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2009年6月

モッツオレーラチーズとトマトと私

 以前、友人が草加でやっているお店『katsu』(店のURLはhttp://r.gnavi.co.jp/b250200/)で、トマトの輪切りにマヨネーズかタルタルソースのような物が乗っているものを食べたが、絶品であった。その味がずっと忘れられなくて、料理好きの母に作ってみて欲しいと頼んだが、ことごとくうまくいかなかった。私も酔っていたから、よく味を覚えていなかったし、お袋も、食べたことがないものは作りようがない、とあっさりギブアップした。

 その後、『katsu』の店長と話す機会があり、率直にその料理について質問してみた。ここで、もし、私が料理人だったら、この質問は失礼に当たる。そうでなくても失礼かもしれない。料理人は、よく、味を盗むというが、それがこの世界のマナーなのだろう。

 『katsu』の店長は、材料を教えてくれた。そして、「あれはレベルが高いぞ」とも教えてくれた。聞いてみると、トマトに乗っけていたのはマヨネーズなどではなくモッツオレーラチーズに+αした物だった。ネットでいくら調べても出てこない。創作料理なのだろうか。

 翌日、百貨店に行き、チーズと+αとトマトを買ってきた。再びお袋に交渉して手伝ってもらった。レシピが解らないから、とりあえずチーズを溶かしながら、+αのものと混ぜた。混ぜ終わると、チーズが堅くならないうちに、細かくトマトの輪切りの上に乗せた。うまかったが、完全な失敗作である。チーズの扱いにくさも、難易度を高めている。旨いけれど、あんなに扱いにくいチーズもない。

 まあ、これからもチャレンジしてみるが、何度か泣きを見そうである。トマトも、同じく赤いリンゴよりも好きな食材なので、飽きない。・・・ところで皆さん、トマトとリンゴ、どっちが好きですか?

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エキストラ

 一昨日の土曜日、新藤兼人監督の、『石内尋常高等小学校・花は散れども』を、母と二人して、DVDで観た。数ヶ月前にAMAZONで注文したのだが、初めて聞く監督だった。では何故、わざわざ取り寄せてまで観たのかというと、私の母方の従弟(まだ中学一年生)が、子役のエキストラとして出ていたからである。戦前の小学校のクラスの生徒の一人として出ていた。戦前ということもあり、男子はみんな坊主頭で、最初は誰だか解らなかったが、運良く顔が映っていた。それを観たいが為にわざわざ購入したのである。エンディングのテロップにも名前が載っていた。その他、映画自体も面白く、楽しませてもらった。

 さて、この映画、何故かつかみ所のない映画なのである。主人公は柄本明で、いい味を出している。この、『先生』を中心にストーリーが動く。舞台は戦前から戦後にかけての、広島県の田舎の農村。戦前と言っても昭和初期の頃だと思う。その頃の時代背景と、厳しいけれど、ユーモラスな『先生』と生徒達の触れあいが描かれている。・・・そこからシーンは一気に三十年後に飛ぶ。『先生』の定年を祝う会が、同窓会として行われ、みんながみんな、自己紹介がてらに、戦争で苦労した話を次々と話す。この辺りから、主人公が微妙に変わる。級長をやっていたという設定で、30年後の役を演じる豊川悦司と、戦前の小学校の時代に、お互いに恋心を抱いていたという設定で、30年後の役を演じる大竹しのぶとの二人のドラマになって行く。『先生』に何かある度に、豊川悦司が東京から駆けつけるのだが、その際に大竹しのぶとの関係も流転してゆく。『先生』に級長だった頃、「君は頭はいいが、決断力と勇気が欠けておる」と諭された豊川悦司は、それを吹っ切り、30年越しの恋を実らせようとしたが、大竹しのぶが厳しくも断る。何故、断ったのかについて考えてみたが、やっと売れ始めた脚本家という設定の豊川悦司を、自分のところで埋もらせたくはない、という辛い愛情だったのだろうなと推察する。そして、『先生』の死で幕が下りる。

 この映画、いろんな味わい方があるが、僕はどうしても『先生』の人柄に惹かれてしまう。風流で粋な先生だからこそ、映画全体が暗くならず、明るいままに終わる気がした。

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BILLIE JEAN

 昨日、今日と、TVで道行く人にインタビューして、マイケルの曲でインパクトに残った物は?と尋ねていたが、まず間違いなく『スリラー』だと応えていた。これには非常に疑問が残る。そもそも、スリラーの物語を知っているのか疑った。あれはオオカミ男の話なのである。マイケルが恋人役の前で、満月に反応し、狼男となる。逃げた恋人役の家に向かいながら、ゾンビと踊る。その時の曲とダンスが『スリラー』なのである。確かにダンスにインパクトはあったが、オオカミ男の話なら、日本では、漫画として、すでに藤子不二雄が書いている。ありきたりにしか観られなかった。

 『スリラー』よりも心を打った曲は何曲かある。その最先鋒が表題にも掲げた『ビリー・ジーン』であると思う。マイケルの出世作であるが、歌詞の内容はどうでもいい。ドラムから入っていって、ベースが乗る。後からエレキギターなども加わるが、こんなにシンプルな曲もない。そこで合わさるマイケルのムーンウオークとつま先立ち、そして帽子投げ。完璧な演出であり、コンサートでは一番盛り上がる曲だった。

 次に思い出すのはたしか1996年のMTVへの出演。ギターをスラッシュ(ガンズ&ローゼスの)にまかせた『ビリー・ジーン』とそれに伴う、マフィアだろう組織のボス役での演出の『デンジャラス』が印象深い。友人とは、生前から、マイケルは歴史に残るだろうねと語っていた。

 もちろん彼の偽善性にも目は向くが、今は冥福を祈る。

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マイケル死んだな

 一時期、マイケルジャクソンの熱狂的なファンだった、私は、昨日はずっとTVを観ていた。私が好きだったのは、彼の音楽やダンスで、歌詞とか思想とかは放っておいた。というより、マイケルの思想というのは『ネバーランド』に象徴されるように、稚拙に過ぎない。

 確か日本では、『BAD』ツアーの時にブレイクしたと記憶しているが、その頃はそれほど興味を持たなかった。どうでもよかったのである。高校でも余り話題にならなかった。そんな私が何故、興味を持ったかというと、説明するのが回りくどいが、要は、友達の部屋でオムニバス版の洋楽のCDを掛けながら呑んでいたときに、『Heal The World』が掛かったのである。それまでの下らない洋楽とは異なり、その曲は、私の心をとらえた。私は、「これいい曲だな。誰の曲だ?」と聞いたら友人は「マイケルや」と応えた。ギャップに驚いた。

