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2009年10月

『THIS IS IT』を観て

 つぎはぎだらけの映画だろうと覚悟して観に行ったのだが、案外そうでもない。ロンドン公演が近かったせいか、完成度はかなり高かった。もちろん、リハが映画になっているので、コンサートを観るようにはいかないが、それでも充分に楽しめる内容になっているのが凄い。

 この映画、エンターテイメントとして楽しむのも悪くはないが、完璧なコンサートを創作するまでの過程の凄まじさとして、マイケルジャクソンとそのチームがどれだけ努力しているかにスポットを当ててみる方が面白いかもしれない。妥協を許さぬマイケルの姿勢に驚く。

 ダンスにしろ、音楽にしろ、演出にしろ、マイケルは全てに精通していた。その圧巻たる才能に驚嘆する。96’のヒストリーツアーから十年以上が経ち、五十歳になっても、あれだけの動きをダンスで表現できるダンサーなど知らぬ。多少ダンスの切れが落ちていたようにも感じたが、他を抜きんでていた。音楽に関しても、細かい注文を付ける。ここのコードやテンポはこうしようとかスタッフと話し合ったり、ステージ上のリハでも、その場で細かい指示を出していた。全てマイケルが指示を出しても、誰も文句を言わない。それがベストだからだ。

 あれだけ元気に動き回っているマイケルを観て、この世にいないことが信じられなかった。ワールドツアーでなくロンドンに絞ったのも、セットが凄すぎるからだろう。マイケルも無念だったろうが、この企画全てに関わった方も無念だったろう。後一歩だったからだ。

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一流の物には金を惜しむな

 骨董など、高価で贋作が多い物は別として、私は、音楽、映画、TVドラマ、書籍、絵画、仏像 etc において、一流の物を見たり聞いたりするためには、金を惜しまないことにしている。自分の感性を高めたり、考えさせられたりするものは、後々必ず、自分の肥やしになるからだ。いわば、自分への投資である。その時、解らないものでも、意地になって読んでみたり、聞いてみたり、観てみたりする。そして脳の中に留めておく。それらはいつか、自分の人生経験が豊富になったとき、解るようになる。

 では、どうやって一流かそうでないかを見分けるか。最初は経験値がないから、散財してしまうかもしれない。しかし、めげてはいけない。できるだけ多くのジャンルに手を出すべきだ。友人のアドバイスから初めてもいいだろう。難しくても完読する。解らなくても聞く。やがて、上記の作業を繰り返していると、自分の中に軸が出来る。こうなったらこちらのものだ。どんどんインプットする。それらは貴方の感性や教養となってにじみ出てくるようになる。もちろん、時間のかかる作業だから、早いうちから始めた方がよい。学校の勉強とは異なる。

 気をつけなければならないのは、何が一流であるか、というのは自分自身で決める、ということだ。マスメディアが流す大量の嘘にだまされてはいけない。その上で自己が確立された人には魅力がある。まあ、くだらない事をたくさん知っておくことも、必要なのだが。いや、むしろそっちの方が大切な気がしてきた。何でそう考えるかはまたの機会に書く。

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『沈まぬ太陽』を観て 

 映画の『沈まぬ太陽』を観てきた。三時間を超える大作で、途中で十分間の休憩があったが、一瞬たりとも眼が離せぬ名作であった。名作であることは解るのだが、全てにおいて、いろんな要素が絡み合い、一言では感想が言えぬほど、考えるべきテーマが凝縮されていた。映画が終わってもエンディングまで席を立つ方が少なかったも、皆、考えていたからだろう。

 ストーリーを開かすのは、タブーなので、簡単に書くと、『白い巨塔』と同じように対照的な二人の主人公が、日本航空という組織の中で織りなす物語である。主人公は恩地役の渡辺謙だという方もいるだろうが、行天役の三浦友和も立派な主人公である。と言うより、これだけ脇役の少ない、つまりは、ほとんどの役者のキャラ立ちの見事な映画も、滅多に観ない。

 恩地は揺れる組織の中で、海外への左遷の連続の中で、家族をバラバラにされても、会社の辞令に従う。と、いうよりも、自分の信じる道を貫き通す。それはまるで、苦行僧の修行のようにも感じられる。日本に戻ってきても、他の社員とは異なり、日航機墜落事故の遺族に、誠意を持って、ひたすらお詫び行脚を続けようとした。しかし、そこで行天に再びアフリカに左遷されることになる。行天には悲劇的な結末が待っているのだが、恩地は二度目のアフリカ行き二は前向きであった。それはまるで悟りきった求道者のような感覚を受けた。その頃には家族の絆もしっかりと戻っている。

 さて、『沈まぬ太陽』の『太陽』が何を意味しているのかを考えるに、私はいくつかの意味を原作者である山崎豊子は掛けていると思う。それは日本であり、恩地が観るアフリカの地平線に映える夕日であり、恩地の、信念を貫く火の玉の様な勇気であるようにも思う。

 時代は変わったが、恩地の生き様に、何か人間の尊厳を感じている次第である。それは現代でも通ずる物である。変わることのない信念、勇気、決断力、忍耐力、大局観・・・ どれもが人間が人間として生きるために欠かせない物である。

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本宮ひろ志は本当にペンを折るのか?

