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2009年11月

嘆き

 2/3書き終わっていたblogガ消えた。ショックくで寝れそうにない。

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今日は

 きょうはblpfを書かない日。

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『I Dreamed A Dream』を聴いて

 今朝、テーブルの上を眺めると、CDらしき物が置いてあった。ジャケットを観て、すぐに、あのスーザン・ボイルさんの1stアルバムであることが解った。私が購入した覚えはないので、母に聞いてみたら、昨日、出かけた際に購入したらしい。理由は、TVのニュースで聴いていて、美しい歌声に惚れたかららしい。日頃、CDなど、まず購入しない母が買ってきたということに、私は驚きを隠せなかった。そもそも母は、CDプレイヤーさえ持っていないのだ。私の部屋で聴くのかと思っていたら、車の中で聴きたかったらしい。

 さて、スーザン・ボイルさんのエピソードについては、皆様、ご承知の通りだと思うが、You Tubeにおいて、全世界で三億回ダウンロードされたらしい。他ならぬ私も三回くらいは観た。You Tubeでは、メジャーな歌手に比べて、それ程、ずば抜けて上手いとは感じなかったが、CDで聴いてみると、ものすごく甘い歌声であることが解った。とても48歳の方の歌声とは信じられない。Qween's English なので、発音がきれいで、聞き取りやすくもある。

 CDには、悲しい曲や祈りの歌、哀しい現実の中で希望を見失わない曲が入っている。それらがスーザンさんの人生と重なるのである。具体的には、オーディションで歌われた、『I Dreamed A Dream』を筆頭として、『アメイジング・グレイス』、『Silent Night』、など13曲が入っている。日本版には、ボーナストラックとして『翼をください』の英語版も入っている。全体としてバランスのとれた、素晴らしいアルバムとなっていると思う。気の早い話だが、2nd以降もこういう構成でリリースしていくのかに、関心を寄せる。

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『2012』を観て

 一言で言えば、現代版『ノアの方舟』の物語である。2009年、インドの研究所で、物理学者達が、2012年の惑星直列と共に、太陽活動が異常に活発になった結果、極端な数のニュートリノが地球の内部を高温にし、地球全体の地殻変動が活発化、世界各地で大地震が起こり、それに伴う大津波を予測。そしてそれが現実化するというストーリーである。

 この世界滅亡の日についての情報は、各国首脳の間で、トップシークレットとなる。全人類を救うのは不可能であるから、大混乱を避けるためにそういう処置が採られた。ただし、10億ユーロ払ったら、方船のチケットが手に入るという極秘情報がVIPの間で流れる。

 そんな中、カリフォルニアに住む、ごく普通の主人公の家族は(正確には元家族)イエローストーン国立公園で、謎のDJからこの情報を受け取り、一か八かの逃走を計る。時は2012年、大地震が地面を砕き、世界規模で都市が破壊される。これらのCGが圧巻で観る者を釘付けにする。スリリングで時間を忘れさせる。一方で、世界の終焉の日を迎えた人類のありかたうや、別れのシーンの演技力には疑問を感じた。

 この映画、確かに面白いのだが、アメリカ映画の特徴である、『分り易すぎる』という域を脱していない。映画は金をかければいいという物でもない。…まあいい。私が疑問に思ったのは、イエローストーン国立公園のDJが、何故、極秘情報を知っており、方舟のありかまで知っていたかということだ。

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ノスタルジーについて

 確かに懐古主義という意味でのノスタルジーは危険だ。後ろばかりを振り返って、前を見ようとしないからだ。そんなことは、じいさん、ばあさんになっていから、いや、死んでからやればよい。悪い酒の飲み方のように、浸っていると、肝心な、『今』が見えなくなる。少なくとも俺は、前向きでいたい。

 しかし、ノスタルジックな要素を欠く人間というのも、味気ない。だからノスタルジーとは男なら背中で、女なら雰囲気で出せばよいのだ。芸人なら芸の肥やしに、俳優なら演技に、勤め人ならば家族に生かせばよい。忘れられないのは、詩人だけでよい。

 また、私は、『リセット』という言葉も大嫌いだ。後悔の固まりみたいで嫌気が差す。誇り高き人間ならば、過去に下してきた、己の決断に誇りを持てるはずだ。それらを全部チャラにしようなどという甘い考えは、少なくとも私は持たない。『これから』が勝負なのだから。

