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2008年10月

墓参り

 うだつの上がらない日々が続く中、先日、父の墓参りに行ってきた。もちろん往復チャリンコである。私としてはのんびりのんびりと走った。尻が痛くなるのが心配だったが、案の定、尻は痛くなった。こうなると、もう、漕ぐ気にはなれないのである。歩きながらのんびりと行った。おばちゃんのチャリに抜かれるのは屈辱でもあった。

 前回よりも短距離ではあったが、今回は、結構、足に来た。といっても決して筋肉痛にはならないのである。どれだけのんびり走ったかが解るというものだ。往復で30Km位であろうか、トボトボと自転車を漕いだ。峠道もあったけれども、川沿いの道をのんびり行った。

 着いてみると、花屋を探した。地元の方に場所を聞き、お礼を言って花を購入すると、墓へと向かった。寺に入り、住職に挨拶をして、墓地に入る。墓に着いてから気が付いたことなのだが、花は買ってきたが、肝心のビールを買って来忘れた。間抜けである。

 花をやり代えて、墓石に水を浴びせ、線香を焚いて、般若心経を唱えた。私がお経を唱えても功徳があるのかは知らないが、とりあえず唱えておいた。生前の父が、唱えるのなら、お前の般若心経でいいと言ってくれたこともあったからだ。

 墓参りを終えると何だか気持ちがすっきりした。これからも時々行きたい。

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ワールドシリーズと田口

 今年のワールドシリーズはフィリーズがレイズを下して優勝した。フィリーズには田口選手、レイズには岩村選手がいて、どちらが勝っても、また日本人選手がチャンピオンズリングを手に入れることになっていた。日本人選手が優秀なのか、チームが良かったからなのかは解らない。ただ、嬉しい限りだ。

 ところで、田口選手はこれでワールドシリーズ三回目である。カージナルスで二度、そして今回のフィリーズで三度目である。出場したのかどうかは解らないが、日本人選手で、唯一、彼だけが二度ワールドシリーズを制覇したことになる。前回のカージナルスの時には、バットを放り投げて走者を生かす活躍などもあり、試合終了後に、球場で、子供さんを抱えている写真などを観て、その笑顔のはじける姿が輝いていた。今回はどうなのだろう。

 そもそもW.S.に三回出場して二回制覇というのも、田口選手は強運の持ち主である。いずれのチームも、最初から強かったわけではなく、移籍した先が良かったのかとも考える。しかし、私個人では、田口はW.S.を引きつける男として認識している。ベンチに田口がいるだけでW.S.に出られるのだから、非常に貴重な選手だ。

 田口選手は当初、日本のオリックスにいたが、入団当時は守備に問題があり、内野から外野にコンバートされた。生き残れるのか心配だったが、見事レギュラーを獲得し、オリックスの日本一にイチロー選手と共に貢献した。その後、海を渡り、メジャーに挑戦することになったが、ここでも彼はしぶとく生き残った。そんな田口選手であるが、そろそろ引退も近いのではないか。一日も長い活躍を期待している。

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英語で散髪は?

 アメリカに行ったとき、髪が煩わしくなったので、散髪をしようかと迷った。床屋がバーバーぐらいな事は知ってはいたが、髪の細かい注文が難しい。「Normal」などと頼んだらどんなことになってしまうか想像が付かなかった。今なら「Bozu」で済むことだろうが。

 こういうときに、どうしても試したくなる私ではあったが、肝心の床屋が解らなかった。日本の床屋には、必ず赤と青(緑?)の模様が回転している目印がある。しかし、むこうでは見あたらなかった。結局、感染症も怖いし、散髪するのを断念した。

 日本の床屋とアメリカの床屋で、どんな違いがあるのかには非常に興味があった。旅をしていて気付いたのだが、最初、私は台所用の洗剤で頭を洗っていた。おかしな感じがしたので、ある街のスーパーに行ってみて気が付いた。そこでシャンプー購入となったのだが、やはり日本のものよりも薬品の香りがきつかった。これは、一番安いシャンプーを買っていたからかも知れないが、色が赤いのにはギョッとした。『何でシャンプーが赤いんだよ』とボヤいた。

 シャンプーといえばある人から、毎日洗ってはいけないと聞いたことがある。何故かと尋ねたら、原油から出来ているからだそうだ。頭皮や髪に良くないらしいのである。自分が現在使っているのは無添加の物だが、頭皮がキュキュッとならないと満足行かない。贅沢だ。

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マサイ族の若者と蜂の巣取り

 大分前にTVで観たことだから、本当か嘘かは解らない。アフリカのマサイ族についての番組であった。そこでは、成人した男子数名が3~4人のグループで、一人前になるための旅をするという。宿泊場所は所々のマサイ族の村である。狩りをしたりなどして、食物を得ながら、広い草原をひたすら歩く。

 村々には長老がいるのだが、勇敢な者でないと泊めてはくれない。旅の初日、四人がある動物を捕まえようとしたのだが、怯えて失敗した。その日の晩の村の長老は彼らを村に入れなかった。「勇敢でないならば、村の子供達に示しが付かない」と。四人は野宿した。

 明くる日、四人のうちの一人が蜂の巣を見付けた。すると何を考えたのか、素手でつかもうとしている。当然、腕は蜂に刺されまくれ、痛い。しかめっつらをしながら、なんとかもぎとろうとする。しかし、なかなか取れない。みるみる間に腕は腫れ上がっている。猛烈な痛さを我慢して、蜂の巣をゲットするのだが、これが勇敢さの証だという。長老も認めてくれて村に入ることを許された。一人前になるための儀式だという。

 ここまで観て私は大爆笑していた。方向性が違うだろうと。蜂の巣を素手で取ることが何で勇敢さの証なんだと。勇敢であることとは、逃げないことの筈である。ならば蜂の巣を取るのに、何で火を使わないのか不思議だった。棒の先に布を巻いて、火を点け、蜂の羽を焼いてしまうのである。そうすると蜂は襲っては来ない。勇敢さの前に、知恵を絞る方が先なのではないかと疑問視した。もし、猛毒を持ったスズメバチなどだったら死んでしまう。アフリカを感じると共に、何だかマヌケな成人の儀だと思った次第である。

