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2009年3月

五寒二温だろ

 三寒四温といっても、今年は五寒二温というような気がするくらい寒い。昼間はまだ、晴れている日なら、それ程でもないが、朝晩の冷え込みがずっと続いている。桜も三分咲きぐらいで止まってしまい、花見などまだまだ先の話のような気がする。今年もぼんやりと花見に行ってみたいが、この寒さだと風邪を引く。

 朝一番に、仏壇に向かってお経を唱えるのが日課なのであるが、母は喉がガラガラで、何を読んでいるのか解らない。しかし、喉がガラガラなだけで、熱もないし、別段、調子が悪いというわけでもないらしい。でも、昨日、病院に行く用事があったらしく、念のために観てもらったら、風邪とのこと。抗生物質を飲んでいるみたいだ。

 体調といえば、昨日は私も優れなかった。しんどいので昼寝をしたら、全身に汗をかいた。気持ち悪さで目を覚まし、濡れタオルで全身を拭いてから着替えた。普段から、私は水分をよく取る方なのだが、昨日はお酒を飲んでいないから、不思議な汗のかきかたである。私も体調が悪いのだろうか?それとも自律神経のバランスが悪いのだろうか。

 温かかったり寒かったりの入れ替わりが続くと、自律神経にも影響が出る。まあ、私は朝起きたらすぐに、水分を2リットル近く採るので、そのせいかもしれない。今日もすでに、それくらいの水分を採っている。まあ、体調が戻るまではゆっくりしていたい。

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禁酒

 肝機能が低下している。しばらく禁酒することにしますか。

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結婚祝い

 中・高時代の一つ下の後輩の結婚祝いに行ってきた。と言っても、今回は同期の一人が風邪を引き、一人が大阪出張ということで、人数的には集まらなかった方だった。だからといって盛り上がらないはずもなく、昔話に花が咲いた。みんな勤め人なので、この不景気の話にもなった。今回の主賓のヒデちゃんは、株で結構な穴を開けたらしい。取り戻すことには成功したらしいが。

 私は、遊び人のヒデちゃんが何で結婚に踏み切ったのか、動機を聞きたかった。結婚式は軽井沢で、内輪だけのものを去年の六月に行ったらしい。そして、現在、生後二ヶ月のお子さんがいるという。当然計算が合わない。いわゆるおめでた婚だったとのことである。おめでた婚といっても、もう何年も付き合っていた彼女とのことなので、不自然ではない。むしろ、いい区切りになったのではないか。

 お子さんは男の子とのことで、よく笑う子だとか。携帯の写真を見せてもらったが、全部、朗らかに笑っていた。そういう写真を見ていると、こちらも心が和む。

 そんなこんなで、一つの店で四時間半も飲んでしまった。一年ぶりなので話も弾む。と同時に、最近、早寝早起きしていた自分の生活リズムも調整しないと。まあ、お祝いなのでいいか。・・・眠くなってきた。寝ることにしますか。

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結婚祝賀会

 中・高時代のバドミントン部の一つ下の後輩であるヒデちゃんの結婚祝賀会が今夜、行われる。幹事は私ではなく、別の友人が引き受けてくれた。中・高時代の仲間との新年会は、仕事で忙しすぎる友人がいたため、今年は行っていなかったので丁度いい。

 何でも、おでん屋で一次会を開くみたいなのだが、場所がいまいちつかめていない。まあ、URLを元に地図をプリントアウトしたので、何とかなるだろう。店で直接集合する予定だが、集合時間が18:00なので、多分、二次会はボウリングかカラオケだろう。

 ボウリングなら気ままにやるだけだが、カラオケは何を歌おう。チェッカーズ関連で『夜明けのブレス』、『TRUE LOVE』、宇多田ヒカルの『ETERNARY』あたりでも歌おうか。ブラックジョークとして、サザンの『LOVE AFFAIR』(これは不倫の歌)あたりも入れるか。とは言っても、もう、一年以上カラオケに行ってないので、声が出るかは解らない。まあ、何とかなるだろう。

 帰宅部だった私がバドミントン部の飲み会に参加するのも不思議だが、年下で唯一、ヒデちゃんだけが我々のグループにいるのも不思議だ。気さくでスケベな人柄が我々とマッチしたのだろう。ヒデちゃんは現役で東大に行ったが、会社の資格の試験には落ちまくっているらしい。そんな時、我々は、「あの天才ヒデはどこに行ったんだ」などと言っておちょくる。多分、遊びすぎて勉強していないのだろう。彼は究極の遊び人でもあるのだ。

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生老病死

 昨日、母が実家から帰ってくると言うので、新幹線の最寄り駅まで迎えに行った。早く着きすぎて、一時間ほど待ったが、無事に再会することが出来た。この数日間で、母のいるありがたみが、嫌というほど解った。一軒の家に独りで生活することの暗さが嫌だった。それを慰めてくれたのは愛犬の弥七君でもあった。

 駐車場を出て、家路につくと、急に母が泣き出した。何となく予想が付いたので、私ももらい泣きしそうになったが、必死にこらえた。老いて病と闘う祖父と祖母の生活を観て、耐え難い気持ちになったのだろう。しかし、母は「じいちゃんはボケてなんかいない。何でも解ってる」と言った。そうして、「じいちゃんとばあちゃんを引き取って、面倒を観てあげようか」とまで言っていた。その場合、母の弟に当たる長男のおじさんとも、妹に当たる次女のおばさんとも話し会わなければならない。私には全く異存のない話である。まだ私と弟が幼かったときに、母が半年ほど入院した。そのとき面倒を見てもらったのが、他ならぬ祖父と祖母だったのである。命の恩人みたいなものだ。あのときの恩を、今、返せるのなら、返したい。

