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2008年9月

人生楽ありゃ苦もあるさ

助さん「人~生、楽ありゃ、苦~もあるさ~」

八兵衛「あっ、今の所、音を外しやしたね」

助さん「(赤面)」

八兵衛「あっ、あっしとしたことが言い過ぎやした。ちょいと厠へ」

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「聴く音楽間違ってるよ」

 もうずいぶん昔のことになるが、知り合いの影響で、『Marilyn Mansou』を聴くようになった。とにかく過激で、歌詞やパフォーマンス、曲にまで、その馬鹿馬鹿しさが表れていた気がする。今、聴いているのだが「Fuck'in」と叫いている。他にも書けない歌詞が多くある。

 僕は一度も『Marilyn Mansou』のファンになろうとした気はない。カルトと言えば、そうであろう。過激な歌が多い中で、どうしようもなく悲しい曲も多い。聴いていてプレイヤーを壊したくなる様な曲も多い。

 大体、マリリン・マンソンが自伝を出してはいけない。本屋で立ち読みしたが(当時)、アメリカの腐った文化に伴う物だと思った。アメリカの文化と言えば、哲学もなく、優れた作家は少なく、単に物質文化だと感じた。

 語学が堪能な友人からは、「お前、聴く音楽間違ってるよ」と笑いながら言われた。自分でも納得した。まもなく聴かなくなった。・・・後になって振り返ると、自分がいかに駄目だったかが解る。

 でも、『User Frendly』を裏で行っているような女もいると思うのだが。とかく異性の心をつかむのは難しい。さながら、prittyな女の子が少なくなって恐ろしい女が増えているところに恐怖を感じる。現在は聴いてはいない。時間がない。

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そんな商売の仕方があるか!!

 i-pod関連で解らないことが生じたので、再びサービスセンターに電話した。問題は、You Tube関連の動画のファイルが、コンピューター上の何処に保存されているか解らないことであった。というより、保存先のドライブを代えたいというものだった。10分以上待って、やっと繋がったので、用件を説明したら、 30秒ぐらいで「You Tubeを取り込むソフトの会社に伺ってください」との返事。これでは何のために電話をしたのか解らない私は、文句を言った。しかし対応が変わらないので、本気で腹が立ってきた。そして、「大体i-podのマニュアル、紙一枚ってふざけてませんか?」と言うと、相手が反論する前に、「ネット上の取扱説明書も印刷して読みましたが、それでも解らないから電話して聞いているんですけど」と言っても、同じく無機的な返事。これで完全に喧嘩モードに入った私は、「あなた、オペレーターやってメシ食ってんですよね。あなたの対応を聞いているとアンドロイドに話しかけているのと同じですよ」と言ったら、「人間ですけど」と言うので、「よっぽど血の通っていない人間なんでしょうね」と反論し、「大体、そんな殿様商売してたらあんたん所も長くはない。客に見捨てられるのがオチだ」と言って電話を切った。不愉快極まりなかった。

 同じような経験を昔、したことがある。出先で筆記用具が必要なときに無かったので、文房具屋に入った。小さな文房具屋だったが、店主に「ボールペンを貸してくれ」と言ったら「駄目だ」と言われた。それはつまり、私にボールペンを買えと言っているのと同じ事だ。事情を飲み込んだ私は激高し、「あんたんとこ、そんな商売していたら、間違いなく潰れるぞ」と言い残して立ち去った記憶がある。

 どちらも不愉快な思いをしたが、融通の利かない所が共通点でもある。融通の利かない商売人なぞ必要ない。必要が無いから潰れるのである。

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報われない仕事

 私は修士一年の時に、T.A(Teaching Assisutant)を無理矢理やらされた。嫌な思い出である。同学年の女に「(私が)やりたいと言ってました」と嘘をつかれ、結果的に私がやらざるを得なくなったという形だった。その女は誰からも相手にされない位の馬鹿だった。

 専門は材料力学だったが、やるからには真面目にやるつもりだった。私の役割は、毎週の演習の解説と、その問題に対する解答用紙の添削だった。他にも出欠確認などがあった。T.Aとは教える教師のサポート役ではあるが、大教室で講義したりなどということもあった。従って、多少のお金はもらえたが、雀の涙ほどである。

