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2009年7月

見舞い

母方の祖父が入院したとのことで現在広島県にいる。自宅から800kmを一人で運転してきた。昨日の昼に急遽決まったことなので疲労困憊している。朝一番に見舞う予定だが、どんな状態なのか心配である。とりあえず無事ここまでやって来ることができた。空も白んできて、これから太陽との闘いがはじまる。ちなみにこれは携帯からの投稿である。従って、短い。あしからず。

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ハマグリから真珠

 天然の真珠というのは、なかなか見つからないらしいが、人工の真珠ならば、御木本幸吉がアコヤ貝の養殖によって、志摩半島で実現させた。それから真珠は庶民にも手が届く宝石として身近なものとなった。しかし、ハマグリから出てきた天然真珠というのはどう評価されるのだろう。なかなか興味深い。

 事の発端は母が2~3年前に、家でハマグリのお吸い物を食べていた事による。歯に硬い感触がしたので取り出してみたら真珠だったそうだ。母が食べ終わってから、私が、よおくその真珠を観ると銀玉鉄砲の玉みたいな色をしていた。直径4mm位で、ほぼ球体をしている。

 母は貝殻を捨ててしまい、真珠だけ取っておいたらしいが、それを聞いた私が、「それって実は、ものすごく価値があるんじゃないのか。少し小粒だけれど、ちゃんと丸いし、大体、ハマグリから真珠なんて聞いたことがない。希少価値もあるだろうし、何より天然というのが凄い。『なんでも鑑定団』とまではいわないまでも、近所の宝石屋にみせてみたらどうだろう。もし、価値のあるものだったら、アクセサリーにでもしたらいいんじゃない」と言うと、母も乗り気になってきて、「そうかな」と笑う。「母さんの歯形が付いてなければいいんだけどね」と言って二人で笑ったのだが、本当のところはどうなんだろう。近々用事があればついでに聞きに行こうという話になった。果たして結果はどうなるのだろうか。

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持つべきものは・・・

 持つべきものは友である。昨夜、いつもの友人と話をした。弥七君のショックも大分癒されたのだが、彼自身、昔、飼っていた犬が他界した経験を持っているからだろう。彼の場合は土葬にしたらしいが(時効)、引っ越すことになったときに掘り返したら、毛皮が出てきたと言っていた。学校があったので、死に目には会えなかったらしい。現在、娘さんがペットを欲しがっているそうだが、死ぬことを考えると、なかなかそういう気分にもなれない、と言っていた。しかし、それも試練だし、何より幼い子にペットを飼わすのは、学校では得られない『生命』についての勉強になる。

 娘さん二人が小学校で、上手くいっていなかったことも、夏休みに入り一段落したそうだ。どうやらトラブルのの原因の根幹は『ねたみ』だったらしい。一番よくあるパターンだ。人を妬んでも、妬んでいる本人の運気が下がるだけで、ベクトルは悪い方向にしか走らない。上の子は少しLv,UPしたようで、『知ってても黙っておく』という技を覚えたらしい。でも、正当なことが言えないなんて、その学校は病気だ。

 彼の奥さんとも親しくさせてもらっているのだが、結婚十周年らしい。今年の夏は子供さんを両親に預けて、二人きりで、『天国に一番近い島』と言われる、ニューカレドニアに行くそうだ。なんともうらやましい。と、同時に、あれから、もう十年も経つのかという感慨の方が大きい。いろんな事があったな、と思う中、みんな必死に頑張っている。私も負けられない。

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ボヤ騒ぎ

 異常に早く起きすぎてしまった昨日は、ブログのネタがなく困っていた。午前三時から始めて、五時に終了。一息ついた。その日はお袋から買い出しに行く、と言われていたので、ぼんやりしていた。買い出しに行くスーパーはいつものところ。朝八時半からやっているのである。行く前に、仏間の、親父と弥七君の霊前で経を読まねばならぬので、六時頃お袋をたたき起こした。そしてお勤めを果たし、朝食を食べると、私がシャワーを浴びてから、「ちょっと早めに行こうか」という事になり、車で出かけた。

 渋滞を予想して早めに出たのはいいものの、夏休みのせいか渋滞がなかった。余りにも早く着きすぎるので、私は途中のコンビニで少し寝た。母はアイスを食べたそうだ。午後から天気が崩れるというので早くでたのだが、カンカン照りだった。三十分ほど時間を潰して、目的地のストアに向かった。それでも十五分前に着いた。

 駐車場が早く開くことも考えにくく、路上に停車していた。すると、救急車と消防車の音がする。目前だったので、私は降りていって、消防士に何が起きたのかを聞いた。すると、目的地のストアで、蛍光灯か何かの廃線がイカれたらしい。よりによってと思い、しばらく様子を見ていたら、消防車が退散してゆく。頃合いを見計らって、店員に、「駐車場は使えますか」と聞いたら、「今から開けます」という返事。車に戻り、駐車場に車を停めてのお買い物、となったのだが、営業時間前だったのが不幸中の幸いである。避難ルートの判りにくい古いビルだからだ。お袋は笑っていたが、狭い路を車で右往左往するだけで疲れてしまった。