 リセットではなく、『リフレッシュ』という言葉に置き換えるべきだ。

 とは言いつつも、このblogは、思い出話も多い。これからも書くだろう。しかし、それらの全ては、後悔したり、昔を懐かしんだりするものではない。単に締め切りに追われて、苦し紛れに書いているだけだ。現に、昔のblogの内容など忘れてしまった。

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『イングロリアス・バスターズ』を観て

 タランティーノ監督が、第二次世界大戦下でのナチスを徹底的に敵視した、良く出来たフィクション映画である。五つのチャプターに依って構成されている。内容も楽しめる作品だが、音楽が素晴らしいと感じた。また、繊細さはないが、肉食系の、単純に楽しめる映画だと感じた。舞台はナチス占領下のフランスである。

 第一章。ユダヤ人を匿っていた家にナチスのSSがやって来て、床下のユダヤ人に発砲する。そんな中、十八歳の少女一人が逃げ延びる。この少女は後に、小さな映画館のオーナーとなる。また、SSを指揮した大佐が全体を通していい悪役ぶりを演じていた。悪役がいいと映画が引き締ると感じた。

 第二章。アメリカから派遣された、ナチ狩りの精鋭軍団・バスターズ(約十名)の登場である。指揮官は、主演のブラッド・ピッド。「ナチを殺して頭の皮を百個はいでこい」と、部下達にに命じる。そしてナチスの制服を着た連中を殺しまくる。

 第三、四、五章章。逃げ延びた少女の経営する映画館で、ナチスの幹部が集まり、ナチス映画を上映することが決まる。そこから、少女とバスターズらの壮絶な復習劇が始まる。

 この映画を観ていると、言葉のアクセントや癖などで、敵を見抜くナチスの執拗さにゾッとする。また、この映画自体は外国では大ヒットしたらしいが、私が観たときには劇場に1/3位しか客が入っていなかった。それが意外だったが、深みに欠けたからだろうか。

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深呼吸

 深呼吸をして、体を伸ばす。今日はゆるりとしようか。

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腕白坊主の弥吉君

 我が家の愛犬、弥吉君(ミニダックス・♂)も、もう産まれてから半年になる。お留守番が続いたせいか、寒さが増したせいかで、イタズラばかりをする。ひどい時には、居間のテーブルに登って、悪さをする。玄関で、私の革靴を噛んでいたときも、ショックだった。トイレの躾は上手くいったかどうか解らない。

 居間に家族がいるときは、コタツを点けているのだが、誰もいなくなると、弥吉君だけ寒い部屋に取り残される。私の座椅子が、どうも弥吉君の拠点らしいが、寝る段になると、かわいそうで、私のジャケット(寝間着用)にくるませ、その上から布団を掛けてやっていた。そうすると、おとなしく寝るようになった。

 昨晩、余りに寒そうなので、思い切って、私の部屋に上がらせることにした。ベッドの中で愛犬と寝る。おとなしかった。エアコンやホットカーペットがあるのだが、私はいつも、電気代の節約のために、点けない。スリッパとかスキー用の靴下でしのぐ。当然、弥吉君が来ても点けなかった。ベッドで仲良く寝ていた。

 先程目覚めると、弥吉君も起きて、興味深げに私の部屋を観察していた、というより物色していた。何か暴れたい様子で、ウロウロしながらヨドバシカメラの紙の袋に噛み付いていたので、下の部屋からガムを持ってきてやった。現在、それに夢中である。心配だったトイレの方も、ちゃんとしていた。とりあえず合格点である。そのうち私の部屋で寝たがるるようになるんだろうな。

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山崎豊子ブームと松本清張

 今年の秋は、山崎豊子ブームが起きた。映画では『沈まぬ太陽』、TVドラマでは、『不毛地帯』、再放送で『華麗なる一族』、『白い巨塔』と、恐ろしいほどの勢いで、メディアに顔を出している。必然的に、本屋を覗いてみても。山崎豊子作品が目につく。

 上手い作家、芸術家は、皆そうだが、対位法を上手く使う。山崎豊子作品を観ていると、大きな波を感じると共に、エンディングで見事なオチがある。それでいて社会派作家でもある。社会派作家としては、同様に松本清張氏の名前が挙がる。

 現在、松本清張氏の生誕100周年という事らしいが、私は山崎豊子ブームの次は松本清張ブームがやって来るとよんでいる。清張氏の文体は前半2/3は引き締っている。しかし、オチが解る最後の1/3で急に緩む。尻切れトンボな印象は拭えない。それでも、松本清張ブームはやってくると、推理小説嫌いの私でも思う。

