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2009年1月

電池切れ

 昨日パソコンと12時間格闘したら、

無性に眠い。

睡魔に負けて寝る。

この話はまた書く。

あしからず・・・

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繰り返してきた過ちに

 貴女が悲しみの淵に沈むとき

そこにいるのは身内だけ

貴女がそれを大きく後悔する時

そこでは全て不完全

 かつての俺は

全て友人に助けられた

僕が悲しみの淵に沈む時

どこからともなく声がかかった

 俺があの瞬間を思い出す時

涙があふれる

 かつての君は

全て思いやりに欠けていた

 

 どうか

人の気持ちを踏み躙らない

思いやり深い人になって

 どうか

人の気持ちを広く受けとめ

この世の情けを知って

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受験

 去年も書いたが、入試とは易しいところから受けていって、ステップアップしていくものである。僕が受験生だった頃は、第二次ベビーブームと重なって、都内の大学は恐ろしい倍率だった。親が下宿はさせられないというので、何としても合格する必要があった。しかし、行きたい大学は実質倍率で3~4倍あったし、なかなか確信が持てなかった。何度も模試を受けているうちにふと気が付いた。3倍と言っても、三人に一人は記念受験。実質は二人に一人、つまり、同じだけ努力してきた人間が、自分の影と骨を削って殺し合うものだと。

 現役の時に体調管理で失敗したから、一浪の時は徹底的にに生活リズムを整えた。すると、自然と、夜になると眠くなるのである。受験前日もそうだった。気の弱い友人は、酒の力を借りたらしいが、既に酒の味を覚えている私には、その戦法は使えなかった。毎晩、親父のビールを頂戴し、金箔入りの日本酒を引っ掛けていたのだ。これではお酒で眠れるはずもない。両親は気付いていたみたいだが、私の合格後に文句を言った。親の情けである。

 私は宅浪して大学に行ったが、一週間に一度は遊ぶ日を作っていた。そうしないと持たないのである。一日十二時間ぐらい寝ていた私は、起きている間はほとんど勉強してた。そんな時の夜の楽しみが缶ビール二本であった。タバコも気分転換に相当吸っていた。

 私はのべで四ヶ月しか集中力が持たなかった。普段からコツコツとやっている人が羨ましかった。

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同系色

 中学一年の時の美術の宿題で、好きな野菜を買ってきて、包丁で切り、その断面図を書きなさい、という課題が出された。別にフルーツでもよかった記憶がある。

 僕はスーパーに出かけた。何がいいだろうと物色しているうちに、カリフラワーかブロッコリーかが目に止まった。ブロッコリーだったと思うのだが。嫌いな食材ではあったが、あのモコモコとした中が、どうなっているのか疑問に感じた。僕はそれを選んだ。

 学校に持ってゆき、美術の時間に取り出したら、先生がビックリしていた。「お前、それ、どうしたんだ?」と聞かれたので、「近所のスーパーで選んできました」と言うと、「自分で買いに行ったのか?」と聞かれ、「はい」と応えた。先生は自分の出した宿題にもかかわらず、私が自分で選んできたことを、褒めて下さった。

 いざ、ブロッコリーを切ってみると、大したことはなかった。茎の部分に穴が開いているだけだった。また、書いているうちに、外側も中もブロッコリー色にしたのだが、どうも同系色でインパクトがない。迷って、外側を緑色にしてしまおうかとも考えたが、写実的ではない。迷った挙げ句に同系色で書いたのだが、先生は「緑の方が良かった」とおっしゃた。

 その後、僕ともう一人、オレンジの断面をインパクトある様に仕上げた二人が、みんなの前で優れた絵として、表彰された。絵を描いたら、いっつもこの二人が評価された。多分私は一度も外してはいない。鯛の絵を骨から描く子供であった自分は少しだけ自信を持った。

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訳の分からないblog

 前回のblogは寝ぼけながら書いた物なので訳の分からないものになっている。このことについて、猛省している。

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むかついた

 先程まで「新年会」について一人で議論していたが、

残念ながら消えてしまった。

書く気がしない

スタミナ不足ということで(←かなりののこじつけ)

 ・・・マカダミアンナッツでも食うかな

 ¥¥¥¥いとをかし。を過ぎて、いとおとおそしだ。

 

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『Katsu』の味

 こないだ、草加の東口、アコス3Fにある、多国籍料理の店『Katsu』で新年会を開いたが、一人壱万で、半端じゃなくうまいものを食わせてくれた。多分、店長が大分おごってくれた気がする。ありがとう。

