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2008年11月

傑作な出前のおっちゃん

 出前を頼むとき、二回に一回は頼むという店がある。いろんな物を扱っていて、味も悪くない。最近は、自分で作るので頼む機会が減ったが、昔はよく頼んだ。一人前を頼みたいのだが、悪いなと思って、無理矢理に二人前頼んだことが多かった。

 出前が決まったら、電話する。女将さんが注文を聞くのだが、腹が減ってから電話しているのに、おっちゃんは余裕で一時間は待たす。おしながきには、出前迅速と書いてあるのだが、何回、のびたラーメンや冷えたチャーハンを食べたか解らない。

 でもこのおっちゃん、憎めないのである。玄関のチャイムが鳴って、ドアを開けると、「どうも~」と2オクターブぐらい高い声でやってくる。そして、必ずボケをかますのである。釣り銭間違えたなどという芸はお手の物、必ず何かしらやってくれるので、いつも笑ってしまう。

 また、食器を取りに来るのも当然遅い。一度、一週間後に取りに来るなんて事があった。しかし、味はいいので、いつも頼んでしまう。

 ところで、このおっちゃん、近所のスーパーで長ネギを買っていたのを観たことがある。仕入れ先が近所のスーパーかも知れないというのも傑作だが、それで、あれだけの味を出せるのなら大した物である。

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パンジー

 しばらく前、母親の買い物の足となって、ホームセンターに行った。待ち時間に、表に置いてある花をぼんやり観ていた。シクラメンとかサザンクロスとかいろいろとある中で、パンジーが目に止まった。私はあることを思い出していた。

 私と弟が物心ついた頃、我が家では玄関の下駄箱の上に水槽を置いて、熱帯魚を飼っていた。父が飼っていたのだが、ネオンテトラとかゼブラダニオとか、一般的な魚が飼われていた。空気を送るポンプとか、サーモスタットとかが懐かしい。

 ある時、父が熱帯魚屋に行くというので、我々兄弟も同行した。バランスよく熱帯魚を買っている父に、私と弟はそれぞれ一匹ずつ、欲しい魚を提案した。一匹は尾の長い赤色の魚で、もう片方はオレンジに黒の柄の熱帯魚だった。父は買ってくれた。

 尻尾の長い赤い方はまもなく死んでしまった。しかし、オレンジに黒の柄の方は、頑張って長生きした。いつしか、私と弟は、その魚を『パンジー』と呼ぶようになった。餌をやるときに、水槽の片隅から入れてやるのだが、その際、トントントンと叩いてやっていたら、餌がないときでも、叩いたら熱帯魚が寄ってくるようになった。条件反射である。

 ある日、パンジーがいなくなった、と思ったら死んでいた。ショックだったが、私と弟はアイスキャンデーのスティックを墓標にして、庭に埋めてやった。パンジーの墓である。弟と私は、その墓標に向かって、しばらく手を合わせていた。

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フェルマーの定理

 blogを書きたくない日もある。でも書いてみる。

(数年前)

A:「フェルマーの定理が証明されて何が解ったんだ?」

B::「何にも解ってねーよ」

A::「NHK教育での(国家の品格の)藤原君の講義では大々的に扱っていたけどなあ」

B:「所詮TVだ」

A:「俺にはさっぱり解らなかったよ」

B:「大丈夫。藤原君も解っちゃあいないから」

A:「後味悪いな」

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かとうさんと山頭火

 ラーメン屋で『山頭火』というラーメン屋がある。何年か前に友人と行った。味については私は黙っていた。本場の旭川で食べた方が美味しかったからだ。これはもう七、八年前のことである。当時、私は北海道を旅行しており、丁度、旭川ラーメンを食べた後だったのだ。

 車で旭川市内に入る。ナビにラーメン屋をマークさせたら、余りにも件数が多く、情報過多に陥った。ナビ全体がラーメンのマークで埋め尽くされていた。仕方がなく、市内に入ってから探していたが、駅周辺は相変わらずラーメンマーク。初めて行った街で、土地勘がなく焦っていた。私は市街地から外れたラーメン屋に入った。

 店の名前は忘れたが、『大将』か『王将』だったと思う。店に入ると、親父さんと息子さんが相手をしてくれた。疲れてはいながらも、聞く。「関東に『山頭火』という旭川ラーメン屋さんがありますが、ここの方が美味しいですね」と言ったら、どちらかかが、「関東の『山頭火』は旭川ラーメン業界から馬鹿にされている」とのこと。旭川ラーメンを誇りに思っている方には受け入れられないらしい。同時に、おやじさんが「縮れ麺は旭川から出たんだ。その開発をしたのが『かとうさん』という人で、何日でも考え込んだらしい」とのこと。そして、『さんとうか』も『かとうさん』から来ているんじゃないかと話してくれた。確かに語呂は合う。しかし私は、それも引っ掛けて、散文詩の種田山頭火から来ているんじゃないかと反論。親父さんはあくまでも『かとうさん』寄りなので、僕は黙った。みんなが気を遣い合う中、息子さんが気を使ってくれたのが懐かしい。幸せでいてくれるといいのだが。

