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ファウストは何故『悲劇』なのか

 大分前に、ゲーテの研究をしてみたいという友人がいた。いいね、言った私は、それなら、ゲーテのライフワークである『ファウスト』ついて研究してみるのがいいと語った。特に『ファウスト』が何故悲劇なのか考えてみる価値はあるとも語った。表表紙には書かれていなくても、中表紙にはきちんと『悲劇・ファウスト』と書かれている。

 ファウストを簡単に述べると、何もかも研究し尽くしたような博士が、悪魔のメフィストと契約をして、若ささを得た上での物語である。古来からの物語であるが、ゲーテによるものが集大成に近い。一級のドイツ文学だ。ハイネの詩集なども読んではみたが、全部、恋の悩みで片足を棺桶に突っ込んでいるようなものだった。

 友人の解釈では、本当に愛するものを手に入れられなかった哀しみが悲劇なのだということだった。でも、僕はこれを信じない。そういう哀しみは、ゲーテの詩集に度々出てくるからだ。その概念は適切ではない。もちろん友人には黙っていたが・・・。

 ゲーテのファウストの悲劇とは、いくら若くて博学であろうと、必ずしも求めるものを手入れられない苦しみなのだ。畢竟、『人間は神にはなれませんよ』と言われている気がする。僕はそこに悲劇たる要素を感じたのだが、皆さんいかに解釈しますか?

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