 競馬好きの私は、これまで馬刺しは食べなかったのだが、初っぱなに出てきたので、ガツガツ食べた。ガツガツと言うよりも、醤油をちょっとだけ垂らして、素材の味を堪能した。霜降りのところは、マグロの大トロみたいだったし、たてがみのところの白い肉もこりこりしてはいたが、脂のノリが最高だった。他にも生ガキやらトマトにバジルソースをかけたものやら、チョリソーのソーセージやら、こんなにうまいもの食べてもいいのか、と言うぐらい初体験の味が多かった。終いには本マグロのお頭を焼いた奴が出てきた。これがつつくと、いくらでも大トロの部分が出てくるのだ。調子に乗って目玉まで食べてしまったが、全て隙のない旨さであった。大体、家庭用のオーブンじゃ焼けないくらいにでかかった。

 日本酒も斗瓶造りといって、一斗単位で生産される、大吟醸の極上のものを出してくれた。店長曰く、「埼玉でも数件しか置いてないだろうし、あっても一杯5000円はするぞ」とのこと。うまい日本酒というのは、ミネラルウオーターのように飲める。そして後から舌に香りが残る。それも、いつもの場合と違い、舌のうまみを感じる部分が違うのである。その後に出てきた芋焼酎も特級品であった。不思議なことに、いいお酒とは残らないのである。一泊する予定だったが、終電に間に合い、無事に帰ってこれた。マスターのKatsuと弟のケンちゃん、スタッフのみなさん本当にありがとうございました。

 ちなみに『Katsu』のURLは

http://r.gnavi.co.jp/b250200/

である。リピーターが多いらしい。その舌をもって確かめられよ。

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ミュンヘンの街

 僕がミュンヘンの街を訪れたのは、十年以上前のことである。ミュンヘンとはドイツ南部の街でビールの都でもある。

 ヨーロッパを鉄道で旅していた時のことだ。夜行列車でパリからミュンヘンに向かった。ほぼ、東に移動することになる(それ以上北は寒くて行けなかった)。駅に着くと宿探し。すんなり決まったが、当時のドイツの通貨であるマルクはレートが悪かった。こだわっても仕方がないので街に出た。大学一年の時に第2外国語で選択したドイツ語の教科書の表紙の写真の街だった。赤い屋根、石造りの建物。何とも言えない気分で、僕は街の中心にあるPubに寄った。席に着き、黒ビールを頼むとうまい(日本の黒ビールは駄目である。コクが違う)。すると、僕の前のテーブルに朝からリンゴ酒を飲んでいるおじいさんがいた。みんな朝から飲んでいるのでそれ程気にならなかった。勘定を払い、郵便局へと寄った後、理工学博物館に向かった。旅の前に友人から面白いと聞いていた場所だ。

 実際に、理工学のいろんな実験が、手間無く行えるのである。オームの法則を体験したりもした。また、さすがはゲルマン民族と、驚きもした。

 昼過ぎの宿への帰り道、僕は行きに寄ったPubに寄り、同じ席でビールを飲んだ。すると、前のテーブルでは、まだ、おじいさんがリンゴ酒を飲んでいた。僕に気付いたおじいさんはドイツ語で「ミュンヘンは気に入ったかい?(多分)」みたいなことを尋ねてきた。私は、「Ya!(はい!)」と言って乾杯して宿に戻った。ドイツは(寒かったけれど)居心地のいい国だと感じた。

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寺に行く

 昨日は、コタツがぶっ壊れて、ある家電量販店に行ってきた。届くのは一週間後だとか。この一番寒い季節にコタツがないのは厳しい。その後、LANケーブルを買いに私は彷徨い、お袋は毛糸を求めにとある店へと向かった。最近のお袋は手芸に凝っているのである。元々、親父を亡くし、気休めにでもなればという私のアドバイスから産まれたものだが、本格的にやり出した。ボケ防止どころか、オークションでサバくと意気込んでいる。編み物の写真の取り方や、『かわいい』という美的センスがない私にではなく、弟のカミさんにサバいてもらう予定だ。その代わり利益も折半にするとか。

 待ち合わせ場所を決めたはいいものの、早々と用事が済んでしまった私は、地下でたこ焼きを食べていた。タコが小せえなと思っていたら携帯が鳴り、待ち合わせ場所に行った。口の中は火傷だらけだった。百貨店を後にした私たちは、檀家になっている寺へと向かった。今年の親父の一周忌に坊さんに来てもらうためだ。ナビに沿って訳の分からない道を通っているうちに着いたのだが、私の知っている道沿いの寺だった。車を駐車場に停め、どんな寺なんだろうと行ってみたら、庭など無く、建物だけだった。インターフォンを押して中に案内されると、見事な阿弥陀如来像があった。焼香させていただいた後、お茶を頂いたが、口の中に激痛が走った。たこ焼きでの火傷のせいだ。気合いで全部飲んだ。