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奇襲

 昨日の朝、私がblogを書いていた頃、腹具合が悪くなり、トイレに行った。母が電話しているのは聞こえていた。快便の後、用件を聞いてみると、圧力鍋を買ったとのこと。ここまでは昨日のblogと同じだが、よくよく考えてみると、これは奇襲である。

 買う・買わないという話し合いになったら私は慎重論を述べるつもりであった。しかし、母は私のいない間に契約してしまった。母の思考回路を考えると、私と討論する前に買ってしまえという態度。まさしく奇襲である。もちろん、母が本当に欲しいなら、反対などしない。むしろ喜んでくれるなら、大いに賛成する。

 出来ることならプレゼントしたいが、余裕のない今の私が情けない。母曰く、「包丁も欲しかったけれど我慢した」とのこと。確かに包丁の切れ味が悪いと料理はつまらない。通販の番組ではトマトを1mmぐらいに切っていた。しかし、魚は切ってはいなかった。包丁は魚の骨を切るときに傷みやすいのである。

 私も買い物などでは直観で、バシ、バシ、バシとすぐに決めてしまう方であるが、今回の母の奇襲めいた決断力には驚いた。私が、「決め手は?」と聞くと、母は、「豚汁が一分で作れるから」とのこと。味が落ちないことを願う。

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体中がビシビシ

 昨日ほどではないが、相変わらず微妙な胃痛に悩まされている。ソルマックを飲んでおとなしくしているのだが、多分、飲みすぎが原因だろう。後はストレスもあるかも知れない。昨晩、強烈な悪夢を観たのだ。今悩んでいることが如実に出てきた。目覚めが悪い。

 居間では愛犬の弥七君がこたつに潜っている。テーブルの上座は、親父亡き後も空けてある。そんな中で私が一番下座なのだが座椅子を新調した。以前の物に比べ安定感があり、座り心地もいい。良すぎて、座ったまま寝てしまった。

 当然、翌朝は体中がビシビシと痛み、無理してストレッチをしたが、全身、寝違えたような感覚である。それにしても、家で座ったまま寝たのなぞ、生まれて初めてのことである。飛行機などで寝る事を考えると、別段不思議ではないのだが。

 と、先程、階下に降りると母がニコニコしていた。どうしたのか聞く前に、母が、「兄ちゃん圧力鍋買ったぜ!!」とのこと。何でも昨日の昼間に、TVショッピングで電話番号を控えていたらしい。昨日は、買うべきか迷っていた様子だが、先程、速攻で電話したみたいだ。

 圧力鍋は便利なのだろうが、味が落ちない事を願う。独り暮らしの方などは重宝するんだろうなあ。

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胃痛

 今朝起きたら胃痛がした。現在も続いているので、寝ることとする。

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焼肉定食

 私の弟が小学生だった頃、国語の問題で、□肉□食に当てはまる漢字を書きなさいという問題があったらしい。正解はもちろん、弱肉強食なのだが、そこに焼肉定食と書いた子がいるとのこと。本人は真面目に書いたらしい。私はこれを聞いて爆笑したが、問題はそれを間違いとして、×に出来るかどうなのかだ。本来の意味を押さえていないという点では、×にするものだが、もし、自分が採点官だったら、×には出来ない。○にして、正解を示し、意味を書き込むと思う。それにしても、こういう発想ってどこからやってくるのだろう。柔らかい頭を持った、天才的な発想だ。

 私が塾講師の時も、こういう発想は小学生から出てくることが多かった。奇想天外な答に唖然とするも、その子の個性を尊重して○にしていた。もちろん正解の説明もするのだが。ある時には、「(模範解答の)答えが間違っている」と言って○にしたこともある。何処をどう読んでもその子の解答に矛盾がない限り、それは正解なのだ。問題が悪い。頭の固い大人ではなかなか子供に太刀打ちできない。

 大体、弱肉強食なんて概念は子供のうちから知らなくていい。発想力をおとしめてしまう。まだ、焼肉定食を美味しく食べている方が幸せだ。焼肉をひとつまみして、キャベツを食べる。子供はこれでいいのである。解答からは『焼肉定食が食べたい』という切なる願いが伝わってくる。大人が縛り付けてはいけない。