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髪を伸ばそうかな

 これまで五年近く坊主頭で通してきたが、髪を伸ばそうかどうしようか迷っている。理由は一昨日、ジャンプしたときの着地に失敗し、左後頭部を段ボール箱の角にぶつけて、傷が出来たからだ。血はほとんど出なかったが、去年の暮れに右後頭部も切っていて、坊主頭にすると、余りに目立つのではないかと危惧したためである。私自身は人目などほとんど気にしない方なので、どっちでもいいのだが、こないだの友人の結婚式で、招待された仲のいい友人が私の後ろ姿を観て、「ゴツい背中しとるなあ、下手すると、その道の人に見えるで」と言われてしまったのだ。

 もちろん私は堅気であるが、見かけも重要である。一度、駅の混雑したところを、流れと反対側に歩いていたら、私の前だけ、モーゼの十戒で海が割れたように、前にいる人並みが割れたことがある。その時は散髪したてで、髪の長さが3mmしかなかった。

 私は1.4~1.5cmの時の坊主頭が一番好きなのだが、髪は毎日伸びるから、その状態をキープすることは出来ない。頭を坊主にすると、半月ぐらいでいい状態になり、後はイガグリみたいになる。頭を洗ったりするのには便利だが、状態が刻一刻と変わる。

 かといって、髪を伸ばすにしても、ドライヤーを使った、髪のセットの仕方なども忘れてしまった。パーマをあてるのも面倒だし、さてさてどうしたものか。この問題は解決するまでに、もう少し時間が掛かりそうだ。

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おかげさまで

 おかげさまで、足の張りのようなものは八割方治った。・・・昨日は寝ていたので書くことがない。「そんな日もあろう。のう、助さん格さん、カッカッカッカッ」御老公の旅は続く。

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イチローを見習え

 昨日のblogで、何故だか階段の上りがきつく、自分では原因が判らなかったので医者に行くというものを書いた。ご心配を掛けた方々には申し訳なく思っている、ただ、今でも足の具合が悪いことには代わりがない「。足が、登りではやたらと重いのだ。

 昨日の朝、病院に行ってみたら、待合室がやたらと混んでいた。何でだろうと考えたが、夏休みであることが判った。普段の、じさま、ばさまの集会場とは少し異なった雰囲気だった。私は待ち会い室で、嫌な想像をしていた、それは「、「足の筋肉が異常なのですっぐに紹介状を書いかもらって、総合病院へ行きなさい」というものだった。これは筋肉に障害がある事を意味する。想像しうる中で最悪のケースだった。

 名前が呼ばれたので診察室に入った行き、一通り説明すると、ベッドに横になって一通りのの診察が終わると、「体が硬い。ストレッチをすることだね」と教えて下さったレントゲンの映像も正常であり、そういわれてもはっきしないので、筋肉とかの病気について黙っていても仕方がないので、「悪化するのでょうか」と念を押したら、筋肉の病気の方は筋肉が弱って行くものらしい。

こういうときに、私は体の柔らかい人がうらやましくなる。マリナーズのイチローを見習って、ヒマがあったらストレッチすることにしよう

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階段が上れない

 昨日、いつも通りに過ごし、そろそろ寝るか、という段になって、座椅子からなかなか立ち上がれないのに気がついた。筋肉が落ちたとはいえ、まだ動けなくなるような歳ではない。四つん這いの姿勢から何とか立ち上がった。立って歩く分には問題ない。酔っぱらってコケたことは何度もあるが、軽く酔っていただけなので、後ろに何もないことを確認してから、屈伸運動をやろうとしたら、コケはしなかったものの、一回しかできなかった。その際、太ももにものすごく力を入れた。『何かがおかしい』とは思ったものの、一過性のものだと決めつけた。

 いつも通り、荷物を持って階段を上がろうとしたときに、二段目で後ろにひっくり返った。ひっくり返るのにも慣れているので、すぐに受け身を取ったが、階段だったので、頭の延髄あたりを床に強打した。かなり派手にコケたので、お袋が救急車を呼ぼうか、と言ったが、折角の朝型が崩れると思い、遠慮した。

 元来、体は頑丈なので、こういう経験は初めてである。今、試してみたら、10cm位しかジャンプが出来ない。膝と足首には問題はなかった。太ももの付け根がどうもおかしい。しかし、ビリージーンの腰を振るダンスをやってみても問題ない。神経系統がいかれたのかと思い、体中をさわるが感覚はある。いったいどうしたのだろう?

 とりあえず、今日辺り、整形外科にでも行ってみますか。

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ごくせん

 家の空気が重い中、母が『ごくせん』の映画でも見に行こうよと言ってくれた。いい歳して母と映画を観に行くのもなんだかなあ、とは感じたが、奢ってくれるというのと、母の気遣いを思って観に行くことにした。家族サービスであるが、私の落ち込みが激しいのを見計らっての、母からの温情だった。…それにしても映画なんて十年ぶりぐらいである。観たい映画でも、レンタルされるまで我慢していた。

 夏休みなので映画館も混んでいるだろうと、一時間前にチケットを取ったいいものの、劇場には四割くらいしか入っていなかった。待ち時間に宝くじ売り場に行くと、またロト6で三等が当たった。後は愛犬だった弥七君の遺影を入れる写真立てを買って、開演するのを待っていた。

 『ごくせん』とはTVでも時々観たが、仲間由紀恵演じるヤンクミという恐ろしく強い教師が、ヤンキーのクラスを、義理、人情でまとめ上げていくというストーリーである。設定は『GTO』のパクりであるが、これはこれでなかなか面白い。ただ、役柄とはいえ、言葉遣いの汚さが目立つのではあるが。