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方言について

 今の日本の標準語は東京中心である。NHKで使われている言葉などが模範的とされる。しかし、地域々々では方言というものが混在するのも事実だ。人々は愛着を持ってその土地の言葉を使う。

 津軽の方言と松江の方言が似ていると聞いたことがある。松本清張の小説では、昔の言葉が京都を中心に日本全国、同心円状に広がっていったことがトリックとなっていた。

 私は幼少期を広島で、両親は神戸出身で、そして関東で暮らしてきたから、言葉がごちゃ混ぜになっている。いずれも厳密ではないのだが、それはそれで面白い。広島の言葉は男言葉に聞こえるし、神戸の言葉はしゃれているし、京都の言葉は女言葉に聞こえるし、関東の言葉はTVでおなじみである。

 しかし、言葉が汚れてきたと感じるのは私だけであろうか。それは文化の退廃を物語っている。汚れたと言うより崩れたのか。「尊敬語」「丁寧語」「謙譲語」などというものは消えてしまった観がある。私がこれまで知り合ってきた中で、年上にタメ口をきく奴は、ことごとく駄目であった。けじめの問題かも知れない。

 何はともあれ、言葉には、その人の品格が出ると思うのだが。

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男女間の恋愛について

 男女間の恋愛について、友情などあり得ないと私は言う。これが嘘か誠がは解らない。しかし、私は、成熟した男女に於いて、友情のみでつきあっているとは考えにくい。最も、更年期を迎えた男女はどういう区分になされるのかは解らないけれども。

 『風と共に去りぬ』はよくは知らない。僕はスカーレト・オハラの魅力にだけ取り付かれていた。しかし、クラークゲーブルに見捨てられ(ここのところ役名と本名が一致しない)、ラストシーンでは「明日は明日の風が吹く」とビビアン・リーが言う。

 男女間の恋愛でも、『体が動く』ということはある。この歳になって言うのも嫌だが、若い頃は、好きな女の子の前で前屈みになっていた。この場合、理性よりも本能が上回るのである。僕はこのことを知るのが遅すぎて、ずいぶん回り道しているように思う。

 男女間の友情について語り出したらきりがない。ただ、友情と恋愛は別物だとは認識している。男同士の友情も、もろいものだが信頼している。女性同士はどうか・・・知らない。一つ言えることは、異性を好きになるというのは冒険であるということだ。男女変わりなく。人には人それぞれの特徴があって、結びあう。肌の色も、血の色も、髪の色も関係ない

 争うのは、エゴか神によってだと思う。

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ダ・ダ・ダ・ダーン

 先程、目覚める前後に、ベートーベンの『運命』の有名なフレーズが鳴った。CDをつけっぱなしていたわけではない。「ダ・ダ・ダ・ダーン」というフレーズと共に目覚めた。この時、僕は妙に、この曲を理解した。決して「ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン」ではないのである。

 『運命』というタイトルもいい。・・・なるほど、物事とはかくのごとくにありきか、と感じる。最初に思い出したのは、親父の死に際。次に思い出したのは、手塚治虫氏が、アニメの鉄腕アトムの誕生シーンにこの曲を入れることに拘泥したこと。

 現在、ベートーベンの交響曲五番を聴いているが、聴くほどに、起きた瞬間の感激が薄れる。というよりやってこない。ワンフレーズで済むものを、アレンジにアレンジを加えて、タラタラと演奏している様に聞こえる。最初の「ダ・ダ・ダ・ダーン」だけでいいのである。

 私は夢で音楽が鳴ったことは何度かあるが、起きる瞬間というのは初めてである。無意識に鳴った音楽は、モーツアルトの『夜の女王のアリア』のラストの叫び、EAGLESの『ホテカル』のラストのギターのフレーズ、そして今回のベートーベンの『運命』である。共通項でもあるのだろうか。二年に一回ぐらいの頻度である。

 寝ぼけ頭なのでまとまりが付かないが、僕はベートーベンは嫌いだった。けれど、今朝の体験で少しは理解できた気がする。まあ、大げさな音楽であることにことには変わりはないが。

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platonic

 英和辞典で『platonic』と引いてみたら、まずプラトンが出てきて、それから、(男女間の関係が)純粋神的恋愛の、プラトニックな、という風に出てきた。ここで言う神が何を意味するのかは解らない。まあ、西洋宗教には違いないだろうが、プラトンでないことは確かだ。

 日本語でプラトニック・ラブなどと言うと、「純粋な恋愛(性交渉のない)」というニュアンスに受け止められる。思春期などの儚いすれ違いなどを言い表したりもする。多分その多くは片思いを指しているのかとも思う。「初恋は失恋に終わりぬ」・・・そんなものだ。

 かつて、飯島愛が「プラトニック・セックス」という本を出し、映画にもなったが、論外である。「守ること」と「やること」は正反対なのだ。けれど、僕たちは守りたい中で、ある一線を越えてゆくものなのかも知れない。しかし、プラトニックなセックスなどあり得ない。

 プラトニックな恋愛ほど残酷なものもない。「ロミオとジュリエット」がそうだが、何らかの要因によって、愛し合った二人が一緒になれないのも酷だ。そういう恋は美しい宝石のように、一生消えない。というより、消そうとしても消せるはずがない。