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リスボンの街 その2

 リスボンの安宿のフロントで、『門限』という単語を知らないがために、私は非常に回りくどい言い方をした。「By when should I come back this hotel at night? (夜には何時までに宿に戻らなければならないのでしょうか)」と聞いたら、じいさんに「Do you speak English?(英語をしゃべっているのか)」と言われた。私の発音も悪いのだが、言い回しが良くない面もある。仕方がなく、紙に書き下したらようやく納得してもらえた。すると、門限はないとのこと。日が沈む頃には宿にいた私にとって、意味のない質問だったが、宿泊する度に聞く。

 昼間活動するのだが、街の中央広場には銅像があり、やはり日本の電機メーカーの看板が立っていた。これには私はがっかりした。こういう物を観るとカルチャーショックを受けないのである。古い通りを私は歩き出した。二泊したので、土地勘も大分着いてきた。

 リスボンの街は大きな河に面している。河の側にも銅像がある広場があった。そこから駅まで行く途中、何度も休憩したが、貨物船とかもあり、時々ぼんやりと河を観ていた。駅に着き、寝台車(日本ほど高くはない)を予約して、一服した。移動は、現在もあるかは知らないけれど、ユーレイルパスというチケットを使った。

 リスボンを離れる日、ずいぶん夜行列車を待ったが、宿代を浮かすためには仕方がない。途中、ドイツから来たという女の子二人組とも話したが、待ちくたびれた。

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リスボンの街

 リスボンと言えばポルトガルの首都である。十年前くらいにそこに行ってきた。安宿に泊まり、ウロウロしていた。城郭があるというので行ってみると、かなりの急勾配。汗を拭きながら登った。着いてから観てみると、丘の上だけあって、リスボン市内が一望できた。確かこの時、観光客の外人の女性にシャッターを押してもらった。

 疲れたので一休みして、それからまた丘の上の町の方に向かった。その途中でポケットタオルを忘れたのに気が付いた。じいちゃんの形見だし、取りに戻ろうか迷ったのだが、疲れていた私は先に進んだ。すると、しばらくして、フリーマーケットをやっていた。厚手のハンカチがないかと探したら、あった。運がいい。値切ろうか迷ったが、安い物だし、そのまま買った。じいちゃんも地球の裏側に来たなら悔いはないだろうと割り切った。

 何よりも私が嬉しかったのは、日本人に全く会わなかったことである。そんな所が地球上にあるとは思わなかった。町の人も親切で、郵便局の場所なども丁寧に教えてくれた。また、食事が美味しく、ワインが安いのも気に入った。ヨーロッパでも南の方なので温かかった。

 宿はケーブルカーが走っているくらいに急な上り坂の途中にあった。安宿だけあって掃除が行き届いていない。トイレットペーパーをくすねて、部屋に置いておいたのが懐かしい。

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尼僧が源氏物語?

 長らく疑問に思っていたのだが、某尼僧が源氏物語を訳して出版した件、これはいかがなものかと思う。尼僧とはいえ僧である以上、余り俗なことはするべきではない。むしろ徒然草辺りを訳すのが本筋だと思うのだが。某尼僧の思想がよく解らない。

 そもそも源氏物語とは、光源氏が様々な女性と関係を持つという事の連続である。文化的な価値は高いが、ストーリー展開は俗と言えば俗である。これを何故、世俗を絶ったはずの某尼僧が自分なりに精一杯の努力で訳して出版するのか合点がいかない。

 高校時代に、国語の教師が、この某尼僧の作品を酷評していた。「読む価値がない」ぐらいにボロクソに言っていた。だから私は立ち読みもしたことがないので、上の私の意見は無責任かも知れない。しかし、上記のような疑問を感じる方も多いのではないか。ちなみに、この国語の先生はひと月に百冊以上読書されていた。読み終わった本を家に置く場所がないので、泣く泣く古本屋で売っていたそうだ。

 この某尼僧、TVに出たり講演をしたりとずいぶんと忙しそうであるが、本業のお勤めはきちんとやっているのか。作家なんだか僧なんだか解らない振る舞いである。あまりに世俗に触れすぎていて、納得がいかない。昨今の僧の堕落は甚だしい。その象徴とも言うべき存在でもある。物を書きたきゃ書いてもいい。しかし、僧としてもっとやるべき事が他にもたくさんあると思うのだが。如何に。

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受験での時計の使い方

 一概に時計と言っても、デジタル、アナログと二種類に分かれるが、受験の時には絶対にアナログの方がよい。見た瞬間に残り時間が解り、集中力をとぎらすことがないからだ。裏を返せば、デジタルの時計だと残り時間を計算する分だけ無駄が多い。