 まもなく私は、アルバム『DENGEROUS』を購入、曲の完成度に感嘆した。ダンスも観たかったので、ビデオはかなりそろえた。何故かレンタルしていないのである。買ったビデオはすり切れるぐらいまで観た。単純にエンターテイメントとして観るのでも楽しかった。

 私個人としては、ドームの『History Tour』のコンサートに友達と行った。コンサートに行くのは初めてだったが、その日はコンタクトをしていった記憶がある。それでも米粒ほどにしか見えなかったが、楽しかった。・・・現在、アルバムを聴きながら打っているが、書くことは全くつきない。というより、死因を早く知りたい。

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不思議なことに

 大学三年の夏を謳歌した私は、後期の授業に出ることにした。大学のクラスで初めて授業中に眼鏡を掛けた。ノートを取り、授業中は集中していた。周りの奴には、「お前、頭でも打ったんじゃねえのか」とからかわれもしたが、黙って聞き流していた。行き帰りの電車は読書、授業はまじめに受ける・・・ここまでの私は優等生だった。しかしこんな事は長くは続かないのである。

 ストレスがたまりすぎて、晩酌の酒の量が増えた。一日一杯だった焼酎割りが、五杯~六杯と増えていった。今考えると、自分の時間を無くしたせいかもしれない。三ヶ月ほど通い詰めた大学に向かわず、近所のパチンコ屋へと足が向かうようになった。故父がよく言っていた、「お前はマラソンを100m走のように走る」と。

 試験前に再び大学に通う様になったのだが、休んでたときの所は、友達にコピーさせてもらった。その頃には、大まかだったが、機械工学科という物について少しは理解するようになった。そして試験。

 不思議なことに、前期試験と異なり、私に写させてくれという奴は一人もいなかった。ノートを写させてあげた奴はいるが、自筆ノート持ち込み可の試験で私以外はみんな、不可をくらっていた。これは何故だか解らないが、教授の方も授業を繰り返すうちに、きっと、生徒の顔と名前を覚えてしまうのだろう。・・・さてと、明日は違うネタが書きたいので、この話はそろそろにしておきますか。

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自分の力でやれ

 昨日、一昨日と、間抜けなカンニングのミスを記した。今日は大学三年の時のことである。大学三年というと、専門色も強くなり、私も、大学の機械工学科とは何をやっているのが知りたくなって、授業には出ないものの、図書館で本などを読んでいた。

 試験もきつい日程だったが、何とか試験勉強は終わらせた。すると、私の周りに、写させてくれという奴等が集まり、後ろから二番目の席まで確保されていた。それまでの遊び友達だったこともあり、今度は私がそいつらに写さしてやることとなった。四人にである。

 今まで数多くの業をしょっていた私は黙って写さしてやっていた。計五人が同じ答案を出すのだから、判定は『良』である。それでもかまわなかった。写させてくれという奴のうち、四人のうち三人は一科目だけだった。お互いのマナーである。しかし残る一人は、必修科目四科目全て写させてくれと来た。黙って写させてやっていたが、最後の試験の時に、後ろから声がした。すでに私が解き終わった問題である。「問題3、間違っているぞ、正解は・・・」というように、耳元で囁く。焦った私もそいつの言うとおりに書いたが、試験が終わってみると、始めに私が書いてあった方が正解で、そいつは嘘っぱちだったのである。悪気はないのだろうが、軽く蹴りを一発足に入れておいた。そして二日後、

 電気工学の回路の設計問題で、そいつはまた私の横に座り、「今日もよろしくな」と言われ、徹夜明けで青白い顔をした私はついにキレた。「バカ野郎!!、俺は昨日一睡もしていないんだぞ!! お前、顔色いいなあ、・・・少しは自分の力でやれ!!」と言ってそいつに見せはしなかった。しかし、そのもめ事を知らない、別の遊び友達が私の後ろに座り、「助けてくれ」というので、そいつには黙って写させてやった。これらは全て大学三年の前期試験でのことであるが、後期に授業に出だすと、また様相は変わってくるのである。

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辞書に書き込め

 私の通っていた大学は、カンニングがばれると、全ての単位がワンランク下がるシステムだった。つまり、優が良に、良が可に、可が不可になるという具合に。ここで、カンニングをするような奴は、私も含めて成績が悪いからするのであって、特に可が不可になるのがもっとも痛かった。よっぽど努力しなければ留年が待っている。そしてばれた奴は、悔い改めるのである。

 かくいう私も一度ばれたことがある。大学二年の理科系独語読解の試験でだ。辞書持ち込み可だったので、私は授業でやったところの自筆の写しを辞書に忍ばせて、辞書を引く振りをしながら、写していた。そのうちに面倒になって、写しを机の上に広げて、写し始める。すると前方に人の気配がした。先生である。「これは預かっておくよ」と言われ、「はい」としか言いようがなかった。留年も怖かったが、とりあえず気持ちを切り替えて、その試験に集中することにした。自力で完答したが、私はクラスを一番最後に出ることにした。

 最後に答案用紙を提出した私は、「今後の勉強のために先程の用紙を返していただけないでしょうか?」と聞いた。おじいちゃん先生は「いいよ」と言ってすぐに返してくれた。この瞬間に、多分、お咎め無しだろうと直感した。授業もまじめに受けていたし、試験監督が、おじいちゃん先生ただ独りなのが大きかった。事実、お咎め無しだった。単位も不可ではなく、良だった。友人達は文句を言っていたが、助かったのはありがたかった。

 しかし、独文を日本語に訳す試験で、今までやったところから出題され、辞書持ち込み可ならば、ようく考えると、辞書そのものに書き込んでしまえばよかったのである。後で気付いて、『俺、阿呆やな』と思ったが、その戦法は余りに卑怯すぎるとも感じた。

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写す奴、間違えた

 大学一年の時、必修科目で数学第2(確か解析学の初歩)という科目があり、担当講師は『仏』と呼ばれるくらい、単位については寛容だった。そんなある中間テストで、100点満点で50点以上取ったら、『良』は保証するというものがあった。その他はレポートである。私は遅めに行ったので、教室の一番後ろの席しか空いていなかった。問題を解き出すと半分ぐらいは解けた。後は解らなかったので、隣に座っている初対面のクラ友のものを写させてもらった。どんな奴かはよく知らなかった。

 数日後、語学の時間、やはり私が遅れて席に着くと、仲のいい奴から、声を掛けられた。何だか指でこちらにサインを送っている。まもなく、それがテストの結果である事が解ったのだが、事もあろうに、私は49点を取ってしまった。たった1点足りないだけで、レポートを書く羽目になってしまった。この時ほど、私は自分が勝負弱いと思ったことはなかった。