 遠く離れたあなたへ・・・忘れた日はありません。大きすぎて長い時間の中で成り立たぬ恋・・・って果たして自分は誰に言っているのだろうか。

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陰毛ぐれーでいいんじゃねーのか

A:「BUSHって和訳したらどうなるんだろうな。・・・茂み・・・森繁?」

B:「そんな、高級なものじゃないだろ」

A:「森繁だって、それ程、高級ではないと思うけどなあ」

B:「ニュアンスが違うやろ」

A:「じゃあ何なんだ?」

B:「そうだな、『陰毛』ぐれーでいいんじゃねーのか」

A:「そんなこと言ったら、アフリカのブッシュマンはどうなっちまうんだ?」

B:「あいつらは森繁でいい」

A:「まあ、長寿という意味ではな」

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秋の日の・・・

 この時季には夕方というものがない気がする。太陽があっという間に沈む。まさしく、「秋の日はつるべ落とし」である。少しセンチメンタリックにもなったりする中で、体調が優れない。「つるべ落とし」と言っても、笑福亭鶴瓶が落ちるわけでもない。鶴瓶が落ちても別にかまわないんだけれど、「つるべ落とし」のつるべは、昔の井戸から水をくみ上げる際に、定滑車でバケツが二つある井戸で、水をくむバケツがスルスルっと勢いよく落ちていたことに依る。

 秋の日といえば、ジョージ・ウィストンの「Autumun」というアルバムも思い出す。僕が好きなアルバムであるが、中でも三曲目か四曲目の「longing」という曲が好きだ。この曲を聴くと何故か、事故死したA・セナを思い出す。今ではマスコミに使われすぎてしまったが。

 秋の日の憂鬱を表すものとなると、当然、ヴェルレーヌである。上田敏氏の訳の「秋の日の、ヴィオロンの、ため息の、身にしみて、・・・」と独りでに呟く。抒情詩人としてのヴェルレーヌは私には欠かせない。「山のあなたの、空遠く、幸いすむと人のいう・・・」も私は好きである。ヴェルレーヌを訳した上田敏氏の海潮音もどこかにやってしまった。学生時代から、秋の憂鬱をこらえるために読んでいたのに。「山のあなたの」の『あなた』は中学生の頃は貴女と勘違いしていた。ここで言うあなたとは、「はるか彼方」の彼方に似ているかも知れない。もう少し、上品だが。美しい日本語だと思う。で、ヴェルレーヌと言えば、当然、ランボーの狙撃事件である。ランボーと言っても、怒ってアフガンに行った方のランボーではない。A・ランボーであり、こちらも珠玉の作品が多い。私に言わせれば、ヴェルレーヌと遊んでいた頃のランボーが、一番脂がのっていたように思う。詳しいことは映画、『太陽と月に背いて』をご覧あれ。二人のことが一番手っ取り早く解る戦法である。

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弥七君のシャンプー

 先程まで、NHKを観ていた。脳科学についてはよく解らないが、当たり前のことをいっている気がしてならなかった。寝てひらめくなどは、誰もが知っている。ただし、相当、苦悩した挙げ句のことでなければ、ひらめかない。ブレイクスルーの最低条件だ。

 私も、煮詰まったら寝るか飲むかする。寝るときには12時間以上寝る。眠りすぎる自分の体質を疑ったこともある。この歳になって、明らかに脳は衰えた。切れ味が削げた刃物のようになった。昔の自分の姿を顧みると情けない。人に気を使えないのが悔しい。

 そんな中で、愛犬の弥七君をお風呂に入れてみた。風呂に入れるといっても、シャワーでお湯を浴びせた後に、ひたすらシャンプーの手もみである。弥七君も嫌いではないらしく、精一杯洗ってやった。その後、お湯でそそぎ、バスタオルを掛けてお袋に渡した。無論、私は風呂につかり、眼鏡を洗い、のんびりとしていた。

 シャンプー一つで大騒ぎになる弥七君ではあるが、私が風呂を上がった後、寄ってきた。多分挨拶だろう。『ありがとう』という感じで、鼻を僕の足にこすりつけていた。何だか観ていると和らぐ。

 弥七君は現在、私のベッドの上。何事もないかのように寝ている。

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ハミガキ嫌いがハミガキ好きに

 歯の治療で歯医者にはずいぶん通っていないが、定期検診のようなものには、半年に一回ぐらい通っていた。歯のメンテナンスであるが、そこではハミガキの指導もメニューに入っていた。いつも、きっちり磨いて行っていたので、歯科医には「状態がいいぞ」といつも言われた。それでも、歯垢があるところが赤くなる液体をつけると、歯茎との境目が赤くなった。他にも、磨き残している所などが解ったので、右手に歯ブラシ、左手に鏡で、何度も何度も磨いた。

 気が付いたことは、歯ブラシを強く押しつけても、ソフトに磨いても、結果は変わらないということだった。他にも歯科医から、ブラシをタテに使ってみたり、歯茎をマッサージする大切さを教わった。ハブラシで歯茎をマッサージするように磨いてみると心地よかった。

 ある時、歯科医に、「私は朝と外出前には歯を磨くのですが、あんまり習慣として磨く癖が付いていません。どうしたらいいでしょう」などと、異常に難しい質問をしていたが、歯科医は「物を食べた後に磨く癖をつけて、慣れるしかないよ」とおっしゃった。

 何度かそういう検診を繰り返しているうちに、次第にハミガキが楽しくなってきた。かつては余り好きではなかったのだが、楽しくなると別である。歯がつるつるしていないと気持ち悪く感じるようにもなった。おかげさまで、食後に歯を磨く習慣が自然と付いた。感謝。

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Mono is not correct.His name is Nomo.