 映画の方は、一言で言って、数週分のドラマを二時間にまとめ上げた感じで、窮屈だったが、コミカルな感じにも仕上げてあり、子供受けするだろうな、とは思った。映画の方はどの年代をターゲットにしているのか解らなかったが、恐らく家族連れだろう。映画の最後に、ヤンクミが銃を向けられながらも、相手を説教する場面があったが、いつも通りではっきり言って退屈だった。偶然が重なりすぎるのも漫画だから仕方がないのかもしれない。あとは、やたらめったら走っていたのが印象深い。

 TVであれだけ宣伝しておきながら、映画は今ひとつだった。まあ、愛犬だった弥七君のことを考えてウジウジしているよりはよっぽどよかった。母に借りが出来てしまった。まあ、たまにはこのblogも、こういうネタでもいいかもしれない。

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哀しみは止まらず

 愛犬の弥七君が死んで三日が経つが、哀しみがボディーブローのように溢れている。戌年に私が作った年賀状の余りを、遺影にすることにした。今日か明日辺りに写真立てを購入しようと考えている。お袋も私も気丈に振る舞ってはいるが、家の中にいると、どうしても空気が重くなる。今日は皆既日食が起きる日だと聞いたが、そんなのどうでもよくなった。昨日書いたblogのその後でも綴ろうか。

 弥七が息を引き取ってまもなく、死後硬直が起き出した。バスタオルに巻いて、車で動物病院に行き、先生に死亡を確認してもらった。その足で火葬場へと向かった。動物専門の火葬場の方がすぐに手配してくれた。火が点く音がし、休憩室で私と母親は待つことにした。煙突の先を見つめながら、何とも言えない気持ちで、タバコを吸っていた。

 四十分ぐら経った頃、呼ばれたので行ってみると、弥七の骨があった。この姿だけは観たくはなかった。母と私で足の骨を骨壺に入れ、あとは火葬場の方がお座りしているように順番に骨を納めてくれた。礼を言って家路につく途中で涙があふれ出した。なんとか家に着くと、私はバスタオルで顔を覆って号泣した。母も泣いていた。お骨を仏間に持って行って、経を唱えた。母は泣きながら唱えていた。なんとかそれで一区切りついた。

 弥七に万が一のことがあった場合のために500円玉貯金していたが、まさかこんなに早く使うことになるとは思わなかった。そう母と話していると、玄関のチャイムが鳴った。母が出たのだが、動物病院の先生が、午後の診療が始まるまでの間に、花束を持ってきて下さったのだった。ありがたいことこの上ない。早速、花瓶に入れ、弥七のお骨が入っている骨壺の横に置かせていただいた。

 今頃弥七は、天国で父と遊んでいることだろう。それにしても、家族を失う哀しみが胸を締め付ける。

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弥七の死

 愛犬の弥七の死は突然だった。腎臓機能の低下により血尿を出し、最後は心臓が弱ったようだった。死ぬ三日前にはステーキを一人前たいらげていたのだから、徹夜で見守った夜も、死については全く考えていなかった。それだけに哀しみが大きいというものだ。

 弥七は最後に嗚咽を繰り返した。あげくに玄関の石の所に寝そべった。吐きつくしたかのようで、タイルの上に寝そべっていた。「こっちにおいで」と言ってもその体力さえ残されていないようだった。この時、私は初めて死期なんじゃないかと悟った。動物病院に行って、元気になる姿ばかりを想像していたので、悟るのが遅れた。

 私が体を軽くさすっている間に、母も眠りから覚めた。二人で見守っていると、瞬きをしないことに気がついた。しかし、呼吸はしていて脈もある。虫の息だったが。

 やがて弥七は小さく伸びをして、動かなくなった。何ににも反応しなくなった。多分心臓か呼吸が止まったからなのだろうが、それでも私は信じられなかった。余りにも信じられなくて、涙さえ出てこなかった。動物病院が開くまでの間、弥と軽く会話をした。『この家に来て本当によかったのかい?』『いろいろと教えてくれてありがとう』『おいしいもの、いっぱい食べたな』などと会話をしているうちに、死後硬直が始まった。『これで完全にお別れか』『命なんて儚いものだな』『いろいろとありがとうな』などと手を合わせて見送った。

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弥七が・・・

 昨日未明、私と母が見守る中、愛犬の弥七が息をを引き取った。満十一歳と五ヶ月。今日は何も書く気が起きない。詳細はまた述べる。しばらくは、哀しみに浸らせて欲しい。

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弥七くん大ピンチ

 もう起きてから、一時間半ぐらいになる。と言ってもまだ朝の四時だ。愛犬の弥七君が血尿を出したので、動物病院に行ったところ、膀胱炎の疑いがあるという。注射を打ってもらったところしばらくは元気だったが、夕飯を食べてもことごとく吐いた。私と母が励ますものも、いっこうに元気がない。便まで漏らすという始末で、ただ事ではないと察知した。

 母が、「もう十一歳だからねえ」などと縁起でもないことを言うので、私が、「三日前までステーキ一人前をぺろりと食べていたんだから、絶対に持ち直す」と言った。そして、「こいつの生命力は半端じゃない」とも付け加えた。しかし、内心では相当心配していた。

