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2009年5月

腹立ち煮えくりかえる

 母と口論になったのだが、母が男なら殴り飛ばしているところである。・・・世の中には言っていいことと、悪いことがある・・・母が感情的になったら言いたい放題なのである。そこをこらえるのが男なのだが、家を出て行きたいと思って、飲みに行ったことは何度もある。

 もう、疲れている。寝るとするか。

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思いやり

 昨日も弟の次男が来たのだが、水疱瘡は大分よくなっていた。相変わらずのハイテンションに、寝不足気味の私は、眠りこそしないまでも、途中までボーッとしていた。母と私で相手をしてやっている間に、あっという間に時は過ぎ、弟のかみさんが迎えに来た。次男坊は野菜(特に生野菜)が好きらしく、母は冷しゃぶを用意してくれた。次男坊は喜んで食べていたが、肉は食べなかった。これに対し、長男坊は肉が好物なのである。今日は長男坊の話を書く。

 長男坊は現在、小学校の四年生だが、幼稚園生のころ、『おじいちゃん、おばあちゃんとふれあう会』というのに私の両親も参加した。母は長男坊の所へ、故父は、誰も来てくれなかった園児達のグループに入ったそうである。園児達から「好きな食べ物はなんですか?」と聞かれた故父は、「お肉」と応えた。すると、そのグループの園児達は、「豚肉?」「豚肉?」と聞いてきたそうである。その他いろんなイベントがあって、閉会したのだが、誰も来てくれなかった園児達は、よっぽど嬉しかったのか、両親が帰るときに、みんなで「じいじ、バイバイ!!」といつまでも手を振ってくれたそうである。この一件以来、母は、長男坊の故父を見る目が変わったという。

 また、長男坊が小学校の低学年の頃、友達に、「トイレに行くから待ってて」と言ったところ、友達が先に帰ってしまったことがあったらしい。このことを家に帰ってきて弟のかみさんに告げると、弟のかみさんは、さりげなく、「きっと聞こえなかったんだよ」とフォローしたらしい。偶然、私の母が居合わせていて、感心したそうである。

 ちょっとした心配りや思いやりが、如何に大切なことか。

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こうしてはおけぬ

 今日も弟の次男がやってくる。気を引き締めないと。でも今日も二時間睡眠、起きてはいるけれど、大方の部分はお袋に任せよう。あのパワーにはなかなか付いてはゆけない。ふぁ~ああ(欠伸)。

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ガキパワー恐るべし

 昨日の午前中、弟の次男がやってきた。今年から幼稚園の年少であるが、よく喋るようになっていたのには驚いた。一昨日の晩は三時間しか眠れなかったので、弟の次男のテンションの高さについて行けるか心配だった。DSのマリオカートとおやつを持ってきていたが、いきなりマリオカートで勝負を挑まれた。昔、スーパーファミコンでさんざんやったものの、全然勝つ自信はなかった。しかし相手はまだ、三歳である。私の連戦連勝となったのだが、弟の次男は、自分が勝つまでいくらでもやろうとする。最後は緩めてわざと負けてあげた。

 私が疲れたら、お袋の出番である。トランプをバラバラにしては集めることが思いの外、面白かったらしく、お菓子を食べながらいつまでもお袋とやっていた。そして、母は、数の数え方を教えてあげていた。家で用意したお菓子が気に入ったらしく、いくらでも食べていたが、半分は弟の長男に持って帰らせてあげた。

 一時頃、弟のカミさんが引き取りにやってきたので、みんなで昼食を食べて、しばらく話していた。おふくろが定額給付金で、現在、旬である漢字検定のDSのソフトをプレゼントしていた。これは現在の所、弟の長男用のものであるが、私が少しやってみたら、判定は準一級だった。私が、このことをよ~く聞かせてから、弟の長男の闘争心をあおってくれ、と頼んだ。弟のかみさんは「解りました」と笑って言い、母にお礼を言っていた。他にも面白く学べる算数の本等を渡してお別れとなった。弟の次男は最後まで元気だったが、私と母は疲れ切っていた。ガキパワー恐るべし。でも、いい触れあいになった。

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水疱瘡

 弟の次男が水疱瘡にかかったので、面倒をみて欲しいと言われたのは一昨日である。うちの家族は、全員かかっているので、免疫が出来ている。母が快諾していた。今日の朝の7:30頃やってくるらしい。私はまだ寝ているかもしれないが、かわいがってやりたい。

 弟の次男はまだ幼稚園に入ったばかりである。物心ついたばかりのようだが、人間、案外その頃の記憶は忘れないものだ。昼から弟が迎えに来る予定だが、午前中はひとりぼっちである。泣くか泣かないかにも興味があるが、意地悪く観るのはよそう。

 おたふくや、はしか、水疱瘡には子供のうちになっておけ、とよく言う。大人になってから掛かっててしまうと、後遺症がひどいのだそうだ。自分は小学校の二年生ぐらいの時に水疱瘡になり、一週間くらい学校を休んだが、その痒さには参ってしまった。寝ているうちに、かいてしまって、かさぶたをはがしてしまうのである。

 また、水疱瘡のかさぶたは、はがしてしまうと、一生涯、後に残るのだ。私も右後頭部のかさぶたを剥がしてしまったばっかりに、ちょっとしたハゲ目が出来てしまった。そのことを教えてあげながら、相手をしてあげようかとも思う。弟の次男は野菜好きで、母は筑前煮を作ると張り切っていた。渋い好みである。

 さて本日、どんな一日が舞っているのだろうか?