 お金をもらっている以上、素面で添削したのだが、ほとんどが白紙で、中には大学生になのに、微積分やニュートン力学の概念が解っていないような物まであった。学年は二つしか違わないのだが、こいつ等これでも大学生か?と呆れたことは数知れない。その度に私は、赤いペンで模範解答を書いていた。こんなの時間がいくらあっても足りない。お金を貯めたいなら、まだ吉野家でバイトする方が効率的であった。二学年下の生徒達は驚く程に出来なかった。

 まもなく中間考査があったが、私のクラスはビリであった。よくよく問題を観てみると、先生が教えていない問題が一つあった。その晩私は徹夜していたのだが、先生にそれとなく言った。すると、「それでも私の授業は素晴らしいんだよ。解るか?」と言われた。馬鹿が馬鹿を教えているのだから、仕方がないのかも知れない。その晩、私はヤケ酒を飲んだ。何よりも、授業を受けている生徒に申し訳が立たなかった。それから私と先生の間は険悪になったが、そんなのどうでもいい。あんな馬鹿との付き合いなどどうでもいい。誠実に生きている人間が報われない職場など、無い方がましである。

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ケーキにつられて

 小学校四年生の時、お袋が、ある塾の入塾テストを受けたら、好きなケーキを買ってくれると言った。テストぐらいならいいだろうと思って、僕はあるケーキを選んだ。そのケーキ、確か700円だった記憶があるが、味は覚えていない。僕は入塾テストを受けた。

 テストされるのは国語と算数で、問題用紙と解答用紙が配られた後に、立ち会いの試験官が、「どんな質問にも応じない」と言って始まった。すると、私を悩ませることが起きた。国語の漢字の読解の問題で、印刷が悪くて何が書いてあるのか解らなかったのだ。さんざん迷った挙げ句に、黙って手を挙げ、試験官に「(印刷が悪くて)読めません」と問題用紙を指さした。試験官も納得したらしく、黒板に漢字を書いてくれた。これで一件落着だったのだが、ケーキのために頑張った。その頃の私は漢字が苦手だったが、読めた。

 それから一年間、その塾にお世話になるのだが、私は一回も予習復習をしなかった。当然、テストの点も悪い。二クラスあるうちの下の方に入れられた。しかし、まもなく転機が来た。私が通っている教室だけでなく、全ての教室で一斉に実力テストが行われた。私は定期テストが悪くても、実力テストは得意である。今でも覚えているが、全体で21位、その教室では5位だった。塾の対応も代わり、私はすぐに上のクラスに入れられた。他の習い事もしていたが、塾側から、私を熱心に期待している旨を告げられて、全部辞めた。この実力考査の結果は母にもインパクトを与えたらしい。私に期待してしまったのだ。それからというもの、何かあると「勉強しなさい」と言われるようになった。700円のケーキでは割が合わないとも感じるが、世間一般の母親なんてそんなものかも知れない。

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父の思い

 父が他界してから、私は形見分けに財布をもらった。もちろんお金は入ってはいない。自分の財布も相当ヘタれていたので、買い換えたいと思っていた所である。しかしながら、父の財布も結構ヘタれていた。私事だが、財布くらいはいい物を使いたい。

 私はいつも、診察券などのカード類を入れすぎて、財布をヘタれさせてしまっていた。よく父が、「いらない物は捨ててまえ」と言って、「それが掃除の基本や」と言っていた。私も、まず、いらない物を廃棄するのだが、捨てても財布にはカード類が多く残る。

 札束入れと小銭入れが一緒の方が私の好みだったが、父の財布は別々の物だった。ポケットに様々な物を入れる私としては、小銭入れが見付からず、しんどい思いをしたこともある。要は慣れなのかも知れない。親父が「ポケット整理せえ」と言っている気がする。

 昔、母が当てた宝くじ(一万円)の一部である千円を、父と私と弟にくれた。それが父の財布に入っているのを観て、お袋は驚いていた。私も持っているし、祖母から頂いた一万円札も大切にしまってある。そうして、父の財布は私に引き継がれた。