 最近のニュースを見ていると、薬物関連の物が多い。そんな中で、目立って取りざたされてはいないが、元JRAの騎手・調教師であった田原成貴容疑者が覚醒剤の使用疑惑で捕まった。現役時代は私の好きなジョッキーでもあったので、残念である。

 田原容疑者はこれで二度目の検挙となる。調教師時代に、羽田空港で、わざと包丁を持ったままゲートを通過しようとし、空港警察に捕まった。その際、シャブもやってますよと、自ら公言し、陽性反応が出た。何故このような暴挙に出たかということを記すと枚挙にいとまがないので、簡単に述べると、自厩舎の従業員に厩舎を目茶苦茶にされ、調教師業がにっちもさっちも行かなくなった時、田原厩舎は、ほぼこの男によって潰された。その不条理を、自ら被告となることによって、法廷で訴えかけようとしたのだ。この事件の時の田原容疑者の身元引受人が、漫画界の大御所、本宮ひろ志である。

 ところが、実際の裁判では、厩務員の目茶苦茶ぶりがあからさまになったにもかかわらず、田原のみに刑罰が降りた。この事は数日後の週刊文春で、裁判を傍聴していた本宮ひろ志が暴露した。そこでは、様々なことが書かれていたが、もし田原がもう一度シャブに手を出すようなことになったら俺はペンを折る、と書かれていた。十年前の話である。

 それからの田原は、本を出したり、漫画の原作を書いたりしていたが、全然パッとしなかった。彼が長身のジョッキーであったが為に、現役時代からシャブをやっていたのではないか?などという説が有力視される風潮もあった。田原容疑者は自著で、男として本宮さんを尊敬している、と語っていたが、今回の犯行は恩師を裏切ってまで、シャブに手を出したということは、一度、冗談で手を出しても、シャブ中毒になるというということでもある。

 さて、本宮ひろ志は、本当にペンを折るのだろうか?個人的には残念であるが、『男の中の男』を売り物にした作風が多いということからも、実際にペンを折るのではないか。そうなった場合、田原は許されないことをしたという点で、自分を陥れた厩務員と変わらない事をしていることになる。皮肉な話だ。

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宝くじと競馬とパチンコと

 我が家では、母と私がロト6とtotoBIGを毎週数口購入している。なかなか当たらない。ドリームジャンボなども購入するが、こないだのオータムジャンボでのべで13200円あたったが、これはほぼ元返しで、1200円しか浮いていない。まあ、期待値が0.5以下なので仕方がない面はある。これならば、まだ、期待値が0.75の競馬の超大穴にベットした方がいいかもしれない。ただし、競馬は時間を食うので、予想するヒマがない。私は有馬記念V4、ダービーV3を達成したときに、勝ち越しているうちにやめようと、手を引くことにした。もう3年になる。

 宝くじの場合、普通の宝くじとtotoBIGは運任せである。しかし、ロト6は自分で数字をを選べるのだから、何か攻略法があるはずだと思った。本屋に行き攻略本の前書きを読んだら、クイックピック(コンピュータに数字を選んでもらう方法)で購入している人は、金をドブに捨てているようなものだと書いてあった。その本を立ち読みし、いくつかの攻略法が書いてあったので、無い金をはたいて購入した。まだ全然読んでないが、現実味があった。

 私はギャンブルでは、競馬と麻雀は勝ち越しているが、パチンコは負け越している。パチンコ屋の新規・新装開店では勝率十割なのだが、普段は負けることが多い。一度、内容は忘れたが、パチンコ必勝法なる物を思いつき、次の日にそのセオリーに沿って打ったら、六万負けた。現実はそんなに甘くはなく、パチンコも毎日通い続けないと勝てない、時間を食うバクチであることが身にしみた。パチンコのセオリーとしては、一万円以内に確率変動を手に入れ、三箱積む。実はここで、引くか押すかが一つ目のポイントであるが、そんなことはどうでもよくなった。あの轟音の中、何も考えずにいられることが、何よりの気分転換になるのだ。

 結局、バクチに対する愛情と未練は残ってはいるが、コツコツと地道にお金を貯める方がどれだけ大切なことかを学んだ次第。気分転換に、今からパチンコ屋にでも乗り込んでこようか。さて。

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還暦祝い

 一昨日が母の六十回目の誕生日、つまり、還暦であった。そこで、昨日、弟と携帯で打ち合わせて、我が家でお祝いをすることになった。弟たちは、夕方に来ると言うので、それまでに、どこかで、何か赤い物を買ってくる事を依頼した。もちろんお金は折半である。

 親父の還暦の時には、赤いちゃんちゃんこと、赤いパンツであった。親父も嬉しかったのだろう、弟の家族が帰る際に、赤いパンツ姿を披露していた。みんな、これに大爆笑し、めでたい還暦祝いの集いであった。

 さて、昨日、弟たちが来る前に、母と何を用意しようか話し合った。結局、ピザを何枚かとろうということになり、何がいいかは、弟の家族に決めてもらおうという事で落ち着いた。そんなこんなしているうちに、弟の家族が到着。大きな赤い包装紙でくるまれた箱を母に渡していた。みんなが注目する中、母が丁寧に包装紙を剥がすと、料理道具が出現。ティファールの蒸し器か何かであった。母は喜びながら、使い方を簡単に弟のかみさんに聞いていた。私が、「これで、いつでも、サツマイモが蒸かせるね」と言うと、母は笑いながらお礼を言っていた。私は弟を部屋に呼び、いくらだと聞いたら、五千円だというので、黙って支払ったが、まず間違いなく、ボッタくられたと確信している。