 寺はまだ十年経っていないそうだが、本尊の阿弥陀如来像は素晴らしかった。住職はいなかったが、奥さんだろう人が丁寧にもてなしてくれた。

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新年会か

 昨日の夕刻、携帯電話が鳴った、高校時代の同期の奴からで、「誰々の転職祝いと、誰々の結婚祝いをやろう」という趣旨だった。場所は東京らしい。今日、そいつからメールが回される予定だ。他の友人にも連絡をとって、その旨を伝えた。

 今年の幹事をやる奴から、全く連絡がないので、今年の高校の方の新年会はボツだと思っていただけに嬉しい面はある。・・・『嬉しい』→女が喜ぶと書いて『嬉しい』という漢字になるのも奇妙だな。

 とにかく、元バドミントン部のメンバー(私は帰宅部)で集まる事が今年も出来るらしい。幹事の奴には、先月、催促のメールを送ったが、なしのつぶてだった。もう、こうなったら毎年私が幹事をやるしかないかも知れない。一方で、同期の学年の中では、T氏の率いる軍団が勢力を伸ばしているらしい。他にもテニス部の結束も固く、こちらは毎年忘年会をやっているという。どちらもお誘いが来たが、どちらも様子見とした。

 大学時代の親友達との新年会は、いつも私が幹事をやっている。それは、ものすごい情報交換の場となるし、忙しい連中だらけなので、勧んでやっている。年に最低二回は会いたいものだ。

 さて、去年はカラオケバトルとなった高校時代の仲間の新年会だが、今年はどうなる事やら。

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どうでもいい

 どうでもいい。今日は書きたくない。

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ストップ・イット・ラィティング

 気が向いたらまた書く。

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シカゴ五輪説

 次回のロンドン五輪の後の五輪の誘致合戦が繰り広げられているが、今のところ東京の評価は一位だとか。しかし、私はこのタイミングを、石原慎太郎の勇み足と解す。もう一大会後ならかなりの確率でもってこれただろうが、次々回というのは北京五輪があった以上、アジア圏での開催は難しいと考える。

 そもそも、北京五輪自体が何だったのかというお話しになる。すぐさま世界恐慌が来たせいもあるが、まさしく夏の夜空の花火であった。それもイマイチの。全体的に盛り上がらず、注目度は低く、何だったのか解らなかった。直前にも聖火ランナーの問題や、四川大地震などの恐ろしい兆しがあった。北京五輪はまさしく失敗に終わった。

 で、次回のロンドンオリンピックはどうでもいいとして、その次の開催地には、経済復興のシンボルとなる地が選ばれるだろう。ここで南米の目は消える。東京の目も消える。開催地はきっとシカゴだろう。オバマ新大統領の出身地にも近く、自動車の街デトロイトともかけ離れてはいない。現在のところ、アメリカが経済の舵取りを誤ったら、世界が沈没する。景気復興策の目玉としては、シカゴ五輪は外せない。この読みは当たるかどうか解らないけれども。

