に虐待される。映画では、主人公達が逃げ出し、怒った看守側との間で殺人事件まで起こる。そして、何とも後味の悪いエンディングで幕を閉じる。…ちなみにこの実験は現在では国際的に禁止されている。しかし、実験では禁止されていても、戦場では虐待が行われているだろう事は、容易に想像がつく。

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1円パチンコ

 ここ数年、パチンコ屋には足を踏み入れていなかったのだが、先日、母が、買い物しまくってくる日に、時間つぶしにパチンコを打つ事にした。『人待ちのパチンコはやってはいけない』と自分の中で鉄則としていたのだが、久々だからいいか、と気楽に考えていた。

 店には、まずまず人が入っていたので、いろんなシマを観察してみた。すると、驚くことに、『1円パチンコ』のコーナーがあった。いつから導入されたのか知らないが、以前までは貸し玉4円で、換金率が2.5円位のセブン台しかなかった。それが貸し玉1円で打てるというのは、画期的なことである。ローリスク・ローリターンであるから、千円札一枚で、純粋にパチンコが楽しめる。私は迷わず、1円パチンコを打つことに決めた。目標はタバコである。

 打つ台を決めると、千円分の貸し玉(1000発)が出てきた。『バクチとは戦争である。負けて得るものなど何もない』というのが、私の座右の銘で、打ち出したら久々に血がたぎった。すると、まもなく大当たり。ただその台は、5ラウンドまでしか打てなかった。一箱を積むには、三回ぐらいの当たりが必要であった。確変なのかは解らなかったが、時短にはなっていた。続けて打っていると、また大当たり。大当たりの連続の中で、私の携帯が震えた。母からである。「当分、終わりそうにない」と告げると、母もあっさり、「わかった」と返事した。一時間以上打って、三箱を積んだ頃には、早く終わってくれ、と念じるようになった。しかし大当たりは続く。

 結局、20回以上大当たりが続いて、出玉は4800発ぐらいであった。タバコ五個を取って、後は換金。換金率が気になったが、3500円になった。確かに、勝ったのは嬉しいのだが、一時間以上、母を待たせて、あれだけの大当たりを引いた割には、戦果がこれだけか、という空しさがあった。駐車場に戻ると母に詫びたが、母はあっさりと、「私が待たすこともあるからいいわよ」と、すんなり許してくれた。その母の一言だけが救いでもあった。

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ペット保険

 我が家の愛犬・弥吉君(ミニダックス・♂・満六ヶ月と数日)の、ペット保険加入が決まった。ペットは保険がきかない分、病気になると、恐ろしい額の金額を払うことになる。これを避けるために、保険に入ることにした。昨日、資料に目を通した。

 一概に、ペット保険と言っても、色々ある。生命保険同様、肝心な所は虫眼鏡で観るしかないようなものもある。まず、そういう保険会社は切り捨てた。中には、『当社が倒産した場合の保証・手数料は全部チャラになります』というようなものもあった。

 パンフレットは隅々まで読まなければいけない。意外なところに意外なことが載ってたりするものだ。一見,お得な保険のようでも、そうでない場合が多い。いくら親切そうな保険会社でも、確実に元は取っているのだ。インシュランスの概念を確立すべきだ。

 とは言っても、愛犬の弥吉君は暴れ放題である。近頃、成長しておとなしくなったのかと思いきや、ラフな行動が目立つ。元気がいいのは、この上無いのだが、イタズラも目立ってきた。ズルがしこくもなった。意外かも思える事であるが、こういう事で笑いが広がる。

 私見だが, ペットを^飼う場合、保険には加入しておいた方が無難だと思う。以前動物病院で、四十万円以上を請求されている方がいらっしゃったからだ。幼児が十万円前後なのに対し、この治療費は納得が行かない。ペットとは家族同様のも簿であるから、気持ちもわかる。何とかならないかなあ~、とぼやく。

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スケジュール調整の難しさ

 師走に入り、私も忙しいのだが、大学時代の友人達は、猛烈忙しい。来年の新年会の幹事は、またも、私がやっているのだが、一月の新年会のスケジュール調整のために、十二月の頭から、メールでアンケートを採っている。昨日の朝一番にメールを発信した。現在、五人から返信が来たが、後二人のスケジュールが解らないと、日程が組めない。早期の返信を促している状態である。現状では、すでにかみ合わない状態となっており、どこかで誰かに妥協してもらうことになるだろう。親友達との再会に、気の抜けない状態である。

 提案等も受け付けてはいるのだが、七人全てのスケジュールを合わすのが、極めて困難なアイデアが多い。ある友人から、マンネリ化してきたという指摘を受けたが、これはいいマンネリだと自分は考えている。七人が一堂に会することなど、年に二、三回しかチャンスが無いからだ。アイデアの模索は続けてゆくが。

 中高時代の友人達との新年会の幹事も引き受ける予定なのだが、こちらは一週間あればスケジュール調整が可能である。大学時代の友人達との新年会の日程が決まったら、すぐに、メールを配信する予定だ。一年で一番メールが飛び交う時期でもある。

 まあ、懐かしい友との再会に、いくら手間がかかっても構わない。それだけ充実した時間が過ごせるからだ。自分では、一種のボランティア活動のようなつもりで幹事を引き受けている。