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いじめとの対峙

 男子校という所は、あっさりしているところもあるが、案外、陰湿な面もある。私が中三の時だったか、体育の授業の後で、背は高いが、ひょろ長い感じで、気の弱そうなやつが、クラスメイト数人に、殴られこそしないものの、いびられていた。私は、「やめろ」と言い、「数人がかりで恥ずかしくないのか」と言った。するとそいつらは、つまらなそうな顔をして退散していった。他のクラスメイトは『我関せず』で、観て見ぬふりをしていたが、この無関心さにも腹が立った。そういう姿勢でいることが、いじめを助長させるのである。私はそいつに、「お前の方がタッパがあるんだから、しっかりしろよ」と言って教室に戻った。

 数日後、体育の授業が終わると、また同じメンバーがいじめている。しかも、今度は本気ではないが、足で蹴っていた。私は腹が立ったし、『これ以上ほっておくと、どんどんエスカレートするな』と感じたので、近寄っていって、「おまえら、止めろと言ったのが解んねーのか!!」と怒鳴った。私の怒声が大きかったからか、そいつらは気合い負けして去っていった。そいつらも、馬鹿ではないから、自分たちが悪いことをしている、と自覚していたのだ。すると、いじめられていた奴が、ぼそっと、「お前、怖くはないのか?」と聞いてきた。私は、「怖いよ」と言って、そいつと一緒に教室に向かった。

 幸い、私がいじめられることも無く、そいつも、いじめられることはなくなった。そして次の年の正月には、そいつから年賀状が届いた。

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父の辞世の句

 私の父は、神戸出身である。去年死んだが、一昨年に短歌を残している。

『ちぬの浦 鏡にせりて 燃ゆる月  松に上りて 我もゆきたし』

 というものだった。父は神戸の六甲山から大阪湾に『燃ゆる月』が映えているのが忘れられなかったのだろう。子供心にワクワクしているのが伝わってくる。詩は下手であるが、月にあこがれる一人の少年の夢が伝わってくる。だから父は言っていた。アポロ何号かが月面着陸したとき、「ドキドキはしたが、しらけもした」と。

 僕も、月を観るのがが好きで、天文学者になりたかったが、しかし、受験を経験するごとにそれが狭き門だと気付かされ、エンジンに夢中になっていた頃に僕はあきらめた。そんな中で、主に東洋思想を中心として、哲学から宇宙を攻めてみるのも面白いと感じた。月にはゆけなくとも、何で男は月に母性を感じるのかなどは楽しかった。そう、男は月に母性をかんじるもなのである。私なぞは、赤い満月を何分観ていても飽きない。

 だから、天文学からのアプロ-チがうまくいかない方は、哲学からのアプローチを勧める。あらゆるお経に母性を感じるようになったら勝ちである。なぜなら、少なくとも観音菩薩あるいは阿弥陀如来のパワーをもらっているからである性科学の話をしてもよいが、それはまたの機会に。

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酔って候

 昨日は潰れるまでで飲んだ。焼酎を延々と飲み続けた。今日もそうしたい気分だったが、お袋の「体を壊すから止めておきなさい」の一言で我に返った。昨日は一時過ぎ頃に寝たらしいのだが、今朝の五時には起きていた。お袋は、最後まで話に付き合ってくれたそうだ。私が、「今日は潰れるまで飲む」と宣言し、「たまにはそういうこともあるでしょう」と言って、黙ってお袋は僕の話を聞いてくれた。もやもやした気持ちの私には大変ありがたかった。では何故そんなに私は飲んだのか?

 詩が書きたかったのである。しらふで書けるほど、私は成熟してはいない。しかも恋愛詩しか書かない。十編ほど書いたが、どれも駄作だった。その中でも、しこりのないやつを、昨日のblogに載せた。相も変わらず、後で読んで後悔するというたぐいのものだった。私が詩人なら、もっと光を放つものを書きたい。

 ベロベロに酔った私は、母が観守る中で、現代風の連歌遊びをした。私が一筆したためて、母に問う。母は私に詩で応える。そして、今度は私に問いかける。同様に、私が応え、再び母に問いかける。お袋はしらふである。私が哲学を問う中、お袋は暮らしで応えた。嫌になって三十分くらいで破り捨てた。でも、お袋に、詩の才能があるのは驚きと共に不思議だった。

 誰が誰より偉いだの、誰が誰よりどうだのと言っている暇があるのか(一部改・宮沢賢治)

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『祈り』

 人には誰にでも

『祈り』をしたくなるときがある

「どうか神様、救ってあげてくださいと」

 神は誰にでも試練を与えるし、

許すときが来ます。

「決してあなたを見捨てはしません」と。

 そんな時、

私には何にもしてあげることができない。

励ますことも出来ない。

自分の無力を感じる。

ただ、『祈る』だけ。

 長い人生で、たった一つだけ解ったことがある。

それは、

人には『祈る』ことしかないという

事実だ。

 どうか、峠を乗り越えて、

再び微笑んで欲しい。

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マスク売り切れ

 現在、私の住む地域での薬局ではマスクが手に入らない。売り切れっぱなしである。こんかいのインフルエンザレベルでは、移されても別にかまわないが、もし、私がなってしまった際には、マスクをしなければ、皆さんに迷惑を掛けるので、マスクは手に入れたい。