 いかんせん、アメリカで五輪をやりすぎだが、一番の景気刺激策になるのは間違いない。

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若きヴェルテルの悩み

 初めてゲーテを読んだのは

二十年以上前のことだった

もう若くはないけれど

あなたを想う自分が

ヴェルテルと変わらない事に気づくんだ

 詩人はみんな

自意識過剰だから

出逢いのチャンスを

ことごとく逃す

たった一度きりなのにね

 夜空にことさら美しくも輝く一等星

僕はただ見つめるだけ

砂浜に寝っ転がって

まじまじとみつめる

潮騒とのハーモニーを楽しむんだ

 やがて東の空が白ばんできて

少しの眠りから覚める。

印象深い日の出だ

僕は叫ぶ

「もっと光を!!」ってね

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奇跡とは

 奇跡とは『念』なり。

思い込む心の強さの結果なり。

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解ってくれないなら

 今日は僕の誕生日だけれど、解ってくれないなら何度でも書く。

むしろ、解ってもらえたら嬉しいなという気持ちで。

 帰国子女が名無し草になるのは仕方がないことなんだ。

その風土、文化、歴史を知らなければ意味がない。

要はその国に根ざしている哲学の問題なんだ。

 日本は多神教の仏教を取り入れているから、

おおらかな面もあるけれど、断固とした哲学がある。

基本は、やっぱり『武士道』かなあ。

卑怯の概念。

だから謹慎などという罪も成り立ってきた。

 地球は丸いし、様々な風土があったから、

いろんな宗教が出てきたし(生活のための)、

いろんな民族が出来た。

 それぞれの場所でオリジナリティーがあるし、

着ている服一つからオリジナリティーがあると思う。

源流に帰ると、

それは私たちの、皮膚の色や、髪の色や、眼の色と同じ。

 結局、帰国子女の問題は究極のグローバリズム論だと思う。

だけどどこかに根を張る場所を作らなければいけない。

主権あっての国家であり、国家あっての主権でないのと同じ。

家族を見付けるなり、文化に惚れ込むなり、

なんでもいい。

知らないうちに根なんて生えてくるんだから。

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帰国子女が背負うもの

 私が高校時代に通っていた数学塾で、帰国子女の人がいた。男子校の先輩でもあったが、文系志望なのに、その優秀さから、理系のハイクラスに入っていた。塾の親分の先生も眼にかけていて、モテるし、デキるし、言うことなしと言っていた。実際、思いやりのある先輩だったし、平気な顔で東大に行った。

 あるクリスマス・イブのミーティングの時、父母面談があった。私は両親を泣かせるんだろうと落ち込んでいた。いつも怒られてばっかりだったからだ。しかし、親父とお袋は元気な顔で帰ってきた。かなり意外な誤算だった。寧ろ私を評価してくれていたと言うのだ。

 私には、ある帰国子女の、相当優秀な親友がいる。今回の新年会では会えなかったけれど、リスペクトしている。そんな彼と、一度だけ、『自分の根を下ろす場所』について語ったことがある。彼曰く、「アメリカに行ったら、俺は中途半端な日本人で、日本に来たら中途半端なアメリカ人なんだ」と悔しそうに言っていた。

 クリスマスのミーティングの時には、ボロクソに言われている人もいたらしい。師匠は歯に衣きせぬ人なのだ。だから、「あんたみたいなのに医者になってもらっては困る」とも言っていたし、一方で、金さえ積めれば医学部に入れてやる、というようなコネの広い方であった。

 師匠も懐かしいが、帰り道で、故親父がボソッと母親に「帰国子女にもいろいろあるんやで」と呟いたらしい。これは文化の問題だと、現在の私は考えている。

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美人アレルギー

 昨日、親父の墓参りに行く車中で、とんでもない美人を観た。風景を見るふりをしながら、チラリチラリと様子を伺っていた。モデルか何かやっているのかと思わせるほどの美人だった。私はスタイルまでは観ないから、何とも言えないが。とにかく、電車の中であんな美人と会ったのは久しぶりのことである。

 もし、私が話しかけられても、しどろもどろになっていただろう。だから、自分から話す勇気などとても持てなかった。それを昨日の新年会で友人に話したら、「強迫神経症だ」と笑われた。しかし、自分が本当に好きなものを「好きだ」と言えるほど私は人間が出来てはいない。自分に自信がない証拠なのだろうか。

 僕は、好きなものを好きと言える人に憧れる。これも素直さと自信なのだ。ナヨナヨとしている自分は斬ってやりたいが、美人の前に出ると頭が真っ白になる。これはアレルギー以外の何物でもない。普通の人なら、得意のしゃべりが生きるのだ。

 しかし、その女性がローカルな電車の中で、携帯をいじり始めた時に、魅力は半減した。僕の心は冷めた。携帯電話をいじること自体が悪いとは思っていない。でも、それに取り憑かれる心が不気味なのだ。私は車内での携帯いじりと、茶髪が猛烈に嫌いなのだ。女性としての尊厳を欠いている気がしてならない。大和撫子とはこうではない。何かその女性に、クールさはあっても、気高さは感じられなかった。

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新年会だ!

 身内の安全を考えて、あえて場所は明かさないが、今日、都内某所で新年会が行われる。計三名が今回は見送りとなったのは残念だが、それでも久々に集うのは楽しい。去年の夏の会は、私の親父が他界したことにより、潰れてしまって申し訳なかった。今回は精一杯盛り上げるつもりである。

 とは言っても、いくつかのの約束のうち、blogを続ける事しか守れなかった。猛烈な糾弾を予想しているが、親父の死で、糸が切れた凧みたいな気分は今でも続いている。明日は墓参りを済ませてから、店に向かう予定だ。まもなく没後半年になる。友達の助力を得て、ここまで立ち直ることが出来た。感謝している。