 そして、答案用紙を観ると、私が解いたところは全て正解であったのに対し、写したところは全て不正解だった。後で知るのだが、この写させてもらった奴は、二年に上がれず、留年したとのこと。つまり私は、自分よりも解っていない奴の答案を写していたのだった。

 間抜けなミスをしてしまったものである。この後、数日間はレポートで苦しんだ。15P位あったと思う。単位はくれたが、写す相手を間違えたことに関しては、猛省したものである。

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寝っぱなし

 今日は疲れがたまっていたのか、寝っぱなしであった。とりわけ書くこともない。

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totoの予想

 昨日、お袋に呼び出され、サッカーくじのtotoの予想をやった。別に断ってもよかったのだが、面白そうなのでやってみた。対戦表を見ると、ここはこれで間違いないだろう、というのがいくつかあった。問題はその他である。3の何十乗かの組み合わせは途方もなく増えてゆく。とりあえず堅いところだけ鉛筆でマークしようとした。

 ところがである。何と正確なマークシートのマークの仕方を忘れていた。馬券を買うときのマークシートはいつもペンでやっていたので、鉛筆でのマークの仕方を忘れていたのである。時々消しゴムを使いながら、イライラしながらマークした。小学生の塗り絵の容量である。

 予想の方は、解らないところは全通り書いた。後はヤマ勘も利用した。野球だったらまだ解るのに、サッカーも勉強せねばなるまい。こんなことで資格試験通るのだろうかと思いつつ予想した。マークシートの塗り方の練習にはなっても、他に効果はない。しかし、私の勝負師としての血がたぎってきた。本屋でサッカーの本を買った。

 totoBIGは当たればでかいが、一口300円。自動的にナンバーを選択されてしまうので、死に目もつかまされる。当たる確率は単純計算で3の数乗分の一だ。天文学的な数字に近い。みんな6億円にだまされているのである。それに比べてtotoは見返りは少ないが、一口100円で、死に目をつかまない。その分研究のしがいがある。しかし、今日、本屋でサッカーの本と、totoの本を探したら、totoの本は無かった。傾向と対策みたいなものを探していたのだが、ついに見つからなかった。ここまできたら、まあ、運ですな。ちなみに私は受験生だが、土日は休むことにしている。

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プリウスだらけ!?

 環境問題への対策として、エコカーがかなり安くなっている。特にトヨタの新型プリウスは全国のディーラーで、目玉商品として売っている。電気自動車への移行期として、30年間はプリウスの天下が続くであろう。そうするとどうなるか?街中にプリウスが溢れ、見分けが付かなくなる。エコで生き残るのは、トヨタとHondaだけであろう。

 プリウスの何が凄いかというと、燃費である。ガソリン1Lで最高38Km以上走ったのだから、快挙である。私が、現在運転している車は、燃費が、その四倍ぐらい悪くなる。ガソリン代で換算してみても、相当お得な買い物である。トヨタとしては、数年温めたためてきた構想をぶつけるときが来た。もはや高級車はステイタスでは無くなり「、消費者の目は他へと映る。車を楽しむ時代は、もう、終わったのだろうか。

 プリウスがあれだけ低価格なら、燃費のことも考えて、乗り換える方も多いと思う。しかし、昔のカローラのように、密度が濃すぎるのもよくない。しかもガソリンスタンドは踏んだり蹴ったりということになる。インフラが立ちゆかねば、電気自動車案も何もない。

 政府は、バカみたいな予算をヘズり、電気自動車などのインフラも30年単位で考えて欲しい。現在、自動車の単価が高すぎるので現実味はないが。

 それにしても、電気自動車は水素と酸素から得た巨大バッテリーによって動くと聞いたが、水素の安全性がどうなっているかについて知りたい。液体だから大丈夫なのだろうか?

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木こりの与作

 何かの塾の帰りに、小学生の私と弟は展示品のTVゲームをやっていた。夜も遅くなったし、帰ろうかというときに、母とバッタリ会ってしまった。気まずくて、私も弟も黙っていた。母は私達を地下のファストフード店に座らし、溜息をついた。私と弟はもう、二度としな(バレな)いようにしようと連れションがてらに約束した。

 塾にはちゃんと通っていたので、その晩に、おとがめはなかった。話を聞いた父も悩んだと思う。中学・高校はスクールウオーズの世界。その面子と付き合わせたくなかったのだとも思う。我が家からしばらくその話題は消えた。私と弟も早く帰るようになった。

 するとX’masシーズンがやってきた。親父は私と弟に、どんなゲームが欲しいのかを聞いた。私と弟は即答したが、父は、「近くのゲームセンターに行かないのなら買ってやる」とだけ言った。速攻で店に行き、欲しいソフトを二本買ってもらった。一本は『木こりの与作』であり、イノシシや蛇と格闘しながら木を切ってゆくゲームだった。ゲームスタートの時に、「ヘイヘイホー、ヘイヘイホー」という機械音が流れていた。もう一つは父が選んだもので、いくつかのスポーツが入っていたと思う(テニスも卓球も同じルールなのだが)。その晩は、家族の笑い声が絶えなかった。

 ガキだから、私も弟もすぐに次のものに興味が行ってしまう。私は受勲勉強で忙しくなり、弟もクラブの練習が激しくなる。

 ある日曜の、昼過ぎに試験が終わった私は、家に帰り、部屋のドアを開けた。埃をかぶるとまでは言わないが、古くなったゲーム機で、父が一生懸命イノシシと戦っていた。

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歴史紀行

 親父が死んでからというもの、私の体重は徐々に増えていった。体重が増えるに伴って、親父のことやウジウジしたことは考えなくなったので、それはそれでいいのかもしれない。しかし、元に戻ってしまった時はショックだった。さすがに胃を小さくする事とした。

 すると、体重は二日ほどで3Kg落ちた。その代わり一日に1.5食ぐらいしか食べない。お酒は飲むが。

 まあ、その話はいいとして、今日、いつもの友人から電話が鳴った。取り損ねないように居間に置いといたのだが、正解であった。最近行ったのかどうかは知らないが、娘さん二人の日本史の勉強が奈良時代まで進んいるらしい。そして、歴史を追って、奈良に家族で出かけたようだ。法隆寺や東大寺、興福寺などを観てきたらしい。