 さらに、受験の時のみ、アナログ時計の針を動かすのだ。十二時を表示した時間が試験終了時刻というようにすると、さらに解りやすい。何分、一目で分かるということが肝要なのである。デジタル時計ではこの様にはなかなかいかない。ストップウオッチを使ってもいいのだが、やはり残り時間を計算する分だけ手間が掛かる。

 「そんな些細なことにこだわらなくてもいいじゃないか」という方は、実験してみて欲しい。特に残り時間が減ってきたときに、アナログとデジタルとでは大違いなのである。こういう工夫の積み重ねが最終的には合否を分ける場合もある。万全を期していただきたい。

 こういう工夫の仕方は、自分で考えついたのか、本で読んだのか、誰かから聞いたのか、覚えていない。受験生にとっては、これからが追い込みの季節。模試などで実験してみてもらいたい。いかに異なるかということが、如実に解ると思う。

 と言いながら、私自身の受験の時の時計は無くしてしまった。今は、一緒に世界中を駆けめぐった時計を大切に使っている。もう何回電池交換をして、何回バンドを取り替えたか判らない。

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しりとりの勝ち方

 私がガキの頃に、家族でドライブに行くと、よく『しりとり』をしたものだ。順番は父→私→弟→母→父だったと思う。普通に、無邪気に『しりとり』をするのもいいが、父はどんなゲームでも勝ちに来る。必殺技として、ラ行当たりのどれか一文字を集中して浴びせてきた。

 例えばラ行の『ル』の場合、はこんな感じだった。

 エストニア→アー→ルビー→ビー→ルーレット→トーテムポー→ルター→ター→ルーズ→ズ→ルーパー→パー→ルー大柴→バザー→ルーター→タージマハー→ルックス→スルー→ルー→ルーチンワーク→クー

 などと、きりがないくらいに同じ『ル』で攻めてくるのである。『しりとり』の厳密なルールは知らないが、名詞に限ってやっている中、小学生相手にここまで勝負にこだわらなくてもいいと思うのだが。まあ、『しりとり』で勝つ為のテクニックではある。

 もう一つの必殺技は禁じ手なのだが、地名をでっち上げてしまうのだ。架空の地名を言って、「これはばあちゃんちの島にある集落の名前だ」などと強気で押し通すのである。・・・ただし、これをやってしまうと、友達を無くす可能性があり、余りお勧めできる技ではない。

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たらたらと

 サザエさんを観ていたら、タラちゃんが出てきた。今日はタラタラとしていたい。

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教科書に頼るな

 ゆとり教育の弊害、教科書をしっかりすると国は言う。しかしながら、そんなことで学力上昇には結びつかない。甘ったるい方針を変え、生徒達に訓練させるべきだ。大体、小学校、中学校で勉強好きの方が異常である。勉学とは目的があってこそ成り立つ。試験に受かるための勉強では駄目なのだ。少子化が進む以上、質の高い子供を排出するしかなくなる。

 勉強とは、『強いて勉める』と書く通りに、つまらない物だ。ある辞書を引いたら、ある目的のために苦痛を我慢すること、のように載っていた。大間違いである。勉強が本当に楽しくなるのは、自分で疑問を持ち、それを解決しようと勉強に励む姿勢なのである。つまり、勉強とは、ある謎に迫るアプローチに過ぎないのである。

 『謎』というものは解けないから存在価値がある、と過去の後輩にメールを送った事がある。それでも人類というものは、発展しつつ、生きてゆかなければならない。仮に仏教で言うところの、不殺生、不邪淫などということを厳密に守れない私たちは、少なからず罪を犯す。食べること自体が殺生であり、不邪淫などと言われると女を抱いてもいけないことになる。邪淫とは何なのか?

 純粋でない限り、邪淫である。私の解釈では、性を遊びや金儲けに使ってはならないんだと感じる。純粋かどうかということは、バチカンのローマ法王の方が詳しいだろう。

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ホームレスのおっちゃん達との対話

 大学生の頃だったと思う。モノポリーで一番高い物件の『ボードウオーク』にホテルを建てると一泊2000$とられたことに文句を言った。作られた当時の社会情勢と、価格を控えてみると、日本で言うなら銀座の高級ホテルのスイートに泊まったのと同じ価格なのである。こんな贅沢はしてはいられない。

 もし東京だったら、という話をしていた。友人もモノポリーに詳しかったので話しやすかった。私が主張したのは、「銀座のスイートに一泊ぐらいするぐらいなら、ビールとつまみを買って、山手線に乗り、新宿のおっちゃん達と飲んだ方がまだマシだ。そういえば中央線でも行けるじゃねえか」みたいな話だったと思う。