 明日、私は日帰りできないので、どこかのビジネスホテルにでも泊まる予定である。そこまでしてまでも価値のある新年会だ。うまいものが食える店ということで、そちらの方も楽しみにしている。なんだか話が弾みそうだな。みんなが学生時代からの親友である。だからワクワクしてしまい、こんな時間でもblogを打っている。小学生が遠足に行く前の夜のように、なかなか寝付けない。しかし、blogを始めて、P.M.10:00~A.M.2:00の間に起きることがあまりにも多くなった。いわゆるblogタイマーである。アイデアが浮かばない時には苦しむが、そういう時は、軽くお酒を引っ掛ける。故親父も、そんな私を観て、「酒に頼らずに、気楽にやりなさい」とよく言っていた。懐かしい。それにしても、指先が冷えるなあ。

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友達というもの

 今年の新年会は、やむをえずの棄権者が二名出た。話し甲斐のある連中なので残念至極である。聞きたいこともたくさんあったし、話したいこともたくさんあった。立場を解っているから責める気もないし、ただただ納得する。仕方ないなと・・・。

 ・・・昔付き合いのあった友人がこう言った。「友達にしたい奴は一杯いるんだけどよう・・・なんだか全部が利害関係で動いている気がしてならねーんだ」・・・僕はこの意見を否定しない。そのために、友達のフリをしている人間が多すぎるからだ。こんな事は、寧ろ、学生時代より社会人の方が多いのではないか。

 哀しいかな、僕には異性の友達がいない。いても、友達のカミさんとかになってしまう。尊敬はしているのだが、男同士の友情の方が固い。三十ぐらいは家族のバランスが崩れる時と、友人から言われ、脳天気な私も妙に納得している。

 好きなものを好きと言えない自分がいて、堕落を重ねた自分がいて・・・独りで生きてゆく覚悟は出来ている。母を見送るまでは、まだ死ねない。父に出来なかった分、母には奉公したい。私が何で生きているかって?・・・よく解らないなあ。必要とされる人(親族、親、親友、恋人、社会などなど)がいてくれたら、強く生きて行けると思う。社会を恨まなくなったのは数年前のことだ。

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化学実験

 大学一年の時の化学実験はひどかった。毎回実験が終わった後に気付いたことを書けと言われていたのだが、全て解りきっていたことなので、別段書くこともなかった。なのに周りのみんなは必死で書いている。いつも、しらけた気持ちでいたが、ほとんど白紙で出していた。おかげさまで単位はBだった。

 それよりも驚いたのは、毎週出される化学の問題の、模範解答の答えがことごとく間違っていたことだった。最初は自分の間違いかとも考えたが、やっていくうちに、明らかに答えが間違っていると確信した。馬鹿馬鹿しくてそれからは問題を解かなくなった。根本的に解っていない奴と組めば、必ず事故が起きるのである。そんなことで死にたくはなかった。いっちょ前に白衣を着ようが駄目なものは駄目なのである¥。

 基本的に、化学は好きだったが、実験や問題にことごとく正解しても 、判定がBなのには納得がいかなかった。私より相当、出来が悪くても、よい子にしていれば単位がもらえた。もちろん、本当に優秀な奴もいたが、そんな奴は珍しかった。

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成人式の思い出

 昨日が成人の日だったらしいが、私には大人になる自覚もなく、ロクなものではなかった。学生だったからかも知れないが、本当に自覚がなかった。元服の儀ならまだ解るのだが、成人式というのはどうもなじめない。これから堂々と『飲む』事が出来るとしか考えてはいなかった。もう遠い昔の思い出である。

 タバコや酒などは、十代の頃から吸っていたし、飲んでいた。学生なので馬券が買いに行けない不手際はあったが、普通に買いに行っていた。別にグレていたわけでもなく、普通の高校生をやっていた。当時は、まだ、今ほどせせこましくなかったのである。

 成人の日には、高校時代の仲間と、市のホールに出向いた。晴れ袖姿の女性を観て、美しいと思ったが、別段記憶もない。最近話題になっているような暴動も起きなかった。背広にコートをまとって行った。どこかのバンドが演奏していたが、今はもう消えた。

 成人式の後、街で一杯引っ掛けていたら、北海道で地震があり、こちらも揺れた。その後は、次の日が授業だと解っていても、麻雀をしてしまった。私の母校の側の雀荘でのことである。徹夜明けで空が黄色い中、みんなで牛丼を食べて帰った覚えがある。土曜日の朝のことだ。土曜日は国民の祝日、と決めていた私は、みんなが通学する中、友達と家路についた。今思えば、その科目を落としていたら、留年だったのに、よくもやったものだ。

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まけるのか

 ちょっと前までなら、中途半端なお兄ちゃんは敵ではなかった。襲いかかってくれば、ぶちのめすだけだった。もちろん自ら好んで喧嘩などするはずはない。避けられない場合に、やむを得ず執ってきた手段だ。それがここのところの体調の変化からして、負けてしまうイメージが焼き付いてしまった。こうなったらもう、喧嘩はしないことである。どこを殴られても潰れない体に生んでくれた親には感謝するが、イマイチおかしいのだ。まず、体にキレが無くなった。スタミナもタバコのせいでたかが知れている。何より眠い。