 昔、九州を旅行したき、小倉に立ち寄った。小倉城に車を停め、情報収集していると、松本清張記念館があると聞き、見学した。恐ろしい数の蔵書があり、圧倒された思い出がある。昔、後輩が「松本清張は天才ですよ。それに比べると僕なんか凡人です」と、電話口でいじけていたので、私は「お前、小倉に行け。どれだけ努力しているかが解るから」と、叱ったことがある。同じ物資で出来ている者同士、天分にそれほど差なんて無いのだ。要は努力なのだ。

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映画『なくもんか』を観て

 観た感想としては、いい映画だけれど、哀しすぎる、というものだった。途中、涙が出て、軽く拭った。映画自体は、テンポよく、コミカルに進むのだが、物語はひたすら哀しい。劇場では、笑い声もあったが、その観客達が、どういう神経をしているのか疑問に思った。

 親に捨てられて、離ればなれになった孤児の兄弟二人が、生き延びた後に、どういう人生を送っているかの物語でもある。父親は失踪、母親は事故死する。父親はどこまで行ってもドス黒い奴だ。兄(阿部サダヲ)は商店街のハムカツ屋を営んでおり、八方美人で、何の仕事でも引き受けるお人好し。弟(エイタ)はピンじゃやっていけ無い芸人という設定だ。そこに先代の一人娘(竹内結子)が不倫の末に、不倫の子供を連れて、ハムカツ屋(実家)にやってくる。二人はめでたく結婚で商店街中の人から祝福されるのだが、ここまでは良かった 

 ハムカツ屋の山ちゃん(阿部サダヲ)は いつも笑っているのだが、日曜の夜にどこかに出かけ、月曜には思いっきり元気になる。その秘密をを子供の一人が目撃する。この事変に、山ちゃんは、土下座して謝る。すると子役は「家族旅行に行きたい。沖縄!」と言って、内緒にすることを約束する。八方美人の化けの皮が剥がれたシーンでもある。私は何故、小学生のこの子が許したのかは解らない。、本音を見せたからなのか?

 沖縄旅行では、いろいろなことがあるが、「父さん」「兄ちゃん」と呼び合えることが、普通の家庭に育った私としては、如何にありがたい事か身に染みる。

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社会面

 新聞の社会面を見るのが辛い。シャブにしろ、殺人事件にしろ、嫌な話題ばかりだ。昔jは平和だったね、というのは、いつの時代もそうかもしれないが、私が知る限りで、明らかに最近の事件は凶悪化、もしくは稚拙化している。人間疎外の現実がここに出だした。

 例えば、秋葉原の事件。一見、電機製品を安く買え、ファッションの最前線を行っているような扱いを受ける。しかし、実際、裏通りを歩けば、平気で盗聴器などを売っている店がある。どう考えても、私には健全な街には思えなかった。だから、私は秋葉原の駅を歩くときには、黄色い線より、さらに1m内寄りに歩いていた。ご遺族の方は気の毒だが、私は、いつ、ああいう事件が生じても不思議では無いと思っていた。ニュースを聞いたときも、とうとう起きてしまったのか、位の印象であった。

 今を生きている子の多くは、土の匂いを知らないと思う。それだけ自然が減ったと共に、ビデオゲームにはまって、自然とふれあうことが少なくなったのだろう。何と無機的なことか!

 ある記事で、女子高生が、平均で一日数時間、携帯電話をいじっているとか。無駄ではあるが、この時間、友情を深めたりするのだそうだが、結局は現実逃避なのではないか?お互い、顔を突き合わせ、雰囲気を読み、気の利いたジョークでもとばしながら、というのが人間関係だと思うのだが。別に喧嘩したってかまわないとも思う。そうして仲直りして、成長していくのだから。たとえは悪いかもしれないが、バーチャルエリアの中でLV.Upしていても、肝心の本人は、リアルな世界でLv.Downしているのではないか。もっと遠くを見よう。

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電子カルテについて

 私と私の母がお世話になっている整形外科の先生は、机の上にパソコンが置いてあるが、電子カルテを導入したわけではなく、レントゲンの画像を観るためだけに使用されている。だから、使うのはマウスだけで、キーボードにはノータッチである。カルテは、あくまでも手書きで、経験に基づいた診療をなされる。そして、その診療がことごとく当たるのだ。名医である。そんな先生に、大病院で電子カルテで診察してもらった感触を語った。