 『最後になるかもしれないな』と思ってはならないことを打ち消し、とりあえず私が居間のソファーで寝た。十一時頃のことである。起きたのは二時過ぎ、扁桃腺炎で辛いはずの母が起きていた。交代しようということになって、母もソファーで寝だしたので、私が三十分おきに様子を見に行っている。弥七君の体を触ると、いつもなら温かいのに、妙に冷えている。ずっと玄関先で座り込んだまま、弥七君も一睡もしていない様子。心配である。

 去年、親父を亡くし、もし弥七君がそうなれば、私には耐えきれない。弥七君は、実の弟のようなものだし、家族全員と心が通じあっていた。今日、朝一で病院に向かう予定だが、一刻も早く無事になってくれることを望む。

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あなたは大きな木なんだから

 三回連続で、いつもの友人からの電話を取り逃していた私は、試験のために早寝しているという趣旨のメールを書いた。それでもなにか悪い気がしたので、寝ようかと思っていた九時頃に思い切って自分から掛けてみた。別に、告白するわけじゃあるまいし、思い切ってというのは変かも知れないが、彼が仕事中であるとか、誰かと会話中だったら、申し訳ないなという気持ちである。

 電話はつながり、彼も時間を作ってくれた。話題は、再び子供さんの件になった。小学校三年生の娘さんの話は、以前このblogで触れたが、今回は小学校一年生の下の娘さんの話になった。下の娘さんがいじめられて、登校拒否になりそうだという話だった。話は以前の場合よりも深刻だなと思いつつ話を聞いてきた。

 彼と奥さんも学校に赴き、校長やその他の教師から事情を聞いて、話すべき所はきっちり話したらしい。しかし、校長を筆頭に全員腑抜けで、お話にならなかったらしい。私が思うのは、『教師が生徒を見捨ててどうするんじゃアホ!!仮にも教師と言えば、昔は『聖職』と呼ばれていたのに、よくそれで教師ですなどと言えるなボケ!!』ということである。

 結局、問題は学校も家庭も目茶苦茶であてにならないということになった。友人は「いじめられても耐えるしかねえ。俺も昔そういう時期もあったし、得られる物もあるはずだ」と言った。私は「小学校の一年からと言うのは辛いだろうけれど、俺にもそういう時期があった。でも、そのおかげで、人の気持ちがよく解るようになった」と返したら、友人は「そうなんだよ。うちの子もこれぐらい乗り越えられないと、生きてはいけねえ」と言うので、続けて私が「仕返ししようと思わなくていいんだ。バチってのは必ず当たるから」と語ると、友人は「その通りなんだよな。いろんなケースを見てきたけれど、バチは必ず当たる」と言っていた。

 小学校一年生の娘さんへ。あなたは大きな木なんだから、夏には葉っぱを茂らそう、冬には根っこを延ばすことに勤めよう。今は冬だろうから、じっと寒さに耐えて、がんばろう。

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ペンタゴン潜入!?

 十数年前にアメリカのワシントンD.C.に行った時、三十日以上に渡る旅で、唯一、小雨が降った日があった。その日は地下鉄に乗って、国立アーリントン墓地を見に行くことにした。入ってまもなく、JFKとジャクリーヌの墓があり、小さな灯がともっていた。その後左回りに墓地を回ろうかと歩き始めた。

 地図を渡されたが、私が見るはずもない。墓地を眺めていると白い四角い石が整然と並べられている。縦横斜め、どっから観ても均等に並べられているのである。日本の古いお墓に比べて、不思議と不気味な感じはしなかった。タバコを吸いながらトコトコ歩いた。

 墓地の景観がどっから観ても同じだということに飽きてきた私は、『無名戦士の墓』というポイントに向かった。しかしである、私が行き着いた先は壁で行き止まりであった。ここで初めて地図を見るのだが、完璧に道に迷ってしまった。しかたがないので、壁の向こうを観ると、ジョギングしているおっさんがいる。私は塀を乗り越えて、この中からでも行けるだろうと、トボトボ歩いた。誰かに道を聞こうと思っても、さっきのおっさんも含めて誰もいない。そこがペンタゴンの敷地であることは解ってはいたが、誰にもなんにも言われなかった。適当なところで再び壁を乗り越え、しばらく行くと、路があったので、道なりに進むと目的地に着いた。

 今考えると、9.11以降にペンタゴンの敷地にに不法進入していたら、射殺されていたかもしれない。でも、アーリントン国立墓地で迷う人は私以外にも多いのではないか。それほど墓石が規則正しく並んでいるのだ。墓に罪はないが、並べ方には問題がある。

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お金というもの

 多分、一昨年ぐらい前に書いたblogで、『浄財とはなんぞや』という、クソ坊主との問答を書いた話が、このblog上で現在でも頻繁に読まれているのを受けて、いろんな方々が『お金というものについて考えてらっしゃるのだな』と感じたので、ちょっと触れてみる。

 私は昔、お金についてのあらゆる話が嫌いだった。毛嫌いしていた。確かにお金を稼ぐ行為は大切だが、稼ぐことと儲けることは違う。私が毛嫌いしていたのは、儲ける話になると、欲の皮が突っ張り、醜い表情となり、その人の欲望の本性が出てくるからだった。

 去年の親父の四十九日に墓に来た坊主は、タクシーでやって来て、遅刻し、それなりに経を読んでから、お袋がお布施を渡すと、醜い笑顔をしていた。その後、石屋のおっちゃんと口論になり、遺族の前で携帯を掛けるなどひどい有様で、親父の法事でなければ殴り飛ばしているところだった。