 今回帰省した母は、親戚のおじさんとも話し合ったらしい。親戚のおじさんは温厚な方である。その叔父さんが祖母の祖父に対する態度で、ぶち切れたらしい。後日、母も同じような理由で祖母に説教したらしい。しかし、六日間の帰省で、母が料理を作ったらしいのだが、最後の方は、弱気だった祖父も喜んでくれたとのこと。うちに来るかどうかはともかく、これからも、ちょくちょく帰省してあげた方がいいと感じた。私個人は、話を聞く限り、仏教で言う生老病死とはこんな事かもしれないなと、複雑な胸の内だった。

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奇妙な手相

 手相とか、奇妙な占いなど信じないはずの私が、ぼんやりと自分の手相を見た。よく、くみあわせた手の親指が上になる方を見るというが、それはデタラメである。懇意にして頂いているいる占い師さんに聞いたところ、「そんなのでは解らない」とおっしゃっていた占いの仕組みを教えていただいたのだが、他の客からクレームが付き、遠ざかることになった。

 渋谷の八卦観のおじいさんも忘れられない。ナンパに失敗した後で、友人が隣のおばさんに熱心に観てもらっているのを待ちきれなかった。隣のじいさんに話しかけ、「俺は一つしか質問しないから、半額に負けてくれ」と言った。、そこはじいさん譲らず、定額料金を取られた。そして、青春の悩みとも言える自分の死期について聞いた、「俺はいくつまで生きられる?」と。

 一呼吸置いたじいさんは、「あんたさんなら70までは生きる。そうして周りから信頼を集めるような人間になるじゃろう」と応えてくれた。これで胸のつかえが下りた。70までということは後の50年を保証された気がした。

 さて、手相についてだが、右手の手相は本当に変わった。生命線が微妙な形で伸びて、知能線は変わらず。何より運命線が伸びて変な手相になってしまった。ちなみに結婚線は太いのが一つ。手を握りしめたときに、感情線が隅っこで盛り上がる。左手は僕の歳では当てはまらないので観ない。しかし、右手の変化には久々に驚かされた。何てそうなるのかに興味を持ったかというと、親父の本棚を漁っていたときに、手相の本を見つけ、小学生ながらに読みふけった記憶があるのだ。・・・そもそもの僕の主張としては、自分に役に立つ部分だけを聞けばいいし、読めばいい、というものである。世にいる占い師のどれだけが世の中の役に立っていることか。目茶苦茶を言って、平気で金を取るやつだっているのだ。もし私が占い師だとしたら、精一杯、相手をフォローすると思うのだが。

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飼い犬に手をかまれる

 一昨日、細切れにしか寝てなかったせいか、昨日は眠たかった。朝、コンビニに行き、サラダとチキンナゲットを購入。自宅で食べながら、新聞のTV欄を見る。WBCの決勝が10:30から放映される事を知った。そこで、昨日、生じたパソコンのルーターの処置を、9:00丁度に@Niftyに問い合わせる。オペレーターの手順通りにやってみたら、見事復活。『待ってろよ、WBC』という気分になる。

 パソコンの作業が10:00過ぎに終わったので、あわてて下の部屋に行き、愛犬の弥七君をなでながら、TVのスイッチON。ワクワクしながらプレイボールを待っていた。国歌斉唱が終わり、試合が始まる。先発が岩隈だと知り安心。・・・安心しすぎて座椅子で寝てしまった。気がつくと七回。日本が3-1で勝っている。結局、追加点を許したものの、無難に押し切って勝つ。MVPが松坂だったが、今回は岩隈、青木、内川、小笠原の四人から選ぶべきだと感じた。また、今大会は日本のピッチャー陣がよかったなという印象を受けた。

 夕飯、作るのが面倒になったので、店屋物を頼むことにした。前にこのblogで書いたおっちゃんの店は、高速道路建設のために立ち退いた。仕方がないので、中華料理屋でカニチャーハンとスープと、今日の朝食用の春巻を頼む。すぐに持ってきてくれ、おいしく頂いたのだが、弥七君が見つからない。食器を洗った後で、弥七君の小屋を見ると、昨日の朝食で食べたナゲットの発泡スチロールを加えている。「う~、う~、う~」と威嚇する弥七君。乾燥剤のシリカゲルか何かが入っていたので、無理矢理取ることにした。取ることには成功したのだが、左手は手の甲を、右手は親指の付け根を本気でかまれた。飼い犬に手をかまれるというのもマヌケな話だが、弥七君は食べ物(特に肉類)には眼がないのである。『まさか噛んだりしないだろ』という油断が招いた不覚である。現在、弥七君は僕のベッドで鼾をかいて寝ている。

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何だかおかしいぞ

自宅からモブログを携帯で打つのもおかしな感じがするが、どうやらパソコンのルーターがイカれた様子。PPPランプが点灯しない。前にもこういうことがあったので、その時、聞いた方法を試したが上手く行かない。せっかく早起きした意味がない。書く意志はあるのに、ペンがないといったところか。それにしても、キーボードで打つのと携帯で打つのは大違いである。打つ速度が二倍違う。携帯で打つ時は、どうしても短くなってしまうと同時にイライラする。やけに肩が凝るのだ。明日、ってもう今日か。@Niftyに電話して聞いてみる。眠い。少し寝る。

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ヤマを張る

 私は、自分の試験のためにヤマを張っても当たらないタイプだが、人の試験のためにヤマを張ったら、結構当たる。これを別に損だとも思ってはいないし、そもそもヤマを張るなどと言うのは、最終手段なのである。人事を尽くして天命を待つと言ったところだが、ヤマを張って当たっても、それは実力ではない。日ごろの努力が大切なのだ。

 とは言っても、教え子から頼まれると断るわけにも行かない。高校受験は英・数・国・社・理の五科目で争うが、公立のトップ校に入れそうな生徒がいたときには、講師一丸となって、出来る事は何でもした。休日出勤も苦ではなかった。正直楽しかったのも事実だ。