 私;「電子カルテって、なんか無機的ですよね」

先生:「患者の方は見ないで、パソコンばかり相手にしているんでしょ」

 私;「はい。何だかよくわからない診察でした」

先生;「パソコンばかり見ていて、肝心な患者の顔は覚えてない(笑)」

 大病院などでは、データが膨大になるので、電子カルテの導入も、やむなしなのかもしれないが(いろんな医者がカルテを共有するため)、どうも人情味が無くていけない。一番困るのは、ヤブ医者だが、電子カルテもいかがなものかと思う。『医は仁なり』というが、どうも電子カルテは殺伐としすぎている気がしてならない。でも、これから増えていくんだろうな。

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いんちきブラインド

 つい先日まで、ブラインドタッチの練習などする気も無かったが、どうせ毎日blogを書くのなら、ついでにブラインドタッチの練習もやってみようと、キーボードを見ないことにした。ローマ字変換の日本語打ちには、大分慣れてきたが、ローマ字で使わない英語や、Function,キー、数字、特殊記号などには、まだ慣れてはいない。しかも、未だに、何のために使うキーか解らないものもある。それじゃあ駄目だろ、ということになるのだが、ひらがなを打つスピードは格段に速くなった。ひらがなだけなので、いんちきブラインドなのである。

 昔、ブラインドタッチの練習用の無料ソフトをダウンロードしてやっては見たものの、三回で挫折した。それからしばらくして、友人にコツを聞いたら、ホームポジションなるものを教わり、左上と右下に両手をスライドさせるのが基本だと学習した。その友人曰く、「本気でブラインドを身につけたかったら、死んでもキーボードを見ないことだ」と、当たり前だが重要なアドバイスをもらった。

 また、ある方は、「ブラインドが出来る生徒と出来ない生徒では、その後のコンピューターの伸びしろが大きく異なる」とおっしゃっていた。なんでも、指が単語を覚えるとのこと。実際、ブラインドが出来る方に、話を聞いてみると、街のネオンなど無意識のうちに指で打つことがあるうそうだ。

 なにはともあれ、ひらがなだけでも、ブラインドで打つ方が、blogも早く終わる。それにしても、これだけ寒くては、指がかじかんでミスも増える。今度、指先だけカットした手袋をはめて打ってみようかな。

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500円の松茸

 以前、母の買い物の足となった際、そこそこの品を破格の値段で売っている八百屋に行った。私は別行動をとったのだが、約束の時間になっても、母がなかなか戻ってこない。車で一時間ぐらい待ったあげくに、大量の野菜を持って母が帰って来た。後部座席に置き、文句の一つでも言おうと思ったら、母が先手を打って、「松茸買ってきたよ、松茸!」と嬉しそうに言うので、怒る気もなくなり、駐車場を出て、家路につく途中で、私は、「国産の松茸なの?」と聞いたら、母は、「中国産。その代わり500円」と言う。私は溜息をつき「そんな怪しいもの買ってくるなよな。俺はいらない」と返した。

 その日の晩に、松茸ご飯が炊かれたのだが、私は口にしなかった。私が蕎麦をすすっている際に、母は「香りはないけれど、歯ごたえだけが松茸だね」と言いながら食べていた。母は好きで食べているのだから、別に毒味役にしたわけではないが、体が痺れたりしていなかったので、翌日、私も一膳だけ食べてみた。案外おいしいのだが、おかわりする気にはなれなかった。

 私が懸念したのは、中国の公害問題である。かつての日本でも、四大公害を筆頭に、経済成長に伴う、様々な公害が出た。私の読みでは、公表されてはいないものの、中国国内で、そういう現象が起きて来つつあると観ている。

 大体、松茸を500円で食べようと考える事自体、ムシがよすぎると思うのだが。

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ストレッチ

 今日はのんびりとストレッチ。頭も体も楽~にして、ストレッチ。あっ電話が鳴ってる。ではまた。

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『ゼロの焦点』を観て

 公開初日に映画『ゼロの焦点』を観てきた。原作・松本清張の有名なサスペンスである。とは言っても、私は松本清張氏の本は、それほど読んできていない。印象としては、引き締った文体、尻切れトンボという感じであった。それはさておき、この映画は、金沢で起きる連続殺人事件なのだが、それを、ある刑事が追ってゆき、犯人を捕まえるというようなトリック調のものではない。むしろ物語調の殺人劇である、不思議な作風だ。私は映画を観ていて、おおよそ犯人の目星がついたが、原作の文章だと解りにくいだろうな、とは思った。