 友人は苦笑していたが、私だったらそうする。その方がよっぽど人生勉強になる。ホームレスの方達というのは、社会をよく観察しているのだ。そんなおっちゃん達にビールで話が聞けるなら言うこと無い。

 数年前に歌舞伎町で飲んだ後、私はそういうおっちゃん達と話していた。ビール代は授業料である。おっちゃん達は卑屈とさえ思われるくらいに、恐縮していた。いろんな話を聞いたが、酔っていたせいで忘れてしまった。惜しいことをした。昔の新宿が懐かしい。段ボール箱の家が多数存在していたが、今はない。私の親友も同じ事をしたと聞いて驚いた次第。

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スーパーのレジ袋について

 ここのところ、スーパーなどに買い物に行くと、ビニール袋をもらわなければ、ポイントが付くなどという仕組みになっている。地球環境を考えたらそれもいいのかも知れないが、私見ではいろんな疑問が残る。確かにビニール袋は減らした方がいいのだが、リサイクルのことを考えたら、一概に好ましいとは言い切れない。

 分別ゴミになって、我が家では各部屋ごとに四つのゴミ箱を置いている。邪魔なものだが、そうしないとゴミ屋さんが回収してくれないのである。ゴミの種類によって回収されるゴミが異なる。昔はポリバケツに何でも入れて置いておけば良かったのだが、現在は区分しないと自分の家のゴミ袋だけが残ることになる。

 問題は、ゴミを分別するならば、それぞれのゴミ箱ごとにビニール袋が必要になる点だ。何か工夫の余地はないものかと考えるが、なかなかひらめかない。つまり、スーパーのレジ袋とゴミの分別の問題は、相反しているのである。何かいい方法はないだろうか。

 結局、我が家では、ゴミの分別のために、スーパーのレジ袋をもらって来ることにしている。レジ袋は、結構、重宝する物でもあるのである。車のゴミ入れとしても使うし、折りたためば一辺十センチほどの正方形にもなる。愛犬の弥七君を連れて行くときには、排便時のために、小さなレジ袋にティッシュを何枚か持ってゆく。

 スーパーのレジ袋拒否と、リサイクルはなかなか結びつかない。

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三人のお誕生日会

 かつて私には、親父の同僚の方の息子さんの友達がいた。小学校の一・二年時のクラスが一緒な事もあり、すぐに仲良くなった。私の弟も含めて、三人でよく遊んだ。時には喧嘩をすることもあったけれど、その当時では一番の友達だった。自転車をこいで、近所の公園で毎日野球ばかりしていた。三人しかいなかったので、特殊なルールでやっていた。古き良き日の大切な思い出である。

 他にも将棋のルールを教えてあげたりした記憶がある。父からルールを教わったばかりで、相手になって欲しかったからだと思う。当時は父に全然勝てなかったのだ。小学校一年生相手でも父は手を抜かなかった。飛車、角落ちだったと思うが、覚えたての私が勝てるはずがない。一度、一手目に王さんを動かしたら、父からほめられた記憶がある。発想と工夫がが面白いと。

 彼とはそれ以来、同じクラスになることはなかった。しかし、お誕生日会には呼んでくれた。その日は塾があったのだが、参加することにした。弟と二人で行ってみたのだが、一人しか参加していなかった。なんでも、別の友人と誕生日が重なってしまったことが原因らしい。結局三人だけのお誕生日会となってしまったのだが、何やらかわいそうで、親に内緒で塾をサボって、遊んだ。私と弟以外のもう一人の参加者も、普段は目立たないのだが、最後までつきあっていた。僕はそいつの優しさを感じると同時に、友達として見直した。

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ルー大柴とToeic

 私の友人にはToeicで満点をたたき出した奴もいれば、論外の点数を出した奴もいる。私個人としては、親友が一度で満点を出してしまった試験など受ける気がしない。しかし、ルー大柴のルー語を聞く度に、これなら俺にも何とかなるんじゃねーのかと思いだした。

 『藪からスティック』のルー大柴氏が仮にToeicを受けたとしたらどうなるだろう。どんな点数を出すかのかも楽しみである。企画として、是非やってもらいたい。番組にしても視聴率は取れると思う。

 ここまで、もし、ルー氏がToeicを受けたら?という話ばかりしてきたが、よく考えてみると英語とルー語は異なる。しかし、英語をベースにしている以上、ルー氏はToeicを受けてもいいと思う。

 私の読みでは、ルー大柴氏は日常会話には支障ないと思う。それで普通なのだ。外人と喧嘩できたら大した物である。

 無理矢裡まとめてみると、帰国子女の友人も奥さんも英語に堪能である。子供はまだいない。もし、子供さんを授かったら、その子供はルー語を喋るんじゃないかと言っていたら、こないだしかられた。