 数日後、ちょっとした物を、『ここに入れられたらいいのになあ』と考えていた私は、そこの部分を開けてみると、私が旅先で祈祷してもらったお守りが入っていたのだ。お守り一つでも「もうええ」と言うような親父が、私が祈祷していただいたお守りを大切に大切に持っていてくれた。今の私に話す言葉はない。ただ、父は、どんな思いをしてでも生きたかったんだと思う。

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お彼岸か

 昨日はお彼岸であった。私の高校時代の友人二人が午前中に、線香を上げに来てくれた。お花を頂き、お菓子を頂きと、感謝している。まず、私が線香のあげ方を説明してから般若心経を唱えた。浄土真宗と般若心経の縁についてはよく知らないが、生前の親父がそれでいいと行ってくれていたのでそうした。順番に友人も線香を上げてくれた。非常にありがたいことである。

 一段落ついて、ある友人が課長に昇進したのを、つつしまやかにお祝いした。そして、私の話になると、大学時代の友人達と同様に、二人とも、「出家した方がいいんじゃねえのか?」という話になった。私の母も、私に出家は合っていると言い、出家したら相当の所まで行くんじゃないのかなどと、適当なことを言っている。

 私は得度を得ても、クズみたいな坊主ばかり観てきた。金儲けに走っている寺、修行しない坊主ども・・・素人の私の質問でさえ、まともに応えられない。そんな奴等を相手にしている時間はない。人間というものは、周りが自分より優れていると、自分も磨かれる。しかし、その逆は腐ったミカンの集まりのようなものだ。

 昔、京都の伏見であった行者から聞いた。人間は損得勘定で堕ちる、五大欲は押さえすぎると爆発するから気を付けろ、修行する場合、良い師に出会うことが一番大切だとのことだった。・・・現在、自身に出家する気はない。母の面倒を見なければならない。何はともかく、私はこれから得度を得ていない僧(ソウ)として活動するつもりである。どうしても母を、独り、置いては行けないのだ。

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ATMの引き出し制限

 父の葬儀の後、名義変更までに時間が掛かるとのことで、銀行でおろせるだけの金をおろした。母も葬儀費用がいくら掛かるか解らない中で、私はお金を貸した。「そのお金は父の葬儀に使ってもいい」とまで言ったが、母は返すと行って聞かなかった。

 で、現在のATMは、一度に引き出せる額が50万ぐらいだったのだが、私は、これを振り込め詐欺対策と認識していた。しかし、どうやら目的はそれだけではないようなのだ。アメリカの大手証券会社が経営破綻し、世界中に株安の火花が散っている。

 私が知ったATMに関する説とは、大不況が起きたときに、皆が一辺にお金を引き出してしまうと、銀行が潰れるという説だった。こちらの読み筋の方が鋭い。昔、同じようなことが起きて、銀行に人がラッシュしたという話を聞いたことがある。それからもう一つ疑問がある。

 メールのパスワードでさえ苦労してややこしく作るのに、銀行の暗証番号は四桁のままだ。それだけセキュリティーに自信があるからなのだろうが、どうも危なげな気がするのは私だけであろうか?

 それにしても、アメリカで経営破綻した証券会社の資産が数十兆円なのには驚いた。これだけの規模の破綻なら、これから先も景気の見通しが明るくない。

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リバウンドか?

 正月から減量してきて、14Kg 落としたことは既に触れた。それで75Kgだから、元々が太りすぎていた面はある。三ヶ月でこれだけ落としたのだが、その後、75Kgの壁というのは大きかった。最高でも72Kg位までしか行かなかった。いろいろある中で、以前のように食べないダイエットというのが難しくなった。基本的に一日1.5食くらいで、間食もしていない。運動、といっても歩くだけだが、一日5Km位は歩いている。足にも大分筋肉のハリが戻ってきたが、歩いて帰ってきてからのご飯がこの上なく美味しくて、ついつい食べ過ぎてしまう。

 問題は食べているものの中身にあるのかも知れない。こないだ、もんじゃ焼きとパスタとを連日で食べたら2Kg増えていた。明らかなリバウンドである。炭水化物は太りやすい。解ってはいても食べてしまう。しかし適度に炭水化物を取らなければ、頭の働きが悪くなるとも聞いた。メインを野菜のサラダにしようか・・・無理があるな。