 学生時代に通っていた英会話スクール(もう潰れただろうが)は、10人までの予約制で、授業中はあるテーマに乗っ取ってのフリートークだった。つまり喋った者勝ちである。同じクラスでも、講師が何を言っているのか解らない生徒から、様々な生徒がいた。

 ある日の授業で、新人の女性講師がやってきた。教室に入るなり「Mono is great.I like Mono.」とテンション高く言う。私はすぐに、それが’つかみ’だと思ったし、ドジャース時代の野茂を「Mono」と勘違いしていることも解った。みんな、いきなりで戸惑っていた。

 ほっとくわけにもゆかないので、フォローしようと思ったが、こういう場合、どう言えばいいのか、少し考えた。「Mono is wrong.」と言ってしまうとダイレクトすぎる感じがした。でも、放っておくのもかわいそうである。そこで、直接否定するのではなく、回りくどく指摘することにした。それが表題の「Mono is not correct. His name is Nomo.」である。言いたくはなかったが、見殺しにする方がひどいと考えた。

 疑問に思うのは、日本語では多少回りくどい言い方をしたら、間違いを指摘する場合でも、多少は柔らかくなるのに対し、英語ではどうなんだろう、と感じた。辞書では調べる気にもなれない、というより載ってはいないと思う。この辺の文化の違いには興味がある。アメリカ人の薄っぺらいテンションの高さは嫌いだが、その講師は間違いに気が付いても、元気だった。よく解らない。

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無性に寂しくなって

 母が無事に退院した。めでたし、なのだが、相変わらず家事は僕がやっていた。当たり前のことだが。母の退院ついでに、車の12ヶ月点検にも一人で行ってきた。エアコンのフィルターやエンジンのベルト、エンジン内のクリーニングなどをしてもらった。ブレーキのききが悪いと感じていた私はパッドを観てくれと依頼したが、減っていないと言う。違和感を拭えない私は、ブレーキのディスクを交換してもらった(無料)。そしていざ車に乗ってみると、微妙にアクセルレスポンスが良くなっていたのには驚いた。友人に言わせるとエンジンのプラグを代えても効果があるらしい。

 それから母を迎えに行ったのだが、くるぶしに入っていたボルトを見せてもらった。幅4mm長さ5cm程のものがあった。他にも様々な金具があり、『これだけ入っていたら痛いだろうな』と思った。晩飯は母にはウナギ、私には豚のショウガ焼きを作った。

 その後、やさしい声が聴きたくなり、友人に電話する。仕事がつまらなさすぎると嘆いていた高校時代の友人は、一転、無茶苦茶忙しくなったそうだ。やりがいがあるけれど時間がなくなったと言っていた。また別の友人は、私と同じく去年親父さんを亡くしたらしい。

 何だか無性に寂しくなって、昨晩は仏間で寝た。風邪をひくのも覚悟の上である。畳の上で寝るのも悪くはない。それにしても親父さんを亡くした友人は何故知らせてくれなかったのだろう。これから励ましのメールでも書こうかな。

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口がすべった

 現在、愛犬の弥七君との二人暮らしの中、出来るだけ楽しく家事をこなしている。炊事の時に、台所にTVがあると退屈しない。TV嫌いの私ではあるが、天気予報などを欠かさずにチェックしている。ここのところ秋晴れなので、洗濯もはかどる。掃除にまでは、まだ、手が回らないが、買い物やゴミ出しなども楽しんでやっている。

 今日のゴミはプラスチック系統と厚紙、段ボールなのだが、先程、プラゴミをまとめて、公園のゴミ捨て場に捨てに行った。カラス対策の為の組み立て式ネットボックスの中には、既にたくさんのプラゴミが捨ててあった。そのうちの一つに放り込んで帰るわけだが、帰路、親父の仏壇にお線香を上げに来てくれた近所のおばさんと会った。眼鏡を掛けていなかったのだが、おばさんもゴミ出しでなのはすぐに解った。

 「おはようございます。その節はどうもありがとうございました」と挨拶したら、おばさんも丁寧なご挨拶をしてくださった。おばさんに、「いや、久々のゴミ出しなのですが、厚紙の出し方がよく解らなくて」と言ったら教えてくださった。そして、おばさんは「お母さんは元気?」と聞いてくださったのだが、私はつい、「足のボルトを抜くために入院していたのですが、今日退院します」と言ってしまった。おばさんが「大変ねえ」と言った瞬間に私は後悔した。おばさんに気を遣わせてしまう可能性があるからだ。単に「元気ですよ」と応えれば良かった。余計なことを言ってしまったと後悔しても後の祭りである。何事もなければいいのだが。

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よし!手術成功

 おかげさまで、今日の午後の手術で母の足からボルト三本を取ることが出来た。手術が無事に終了した。後は、皮膚がくっつくのを待ち、骨が丈夫に補強されることを望む。本人は「折ったときよりも痛い」と話していたが、時間が解決してくれるのを待つしかない。

 二時間前後の手術ということで、一時間四十分ぐらいから待ち続けたが、お呼びがなかなか掛からない。二時間の予定より20分オーバーぐらいで呼び出された。行ってみると、まもなく母が運ばれてきた。あろう事か、ベッドの片方は主治医の先生が押してくださっている。

 その後、先生はボルトが全部取れたレントゲン写真を私と母に見せてくださった。お礼を言うと、その陽気な先生は去っていった。母は全身麻酔の間中、夢を見ていたらしいが、内容は覚えてはいないとのこと。看護士さんが血圧等を計ってくださる中、母の荷物を整理した。母はまず、「靴を取ってきて」と言った。靴に財布を忍ばせていたらしいのである。そして、酸素マスクをしながら、「TVカードを買ってきて欲しい」と言われた。病院のTVはプリペイドカード形式なのである。『元気が出てきたな』と思った私は二枚ほど渡した。

 一応、母は、明日退院の予定だが、どうなるかは解らない。退院なら、明日は愛犬の弥七君も連れて行くつもりだ。先生を始め、様々なスタッフの方に感謝したい。と同時に、私の寝不足も治るといいのだが。まずは母の手術成功の件で仏壇にお線香を上げに行こう。

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株価大暴落の責任を取れ

 母が入院したため、現在は愛犬の弥七君との二人暮らしである。彼も理解しているのか、留守にしても、粗相をしないようになった。いや、もしかするとこれは彼の歳のせいかもしれない。寝ていることが多くなった。父が亡くなってから元気がない。留守番させることも多くなった。しかし弥七君は事情が分かっているみたいである。

 基本的に人間一人で生活していると、自由なのだが忙しい。慣れない家事をこなすことを考えてたら、忙しさの方が大きいかも知れない。こういうときは、家事の得意な女の子と同棲するに限るのだが、何分、自宅でもあり、お袋は明日にも戻ってくる。

