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2009年4月

風邪のぶり返し

 もう治った、という思いの風邪が、ぶり返してきている。思考能力ゼロ。長くて重だるい状態が続いている。今日なぞは、昼間、十時間ぐらい寝てしまった。だからこんな時間にblogを書いている。

 そういえば、私より十歳くらい年下の、母方の従弟が結婚すると聞いた。おめでたいことなのだが、なんだか悔しい気もする。大学時代の同期だったそうである。披露宴はやらないらしい。そうして、どういうわけか、母方の祖母が、私が結婚するまでは、生魚を断つという願を掛けたらしい。別に食べてもらってもかまわないのだが、次々と家族や親類が亡くなる側で、誰かにいてもらいたいという気持ちもある。

 しかし、願を掛けてもロクな事はない。なぜならば、願というのは欲望の固まりであり、欲望が行き過ぎると、運が悪くなるようにこの世界は出来ている。逆もしかり。

 私の母も大好きなもの(お茶、梅干し、こんにゃく)を断って、親父と私と弟に願を掛けた。三つともロクな結果が出なかったが、どうも私はこんにゃくらしく、願は、私が東大へ行くこと、だったらしい。こんなにばかげた願も無いのだが、おふくろは東大がどんなところか解っていなかったらしい。あんなにギスギスした世界では嫌気がさしてしまう。全員が全員選ばれた存在だと思い違いをしている。もちろん中には優秀な人材もいるのだろうが。

 お袋が願を掛けるのをやめて、好きなものを食べている姿を見ると、心が落ち着く。そして今度は祖母からプレッシャーを掛けられたのではたまらない。

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桃李成蹊

 もう十年以上前の事になるが、ある友人と親しくなり、お互いに忙しかったので、メールで自己紹介文を書いたことがある。男同士だったこともあり、馬鹿馬鹿しい事も書いたが、互いの座右の銘はなかなか面白かった。当時の私は、『本当』について悩んでおり、これを突破する座右の銘として、『一意専心』(一つの物事に集中しきる大切さ)と書いた。現在のNHKの、朝の連ドラに出てくる居間に、この言葉が掲げられていることには笑ってしまったが、大切な人生訓であることに相違はない。私はこの言葉を故升田幸三九段の本で知った。朝の連ドラなど観ている暇がない私でも、この相似点は面白かった。

 一方の友人の座右の銘は『桃李成蹊』(本当においしい桃や李は、自分から動き回らないでも自然と人が寄って来て、自然と道が出来る)であった。これは、彼が成蹊高校出身ということも絡むのだが、なかなか味があっていい言葉だと思う。語源は、人の徳を重んじる感があることから、多分、中国辺りであろう。

 また、『桃李成蹊』という言葉からは、芥川龍之介の『侏儒の言葉』の一説を思い出す。芥川が、かなり病んでいた頃の作品だが、『桃李成蹊』の送りがなについて述べていた。それは、「桃李言わざれども、下、自ずから路を成す」はいい言葉であるが、実際は、「桃李言わざれば、下、自ずから路を成す」であると主張していた。微妙な違いであるが、なかなか面白い。漢文の送り仮名なぞ、自8分の好きなように解釈していいと知った一冊でもある。しかし、僕は、芥川の晩年の作品を若い人が読むのには反対である。哀しすぎるのだ。

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風邪は治ったけれど

 風邪は治ったけれど、ずいぶんと冷える。風邪は治り際が大切だというので、ゆっくりと寝ておく。

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不思議なメモ魔

 二次会で言った店の場所はもう覚えていない。店に入ると、外人のバーテンが二人いた。客は僕ら以外に、男一人女一人、あと外人一人だった。いずれも深い関係ではなさそうだったので、気軽に話しかけた。すると、カラオケで英語の歌を歌いまくっていた奴が、僕に近寄り、名前を聞いてきたので応えた。彼はメモしていた。

 最初、僕はこの男のことを従業員だと思っていた。そして、知り合った外人と、カウンターでホテカルについて話していた。「あそこで出てくる歌詞の『beast』は、最初聞いたときは熊か何かだと思ったけれど、違う、上手く言えないけれど、実はもっと深いんだ」という話をしていた。左隣の外人は一人で来ていて、話題にも乗れず、寂しそうだったので、こういう話を振った。「昔友人の結婚式の二次会で、音楽担当の時、危うくstonesの『satisfuction(満足)』をかけそうになったよ」と話したら、笑ってくれたので、僕は、「あれ歌詞をよく聴いたら『I can’t get no satisfuction(納得がいかない)』なんんだよね」と言ったら、その人は『satisfuction』をカラオケで歌ってくれた。そうこうしていると、私の名前をメモした奴が話を振ってきた。「おれは従業員やない。客なんやで」と聞いてびっくりした。「じゃあ、何でメモなんか取ったんだ?」と聞くと、彼は、「そこが自分と他の奴との違いなんや」と誇らしげに語った。