 肩で風を切って歩いていた時代もあった。私は、多少、剣道をたしなんだぐらいだが、これといって格闘技の経験はない。だからといって大負けしたこともない。素人相手に本気になったこともない。ただ、男の気構えとして、いつ何時、襲われても平気なようにはしていた。それがここのところおかしいのである。

 センサーが狂ったのか、体力の衰えかは知らないが、体の底から燃えたぎるような情熱の炎が感じられない。親父の死も関係しているかも知れないが、次への1Pが欲しい。もう、喧嘩するような歳ではないのだ。喧嘩になる前に察知して止めなければならぬ。絶えず気を張り巡らせつつ、絶えず穏やかでなければならない。禅に通づるところもある。って、これが一番難しい状態なのではないかとも感じる。一歩先の空気を感じるというか、私には、まだまだ出来ないようである。

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お礼の紅茶

 昔、初めて紀伊半島を車で一周した時、潮岬で夜を迎えることになる日があった。夕飯を食べるために、串本の町に入り、コンビニの駐車場に車を停めた。どこか食事を採れる場所を聞くために、コンビニのスタッフに聞いてみた。スタッフと言っても、バイトの高校生の女の子二人である。すると、いくつか教えてくれたのだが、食事の間、車を停めておかせてもらえるようにお願いした。二人の女の子は快諾してくれた。それで、私は、とあるお店まで、歩いて行った。

 夕飯は地元の名産を食べたかったが、よく判らなかった。仕方がないので、ハンバーグかステーキを食べた記憶がある。バイトの女の子達は、高くてまずいと言っていたが、空腹の私には、ありがたいものだった。確かに値段は高かったが、コンビニから近かったのでそこを選んだ。客も結構いたと思う。

 さて、コンビニに戻ってみると車が無事停まっていた。店内に入り、二人にお礼を言うと、私はドリンクのコーナーに向かい、ロイヤルミルクティーのペットボトルを二つ取って、レジに向かった。お金を払うと、「ありがとうございました」と言ってくれたが、次の瞬間、そっと二人に手渡した。「これはあなたたちへのお礼」と言ってから、「これが嫌いだったら好きなドリンクと交換してもいいんじゃない?」と二人にプレゼントした。二人とも喜んでくれて、お辞儀をしてくれた。私としては、年端もいかぬ女の子が、責任を持ってくれた事への感謝であった。

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メンデレーエフの周期表について

 メンデレーエフの周期表といえば、化学を知る者なら誰でも知っているだろう。私自身、受験の時には重宝した思い出がある。化学の一番の基礎だからだ。よく、「水兵リーベ・・・(H,He,Li・・・)」などと言って覚えたものだが、この周期表、縦、横、斜めに使えなければ意味がない。電気陰性度や、酸化還元のシステムなどにも使われるからだ。語呂合わせもいいが、意味が解っていないと、どうしようもない。

 話は変わるが、僕はどちらかというと、有機化学の方が好きである。パズルみたいな面白さがある。大学の教養レベルであるが、面白かった。要は電子がどのように動くかで反応が決まり、Hが+、Oが-ということを知っていればいいと悟った。・・・この科目、大学一年の時には落としたのだが(恋によるノイローゼのため)、二度目は一夜漬けでマスターした。もちろん、専門に行けばもっとややこしくなるのだろう。

 さて、ここまでメンデレーエフの周期表のありがたみばかりを述べてきたが、僕はそうでもないと考える。確かに化学にとっては重要な発見だが、合金などを除いて、オリジナルな物質というものが見えなくなってしまった。もちろん物質それぞれはオリジナルなのだが、新物質というものなどを、SFの映画などで観ても信じられなくなった。これでは合理を得て、夢を失ったのと変わらない。周期表は偉大なものだと認めてはいるのだが、一概にそうとは言えないのも本音だ。原子核と電子を考えると、長岡半太郎を思い出す。

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不思議なもので

 不思議な物で、今日は書くことがない。

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株を買う

 昨日、独りで、とある街の証券会社に行き、生まれて初めて株を購入した。初めてということで、口座を作ることから始めたのだが、これが結構面倒な手続きだった。一通り書類に記載して、審査を受け、株式購入という流れだった。そこで、友人の会社の株を一株購入した。単価が高いので仕方がないのである。もちろん、友人だからといって、法律に反するような情報は得ていない。それに僕は、『友情の証』として購入したのである。だから滅多なことでは売る気はない。金もないのに無理して買ったのだ。