 骨が折れて、くっつくまでの入院とは違い、くっついた骨からボルトを抜くだけだから、退院も早い。食事は今日と明日をしのげば何とかなる。こういうとき、お袋が去年作ってくれたレシピ帳を観るまでもなく、メニューが浮かぶ。手短に出来る物を選ぶ。

 いつもの事ながら、明日の朝はバナナである。夜は牛肉と椎茸の炒め物と味噌汁でも作ろうかと思う。味噌汁はインスタントで、炒め物もお酒と醤油で味付けするだけである。こんなに簡単な物もない。明後日はうな丼。買ってきたウナギをレンジで温めて、ご飯に載せるだけである。楽だ。繰り返し言うが、二日だけだから経済的な面は無視している。それにしても物価が上がった。去年と同じくらい買っていたらやって行けない。・・・私の読みでは投機資金は穀物市場に行くと考えている。それにしても、生活必需品に投機するのは間違っていると私は考える。どっかの国の馬鹿な大統領は、何も解ってはいない。

 「バイオエタノールに投資する」だと?これは物価高の予言だ。そうでなくても今回の株の大暴落の責任を取るべきではないのか?・・・お袋がよく嘆いていた。「以前の1/3買っても同じ値段」と。バイオエタノール問題ではまだまだ言いたいことがあるが、今日はこの辺にしておく。

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骨折のボルトは取るべきか?

 私の母の右足のくるぶしには、ボルトが三本入っている。去年の今頃、病院での検査中に転倒したためだ。複雑骨折である。

 あれから一年が経ったが、母はいつも、「くるぶしが締め付けられる感じがして痛い」と語っていた。同時に、「ボルトを抜いた方がいいんじゃないだろうか」などと、医者でもないのに勝手に思い込む。いつも、担当の先生に、その話ばかりをして、手術をすることになった。

 書類に私も名前を書いてハンコを押さなければならなかったので、よく目を通すと、担当医が、本当はやりたくないと書いている。いつもの母の断片的な説明では解らないので、担当医の説明を受けるべく私も同行した。昨日のことだ。待ち時間に聞きたいことをコンパクトにメモ帳に書き込み、順番を待った。

 呼ばれたので、行ってみると、担当医は『話の解る奴よ、よくぞ来てくれた』みたいな感じで、私と母の質問に手際よく応えてくれた。その上で、糖尿の気があるので、合併症のリスクはあるものの、母は手術する道を選んだ。私もハンコを押し、手術が決まった。

 先生の話では、くるぶしは皮膚と骨だけなので治りが悪いそうだ。現在の整形外科全体の傾向としては、必ずしもボルトは抜くものではないそうである。抜くべきか抜かざるべきかの結論は出ていないとのこと。とりあえず明日が手術なので無事に行ってほしい。

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I want to ride my bicycle

 QUEEN の『Bicycle Race』を聴いている。無論、一昨日、長距離を十五年ぶりに自転車で走行したからだ。それにしても、この曲、よく解らない。日本語で言うと「じ~てんしゃ、じ~てんしゃ、じ~てんしゃ」と歌っている。この様なシンプルな歌詞で曲が成立しているのが不思議である。というよりも凄いことだ。

 横文字で書くと面倒なので、カタカナで書くが、QUEEN で好きな曲は山ほどある。どれが一番好きとも言えないぐらいである。あえて挙げたら、『ボヘミアン・ラプソディ』だけど、やはりどれとも言えない。私がQUEEN の曲で感じるのは、どれも、非常に危ういバランスの旋律でありながら、絶妙な色を醸し出していることだ。他のバンドや歌手には感じられない様な仕組みで出来上がっている感じがする。フレディ・マーキュリーの甘い声も合わせて何か妖艶でもある。

 アメリカのセントルイスに行ったときに、メジャーリーグを観戦したが、地元チームのチャンスになると『We Will Rock You』の出だしの「ズン・ズン・チャン」をやっていたことからQUEENを聴くようになった。今では日本でもメジャーになってしまったが、時に、高校野球などで、チャンスでもないのにブラスバンドがこの曲をやると、外している気がするのは私だけであろうか。

 まあ、何はともあれシンプルなようで奥が深い印象である。

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友人の家からの帰還

 夕べは十四時間寝てしまい、先程起きた。それもそのはずである。昨日の朝、都内某所の友人の家まで電車で行って、七、八時間かけて自転車で自宅まで帰ってきた。現在、猛烈に尻が痛い。自転車の固いサドルになれていなかったせいである。幸い、筋肉痛などは、今のところ出ていないが、明日以降、出るかも知れない。

 慣れていなかったのはサドルだけではない。私は十五年ぶりに自転車に乗ったのだ。最初は安定せず、フラフラしながら走っていた。これで本当に自宅まで帰れるのかと、不安に思いながら、友人とお子さんのの見送りを受けて、大通りの歩道を走り出した。

 何度も人にぶつかりそうになる中、きわどく回避しながら進んだ。とにかくのんびり走り、一時間に一度はストレッチをした。そうして、だんだん慣れてくるとスピードを上げていった。最初は片手で運転できなかったものの、しばらくすると出来るようになった。と同時に、サドルがくい込み、段々、尻が痛くなってきた。時には歩いた。

 尻の痛みに耐えながら、私は車道を走り出した。途中、トラックに引っ掛けられそうになり、「なんちゅう運転しとんじゃ、バカヤロー」などと怒鳴ったりしていた。大した坂もなく、自転車の旅もいいものだと感じた。それ程、汗はかかなかった。そよ風が気持ちいい。

 地元の最寄り駅まで来た辺りで、さすがに疲労が出てきた。私の家は山の上にあるので、登らねばならない。自転車を押すことしかできなかったが、ふくらはぎが熱く、そろそろ体力の限界かという頃合いに家に着いた。すぐに風呂に入って汗を流す。

