« 防災グッズ | トップページ | 一周忌を迎えて »

余命宣告されてから

 父が他界してからまもなく一周忌となる。一年前の私は、ペットが家にいたので、病院と家を往復していた。帰ってきたら故弥七君の面倒をみながら、焼酎を少し飲み、四時間ぐらい寝てからまた病院へと向かうのだった。その頃には睡眠時勘など考えてはいられなかった。付きっきりで看病している母に差し入れを持っていったりしていた。父は今のじいちゃんと同じ、処置室に入れられていた。ひからびた父が、暑い、暑いとだけ言っていた。もう長くはないだろうと察した僕は、「決して泣くまい」と心に決めていた。葬式の場合もそうだ。

 いずれあの世で会う身なら、酒でも酌み交わし、好きだった囲碁・将棋に明け暮れたい。女はいい。この世で放蕩を繰り返したのだから、もういい。今のところ、子孫を残す気にもなれない。例えて言うと、今週ちまたを騒がせた酒井法子である。子供がかわいそうだ。

 母も故郷を捨てるけじめが付いた、と私には語っていた。それでもじいちゃんとは今生の別れだと言っていた。去年親父を亡くし、先月、愛犬の弥七君を亡くし、じいちゃんが、いつ、どうなるか解らない状態である。哀しいかな、それでも我々は生き続けなければない。

人間は、どういて無益なことを繰り返すのか解らないときに、安部公房の『砂の女』を思い出した。繰り返しても繰り返も、手も続く呪縛。あれは人間社会への皮肉なのか、生き物とはどうあるべきかということを考えさせれれる。砂をかくために我々は生きてきたのだろうか?いやいや、あれは強烈なメタファーである

|

« 防災グッズ | トップページ | 一周忌を迎えて »

心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/521582/54006894

この記事へのトラックバック一覧です: 余命宣告されてから:

« 防災グッズ | トップページ | 一周忌を迎えて »