 今度はそいつと哲学的な会話することになったのだが、ひょんな事から、「俳句のわびとかさびとかの本当の意味をわかっとらへんやろ」と聞いてきたので、「じゃあ、わび、さび、きわみ等は、どういう意味なんだ?」と尋ねた。すると彼は、「ええか、『わび』ちゅうのはお詫びのことなんや、『さび』ちゅうのは寂しいのさびなんや」と解説してくれた。『きわみ』についての返答はなかったが、かまわず僕は、「へぇ~凄いな。俺は『わび』っていうのは、侘しさから来ているんだと思っていたよ」とフォローすると、他のネタも披露してくれて、「わし、みんなから坊主って言われてんやで」と誇らしげに、自分の物知りぶりを語った。話していると面白い奴だったが、話に深みがなかった。でも面白い出会いだった。まもなく店が閉店になり、タクシーで帰ったが、この自称『坊主』、忘れられない。

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右脳と左脳

 昔、『左利き天才説』なるものを考えたことがある。ジミヘン、ダビンチ、ポールマッカートニー、A..セナなどは、皆、左利きだった。また、みんな、常人ではないほどの才能を表していた。彼らは右脳が普通の人よりも発達しているからだ、と私は考えた。

 一方で、『左利き凡才説』なるものも考えた。これは、左利きでも右脳が発達しているわけではなく、相対的に左脳が小さいために、通常の右脳を使うが故に左利きになったという意見である。

 まあ、どちらでもいいのだが、昔、オーストラリアから来た、左利きの外人と話したとき、日本に比べて、オーストラリアは、左利きの人の割合が高いことを知った。たしか、人口の5%位が左利きだと聞いたことがある。余談までに言っておくと、その外人さんと盛り上がって、終電を逃した記憶がある。確か英会話教室の先生だったはずだ。最初に行ったレストランで、隣の席に、英会話学校のスタッフをつれて飲んでいた。独りで食事をしていた私は、聞きたくなくても、自然と隣の英会話の内容がわかる。旅先だったのと二人がプライベートな関係でないことを確認した私は、思い切って話題の一部を質問してみた。女の方に「日本で、英語を忘れないためにはどうしたらいいでしょう?」と。二人はびっくりしていたが、優しく僕のことを受け入れてくれた。会話も盛り上がり、、二人のお邪魔にならないことを確認した僕は、二次会で、外人さんがやっているPUBに同行した。神戸での話である。(つづく)

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左目で読む

 相変わらず体調が優れないのだが、それを言い訳にして休んでばかりもいられない」。だから昨日は、無理して八時間ぐらい勉強していた。と、その途中で自分のある癖に気がついた。書物を読むときに、右目を閉じて左目だけで読んでいるのである。確かに私の視力は左目の方が若干ではあるが、悪いのである。

 いつ頃からこうなったのかは覚えてはいないが、集中すればするほど、この傾向は強くなる。将棋盤と向き合っていたときもそうだった。

 よく、右脳はひらめき脳で、左脳は記憶などを司る脳だと言われる。誤解の無いように言うと、人間の神経は脳のところで入れ替わるから、本を左目で読むと言うことは、右脳を使っていることになる。不思議なのは暗記科目なのに何で右脳を使うのかということである。

 手でも、左利き右利きという様に、人それぞれで違う。それは目でも当てはまる。昔、友人の家で音楽を聴いていたとき、最初のメロディのところは、目が左を向いていて、歌が入ると目が右を向いたそうである。友人は、「わかりやすくていい」、と言ってくれたが、私は心を読まれているようで落ち着かなかった。まあ、親友だから何があっても平気なのだが。その後、友人とは、右脳を如何に使うかということで盛り上がった記憶がある。右脳と左脳の関係についてはまた触れたいのだが、今日のところはここまでにしておきますか。

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声が森進一状態

 風邪で体調が優れない。昨日は十八時間ぐらい寝ていた。今回の風邪は、思だるい状況が長期間続く。喉の痛みから始まり、ひどいときには声が森進一状態となる。胃腸に病原菌が行ったためか、腹も下しがちである。風邪とはいえ、なかなか侮れない。

 そういえば我が家は、愛犬の弥七君も母も現在風邪を引いている。誰が感染源かという話は馬鹿馬鹿しいのでしないが、弥七君である可能性が強い。一番早くに、くしゃみを連発したからだ。次には母が体調を壊し、私が風邪を引いた。毎晩、愛犬の弥七君が私のベッドで寝ているのも大きいかもしれない。でも憎めないのである。

 弥七君の名付け親は私であるし、草原で風を浴びながら走ってくる弥七君のかわいらしさはこの上ない。ただ、弥七君は物欲が強いのか、フリスビーを投げても、素直には戻ってこない。これは多分、我が家で初めて犬を飼ったせいもあり、躾の問題なのかもしれない。

 そんなこんなで、風邪の話を書くつもりが、愛犬の弥七君の話になってしまったが、起きてから約一時間、私の頭はさえない。そろそろ資格の勉強の続きでもやりたいのだが、体が許してくれるか解らない。・・・それにしても最近は学問らしいことをやっていない。優雅に平家物語の研究などしていない。家には夏目漱石の全集と小林秀雄の全集があるが、のんびりと読む時間が無くなった。。時間の使い方をもう少し工夫せねばなるまい。