 ここまで来て解ったのは、『簡単に痩せられる方法など無い』ということだ。何故、通販のダイエット用品が常に売られているのかを考えたらよく解る。需要があるからというのは当たり前のことだが、肝心なのは、楽をして痩せようという発想は捨てた方がいい、ということだ。

 昔、保険会社勤務の友人から言われたのが、「体重の増減が激しい奴は死にやすい」ということだった。だったら俺も短命なのかと思う。ボクサーはもっと過酷なんだろうなあ。

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3638曲

 i-Podに入れた曲数は、のべで3638曲だった。変換は面倒なのに対し、インストールは素早く終わった。3638曲収納しているのも異常だが、普通にCDを買ったり、借りたりしていると余裕で行く数字である。一枚のCDに10曲入っていているとしたら、400枚で事足りる。

 様々な紆余曲折があった後で、無事に取り込みを終える。基本的に購入した物やレンタルした物が多いが、規則は守っている。個人で楽しむ範囲でということだ。そして、パソコンに取り込むと、自分の意外な一面が出てきた。それは、ジャンルを選り好みしていないのだ。

 元々好奇心は旺盛だったが、音楽のジャンルにまで影響しているとは思わなかった。Pops、Rock、クラシック、R&B、演歌、Jazz、レゲエ、・・・限りなく僕の音感を刺激する。音楽は、コダマとなって、僕を上に持ち上げてゆく。最近の邦楽でそういう物が少ないのを懸念する。日本の音楽って何なんだろうなと、自問自答。

 元々の日本の音楽って、雅楽か・・・そういえば武満徹さんのCDがあったはずなので後で聞くことにする。氏は大江健三郎氏、故伊丹十三氏、坂本龍一氏に影響を与えたと何かの本で読んだ。いろいろ読んだが、武満さんの幅の広さに驚いた次第である。

 氏の存在を知ったのは、友達の家に遊びに行く時に購入したCDだった。

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i-pod手強し

 ヤボ用があったので、HD型ウオークマンを持って行くも、何故か電源が入らなかった。もうぶっ壊れたのかと思い、後日、保証書を持って家電量販店に向かおうとしたら、母が言いにくそうに言った。「それ、洗濯しちゃったかも知れない」と。私は唖然とした。

 この場合、洗濯した母も悪いが、服に入れっぱなしだった私も悪い。怒る気にもなれない中、母が、「私が払うから新しいの買いなさい」と言ってくれた。幸い、以前、居間のTVを買ったときのポイントが一万円分くらいあった事もあり、購入することにした。

 いざ、売り場に行ってみると、SONYのものとi-podしかない。当然i-podを選んだ。とは言っても、私の場合、i-podって何なんだ?というところから始まる。店員を呼んで説明を聞くと、音楽だけではなく、動画も見られるらしい。それならと、YouTubeを入れられるソフトと、外側のラバーのカバー、そして肝心のi-podは80GBの容量の物を選んだ。ここまでは良かった。

 家に帰り箱を空けると取説が異常にシンプルである。楽勝だろうと適当にいじっていたら、訳の分からない事態へと進んでしまった。仕方がないので、ネットでマニュアルを読むもよく解らない。解ったのはウインドウズのMPで取り入れた曲はi-pod用にファイルの拡張子を変換しなければならないということだった。途中でまた解らなくなり、電話で説明を受けたが、対応がかなり杜撰であった。それでも、言われた通りにやってみると、異常に時間が掛かることが判明。愕然とした。自分がコンピューターに入れている曲数が半端でないこともあり、失敗を含めると、拡張子の変換だけで丸一日かかってしまった。これからi-pod本体にデータを入れる予定だが、どれくらい掛かるのだろう。・・・何だか、もう、どうでも良くなってきた。パソコン嫌いの私にこれだけ向き合わせた罪は大きい。

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徒然なるままに

 夕べは早寝してしまった。現在まだ眠い。こういうときは徒然なるままに書いてみる。徒然なるままに眠い。どうもここのところ、よく眠れない。そんな愚痴を言っている間に、冷えた麦茶を飲んで、一服し、目を無理矢理覚ます。もちろん頭は働いてはいない。