 試験の一週間前、コピーしまくった資料で教えていると、地理の問題で質問が飛んだ。「先生、この北回帰線って何ですか?」と聞かれたが、地軸の傾きから説明しなければならなかった。北回帰線の緯度は23.4度ぐらいだったと記憶している。これは、地軸の傾き角と等しい。つまり、夏至の日に太陽が真上を通るということだ。

 で、直前の日に、生徒からの要望で、地理のヤマを張ることになった。過去問を見ていた私は、経度と日付変更線、ブラジルの特産物、赤道の位置の覚え方を教え、それらが出ると予言した。映画好きの国語の教師は、日付変更線について『八十日間世界一周』という映画で説明していた。翌日の試験、ヤマは見事に当たり、上の三つのうちの二つは出題された。その後、生徒はお小遣いでワインを買って持ってきてくれた。みんなでおいしく頂いた覚えがある。

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まったりと

 まだ、独り暮らしになれていないので、今日はまったりと過ごす。

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ようかん

 今日、帰省する母を駅まで送って行かなければならないのだが、異常に早く目覚めてしまった。多分、朝日のまぶしさに参ってしまうだろう。昨日は早寝したのだが、早起きしてしまった。現在多少の眠気はあるものの、こうしてblogを打っている。これが終わったら、下の部屋で勉強するつもりだ。読書もいいな。

 で、先日、お袋に祖父の好物を尋ねたところ、暫く腕を組んだ後で『ようかん』だと言われた。ちなみに、私の母方の家系はお酒に弱い。だから私は故父の流れをくんでいると言えるだろう。何でこんな話を書くかというと、酒飲みは、甘いものが嫌いなのである。『ようかん』などは、私が最も苦手とする食べ物の一つである。

 母を送るに当たって、最低30分前には駅に着いていたいので、5:30には出発である。何のトラブルもなく着けばいいのだが、車で事故渋滞などに巻き込まれてしまうと、やっかいである。そのためにも相当早めに出ることにした。

 『ようかん』は私からの祖父への励ましである。

 これから暫く、愛犬の弥七君との二人暮らしになるが、最近やっていなかった家事を上手くこなせるかが一抹の不安でもある。

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お彼岸だ

 毎月、父の墓には行っているのだが、お彼岸というのは特別である。何か父に会える気がしてならない。でも、明日は混んでそうだなあ。もちろん車でではなく、バスと電車で行く予定だ。それでも多分込むだろう事を予想して、仏花は今日のうちに買っておいた。

 今日の買い物と言っても、焼きそばとか、うどん(焼きうどん用)とか、いくつかの冷凍食品とか、肉とか魚を買った。消費期限があるので、もう一度は買い物に行かなければならない。そこで困るのが、夕飯は何とでもなるのだけれど、簡単なはずの朝食のメニューで迷ってしまう。購入した冷凍食品は朝食用だが、いろんな種類があるのには驚いた。初めて冷凍食品に手を出したが、調理方法が簡単すぎて、びっくりした。もちろん気になるのは食の安全問題だが、今の日本人にとって、中国産の物を拒絶したら生きては行け無いだろう。

 今回のテーマとして、カップラーメンに頼る生活だけは避けたいと考えている。(旬を過ぎたが)サンマ位自分でサバいてやる。魚のサバき方の基本は中学生の時にマスターした。

 「あ、味噌汁買ってくるのを忘れた」、独りの時はインスタントの方が便利なのである。こう書いていると、一昨年にお袋が足を複雑骨折したときに、親父との二人暮らしことを思い出す。寂しかったけれど楽しかった。・・・そう、俺は親父のことは、心の引き出しにしまうことにしたのだ。思い出してはいけない。

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風邪をひいたか?

 解熱剤を飲んだ後に体温計で体温を測る。36.9度。私の平熱は36.2度くらいだから、これは熱っぽい。体はだるく、脂汗をかいている。少し頭痛もする。また今年も風邪を引いちまったか、と途方に暮れる。しかし、スケジュールが詰まっているので、休めない。

 今日はどうしても買い物に行かなければならない。明後日から、お袋が六日間ほど実家に帰り、弟で長男のおじさんと、認知症の祖父のこれからを話し合うそうだ。その間に、自炊するための食料を買っておかなければならない。まあ、外食してもいいのだけれど、高いし面倒だ。そういえば久々に店屋物でもとろうかな。

 明日は、昨日も書いた通りに、お彼岸なので親父の墓参りである。これも絶対に外せない用事だ。明後日は、早い新幹線なので、私が四時起きして、お袋を駅まで送ってあげなければならない。バタバタしそうなので、風邪をこじらす可能性がある。現在、風邪薬とビタミン剤と痛み止めを飲んでいるが、六日間ほど愛犬の弥七君との二人暮らしなので、意地でも風邪は引けない。仏壇に対し、毎日のお勤めもしなければならない。

 認知症の祖父は、下の世話を必要とするほど衰え、週に何日か老人ホームに入ることになりそうなのである。八十五歳を過ぎているのだから、仕方がないことであるし、祖母の介護の負担を少しでも軽減しなければならない。大恩ある祖父の好物を、母から聞いて、送ってあげようかと考えている。

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余命宣告

 久しぶりに親父の夢を見た。内容は忘れてしまったが、確かに親父の夢だった。弟と歳が近いせいか、ガキの頃は弟がお袋に甘えるので、自然と私はパパっ子になっていた。もちろん両親の方針は兄弟平等で、同じように教育機会が与えられ、同じようにかわいがってくれ、同じように愛情を注いでくれた。親父には怒られたことはあっても、殴られたことは一度もなかったし、「勉強しろ」と言われたことも一度もない。母は、どんな状況でも、やりくりして食べさせてくれた。

 去年の七月頃、父は余命宣告を受けた。余命半年だ、と。その時点で私は何も知らなかった。暫くして、胸水を取るために一週間ほど入院することになった。父と母は退院したら、私に余命宣告を受けたことを伝えようと思っていたらしい。しかし、父の症状が悪化し、結局、三週間ほどの入院を経て他界した。