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早く治さねば

 喉に違和感を覚えて、目が覚める。体がだるい。体温を測る。平熱であった。それまで頭に入ったことが抜け落ちていくイメージだ。しかし、昨日、問題を解いてみると、抜け落ちてはいなかった。

 そういえば7/11は友人の披露宴だった。何曜日なのかはまだ知らない。ただ、相手が一歳上で、自分からプロポーズしたと聞いた。おめでたいことなのだが、現在の私に思考力はない。

 「いつでもいいよと」言って五千円貸している友人もいた。多分G.W.頃に来てくれるのではないか。本当にいつでもいいのだが、彼と呑むのを楽しみにしている。去年は年末に親父の仏前で、冥福を拝んでくれ、感謝している。気ままに来て欲しいが、彼も家族のことで大変だろう。小学生以来の付き合いでもある。

 空も明るくなってきた。もう春なんだよな。

 友人の披露宴の相手が優しい人であることを望む(彼も一昨年に親父さんを亡くしているから)。友人が来てくれることを望む(昔、一番私の部屋に飲みに来てくれたから)。何よりも、私自身が風邪を早く治さねば。

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だるい~

 現在闘病中8。

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風邪を引いちまった

 昨日の朝食を食べた後に、耐えきれない腹痛がやってきた。食あたりかとも考えたのだが、食あたりならば吐き気がするはずである。朝食が原因でないことは確かだった。次に考えたのが、胃潰瘍にでもなったのかという判断だった。寝ていても、ズキズキとした痛みが消えることなく、午後から病院へ行くことにした。

 三十分ほど待って、名前が呼ばれた。喉の痛みもあったので、その旨を告げると、丁寧に診察してくださった。喉を観て、聴診器をあてられた後に、ベッドに寝転んで触診。最後には超音波で内臓を調べてくださった。その結果、風邪の菌がおなかの方へと行っている事が原因なのが解った。炭水化物しか食べてはいけない、と言われたのだがなかなか炭水化物のみの食事で、満足する方法は難しい。胃に激痛が走る中、スーパーに置いてあるを観てみると、冷凍食品のたこ焼きがあった。私は『これだ!』と思って家に買って帰った。でもよく考えてみると、卵とたこが入っているから、素直に、おかゆとか、うどんとかにしておいた方がよかったのかもしれない。

 先程、抗生物質を飲んだので、一気に寝て治してしまいたい。まだ胃痛がするので、早く治さなければならない。先生によると全治三日とのこと。あー体がけだるい。それにしても何で年に二度は風邪にかかるのだろう。とっとと治して、前の生活リズムに戻したい。

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ごきげんblog

 二年弱、blogを毎日続けてみて、自分の文章の性質が変わったと感じることが多い。これまでは、カタい文体だったものが、砕けた文体になったと感じている。文体と同時に、フィクションの入れ方も工夫するようになった。その一方でblogとは文字数が限られているために、情景描写とか心理描写、伏線の敷きかたなどは、へたになった可能性がある。blogも毎日続けることに意義があるのだろうし、また、ネタがないときの苦しさというのも、毎日書かなければ解らないものだ。ネタがないときは、膨大なネタ帳を観ても、話が膨らまないことが多い。そんなときは、徒然なるままにキーボードを叩き、今回のようにダラダラとしたblogを打つ。いわゆる『ごきげんblog』である。

 文章が上手くなりたいなら、文章を毎日書くことの大切さをblogを通じて知った。そういう意味で,私にblogを勧めてくれた友人達には感謝している。ネタがないときにいかにしてネタをひねり出すか、ということも勉強になる。ネタがすんなり出てくるときは、三十分もかからずに終わるのだが、無いときは数時間悩む。これも修行だ。

 それにしても、blogをやっている方がこんなに多いとは、驚きでもある。有名人などはみんなやっているのではないか。私が毎日チェックするblogは五つ位だが、中には毎日複数のblogを書いてらっしゃる方のものには必ず目を通す。さてと、これから他のblogをチェックしに行こうかな。

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ハッタリ使い

 人に嘘をつかれたらショックなように、ハッタリを言う奴も面倒である。ハッタリは半ば嘘で、メッキに過ぎない。ひどいハッタリを言う奴は、大嘘付きだが、本物の前に出たらメッキがはげる。渡世上、やむを得ないハッタリもあるが、常套化した奴はたちが悪い。

 かわいいハッタリなら、ジョークとして受け止められる。現に私の大学時代にブラフ(ハッタリ)マンと言われていた奴もいた。しかし、そいつと付き合ってみると、ハッタリなんか言わない。周りのみんなが、からかって言っていることに気付いた。彼とは現在も親交がある。

 たちの悪いハッタリとは、負けず嫌いなハッタリで嘘をつくことである。私が気付くのが遅かったせいもあるが、某大学物理科の奴と、私と私の大学時代数理科だった友人とで、一度鍋をしたことがある。お互いに質問を三つずつ交わした際に、某大学物理科の奴が何もしていなかったことを知った。そいつは、「相対論なんか余裕ですよ」とまで言い切っていたにもかかわらず、何一つ調べてこなかったことを、卒論のせいにした。私が激怒して、「時間は誰にとっても貴重な物だ。解らないなら素直に謝れ」と言ってもそいつは言い訳ばかりしていた。私はぶち切れて、「おまえの言っていることなんかハッタリの固まりじゃねーか。いいから帰れ」とまで言った。私が思ったのは、『こいつはこれから先もハッタリでしか生きてはゆけないだろうし、詐欺師にするならいいかもしれないな』ということである。人間があるべき本来の姿は『本当』に悩み、苦しみながら生きてゆくことだと思うのだが。如何に?