 その後、ピザを選んで、待っている間も盛り上がっていたが、弟とビールを飲み交わすというのも、なかなか乙な物であった。ピザが来たら、一層の盛り上がりを見せ、母もニコニコしながら、場の空気を楽しんでいた。いい還暦のお祝いであった。

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ある内科医の見解

 昨日は二度寝してしまい、午前十時頃起きた。愛犬の弥吉君が、何か欲しそうに私の側にやって来たが、お袋は留守にしていた。ぼけーっとしているうちに、そういえば今日、内科に行くと話していたことを思い出した。家から近いのだが、そこの内科は、いつも混んでいて半端じゃなく待たされる。先生の趣味なのか、ライトブルーをふんだんに使った建物である。また、風邪を引いて、私が仕方なく診察を受け、風邪薬と抗生物質を処方されるのだが、その薬が効かないのである。ヤブ医者ではないので、気持ちだけ効いていると考える様にしている。

 昨日、母が行ったのは、新型インフルエンザのワクチン接種に関して聞きに行くためだった。母は糖尿の気があるので、十一月から打ってもらえるのかを質問したらしい。すると、その内科医は、「ワクチンを打った場合の死亡率が高い。新型インフルエンザなら、治るから、異常を感じた場合は、市販の薬を飲まずに、すぐ来なさい」と語ったらしい。そして、その病院の先生を筆頭に、医療従事者全員がワクチン接種していないらしい。ここまで言われると説得力もあるが、本当に信じてもいいのだろうか?という懸念が残る。

 ちなみに母も私も、季節性インフルエンザのワクチン接種は、一月前ぐらいに済ましておりもう免疫が出来ている。外出しても、しょっちゅう手を洗うようになった。後はうがいであるが、こちらは手間がかかるのであまりしていない。これから新型インフルエンザが猛威を振るうだろうから、うがいもしなければ。ワクチンを打って、それが原因で死ぬのほど間抜けなこともない。とりあえずはこの先生を信じてみますか。

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え-っと

 書く気がない。笑点の木久扇みたいな言葉で、申し訳ない。

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ひとつ

 行き着くところ、学問の目的も原点も皆同じ所にあり、ひとつにつながっている。それは、目的でも結果でもなく、必然である。だから、大切なのは、たぐいまれなる情熱、好奇心、探求心を一生持ち続けることである。人の一生なぞ、これらの連続に過ぎぬものかもしれないからだ。

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楽しかった親父との二人暮らし

 私の親父は去年の八月の盆の時期にがんで他界したが、その前の年に、母が病院での検査中に右足を複雑骨折し、半月ほど入院したが為に、親父との半月間の二人暮らしをした。私にとっては、貴重な思い出である。クレイマークレイマーみたいだった。

 事の発端は、親父と私で酒屋に酒を買いに車で出かけていた帰りに、母を迎えに行こうと話し、携帯に電話したら、母が「骨折しちゃったよ」と言ったので、二人して顔を見合わせ、病院に急行し、母の緊急手術に立ち会った次第である。手術を待っている間、心配しながらも、二人して、「今日の晩飯どうしよう」などという話をしていた。幸い手術は成功し、私と親父は、回転寿司屋でとりあえず晩飯を食べた。その後、スーパーに行き当面の食事として、お総菜を購入した。

 それから毎日、母の見舞いに交代で行っては、簡単に作れる料理のレシピをノートに書いてもらっては、二人して自炊した。当時の私は深夜にblogを書いていたので、朝のゴミ捨てだけは、親父にしてもらった。他は二人で家事をこなしながら、暇なときには将棋を指したりしていた。そんな親父が、食事の最中に、ボソッと「母さんやさしいから、おらへんとさみしいな」と漏らしていた。その頃の親父は、がんの放射線治療の後遺症で、おじやを食べるために、ポンプ式の麻酔が手放せなかった。辛かったと思うが、弱音を吐く様な人ではなかった。

 今、私は泣きながら打っている。皮肉にもそれが親父との最後で最高の思い出になってしまったからだ。哀しい。

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最悪な車庫

 最悪な車庫とは、うちの車庫のことである。現在、マークⅡを入れているが、バックで、片側からしか入らない。しかも勾配がある。さらに両側15cmずつぐらいしか幅に余裕がない。したがって、マークⅡは入っても、マークXは入らないのである。

 家の車庫の手強さは、ディーラーの人も唸らせた。まず一回では入らないのである。最低一回は切り返す必要がある。私はコツをつかんでいるので、何とかなるのだが、それでも千回に一回はミスる。友達などが来るときは、三方向から観て、指示を出す。特にマニュアル車は大変である。坂なので、半クラッチでふかしながらでないと入らない。どんなに運転に自信がある友人でも、必ず、「こんな難易度の高い車庫、入れたことがねーぞ」と、皆、口にする。