 今日は9/19か・・・って友達の娘さんの誕生日だ。誕生日おめでとう。・・・もしも~ピアノが~ああ~ったなら~、思いの~全てを~歌に~して~、君に~捧げる~こと~だ~ろう、だけど~僕に~はピアノが~無い、君に~捧げ~る、腕~もない・・・って相手は小学生の女の子だ。でも詩の一つでも送りたいな。でも今しらふだ。

 充分に酔わないと詩が出来ないというのも面倒な性分だ。前にも書いたが、適度に酔うと、言葉が暴走し出すときがある。フレーズが溢れ出て、いくらでも書ける状態になる。blogをやり直してからは、詩を披露してはいないが、前の時は結構書いた。いずれも酔っていたが、今は気持ちが重く、そんな気分にもなれない。

 僕は普通に話しているつもりなのだが、家族からは「もっと元気を出せ」と言われる。みんな父を亡くして悲しい中で、私だけがテンションを落としているわけにも行かない。カラ元気でも出しますか。

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こんなに違うのか

 東京の病院の先生に、父が他界したことを知らせるために、ちょっとした物を持って報告しに行った。私は眠くて眠くて仕方がなかった。帰りの電車では、危うく乗り過ごしてしまうところだった。もちろん、朝一番から最寄り駅まで歩いたことは言うまでもない。涼しかった。

 その後、地元に戻ってきて、私の服を買うことになった。ズボンはダイエーで一本1500円。それを二着買った。そして、百貨店に行き、カジュアルなYシャツを選ぶ。二つか三つ選んで30000円近く。ズボンと上着の金額に、これほど差があるとは知らなかった。いっつも私は母が買ってきた物を適当に着ていたからだ。・・・しかし、値札が五倍も違うのには驚いた。これでは、コケてズボンを破いてもいいが、ズッコケて上着をオシャカにすることは許されない。その後ベルトも購入して、買い物は終わった(サンダルも買う予定だったが、面倒なので止めた)。・・・まあ、単に百貨店でズボンを買っていないから、こういうギャップが生まれたのかも知れないが。

 私は、服を選ぶときには即断即決である。「これとこれ」という感じで、すぐに決めてしまう。モタモタするのが嫌なのだ。というより、男が服を買うのにダラダラしているのはみっともないと考える。粗末な格好をする気はないが、悩んでも、着る物は着るし、着ないものは着ない。

 これから予定がすし詰め。気合いを入れないと。

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何でも解っている

 いつ頃気が付いたのかは解らないが、我が家の愛犬の弥七君(ミニダックス、♂、満十歳)も、父が他界したことを受け止めているみたいである。ここのところ少し元気がなく、おとなしい。仏間は弥七君が入ってはならない部屋なので、ドア越しにこちらを見つめている。

 弥七君は言葉はしゃべれないが解る、と以前書いた。何でも解っているのだ。でも、どちらかというと、言葉というより、雰囲気で察しているみたいだ。家を留守にするときも、以前だったら粗相をしていたのに、しなくなった。黙って家を守ってくれている。感謝。

 しかし、食べ物が関わるとガラリと態度が一変する。お供えに焼き鳥の一部を置いて、隅の方で私がモグモグやっていると、部屋の入っては行けないラインを半分だけ超えてこっちを観る。「僕にはくれないの?」という目をする。結局いくつか残しておき、最後にまとめてやるのだが、そのガッつき方が尋常ではない。ただただ驚く。

 弥七君は十歳だけれど、食に対する意欲には並々ならぬものがある。多分長生きするだろうな、と感じてはいるが、所詮、生き物なんて死と裏腹。いつ「その時」が来ても受け止め、しょっていかねばならない。

 さてと。明日は早いし、線香を上げて寝るとするか。

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汚れちまった悲しみに

 『汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降り積もる』とは中原中也の有名な詩である、このフレーズを聴くと懐かしい思いもするのだが(昔、何度も読んだ)、いつも疑問に感じてならないことがあった。それは、自分が汚れたのか、悲しみが汚れたのかということである。僕は昔から後者で解釈しているが、その方が、より深い悲しみを表している気がする。では悲しみが汚れるとはどういう事だろうか?悲しみに悲しみが重なり、それを起因として本来の自分ではなくなり、汚れる。悲しみが汚れるとは、こういう事だと思う。