 親父が入院していたときの末期もそうだった。マスクをつけ、消毒液で手を消毒してから部屋に入っていた。しかし、実は、私はマスクが大嫌いである。何より、しゃべりにくいし、眼鏡を掛けていると、呼吸中にレンズが曇ってくるのである。イライラしてつい外してしまう。

 現在の最新型のマスクでも、この弱点は補えないのかと思うが。・・・みんな我慢しながら日々の暮らしの中で生きているのだ・・・震えるような心持ちで、毎日を家族のためにbetして、何にも言わずに、時々の仲間内との気晴らしでわらうのだ・・・彼らも苦しいのだ。

 ところで、マスクが売り切れることは、神戸で感染者が出たときに、すぐに読まなければならなかった。甘すぎる対応であった。もしも戦争下なら、誰も助けてはくれない。

 なにはともあれ、一区切り付くまでは、人混みには行く気にはならない。ディープキスでのみ、伝染るのなら、何でもないのだが、空気感染というところが面倒だ。次の冬辺りに爆発的に流行すると思うので、それまでにワクチンを打って、マスクを常備する予定だ。

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水風船落とし

 小学校の3・4年生の時に、クラスメイトで、ホリ君という友達と仲良くなった。彼の家族はシンガポールに、親父さんの仕事の都合で行っていたことがあるとのことだった。また彼は昆虫好きで、一緒に虫取り編みを持って山に行ったりしていた。弟もよく同行していた。

 そんなある祭日のこと、両親と私と弟とで、歩いてピクニックに行くことになったので、ホリ君を誘ってあげた。当日、ホリ君の家に迎えに行ってもなかなか出てこない。彼は謝りながら、食パンを食べて出てきた。なんでも、おばさんではなく、自分で食事も弁当もこしらえたそうである。「ホリ君、えらいわね」と母が感心していた。

 数時間後、目的地に着くと、ござを敷いて、みんなで昼食を採ることになった。ホリ君が持ってきたのは、いびつな形をしたおにぎり三個だけだった。具が入っているのかも怪しかった。母はござの真ん中に、作ってきた弁当を広げ、「一緒に食べましょう」と、ホリ君に勧めた。ホリ君は、初めこそ遠慮していたものの、いろんな話をしているうちに、「おいしい、おいしい」と言って食べていた。持って行った弁当はあっという間に無くなった。しばらくして家路についてホリ君ともお別れしたが、母が、「あの子、よっぽど苦労しているのね」と呟いた。

 ホリ君との遊びは数知れないが、悪いこともよくやった。水風船を何個か公園の山の上に持ってゆき、下を通る人に投げまくったこともある。一度、同い年くらいの奴が文句をいいに来たが、ホリ君は「何か文句あるのか!!」と怒鳴って、殴りかかっていた。余りの逆ギレに、相手がひるんでいた。今となっては、いい思い出である。

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厳頭の句

 少し前の話になるが、数十年ぶりに華厳の滝から身投げした奴がいると聞いた。滝そのものは美しいのだが、自殺の名所でもある。その防止のために、フェンスで覆い、夜間パトロールも行われていると聞いた。身投げした奴は、よっぽど死にたかったのだろう。

 華厳の滝からの身投げと言えば、藤村操を思い出す。滝上部の木に辞世を書いて身投げした。この時の辞世を厳頭の句という。確か藤村は、将来を嘱望された優秀な学生だったはずだ。一説には失恋からとも言われるが、動機は完全には解明されていない。

 ネットで藤村の辞世を調べてみると、『万有の真相は唯一言にしてつくす、臼く”不可解”(厳頭の感)  始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。

 頭がよすぎたのか、当たり前のことである。万有の真実が解らなくて不可解であるというのは当たり前ではないか。万有の真相が解らないから、人類の存続意義があるのだ。また、後半部の、始めて(←初めてじゃないのか?)知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを、の部分もやはり当たり前でもある。東洋思想でよく出てくる、万物はコインの裏表に過ぎないという視点から考えると、コインに失望しても仕方がない。、人間らしくない厳頭の句からは、合理主義者であっただろう事と、幼さしか感じられない。

 厳頭の句などと言えば聞こえはいいが、ただの若輩者のノイローゼである。自殺などろくでもないことだから止めた方がいい。逆境の時は、次に自分が浮かんでくるときまで、じっとしていることだ。必ずそういうチャンスはやってくるものなのだから。

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「これは三角錐とは呼びません」

 小学校六年の時の担任はひどかった。Lvの低い子を底上げして、クラスを底上げしようと考えていたのである。一見、響きはいいが、これは、私にとって、強烈な退屈感をもたらした。日本史などもやってはいたが、私の方が詳しいので、ノートは取らなかった。退屈で馬鹿馬鹿しい授業をひたすら続ける担任だった。全て私の方が詳しかったので、まともに聞いたことは一度もなかった。私もガキだったので生意気な態度を取っていたのかもしれないが、下位層の底上げをしたばかりに、上位層は退屈で仕方がなかった。

 これは現在でも深刻な問題なのかもしれない。学力上位層にあわせると、付いてこれない子が出てくる。かといって下位層に合わせると、上位層は退屈である。私は、人間社会というものが単純に上位、下位に区切られるものではないと考えるが、指摘した点は教育の重要な問題点でもある。