 こういう勉強法も面白い。ツッコミ忘れたのは、世界史になったらどないすんねん?、ということだった。・・・今、奈良時代だから次は平安時代で、宇治の平等院にでも行くのだろうか。この辺りは百人一首でも覚えておけば十分だと思うのだが。その次の鎌倉時代で鎌倉の町を歩くのなら案内してもいい。その時は遠慮無く言って欲しい。おじゃまでなければ。

 あと、彼の家でも圧力鍋を導入したらしい。「サムゲタンとかが簡単にできるぞ」と言ったら驚いていた。レシピはネットで手に入ることだろう。

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錦帯橋

 錦帯橋と言えば、山口県の岩国にある、ボコボコした橋だ。高校の時の修学旅行でいった記憶がある。ソフトクリームを食べながら、グループの仲間と橋の真ん中ら辺まで歩いた。集合写真も撮った筈だ。僕は何気ない風景として眺めていた。退屈だったのだ。

 十年以上前の記事だったか、この錦帯橋を軽トラで渡ろうとした奴がいたそうだ。軽トラは渡りきれずに、立ち往生したと記憶している。その後、運転手が捕まり、軽犯罪法違反か何かで処分されていた。罰金は、修繕費の数百万だった。・・・ここで私が思うのは、素面でそんな事する奴はいないだろうから、運転手は、多分深酒していたのだと思う。勝負に負けたのか、女に振られたのか、やけっぱちなところがいい。もしくは、「おんしにはできんじゃろう?」と言われて「そいなら、やっちゃるけん」と、みんなの制止を振り切っていった、男の意地を感じるのである。どちらにしろこの事件、粋で痛快である。

 全く話は変わるが、同じような事件が、去年ロシアであった。ロシア軍が行進する中、たった一台の戦車が隊列を外れて、街中に向かった。向かう先は酒屋である。ウオッカを買ったらしいが、バックの時に民家に激突。戦車に被害はなくても、民家の壁は吹き飛んだ。幸い死者がいなくても、とんでもない事件だ。その戦車は飲酒運転だったことになる。車でも厳しいご時世、戦車にやってもらっては困る。

 どちらの事件もマヌケすぎて、笑うぐらいしかないのだが。

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女性の魅力+α

 美人ほど美に執着しないものである。それは、内面が磨かれているからだ。だから、僕は大抵の女性とのおしゃべりは、30分経ったら飽きてしまう。たった一つの小説のことでもいい、割れた茶碗への思い込みでも言い。要は目茶苦茶な論理話にはついてはゆけない。

 僕は、論理なんてあやふやなものだとも考える。不確定性原理などは当たり前のことだ。宇宙論についてもそう。宇宙が膨張しているというハッブルの法則の、赤方偏位に関するグラフを見たことがあるならば、あれはおかしいと気付く。正しいか正しくないかで多くの人の一生を左右する、少なくともあのグラフを見る限り、僕には信憑性のないものに感じる。それでも宇宙は膨張しているんだ!!!と言い張る連中とは話をしない。

 論理が行き過ぎると、論理の固まりになってしまい、某大槻教授のようになってしまう。ああいう人は滑稽だが扱いづらい。

 女性が年月と共に変わってゆくのは必然だと思う。感性も女性の方が男性より優れている。+αは迷っていないで、自分を持つこと。一言で言えば、素直になること。常に八正道を確認しつつ生きれば、明るい人生が送れるでしょう。

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あじさい寺

 私は雨の日が嫌いである。従って、梅雨のこの時季も好まない。しかし、それは夏への蓄えであって、こんな時には、庭のあじさいの花でも眺めている。あじさいの花とは不思議だ。最初白く、段々赤くなったり、青くなったりする。いい試験薬でもとれるのではないか。

 先日TVの天気予報(ここんとこTV見過ぎだな)のついでで、特集をやっていた。北鎌倉の明月院(あじさい寺)からの、夜景の中継だった。それを観た人が訪れるのだろうが、あんな所はロクな庭じゃないから行かない方がいい。あじさいもロクなものではない。鎌倉幕府の元寇の時の七代執権、北条時宗が祀られていると書いてあったが、それもたいしたことはない。何より、あじさい寺の汚いところは、奥の庭を観るのに別料金を取るのだ。しかも、そこもたいした庭ではない。三角形の庭があるだけである。あれでは詩も詠めない。

 昔、漢字の試験で『紫陽花』を何と読むか答えなさい。というテストがあったが、いくら考えても読めなかった。正解は『あじさい』なのであるが、こんなもの知っていなければ読めるはずもない。ましてや理系の私が読めるはずがない。汚い問題だと感じた。

 自律神経失調症の私にとっては、夏がピークである。秋は好きではない、と友人に言ったら、ジョージ・ウィンストンの『Autermun』を貸してくれた。その中の『Longing』という曲が好きになり、何度も何度も聞いた。あじさいもいいけれど、やはり、雨の日は好まない。

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十年一剣

 十代の後半頃から、私は、『自分』という刀を磨こうとして、様々な方との交流を深め、問答し合い、分かち呑み、生涯にまたとない友人を何人も得た。あのころは、悩んでも悩んでもつきることのない謎ばかりが私を覆っていた。拭いようもなく、酒にも溺れた。

 また、自分には目標としている人物がいた。そのための努力は惜しまなかった。通勤電車や、暇なときには本を読み、嫌いな筋トレにもチャレンジした。・・・すぐに止めたが。少しでも彼に近付きたくて、叶うことのない目標として、彼を目指した。しばらくすると、大学中のほとんどが、下らない話しかしていないとも感じた。

 そのうちに、「あいつとあいつは切れ者だ」などという噂が立った。「何を言っているんだあいつらは」などとほっといたら、あこがれる友人から何かを誘われた。たしか誰かの家で鍋をやって、徹夜で討論を繰り返した。もちろん酔っている。やっと本音で語り合える友達が出来た。その交友は広がっている。

 『十年一剣』とは何という故事成語か忘れたが、ある刀を十年研ぎ続けた男の物語である。教訓は忘れたが、私は『自分』を十五年間研ぎ続けてきた。切れ味など見せたくもない、と言うより、人を切りたくない。周りのみんなも切れ者揃いだが、精神的に僕がその刀の研ぎに納得して、鞘に入れたときには、どこから来るのか、涙があふれ出し、激しく嗚咽していた。人は、納得を、自ら受け入れたときに絶望するのだと感じた。おかげで今は、心に一点の(と言えば嘘になるが)曇りもない。のどかである。

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恋の温度

 銭湯に入っているときにひらめいた。『恋は熱すぎても行けない、たちまち火傷してしまう。また、恋は、ぬるすぎてもいけない、風邪を引いてしまう。丁度心地いい温度の距離感が必要』だと友達宅の側の銭湯で悟った。つまらぬ駆け引きはいらぬ。十五年前のことだ。