 行ってみて驚いたのは、既に前日比で数千円UPしていたことだった。一日遅かったかと悔やんだが仕方がない。なりゆきで株を購入した。今朝の朝刊を見てもまだ続伸している。株価はは底を打った感もあるが、実際にはアメリカ次第であろう。「神様、仏様、オバマ様、頑張って下さい」という声をかけたいところだ。

 帰路、ガソリンを入れに行ったのだが、ハイオクでリッター101円という価格には驚いた。お正月スペシャルでリッター当たり7円値下げしてくれたのだが、あまりに安い。給油口から溢れんばかりにガソリンを入れた。いわゆる超満タンという奴である。

 さてと、これから友人の会社のHPに行って、株価の続きでも観てみましょうかな。

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 私は今まで一度も、「この株は買うべきだ」などと言ったことはない。株でもうけること自体が間違っていると思うからだ。一度、株で利益を得たら、収拾が付かないと考えている。この不景気の中、株を買うのなら、金持ちでなければならない。金持ちにとっては、今が収穫期なのである。我が家にそんな金はない。

 しかし、チャンスと思えばチャンスでもある。明日あたり、友人の会社の株を一株買ってもいいと考える。友達の会社の株で儲けようとは思わない。当たり前のことだ。しかし、新聞の経済欄を見ると底を打った気がする。イスラエルの安定化も関係しているのではないか。

 イスラエルは今や戦場じゃないか、という意見もあるだろう。しかし、あれは一方的な侵略なのである。ガザ地区を焦土にする作戦としか考えられない。・・・いつになったら、人間は愚かな道を歩まなくて済むのだろう。一神教同士が争っても、きりがないのだ。

 株が安いと言っても、少なくとも3年、長くて10年は不景気が続くだろう。そう考えると、金とは時間を買うためにあるような気がしてならない。つまらない欲はかかないに超したことはない。ここで改めて響く言葉がある。「友達の会社の株で、もうけようとする奴は本当に友達なのか?」昔、私自身が放った言葉である。

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学校

 数年ぶりに、映画の『学校』を観た。田中邦衛がいい味を出している中で、最後の『幸福』とは何かというテーゼが残ってしょうがない。私はかつて、幸福論なども読んだことはないし、改めて『幸福』ということに考えさせられた。久方ぶりのことである。

 ペシミスティックに言うと、人生に『幸福』などは存在しない。しかし、この様に考えてもいけない。お金の問題ではなく、仏教で言う生老病死の問題だ。これはどんな人間でも背負うものである。仏教で言うところの、四苦八苦のうちの四苦に当たる。

 そんな中で『幸福』とは何か?と聞かれたら、私だったら、生活の充実度と応える。とは言っても、生活そのものが成り立たなければ意味がない。毎日、新聞は、派遣社員の切り捨てを報じている。そこに充実などあるはずがない。懸命さだけだ。

 仮に自分がJailに入ったと仮定すれば、庭の草木一本一本が、毎日、新鮮だと感じられるだろう。そんなささやかなところに『幸福』というのは眠っているのではないか。普段、忙しすぎるが故に見失ってしまう『幸福』が多すぎる気がする。

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眼鏡づくり

 昨日の早朝、母を某駅前で送ってきた。おじさんの葬式のためである。母の出発までに二時間早く着いた私たちは、スタバに入りのんびりしていた。私はスタバに入るのは初めてだったが、ドトールよりも味がよいことに気が付いた。ただ禁煙なのが痛い。タバコを飲む人というのは、コーヒーにもこだわりがあるのである。

 母を送ってからは、帰路につくのだが、無性にスペアの眼鏡が欲しくなった。日曜だから混んで吐いたけれど、そこは手際よくやってくれるお店だ。眼圧検査に視力の測定、タッタカタと済ましてくれた。

 そして、いざフレームを選ぶ段になると、流行の細い眼鏡ばかりでレンズの大きい者がなかなか無い。細い眼鏡は、蹴る間を運転するときに死角が多くなって怖いのだ。フレームをどれにしようか迷っていたが、フレーム係の方が来て下さった。そして、視野の広いレンズを頼むと現在かけている眼鏡を参考にして下さった。

 それにしても驚いたのは、眼鏡屋のの九割が細め飲眼鏡を売っていることだ。いくらファッションにしても、やり過ぎである。ただでさえ視野の狭い、お兄ちゃんお姉ちゃんに、視野の狭い眼鏡はいかがなものか。