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totoBIG

 最近、ちょこちょこtotoBIGを買っている。何せ当たったら6億円というのがでかい。一回で十口程度買うのだが、それで3000円の出費も痛い。3000円あったら、タバコが10箱買えるからである。いっつも『ハズレ』のハンコを押されるのだが、悔しくて、また買ってしまう。

 私の作法としては、宝くじ券を、いつも猫の彫刻の下に置く。招き猫効果を期待してのことだ。万が一6億円当たったなら、半分は母に渡すと思う。苦労せずに得た金など自分の人生を狂わせるだけである。もう何人も金で人格が変わった人間をみてきたので、嫌になる。幸い、私の友人にはそういう輩はいないが、金の使い方とは難しい。金を稼ぐのも大変だけど、いいお金の使い方というのは、もっと難しいと思う。

 けれど、貧乏人は皮算用してしまう。当たったら、あれも買って、これも買って、などという風な具合にである。もし当たるのなら、私は世界中を飛び回りたい。サッカーの中田選手のような「自分探しの旅」とは趣が違うが(僕は自分探しは終わったから)、そういう旅は、何とも言えない魅力を感じる。

 まあ、もう若くはないんだし、地道にお金を貯めてゆきたい。先輩からは、鷹が鳶を生んだなどとからかわれたが、JUST MY PACE & GOING MY WAYでやっていきたい。故親父からは、おまえはバックボーンがしっかりしているから、数百万人に一人の男と言われたこともある。まあ、本音かどうかは怪しいが。

 仮にそうだとしても、地球上には60億人がいる。自分以上の力を備えた奴が、それだけそろっているということだ。武者震いがする。

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旅と一万円

 私が大学生頃のことだったと思う。バスに乗ると、後ろの席の高校生らしき男の二人組が座って話をしていた。片方が、「俺、こないだ旅に出たい、とお袋に言ったんだ」とつぶやくと相方も「うんうん」と応えている。すると、旅に出たいといった方が、「そしたら一万円もらった」と言っていた。相方も、「うんうん」と頷いていた。

 この話を聞いた瞬間に、子供を旅立たせる親の気持ちが解った。一万円ではそれほど遠くまでは行けないが、他人の飯を食う辛さと、日頃、世話になっている両親への感謝の気持ちが生じるのだ。

 今はあるか知らないが、中央線で新宿を0:01発の電車があった。高校二年の時に、友達に誘われるがままに旅に出た。青春18切符を使ってのことである。ちなみに、青春18切符とは、18歳以下でも使える。ただし、鈍行列車と快速電車にしか使えない、というルールだった。他にも、高三の春休みに独りで伊勢神宮まで行ったこともある。その時は宿賃が無く、次の日には返っていた。

 旅と言えば、Y.H.などでの、様々な人との交流が楽しみでもある。そんな中で、かつてお世話になった浜名湖のY.H.が閉鎖と聞いてショックを受けた。現在、主としてユースを使っている人は団塊の世代の方々だという。若者よ、もっと旅に出ろ。

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たまごっちも駄目だ

 昨日は昼から晴れてくれたので、車で、母と、父の墓参りに行ってきた。行き帰りの車の中では、現在、私が目標としている資格のCDを聞いていた。大方解ったことは、テキストを三回繰り返し読んで、過去問を解きまくれば、取れる資格だということだった。

 試験まで半年あるのだが、時間をもてあましそうである。並行して別の資格の勉強でも初めてやろうかと思ったが、とりあえず今日のところは自重しておいた。車を車庫に入れ、家に入ると、数日前に、私が送った質問状の返答が来ていた。しかし、いくら読んでも解らない。

 そんな折、友人からの電話が鳴った。質問状の旨を告げると、友人は笑いながら、「当たり前じゃねーかそんなの。解ってねー奴が、解らない奴に説明しているんだから」と言っていた。これには私も笑った。

 その後も友人との会話は続いたのだが、二人いる娘さんにはネット禁止で携帯も持たせないとのこと。理由は、物事の分別も付かないうちからそんな物を与えたら、ロクな人間にならないとのことだった。その点は僕も同感である。そして、放任主義はよくないという意見で一致した。「でも、今時、携帯を持っていないっていうのもかわいそうだから、『たまごっち』位ならいいんじゃねーか?」と提案してみたら、友人は、「駄目だ。あれ、死んだらリセットできるだろ」と言った。私は、「確かにな。人生にリセットボタンなんて無いもんな」と応えた。