 ある時、算数の授業で立体図形の話が出た。私は聞いてはいたが、その中で三角錐の定義がおかしいと感じた。画用紙で模型を作り、頂点が底面からずれた三角錐を提示した。するとその教師は、「いいですか、みなさん。こういうものは三角錐とは呼びません」と、みんなの前で語った。そんな中で、私がその三角錐の模型を『ちょん』とやっただけで頂点は底面積の中に属した。つまりそれは三角錐であったのに、三角錐ではないと断言されたが、実は三角錐であったのである。担任は目して語らず、次の項に進んだ。みんなに嘘を教えておいて、それもないだろと思った。解っている奴じゃないと駄目なんだ。

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しけ

 昨日の海はしけ模様。セリに行ったはいいが、魚がいない。これでは寿司のネタがない。やむなく休業。

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「警察に連絡します」 その2

 「警察に連絡します」と言ったそいつは、パトカーが来るまでベッドに寝そべってTVを観ていた。私は玄関のところで正座して待っていた。まもなく警官数名が入ってきた。私が事のあらましを告げ、しかも、そいつから受け取ったメールを迷惑メールだと言い切った。内容は暗く、私に、「助けてください」というようなメールばかりだった。それらを警官に見せ、「心配だからやって来た」と告げた。

 私の言い分も少しは通ったみたいだが、二人して署に連行されることになった。飲んでいたので私はパトカーで行った。その間、おとなしくしていたが、『あの馬鹿は、姉貴との二人兄弟で、兄弟喧嘩一つやったことがないのだろうな』と推測していた。その点、我が家などは、ガタイがほぼ変わらない弟と、高校生くらいまで、殴り合いをしていた。弟も私も差し入って武術の経験はないが、弟は相当喧嘩も強く、強敵だった。TVのチャンネル権ぐらいで殴り合ったこともある。

 警察署に着くと、それぞれが別の部屋に行き、事情聴取が始まった。私は厳しい尋問を覚悟していたが、相手をしてくれた方は最初からソフトな対応だった。そして、途中から世間話となり、私が冗談を飛ばすと笑ってらした。一方で後輩は、迷惑メールを送らないという誓約書を書かされていた。幸い前科は付かなかった。

 帰り際に、「お忙しいところ、こんな夜遅くに申し訳ありませんでした」と言うと、「あのな、法治国家じゃ、いくら頭に来ても手を出したら負けなんだよ」とおっしゃったので、「今後気をつけます」と言って、帰りのパトカーに乗り込んだ。結局、警察を呼んで誓約書を書いた後輩の方が馬鹿を見ていた。私は後輩のアパートに戻り、警察官が見守る中で貴重品を回収した。当然車中泊である。

 田舎の警察で、人当たりもよく、大目にみてくれて助かった。後日友人にこの話をすると、「自分の問題を自分で解決できない奴は駄目だ」と言っていたし、親父も、「そんな奴相手にする方が馬鹿や」と言っていた。お袋にも、「あんたもお人好しだねえ」と言われ、自分が相手してやったことに呆れていた。あれから迷惑メールは来なくなたが、そいつとの縁が切れて清々している。

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「警察に電話します」 その1

 数年前、旅の途中で、大学の研究室時代の後輩の所に寄った。正午前くらいだったが、そいつは寝ていて、起きようとはしなかった。「パチンコにでもいったら」と言われ、相変らずタメ口を聞く駄目な奴だと思ったが、疲れているのだろうとも思い、アパートの裏にあるパチンコ屋に行った。最初こそ負けてはいたものの、台を代えるごとに大当たりが連続し、最終的には、数万勝った。途中で後輩が来たものの、一万ぐらい負けていた。私は数万買った代償として、六時間ぐらい待たされた。勝ったからいいものの、負けていたらと思うとゾッとする。

 その後、晩飯に、ラーメンをおごってやり、本屋に寄ったのだが、いつまで経っても、後輩はサッカーの雑誌を読んでいる。しびれを切らした私は、「いいかげんにしろ」と言ったのだが、「僕は自己中心的な性格ですから」と言って、相変らず読んでいた。「おまえ、置いていくぞ」と言ったら渋々付いてきた。次にコンビニに寄り、私が、「すぐに戻るから待ってろ」と言って、ビールを何本か買って車に戻ると、車の中には誰もいない。どこに行ったんだと思って辺りを見回すと、コンビニの雑誌コーナーで立ち読みしている。どうしようもない奴だと思ったので、無理矢理連れてきた。そしてそいつのアパートに戻った。

 すると今度は、部屋の真ん中のベッドに寝そべって、片隅にあるTVに見入り始めた。下らないバラエティ番組を、いつまでも観ている。私が話しかけても生返事ばかりで、どうでもいいという態度を取りだした。私が、「お前のことが心配で、折角来たのにそれはないんじゃないのか。俺は車で寝るぞ」と言ったら、「そうすれば」とTVを観ながら応えたので、さすがの私もぶち切れた。そいつの背中を蹴っ飛ばし、振り向きざまに右ストレートを入れてやった。そして、「男ならかかってこんかい!!」と言って喧嘩を売った。するとそいつが取った行動は、「警察に電話します」と言って、電話を掛けた。私は、こんな馬鹿がいるのかと思うと同時に、如何に警察に対応しようか考えていた。

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マドリッドの街

 十数年前のヨーロッパの旅は、ポルトガルのリスボンから始まった。夜行列車に乗り、スペインの首都であるマドリッドに着いた。車内ではアナウンスも流れず、何にもないのに、よく目が覚めたことだと思う。人間、ここぞというときには、体内時計が働くのだなと妙に感心した。駅で米ドルから当時のスペインの通貨であるペセタに両替し、駅前の地図に従って、ダウンタウンまで二時間ぐらい掛けて歩いた。その日に二度もスリに狙われるとは知らずに。たしか当時のペセタは、日本円と対してレートが余り変わらなかった記憶がある。