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七勝八敗でいい

 一日に二通目である。朴訥とした中で、ぼんやり恋愛のことを考えてみた。この場合、誰が観てもおかしな恋愛は除く。結婚適齢期を過ぎてしまった私が(まだぎりぎりセーフ)、いろんな恋をして、感じ取ったものがある。しかし、私たちの十年後の世代は、恋愛をたまごっちと勘違いしている。若い男のファッションや、若い女の口の利き方には、憤りを感じる。そんな奴らには相手にされたくもない。

 私も側頭部に白髪が見えだし、年を取ったとは思うが、気合いでは負ける気がしない。喧嘩をしてもいいのだが、なかなかそうはならない。では何故、負ける気がしないのか?簡単である。彼らには、生気や精神的な根っこが生えていないからである。

 もう、髪の色や様々なことについては言い飽きた。美人がわざわざ茶色く髪を染めるのはもう観たくない。年を取れば、嫌になっても、髪は白くなる。黒い髪が、何故そんなにいけないのか。根拠など無い。ファッションも根拠なんてないだろう。だから私は、女性が眉毛をいじった結果、これからどうするのか楽しみである。

 話を元に戻す。恋愛論だったな。不動の美人(趣のある人)というものは、いつの時代でも不動である。心得が違う。めでたく、そんな人と出会えたら、男は幸せである。しかし、大概は異なる。個性と個性が衝突する。こんな時は、相撲で言うところの七勝八敗で、男が負け越してあげればいいのだ。

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埋蔵金って何だ?

 昨日は故父の月命日で、墓参りに行かなければならず、バタバタしていた。寝汗をかいていたので、シャワーを浴びてから、母と仏壇に向かってお経を唱えた。父が他界してから十ヶ月になるが、私が、般若心経で済ますところを、母は一日も欠かさずに、お経を読んでいる。

 雨か曇りの予報だったが、私と母は晴れ男、晴れ女である。曇り加減ではあったが雨は降らなかった。今回は愛犬の弥七君も(♂・満十一歳・ミニダックス)連れて行った。最後にきつい階段があるのだが、登り切った。花の交換など、一式終わって帰ってきた。母も弥七君も私も、気がつかないうちに寝ていた。

 目覚めると母がTVを観ていたので、ぼんやりしていた。しばらくすると、天気予報とニュースがあり、『霞ヶ関の埋蔵金』がどうのこうのという話題をやっていた。聞いているうちにおかしな思いがした。武田信玄や徳川家康の埋蔵金を探そうとするバラエティとは異なるのだ。それなのに、皆、何も言わない。既成事実として認めている観もある。何故、国民は自分たちの血税を、隠し財産にしたことに腹を立てようとしないのか?誰も、その埋蔵金の本質について語る人がいない。メディアも、そのことについて、報道しようとはしない。そんな金の存在なんて、最近まで、ほとんどの国民が知らなかったはずだ。何でそんなことが何事もなくまかり通るのか、私には解らない。しかもその金が無くなったらどうするのだろう?付け焼き刃的で、その場しのぎの政策ばかり出していては、この国は滅びる。ODAを払いつつ、来る高齢化社会での医療の充実、また、本気で赤字国債を返す気があるならば、消費税をチマチマ上げても、焼け石に水である。しっかりとしたシステムが作れるのなら、消費税50%位に一気に上げて、国庫に余裕が出来た段階で税率を絞ればいい(まあ、これはないだろうが)。しかし、これだけのお金で、福祉も行き届くならば、高齢者のみならず、出生率の増加も見込めると思うのだが。

 埋蔵金という言葉が公認されるのにも納得がいかないが(というより、かっこ悪い)、消費税が、後手に回るようだと日本沈没だ。それを解決させる策は・・・麻生君や鳩山君のような大金持ちが、本気で日本のことを考えるならば、まずは私財を投げうつべきである。

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一回休み

 今日はバタバタしている。blogを書く時間がない。双六で言うところの『一回休み』だ。あしからず。

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サグラダ・ファミリア

 先週、バルセロナの街中からちょっと外れた位置にある広場のユースでの顛末を書いた。今日はその続きを書こうと思う。私は、広場の一角にある店で、ビールを飲みながら、どこに行くかを考えていた。ガイドブックをパラパラめくると、市街地の地図と、観光名所が載っていた。読んでいるうちに気がついた。『そうか、バルセロナといえばガウディしかないだろ』と。しかし、ガウディの造ったものが多すぎて、町中に散らばっている。タクシーに乗る気はないし、サグラダ・ファミリア一本に絞った。

 地下鉄の通っている街路は賑やかだった。体を白く塗っているスタントマンがいたり、大道芸人がいたりで飽きなかった。治安もマドリッドよりいい。市街地の中心に着くと、右に右に歩いた記憶がある。まもなくサグラダ・ファミリアが見えてきて、通りがかりの人に写真を撮ってもらった。そしていざ中へと入る。

 きょろきょろと、いろんなものを見物しているうちに、あの、正面の四本の塔の一つに、(多分左から二番目だったと思うが)登れることが解った。エレベーターもあったが混んでいたので、自分の足で登ることにした。螺旋階段が延々と続く。時折休憩を取ったり、降りてくる人とすれ違ったりしているうちに、塔の真ん中辺の渡り廊下に出ることが出来た。汗だくになっていたので、吹き抜ける風が心地よかった。眺めも良く、やはりそこでも記念撮影。その頃にはビールも抜けていた。

 再び螺旋階段を登っていったが、だんだんと階段の幅が狭くなってきた。どこまで続くんだと息を切らしていたら行き止まり。何やってるんだ、俺、と思いながら下に降りた。ペットボトルの水を買い、教会の裏に回った。見事な石の彫刻のレリーフを観ながら、水を飲んで休憩していた。すると、多分日本人だろう若い女性の二人組がこっちを観ている。話しかけようかとも思ったが、面倒なので止めた。

 それにしても、サグラダ・ファミリア聖堂は、完成までにあと数百年掛かるらしい。私の生きている間に、完成したものを観られないことは残念だが、のんびりした工事というのも趣があってよい。その日はその後、港に行ったが、広いだけで何もなかった。

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仁丹と梅仁丹

 暫く前に、ドラッグストアで仁丹と梅仁丹を仕入れてきた。なかなか減らない。仁丹はなめている間はいいのだが後味が悪い。口の中での溶け具合もイマイチである。そんな仁丹が、何故ドラッグストアに置かれているのを奇妙に重い、箱の裏書きを見てみた。用法;大人一回10錠、一日十回まで。適応症は、気分不快、口臭、二日酔い、めまい、等である。