 中原中也に才能がないとは思われない。最初の頃の僕は、小林秀雄と親しかったから有名になったんだろうなと感じていたし、カラーこそ違えど、詩人としては宮沢賢治の方が格段に上だと感じていた。よく考えると、この二人以外は、ことごとく駄目な気がしていた。現代では、詩は曲の上に乗らないと上手く行かない。

 大学時代の友達に、「俺には詩は解らない」と言われたことがある。ショックだったが、私はこう言い返してみた。「でも、歌詞なら解るんだろ」と。友人は否定しなかった。詩が解らないという方は、難しく考えすぎていると思う。流れに乗って、つかむところをつかめばいいと考える。そう考えると一番易しいかも知れない。

 逆に高校生くらいが、「中原中也しかいないだろ」などと言ったら疑問に思う。もっと勉強してからそのセリフを吐けとも言いたい。中途半端なガキなどには、解るはずがない。悲しみの重さも、喜びの声も堪能してから、臨むべきである。

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ジョウソウ教育?

 私の母は私立中・高・短大という経歴の持ち主である。短大では家政学部食物科に進んだ。昔の私がふざけて言ったのは、「目玉焼きとスクランブルエッグをこしらえたら、単位がもらえるんじゃないか」などということである。・・・そんな口をたたいてしまうと、その日の晩飯は自分で作らなければならなくなったが、作り方は教えてくれた。私がきわどい包丁の使い方をしたら、手本を見せてくれた。そんな母が、よく語っていたのは、「ジョウソウ教育が主体の学校だったのよ」だった。

 私は最初、「ジョウソウ教育」→「上層教育」と受け止めていた。つまり、「どんなに貧しい身でも、上流階級の中でビビらないための教育」などと、大きく勘違いしていた。そこで辞書を引いてみた。「情操教育」→「創造的・批判的な心情、積極的・自主的な態度、豊かな感受性と自己表現の能力を育てることを目的とする教育(広辞苑・第四版より)」とあった。大意は解っても、具体的にはよく解らなかった。一言で言うと、「心が、正しく豊かな人間であれ」みたいな印象を受ける。上の定義、お袋に当てはまっているのかは知らない。

 とりあえず、お袋の母校は健在みたいである。春の選抜甲子園大会の開会式で、後輩達が歌を歌っている。「あ~あ~甲子園~」と阿久悠さんと谷村新司さんの曲をだ。歌うのは高三らしいが、お袋は実家に帰省していたがため参加していないらしい。今、その話を聞くと、「昔とは違う歌だけれど、一生の思い出になったのにねえ」と笑う。僕は素晴らしい歌だと思うのだが、お袋は関係ないみたいだ。・・・なんか尻切れトンボな文章だなと反省する。

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『千の風になって』と散骨

 散骨は、日本では違法である。しかし、海の沖合で密かにやっている人がいるとの情報を耳にした。具体的には知らないが、そういう方もいるとの話だった。生前の親父も、海に散骨してもらいたいと、本気なのか、半ば冗談なのか解らないが語っていた。私は「遺族を犯罪者にするなよ」などと言っていたが、気持ちは解る。

 『千の風になって』が大ブレイクしたが、散骨には、この歌の思想が反映されていると思う。一方の仏教では六道を巡るなどという考え方もあるが、本来は死後の世界を想定していない。死後の世界を認めないのに、なぜ、地獄絵図などという物があるのか、と、ある寺の住職に質問したこともあるが、住職は答えられなかった。私の推測では、日本的な解釈があったのだと思う。浄土教や浄土真宗は西方浄土といって、西の方角に浄土があると仮定した。これはきっと、天竺が日本から観て西にあるからではないか。また、我が家は浄土真宗だが、日本仏教で、一番何でもありな宗派だと思う。坊主の肉食妻帯を認め(ここは私は微妙に思う)、悪人正機説なども出てくる。これは、罪を犯した人でも、極楽浄土にいけるという考え方だ。親鸞聖人のいた頃の時代背景として、貧しく、食うに食われぬ状態の人々は、既に現世で苦しみを味わっている。その上、間引きなども、やむを得ずしてきた民衆が、その罪に依って死後も苦しめられるなら存在根拠が無くなる。それをフォローした考え方である。

 ややこしく書いてしまったが、要は死者が何を望んでいるのか、ということを遺族は受け入れなければならない。『千の風になって』もいいけれど、『千の波になって』もいいかもしれない。様々なるしがらみから解き放たれた死者の冥福をお祈りする。

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お前等何なんだ!!