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「いいよ」

 私個人としては、二週間ぐらい前に父の墓参りを済ませたのだが、足のボルトを取った母親が行きたいと言いだした。時節は丁度、七五三の頃、「いいよ」と言ってしまったが眠い私は、車を運転することになった。途中のコンビニで、ビールと仏花を買う。コンビニに仏花が置いてあるのもおかしな気分だったが、まあいい。

 今回の墓参りには、愛犬の弥七君もついて行くこととなった。ドライブ中に窓を開けてやると、顔を乗り出し、心地よさそうに風を受けていた。時々吠えるのだが、吠えられた人も、しょうがないなあという感じで、笑顔で通り過ぎてゆく。弥七君はなおも吠える。

 眠たい中、目的地の寺に着く。住職に挨拶して、弥七君を連れて行く。荷物はほとんど母任せであった。急勾配の階段を弥七君も一生懸命登った。水をくみ、父の墓へ行き、水を浴びせていると、弥七君が墓へ小便。やってくれたなと思ったが、人間の尊厳なんてそんなものかも知れない。母は怒っていた。

 火を点け、線香の曇る中、私が般若心経を読経。墓にお供えしたビールを地面にまいて、墓参り終了となった。帰路、弥七君は急勾配の階段を降りねばならない。ダッコしてあげてもいいのだけれど、無理矢理引きずった。ためらい、ビビリながらも、弥七君は自分の力で降りた。相当、怖かったみたいだが、必死で降りていた。降りきったところでほめてやろうかとも思ったが、やめた。当たり前のことなのだ。ほめる必要はない。帰りの車中では弥七君は鼾をかきながら寝ていた。

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ぼんやりと

 今日はぼんやりとしていたい。

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オバマ氏の演説と国政と

 オバマ氏の勝利宣言たる演説は、私の涙を誘った。キング牧師の「I have a dream」の演説も胸を打ったが、それ以上に深く僕の胸を揺さぶった。アメリカ至上主義と言われればそれまでまでかも知れないが、確かに演説が上手いことは確認した。

 黒人がホワイトハウスに入ることを誰が予想しただろう。無名だった候補が、ここまで注目されることを誰が信じただろう。・・・オバマ氏のみが信じていたのだ。だから、Yes,wecan.なのだ。これを、Yes, we did.に置き換えてはならない。まだ何もしていないのだ。

 オバマ氏と麻生総理が並んだらコケちまうだろうな、というくらい格が違いすぎる。百倍か、という私の意見に、友人が一億倍だと言った。それくらい差は離れている。大体、アソーと創価学会とで国が上手く行くのかさえ解らない。選挙に勝てばいいってもんじゃないだろ。

 一方で、国政の最低原理さえ知らない若者が増えている。どの党がどういうスタンスなのかも解っていない連中だ。せめて政治の右左ぐらいは解って欲しい。赤信号を渡ったら危険ですよ位の認識でも。別に赤信号じゃなくてもいい。黄点滅でもいいのだ。

 大財閥のお坊ちゃんと、史上初の黒人大統領。勝負は見えている。三年後の消費税率上げと言うが、その頃には彼は首相じゃない。無責任極まりない発言だ。

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ワクチンのLot.No.について

 先月上旬に風邪をひき、体調を崩したこともあったので、用心のためにインフルエンザの予防接種を受けてきた。内科で受けるのが本来の形なのだろうが、一時間半も待つ気にはなれなかった。そこで、お世話になっている整形外科でサラリと済ました。

 血液検査などで血を抜く事には慣れてはいても、体内に打ち込む注射というのは、普段、あまり受けない。去年は痛かった記憶があるが、今年は何ともなかった。注射及び注射針を観てみても、極めて細い。書類にサインをしたら、あっという間に済んでしまった。

 注射していただいたワクチンはインフルエンザHAワクチンであるが、私はずっとワクチンのLot.No.が何を意味するのか不思議に思っていた。薬局の人に聞いてみると、そのワクチンの製造元などが解るようにするためのナンバーだと伺った。なるほどな、と思うと同時に、そういえば昔のタバコにも、同じ目的でに四桁の数字が書いてあったな、と懐かしく思った。私は日本のタバコは、どれも嫌いなので、市販されている洋モクを吸うが、今日、吸っているタバコを観ると四桁の数字は無かった。バーコードか何かで解るのだろうか。

 帰宅して、予防接種が手際よく言ったことを伝えると、母も受けると言う。今度、また、買い物の足にされるときに連れて行ってあげようかと思う。その病院では、私の高校時代の友人のおばさんが働いているのだ。とても、思いやり深い方である。