 適応症について考えると、香りの強い仁丹でカバーするのは解る。二日酔いや、めまいで使ったことはないから解らない。問題は最初の気分不快という部分だ。イライラして調子の悪いときに、仁丹をなめたからといって、解消されるものではなかろう。現に今、私は仁丹をなめきって、口の中には不思議なフレバーが残る中、舌触りが悪く、妙な味覚になっている。口直しに水(焼酎を薄く割ったもの)を飲むのだが、なかなか舌の感覚は治らない。現在仁丹の箱を観ているが、16種の生薬配合と書かれている。舌がしびれている感じだ。

 こんなもの本当に効き目があるのかどうか解らない。

 今、梅仁丹を食べてみた。ずっとなめているのだが、仁丹とでは舌の感じる部分が異なる。酸っぱいので、当たり前のことかもしれないが、梅干しほど酸っぱくもない。これでも、仁丹と効用はほぼ同じなのである。どうせなら、この酸っぱさは,ビタミンCだろうから、そこをもっとアピールした方がいい。梅仁丹は案外おいしいのである。

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一炊の夢

 『一炊の夢』とは、別名で『邯鄲(かんたん・中国の地名)の夢』とも言う。中国の故事成語である。いつの時代のことだか忘れたが、内容は、ある青年が大志を抱いて、科挙(中国の官僚の試験)を受験しようと、都へ旅をする道中での物語に関する教えである。

 場所は邯鄲でのことであろうし、一炊というぐらいだから、短い時間であろう。主人公は旅の道中で(何屋か忘れたが)一服休憩をする。すると老人が近付いてきて、不思議な枕を主人公に渡す。主人公はその枕で眠るのだが、自分の将来についての夢を見る。

 見事科挙に合格し、素敵な家族を設ける。ここまでは幸せなのだが、今度は、同じく官吏となった者達の足の引っ張り合いが始まる。容赦のない策略・策謀によって主人公一家は左遷されてしまう。挙げ句の果てにはお家断絶・・・となったかどうかまでは覚えてはいないが、ひどい仕打ちを受けることになる。

 ここで、主人公が目を覚ます。老人に枕を返すと、この世の儚さに嫌気が差した主人公は、科挙を受けるのを止め、郷里に戻るといったようなストーリーだったと思う。中学一年の時に習ったことなので、多少の間違いはあるかもしれない。

 何故、この話を思い出したかというと、『およげたいやきくん』を思い出したが為である。上の故事成語で見た夢は、たいやきくんの歌詞のようなものだったのではないかと推測する。しかし、たいやきくんは、毎日毎日店のおじさんに焼かれても、売り物として食われてしまうし、海に飛び出しても、最後は釣り人に食われてしまう。たいやきは食べ物だから、たいやきとしての運命を全うするしかないのだが、これは生き物全ては死ぬという儚さであろう。無理矢理まとめてみると、結局、物事全ては、儚いものだ、ということにつきる。

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blog三年目突入

 おかげさまで、このblogも三年目突入となった。読んでくださる方々が励みとなって、ここまで毎日続けてこられた。感謝している。これまでに800件を超えるblogを提供してきたが、最初の方から読み返すのに時間が掛かりすぎ、最近は半年前ぐらいまでしか遡らないことにしている。だから、同じ事を書いているかもしれないが、大目にみて欲しい。blogを始めて、いつもペンとカミを持ち歩く、メモ魔になった。いくらいいことを思いついても、忘れてしまっては意味がないからである。そして人間というものはどんなに優秀な記憶力を持っている人でも忘れる。また、毎日続けることの大切さみたいなものも、blogから教わった。いくら友達との約束だからとはいえ、飽きっぽい自分が継続してこれたのも奇跡に近い。

 blogを始めた最初の八ヶ月はいくらでも書くことがあった。その後半年はスランプに陥った。一番苦しい時期でもあった。旅行に行ったりして、気分転換を図ったりもした。よし、またがんばろう、と気持ちを入れ替えたら、親父ががんで帰らぬ人となった。その間も休まず書いたが、喪失感が大きく、blogを続けるのが苦しかった。しかし、大学時代の友人や、中・高時代の友人が仏壇に線香を上げに来てくれたりして、ものすごく励まされた。次第にblogを書くパワーも復活してきて、今に至る。友人はもちろん、読んでくださる方にも感謝している。

 これからも気合いを入れて、と言いたいところだが、肩の力を抜いて、時々は怠けながらblogを更新していく予定です。読んでくださる方も、気楽に読んでくださいな。どうぞこれからも、よろしくお願い致します。

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トライアスロン

 いつも夜遅めに電話をくれる友人が、昨日は午後の八時頃に電話をくれた。最近、よく話すので、家の中で携帯を持ち歩いている。毎回十五分ほどの会話なのだが、昨日は面白かった。なんでも、来年の宮古島のトライアスロンに出ないかということだった。

 突拍子もない話なので驚いたが、そういえば前々回の『行列の出来る法律相談事務所』で、やっていた。彼がそこから思いついたのかは不明だが、私が、「完走できたら最高の気分転換になるな」と言ったら、「そうなんだよ」との返事で、「今、ライバルを捜しているんだ」とも言うので、私は「俺じゃならねーぞ」と切り返した。

 大体、大学一年(19)の時の『基本体育』以来、ロクに運動もせずに来た私が、今更チャレンジするのには無理がある。水泳は平泳ぎなら何キロでも泳げるが、クロールは30mしか泳げない。自転車はこないだ久々に長距離を漕いだが、十五年以上乗っていない。ランは、歩くのは得意で何日か掛けて500Km以上歩いたことならあるが、走るのは自信がない。

 もちろん、順位は関係ないのだが、何も、苦手なものを三つまとめてやることもない。面白そうだが、体力に自信がない。

 弱気なことばかり書いてきたが、余談までに、トライアスロンは絶対に最初にスイムをしなければならない。高校の時の先輩が、自転車サークルで琵琶湖プチトライアスロンを行ったとき、ランを最初にしてスイムを次にしたところ、水死した。確か、他にも三人ぐらい死んだと聞いた。まあ、宮古島なら死ぬことはないだろうが、過酷なスポーツであることには間違いがない。

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箱根の湯

 いつの頃だったか忘れたが、大学時代のことだと記憶している。免許を取り立ての友人が、兄貴の車を借りて、温泉に行こうと誘ってくれた。車に乗り、危なっかしかったりという思いもしたが、僕は黙って運転の基本などで、実用性があるものを教えてあげた。