 余命宣告とは残酷な物である。しかし、もし、一週間の入院で退院したとしても、家の中には耐えられない空気が流れたであろう。それに、小泉政権の弱者切り捨ての方針から、父は、もう、病院に戻ることはできず、ホスピスという死を待つ人々の施設に入ることになっていた。こんな残酷な制度もない。小泉はロクな死に方をしないだろう。

 さて、明後日はお彼岸。墓参りに行く予定だ。晴れてくれればいいのだが。

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ドラゴンボールでの悟り

 私と同じく、母も悩み、辛抱する人であった。父は悩みがあっても、家庭の中では一切態度に出さない人だった。それに比べると私の我慢などまだまだ甘い。もっと人間として成長したい。見習うべき存在が両親であるということは、恵まれている証拠かもしれない。

 あれは、私が中学生か高校生の頃だったと思うが、母が風邪で寝込んだ。寝込んだといっても、それほど強力な風邪ではなかったらしく、退屈そうにしていた。まだガキだった頃の私は、退屈しのぎに漫画の『ドラゴンボール』を持って行って、読んでみたら?と勧めた。普段なら少年漫画など相手にしない母が、手にとって読み始めた。よっぽど退屈であったのだろう。

 それから十数年経った後に、母が私に、「あのとき勧めてくれた『ドラゴンボール』のワンシーンで、『これだ!』と思うシーンがあり、それからは一切悩まなくなった」と僕に打ち明けた。とっくに昔の話なので、そんなものかな?と、僕は思ったと同時に、どのシーンであるかを知りたくなった。しかし母は、内緒だと言って、全く教えてはくれなかった。この状態は現在に至っても同じである。そして、私に、「誰にも解らないと思うよ」と言い残した。ただ、それで、かなり助かったということを僕に話してくれた。何気なく勧めたのだが、『ドラゴンボール』で悟りを開く人も珍しい。

 『ドラゴンボール』のどのシーンかは今でも謎である。

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三年奉公

 親友たちと飲んでいるときに、一人一個の到達目標を設定した。私の目標はblogを毎日書くことと決まった。これも、半年ぐらいならいいのだが、とりあえず一年ということになった。飲んだ勢いもあって安請け合いしてしまったが、提案した友人に聞くと、「一年、いや、石の上にも三年だ」と言われ覚悟を決めた。

 始めてから、もうすぐ二年が経つが、一日も気を許せる日が無かった。去年のお盆前に親父が他界したときも、葬式の時も欠かさず書いた。ちなみに、去年の八月のお盆前の記録がないのは、忙しすぎて保存していなかった為である。記録には残ってはいないが、親父の死に際に立ち会った事を明確に書いた。・・・もしかしたら、これはよくないことなのかもしれない。親父のプライバシーを踏みにじった感じがして、余り多くの方には読んでほしくはなかった。消えてくれてよかったという気持ちもないではない。親父の死に顔は、まるで美しい仏像のようだった。私も男としてああいう死に方をしたいと思った。今でも別れは悲しいが。

 毎日blogを続けることの苦しさは、アイデアが浮かばないときに、気分も落ち込みがてらに打つ場合である。後は、旅の時にも困る。旅先で携帯片手に毎日ボタンを押している自分を振り返って、『俺は何をしに来たんだろう?』と、自己嫌悪に陥る。

 最近は忙しいときや、休みたいときは一行で済ませているが、これでいいのだ。でなければ、長続きしない。『気楽にやりなさい』と、机の上の親父の写真が語ってくれている。

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百万人に一人の恋人

 アマゾンで購入した、Utadaの『This Is The One(これよ!)』を聞いている。前作の『Exodus 04』よりは格段によくなった印象を受けた。最初は歌詞カードを見ながら、そして音楽だけを聴いた。今も聞いているが、音の面で印象的なフレーズがなかったのが残念だ。例えば、スティングの『Russians』やビートルズの『ミッシェル』などは、メロディを聴くと、歌詞にたいした意味もないのに自然と懐かしくなる。そういうフレーズを見つけられなかった。歌詞は確かに凝っているし、いい物だと思う。恋愛や過去の事を歌っている曲が目立った。払拭してほしい。

 というよりも、僕が興味を持ったのは、収録曲の中のメインである『Come Back To Me』の中の歌詞で、失った恋人に対するメッセージか、「貴方は百万人に一人の人だから、(私の元へ)返ってきて」というフレーズ。百万人に一人の異性と言い切れる度胸もすごいが、実際、私たちが一生のうちに、そんな出会いをしているのかと考えさせられた。地球上の人間が60億いたとしても、出会う人はごく一部である。だからこそ、大切な出会いを忘れたくはない。私は三十代だが、四十代で結婚に悩んでいる方などは、地球上の半分は女性と、割り切った方が気が楽になるだろう。そうしなければ疲れてしまう。

 別の曲で、「昔はヴァージンだったけれど、今はそうではない」というようなフレーズが出てくるが、耳が痛い。贖罪が行き過ぎている気がするからだ。年をとる程に、人間なんてきれいではいられなくなる。大切なのは『これから』である。複雑な気持ちでCDを聞いている。

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詩について

 詩心というのは産まれながらに持っている物ではありません。壊れそうな感性を押し通して、自分が潰れる覚悟で書く物です。ですから、『詩は解らない』という方も多いでしょう。しかし、裏を返せば、作者の裸の気持ちを読み取るようで、小説などのフィクションを入れた物に比べ、遙かに解りやすいものなのです。

 詩が衰退した最大の原因は、音楽の発展でしょう。音楽に乗せて詩を売らないと、食えなくなる、ということが詩の世界をぶっ壊しました。いわゆる、俳句で言う『わび』、『さび』、『きわみ』などの境地が、エレキギターやそれに伴う大幅なパフォーマンスによって、一部はダダイズムとしか見れない現象にぶつかったのも事実です。Rock自体がそういう性質を持っている以上、やむなきことなのかもしれません。・・・未だに私には、Hard RockとRockの区別がつきませんが・・・