 坊主でさえ、この有様なのだから、世間には金に汚い奴はいくらでもいる。それが元で、人間関係が壊れたり、病気になったりする人もいる。

 お金は確かに必要な物だけれど、必要以上に持ってしまうのも問題だ。周りの態度が急に変わり、それによって、本人の人格さえも壊れてしまう。『この人はお金がなくなったら、誰からも相手にされないだろうな』と思うような人間もたくさん観てきた。だからといって私は、お金を使うな、と言っているわけではない。使いたきゃ、稼げばいいのである。何よりも難しいのは、お金の使い方である。お金について真剣に考えたことのある人にしか、解らないものなのだ。

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何のために書くのか

 「何のために書くのか解らなくなった」と呟く友人に、私は、「解らないのが当たり前なんじゃないか」と言った。続けて、「何のために書くのか、ってことを真剣に考え詰めると、禅問答みたいになってしまうよ」と語り、「みんなもっと気楽に考えて書いているんじゃないかな」と、あえて笑って言った。まもなく僕は電車を降りることとなり、別れたのだが、彼の悩みは深刻だな、とぼんやり考えた。

 以前、別の知り合いと同じような話をしたとき、そいつは「誰かに伝えたいことがあるから俺は書いている」と言っていた。稲垣足穂のファンだと言っていたが、そいつの作品のの出来映えについてはどうでもいい。ただ、『伝えたい』というだけでは、私だったら迷う。それはただの手紙に過ぎないからだ。

 私の場合はどうなのかと、考え込んでしまうが、このblogを何のために書いているのかなど解らない。伝えたいことがある場合もあるし、悩んでいることを書き下すこともあるし、気になることを書いたりもする。結局は書きたいことを書いているだけであって、単なる自己満足に過ぎない。もちろん読んで下さる方々が楽しんで下さるのであれば、嬉しいに決まっている。そう考えると、読み手の立場も意識する様になる。

 結局、blogにしろ小説にしろ、私の場合は創造力の炎が燃えたぎるときに、文章という媒体を経て、胸の中の物を発散させる。そういうときには、いい作品が書けることが多い。私が文章を書く理由の主軸は、たぎる創造力を発散させるためである。だからといって、いつも楽しんで書いているはずもなく、苦しみも多いのが実際の所でもある。

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いい結婚式だったなあ その3

 楽しかった宴も、やがてお開きの時間を迎えた。最後に新郎が挨拶するのだが、少し緊張していた様子、しかし、しっかりと締めくくった。笑いと拍手が絶えない結婚式で、みんなが二人のことを祝っていた。『こういう結婚式もいいものだな』と感じる。最後に新郎新婦とご両親に挨拶をして本当のお開きとなるのだが、その際に、私はどの結婚式でも、新婦の方に「お綺麗ですよ」と、一言、声を掛けることにしている。女性にとって人生で一番輝く時だと思うからだ。

 その後ホテルを後にしたのだが、大学時代の友人と「どっかで飲もうか?」ということになった。まだ昼の三時だが、恵比寿ガーデンプレイスの入り口に所に、都合よくビアホールを発見。みんなで近況について話したりした。一人はTOTO勤務だったので、最近の便器論について話を振ってみた。私が「最近の便器って、タバコの吸い殻一つでも流れるんだよな。あれは凄い」と言ったら、「そうなんだよ、軽い物でも流れるようになったんだ、って吸い殻捨てたら便器が詰まるぞ」と返してくれた。するともう一人が、「軽い物が流れるっちゅうことは、今日の新郎のS君も流れるっちゅうことやな」などというので、みんなが大爆笑。まじめな話では、みんなが、いい披露宴だった、と言っていた。明るい披露宴だったし、何より飯が旨かった、などと花より団子的な会話をしていた。一緒に飲んでいた仲間の一人で、シナリオライターの勉強をしていた友人がいたので、いろいろと聞いてみた。ト書きはどう書くのかとかいろいろと教わった。彼は仲間の中でも無口な方なので、私が話をフッたのはいいのだが、気がついたら、二時間ぐらい経っていたのでみんな家路につくことになった。

 恵比寿の駅で固い握手をして別れたのだが、シナリオライターの勉強をしていた友人とは同じ方角である。暑いので、ネクタイを取った私に、彼は、「何のために書いているのか解らなくなった」と呟いた。昔ほどの精彩もない彼に、私は現在の状態を聞く気にはなれなかった。私はゆっくり歩くけれど、彼は歩くのが速い。その違いが原因なのかな、と漠然と感じた。   (明日はこれについて書く)

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いい結婚式だったなあ その2

 新郎の中・高時代の友人が友人代表の挨拶をしていたが、これが画期的で面白かった。スピーチと言うよりも、プレゼン形式で笑わせてくれた。大学時代の写真の一部に、スキーのゴンドラに乗っているときの私の写真があったのは光栄であった。

 それにしても、役が何もない披露宴がこれだけ楽だとは思わなかった。ゆっくりと料理を堪能することが、どれだけおいしいことか。何か役目があるときには、緊張もするし、酔いすぎないように注意する。今回は何もないことが解っていたので、ビール、シャンパン、赤、白ワインを三杯づつ頂いた。飲み過ぎか。