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深夜の停電

 夕べ、日が変わる頃に僕は目覚めた。部屋の電気を点けようとしても点かない。あわててお袋を起こし、「停電だ」と伝えた。心細い懐中電灯を持って、ブレイカーを観に行った。するとONになっている。しかし、隣の家の電気は点いている。電話も使えない中、不思議に思った僕は携帯で104に電話し、電力会社の電話番号を聞いた。と同時に、改めて電気のありがたみを再認識した。

 当初は停電かと思ったりもしたが、指示されるままに再びブレイカーへと向かった。その懐中電灯の明かりの心細いったら、無かった。すると、ブレイカーの側に置いてある、ゴキブリホイホイ式のねずみ取りから、「ヒュー、ヒュー」という鳴き声がする。こいつが原因だろうと思った私は、ねずみ取りを手にとって、ブラインドとなっていたメインブレーカーを観た。案の定OFFになっていたので、ONにしたら、電気が復活した。電力会社の方に謝って、電話を切り、一件落着となった。何とも騒がしい夜であったが、無事に解決したのでよかった。

 それにしても、ネズミが台所のブレイカーから出て来るのは、危険である。万が一漏電でもしたら、火事になる。母によると、これまで三匹ほど、罠にかかったらしい。台所の脇の庭に、穴があったらしいので、砂利で埋めたそうだが、もう一度、見直す必要がある。

 ネズミといえば、大江健三郎氏を思い出す。いつだったか、新聞のコラムに、専門業者に頼んでも無駄だったが、妻が提案した、単純なるゴキブリホイホイのような罠にネズミは引っかかった、というような事を掲載されていた。そこではネズミとの駆け引きが書かれており、面白おかしくも、単純な罠に引っかかったネズミへの愛着さえ感じさせられる文章が載っていた。さすがはプロと、痛感した次第である。

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シカゴの街 その2

 シカゴの街探索2日目は、ミシガン湖方面にした。行ってみると、水平線が見えるので驚いた。『これは湖じゃない、海だろ』というぐらいに、途方もなく広がっている。実際にヨットハーバーがあったので、日本では考えられないスケールだ。日差しが強く、何色かのゲータレードを飲みながら、湖岸に座っていた。ちなみに、当時のアメリカでは、スポーツドリンクといえば、ゲータレードが主流であった。岸辺を歩いていると、遊覧船乗り場がある。チケットを買い、一時間ぐらいのクルーズだったが、水平線しか見えないというのも退屈なものである。

 その後、美術館に向かい、主に絵画鑑賞を行ったのだが、美術館の規模が、日本とは桁外れに異なる。アメリカの主要都市には、それぞれ巨大な美術館があり、ピカソなどがごろごろ転がっていた。ここ、シカゴの美術館は特に大きく、上野の国立博物館並の大きさであった。ハンバーガー一つとっても、あらゆる物が大きかった印象だ。

 黄昏時が近づいたので、一旦宿に戻り、それから夕食を採りに出かけた。何を食べたのかは、覚えていない。いつも通り、ビールを買いに、ホテルの隣の店に立ち寄ったら、何やら煙草の箱ぐらいの大きさに、水着の女性の写真がプリントされている物があった。好奇心から、それを一つ購入し、部屋に戻って開けてみたら、スキンが入っている。呆然としたが、すぐに、これはいいアメリカ土産になると思って、日本に帰国した際に、大学の研究室の先輩に渡す目的で、五つほど買い足した。店のおじさんが怪訝な顔をしたのは言うまでもない。…帰国後、先輩達に「このサイズでは、小さいかもしれませんが」と言って渡したら、案の定、みんな爆笑してくれた。

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シカゴの街 その1

 アメリカでの移動手段であった、グレイハウンドのバスで、シカゴのダウンタウンに向かっていたとき、私は旅の疲れから、居眠りをしてしまった。起きたらシカゴのバスディーポの筈だったのが、何を思ったのか、私は途中で降りてしまった。『やっちまった』と思っても後の祭り、周りをキョロキョロしていた。すると駅がある。駅員に、「シカゴのダウンタウンに行きたいんですけれど」と尋ねたら、その駅から行けることが解り、一安心。地下鉄を降りると、目指すホテルにチェックインした。もちろん、いきなりの、ぶっつけ交渉である。

 宿が取れた私は、荷物を置き、街に出た。まず、友人宛のエアメールを出すために、道行く人に、郵便局の場所を聞いた。幸い近くにあったので、お礼を言って、すぐにたどり着く事が出来た。それが終わってから、シアーズタワーに登り、土地勘を得ようと試みた。

 めくらめっぽうに街の中心街を目指していたら、あの、映画『アンタッチャブル』のラストシーンに出てくる建物に出くわした。感激した私は、忙しそうにビルから出てきた、若いOLの方に、悪いなと思いつつ、「写真を撮って下さい」とお願いした。すると、快諾してくれたので、心の重荷が解けた。オープンで気取らないところが、アメリカ人のいいところだとも感じた。

 その日はそれまでで、夕食を採り、ビールを買ってホテルに戻った。そういえば、まだ、大学の研究室の、先輩へのお土産買ってないなあ、と思いながら眠りについた。(つづく)

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