 やがて車は箱根旧道を通り、暫くして温泉場に着いた。施設も整ったところだな、というのが第一感であった。当時は入浴料だけで五、六百円くらいだった。風呂に入ると、大人げなく友人と水の掛け合いに興じていた。周りの人の迷惑にならないように遠慮しながら掛け合ってていたのだが、ガキの遊びみたいなのが気に入った。

 その後、彼は防衛大学の幹部候補生として日本全国を駆け巡ることとなる。

 以来、家族で時々行ってていたのだが、親父と一緒に風呂に入るのが喜びとなった。湯上がりに必ず将棋をを差す。ある時、お袋が、女湯にモデルの子がいたよとくれたが教えてくれたが、勝負に夢中になっている私には関係ない。「そう」と言いながら、どこに角を打ち込むかで考えていた。

 結局、それが決め手となって、私は圧勝した。美人というものは、眺めたりない華のごとし。いるだけでいい。私が女性に求めるのは、良妻賢母たることでもある。

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母なる海

 人間を生かしておくのは、ただただ、好奇心と欲なき向上心、それらのみである。

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八の失敗

 ト書き:八兵衛、厠で、一段落を終える。便器の横のボタンに気付く。

 八兵衛「これはなんでござんすかね~。あっしも初めて観るものでやんす」

 ト書き:八兵衛、シャワートイレとは気付かずに、あらゆるボタンを押しまくる。

 八兵衛「試しにこの『ビデ』ってボタンヲ押してみやすか」

 ト書き:八兵衛、ためらいなくボタンを押す。

 八兵衛「あち、あちちち」

 ト書き:思わず、八兵衛立ち上がる。その瞬間に水はトイレ中にばらまかれる。八兵衛、あわてて止めようとするも別のボタンを押したら温水が顔面へ。しかし何とか止めることが出来た。

 八兵衛「なんなんすか、こりゃいったい。けったいなものでやんす。あっしはこれから、拭き掃除でやんす。

 ト書き:厠の掃除は一生懸命、行う八であったが、自分の尻の始末を忘れている。

 八兵衛「あっしとしたことが、うっかりしすぎていたでやんす」

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OK

 OKと言えば、人は、ガッツ石松のOK牧場を思い出すかもしれない。今日は、そっちのギャグの方ではなく、OKと言うスーパーに関しての物語である。

 親類からの情報を得て、そこが安くてうまい肉を販売していると聞いた。母も行って観たがり、昨日は延々と運転していた。カーナビでは解らなかったのだが、近くのガソリンスタンドの店員に聞いてみた。親切に教えてくれたが、お礼を言っただけでガソリンは入れない。また原油相場が動き出したと聞いたが、値上げは困る。

 目的地に着くと、誘導されるがままに車を車庫に入れた。エレベーターを降りてOKに行くと人がごった返していた。私がカートを押し、母が動き回っていた。知らないうちにカートの中の品物が増える。私はお袋に、「もっと観察してからの方がいいんじゃないか」と言ったが、お袋は「安い安い」の一点張り。自分でも観てみたが、近所のスーパーの四割引ぐらいの値段であった。普段、私が愛飲している焼酎も300円ぐらい安かった。しかし、そのスーパーは、いい肉をお手頃価格で、が売りらしい。母も大量に買っていた。そのそばで、「今夜は焼き肉、オッホー」などと私は騒いでいた。

 先程、サッカーを観ながら、焼き肉を食べたが、味は今ひとつであった。肉が固い印象を受けた。『これで上カルビかよ』と思いながら、今の時代、贅沢も言ってられないな、と我に帰り、改めて贅沢していることを感じた。近いうちにまた行くらしいが、少しはゆっくりさせて欲しい。私は人混みが嫌いなのだ。

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お化けコンポ

 ある日、二階の自室に戻ってみると、コンポ本体の電源が付き、カセットテープデッキの蓋が開いていた。あんまり使ってやっていないから、スネたのかとも考えたが、多分故障であろう事は容易に推測が付いた。電源を消しておいても、自動的に立ち上がるのである。

 DVD・CDプレイヤーが入っている、本体が壊れた前回は、保証期間だったので、修理に出した。しかし今回のテープレコーダーは使う機会が少ないので修理に出す気はない。保証が効かないし、時間ももったいない。前にSONYの製品について、「新品のTVが三日でぶっ壊れた」などとボロカスに書いたが、電機製品の寿命が全体的に縮まっている気がする。しかも、温度や湿度の上下差が激しいときに壊れやすい気がする。このところの苛烈な気候変動についていけていない気がする。メーカーは安全率をもっと厳しくすべきである。

 就寝前に、愛犬の弥七君を連れて、二階の自室に入ると、コンポが青く光っており、一瞬ギョッとする。蛍光灯を点けると、テープデッキも開いている。

 初めのうちこそ、不気味だったが、慣れてくるとそうでもない。何だかコンポが自分の意志を持っているようで、おかしい。いつ電源が付くか解らぬ『お化けコンポ』なのだが、現在、不便もしていないので、その存在を認めてあげることにした。情状酌量の余地があるので、執行猶予を付けてあげることにした。できれば、私の眠っている間にこっそりと治っていて欲しいものだが。

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阿修羅展と日本人の美意識

 もう、二日前の事になるが、上野に阿修羅展を見に行った。ネットで調べると、余り行く価値のないような気がしたが、母が行きたいと言うので行った。私は、阿修羅展の情報を、やはりネットから調べていたので、行くのなら早めの時期に行きたかった。

 肝心の阿修羅展、開館の四十分前に並んでも、同じくらい待たされた。たいした価値もなさそうなというか、そういう品々が置かれており、がっかりしながら阿修羅像のコーナーに着いた。人の渦が出来、スリに気をつけながら、遠目に一周した。客増はおばちゃん、おっちゃん、ギャルがほとんどであった。何であんなに阿修羅像に引きつけられるのだろうかと不思議に思った。TVのせいだけではあるまい。

 同じ興福寺の仏像なら、運慶の彫った無奢菩薩立像・世観菩薩立像の方が遙かにいい。私に言わせるなら、阿修羅展など開くよりも、この二体に会いに、奈良を訪れる方がましだ。今回の阿修羅像には、何の感覚も作用しなかった。並ぶだけ無駄であった。四天王像も、奈良なの東大寺の戒壇院のものの方が優れている。

 一言で言えば、極端な話、魅力がなかったわけだし、何で、阿修羅ごときに二時間も待つ人がいるのか不思議だった。というよりも、昔、『雪舟展』や『唐招提寺展』に行った頃は、混んではいても、あれほどではなかった。人々が仏教に関心を持つのはいいことなのだろうが、そこまで深く考えている人がいるのか疑問に思った。これは、僕の美意識が狂ってからだとは思わない。日本人の美意識が狂っているのだ。・・・大体、入館料が高すぎる。一般1500円というわりには、しらけきった内容だった。