 これまで私がスッたりぶつけたりしたので、我が家のマークⅡ君は満身創痍である。洗車をして、手ぬぐいで拭く度に申し訳なく思う。現時点では凹んだ所がないので、目立たないが、スることが多いので、タッチアップペイントは欠かせない。

 こんなマークⅡ君だが、11/3にカーナビの2009年度秋バージョンが出るらしいので、ディスクを交換するつもりだ。久々にアップグレードされるので、ワクワクしている。金額はたしか、一万から二万の間ぐらいだったと記憶している。トヨタの純正の物だが、使えるカーナビであって欲しい。楽しみである。

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バカ野郎どもへの憤り

 詳細までつかめてはいないが、先日、私の母校で飛び降り自殺があった。動機は知らないが、中間試験中だったらしい。哀悼などするつもりはない。コイツはただのバカである。死ぬことに結論を求めるのは安易だが、そこには親御さんや親族への配慮が微塵もない。こんな適当な奴はとっととくたばった方が良い。もし、そこに、いじめという現実があるならば、いじめる方も悪いが、いじめられる方にも責任がある。女子校に負けず劣らず男子校のいじめも残酷で陰険だが、そんなものくらい突破できなくてどうする。私も高三の時に陰湿ないじめを受けたが耐えた。耐えているうちに、人の気持ちが解るようになり、口達者になった。そうしたら、大学では、周りに友達が自然と集まるようになった。災い転じて福と成すである。

 私の大学時代の友人でも、妬みを買った奴が多い。いじめにも遭う。しかし、みんな克服してきているのが。それに比べると、今回のケースは暴挙に近い。周りの迷惑を考えずに、自分勝手な犯行である。改めて言うが、家族がどれだけ泣いているのかを君は棺の中で聞く。

 教師にも問題は多い。かといって、同窓会長の辞任は引きとどまってほしい。老いたりとはいえ、現役時代は素晴らしい先生だった。校長の先生も、高三を教える実力はなかったが、ユーモアたっぷりの授業をしてくれた。思い出はたくさんあるが時代が違った。

 昔の生徒など、どつかれようが、もっと、たくましかった。人生にリセットは効かないのだから、たった一度きりの、貴重な命を無駄にしたコイツと、止めなかったクラスメート全員、教員全てが同罪である。

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頭の体操

 一昨日、宅建の資格試験を受けて痛感したことがある。それは、『過去問、全部解いておけばよかったな』というものである。試験慣れ4していた頃ならまだしも、今の私は試験ボケしているのだ。早めに会場について下見しておく、時計はアナログなどのセオリーは守ったのだが甘かった。

 不動産屋になる気はないが、宅建の試験を受けたのは、過去の経歴にとらわれないからだった。マークシートで四択というのも魅力の一つである。しかし、このマークシートがくせ者、『正しいものを選べ』と『誤りはどれか』であたふたした。アンダーラインは引いたが、そうそう簡単にこなせるものでもなかった。

 それでも久々に脳みそが汗をかいた。落ちたのは解っていたが、心地よく帰って来れた。試験前、四ヶ月間は忙しくて全く勉強なぞしなかった。試験はテキストのどこを指しているのか解るのだが、肝心な記憶が抜けていた。だから、宅建の報酬額の計算式が出てこなかった。また、四択と言っても、実質、二択なので、問題を読み取る読解力も大きな要素を占めた。私の席の前のおっちゃんなぞ、完答していなかった。

 こうしてみると、私の記念受験もまんざら悪い物ではなかった。親父が他界して以来、囲碁・将棋などをやっていなかったので、良いリフレッシュになった。

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是非もなし

 昨日行われた資格試験で疲労。今日は寝る。勉強せずに行った割にはまずまず。しかしながら100%落ちている。是非に及ばず。

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林家一門お家断絶

 単純につまらないからだ。

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こんなものか

 目が覚めて、資格試験の過去問を解く。四択なのだが、実質的には二択に近い。もう四ヶ月間勉強していなかったので、知識が朦朧とする。結果は8/25。これでは、受かりそうにない。やる気が湧かなかったのは、自分はその仕事に向いていないとも考えたからだ。と、言っても試験は明日である。どうしのぐか。

 友人達みんなには、記念受験と言っている。本当にそうなのが怖い。自分自身を甘やかしている言葉だからだ。実質、もっとストイックに行くべきだった。中途半端に解るからタチが悪い。しかし、やりがいのない仕事のために、本気にもなれない。

 友達の親父さんは、この資格を二週間で取ったらしい。相当優秀である。私は、もう、今年はあきらめた。勉強しないならしないで、ノーベンで突き抜かせてもらう。会場の空気を読んでくるつもりである。

 体調管理は上手く行ったが、眠れる日と、そうでない日のギャップに苦しんだ。サイクル的には朝型だった。試験問題は四択なので、いざとなったら鉛筆を転がす。落ちるのが解っていてもワクワクしてくる。きっと久しぶりの試験だからだろう。落ちる試験なのにワクワクしているのは、きっと、ずっと目標を失ってきたからか、久々の緊張感に飢えているのだろう。それにしても、マークシートの試験なのに受験料7000円は高すぎる。