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月命日

 今日で父上の八ヶ月目の月命日である。墓参りに行きたいが、現在、雨がしとしとと降っている。多分、雨が上がった日にでも、母上と行くことになるのだろう。それにしてもずいぶんと時が経った。遅いようで早くもあり、早いようで遅くもあった。母とはお互いに励まし合いながら生きてきた。現在、母の心も大分安定してきた。

 母の心が安定するとは、父の生き様であるなり死を受け入れることが出来たということでもある。しかし母の夢の中には亡き父上がしょっちゅう出てくるらしい。私の夢の枕元には父が出てくることは、ほとんど無い。夢であえるなら、酒でも酌み交わしたい気分だ。

 母に言わせると、父は亡くなる数時間ぐらい前に、30分位天井を見上げていたそうである。在りし日の思い出が頭の中をよぎったのだろうか。目をつむった瞬間に私が処置室の戸を開けて入ってきたので、もう一度目を開けたそうである。その日、私は、興奮からか二時間しか眠れず、急いで病院に行き、そのおかげで臨終に間に合った。弟夫妻もぎりぎり間に合った。私が父の左手を握り、弟が父の右手を握っている中で、父の心臓は停止した。後から親戚のおばさんも来てくださったが、不思議なことに、普段は涙もろい僕が泣かなかった。

 人とは不思議な物で、ある一定現の哀しみも、度を過ぎると涙を忘れるらしい。自分のことより、不眠不休で看病したお袋の方が心配だった。父には男の死に様を教わった気がする。

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ネタがない

 ネタを探しているうちに、寝た。あしからず。

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閉校式

 私たちが第一期生だった小学校の閉校式が去年、もよされたらしい。その情報をつかんだのは近所の床屋からである。床屋に行くと、まずそのことを聞いた。そして、作文集が出されるというので、私も一筆書いてみようかと思った。とはいえ、自分で自分が嫌になるくらいの嫌味な意識を、小学生当時は持っていた。

 そんな俺に書く資格はないとは思ったと同時に、当時の、何も考えていなかった、私の悪行がよみがえってきた。当時を考えるに、自分のワガママに謝罪したい。私は決して悪人ではなかったが、時折、トゲのあるような行為をした。重ねてお詫びしたい。私は公立中学へと進学しなかったので、みんなのその後は知らないのだ。

 中・高と、時が経るごとに、私は成熟していたと思う。言い切れる自信はないが、言い切ってもいいくらい悩み通した。自分のこと、肉親のこと、血縁関係、友達づきあい、異性関係などで悩み尽くした。当時の僕は勉強では悩まなかった。と言うよりも、先に出たいろんな問題をクリアすれば、勉強なぞ自由な気がした。

 当時の校長先生から、閉校式で流すビデオのコメントを依頼したいと言われたが、断った記憶がある。嫌で断ったではなく、ビデオを観てもいないのに、コメントを書くことが不可能だと感じたからだ。・・・現在、その小学校は介護施設なっているいると聞いている。

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イスタンブールの街 その2

 イスタンブールと言えば、旧市街と新市街に川で別れるのだが、私はどちらにいたか未だに区別が付いていない。フライトの日時を変えてもらうのに、黒海とエーゲ海を結ぶ河の橋を渡ったのだが、橋の上では多くの人が釣りをしていた。のんびりとした光景だった。

 また、私が泊まった地区には、トプカプ宮殿という見所があったのだが、地図を見ながら歩いていると、迷子になってしまった。困り果てて、地元の方に聞こうと思ったら、イスラム風の服装をした女学生が三人いた。事情を話すと、きつい登り坂を一緒に歩きながら案内してくれた。宮殿に着いたとき、何かお礼がしたかったが、チップを渡すのは逆に失礼だとも思った。相手は英語を一切しゃべらないし(だから地図を見せた)、僕の英語もデタラメだった。結局、感謝の念を伝えて別れた。ありがたい気持ちで一杯だった。

 ちょっと前に上野でトプカプ宮殿展をやっていたので、ご存じのお方も多いと思うが、黄金の銅鐸などが展示されていた。ブルーサファイアなどは、持って帰りたかったが、展示室の入り口には機関銃を持った兵隊が二人ほどいたのであきらめた。今も、その輝きは忘れられない。グラン・バザールにも行ってみたが、ガキが「バザールでござーる」などと言って通り過ぎていくだけで、たいしたインパクトを受けなかった。買い物をするときも、相手がアラブの商人なので、75$と言われても、(冗談じゃないよ)という振りをして、25$だろ、と言った。結局交渉が始まり、50$前後で落ち着く。僕が買ったのは銀細工だったと記憶している。

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イスタンブールの街 

 これからもちょくちょく、ヨーロッパ旅行の話は書くと思うが、最後のの街であるイスタンブールはインパクトが強かった。ギリシャまでとは異なり、アラブ系の人が多かった。イスラム教のモスクもいくつもあり、中に入るとまじめにお祈りしている人がいる。僕は作法も知らず、恥ずかしい思いで、いそいそと外に出た。どこかのモスクで中にキリスト像が描かれた記憶があるのだが、勘違いかもしれない。嘘だとしても観たような記憶がするのだ。歴史上、複雑な街でもあるし。