 タイトルの『ゼロの焦点』というのもどこから来たのか解らない。清張氏自身も語っておられなかったそうだが、私の個人的解釈としては、焦点がゼロな殺人事件の連続、もしくは手がかりがゼロに等しい連続殺人事件の最終的な焦点、などとタイトルからも考えさせられる。

 この作品のキーとなるのは、『過去を消したい』ということである。これが全ての殺人事件の動機でもある。

 さて、私は余り推理小説は読まないが、一定の基準を設けている。それは、文章を映像化しても穴のないことである。そういう作品の方が、実際、少ないのではないか?今回の作品でも一つ疑問が残るところがあった。鵜原禎子役の広末涼子が何故、最初の遺体が旦那ではないと否定したのかが、解らないのである。これ以上書くとネタばらしになるので、今日の所はこれで失礼。

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般若心経の覚え方

 基本的に覚えやすいお経なので、毎日唱えていれば覚えられる。完璧に覚えたいならば、写経してみるのもいい。他にも、本屋にでも行って、CDを買い、毎日聞いていれば、読み方がよくわかる。息継ぎの場所も、意味が崩れないのであれば、我流でよい。

 読めるけれども、肝心の意味がわからないという方は、勉強するしかない。般若心経のポイントは般若波羅密多(はんにゃはらみった)という、仏の偉大なる智慧というのがキーワードの一つとなる。全体としては『空』についての教えで、そこで般若波羅密多にすがりながらあらゆる仏界を通して菩提薩タ(ボーダイサッタ)となるように努力しましょう、という様なお経だと、現時点で私は考えている。

 我が家では父が他界してから、毎日浄土真宗の在家のお経と般若心経を仏間で唱えているが、最初、何にも知らなかった母が、現在では般若心経を、ほぼ完璧に暗唱できるようになった。意味は解らないらしいが、どうやって覚えたのかを聞いてみたら、覚えよう、と発心してから四ヶ月位で唱えられるようになったそうだ。

 まず覚えようと思ったら、正しい読み方を知って、毎日読む。読むにしても、最初はお経を観ながらでもよい。繰り返しているうちに、暗唱できるようになる。焦らず、毎日コツコツ唱えるのが肝心である。ちなみにお経は仏壇屋で売っているし、いろんな本にも載っている。

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コタツ導入

 昨晩、松田優作の『野獣死すべし』を自室で観てから夕食を採り、眠りに落ちた。最近は、お前映画の見過ぎだよ、と思えるくらいに観ている。これでいいのかどうかは解らないが、勉強にはなる。多少のお金をはたいてでも映画館に行くのは、何故だか自分でも解らない。

 さて、映画とは全く関係のない話だが、寒さ究る折、我が家では今日からコタツが導入された。去年コタツがぶっ壊れ、新たに購入したものである。コタツがぶっ壊れるなど想像だにしなかったが、新しいコタツが来るまで寒さを堪え忍んでいた時期が懐かしい。

 以前飼っていた、愛犬の弥七君もそうであったが、現在飼っている弥吉君もコタツの中に潜りっぱなしである。出てこさせようとしても、食べ物がない限り、出てこない。童謡の『雪やこんこん』では、猫がコタツで丸くなり、犬は喜び庭駆け回る筈なのだが、亡き弥七君も現在飼っている弥吉君も猫犬である。

 コタツといえば、掘り炬燵の方が私は好きである。姿勢が楽だからだ。とは言っても、現在掘り炬燵など、ほとんどの家庭では存在しないだろう。無論、我が家も同様だが。もし、我が家のコタツが掘り炬燵だったら、愛犬の弥吉君はずっとコタツの外に出られなくなるだろう。

 いずれにしろ、コタツのありがたみを感じると共に、季節の移り変わりの早さを感じる。

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『SOUL RED 松田優作』を観て

 芝居に取りつかれ、役者活動をしていた友人達と一緒に飲んだことがある。その時、私が尊敬する役者・俳優・女優は?と聞いたら、男子では圧倒的に、松田優作の名前が挙がった。当時の私は、松田優作の名前こそ知ってはいたものの、作品を観たことがなかったので、それ以上の話題にはついてはゆけなかった。みんなが熱く語り合うのを、興味深く聞いているだけであった。役者で、ものになる可能性というのが、限りなく低いことを承知で、それでも夢中になれるみんながうらやましかった。その後、私は松田優作の作品をいくつか購入し、家で観たものの、芝居音痴な私には凄さが解らなかった。そこで映画館に足を運ぶことにした。