 それよりも心配したのは、新郎が余りお酒が強くないのを知っていた私は、飲まされているので少し気になった。

 料理はトマトを使った料理が多く、中には、今研究を重ねている料理で使うソースも出てきた。別の友人の料理とは異なったが、おいしく頂いた。何もないのが解っていたので全体的においしいお食事であった。

 何か役目があると、緊張から食べた料理など覚えてはいない。結婚式というのは、粗相が許されない限り、特別緊張する。メシの味よりも自分の出番が来ることに注意深くなる。

 中・高次代も含めて、新郎の友人には、多くの友人がいることを知った、とても幸せなことだと思う。 (多分続く)

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いい結婚式だったなあ その1

 昨日は恵比寿のホテルで友人の挙式&披露宴が行われた。結婚式では外国人の神父さんが、聖書を片手に英語と日本語で話していた。新郎の友人も堂々としており、素敵な結婚式だった。新婦さんは初対面だったが、ウエディングドレスがとても似合っていた。

 式が終わり、受付に行くと、大学時代の友人二人が立っていた。「久しぶりだな、十年ぶりか?」みたいな会話を交わした後で、手空きの時間にいろんな話を交わした。二人とも結婚しており、一人は社内恋愛、もう一人も専門学校で知り合ったらしい。懐かしさがよぎる中、新郎の友人のお袋さんに挨拶に行った。

 まもなく披露宴が始まり、左を観ると、また別の大学時代の友達が座っていた。元来が関西出身で明るい友人なので、十年ぶりの再会でもすぐに打ち解けた。聞いてみると、お互い独身、彼女いないでガッチリと握手した。すると、「うちらも後一、二年で、結婚せな、生殖能力なくなるで」と言うので、「いや~最低五十歳までは大丈夫じゃねーか。いざとなったら赤マムシもあるしな。気楽にいこうや」と返した。三十半ばの哀しい独身男同士の会話である。

 最初に新郎の会社の上役さんが、挨拶したのだが、半分以上が会社の宣伝だったことには呆れた。それから乾杯となって披露宴はスタートした。おいしいシャンパンだったが、いつもの癖で、あやうく一気飲みしてしまうところだった。挙式スタート。しばらくはこのネタで引っ張る。  (つづく)       

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結婚式の日だ

 これから友人の結婚式&披露宴に行ってくる。はっきり言って御祝儀貧乏である。久しぶりに会う友達も多いだろうから、ものすごく楽しみでもある。結婚願望が強い中で、一番心配でもあった友人がめでたく結ばれる。めでたしめでたし。

 今日は晴れるとさっき母に聞いた。汗だくになりながら向かうことだろう。『慈しみ深き聖なるイエスは』とチャペルで歌うのだろうが、汗だくであろう。大体七月にダブルのスーツを着るのも厄介である。って、考えてみたら親父とお袋の結婚記念日も7/2だった。

 まあ、なにはともあれ、おめでたい。学生時代によく遊んだ友として、今日のような日が迎えられて嬉しい限りである。

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エースで四番!?

 私の弟の長男が、リトルリーグで野球を始めてから、二、三年経つ。そして、四年生以下の部で、半年ほど前に、キャプテンになったと聞いた。運動がずば抜けて出来るわけではないらしいのだが、努力する姿勢を監督さんがかってくれたらしい。私とお袋は、『がばいばあちゃん』にあやかって、お祝いにスパイク代として、五千円ほど包んだ。

 小学校低学年の頃から頭一つ背が高かったため、ポジションはピッチャーをやらせてもらっている。球速はまずまずらしいが、ノーコンな為に、試合になるとパカスカ打たれ、泣きながら投げているらしい。そしてチェンジとなると、味方打線がパカスカ打って、相手チームのピッチャーも泣きながら投げているそうだ。そういえば、こないだ、四番も打たせてもらっていると聞いた。オロナミンCのコマーシャルからすれば、一応、『子供の頃からエースで四番』ということになるが、まだまだ先は解らない。少なくとも怪我には気をつけて欲しい。

 このリトルリーグの練習や試合は、雨が降らない限り、毎週日曜日に行われる。家族総出で応援に行くそうだ。弟夫妻も、他の子供の親御さんとの交流も深まり、参加していて楽しいらしい。それが乗じたのか、弟は審判の資格を取って試合にも参加している。

 今度、私も様子を伺いに行こうかと思っているが、一応、私も受験生。でも、まあ、日曜日は休みの日と決めているから、差し入れでも持って行って、観戦させてもらおうかな。

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結婚観

 散髪は月に一度ぐらいのペースで通っているが、明後日に友人の披露宴があるので、今日、朝一番に床屋に行くことにした。まだ半月しか経っていないので、内心『芸能人じゃあるまいし』と納得のいかない思いである。しかしまあ、友人の一世一代の晴れ舞台なので、よしとしますか。って、友人は、飲み会という名の下の合コンで、新婦の方と知り合ったと言っているが、披露宴では間違いなく、『友人の紹介により』に言い換えられてしまうであろう。私の友人の中には、ナンパしたのがきっかけなのに、やはり披露宴では上の文句に代えられてしまっていた。みんな笑いをかみ殺していたが、今では一男一女をもうけて、幸せに生活している。こう考えると、きっかけなどはどうでもよく、結果がよければ幸せなのだろう。

 よく考えてみると、私の友人の中で、正式な見合いで結婚したケースは一組しかいない。超上流階級の友人なので、それはそれで、相手を探すのも大変なんだろうなと感じた。彼とは、今度、飲む予定になっているが、やはり、一男一女をもうけて幸せな家庭を築いている。

