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汚れちまった悲しみに

 『汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降り積もる』とは中原中也の有名な詩である、このフレーズを聴くと懐かしい思いもするのだが(昔、何度も読んだ)、いつも疑問に感じてならないことがあった。それは、自分が汚れたのか、悲しみが汚れたのかということである。僕は昔から後者で解釈しているが、その方が、より深い悲しみを表している気がする。では悲しみが汚れるとはどういう事だろうか?悲しみに悲しみが重なり、それを起因として本来の自分ではなくなり、汚れる。悲しみが汚れるとは、こういう事だと思う。

 中原中也に才能がないとは思われない。最初の頃の僕は、小林秀雄と親しかったから有名になったんだろうなと感じていたし、カラーこそ違えど、詩人としては宮沢賢治の方が格段に上だと感じていた。よく考えると、この二人以外は、ことごとく駄目な気がしていた。現代では、詩は曲の上に乗らないと上手く行かない。

 大学時代の友達に、「俺には詩は解らない」と言われたことがある。ショックだったが、私はこう言い返してみた。「でも、歌詞なら解るんだろ」と。友人は否定しなかった。詩が解らないという方は、難しく考えすぎていると思う。流れに乗って、つかむところをつかめばいいと考える。そう考えると一番易しいかも知れない。

 逆に高校生くらいが、「中原中也しかいないだろ」などと言ったら疑問に思う。もっと勉強してからそのセリフを吐けとも言いたい。中途半端なガキなどには、解るはずがない。悲しみの重さも、喜びの声も堪能してから、臨むべきである。

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