 音ばかりが重視され、詩の細やかな韻律などが意識されないと、音楽界は無茶苦茶になるでしょう。私の知っている雑誌でも、ヒット曲の解説がなされますが、見当違いなことが多いです。何にも解っていない人が文章を書いて、記事にする・・・これは名誉毀損です。

 私の場合、友人から紹介された曲や、重要だと思える曲について、最低100回は聞きます。それでも詩の意味がわからないときは時間を掛けて考えます(曲についても)。それでブレイクスルーしてくれればいいのですが、なかなか起きません。上手いアーティストは詩と歌詞をコラボレーシオンさせています。

 歌詞だったら解るのに、詩は解らないというのは詭弁だと思います。育った大地、海、交友関係から広がりが増えるものと思います。

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花蓮の街

 二年ほど前のblogで、宿は花蓮駅から遠くなく、噴水があり、小さな街である。と、記憶のままに綴ったのだが、そうではなかった。駅前にある宿だから楽勝で判るだろう、という思惑はぶっ壊れ、駅からかなりの距離にあることを知った。僕の勘違いかどうかを確かめるためにインフォメーションセンターで訪ねた。すると、駅は32年前からここだと言う。まるっきり僕の勘違いだったのだ。宿まで相当な距離があることを覚悟した私は、タクシーに乗った。初乗り運賃が100台湾$(台北では70$)だった)ことにも驚いたが、思いの外、広い街であることに驚いていた。路地を覚えるのが面倒だとも感じた。

 懐かしい噴水の場所に着くと、少しチップを上乗せして料金を払った。大きな荷物を抱えていたからだ。そして宿のおばさんに「ただいまです」と言って、三年前にお世話になったことを告げた。おばさんは歓迎してくださったが、僕のことは覚えていないようだった。

 32年前以上昔だったら、そこは駅前の一等地だったのだ。駅の場所が変わると聞いて、一番ショックだったのはおばさんだろう。僕はそこを傷つけないように、やんわりと話した。

 おばさんは面白い人で、寝坊助の僕を起こすのに苦心されたそうだ。ツアーを申し込んでいるのに、モーニングコールには出ない、ドアをノックしても爆睡、仕方なく私の部屋に入ってきたおばさんは、足の裏をくすぐっても起きなかったと言った。無理矢理、起こして貰ったのだ。次の日に朝早く目覚めたら、驚いていらっしゃったが。

 おばさんの宿は、『金龍大旅社』といい、『地球の歩き方』にも載っている。Bathも小さいけれど、日本風の深い物だ。向かいには日本料理のお店もある。

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とりわけ

 今日は、とりわけ、書くことがない。休みだ。

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第二次結婚ブ-ム

 大学時代の知り合いから電話がかかってきた。昔、さんざん、合コンとナンパを共有した友達である。また誓って言えるのは、二人とも、一度もお持ち帰りはしていない、ということだ。学生時代は、彼が合コンを持ってきてくれるのだけれど、いざ、実践となったら余り目立たない方だった。そんな彼が結婚することを祝福する。

 今日は結婚の話が多いなど、祝賀ムードでもある。まずは十歳下の従弟が結婚するとのこと。披露宴はやらないらしいが、大学の同期の中国人の女性と結婚するらしい。母の妹であるおばさんなどは、二年も反対してきたが、母の、「今時、日本も中国もない。こだわりなさんな」という言葉で許したらしい。愛することに国境はない。

 もう一つ感じたのは、大体、男なら、25~30位の間に第一次結婚ブームが来る。下手をすると、毎週披露宴などということもある。披露宴でうまい飯を食ったことはないが、いつも期待する。飯はともかく、楽しく、明るい披露宴であればいいのだ。

 次に、35歳以降に第二次結婚ブームが来る。妥協ではなく、やはり恋愛結婚なのだろうが、いささか花が咲くのが遅いといった感触か・・・自分のことを振り返る。結婚はしたい。けれど、魅力的な女性が日本では数少ない。自分自身も、もっと、しっかりしなければならない。遠い話だ。そんなことはどうでもよくて、改めて友人の結婚を祝福し、幸多かりしことを祈る。いい披露宴になることを期待する。

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Where do you from?

 台湾を旅していたときのこと、基隆(キールン)の街は英語も日本語も通じなかった。そんな中でめくらめっぽうに歩き周り、一日で土地勘を身につけた。私は観光スポットであるうちの一つの、『仙洞厳』に向かうことにした。駅にインフォメーション・サービスがあって、そこで、行き方を聞いた。バスのNoは301で、料金は15台湾$とのこと。相手をしてくれたおばさんは、「仙洞厳で降ろしてください」という中国語のメモを書いてくれて、乗るときに運転手に見せるようにとまで気を遣ってくれた。それからバス停に行きno.301を待ったが、なかなか来ない。時刻表を見ると15分置き(それぐらいはニュアンスで判る)と書いてあったのに、30分以上待った。乗る際に運転手に貰った紙を見せると、頷いてくれた。私は運転手の一番近くに座った。

 揺られること15分くらいで目的地に着いた。運転手さんにお礼を言って、バスを降りた。日常の足として使っている方が多いのにも気付かされた。

 行った目的地の洞窟は不思議なところだったが、たいしたことはなかった。洞窟の奥の仏像群には驚いたが、私が入ろうとしても通れない、ほら穴があった。奥に何があるのか入り口の物売りのばあさんに聞いてみると、「神様だよ、神様!」と高圧的に言われた。これでムードはぶっ壊れた。帰りのバス停でタバコを吸いながら301のバスを待っていた。バスは小型のマイクロバスだった。乗っていると、途中で相当足の悪いおじいさんが乗ってきた。私は体ごと支えてあげて席まで抱えて行った。僕の前に座っていた母親と子供も手伝ってくれた。今度はその人が降りる時も、私は両肩を持ち上げて降りやすいようにしてあげた。母親と娘も、そのバス停で降りたのだが、おじいさんが降りた後に、私に向って、「Where do you from?」と聞いてきたので「Japan」と応えた。もちろん質問文は、正確には「Where did you come from?」でなければならないのだが、そんなことはどうでもいい。バスが動き出すと、その親子は僕に手を振ってくれた。最高の思い出である。