 この映画は松田優作の作品全てを通して、海外も含めて現役の俳優達のコメントを交えたドキュメンタリー構成になっている。まず私が驚いたのは、わずか40年の生涯で、相当な数の作品に松田優作が出演している事である。役柄も様々で、圧倒的な存在感とエネルギーを感じた。また、現役の役者達が、ことごとくリスペクトしていることにも驚いたが、映画を観ているうちに、納得がいった。何か松田優作の周りだけ、渾身のものを感じたのである。上手く言えないのだが、他の役者がかすんでしまうのだ。あの若さで何でそこまでの領域に達したのか解らない。相当過酷な過去、もしくは葛藤、不幸があったのだろうか。芝居音痴の私にはそれぐらいしか考えられない。

 久々に松田優作の作品が観たくなった。今晩にでも観てみようかと思う次第である。

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『南極料理人』を観て その2

 この映画、『南極料理人』は、おもしろみを一言で伝えるのが難しい。様々なイベントがあって、いくつか紹介するだけのこととなる。それだけ面白かったということだ。

 打ち解けてきた仲間が、赤ワインで雪上に、ダイヤモンドを書いて野球をする。合計八名なのに、どうするのかと思ったら、次の画面に飛ぶ。みんなが赤ワインの染みた氷を旨そうに食べるのだ。この時点で、隊員みんなの繋がりは高まっている。

 そんな中、料理担当の堺雅人が、トラブルに巻き込まれるが、数日いじけた後で、手打ちのラーメンを作ってみせる。料理はみんなで、「頂きます」というはずだったのが、独りだけ観測熱心な隊員が隊長役の、きたろうに、「見事なオーロラがでています。観測しなくていいんですか?」と言うが。隊長は、「そんなもん知るか」と皆とラーメンをすする。こんなにおいしそうなラーメンは観たことがない。やがて、みんな髪も髭もボサボサになってゆく。唯一のの娯楽は朝のラジオ体操。男ばかりの世界を伺わせる。その他、エピソードは実際にご覧下さい。一つだけ気がつくのは、一人を除いて、みんな適当にしかやっていなかったということだ

 私はこの映画を観て、待っている家族の冷たさを感じた。家庭でのTVのチャンネル権は娘。家族のワガママも笑って済ます。要するに躾がなっていないのだ。私の亡父は、メーカーに勤めていたが、単身赴任拒否宣言をしたそうである。理由は、家族が壊れるからということであった。他人に文句を言わせないような仕事っぷりだったらしい。感謝、余りに余りて目頭熱く、ご恩返しの出来なかったことで、濡れたハンカチを取り出す。どうぞ、父上、母のことはお任され下され。

 パロディ映画なのに何か暗いオチになってしまったな。映画の方は生命力に満ちあふれた、いい映画です。機会があったら皆様もどうぞ。「いや~映画って、本当にいいものですね」

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『南極料理人』を観て その1

 日本から14000Km離れた南極の基地で、いろんな使命を持った八人が、一年半を過ごすうちに、料理を通じて、打ち解けてゆく物語である。様々な伏線が引かれた、ユーモラスな映画である。主人公は大河ドラマ『篤姫』で、将軍家定役を務めた堺雅人が、料理人役として出てくる。タイトルが『南極料理人』というように、やたらと食事のシーンが多いが、そこを軸に最初はバラバラだった隊員達の絆が深まってゆく。

 舞台が1997年ゆえに、南極にあれだけの食材を運べる時代になったのかと驚きもしたが、真っ先になくなった食材は、ラーメンであった。みんなが不平を言う中、料理人は、「まだ、カニとか伊勢エビとかありますから」と言ってみんなをなだめる。すると、氷を水にするために雪かきしていた隊員達が、「エビフライ!エビフライ!」とかけ声をかけあって作業に励む。料理人が、「伊勢エビのエビフライはどうかと・・・」と言うも、隊長が「僕らの頭の中には、もうエビフライしかないから」と突っぱねる。その晩、伊勢エビのエビフライが出てくるのだが、巨大すぎてみんな無言。私はおかしくて笑ってしまった。

