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厳頭の句

 少し前の話になるが、数十年ぶりに華厳の滝から身投げした奴がいると聞いた。滝そのものは美しいのだが、自殺の名所でもある。その防止のために、フェンスで覆い、夜間パトロールも行われていると聞いた。身投げした奴は、よっぽど死にたかったのだろう。

 華厳の滝からの身投げと言えば、藤村操を思い出す。滝上部の木に辞世を書いて身投げした。この時の辞世を厳頭の句という。確か藤村は、将来を嘱望された優秀な学生だったはずだ。一説には失恋からとも言われるが、動機は完全には解明されていない。

 ネットで藤村の辞世を調べてみると、『万有の真相は唯一言にしてつくす、臼く”不可解”(厳頭の感)  始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。

 頭がよすぎたのか、当たり前のことである。万有の真実が解らなくて不可解であるというのは当たり前ではないか。万有の真相が解らないから、人類の存続意義があるのだ。また、後半部の、始めて(←初めてじゃないのか?)知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを、の部分もやはり当たり前でもある。東洋思想でよく出てくる、万物はコインの裏表に過ぎないという視点から考えると、コインに失望しても仕方がない。、人間らしくない厳頭の句からは、合理主義者であっただろう事と、幼さしか感じられない。

 厳頭の句などと言えば聞こえはいいが、ただの若輩者のノイローゼである。自殺などろくでもないことだから止めた方がいい。逆境の時は、次に自分が浮かんでくるときまで、じっとしていることだ。必ずそういうチャンスはやってくるものなのだから。

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