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誕生石

 誕生石とは、自分の産まれた月によって変わる。四月ならダイアモンド、七月ならルビー、十二月ならトルコ石といった具合だ。それぞれに付随する意味があり、いわば、ラッキーストーンなのである。ちなみに私は一月なので、ガーネットである。意味は『真実』だ。

 台湾旅行の最終日、帰国する日に、まだ財布の中には10000台湾$以上のお金が残っていた。チェックインをしてから、まず、免税品店に向かった。それまで母に土産を買おうと思ったことのない私が、ジュエリーショップへ向かった。宝石を眺めていると、中国語で店員から話しかけられた。私は、英語か日本語を話せますか?と聞いたら、どちらもO.K.だった。予算をいい、、それに合う物を見繕ってもらった。いろいろと紹介されたが、予算オーバーな物は全て断った。最終的に私が選んだのは、キャッツアイの周りに細かいダイヤがちりばめられているネックレスだった。お茶を三杯ほどいただいて決めた。

 最近、お袋は昔から持っていたり、頂いたりした宝石類を身につけるようになった。「生きているうちにつけとかなきゃ意味がない」と言っている。それを知っていたから、無理して宝石など買ったのだ。

 帰国して、母に渡すと、「あんたのお嫁さんになる人にあげなさい」と言った。そうして、僕に、誕生石であるガーネットのネックレスをくれた。5000円ほどしたらしい。ルビーを濃くしたような深紅の宝石だ。なんでも、宝石屋さんに頼んでおいたとか。私の幸せを、そこまで願ってくれる母に感謝するとともに、私の送ったキャッツ・アイもつけてもらうつもりだ。ちなみに、私は普通の男同様、宝石にはそれほど興味がない。ただ、ラッキーストーンとして首に掛けている。

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フライング・アゲイン

 また、0:00を回る前に投稿してしまった。二度目のフライングである。書くことなぞ別段無い。膨大なネタ帳をめくる気にもなれない。途方感にくれ、適当に打っている。もうヤケである。・・・「酒と泪と男と女」を歌った河嶋英伍は、「飲んで~飲んで~飲まれて~飲んで~」と、やや演歌に近い歌を歌っていたが(もしかしたら彼の歌は全て演歌なのかもしれない)、本当に肝不全で、短い一生を遂げた。

 人間、長生きすべきか、そうでないかは迷うところでもある。かつての日の父は、幕末の英雄たちについて、人気がある理由を聞くと、「早死にしたからや」と言っていた。これには思想的な意味はなく、老いた姿を残さないことが、キーだと思う。

 時間軸の中で、人は皆、老いてゆく。伴い、体の健康バランスも消えてゆく。私自身、二十歳の頃に比べ、運動能力も低下したし、頭の方もぼけてきた。こないだ行った床屋では、若マスターに白髪が増えたね、と言われた。親父が他界してから、ぐんと増えた。

 こうなったら私は仙人にでもなりたい。あらゆる俗な欲を捨て、水墨画でも書いていたい。結局、行き場所の無くなった男は、象のように、死に場所を探すのかもしれない。・・・かつてある友人は、『何故生きるか?』という問いに『死に場所を探すため』と応えた。僕はそれほど悲観してはいないし、彼の心変わりを待つつもりで、いろいろと言っている。そもそも、『何のために生きるのか』という問い自身に結論がつけば、我々の存在意義が無くなる。だから僕は、そういうことを聞いてくるやつには、詭弁だが、「やりたいJことをやるために生きている」と応える。それぐらいでいいのだ。

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戦国時代にやたら強い生徒

 私が塾講師をしていた頃、できる生徒とできない生徒は両極端にいた。だから、オール1の生徒も教えたし、そうでない生徒も教えた。みんな苦労ばかり掛ける生徒であったが、ダントツで印象に残っているのは、『石川ゴンザレス右大臣吉宗』殿であった。

 何をやらしても、上手く行かない。下らない知識ばかりに享楽している。通知簿はオール1。塾講師全員が、どうしようか真剣に話し合った。・・・すると不思議な特異点が出てきた。日本史の戦国時代の問題だけパーフェクトであり、それ以外は0点だった。これは何故なんだろうと、塾講師仲間で話していたら、多分、ゲームの『信長の野望』で覚えたのではないかということに帰着した。本人に確認してもそうだ、と言った。それならと、ゲームメイカーのKOEIに新しいゲームを作ってもらおうという話になった(冗談)。例えば、大仏を作るゲームなんてどうだろう?という話になって、ネーミングは井上靖をパクって『天平の甍』にしようなどということになった。

 このゴンザレス君、ユニークだったが、模試ではひどい結果を出した。しかし歴史小説は好きらしい。私は、司馬遼太郎氏と津本陽氏を紹介した。彼は何冊かは読んでいると言ったから、悔しかったら全部読め、と言い返した。・・・そして自分が惚れた科目でろくな点数がとれないということは、何をやっても駄目だと言った。それは、好きな女の子に相手にされないことと同じだと言ったが、ゴンザレス殿、今頃どうしているだろう。幸運を望む。