 風呂の中で考えたが、道中、一番坂がきつかったのが、最後の私の家へと登る坂だった。また、一泊二日の予定だったが、友人の言う通り、余裕で一日で着いた。そして、無事に帰還できたことを友人達にメールで知らせ、勝利の一杯を飲んで、爆睡した次第。

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今日から旅だっていうのに

 今日から旅だっていうのに、異常に早く起きてしまった。まあ、短期旅行だからいいのだけれど、前日の23:00に目覚めるのは早すぎる。寝直すつもりだが、果たして眠れるのか・・・。幸い天気は晴れということで、助かったが、そうなると、逆に汗をかきすぎるのが怖い。適度に塩分と水分を取らなければ参ってしまう。

 久々のツーリングは、運動不足の私にとってもいい。世の中、嫌なニュースが溢れる中で、気ままに旅するのもいいものだ。歳が歳だけに、慌てるつもりはないが、一日で帰れるかどうかの微妙な距離でもある。一日で帰ってきたいのは山々だが、無理をする気はない。

 いろんな事が私の胸を覆ううちに、親父のことにも踏ん切りがついた。寺山修司風に言うと、思い出を捨てたのではない。あえて忘れたのだと言いたい。少なくとも僕は、忘れることも愛することだと考えている。父との思い出を心の引き出しに入れた。

 街を行く人々は、己の死にさえ余りよく考えてはいない。それはルーズだ。しかし、考えすぎると、これもまた上手くはいかない。生と死については、人間誰しも考えることだと思うが、私から言わせれば、コインの裏表である。ここでは葉隠みたいに、極端な死への意識というものを私は持たない。・・・『あんまり考えすぎるなよ』という親父の言葉が聞こえる。されど、人間、命を惜しんで、いかばかりのことが出来るのか。・・・解らない。

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損をして得(徳)をとる

 十数年保有してきた原付を処分した。自転車を置く場所がないのと、原付のブレーキが錆びてしまい、前輪が上手く回らなくなったためである。まだ修理に出せば乗れそうだったが、普段、あまり乗らない上に、長い年月が経ってしまったので、処分を決めた。

 処分した原付は、初代から数えると三代目である。初代の原付では、エンジンブローさせてしまったことがあり、徹夜で押して帰ったことがある。二代目の原付でも、二度、大クラッシュをした。電柱に激突してフロントフォークが曲がってしまい、もう一回は長い下り坂のコーナーで50Km/h位で吹っ飛んだ。バイク屋に、「こんな原付に乗っていたらいつ死んでもおかしくない」と言われ、処分した。幸い三代目ではひどい思いをしたことがない。と言うより、あまり乗っていなかったというのが本音だ。原付に関する思い出は尽きない。

 昨日、バイク屋に電話をし、処分する旨を伝えたのであるが、玄関先でエンジンを吹かしていると、家の修理をしてくださっている方が「もったいないなあ。名義変更とかは僕がやるから、一万円で買うよ」と言われた。確かに自分でももったいないと思っていたので、どうしようか迷った。家の中で母にその話をすると、「もうバイク屋さんに話したんでしょ。損をして得(徳)を取りなさい」とあっさり言われた。エンジンは大丈夫でも、購入から、もう十年以上経っているので、(原付で何度も死にそうになったから)安全が保証できないと考えた私は、打診してきたおじさんに謝って、バイク屋に引き取ってもらうことにした。8400円の出費である。物事を損得勘定で考えるのは好きではないが、そのバイク屋さんには、自転車の荷台の改造の依頼もしようと考えているのである。いい付き合いをしたい。

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自転車の旅

 友人達から自転車を頂くことになり、明後日に取りに行くことになった。友人宅とは80~100Km程度離れており、ちょっとした旅を楽しめる。その日で帰れるかも知れないし、どこかで一泊するかも知れない。友人に言わせると、余裕で一日で帰ることが出来るだろう、と言うが、昔の私ならともかく、もう十五年以上自転車に乗っていないのである。乗れなくなってはいないだろうが、ストレッチをしながらのんびり帰ってくる予定だ。不安もあるけれど、何とかなるだろう。

 明後日からにしたのは、週間天気予報を観て、二日続けて晴れる日を選んだからだ。雨の中、帰ってくるのは少々やっかいである。また、始発のバスに乗り、電車に乗って友人宅の最寄り駅に向かう。これだけでも、結構な時間が掛かるので、帰路の自転車での旅は、相当疲れるのを覚悟しなければならない。電気自転車なら楽だろうが、変速機付きのママチャリらしい。何とも友達思いの友人達だ。

 家に帰ってくる途中で、100円ショップにでも寄って、自転車を覆うカバーを買いたいと考えている。折角の友人達からの、心のこもったプレゼントなのだから、大事に扱いたい。

 旅の道中では、blogは携帯電話から送ることになる。短くても勘弁して頂きたい。いつものことだが。

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屋根の補強工事

 リフォームと言えばリフォームかも知れないが、現在、我が家は工事中である。突き出た屋根瓦の下の部分が腐ってしまい、そこを直してもらっている。また、トイもやり直してもらうそうだ。築三十年以上経った家であるから、あちらこちらが傷み出している。

 今朝は六時には起きたのだが、無性に眠くて、もう一度、寝ることにした。春眠ならぬ「秋眠、暁を覚えず」である。私は季節の変わり目になると、自律神経がヘタることがある。いつ頃からそうなったのかは記憶にないが、同時に風邪をひくことも多い。今年の場合は、彼岸過ぎから二週間ほど体調が優れなかった。

 「メキメキ、バリッ、トントントン、カンカンカン」という音で目覚めた。丁度、私の部屋の上の部分を修理しているらしい。かなりのボリュームである。こういう場合、音楽を掛けたりすると、相手に失礼なのではないかと、余計な心配までしてしまう。愛犬の弥七君は、ワンコラとうるさいので、下の部屋に連れて行っている。