 最寄り駅まで歩き、街をうろつき、帰りにバスに乗った。私は後部に立っていたのだが、信じられない光景を見た。疲れていそうな人が多い中、優先席に平気で座って、お年寄りに目を向けない若者(こんなやつは若者ではない。魂が朽ちている)。混雑している中で、二人乗りの後部座席に一人で座っている若い女・・・よく観ると、隣の席に荷物を置いて、携帯電話をいじっている。座りたそうな眼をしたおじいさんがやって来ても無視。こんな奴等は人間じゃない。

 携帯をいじるために二人がけの席を独り占めしている女には、よっぽど文句を言おうかとも思ったが、女の子だったのもあって止めた。別に自分が座りたい訳じゃない。自分より苦労なさっている方々に対して、見向きもしない態度に腹が立った。人のことより、友達との携帯連絡・・・こんな馬鹿は知らない。要するに自分のことしか考えていないのである。そんなのに限ってろくな付き合い方をしていない。当たり前だ、お馬鹿さん同士が携帯で連絡を取り合っても無駄である。

 若いだけのお馬鹿さんが増えつつあるのが、この国の現状でもある。公共機関で携帯電話をいじるのは自由だろうが、『他人を思んばかる心』が失せたら、ずいぶん険悪な世の中になってしまう。最低限の気配りぐらい出来ないでどうする。・・・当たり前のことが当たり前に出来ない世の中になりつつあることを、非常に危惧している。

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おもちゃ箱の中の気分

 東急ハンズに行ってきた。十年ぶりぐらいである。必要な物を買いに行ったつもりが、その三倍ぐらいの物を購入してしまった。各フロアを上から順番にとことこ歩き回っただけである。歩いている中で、現在必要な物が見えてきて買ってしまう、というパターンだった。もちろん無駄遣いなどはしていない。

 それにしても不思議な店である。こんな物、誰が買うんだというような物が置いてある中で、自分の買っている物も、自分以外は買わないな、と気が付く。雑貨屋といえば雑貨屋なのだが、店内を見ているうちに、自分が巨大なおもちゃ箱の中にいるような錯覚を覚える。歩いて商品を見ているだけでも楽しく、時間を忘れる。

 何でも屋さんのようであるが、こだわりもある。スペアキーを作ってもらっている間に、ジッポ(ライター)のコーナーを観たが、あれだけの種類は観たことがない。同時に、品物の管理が大変だろうな、とも感じた。何処に何があるかを頭に入れるだけでも苦労しそうだ。実際に店員に聞いてみても、パンフレットを見ながら教えてくれた。

 建築学的にも面白いと思った。あの中二階の組み合わせのような作りは、スペースを有効利用できる上に、エレベーターも倍の数を置けるから、スムーズに店内を見渡せる。スムーズで心惹かれる物があれば、購入意欲も高まる。不思議な店だ。

 無駄遣いしないように注意しながら眺めてみると、なかなかに面白い。たったティーカップ一つの事でも話の種になるお店など滅多にないだろう。また、のんびり行ってみたい。

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薄っぺらい本

 作文添削でメシを食って行こうかと考えた頃もあったが、辞めた。時間が掛かるとか、時給にしたら安すぎる、などという理由では無い。一言で言って、教え甲斐がないのだ。漢字のミスや送りがなのミス、助詞や助動詞などのおかしさには、私はすぐに気が付く。そういうことではない。問題は内容と、それに伴う修練の無さなのだ。