 料理とは関係が無い点で笑ったのは、オープニングで、基地から逃げようとする隊員に、三人の隊員が、「お前が強くなるしかないんだ」と説得していたので、よっぽど過酷な環境なんだな、と思っていたら、実は麻雀の話で、初めてその隊員が麻雀に勝ったときに、恋人に電話すると、「好きな人が出来たの」とふられてしまう。みんなが励ます中、その隊員は、電話のオペレーターを口説く暴挙にでるのだが、この恋はなぜだか実る。(つづく)

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修行中

 現在修行中である。

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『カイジ』を観て

 ここのところ、映画館行脚が続いているが、今回は命がけのギャンブルをする映画、『カイジ』を観てきた。劇場には私を含めて四人しかおらず、閑古鳥が鳴いていた。じゃんけんゲーム、鉄骨渡り、Eカードを扱っていたが、原作を読んだことがある私には、映画のトリックがちゃちで、おもしろみに欠けた。

 特に、Eカードは、どこに勝てる根拠があるのかが、解らなかった。実際、緊迫したのは、Eカードの相手役、香川照之の圧倒的な演技力に依るものである。たしか香川照之は、『沈まぬ太陽』二も出ていた。現在、一番脂がのっている、旬な役者である。

 一々ゲームの内容を説明していては、枚挙にいとまがないので、興味のある方はB00K OFFか漫画喫茶で読まれるとよい。原作の福本伸行は、アイデアで勝負している漫画家なのだが、ギャンブルのイカサマやトリックは一級品である。バクチ好きはみんな読んでいる。

 映画の方は、正直言って、1800円の価値はない。ただ、自堕落な生活を送っていると、どうなるか、という事が、私の身につき刺さった。価値があるとすれば、それくらいだろう。

 

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1000話目

 このblogも今回で1000話目となった。読んで下さる方々の力がなければ、ここまで達成できなかったと思う。1000という数字で思い出すのは、将棋の米長邦雄氏が二十歳の頃に、『悲願千人切り』というテーマを自らに課したことである。ここで言う千人切りとは、それだけの数の女を抱こうという野望である。詳しくは、立花隆氏の『二十歳の頃』という本に載っている。短いので、本屋で立ち読みすればよい。

 冗談はさておき、1000話の中には、自分で納得のいくものや、そうでないものがある。最近では週に一度は手を抜く悪癖がついてしまった。それに、親父が他界した際の名義変更で消えてしまったものもある。しかし、毎日書いて来れたことは、自分の自信にもなった。

 また、一日に二話掲載することもあったが、最高記録は昨年か一昨年のの冬に、一挙、十数話書いたものである。誰も通して読んではくれなかったが(苦笑)。しかし、消えたblogも含めると、1000日は書いていると思う。何だか、比叡山の千日奉公みたいだ。

 何を得たかを語るのは、まだ早い気がする。これからも続けるからだ。ただ、根気の無かった自分が変われた気だけはする。次は、三年続けるのを目標にする。とは言っても、実際の所は、1000話も書いてしまうと、書くことが無くなってくるものだ。出来るだけ悪口や、下ネタは避けて、これからも精進したい。

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リバウンド・アゲイン

 ここ十五ヶ月、親の仇のようにう、飲んできた。実際、親父は黄泉の人となったのだし、何が良いとも悪いともも言えない。親父の代わりになり得る人など、この世には、当然おらず、苦しみを独りで背負って生きてきた。母はもっと辛かった思う。考えてみれば母は突っ走って、ここまでやって来た。母は父の夢を時々観るいうが、私は観たことがない。いつも、おねいちゃんとんとの裸の夢を観るだけである。そんな私に嫌気が差す。

 体重も、あっという間に元に戻った。リバウンドである。最近は、キウイに燃脂作用があると言うので、朝食はキウイで済ましている。昼は抜き、夜はきっりと食べる。他にも、ストレッチをしたりするのだが、体が硬いせいか結構こタえる。

 私は、もう一度、無理なくやせるつもりである。以前のダイエットは、二ヶ月で14Kg落とすなど、無理があった。精神的にも憂鬱な状態になった。blogを書く事が辛かった。、では、やめれないいじゃないか。という御意見も多数聞く。ぞこで原点に振り変える。…俺には、この道しかないのだ、とバカボンのパパのように言い聞かせる。私は天才ではないから、バカボンともバカボンの父とも異なる。レレレのおじさんも大したものだ。