 ダウンタウンに着いたら、女性が二人でフラメンコを踊る仕草をした。胸に赤い花を差されもしたので、チップをあげようかと財布を出した瞬間にふんだくられた。幸い財布は戻ってきたのだが、宿で宿泊費を払う段になって、お札がスられていた事に気がついた。

 仕方がないので銀行に行き、両替しなおしたのであるが、この三万ペセタは大きかった。食費を削り、飢えていた。公園の鳩を焼き鳥にして食べようかとも考えた。ゴヤ美術館では寝そべっていた。別の美術館ではピカソのゲルニカという途方もなく大きな絵を観た。これが、あの、ゲルニカかと思うと感動した。眼鏡を掛けていなかったが、充分解るほどの大きさだった。・・・その後、宿へと帰る路で誰かに足を蹴られた。振り返ると小男が謝っている。腹に違和感を感じたので、向き直ると大男が私のウエストポーチを開けようとしていた。「HEY!」と大声を出したら逃げていったが、一日に二度もスリに遭うとは思わなかった。どうやら、ウエストポーチをしていたのは、当時、日本人だけだったらしい。皆さんもお気をつけて。

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妄想癖と集中力

 以前にも書いたが、私はガキの頃から、妄想癖があった。妄想に集中してしまうのである。他の人が何か話していても、一旦集中してしまえば、何も聞こえなくなる。これは私の悪い癖なのだが、今更、治りそうもない。以下に昔の失敗談を挙げる。

 小学校の一年生の時、「入学記念のクラス写真を撮るから正装してくるように」と担任に言われたが、私はこれを聞いていなかった。だから、当然、普段の服で行った。私以外にも正装してこなかった奴もいたが、しましま模様の服を着て行ったので、断然私が目立ってしまった。だから相当馬鹿にされた思い出がある。悔しかったので、始業式の時に正装していったら、みんな普段の格好であった。私はもっと馬鹿にされて、「社長」というあだ名をつけられてしまった。あだ名自体はいいのだが、由来が由来だけに、私はマヌケなミスを繰り返したことになる。

 幼稚園の時にも、話を聞いていないが為のミスをしたことがある。遠足の前の日に、担任から、「明日は遠足だから、弁当を持ってくるように」と言われたにもかかわらず、私は普段の格好で行った。バスに乗る前に、弁当を持ってきていない旨を先生に告げると、驚かれたが、昼食の時、ご自分の弁当を分けてくださった。

 いずれも話を聞いていないが為のミスなのだが、今でも何かに集中してしまうと、返事をしないことがある。治したい悪癖であるが、のめり込んでしまうのである。これは長所でもあるが、短所でもある。特に、人に迷惑を掛けないように気をつけねばならない。

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親友からの電話

 昨日も含めて数日前から電話をくれている友人がいる。最近は、自室ではなく、下の居間のテーブルでTVを消して勉強しているが為に、音が聞こえないのだ。だから、何回も電話をくれたのに、とれなくて悪いと思っている。しかも最近は疲れ切ってしまったときには、居間の座椅子で寝てしまう。昨日もそうだった。これをやると体がビシビシになる。今日は肩が凝っている。簡単な話、携帯電話を帯同すればいいのだが、ついつい忘れてしまう。「かけ直せばいいじゃないか」という方もいるだろうが、彼は目茶苦茶忙しいのである。かけ直すこともあるが、大体タイミングがずれてしまう。

 みんな働き盛りで、連絡はメールで取ることが多い。メールで用件を言ったら、あっという間にリプライがくる。忙しい友人ほど、メールのリプライが早い気がする。コンピューター嫌いの私なぞは一日に三回メールボックスを観ればいい方である。一日一回の日すらある。

 電話をくれた友人は、親孝行でもある。去年、両親や親類、家族でハワイの自然を楽しんだそうである。次はマチュピチュにでも両親と家族を連れて行きたいと言っていた。親が生きているうちに孝行するのは大切なことだと思う。私も、せっかく定額給付金が入ったことだし、土日で晴れた日があったら、お袋に五色沼にでも行かないかと誘ったが、故親父との旅行の思い出がたくさんあって、そういう気分には、まだなれないと言っていた。行けるようになったときのために、お金は貯金しておこう。ところで友人は何に使ったのだろう?今度、聞いてみよう。

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男ならば

 故親父が入院していた病院に、少し話しかけづらそうな看護師の方がいた。なので、私は一度も自分から話しかけたことはなかった。しかし、腕はよく親父は相当信頼していたみたいだ。他の看護師が、うまく血を採れないときも、その方がやると一発で採取できた。

 プライベートの付き合いはない。と言うより相手はもう、おばちゃんである。でも、看護師としてはプロ中のプロだった。私は気がつかなかったのだが、父の臨終の日に手首に数珠を巻いていたらしい。ありがたきことこの上ない。考えてみれば、看護師というのも辛い職業であろう。その方は何人の師を見届けたのだろうか。その後、皆に送られながら、霊安室に入ることもなく、斎場へと向かった。

 友引の日を避けるために、親父は冷蔵庫みたいなところに入ったが、その時が一番辛かった。親父は、仏のような顔をしていた。僕はお経を唱えて、救われた気がしたが、中には涙ぐんでいる人もいた。