 また、イスタンブールに行ったらトルコ風呂に入るしか無いだろとも思った。トルコ風呂と言っても日本のような風俗嬢はおらず、素っ裸で蒸し風呂のような大理石の上に寝かされ、汗をたんまりとかいたところで、胸毛の濃いおっさんがやって来て垢すりをしてくれた。最後に水でジャバジャバ頭を洗われて寒かった思い出がある。一時間弱、マッサージも込みで、40$位取られた(正規運賃なのだが)。

 何にせよ、アラブ系の商人は、しつこい。バックパッカーの私を観ても、絨毯を売りに来ていた。子供は、人なつっこくってかわいいのだが、がめついところもあるなと感じた。イスタンブールには五日間ぐらいいたのだが、不思議な街だった。ただ、当時のイスタンブール(トルコ$)のインフレが激しく、一年で下落率二倍(簡単に言うと、100円玉が一年で50円の価値になってしまう)ということもありお札の桁がやけに大きく、コインなどは使い物にならなかった思い出がある。次回はトプカプ宮殿の話でも書こうかな。今日のところはとりあえずここまでで。

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冷凍食品

 冷凍食品をグルメと言ってはいけないのだろうが、クッキングとしては実に便利である。我が家はお袋が冷凍食品を使って無かったこともあり、こんなに便利なものだとは知らなかった。栄養価とかがどうなっているのかは気になるが、問題がなければ、夢の食材である。

 草加駅前の飲食店『katsu』の店長は、圧力鍋等では味は落ちないが、冷凍してしまうと駄目だと語っていた。だから、僕らの仲間が集まるときには、生の本マグロののお頭を、オーブンで焼いたものを用意してくれた。

 また、冷凍食品と言えば、例の餃子問題に始まった不安がつきまとうが、冷凍食品でまともに食べられるのは餃子だけだなと言う結論に至った。他のものは、どうしてもボリュームが足りないのである。一方で冷凍食品に頼った弁当を持たされる子供もかわいそうだと思った。弁当の話で思い出したが、親友の高校時代の同級生で、弁当箱がスパゲッティのナポリタンだけとか、マグロの刺身が入っているやつがいたらしい。そのマグロ、虹色してなかったか?などと爆笑したが、これは、食あたりしても不思議ではない事例である。

 僕の弁当箱には、いつも卵焼きが入っていた。母は上手に作るのだが、それが毎日だと耐えられない。今は食べられるようにもなったが、昔は食べられないものの一つだった。贅沢すぎる悩みだが、皆さんも、好物を食べ過ぎて嫌いになった事ってありませんか?

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脳みそが

 脳みそが疲れている。思考力も想像力も湧いてこないので今日はゆっくりと休む。

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資格の勉強

 訳あって、現在、とある資格の勉強をしている。学校に通うお金はないので、独学である。テキストがアンダーラインで埋まり、現在二周目のものもある。基本的に毎日やっているのだが、日曜日は勉強しない日と決めている。思えば宅浪したときにも、週に一日は遊んでいた。今日は水曜日なので朝食後に、また気合いを入れ直さなければならない。基本的に私はロング・スリーパーなので、何もなければ余裕で12時間は寝る。その代わり起きている間は、食事とか風呂以外は、ことごとく勉強している。しかし今回の勉強はやっかいだ。

 見慣れぬ法律用語など、いちいち覚えてはいられない。私は暗記が一番嫌いなのだ。だから、大学時代、理系に進んだという面もある。ただ、暗記にもコツがあって、どうしてそうなるのかとか、どうしてそうするのかを考えてみると面白い。

 一方で、blog以外の文章を書く時間が無くなった。私は、勉強中はTVも点けないし、音楽も聴かない。ある意味、非常に閉ざされた空間にいる。だからblogのネタは拡がらないし、その辺で最近は参っている。気分転換としては時々煙草を吸うぐらいである。

 資格を取ろうという動機は、手っ取り早くお袋に楽をさせてあげたかったからだ。他に理由など無い。あるとすれば、生きていく上での保険といった要素もある。って、これから仏壇に向かってお勤めをしてから、勉強か・・・まだ眠い。

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γーGTPの恐怖

 我が家の親父の家系は酒飲みである。飲み方も、歳とともに変わってきて、アルコール度数の強いお酒は飲まなくなった。最近は、たまにバーなどにのみに行くが、家では焼酎を炭酸水で割ったものを飲んでいる。これは、悪酔いしないためでもある。

 アルコール関係の不始末は、病院で血液検査を行ったら、すぐに判る。主として、γーGTPを観れば一目瞭然なのである。男性の場合、60以下が正常値である。最近、肝機能が低下しているなと自分でも思っていたので、お酒を控えていたのだが、花見の時に飲んでから収集が付かなくなった。いいわけがましいが。

 年末・年始で酷使した肝臓を少しは休ませなければならない。今回病院に行ったら、ユリノームの量が半分に減っていた。これは、次回に血液検査をやりますよ、との宣告を受けたようなものだ。