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ミッション

 私がアメリカ横断を達成した後、友人に話しても、「ああそう」という感じだった。友人曰く、これまでさんざん海外旅行が良かったって話を聞いてきたけれど、みんなチャらいんだよな。俺は本当に面白いとは思ってはいない、とはっきり言われた。聞いた私は、あれは旅ではない、冒険だ。心躍るはずだ、と言った。

 いろんな話をするごとに、その友人は目が輝きだし、「俺も行く」ということになった。彼は生活力もあるし、英検も二級を一夜漬けで取ったし、ということで何の心配もしなかった。その前に、恋人とインドに行ったらしいのだが、この時はアタッたらしい。何でも日本のラーメン屋よりも清潔的な店で食べたバーガーにアタッたらしい。

 いざ、彼が独りでアメリカを旅するときに、鍋をやった。何鍋かよくは覚えてはいないけれど、我が家でやった記憶がある。となると、ホウレンソウ鍋だ。ひとしきり鍋の席が終わった後で、僕は自分がアメリカに行ったときの写真を取り出していた。そして、目的地を聞くと、重なるところの写真を出し、同じ構図で撮ってこいとのミッションを下した。みんな解りやすい場所だったので、すぐに解ったと思う。

 帰国後、確認してみると、同じ場所で笑っている彼の写真があった。そして彼の感想は、「すんげー面白かった」であった。海外旅行に批判的だったのに、アッという間に変わってしまった。海外旅行がミーハーだと思っていた彼を、海外大好き人間にしてしまった。

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ぼちぼちかな

 このblogも読んでくださる方が増えてきて、ぼちぼちかなと思う。当然ありがたいことなのだが、実感が湧かない。あくまでもバーチャル世界のことだからだ。アメリカ人の四人に一人はネット中毒との話を聞いたことがあるが、いずれ日本もそうなるであろう。

 確信めいて語ったが、現在の日本文化というものは十年前のアメリカ文化の追随そのものであるのだ。私としては凶悪的な犯罪の真似だけはして欲しくはない。アメリカ出身の友人と対話しても、「あいつら歴史がないから馬鹿なんだ」と何度も聞いた。誤解がないように言えば、文化というものを知らないということに尽きる。

 アメリカの大統領選挙ではオバマ氏が圧勝した。歴史的な快挙だとは思うが、常に暗殺の陰が見え隠れする。勇気がある人だと思う。それに比べ、日本の政界は訳の解らないことずくめ。腰の軽い議員しか見あたらない。やるなら命懸けでやって欲しいものだ。何も政治だけではなくて、命懸けで働いている人はゴマンといる。

 今の閣僚達では、苦しい選挙戦を勝ち抜いたオバマ氏に何も言えないのではないか。マスコミは日米同盟と報ずるが、実際にはアメリカの植民地である。敗戦国との間に対等な同盟が結ばれるはずがない。彼らはFar Eastの軍事基地ぐらいにしか考えてはいないのではないか。それ位、米兵の質は低い。事件を起こすのは下級士官だが、沖縄の屈辱をもう一度考え直した方がいいのではないか。

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自爆事故とコートと

 朝早く目覚め、blogを更新した後に、母親の買い物の足となった。店が開くには早かったので、車にガソリンを入れに行くことになった。近所で一番安い店に行き、セルフで入れると今度は洗車をする事になった。かなりの急カーブを曲がり、洗車機へ近付いたところで事件は起こった。慣れないことで慌てていたのかも知れない。

 洗車機の料金を払うコーナーで、車の右前をぶつけてしまった。車を降りた私は、まず、洗車機の料金箱に異常がないか確認し、店員に謝ってから、車の損傷を観た。ぶつけたところがボックスの角だったこともあり、右のウインカー当たりがえぐれていたが、穴は開いてはいなかった。当然ブルーになる。

 現在のところ、ディーラーに行って治す気はないけれど、親父の形見の車(お袋の足になっている)を傷つけた事には心が痛んだ。ルー語で言うならハートがティアフルになったとでもいうべきところか。眠たかったこともあり、しばらく頭が働かなかった。

 その後、百貨店に行くのだが、お袋がコートをプレゼントすると言ってくれた。今まで着ていたものは10年以上着ているが、別にそれでも良かった。コート売り場に行くと、宮沢賢治を彷彿とさせるコートに巡り会えた。金額はかなり高め。ウール製の物だったが、高級スーツ一着分の値段だった。一旦はあきらめたのだが、忘れられず、お袋との交渉が始まった。結局、折半ということになったのだが、これから十五年、あるいは一生涯着てゆくつもりである。それなら安い買い物だろう。うちの母は流行を追わない人なのである。