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寝正月

 今年の正月はよく寝ていた。というより、やたらと眠かった。まさしく寝正月である。おせちも食べたし、駅伝も観た。のんびりとした正月であった。よく考えてみると雑煮を食べてはいない。家の雑煮にはカキを入れるのでいいダシが出てうまいのである。これを食べなかったことだけが心残りというところか。

 昨日の昼には弟の家族がやって来て、みんなで手巻き寿司を食べた。特に弟の子供達がよく食べるのには驚いた。嬉しそうに食べていたので、作った母も嬉しかったろう。弟の子供の長男の方は明太子を、次男はイクラをバクバク食べていた。私と弟は新年なので、早々に一杯やっていた。梅干しを入れたコップに焼酎を入れ、炭酸で割って乾杯といったところである。

 その後、子供達がDSを取り出して遊んでいた。貸してもらって大人の脳力を計る奴をやってみたが、なかなか上手くいかずに嫌気がさした。そして、よく見るとマリオカートがある。マリオカートならスーパーファミコンでさんざんやった。弟の子供に勝負を挑むも四連敗。ガキパワー恐るべし。細かいので、やたらと肩が凝ったが、ガキどもと親睦を深めた。・・・そうだ、お年玉も渡した。痛い出費だったが、ガキどもが喜ぶ顔を見ると、なんだかこっちまで嬉しくなる。

 さてと、今日は葬式に行く母を最寄りの新幹線の駅まで送らねば、御免。

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悲しみの連鎖

 正月早々、故親父の兄貴に当たる親戚のおじさんが亡くなった。昨日の昼のことである。葬式は明日が通夜で明後日が告別式らしい。関西なので、私のお袋が向かう。それにしても、どうして不幸という物は重なるのだろう。悲しみの連鎖が始まった。これで父方の祖母の耳にも、当然、知らせが入るだろうし、そうなったら、認知症の祖母とて、落胆するに違いない。高齢なので体の方も心配である。智恵の塊のような人だったが、現在その面影はない。介護施設でも、寝たきりになったと聞き、心苦しい。亡くなった親戚のおじさんが70過ぎだったから、ばあちゃんは90近いのである。

 おっちゃんの子供である従兄弟の男兄弟二人は、既に実家に帰っているという。その心中を、おもんばかるかるのみである。おっちゃんは持ち直したと聞いていたが、儚くもあっという間に散ってしまった。

 前にも書いたが、私の家は浄土真宗東本願寺である。東本願寺の教えでは、亡くなった者はすぐに、何不自由のない浄土にいけるという話だ。ならば、おっちゃんも、浄土に行っているはずである。故父と二人で今頃、盃を交わしているに違いない。そうとでも思わなければ、耐えられぬ。残された、故父の姉に当たるおばさんも気の毒である。

 合掌

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パブロフの犬

 ベルが鳴ったら食事をもらえるようにした。これがパブロフの犬である。そのうちに、ベルが鳴るだけでも、よだれを垂らすこととなった。いわゆる条件反射である、人間にもこういう面があるから面白い。

 一件、当たり前のようでも、条件反射から抜け出すのは難しい。体が覚えていてしまっているからだ。規則性に支配されていると言ってもよい。

 ここで、人間の順能力とは、如何に早く、条件反射を乗り越えられるかという気がしてならない。

 よく解らないオチだが、正月だからOK.

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あけまして

 父の喪中なので『あけまして』とだけ書いておく。昨日は早めに風呂に入り、そばを食べ、のんきにTVを観ていた。紅白を半分ぐらい見たところで寝てしまった。だから、森進一の『おふくろさん』も聞いてはいない。ルー大柴が出るのなら全て観るのだが。

 特にバラエティイ番組に於いて、TVの権威は失墜したと思う。品が無く、食べ物を粗末に扱い、笑いが取れれば何でもやっていい様な空気が流れている。モラルなどという物は無くなり、世間からは常識が失われつつある。私がTV嫌いなのもそうした点による。確かに中には、素晴らしい番組もあるが、大方が駄目である。

 私がTVで観るのは、スポーツ番組、ドキュメンタリー、歌番組くらいに限られてしまった。TVもいいけれど、パソコンでYou Tubeを観る時間の方が長いかも知れない。必要な情報をゲットしたらi-podに入れる。友人などはYou Tubeを観る時間が長くなって困ったと言っていた。けれどこのYou Tube、著作権の方はどうなっているのだろうか。よく解らないのでblogにアップしたりはしない。ご勘弁を。

 一年の計は元旦にありと言うから、やりたいことは全て今日、やっておくつもりだ。これでblogは終わった。後は文筆とダイエットか。美味しいものをたらふく食べたいけれど、これをやってしまったら駄目なんだろうな。・・・年始の挨拶でした。

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