 お通夜と葬式では、結構、賑やかだった。この時、僕は心に決めていることがあった。男ならば親父の死に目でも泣いてはならないということだった。逆に、泣いている人をフォローしてあげなければならないと感じていた。出棺の際、弟の奥さんは泣いていた。弟も涙ぐんでいた。お袋は七日七晩、ほぼ完徹だったが泣きはしなかった。その代わり、没後半年は親父の夢ばかり見ていたという。私が寝ているときに、親父の遺骨の前で大泣きしたという。私もドキュメンタリーなどでの死に別れのシーンを観ると、泣くことが多い。

 人との死に別れは、あの世で会えると言うけれど、それにしても、辛いものだ。父は六道の天に行った。天人となたのだ、キリスト教風の懺悔で許されるなら、いくらでもしたい。しかしそれでも、失われた命というものは帰っては来ないのだ。厳しさを感じる。

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母の日

 前回のblogのことは反省している。一日経てば、少しは怒りも収まるかと思ったが、決してそんなことはなかった。身内のことなので明言は避けるが、必ず天罰が下ると思う。どちらにしろ、読者の方に不愉快な思いをさせたことを、悔いている、謹んでお詫びをする。

 ところで、昨日が母の日と気がついたのは一昨日のことである。弟は家庭を持ってマンション暮らし、父はもういない。私と母でつつしまやかに暮らしている。そんなお袋に何かあげたかった。

 焼酎が10%の割引の日ということもあって、お袋と買い出しに出かけた。スーパーに寄り、酒屋へ行ってから、帰りにホームセンターに寄った。ホームセンターでは軒先で花を売っている。切り花のカーネーションを購入してから、2Lで168円のレモン水ともう少し高めのレモン水を買った。若い頃なら、一日にウイスキーをボトル一本開けていたが、最近は焼酎に炭酸とレモン水を入れて飲んでいる。ビールぐらいのアルコール度数だ。リンゴ水で割ってた頃もあったが、カロリーが高いので止めた。

 で、車に戻って母にカーネーションを渡すと、ものすごく喜んでくれた。買った甲斐があった。自宅に戻ると、母は故父の仏壇に飾ってくれた。ありがたいことである。

 いつも父の日とか母の日を忘れていた私は、『こんなに喜んでくれるなら、もっと早くからやっていたらよかったのにな』と感じた。

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怒り

 現在、あることで目茶苦茶に腹が立っている。寝られそうにない。内容についてはもちろん内緒である。

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男兄弟と婚期

 先日の高校時代の飲みでは、私ともう一人以外は既婚者であった。もう、小学生になろうかという子供さんがいる。うらやましいなと思う反面で、まだまだ俺はこれからという思いも湧いてきた。みんなの結婚式に出席したし、みんなが独身の頃によく遊んだ。

 飲み会の参加メンバーをよく見てみると男しかいない。大学時代の場合もそうだ。そんな中で、もしかすると、男兄弟で、男子校に通っていた奴ほど婚期が遅いのではないかと感じた。データ解析してみてもその傾向は顕著である。多分女心が解らないからだろう。ここに、男兄弟の場合で男子校出身者の不婚率の碑を掲げる。

 私の場合は、いささか事情が異なる。大学一年の時は異性としゃべれなかった。これは何とかせねばならぬと、飲み会という名の合コンを繰り返した。百回はしていないが、五十回以上、顔出しした。そこで見いだしたのは、モテる奴というのは容姿ではなくて、いかに相手を引きつけるかというキャラクターだと思った。自分でそれが発揮出来だしたときに、僕は参加するのを辞めた。本当にいい女など合コンには来ないからである。もちろんそれまでの女とも関係を持ったこともないし、電話を掛けたこともない。社交辞令上電話番号を聞くことはあ在ったが、掛けたことはない。これって失な事なのだろうか?

 合コンについてはいくらでも書けるが、封印しておく。別にやましい事もない。僕は肉体関係を求めていたのではなく、単に女性と普通に話がしたかっただけだからだ。解れば解るほど退屈になるだけだった。コンプレックスは解消されたのだが、嫌な思いで帰ることも多かった。大体、男子校出身の奴はワガママである。それを手の上で踊らせるぐらいの器量がなければ、女性は務まらない。バトルである、と言っても男が折れるしかないのだが、その後の対応の仕方で女が決まる。狭い心を持った女性というのは魅力がないのだ。

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思い出話が多すぎる

 雨が降る中、友人達をた待った。私は待ち合わせ時間の十分前には、いる奴である。腹が痛くなったので、近くのパチンコ屋の便所を借り、集合場所へと戻った。まだ五分ある。と、横を見たら知り合いの顔が。ヘッドホンを取って、「おっす」から会話は始まった。

 まもなく一人が来て合流。店へと移動した。そこは安く、うまい店だった。後から合流するメンバーも考えて、控えめにビールだけを飲む。映画の『レッド・クリフ』と三国志の話に夢中になっていたら、一人が合流、続いてもう一人が合流。改めて乾杯となった。

 そんな中で、いろんな話をするうちに、時々僕のblogを読んでくれている友人に感想を聞くと、「思い出話が多すぎる」とツッこまれた。これは、私のblogにとってはかなり痛いツッこみだった。「前を向こうよ」と言われたが、思い出話なくしては、このblogは続かない。かと言って、いつも斬新なアイデアが湧くわけでもない。