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花屋と和菓子屋

 私は、ずっと、花屋は何で潰れないんだろう、と疑問に思っていた。花なんてすぐに枯れてしまうので回転が速い。仕入れと売りさばく量とを間違えたらあっという間に赤字が出るだろう、とも考えていた。それに花は、嗜好品だから、天候などによっても、売れ行きが左右され、きわめて危なっかしい商売だと思っていた。

 ところが実際はそうでもないと気がついたのは、我が家に仏壇が来てからだった。仏壇に飾る花は、週に一度は取り替える。これは需要として安定している。墓参りの時なども、仏花として購入する。我が家の場合、月に一度は墓参りに行くから、これも安定需要である。しかも、お盆やお彼岸の時には普段の1.5倍の値段で売りに出される。それでも買わざるを得ないのが、何とも言えず悔しい。他にも、お祝いの時にも、花は渡される。こう見えて、花屋の需要は、結構あることに気付く。しかも、原価は相当に安いだろうから、利益率も高いだろう。墓地の側のコンビニなどは、仏花を置いているところもある。

 同様なのが和菓子屋だ。消費期限の早い物を、どうやって売りさばくのかも謎だったが、仏壇にお供えする和菓子を購入する時に、ついでにと、他の物まで買ってしまう。他にも、お茶をやっている方などは、お茶菓子が欠かせないだろうことは容易に想像が付く。

 さてと。これから親父の墓参りに行きますかな。

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何でも知ってなきゃいけない病

 このblogを続けてから二年と四ヶ月が過ぎる。毎日書くことを三年間は続けようと思った私には、かなりのプレッシャーである。容量にすると雑誌四冊文は書いてきた。止めたいけれど止められないのは、意地である。友人に、「石の上にも三年」と言われれば、こちらも意地になる。寝ていても、ブログという言葉を聞くと目が覚める。

 ちなみに私は、この友人を恨んではいない。『継続は力なり』ということを、身をもって知った所存である。私が最も苦手としていた分野だ。多分、その友人は、『それくらいの障壁を乗り越えられなければ、誰からも相手にされないよ』と言ってくれたのだと思う。半月に一度は電話をくれる、友達の中の友達、親友だ。

 かつて彼に無償で小説を提供したことがある。彼の将来が見えないときに。しかしその小説も私の中で頓挫してしまい、途中から書けなくなった。その点でご迷惑を掛けたことは申し訳ない。一方で彼の会社は伸びていった。

 僕はかつて、小説を難しく考えすぎていた。『何でも知っていなきゃ行けない病』にもかかった。これは物書きが最初に落ちる病で、悩む。そういうときは、『世の中に何でも知っている奴なんているわけ無いだろ』と、逆説的に割り切ることである。

 独りで書くのは辛い。でも、その先にしか道なんて無いだろう。

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仏壇拝み忘れた

 前に弟が家に来てから二週間くらい経つ。その時、私は『仏間に行かなくてもいいのか?』と、よっぽど尋ねようかと思ったが、弟は無信仰なので、黙っていた。すると、弟から五日ぐらい前に電話で、「仏壇拝み忘れた、一週間以内に来る」とのメッセージがあった。信仰心が厚いんだか薄いんだか、よく解らない弟である。

 弟が来たら、母は、うどんを出していた。弟からのリクエストなのだが、、弟はカミさんが作るより、お袋の味の方が好きみたいである。だしのレシピは鰹だしと昆布だしを適当。そして塩をふり、醤油を混ぜるそうだ。ただし、この醤油が多くなってはならないらしい。これで関西風うどんが出来る。

 私はそうでもないのだが、弟は待ちわびてた様に食べていた。ちなみに、うどんを食べるスピードでは、母親が一番早い。

 うどんをよく噛んでない例としては、『あしたのジョー』のマンモス西が挙げられる。減量中にジョーに殴られて、鼻からうどんをたらしながら泣く男だ。その描写を観たとき、私は『うどん食うのはいいけれど、もう少し落ち着いて食べろよな。もっとよく噛んでから食えよ』などと思った次第である。

 

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三角錐の定義

 前に三角錐についてのblogを書いたら、その定義が知りたいという様な方が多かったため、簡単に記す。それは、『頂点を四つ持ち、いずれも重なることが無く、そのうち三つが同一平面上で三角形を成していること、残りの一点は同一平面上になく、、面が三角形四つでできあがっている立体』のことである。これぐらいは、学校の先生に聞くなり、自分で調べるなりして欲しい。

 定義が最短文句で書かれているかは疑問だが、少なくとも間に合うように書いた。上の定義だと、どの面も底面になり得る。また、錐(すい)とはとんがっていればいいのである。つまり、底面と、同一平面上に無い、一つの点が組み合わさった立体だと考えればよい。頂点が一つであることも大きな特徴だ。

 体積の公式は、底面積*高さ*1/3だが、1/3がどこから出てくるのかしばらく考えていた。微積分の知識を使ったかな?と考えてみたが、そうでもなさそうである。ゆがんだ三角錐一つを、粘土みたいに、まっすぐ同じ高さでまっすぐに曲げて、三角柱の中の一片と考えればつじつまが合う。つまり、三角柱が元々有ったと考え、埋め合わせをしていたら1/3が三角錐の体積だったということになる。四角錐の場合でも四角柱から考えていけばやはり1/3になる。四角錐が四角柱を六つで倍の体積を想像した場合、丁度四角柱が六つ必要になる。倍の体積だから1/3ということになる。以下、同様である。積分を使えばもっと楽に出てくるのだろうが、朝から頭をひねって考えていることは認めて欲しい。ふ~~疲れた、疲れた。