 私。現在付き合っている女性はいないが、結婚願望はある。若い頃は、理想のタイプに、趣のある人、などと述べてきたが、最近は、やさしくて思いやりのある人であればいいと考えている。って、何で俺はこんな事を書いているのだろうか。話の流れ上こうなったとしか言えない。友達の事を書いておいて、自分について黙っているのが不自然な気がしただけだ。

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1000円当たる

 友人の結婚式が近いこともあって、昨日は朝の五時に起きた。愛犬の弥七君は、私のベッドで必死に痛みをこらえている様子。落ち着きのないblogを書き終わってから、お袋に弥七君のことを話すと、飛び起きて私の部屋に来た。弥七君が階段から落ちたのを知らなかったらしい。朝一番に動物病院に行くことになった。

 九時頃、動物病院に車で向かい、先生に観てもらった。弥七君はびっこを引いていたのだが、先生は、「腫れがありますけれど、多分骨には異常ないと思います」とおっしゃり、とりあえず一安心。念のためにレントゲンで確認したが無事であった。痛み止めの注射を打ってもらい、薬も処方していただいた。

 弥七君を家に置いて、今度は、母の関節に電気を当ててもらうために、整形外科へと向かった。母が診てもらっている間に、私は宝くじ売り場で先週のくじを調べてもらった。すると、なんと、ロト6の数字が三つ当たった目があり、三等の1000円を受け取った。五口買っていたので、元返しだが、嬉しかった。1等とは言わないまでも、その日は、なにか当たる気がしていたので、その勘が当たった事の方が嬉しかった。でも、ロト6の三等で1000円は安すぎる気がするのだが。

 家に戻り、少し休憩してから、居間で勉強した。終わると睡魔に襲われ、座椅子で寝ていた。気がつくと夜である。食事を採り、弥七君を観ていると元気がない。2階に上げることも出来ないので、夕べは居間のソファーで寝た。弥七君はひとりぼっちが嫌いなのである。起きたら私の体の方がビシビシだった。

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階段転げ落ち

 昨夜のことである。寝るために1階のリビングからから2階の自室へと移動しようとしたら、愛犬の弥七君(ミニ・ダックス、♂、満十一歳)が『僕も上がりたい』と言わんばかりの目をして尻尾を振って近づいてきた。もっとも、これはいつものことであり、夜の就寝時には2階の私の部屋に上がりたがる。何故だかは解らないが、家にやってきたときからいつの間にかそうなっていた。階段は直線で、そこそこ急なのでいつも弥七君を抱えて1階と2階を往復していたのであるが、何も持っていないときは両手で、荷物があるときは片手でおなかの所を持って抱え込み、上げ下げさせてやっていた。昨晩も、いつもと同じく、片手で弥七君を抱えながら、電気を点けていない階段(両手がふさがっているためスイッチが押せない)を登っていた。登っている時の弥七君は神妙にしているのであるが、もうすぐ2階だと解ると暴れ出して、私の腕からするりと抜け落ちた。「弥七!!」と叫んだときにはもう遅く、階段を転げ落ちていた。私が見た限りでは、階段の何段目かで背中でバウンドし、階下に落下した。

 その後、両手で2階に連れてきたが、どうもどこか痛めた様子である。昨日の時点では、ベッドにジャンプできなかったし、今朝起きても、何だか動きがぎこちない。もしかしたら骨折している可能性もある。我慢強い犬だけに、余計に心配である。動物病院に連れて行くつもりであるが、何事もないことを望む。

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モナコの街

 十数年前、ヨーロッパを旅したときの話である。バルセロナで朝一番の電車に乗り、ニースへと向かった。夕方頃、ニースに着くと、宿の手配をして、宿の人といろいろ話した。ニースはホテルが多く、ぶっつけで安宿に行ったが、すんなり泊まれた。その日はニースの街を観光しようと思ったが、秋の地中海でアメリカ人が泳いでいるのを見ただけであった。私はモナコに行きたかったのだが、宿賃が高いだろうと、宿泊先はニースに決めたのである。モナコまで電車で30分だ。

 翌日、鈍行に乗り、モナコに行ったが、カジノに寄る気はなかった。大体お金がなかった。私がモナコに行きたかったのはF1のコースを歩きたかったからである。スタートの位置にはスターティンググリッドが描かれていた。1コーナーを曲がってからの上り坂は結構きつかった。ここでカジノ前に出なければならないのだが、生憎道に迷ってしまった。勘で歩いていたら、ステーションヘアピンに着いた。ここも勾配が大きい。てくてく歩いてトンネルの中を抜け、最終コーナーまで何隻ものクルーザーを見ながら歩いた。上を見上げるとゼザンヌの絵のような断崖絶壁に、高級マンションが溢れていた。最終コーナーのところでビールを飲んだが、異常に高いと言うほどでもなかった。

 その後王宮に上がったが、坂がきつかった。その代わり、モナコの街が一望できる。若い東洋人の男を見つけたので、写真を撮ってくれ、と頼むと、快諾してくれた。すると、僕のも撮ってくれないか、と頼まれて、お互いに笑った。確か韓国から来たと言っていた。彼にとってもらった写真は、翌年の年賀状に使わせてもらった。