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アシュラー

 上野公園の阿修羅像展を観に行って、私も立派な『アシュラー』となってしまった上野の阿修羅展は、期日前からチェックしていたのだが、母が重い腰を上げようとせず、独りで行く気にはなれなかったた。たいした展示でもないし、まあいいかと考えていた。

 ところがである、TVで展示が放映されると、恐ろしい数の方が集まり始めた。母が行きたいと言うので、仕方なく出向いた。9:30開演なのだが、早めに行って、列に並ぶことにした。首都高のP.A.でおむすびを頬張り、用を足してから、ストレッチをして上野公園の下のパーキングに入れた。一時間六百円、これは高い。車を駐めて、会場に向かうと、上野公園は人混みがあふれ帰っていた。この人らがみんな行くのかよ、と考えたらうんざりした。噴水のところでのことである。

 朝一番に行って、40分くらい待たされた、。幸い、母がいたので退屈はしなかったが、待たされた割には、たいしたものが置いていなかったという印象である。美術館と言えば、台湾の故宮、パリのルーブル、NYのメトロポリタン、イスタンブールのトプカプ宮殿、などを制覇してきた私としてはつまらなかった。というよりも、足元にも及ばないのである。日本の仏像文化には素晴らしいものがあるが、やはり、『京都や奈良に行かないと行けないのかなあ』考えさせられられた。阿修羅像の前では人の渦が出来ていて、満員電車のようだった。そこまでして観る価値がないと思った私は、さっさと出て、休憩していた。明日は、何でこんな事になってしまったのかを考察したい。

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水分摂取量

 私は朝、目覚めると、冷えたお茶を2リットルは飲む。酔い覚ましの意味もあるのだが、寝起きに猛烈な枯渇感に襲われるので、ついついがぶ飲みしてしまう。また目覚ましの意味もある。これをやって、しばらくすると、腹具合が悪くなり、ダッシュでトイレに駆け込む。

 このことを主治医に話したら、驚いてらした。そして、「いくらなんでも、2リットルは飲み過ぎだろう」とおっしゃっていたが、私は平然として、「体の中の老廃物やら毒素やらが抜けるから、別に悪いことだとは思いません。多分、健康にもいいんじゃないですか」と切り返した。

 昔、TVの『のど自慢』か何かで、ご高齢の方に鐘が三つ鳴った。歳は確か九十歳を超えてらしたと思う。アナウンサーが、「健康の秘訣は何ですか?」と尋ねたら、そのおじいさんは、「水をたくさん飲むことです」とおっしゃていた。根拠までは解らないが、私も、昔から水分をたくさん採っていたので、『そのおじいさんの言うことにも、何か理由があるのだろうな』と漠然と考えた。

 水分は主に大腸で吸収されるのだが、ある友人から、「そんなに水分採ったら大腸に負荷が掛かりすぎて、よくないぞ」と言われたこともあるのだが、私は、「何を言っているんだ、大腸を洗い流しているんだ」と主張した。果たしてどちらが本当かは解らないが、私は『のど自慢』のじいさんの意見に乗る。・・・こんな事をかいていたら、腹具合が悪くなってきた。しからば御免。

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バルセロナ

 夜行列車でバルセロナに着くと、まだ暁時だった。駅で一杯やって活気づけると、地下鉄に乗ってミッドタウンに来た。余り記憶にないのだが、それを承知してかいてみることにした。

 朝方、私はユースホステルを探していた。探しあぐねた末に、やっと一軒見つかった。チェックインの手続きを済ませ、部屋に移った。そこにはニュージーランド人二人と、どっかの国の奴がいた。どうやら、夕べ泊まった連中らしい。誰かが赤ワインを持ち出し、みんなで飲んでいた。「お前も飲め」というから、「いいの?」と聞いて一瓶開けてしまった。これで彼らと打ち解けられた。次にはタバコらしきものが回ってきた。私はこれを喜んで吸った。歓声が上がる。「これは何だ?」と聞いたら『ハシッシッ』だと言う。麻薬である。・・・俺はラリッってしまうのだろうかと思ったが全然そんな幻覚などは出てこない。部屋の連中とも打ち解けあったが、彼らはその日が最後だった。ニュージーランドの連中はフランスの地図をくれ、「シーツが汚いから何とかした方がいいよ」とまで教えてくれた。片手のハイタッチで別れると、街のどこを観ようか、ガイドブックを読んでいた。しばらくして、新しい客がやってきた。

 グループで旅行していたらしいのだが、私がいるために、独りだけあぶれてしまった奴がいた。みんなはワイワイ騒いでいたが、そいつは僕に交渉してきた。一言で言えば部屋を交換してくれということなのだが、憐れに思い、快諾した。荷物を纏めて部屋を引っ越した。

 その後、そいつからマルボロ一箱をお礼にもらった。何気ないことなのだが、こういう事も旅の楽しみである。

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難しい

 一昨日、母と大げんかをしたと書いた。この収まりが付かなくて、昨日は面倒な思いをした。起きてからすぐ、母に文句を言ったら、罵声を浴びせられた。頭に来て、二階の自室に戻ろうかとも考えたが、父のいる仏間へと足が向かった。そこで暫く、ウーロン茶を飲んでいた。霊前にて手を合わせ、父の笑っている写真を見ると、怒っていることが馬鹿馬鹿しくなった。

 きっと父が生きていたら、「母は女だから感情的になる。それをまともに相手にするのは馬鹿だ」と言っていたであろう。今回の件は明らかに母が悪いのだが、親父がそういっていたのを思い出し、私から頭を下げた。謝罪もした。そうすると、母も機嫌を直し、いろいろと話すようになった。しかし謝罪しようとはしなかった。

 私は、そんな小さな事、相手もせずに仏壇で父に手を合わせた。

 思えば、私と母が喧嘩になったら、故父がいつ止めに入ってくれた。喧嘩のパターンとしては、初めはどうでもいいことから始まる。次第にエスカレートしていって、怒鳴りあうのがオチであった。頭に血が上った母の怒り方には感情的であり、論理的なことを言うと、感情論で無茶苦茶にしていた。父はそんな母をいつも叱っていた。それにしても、父亡き今、喧嘩の収集の付け方にも嫌気が差してきた。母は決して自分から謝るような人ではないのだ。これだけでも厄介な処遇だと感じる。我慢して謝るしかないのだから。

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