 まとまりのない話だが、今回の工事費の予算に、母は25万程見積もっていたらしい。すると、提示された金額は32万で開きがある。そこで5万程まけてもらって27万になったらしいが、トイも修理してもらうという条件付きだった。・・・そんな中、私はあんまり値切らない方がいいと思った。というのも、値切り過ぎると、手抜き工事の心配があるからだ。今回依頼している方は、とても誠実な方なので、取り越し苦労かも知れないが。

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美味しいコロッケ

 先日、病院に行く際、母とコロッケを食べていった。母は私の風邪をもらったらしく、私に負けず劣らず調子が悪そうだった。クリーニングを依頼した店で、店の中のテーブルに座って食べた。店のおっちゃんとは初めて会話したが、感じのいいおっちゃんだった。おばちゃんも感じが良く、息子夫婦も感じがいい。元々はガラス屋さんだ。

 今回の親父の件で、大分、励まされた。おっちゃんも、昔、胃がんになったらしく、気持ちを理解してくれていた。・・・ところで、このおっちゃんはコロッケで特許を取ったらしいのである。やり手なおっちゃんで、休日には営業をしているらしい。一個百円だったが、その分、いい物を使っているから、胸焼けしないのである。消費税分の五円は受け取らなかった。おっちゃんは我が家が、しょっちゅう買っていることを知っていたのである。おっちゃん曰く、リピーターが多いとのこと。本当に感じのいいおっちゃんで、心が和まされた。

 何でこのおっちゃんが特許を取れたのかは詳しくは知らない。ただ、他のコロッケだと胸焼けがするから工夫してみたそうだ。確かにこのコロッケは胸焼けしないのである。と、同時に昔からの商売仲間で、詐欺にあった本屋さんも使ってあげているらしい。

 客商売には、朗らかな嫁さんと、不屈の根性が必要であると思った次第である。

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N.Yの思い出 その4

 N.Yの地下鉄は何処まで乗っても、同じ金額である。とりあえずの旅の目標であった、大西洋を観に、一時間以上掛けていった。着いてみると、ちっぽけなビーチがあるだけである。ビーチだけならロスのサンタモニカの方が綺麗だった。他の目標(太平洋を東から観る、カルチャーショックを受ける、地平線を観る、など)もそうだったが、たいしてインパクトは無かった。当たり前である。街のイルミネーションは日本企業だらけ。地平線を観たのはいいが、雷が鳴っていた。これではカルチャーショックなど受けるはずがない。コンコルドにでも乗ってやろうかとも思ったが、それは無謀すぎる。

 その翌日は、セントラルパークに行った。公園な事は解るが、遠くにビルが見える。これではリラックスできない。でも記念にと写真を撮っていたら、新聞を読んでいたニューヨーカーが「写真を撮ってあげようか?」と言うので甘えることにした。お礼を言ってから、パークの東側にあるメトロポリタン美術館を目指した。

 私は旅先で美術館を観るのが好きだが、メトロポリタンは、かき集めた財宝が数限りなく展示されている観があった。こういう場合、じっくり見ていては、時間がいくらあっても足りない。興味深い作品の前では立ち止まったが、ほとんどスルーした。一言で言えば雑多なのである。しかし、日本の美術館が寂しい気がして仕方がなかった。展示されている美術品のレベルが違うのである。しかし、文化がないのもアメリカの特徴で、大した感銘は受けなかった。

 こうして私のN.Yの滞在も終わる。今思えば、ハーレムにも行っておいた方が良かった。物事を両面から眺めるためである。

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N.Yの思い出 その3

 N.Y程忙しい街もない。夜中の二時に、ホテルの十四階で、車のクラクションの音が聞こえた。おかげで次の日は寝不足だったが、エンパイア・ステートの展望台に行った。そこは、銃の乱射事件などもある悲劇の場所なのだが、私はのんびりと風景を楽しんだ。売店があったので観てみると、自由の女神の置物があった。世話になった人になんにも送っていなかった私はそれを二つ買った。結構な値段だったので、カードを出し、「Can I pay by this card?」と聞いてみたら、お店の方は「Sure」と言ってくれた。それを持って、郵便局に行った。

 郵便局もホテルの近くだったが、列が出来ていた。私の順番が来たので、受付に行くと、黒人のおばさんが「What's this?」と聞いてきた。しばらく迷った私は、「The Statue of liberty」と応えた。するとおばさんは、「梱包してからじゃなきゃ送れない。あそこで梱包してから、また来なさい」とやさしく言ってくれた。観てみると確かに紙やらガムテープがある机があったので、「I see」と言ってその机で頑丈に梱包した。おばさんの所に戻るために、行こうとすると、列んでる人に注意された。やむなく、列びなおしておばさんの所が空くのを待った。

 再びおばさんの所に行ったら、「私の所が空くまで待っててくれたのね」と言われた。そして、船便にするか飛行機便にするかと聞かれたが、船便だと遅くなると聞いた私は、飛行機便で頼んだ。・・・その後、夕飯を採り、ビールを持ってホテルに戻ると、あろう事か、同じ自由の女神の置物が半額で売られていたのには愕然とした。だから私は、「エンパイヤ・ステートの屋上で買った」と言うフレーズを忘れない。自由の女神の置物は、今でも飾っている。

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N.Yの思い出 その2

 とりあえず、N.Yに来たんなら、『自由の女神』を観なければ、モグリだな、と感じた私は、地下鉄でマンハッタン南のバッテリーパークという所にやって来た。思ったよりも地下鉄がきれいなのには驚きもした。バッテリーパークで遊覧船のチケットを購入した私は、列に並んだ。夏休みのせいか、観光客が多かった。

 パークからも自由の女神は見えたが、小粒であった。遊覧船で近付くに連れ、私の興奮は高まった。俺はこれを観るためにここまで来たんだと。小さなガキが「the Statue of Liberty」と連呼している。そうでなくても、私はこれを目標に西海岸からやってきたのだ。