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注射の日だ…弥吉君

 今日は愛犬・弥吉君(ミニダックス・♂・五ヶ月弱)の狂犬病ワクチンの注射の日である。前に、獣医が注射をするのを観て感心したのが、そのスピードである。『やんちゃな弥吉君も、これで少しはおとなしくなるだろう』と思っていたのだが、私の思い違いであった。余りの素早さに、痛みを感じないのか、益々やんちゃになった。

 前に飼っていた弥七は、動物病院の方を向くだけで帰ろうとしていた。ところが弥吉君は図太いのか、平気な顔で行く。ワクチンを受けていないということで、家の中のみで生活してきたせいか、まだ怖い者知らずなのである。それ以外は、弥七とよく似た性格をしている。

 同じミニ・ダックスなんだから当たり前だろ、と思われるかもしれないが、違うようで似ているというのが実際の所である。仕草や行動が弥七に似ているという面が多々ある。しかし、弥吉君の方が図太いのか、少々のことでは動じない。その代わり弥七ほどデリカシーもない。今が遊びたい盛りなのだろう、ティッシュやら新聞紙を相手に格闘している。時々食べそうになるので、ストップを掛ける、

 弟に言わせると、「弥七よりも、もっと間抜け顔の犬だなあ」、ということであるが、別段かまわない。私としては、ケンのある犬よりかは、少々間抜け顔の方が愛着が湧く。しかし弥吉君はごんたくれで、腕白坊主である。

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東尾ビーンボール説

 最近、巷を騒がせている東尾親子だが、東尾理子の親父である、元プロ野球ピッチャーの東尾修も現役時代は豪傑だった。それは麻雀賭博が原因で引退に追い込まれた事からも伺える。現在の野球解説も武上と組んだら、聞いているだけで面白い。

 現役時代のことで、私の一番印象に残っているのは、当時・近鉄の三番を打っていたデービスにデットノールを当て、ぶち切れたデービスがマウンドの東尾を殴った事件である。この件について、友人と、「デービスもぶち切れたらだめだろう」と私が言うと、友人は、「ビーンボールばかり投げている東尾も悪いやろ」とのことだった。確かにわざと当てている感じのあった東尾を想像して爆笑した。また、向かってくるデービスに対し、大きくマウンドで手を広げ、まともに殴られていたのも印象的である。これについて東尾は、「マウンドから逃げるのは職場放棄みたいで、プライドが許さなかった」とまで言っているので、狙っていなかったのか、という風に感じたのは、多分、私の勘違いだろう。その後、デービスは、大麻で解雇となった。

 あるスポーツ新聞を読んだとき、東尾のコメントで、「生命線は内角高めのスライダー」と載っていたのだが、これはどういう事を意味するか。スライダーは右ピッチャーの場合、左にスライドして曲がる変化球であることから、最初、東尾は右バッターの頭部付近に投げていることになる。ビーンボール説もまんざら嘘ではないのだ。これはイカサマに近い。まあ、麻雀賭博の時にイカサマしていないのは確実だろう。確か数百万負けていた記憶による。

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国破れて山河あり

 私は、昨日一日、ラリホーを掛けられたのかのように寝ていた。寝ても寝ても眠かった。これと同じような思い出がある。高一の日本史の教師は、ラリホーを掛けるような具合の授業だった。当然私も眠くなる。そして寝る。・・・何回目かの授業の時、起きたら机の上に砕けたチョークがあった。クラス中が寝ている中で、俺だけを狙ったのかと思ったら、腹も立ったが、眠気の方が強く、再び寝た。しばらくして起きてみると、もめ事になっている。どうやら、その教師が、もう一回私に向かって投げたチョークが、他の生徒に当たったらしいのである。馬鹿馬鹿しくてまた寝た。相手にしてられない。

 それにしても、どうして日本史の授業では近代史(せめて敗戦まで)をやらないのだろうか。大体、明治維新ぐらいで終わる。愛国心をそぐわせるというような意見もあろうし、戦争には負けてはいないというような、Dr.中松氏のような暴論もある。日教組の圧力もある。

 国破在山河(国破れて山河あり)とは、たしか中国の杜甫の詩だったと思うが、戦争とはそれだけ悲惨なものなのである。今の日本は独立国家のように思えるかもしれないが、肝心なものは何も残ってはいない。そんな中で人々は堕落してゆく。日本が文化的に堕落しているのはアメリカの追随のせいだとしか思えない。現に日本国憲法を作ったのはアメリカなのだから。変える変えないの話ではない。どちらにせよ、その矛盾の現実すら知らぬ者が増えすぎている。とは言っても、無条件降伏したのだからやむなしか。今宵の月は目にしみる。

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やたらと眠い

 やたらと眠い。もう少し寝る。

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かけがえのないもの

 夕べ、いつもの友人から電話が鳴った。友人は半月に一度は連絡をくれるけれど、秋が苦手な私を心配して、電話をくれた。昨日の段階では、何ともなかったので、普通に会話した。僕が元気な様子に、友人も安心してくれたらしく、会話ははずんだ。