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そういえば

 そういえば、昨日、台湾からの荷物が届いた。遅くなった原因は、住所の番地を書いていなかったという私のミスであった。ホテルの封筒で出していたので、郵便屋さんが問い合わせてくれたのかもしれない。ありがたきことこの上ない。中に履いていた荷物も無事であった。故宮博物館の展示品がいくつか載っている本を、母に見せたら、「素敵な物がいっぱい載っているね」と言ってくれた。そして、「家にある大皿に価値のないことが解る」とも言っていた。「なんでも鑑定団に出したらたぶん千円ぐらいだろうね」と言って二人して笑った。

 他にも簡単なアクセサリーが二つあるが、これらは、普段、お世話になっている病院の主治医にプレゼントしようと思っている。ちっちゃな物を入れるケースなのだが、表にきれいな絵がプリントされていて、周りは金メッキ。日本円で1500円くらいの物だが、結構高級そうに見えるのがミソである。

 さて、昨晩書いたblogの内容は忘れてしまったが、確か仏教について、なんたらかんたら、だらだらと書いたような気がする。途中で強力な睡魔に襲われ、あれこれしているうちに、書いたblogを消してしまった。私の操作ミスである。まだ、このキーボードに慣れていないことも原因だが、『った』と打つときに『tta』と押すのだが、『t』の連打が打ちにくい。それに、漢字変換機能もなんだか面倒なようになっている。これはパソコンがマヌケだからなのか、Atokがおかしいのか、判らない。まあ、パソコンとは大切に、仲良く付き合っていこう。

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あれれれれ

 四時間かけて書いたblogが消えてしまった。もう書く気力がない。キーボード慣れていないせいだろうか?

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信号一つで流れが変わる

 『信号一つで流れが変わる』というのは、私の故親父の言葉だ。現在私の家の近くの環状線を広げるべく大規模な工事をやっている。右折レーンを作っただけで、車の流れがよくたりと、不思議な感覚である。渋滞はいやだが、それで困る商売人んもいるようだ。

 このことを顕著に感じたのは、最寄り駅がバスターミナルに近い改札口を造った後のことである。家路を急ぐ方々は、みんなこちらを使うようになった。すると、今までの改札と、新しい改札口の間に人通りが少なくなった。昼間っからシャッターを下ろしている店が多く、多くは潰れたのだと思う。昔の私の行きつけだった料理屋さんも、客が減っていた。ラーメンや餃子は旨い物を出してくれるのだが、いかんんせん、客足がない。食べているうちに気がついたのだが、中味の量も減った気がした。味は落ちてはいないのだが、量が減った。

 伴い、この世界恐慌である。優しい店のおばちゃんも、算盤片手に悩んでいるのではないか。現在この通りで営業しているのは、おばちゃんの店と、吉野家くらいしか記憶に残ってはいない。この場合、『改札一つで流れが変わる』と言う感じなのだろうか。

 おいしいお店なので常連客が多かった。みんなで支えるようにしないと。でも、駅ビルを建てたいという思惑が裏にはある。駅がそれらの通りの店を干した感じだ。便利にはなったけれど、そういう方々の生活が心配でもある。

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フライング

 先程まで本日のblogを書いていたのだが、0:00に1分早いタイミングで投稿してしまった。何はともあれ、これはフライングである。集中してしまうと時計など気にしなくなる自分がいる。これはいいことなのか悪いことなのか、僕にはよくわからない。

 小学校の時に、異常に集中力のある友達がいた。もう25年以上会ってはいないが、授業中に本を読んでいた。教えている先生が側に行っても気付かない。確か、ガリレオについての伝記を読んでいたと思う。ハッと先生の存在に気付いたのだが、先生も感心したのか、全く怒らなかった。ただ、「授業中だけは本を読むのをやめてくれ」とは言ってはいたが、あまり強くは言ってはいなかった。

 彼は運動が苦手で、地味なタイプだったが、飛び抜けた集中力を持っていた。私が中学受験で落ちた学校に行き、東大に行ったらしいことは聞いた。彼は今頃、何をやっているのだろう?大昔、友達数人で彼の家に遊びに行き、水道管ゲームをやったのが懐かしい。余りにも面白すぎて、日が暮れた後におばさんに叱られて返った。

 懐かしい思い出ではあるが、もう二度と彼とは会えない気がする。官僚にでもなったか、自滅したかは解らない。せめて、偏っていないことを望む。たぶん彼なら、大丈夫だけれど、集中力の反対は空気が読めないことである。どうか幸せに過ごしていることを望む。

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荷物が届かねえ

 帰国しておおよそ五日。次第に疲れもとれてきて、ペースが戻りつつある。昨日はお袋と喧嘩したが、お袋にもそれだけのパワーが戻ってきたということだ。ちなみに、我が家では前の晩に喧嘩しても、次の日には引きずらないようにしている。お互いに、「おはよう」と言ったらチャラなのだ。それが家族である条件かもしれない。

 帰国する飛行機便で、僕の隣には若い少年が座っていた。少年と言っても、背も高く、二十歳ぐらいに見えた。よくよく聞いてみると、まだ14歳で中学生とのこと。驚いた。最初、中国語で「チン・ウェン(excuse me?)」と話してから、「Do you speak English?」と聞いてみたら、首を横に振った。しかし、日本語と中国語は話せるみたいだったので、日本語でちょくちょく聞いてみた。すると、現在、台湾に留学していて、両親は台湾人と日本人で、ハーフだと語ってくれた。「どこに帰るの?」と聞いたら、東京の豊島だと言う。「日本は寒いから、風邪をひかないようにね」と私は言って、アイマスクをつけて眠りについた。

 一時間後ぐらいに、スチュワーデスに起こされ、荷物をしまうように指示された。彼はブロック崩しのゲームをやっていた。『まだ子供なんだな』と思うと同時に、一年ぶりの帰宅に「ホームシックにはならないのかい?」と聞いたら、「ならない」と、彼ははっきり答えた