 一矢完徹、一意専心、どちらも0響きがよい。言葉に負けぬように生きてゆきたいものだ。

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ユーモアの原点

 高校生の時、英語の長文読解で、イギリス人はユーモアのセンスを重視する、というテーマのものがあった。今思うに、それは、どこの国でも同じで、人間共通のものなのではないかと考える。ただ、質が異なるだけのことだ。例えば、初期のデイブ・スペクターの様に、アメリカ人のユーモアのセンスというものは、日本人には向いてはいないなどの相性はある。

 では、どうやってユーモアのセンスを磨けばいいのだろうか?そもそも、センスを磨くことなど出来ないのではないか?という疑問もあると思う。面白い芸人と、つまらない芸人がいる様に磨くのは無理なのではないか、と考えてしまいがちだが、面白い芸人というのは、ネタの引き出しが多く、ちょびっとだけ頭がいい。そして、周りの空気を読む嗅覚が優れている。

 頭をよくしたり、空気を読めるようにするのは困難かもしれないが、引き出しを増やすことは誰にでもできる。それは、いろんな事に取り組んでみることだ。本、TV、ラジオ、をはじめ、飲む、打つ、買う、とにかく何でもやってみて、印象に残った事を頭にインプットするのだ。

 後はこれらを組み合わせたり、連想させたり、膨らましたり、裏を読んでみたり、いろいろなテクニックを使って、話せばよい。ただし、悪口と嘘は言ってはいけない。高級な話題から、下らない話まで、ユーモラスに話せるようになれれば、一人前である。とにかく、引き出しを多く持つことが大切なのだ。世の中に無駄なことなど無いと私は考える。

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『カムイ外伝』を観て

 どこから切り込めばいいか、現在でも悩んでいる所存である。『カムイ伝』といえば、タブーとされてきた部落問題について触れられていると聞いたことはあった。原作を読んではいないので、どの程度触れられているのかは解らない。部落問題については小学生の時に先生が、「昔はこんなにひどい差別があったのです」とおっしゃり、簡単には教えてくれた。昔だけではなく、現在も続いている問題なのかもしれない。ある友人から、東京の環七、環八は、部落を潰して創ったものだと聞いたこともある。

 『カムイ外伝』の映画の中では、そのことには余り触れていない。ただ、カムイがそういう出で、貧しさから忍者になった、とだけ触れられている。そして、忍者のむごさに耐えきれず、抜け忍となり、忍びの掟ゆえに追われる身となったと触れられている。どんなに酷いことがあってもカムイは生き延びようとする。私なら、その緊張感の連続に参ってしまうだろうな、と感じたと同時に、カムイが何故そこまでして生き延びようかとするのかが解らなかった。追忍から追われ続け、命を狙われ続け、どこに希望があるのかが解らなかった。ダンテの『神曲』の地獄編の、地獄の入り口の門に、『この門をくぐる者はあらゆる希望を捨てよ』と書かれているが、カムイは地獄を走り続けていることになる。

 このような生き地獄が延々と繰り返されていることが、いつまでも無くならない差別問題に関して語られているメタファーなのかと感じた次第である。

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どうしようもないトラックバック・コメント

 私は素敵なコメントやトラックバック(以下TB)を歓迎している。自分のblogを成長させるために大切なためだと。また、一所懸命「のblogにも好意を覚える。しかし、私の所に来るコメントやTBの九割以上が迷惑なアダルトサイトなどであるのも事実である。

 一度唖然としたのは、人の記事を勝手に使って、アダルト商品を販売しているサイトだった。旅先だったので数日間放置してしまったが、よくよく調べてみると、清潔感のある広告の裏にはアダルトサイトが隠されていた。即座に消したが、腹が立つ。

 お前ら、俺のサイトに違法なコメントやTBを送ってきても無駄だ、ということをblog上で載せても無駄なのである。バカな奴はゴマンといて、狙いを定めてやってくる。できるだけ、そういうものは載せないように努力しているのだが、読者の皆様も警戒されたし。

 現在のココログでは、コメントやTBを載せますか?という判断が、掲載者には掲載前に出来る。また、メアド必須でも掲載者にも解らない。だから、まず安全なのだが、困るのはアダルト以外で、思想的なことやらについて送られてくるTBでもある。私はこのblogをニュートラルよりも、ちょっとだけ右ぐらいにしたいのだ。

 blogは個人で創りうるもの、深く考えることはない。しかし、blogの端々には人間性が読み取れる。私も胸襟を正して臨まなければ。

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連休

 今日も休みを取る。

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楽太郎が円楽とは

 納得がいかない。

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