 私は、秋に自律神経失調症気味になる。それも、毎年だ。気持ちが重くなる面とか、症状は様々だが、今年は軽く落ち込んだだけで、治った。これまで、私は、親しい友人にしか打ち明けていなかったが、この神経病(精神病?)の為に薬を服用している。

 いつものことだが、友人の電話は温かい。最高の友達を持ったとも言えるぐらいだ。今度、彼が困ったときには僕が力になろう。

 友人の姉妹が漢字検定を受けるとか。僕はDSで準一級まで行ったが、実際の所は三級ぐらいだろう。友人の姉妹は小学生なので、もっとやさしいものを受ける。アドバイスとして、示すへんと衣へんを間違えるなよ、と言ってはみたが、まだそのレベルではないらしい。その代わり長女には満点を義務づけているとか。

 漢字は慣れてきたら一気に覚えることが出来る。コツは昔のblogで書いた。まずは同音異義語になれることである。それも漢字の中にヒントがあることが多い。訳がわからないのは、一級の問題だ、あんなの意味がない。受験料の無駄だ。

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台風が来ているけれど…

 今日の午後1:00から明日の午前6:30までNTTの光電話のメンテナンスがある。多分、パソコンの通信にも影響が出るだろう。ネットやメールに支障をきたすものと思われる。何より、電話が使えないというのが不便だ。携帯だけでは心許ない。

 また、一ヶ月前から、明日、植木屋さんに来てもらう予定らしいのだが、ご存じの通り、大型の台風が直撃する日でもある。昨日、母が電話を掛けたらしいのだが、植木屋さんとはつながらなかった。台風が来ようが気合いで植木を切ってくれるのだろうか?さすがにそれは無理だろう。連絡が取れないので、私も車を移動させてよいものか、迷っている。しかも電話が今日の昼から使えないのだから始末が悪い。こちらから携帯で掛けるしかないのだろうか。

 この植木屋さんには毎回、枝切りなどをお願いしているのだが、とても感じのいい人である。仕事もきっちりやってくれる。なんでも、脱サラして植木屋になったそうだが、サラリーマンの頃の給料が、馬鹿馬鹿しいほど儲かるそうである。ただ、仕事はかなりきついとおっしゃっていた。目にはクマができていた覚えがある。

 電話のメンテナンス、予定通りに終わってくれればいいのだが、パソコンのブロードバンド接続に影響が出ないことを祈る。いちいちエラーが出ては面倒この上ない。あ、トラブルがあれば、それだけでblogのネタになるか。転んでもただでは起きない所存。

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通常インフルエンザ予防接種完了

 起きたらやたらと寒い。下着姿に、甚兵衛さんの下だけ履いて目覚めた。昨日までは、暑い、と言って、エアコンの除湿で乗り切っていたのに、今日になって暖房を付けだした。私が極端なのか、気候変動が極端なのかは知らない。どの道、寒くて目覚めた。

 昨日はお袋を整形外科に連れて行ったついでに、自分も通常のインフルエンザの予防接種をしてもらった。先生に質問している間に、看護師さん達から打たれてしまった。チクリという痛みと共に、液体が押し込まれる印象は、何とも言えなかった。

 血液などを抜く注射と、ワクチンなどを打ち込む注射とでは、圧倒的に後者の方が痛いと思うのは、私だけであろうか?前にも書いたが、私は注射が大嫌いなのである。けれど鍼灸などは好きだから不思議でもある。

 先生に聞いていたのは、母に糖尿の気があるので、新型インフルエンザのワクチンを優先的に受けられるかどうか、ということだった。一応、優先順位に入っているらしいが、正直なところ、いつ頃までに各病院に行き渡るかは解らないという話だった。政府の見解では、今月の17日からという話だが、曖昧すぎる。

 実は、私はインフルエンザにかかったことがないのであるが、新型のワクチンを、今年は打たないつもりである。数に限りがあるのなら、困っている人たちに譲りたい。手洗いとうがいで防御する。万が一かかっても、タミフルという強い味方がいる。

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腕白坊主

 今まで、毎週月曜日は、愛犬の弥吉君(ミニダックス・♂・四ヶ月半)の病院に通っていたが、幸い、気管支炎も治ったようなので、先週、予防接種を受けた。それまでに五、六回は通ったものと思う。今日はその束縛から解放される。何となく嬉しい。

 通っていた病院は、腕はいいのだが、家から遠すぎた。気管支炎の診療費や薬代も、ペットショップ持ちなのはいいのだが、とにかく慎重に診察して下さる病院だった。一度、治療費が450円といわれている犬がいたが、保険がきかないのでやむを得ないのである。ちなみに弥吉君の購入費用はは120円だった。治療費450円というのは、はっきり言って、究極の選択なのである。450円出して元の犬を大切にするか、あきらめて150円程度の新しい犬を飼うかは難しい。たとえ犬といえど、命の尊厳を考えると闇雲には出来ない。それにしても450円は高すぎる。私だったら、言った病院に殺意を覚える。

 まあ、弥吉君には、元気に、無事に育つ事を祈るばかりである。今は丁度、成長期で毎日が新しい。こないだタコをやったら、噛まないで飲み込むせいか、喉が詰まり、窒息しそうになっていた。幸い、母がいち早く気がついたので、大事には至らなかったが。

