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実朝の歌

 去年の今頃、僕は実朝と曹植の類似点を記した。その際、百人一首に出てくる実朝の歌はあまり迫力と深い哀しみがないと書いた。一年近くを経た今でも時々考える。そして、迫力はないが、深い悲しみを悟った。採り上げているのは次の歌である。

 『世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海女の小舟の 綱手かなしも』(鎌倉右大臣) 僕が現在読んでいる本の解説はこうだ、『この世の中は、永遠に変わらないものであってほしいものだ。海岸沿いに漕ぎ行く漁夫の小舟のへ先につけた縄を、ほかの漁夫が引いて行っている風景は、しみじみと心が動かされる面白いものよ』

 上の解釈では何が言いたいのかが解らない。デタラメである。だいたい実朝が面白さなど感じているはずがない。ここは、海女と天(朝廷)を掛詞ととらえ、小舟も現在の中国に亡命しようとしたものであると考える方が適切である。また、同様に最後の『かなし』も哀しみの意味でとらえるべきである。この本の解釈は写実的で、叙情性に欠ける。

 源の家は自分の代で滅びることを察知していた(北条家が暗躍していた)実朝は、自分の代で家名を上げることに専念する。結果、暗殺されるのだが、この思いが込められた歌だと感じるようになった。私なりの解釈だと、『(前略)なれど朝廷へと官位を求めるようなことしかできない将軍(自分)であることが(舟で亡命しようとしても、舟が浮かばなかったことが)悲しいものよ』ぐらいに訳す。だから、百人一首に、源実朝とではなく鎌倉右大臣と書かれているのではないか。

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