 もやもやした気分だったが、友達の家系で腎臓が弱いとのことで話題が変わる。通風から一通り勉強した私は、尿酸値を下げろとアドバイスし、必要なら整形外科医と相談して、ユリノームなりアロチームなりを処方してもらった方がいいと言った。この歳になると、尿酸値が気になり出すのだ。みんな「おつかれビール」の後は焼酎を飲んでいた。みんながみんな、プリン体恐怖症になるのも、通風を経験した私には解る。主治医に聞くと、尿路結石、痛風ともう一つが激しい痛みを伴う病気だと言っていた。

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BABY IN CAR

 車を運転していると、信号待ちなどで、当然、前の車の後ろに並ぶ。するとそこには黄色と黒のステッカーで「BABY IN CAR」と書かれている場合がある。そこからは、親の愛情をくみ取ることが出来るのだが、もし僕が親になっても張らないと思う。ステッカーから読み取れるのは、『子供がいるので急ブレーキを踏むこともあります。注意してください』というメッセージだが、どうもしっくりと来ない。

 しかも文法も怪しい気がする。「BABY IN CAR」の「IN」と「CAR」の間がしっくり来ないのだ。「BABY IN THIS CAR(この車には子供がいます)」とか、「BABY IN OUR CAR(同上)」とか「BABY IN MY CAR(同上)」なら納得が行くのだが、

 そもそも、あのステッカーは、いつ頃から見かけるようになったのだろう。四、五年前からだと思う。幼児をチャイルドシートに乗せるのが義務づけられた頃からだと思う。最初は真の用途が解らなかく、「自分で気をつければええやろ」くらいにしか考えていなかった。

 昨日、友人と話した際も、この話題をふってはみたが、誰も明確な説明が出来なかった。私の頭の中では未だに混乱している。

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カードゲーム

 昨日は雨がひどかったので、最寄り駅前のデパートまで、お袋を送迎した。買い物にも同行したが、手巻き寿司とのことで、余裕で一万円を突破したのには驚いた。まあ、半年に一度の贅沢なのだが。刺身のツマを買い忘れたので、弟夫妻に依頼した。

 みんながそろうと、「いただきます」から始まり、みんな好きなものを食べていた。私は夜の飲み会もあったので控えめに食べる。うちの弟の長男は、もう小学校の四年生になるらしいが、野球のリトルリーグのギャプテン兼ピッチャーをやっている。将来の夢はプロ野球選手になることだそうだ。好きな選手は松坂らしいのだが、海を渡ってメジャーリーガーになる気は今のところないらしい。

 食事が終わったら、次男坊とお袋が遊び、弟と長男坊で、なにやらカードゲームを始めた。行き場をなくした弟のかみさんと私とで、DSのパズルをやっていた。迷路の最長距離を書けとかいうもので、これが結構ややこしい。別の問題はすんなり解けたが。

 と、横を見ると長男坊と弟が真剣にカードゲームを熱くなっている。大人がのめり込むくらいに複雑には出来てはいないと思うのだが、強いカードがある方が阿東的に有利らしい。宝くじを買う金があるのなら、プレゼントしてあげたいとも思ったけれど、子供の遊びは一過性である。何でもかんでも与えていいというものでもないところが難しい。僕はそれを観ながら、もめ事が起こった際の、相撲でいうところの行事みたいな事をやっていた。

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買い出し

 今日は昼から弟の家族がやってくる。手巻き寿司をする予定だが、これから買い出しに行かなければ。そして夜は高校時代の友人達との飲み会。詳しい話はまた書く予定だが、何も同じ日じゃなくてもいいのになあ。

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単位慣れ

 一、十、百、千、万、十万、百万、千万、一億、十億、百億、千億、一兆・・・と続くのが日本式の数の数え方である。ポイントは四桁ごとに単位が変わることであろうか。これに対し、欧米などでは、K(キロ)、M(メガ),G(ギガ)、T(テラ)・・・と三桁ごとに単位が変わる。変換の面倒なところではあるが、仕方がない。

 この不景気に、アメリカ政府や日本政府が、数十兆円規模の公的資金の融資を一般企業に下すなどといったことも、もはや日常茶飯事になってしまった。数字に麻痺してしまって、もはや、危機意識さえ芽生えない。しかしこれらは全て我々の税金であり、後にツケが回ってくるのも、我々国民に対してである。こないだ飲んだときに、「俺は年金を払っていない」と堂々と主張する友人がいた。それがまかり通るのだから怖い。

 一方の、K(キロ)とかM(メガ)とかG(ギガ)とかT(テラ)とかは、よくパソコンのハードディスクの容量などで使われる。こないだ家電量販店を観ていたら、2Tbのものがあった。これは2兆b(バイト)であることと代わりがない。私がパソコンを本格的に導入しだした頃は、同じ値段で100Mb位だったので驚く。

 思うのは、数字ばかりがでかくなってゆき、どちらも現実的感覚を伴わないということである。あまりに何もかもが膨れあがりすぎて、無感覚のままに物事が進むことを危惧している。数兆円規模のばらまきをやるという政府などは絶対に信頼しない。

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中・高時代の集まり

 中高時代の友達からメールが入っていた。5/6に集まろうよ、とのことだった。私は快諾したはいいものの、現実的には明後日である。まあ、連休の最後なので、長引くことはないだろうが、その日には弟の家族もやってくる予定なので、少し戸惑った。弟夫婦は時間にルーズな面があるので、そんなに長くははなせないだろう。って、こういう日に限って手巻き寿司などという贅沢をするのだ。