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コンプレックス

 私はガキの頃からいくつかのコンプレックスを持っていた。今でも言いたくないことだらけだが、今日はそのうちの一つを挙げる。私は幼稚園に入ったときに、既に小学校六年生のサイズの帽子をかぶっていた。漢字にも幼稚園の頃に興味を持ったらしく、担当の先生がビビったらしいが、問題は頭の大きさにある。

 頭が大きいということは、脳もでかくて・・・などと、楽観的に考えるときもあったが、小学生の時、好きな女の子に、「頭が大きいから帽子が似合わない」といわれたことはショックだった。今考えると大したことではないのだが、当時は傷ついた。みんながはやりの帽子をかぶる中で、独りだけ素頭で通した。懐かしい。

 現在でも思うのだが、私にはcapはおよそ似合わない。店をうろついて、もっとでかいのないのかと探すけれど見つからない。これは眼鏡でも大きいフレームの物しか作れないということだ。眼鏡をかけ出したのは、車の運転をするようになってからだが、どちらにしろ嫌なコンプレックスである。だから、授業でも、大学三年の後期からしか眼鏡は掛けなかった。今では必需品だが。・・・まだ背が高い方がいいのにな、とぼんやりと考えたこともある。

 こんな私の気持ちを楽にさせたのは、アメリカに行った時だった。帽子も眼鏡も、全て私のサイズにぴったりだった。ファンキーなサングラスなどもしてみた。Tシャツとかを買って、日本に帰った。ジーンズの生地で出来たアーミー用の短パンは今でも重宝している。

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鎌倉国宝館

 うじうじしていても仕方がないので、先日、鎌倉まで日帰り旅行に出かけた。目的は鎌倉国宝館の特別展示(11/24まで)である。鎌倉文学館は有名だが、国宝館はそうでもない。普段は、大した物が揃っていないのである。鶴岡八幡宮の敷地の中にあるのだが、地味で目立たないところにある。解りにくい場所だ。

 文学館にはいつも、小林秀雄なり芥川竜之介なり、実朝なりが飾られていて、昔、よく行った。庭では様々なバラが植えられている季節もあり、海を観ながら楽しんだ。しかし青いバラは観たことがない。英語で`blue rose'といえば不可能なことを指しており、いかに品種改良しても出来なかった。が、近年出来たと聞いた。

 鎌倉はいい街だけれど、プライドが高すぎる気がする。駅から小町通りを歩いてみても、何軒もの店が潰れていた。人力車もあるけれど、走るシケインであり、交通渋滞を呼び起こす。渋滞も昔ほどひどくはなくなったが、まだまだである。単に原油高で交通量が減っただけかも知れない。狭い道で渋滞などというのはしょっちゅうのことである。特に休日の北鎌倉からの渋滞が著しい。

 さて、鎌倉国宝館の特別展、一言で言えば良かった。鎌倉中の寺から、国宝・重文クラスの仏像が集まっていた。「あの寺にこんなものあったのかよ」と驚く品々ばかりであった。仏像だけではなく、焼き物も数点展示されていた。出来れば持って帰りたかった。

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のんびりと

 今日はのんびりとする。

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夏をあきらめて

 やっと十一月になり、冬将軍がやってくる。私は、夏になるとテンションが上がるのだが秋口はいまいちである。ひとしきり、哀しいのである。人生も夏が過ぎ、秋口に入る頃には黄昏れている。季節の秋はまだいい。また、夏がやってくるから。それに比べて、人生の秋という物は切ない。二度とやって来ぬものだから。

 人生の秋などを感じてはいけないのかも知れない。年齢の分、スピリットで補わなければならないのかも知れない。しかし、深く濃い闇は続く。自分の意志とは関係なしにだ。湘南当たりのサーファーも減った。時代のせいかもしれないが、ただただ寂しい。

 表題の『夏をあきらめて』という曲、言うまでもなくサザンの桑田さんの名曲である。時々、カラオケでも歌う。切なさがにじみ出ている。『波音が過ぎればやがて雨の合図』というように桑田さんは秋を雨と関連づけている面が多い。私が初めてカラオケで歌った曲はサザンの『メロディ』であるが、ここでも九月は雨の季節と歌われており、去りゆく夏を哀しんでいる。サザンにはそういう曲が多い。

 『夏をあきらめて』の何番かは忘れたが、『熱めのお茶を飲み、意味深な態度で』というフレーズがあったように記憶している。男女関係には意味深なことが多く、それが楽しい面もあるが、ここで飲んでいるお茶は酔い覚ましだと勝手に私は思いこんでいる。

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