 島に降りてから、とりあえずゲータレードの何色かを買う。自由の女神のてっぺんにも登りたかったが、人混みが出来ている。暑さもあって登ることをあきらめた私はタバコを吹かしながら、じっくりと眺めた。いろんな角度から写真も撮ってみた。当時はデジカメなどない。

 頃合いを見計らって、再び船に乗った。パークに戻るためであるが、微妙に空いていた。その後、ウオール街を歩いてみたが、気持ち悪くなった。何故か遠近感が狂わされるのである。

 その晩は何を食べたか覚えてはいないが、ホテルには、やはり、ビールを持ち込んだ。

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N.Yの思い出 その1

 若い頃に、アメリカを放浪したとき、ワシントン D.C.からマンハッタンまでバスで行った。夕方に着いたのだが、目星をつけていた安宿は全て満室。日暮れが近くなるに従って、焦りを感じた私は疲れ果てていた。五件ぐらい断られたと思う。そんな中、最後の宿の受付の方があるホテルを教えてくれた。行き当たりばったりな旅ばかりの私は、マンハッタンをナメていた。紹介されたホテルに着くと、巨大ホテルだと解った。金額が気になったのだが、100$以下なら定宿にしてもいいとも感じた。そして、フロントとの列の最後方に回る。

 Tシャツに短パンで、汚いカッコをして並んでいたのは私だけだった。順番待ちをしていたら、何処の国の人か知らないが割り込んでフロントに交渉に行った人がいた。ホテルマンは堂々と、「列んでください」と言って、その人を諫めた。まもなく私の順番が来る。

 私は先程のホテルマンに話した。「どんな部屋でもいいから、一番安い部屋をお願いします」と言ったら、その方は96$の部屋があると教えてくれた。私の条件をクリアしていたので、そこを頼んだ。するとホテルマンが、「その部屋は狭いですし、暗いですし、・・・」と語り出した。私は、『そこは、多分いわく付きの部屋だな。誰か死にでもしたのだろうか』と勘ぐったが、「No Problem」と言って、五泊することを申し出た。たとえ何かがあろうと、そんなものは気合いで振り払うつもりだった。実際、ホテルマンの言う様な部屋だったが、幽霊を観たわけでもない。夜はバドワイザーを買ってきて次の日は何処に行こうかなどと、のんびり考えていた。これでN.Yの居場所が決まった(高かったが)。マジソン・スクエアのすぐ側である。

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法要と子供

 おかげさまで、親父の四十九日の法要も無事に終わった。懸念していた台風も、やって来なくて、きれいに晴れ渡っていた。石屋さんがお墓を開けてくれて、親父の戒名の所に白い字を入れてくださった。不器用そうな人だったが、いい仕事をしてくれたし、いろいろと親切にしていただいた。それに対し坊主は俗だった。

 今回は親父の姉貴に当たるおばさんが来ていたので、その後、とあるお店で会食を行った。場がしめっぽくならないように、おばさんはいろんな話題を振って、気を遣ってくださった。ありがたいことである。そんな中で、弟夫妻の三歳の次男が無邪気に振る舞い場を和ませてくれた。葬式の時も、おばさんの孫が来てくれて、大分、場が和やかになった記憶がある。不思議なもので、法要などでは幼い子供がいるのと、いないのとでは、全然、空気が異なるのである。

 私は四十九日を一つの区切りにして、これからは、お袋を支えながら、前向きに生きてゆくつもりだ。気合いが入る。

 そんな中で、親友の親父さんも最近亡くなったと聞いた。やはり家族葬だったらしいが、悲痛な胸の内を察すると共に、故人の冥福を祈ってやまない。もし、僕に出来ることがあったら何でもする。今度は、僕がしてあげなければならない番だ。

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急がねばならぬ

 今日は親父の四十九日の法要。

急がねばならぬ・・・失敬

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言葉ではなく、気持ちよ

 二人には

多くの共有点があったけれど

時間が無さ過ぎた

 毎日は

日の出から始まり

満月に終わる

 よく考えると

すれ違っていて

とても悲しいことなのに

僕等は気付かない

 「深い青が嫌だね」

と言った僕等は

赤い服を着る

 「もう投げ出してしまいたい」

と独り呟くけれど

戻る道はない

 よく考えてみると 

ボタンの掛け違えみたいで

とても悲しいことなのに

二人には言えない

 血眼になって

スロットレバーを引く

 下品な笑い声で

僕を醒ます

 出来る仕事が出来なくなったとき

神は引導を渡す

 大きな存在の喪失感に

悪魔が笑う

 犬吠岬は

巨大な太平洋を照らす

 風に髪を奪われたら

切るしかない

 「言葉ではなく、気持ちよ」

と言うあなたの言葉はおかしい

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こら!台風。来るんじゃない

 親父の四十九日を控えて、寺と墓の下見に行った。所要時間やどのルートが一番早いかなども調べた。結局、一時間ぐらい掛かる事が解ったのだが、寺に入っていく道が狭くて、難儀でもあった。後は墓石に戒名がほられていることを確認し、持ってゆく物を確認した。

 墓を買ったのは10年前である。その頃は親父も元気であった。墓石屋から三カ所の墓地を紹介されたのだが、長男の私が選択することになった。迷った挙げ句に、電車でも行ける場所を選んだ。そこは晴れた日なら、ロケーションも抜群の所である。ただし、階段が異常にきついので、歳を取ったらかなりやっかいでもある。三カ所とも一長一短あったので、どれがいいとも言えなかった。

 で、昨日はいくつか用事があったが、二つめの用事を済ませたところで、異常に体調が悪くなった。もしや・・・と思い、病院に行くと風邪であることが判明。先生に、「ゆっくりして、タンパク質は避けて炭水化物を取りなさい」と言われてしまった。しかし、ゆっくり出来るはずもない。昨日の分まで合わせて所用をこなさなければならない。

 それにしても台風15号の動きが気になる。台風の暴風の中では四十九日の法要も大変なことになってしまう。どうか台風よ逸れろ。

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