 基本的に僕は時間にルーズな奴は信用しない。当たり前のことだが、人の時間を粗末にしている気がしてならないのだ。『時は金なり』『時は金よりも重し』などという中で時間にルーズな輩というのは、駄目である。そんな中で弟夫妻を許すのは、普段、時間に縛られすぎているが為である。弟の子供に『おっちゃん』といわれるのに8も慣れたし、何よりも子供は無垢なのがいい。

 それにしても、普段は暇なのに、同じ日に二件も依頼が来てしまった。どちらも中途半端にするわけにはいかないので、高校時代の友人との約束を優先的に考えている。ちなみに、弟の長男がちびっこリーグのチームのキャプテンを務めることになったというので、島田洋七の、がばいばあちゃんを真似て、私とお袋で五千円をお祝いに送ったことがある。でも、チームは連戦連敗らしい。

 何はともあれ、弟の家族と、飲み会が重なってしまったのは哀しい・・・っていつも元気でいないとな。

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結婚式での思い出

 昨日、七月に結婚式を開く友人から招待状が届いた。住所と名前に、お祝いのコメントを添えて、ポストに投函した。都心で行われるので、早めに行かなければならない。披露宴の他に結婚式にも参加する。多分、チャペルで歌を歌うことになるのだろう。

 今まで、結婚式の披露宴やお祝いのパーティーなどでは、かなりの確率でマイクが回ってきた。何事もなかったのは一度だけである。その中でも、一番緊張したのが、友人代表の挨拶である。粗相を出来ないことと、大勢の人前で話すのが、ものすごいプレッシャーだった。一度などは、話している途中で、次にしゃべることが頭から吹っ飛んだ事もある。何とかアドリブで切り抜けたが、冷や汗をかいた。他にもトリにマイクが回ってきたり、大ホールで、新郎新婦に質問するためのくじ引きで、最初に私が質問することになったりと、必ず何らかに関わってきた。なので今回の結婚式では、新郎に当たる友人に、「何でもやるけど、その場合は前もって教えてくれ」と頼んだ。

 他にもパーティーなどでは、音楽を担当することがあった。全部洋楽でかためたが、歯の空気を読むのが大変だった記憶がある。場面ごとに使う曲を決めてはいたが、困ったのが、ビンゴのための曲であった。普段、チャラい曲は聞かないので、これだけは友人に選んでもらった。パーティー後の評判はよかったので、出来には満足している。この時も、司会の友人から、「盛り上がるか盛り上がらないかは、音楽で決まる」とプレッシャーを掛けられた。友人も満足したからなのだろうが、後日、知らない奴の音楽係を頼まれたが、さすがに断った記憶がある。

 まあ、いかんせん明るい披露宴が最高だし、今度の友人の結婚式や披露宴がそうなることを望む。

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もし、私が女に生まれていたら

 私の故父も母も、私のすることについては、かなり寛容であった。門限なぞ無かったし、車に布団を積んでいきなり旅に出るとか、友人宅に泊まるときも、何にも言われなかった。ただ、その代わり、いきなり宿泊する際には、必ず家に電話一本入れていた。父母が心配するので、これだけは守った。

 こないだ母と話したときに、「もし、俺が女に生まれていても、これだけ自由にさせてくれていたかい?」と聞いたら、「許すわけないでしょ」と即答。なんでも、女だったら、門限ありで外泊禁止、そして家事を全部たたき込む予定だったらしい。これはたまらない。私は男に生まれてきてよかったと、つくづく感じた。箱入りはたまらない。

 大体、育児休暇を男も取るべきだという女の主張は矛盾している。半年も仕事から離れていたら、二度とついて行けない業界だってある。そうなったら出世など望めない。それでいて高収入じゃなきゃ嫌だ、などというのはワガママ以外の何者でもない。そして、小遣いは二万などといったら、外にも飲みに行けない。男としては居場所がなくなる。これではやってゆけない。

 私個人としては、気分転換に家事などすることも好きだ。しかし、あくまでも気分転換にである。

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高校講座への幻滅

 昨日も昼間中寝ていた。風邪のためにである。十二時頃目覚め、TVを点けて今日のblogのネタを探していた。すると教育TVで高校講座で物理と数学をやっていた。ここで、また私は幻滅することになる。物理の方ではガリレオを扱っていて、ピサの斜塔で行ったという有名な物体落下の法則の実験を実験していた。それだけで講義終了。開いた口がふさがらなかった。確かに実験というものは大切なものだが、それだけではどうしようもない。つまり、実際の大学受験には役立たないものなのだ。

 その後の、数学もひどかった。某秋山君が講師をしていたが、%の説明から入ったのには驚いた。そんなの小学生でも知っている。それから利率の話に入り、単利と複利でどう違うかについて述べていた。これも中学生レベルの話だ。授業の最後の方では、借金の返し方まで教えており、モラルに反するとも感じた。

 一言で言って、レベルが低すぎて視聴者をナメ手いるとしか考えられなかった。あんな程度の大学生が増えてもらっては困るのである。と言うより、あんな講座で勉強している者は大学に入れるはずがない。ならば即刻、廃止すべきだ。エネルギーの無駄である。

 とにかく今晩の高校講座には失望した。某秋山君などは、現在でこそ教授であるが、元々は予備校の講師である。ロクに解っていない浪人生相手に、ちょっとした数学の知識で、成り上がった者である。数学科の友人に聞くと、数学界では上手くやってこれなかったとか。NHKには数学に限らず、大卒を唸らせるような番組を作って欲しい。今日観た番組の二つとも、オチの見えている漫才みたいで、時間の無駄であった。

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