 一時期、一ヶ月以上禁酒していたときには、γーGTPは二十台だった。でも現在計ると、百の王台を突破しそうである。それならそれでいいのだが、整形外科の先生を悲しませたくはない。

 親父が他界して、白髪と酒量は増えてしまった。まあ、白髪は染める程のものではないが、酒量が増えたのは注意せねばばなるまい。

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花見酒

 梅が散る頃から、桜が咲くまでの間が、気候的にも、一番風邪を引きやすいのではないかという気がする。気温の上下動が激しいからだ。そんな中で、今年は母と花見に行くことになった。父亡き後、母にとっても、いい気分転換になると考えたからだ。

 昨日の朝、仏壇にお経を唱えてから、私が身支度している間に、母は弁当を作ってくれた。えらく早かったので、冷凍食品でも使ったのかと思ったら、使っていないと言う。大きな弁当箱を観て、「すごいな母さん。さすが家政学部食物科!」と言ったら、「こんなの朝飯前よ」と言って、「たいした手間も掛けてはいない」と言っていた。

 花見の道具が調ったところで、いざ出発。私は駅のコンビニでビール四本とチューハイ一本を購入した。

 花見の場所に着いてみると、日曜ということもあって、かなりの人がござを敷いていた。私達は、丘の上に陣取り、のんびりと花見を楽しむ。時季、桜満開な頃、弁当をつつき、酒を飲む。花見酒とは、最高の贅沢だとも感じた。賑やかな公園での花見もいいな、とも思った。

 昨日は曇り空で、丁度、桜が満開の日だったので、今日辺りに、桜吹雪が舞うのではないだろうか。・・・何故だか遠山の金さんを思い出す。

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塾講師としてのやりがい

 出来ない子を教える。これも塾講師として大切なことだ。その裏には中学生になっても(思春期になっても)伸びない子を見捨ててきた影がある。もちろん時間は平等に使うのだが、やる気のある子と無い子の差は、私がいない時に、いかに時間を有効活用できるかにもかかっていた。後は好奇心の問題だ。

 好奇心という点から観ると、むしろ私は小学生の可能性に期待していた。もちろん中学生にも期待していたのだが、伸びしろを期待したのである。伸びる子とそうでない子は、小学生の場合、『なんで?』『なんで?』という様な質問をしてくる子の方が圧倒的に伸びる。だkら、時々、自分で調べなさいとも言ったし、学校の先生の器を探るような真似もした。私の授業は、何より好奇心重視だったので、出来るだけ自分で考えさせるようにした。

 そんな中で、分数の約分計算の時には、二年連続で別々の子が90点以上をたたき出したので、少し調子に乗っていた。私は嬉しくて仕方がなかった。最高級の賛辞を送っただけだが、何を言ったかはよくは覚えてはいない。「調子に乗るな」って言ったのかな?

 点数至上主義とかいろんな考え方があるが、私は生徒との触れあいを大切にしてきた。だから、小学校五年生の子を、通常授業の一時間前に呼び出したりしていた。ただ働きなのできつかった記憶もあるが、やんちゃなその子が、約束通りの時間にその子が来てくれたときの感激は忘れられない。その時のやりとり、

私:「宿題やってこなかったから来週は一時間前に来い」

生徒:「そんなのいやだよー」

私:「馬鹿野郎!俺の方がもっと嫌だ。ただ働きだし、期待してなきゃ、こんな事するかよ」

 上のようなやりとりだったと思う。と、そういえば彼らも大学生になるのか。無機的な人間にだけはなっていないことを望む。

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路線バスの運転手さんとの会話

 去年、青森の雲谷高原(もやこうげん)のユースに泊まった際、宿泊客の中に、バスの運転手をやっている人がいた。東京の青梅の辺りを走っているらしいが、歳は私と同じか、年下ぐらいだった。バスについてはいろんな疑問があったので、その人と話したときのことをぼちぼち書いてみようと思う。

 まず、バスはバス停の時刻に遅れてもいいけれど、早く着くことは許されないらしい。これは法律で決まっているとのこと。考えてみれば当たり前のことだが、法律で決まっているとは知らなかった。それから、バスの案内のテープのボタンを押し忘れる事などしょっちゅうあるとのこと。他にも、道を間違えてしまって、正規のルートにどうやって戻ろうかなどといったハプニングもあったと笑って教えてくれた。また、中にはバスをあおってくる車などもたまにいるらしい。バスをあおってもどうしようもないのにである。

 で、その方が、しみじみ言っていたのは、「車の運転が好きでバスの運転手になったものの、休日などに車の運転をするのが嫌になった」ということである。「好きなものを職業にするのもどうかと思う」と語っていた。このことは人によって意見が別れるところだろうが、難しい問題でもある。他にも、お酒も極度に控えなければならないことなど、いろいろと面倒なことが多いらしい。

 このユースでは、他にも、いろんな思い出があるので、また書くこともあると思うが、いろんな方と出会うのが旅の醍醐味でもある。このバスの運転手さんとの会話も貴重な思い出である。