 そうそう、弥吉についてのコメントをこないだ頂き、このページのコメント欄で返事したのだが、『新・愛犬モモの日記』というblogを最近楽しく観させてもらっている。心が和むページでもある。URLはhttp://takaandmomo.cocolog-nifty.com/momo/である。

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用済みのパラドクス

 ぼんやりと考え事をしていたのだが、本能寺の変は明智光秀と朝廷が結託した、『朝廷陰謀説』が私には一番しっくりと来る。両者のメリットが合致するからだ。信長は、朝廷の権限であった年号を、天正と自分で決めてしまった。ゆくゆくは朝廷さえも配下にするか、潰すかする心づもりであった可能性が高いと観ている。当然、朝廷は危機感を抱く。信長と朝廷との橋渡しをしていた一人が光秀である。光秀も自分の立場について、ある危機感を持っていたのではないか。

 それは、古今東西変わらぬ、権力者絶対主義である。初めのうちは、自分の領地を広げるために、才能ある部下を歓待して、恩賞も弾む。しかし、全国を平定してしまえば、逆にその有能な部下どもが邪魔になる。何らかの因縁を付けて滅ぼしてしまう。この『用済みのパラドクス』にどれだけの武将が気がついていたのかは知らない。私は少なくとも光秀と秀吉は気が着いていたと観る。だから光秀は『本能寺の変』というクーデターを犯したのであろう。

 本能寺の変を知った秀吉に、軍師の黒田如水は、「殿、千載一遇の好機ですな」と囁いたという。秀吉が『用済みのパラドクス』に悩んでいたことをを見抜いていたのである。本心を見抜かれた秀吉は、天下を取ったときの恩賞で、黒田如水には、ほんのわずかしか与えなかったという。不思議に思ったある者が、何故なのかを聞くと、秀吉は、「あの者に一国も与えると、あやつが天下を取ってしまうわい」と言ったという。結局、黒田如水も『用済みのパラドクス』によって運命を左右されてしまった。歴史とは残酷なものである。

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怪しい電話には気合いで勝て

 何年か前、おかしな電話がかかってきたことがある。振り込め詐欺なのか何なのか解らないが、弟がらみのことだった。電話が鳴ったので受話器を取ると、

謎の男:「弟さん(本当は実名)いらっしゃいますか?」

私:「いえおりませんが、どちら様ですか?」

謎の男:「(急に脅し調になって)おまえ、弟(実名)だろ」

私:「(腹が立って)誰だ、てめぇ。いねーもんはいねーって言ってんだろ。だいたい、どちら様ですかって、聞いてのんのに応えられねーていうのは、おまえ、小学生以下やぞ。もう一回幼稚園から出直してこい」

謎の男:「覚えとけよ。ガチャ、ツーツー」

 それから弟の名前を語った怪しい電話はかかってこなくなった。相手が凶暴な犬みたいに吠えかかってきたら、それ以上の気合いで追い払ってやるのだ。相手はバカだから、揚げ足を取って葬り去ればいい。それにしても迷惑な話だ。

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『火垂るの墓』は悲劇か?

 学生時代、誰かの家で鍋をやった。その時に、フッと間が開いたときに、僕以外の友人が、「『火垂るの墓』、あれは悲劇だよな」とぽつりと漏らした。みんな、「そうだよなあ」という中で、私だけが反論した。「『火垂るの墓』って野坂昭如のやつだろ。何であれが悲劇なんだ?」と訪ねたら友人達は不思議な顔をしていた。

 私は、野坂昭如氏の文才には惚れ込んでいる。詩的で、かつ、さっぱりとしている。文章を詩的に書こうという作業は、実は天分なのだ。現代文学史では、樋口一葉、森鴎外ぐらいにしか見あたらない。書けと言われても書けない構造としてに出来ているのだ。とにかく、文章が詩的なのだ。

 鍋の席で問題になったのは、野坂氏に対してではなく、作品のストーリーに関してのことだ。『火垂るの墓』では戦争孤児になった兄妹が親戚中をたらい回しにされる。それを繰り返しているうちに、居場所が無くなる。そして防空壕後に住み着き、自立を目指すも、やれることは盗みぐらいしかない。兄貴の清太はそれでも生きようとする。一方で妹の方は栄養失調で餓死する。そこで骨を埋めた場所に群がるホタルが『火垂るの墓』なのだ。まもなく清太も何もなくなって駅前で餓死する。ここまでは悲劇なのだ。

 私が言いたかったことは、どんなに居づらい親戚の場所でも、我慢すれば餓死などしなかったであろうということだった。餓死するくらいの根性があるなら、天涯孤独でない以上、生き延びるべきだと思ったのである。でなければ、他で、本当に天涯孤独にして生き延びた人々の方が偉いだろ、と思ったのである。それぐらいの我慢が出来なくて、やっていけるかとも思った。私は『火垂るの墓』を冷たいけれど悲劇ではないと考えている。他の二人もそれ以上は踏み混んでこなくなった。鍋は冷めないうちに食べないと・・・アチィ!!みたいな感じであった。

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思考一時間

 思考一時間、なにもなし。

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