 ところで、故宮で送った私の郵便物がまだ届いていない。資料やお土産が入っているのだが、昨日、税関に問い合わせてもデータがなかった。それほど高価な物ではないので、台湾に掛ける電話料金の方が損なのだが、今日あたり郵便が届くことを望む。移動の際に重たいからと、台北の郵便局から送った物なのだが、lostしていたらもちろん抗議するつもりだ。

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陳さんの宝物

 台北の駅の南の繁華街をちょっと行ったところに華華大飯店というホテルがある。英語で言うとフラワーホテルだ。ここの服務台をしているのが陳さんである。服務台というのはフロントの何でも屋さんみたいなもので、客をもてなしたり、掃除までもやる係だ。フロントのロビーの傍らに陳さんの机があって、物で溢れかえっている。さながら陳さんのお城という感じだ。暇があると僕は陳さんと話をしていた。もう71歳なのに、僕よりたくましい腕をしておられた。僕が外で煙草を吸っていると、陳さんは缶ビールをくれたりと、粋なところもあった。

 ある晩、夕食を済ませた後に、フロントに日本語を話せる女性が二人いた。暇そうだったので、日本に来たときの思い出などを聞いていたが、陳さんについても聞いてみた。すると、二人は口をそろえて、「陳さんがこのホテルの看板です」と言った。後日、陳さんにこのことを話すと、テレてらしたが、嬉しそうだった。このホテルの宿泊率は日本人が50%以上を占めるのだが、陳さんを見ると挨拶をしている人が多かった。とにかく親切な方なのである。

 そんな陳さんが今、読んでいるという雑誌を見せてくれた。宝石の本だった。そして、自分の持っている宝石類を僕に見せてくれた。真珠のネックレス以外は全て、翡翠やエメラルドなどの緑色をしたものだった。どうやら陳さんは、緑色が好きみたいであった。陳さんの宝物を僕に見せてくれたのも嬉しかったが、陳さんが翡翠の指輪をはめたりしていることがこの上なくかわいらしかった。そんな陳さんから、日本地図を送ってほしいという依頼を受けている。疲れも大分とれたし、腰痛も治った。雪がやんだら本屋にでも行ってこようかな。

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帰国してみると

 日中、気温が30度にもなる台湾から帰国してみると、異常に寒い。暖房をつけているのだが、なんでも今晩あたり雪が降るとか。これでは、いつ、風邪をひいてもおかしくない。明日は雪かきをしなきゃならないのだろうけれど、パワーがない。

 台湾は道を通行する際に、車やバス優先であった。それから、信じられないほどの数のスクーターが走っていたし、路上に駐めてあった。よそ見しながら通りを歩いていると、いつ、はねられてもおかしくない状態である。一時停止なども無視している車が多かった。煙草を厳しくする前に、交通ルールやゴミの分別の方が先だろ、と感じた次第である。ホテルの服務台の陳さんに事情を聞くと、現在の台湾では衛生面や健康面に政府が力を入れているとのこと。空港の免税店にも煙草は売っていなかった。三年前と大違いである。

 のべで八日ほど家を留守にしたのだが、帰ってみると、お袋に元気がなかった。私も旅の後で疲れてはいるが、お袋をできるだけ励ましたい。親父亡き後、お袋も辛い思いをしてきた。いくら愛犬の弥七君がいるといっても、独りだと、やっぱり気持ちが沈むのだろう。私が精一杯フォローしてあげなければ。とは言っても、私も疲労のピークだし、今日起きたら、腰に痛みが走った。持病の腰痛が悪化したのかもしれない。いかんせん、荷物が重すぎた。

 さてと、blogも更新したし、下の部屋でお袋と話でもするかな。

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money money money

台湾でタロコ渓谷のツアーに行った時、ベルギー人の女性(既婚)と二人で参加することになった。ワゴン車でガイドさんが英語と日本語で案内してくれた。僕は二度目だったので、その人の顔を覚えていた。タロコで工場やら宝石屋さんを経営している人だ。

 行きは晴れてくれて、充分な観光ができた。ベルギー人のおばさんも、いろいろと写真を撮っていた。ガイドの社長さんは丁寧に案内してくれた。とても紳士的だった。

 観光が終わり、車で戻り始めると雨が降ってきた。「We are lucky!」とその社長は言った。この時点でベルギーの女の人は、社長だとは気付いていない。その後、昼食を食べながら、その女性といろいろと話した。すると、同じホールに、中国語を話す団体さんが多くやってきた。食事を終えた私と彼女は、話をしながら、帰るのを待っていた。そこにはタロコでとれる宝石類も売っていた。食事を終えた団体さんが買い漁る中、社長は必死に営業していた。僕もおばさんもかなり待たされた。おばさんは、「彼は私たちの専属のドライバーではないの?」と聞いてきたので、事情を説明した。そして、出発は30分後だと。すると彼女は社長に文句を言いに行った。雨の勢いは強い。・・・戻ってきたおばさんは、そこの店の、破った名刺を僕に見せ、「彼の頭の中ではお金のことしか考えてはいない」と言って、「He has two mouth. double face.」と言った。僕は破った名刺を燃やすのに「ライターを貸してあげようか?」と言ったらさすがに彼女も「いいわよ」と断った。結局、社長の息子が車を運転して、宿に戻ることになった。

 車の中で彼女は、「確かにお金は必要なものだけれど、お金のことばかり考えていたら、いろいろなものを失う。いろんなものを壊してしまう。世の中にはもっと大切なことがあって、健康とか思いやりの方が大切なのよ」と英語で僕に言った。私は、「僕もそう思う」と言った。社長の息子はボンボンで、英語が解らないので、お互い、言いたい放題に言っていた。と同時に、拝金主義者のことを考えると憂鬱だった。

 ベルギーの女性と別れ際に握手して、「Nice to meet you」と挨拶した後、僕もホテルに戻った。気分は最悪だった。そんな中で、宿のおばさんと四時間くらい話して、癒されたのである。

 

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無事帰国

 無事に帰国。疲労困憊。今日はのんびりとしたい。

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