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やっさん武勇伝

 やっさんと言えば、無免許で、しかも飲酒運転で、セスナを操縦したりというようなエピソードが残っているが、同乗した方も気の毒である。これに対し、あの、カラヤンはプライベート・ジェットを操縦していたというのだから格が違う。しかし、やっさんをセスナでからかうのもどうかと思う。スカイブルーのスーツが懐かしいのと同時に、あの、「メガネ、メガネ」というギャグも見逃せない。

 たけしが講談社に殴り込んだとき、軍団を連れて行ったが、やっさんは「男なら一人で行け」と言っていたという。実際に一人で行って袋だたきに遭うやっさんんもマヌケだが、この事件は未だに謎が多い。僕は事件を追うよりも、やっさんの武勇伝の方に興味がある。

 何年か前の文藝春秋だったと思うが、かつてのマネージャーが、やっさんについて語っていた。なんでも、大阪のTV局の番組で、大物ゲスト(確か美空ひばりだったと思う)が集う中、マネージャーがいくらせかしても、やっさんは遅刻のペースでしか動かなかったらしい。もし遅刻したら、新人なら即刻クビを切られる中で、悠々とタクシーで出発したそうだ。案の定、渋滞にはまり、大幅に遅れそうな中で、後ろから救急車が来たらしい。みんな道を譲る中で、やっさんは、「あの後ろについて行け」と運転手に指示を出し、運転手さんも嫌々ついて行ったら交通事故にあったそうだ。スタジオ入りが大幅に遅れたにもかかわらず、他の出演者たちは、事故にあったやっさんを心配したらしい。そこで調子よく振る舞うやっさん。この件に関しては、当時のマネージャーも呆れ果てた様子が文面から伝わってきた。タクシーの運転手さんの人生を潰しておきながら、平気な顔でいる。そのことに呆れ返っている様子だった。一種の人格破綻者である。

 やっぱりやっさんには漫才しかないのかなあ。

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500円玉貯金

 去年の暮れ頃から、お袋と500円玉貯金をしている。500円玉が出来たら、使わずに黙って入れるというルールである。昨日も二枚ほど入れた。貯まってきて、貯金箱に500円玉を入れると、ジャリンという音が鳴るのが楽しくもあるが、500円玉貯金をすると、当然、お札が無くなるペースが速くなる。これは痛い。

 何でこんな事を始めることになったかと言うと、小金が必要になった時のための備えである。以前、親父とお袋と私とでやっていた時は、20万くらい貯まった。一番たくさん入れたのがお袋だったのだが、私は、時々、渋々にしか入れていなかった。ある日、貯金箱の中を見たら、空だったので、何に使ったのかを尋ねたら、宝くじを購入したとのこと。相当な枚数の宝くじを見せてくれたのだが、もし当たったら、比例配分で、親父とお袋が九割、私が一割もらうこととなった。あいにく、その宝くじは外れたのだが、私は、用途に疑問を持った。

 そんな私が、何故、今回、500円玉貯金を始めよう、と提案したかというと、愛犬の弥七君のためである。満十一歳になっても、食欲も性欲も旺盛で、いい便をしていて、健康なのだが、もう老犬なので、いつ病気になったり、他界するか解らない。病気の場合、犬には保険がきかないので、かなりの額が必要なのだ。他界した場合も同様である。もし、骨になったら、庭に埋めてあげるつもりだ。だから今回は私も、積極的に参加している。・・・こんな話をしていたら、それまで寝ていた弥七君が、炬燵からひょいと顔を出し、『勝手に殺さないでくれ』と言わんばかりの表情をした。もちろん健康で長生きしてもらいたいのは当然の話である。

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勘違いだったのか

 現在、メールチェックしたところ、彼から、それは誤解だ。とんでもない間違いだよ。という返信が来たので、安心すると同時に安堵。

 ごめんな。

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断腸の思い

 私がしでかしたことの何が原因かは、現在明確ではないが、下手をすると友人一人を失ってしまう可能性が出てきた。お互いに、もう、十五年来の付き合いで、いろんな事があった。お互いで喜び合い、お互いで悲しんだりもした。失敗も笑って済ませた仲である

 一ヶ月前に、彼から『絶交宣言』を受けたときには、私には何のことだか解らなかった。この一ヶ月間、『なんでだ?』ばかりが脳裏をよぎり、なかなか寝付けなかった。同じ釜の飯を食ってきた間柄と言えば表現が古いかもしれないが、まさしくそうなのである。

 彼とは大学の二年生の時のクラスメイトだった。出会った頃の経緯は述べないが、最も早く仲良くなり、最も早く知り合った仲でもある。鍋を囲み、みんなで、そこはかとない話をしてはよく笑った。

 私は自分には何も後ろめたいことがなかったので(厳密に言うといくらでもある。それでもお互いに許し合ってきた)、何が彼を怒らせているのかが解らない。彼は「自分の胸に聞いてみろ」と言うが、本当に悪気を持ってやったことは一度もないのである。

 現在、この言葉を彼が許してくれるか解らないが、僕は今でも『親友』だと思っている。嵐が来ても揺るがない友情を信じている。

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