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睡眠障害

 「眠れないで死んだ奴はいない」と生前、父は言っていたが、眠れないのも、寝過ぎるのも、どちらも辛い物である。眠りの深さについても同様である。これらの問題に対応するには、生活のリズムを作って、ある時間が来たら起きて、ある時間が来たら寝ることだとよく言われるが、確かにそうしていると自然と眠くなり、自然と起きるようになる。それに、人間とは太古の昔から、夜に寝て昼起きるという生活をしてきたわけだから、昼型に順応するのがよいと言われている。

 夜に明かりがともるようになったのはいつ頃からであろうか、古くは松明などもあったであろうが、部屋を照らす明かりとなると、油か蝋燭だろう。さほど古い話でもない。夜にでも明かりが使える様になったことは、革命的である。現代では町を歩いていても明るい。

 ところが皮肉なことに、この革命が、人類に睡眠障害をもたらしたのではないかと、私は考えている。現代では、徹夜してでもやらなければならない仕事、つきあいで午前様になってしまう場合、などの睡眠のリズムが崩れる例は数多ある。これらを凌ぐには、やはり、強力な生活リズムを作るしかない。

 最近の私は、どうしても昼型にしなければならない理由があって、早寝早起きしている。昼寝などをしてしまうと、多少ずれるが、丁度、母が駅前の整形外科に通うということで、毎日朝一番に車を運転して送迎している。丁度、母も両足が痛いと言っているので、車での送迎に感謝してくれている。一石二鳥である。

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ちょいと今日は

 ちょいと今日は忙しい。またの機会に。

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50cmのレシート

 昨日、私にヤボ用があったので、隣駅まで車で出かけた。お袋もOKマートで買い物をするというので、一緒に出かけた。二時間しか寝ていなかったので、二度ほど赤信号を無視しそうになり、ABSが作動した。こんなこと、普段の私では考えられないことである。

 何とか無事、OKマートに着くと母と私は別行動を取った。母は買い物、私は本屋と銀行に向かった。雨の中、サンダルで歩くと、素足とサンダルの間が滑るので、歩きにくくて仕方がない。目的の本屋の位置が解らなかったので、駅員さんに聞いて何とかたどり着いた。本屋での目的はすぐに終わり、銀行に預金を下ろしに行った。ATMで五万ほど下ろし、そのうち三万をピン札に代えてもらった。来週の土曜日にある友人の結婚式のご祝儀用である。後の二万は、他によばれた、遠くからやってくる友人達との飲み代である。

 私の用事は済んだので、OKマートに戻り、一服しながら母の携帯を鳴らした。待ち合わせ場所を決め、そこへ向かう。・・・ここでOKマートに謝らなければならない。以前のblogで牛肉が今ひとつ、と書いたが、そんなことはない。充分おいしくいただける物だ。母などは、一月の食費が五万円以内で済むと、大喜びである。喜びの余り買い過ぎてしまうらしい。

 待ち合わせ場所にやってきた母は、ウーロン茶の2Lのペットボトルを12本買っていた。他にも大量買いしていたが、『家に帰ってからの置き場所がないだろ』と呆れた。そもそも、車のトランクに入るのか心配だった。カート二台で車に持ってゆき、母が詰め込む。驚くことに何とか詰め込んでいた。家に帰り、「これで半月分の食料は大丈夫」と笑っていたが、レシートを見てみると、金額よりも長さに驚いた。レシートの長さだけで50cmぐらいあったのである。

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学級崩壊

 夕べ、、居心地のいい座椅子で居眠りしていたら、携帯からだ。寝ぼけながら、慌てて取って、会話をした。普段なら用が無くても、(私の様子伺いに)掛けてくれる友達ではあったが、昨晩はいささか事情が異なっていた。問題は子供さんのことである。

 小学校三年の娘さんは、勉強もよくできるし、人の話もちゃんと聞く。僕も一度会って、『この子は何か違うな、なんだろう?』と考えた。私は人を見たら、その人のいいところに一発で気がつくのだが、解らなかった。ちなみにその子の描く絵の太陽はいつも笑っている。

 問題は学級崩壊なのだ。一部の者が授業を目茶苦茶にしてしまう。これは、まじめに勉強したい子の邪魔をする。友人の意向では世の中を幅広く知ってもらいたいとのことから、公立の小学校を選んだらしいが、授業中に携帯が鳴りまくるなど、言語道断である。

 決められた物事や、決められたルールに従って我々は生きている。規則を守らないなら、私だったら、充分意見を聞いた上で男は殴り飛ばす。もちろん相手は小学生だから、げんこつなどで殴らない。平手だ。なんでも、最近は女の先生が増えたとか。

 私が小学生の時、給食が一番のごちそうだった。その代金も支払わずに通わせている親もいるという。その人はこう言う、「だってあんなまずい物、食べさせてお金取るんですか?」と。これがどれだけ恥ずかしいことか解ってはいない。食い物で罰が当たる。

 最終的に友人と落ち着いた先は、『場所替え』しかないなということになった。中学から受験するのもよし、そのために塾に通うのもよし、ということである。聞け、麻生、石原!!、二極分化は、お金の問題じゃない。この国の教育姿勢を家庭から変えなければならないということだ。教育無くして国が成り立つか!! バカモノ!!

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ちと疲れたのう

 ご隠居「ちと疲れたのう」

 格さん「丁度よいことに、あそこに旅籠がございます」

 ご隠居「今日はそこでゆるりといたしましょうかな。ふぉっふぉっふぉっふぉっ」

 

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