 おかしな例えだが、デイブ・スペクターは日本語の研究に怠りがないと聞く。しかし、彼の日本語はどこかおかしい。ましてやギャグなど飛ばそうものなら、場が醒める。フォローに苦労する。これでは、デイブ・スペクターにギャグセンスが無いと共に、彼の言っていることが、ギャグなのか真面目なことなのかを解らなくさせてしまう。

 現実的に、外国人に、「日本の文化とは何か?」と聞かれても「武士道」と答える人が藤原先生の『国家の品格』で増えただろう。でも、日本の文化とはそれだけではない。柔道、剣道、華道、棋道、茶道・・・限りなくあるのだ。日本人自身がそれらを忘れている点に問題があるのだ、しかし、自ずから解決するしかない。

 何人かに「お前は文筆で食っていける」と言われたことがある。研鑽は怠らないが、飲み過ぎた面もある。「イッタイイマノジダイニブンピツガナニヲイミスルノカ」と喚き散らしたこともある。悲しいことに、薄っぺらい本しか売れない時代なのだ。責任は読者にもあるだろう。

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子孫のためにこそ美田を買わず

 確か伊丹十三氏の映画で『お葬式』というものがあったはずだ。普段は何気なく過ごしている人々が、葬式一つでバタバタする。僕はこの映画は縁起が悪い気がして観てはいないのだが、実際の人間模様というのは複雑である。幸い、私の家は現在、貧乏なので大して事なきを得たが、お金持ちの人は大変だろうなと思う。

 まず誰かを亡くす→慌てて葬儀屋さんに電話する→通夜・告別式→骨になる→残された者達はその後、名義変更などでバタバタして忙しい→遺産相続という手順である。我が家は親父が他界してから、一ヶ月ぐらいで少しは収まった。焼香してくださる方々もいて、大変、勇気づけられたし、ありがたかった。

 昔から感じてはいたが、親父は『子孫のためにこそ美田を買わず』というような人だった。一代でどれだけ莫大な富を築いても、所詮、お金は天下の回り物。二代三代と続くうちに、必ず無くなる仕組みになっている。本人の努力次第である。棚ぼた地主で三代持ったところを見たことがない。本人の汗がなければ必ず滅びる。

 葬式の後で、一番、故人のことを傷つけるのは、子孫の相続争いだろう。これほど見にくいものもない。お袋が、遺品として親父の車(たいした物ではない)をくれると言ったときも、僕は断った。その代わり、親父名義にしてくれとだけは頼んだ。名義は廃車にしない限り大丈夫だそうである。親父の唯一の道楽が車だったのだ。

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スナック菓子とカロリー

 後から知ったことだが、成人男子の一日あたりの平均摂取カロリーは2000Kcalらしい。ダイエットをする人も、そうでない人も、気になる数字ではある。カロリーが明記されているなら、判るが、いろいろなものを利用した料理などは、私には判らなくなってしまう。栄養士の方ならば、すぐに判断がつくのだろうが。

 どちらにしろ、油で揚げたものはカロリーが高い。カップラーメンはもちろんのこと、スナック菓子の多くも当てはまる。私自身、スナック菓子は好きな方ではないので、あまり食べないが、袋の裏に書いてあるカロリー表示を見てみれば一目瞭然である。

 とは言っても、十年以上前に、友人が遊びに来てくれた時まで、私は何も知らなかった。買い出しの時にスナック菓子を適当に入れている私を見ていた友人から、そのカロリーの高さを知った。それから一層、自分はスナック菓子を食べなくなった。

 でもカップラーメンと同じく、無性に食べたくなることがある。そういうときには、私は食べてしまう。年に数回だが。

 ポテトチップスが値上げされるというので、書いてはみたが、現在無性に、カラムーチョが食べたくなった。これからコンビニにでも行ってきますか。

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ガソリンは安くなっているのか?

 数日前、いや、昨日のN.Yの原油相場が1バレル100$台まで落ちたという。最高で140$以上をつけていたものがだ。今月もそうだが、来月もおそらく、ガソリン価格は落ちるであろう。ひとまずの安心感と共に、これで本当に安くなったのか?という疑問を生じる。

 一旦、高騰したものが値下がりすると、我々はそれを安いと受け止めがちである。しかし、元値から考えると、異常に高騰したことには間違いがない。安くなったという錯覚は受けても、安いという実感は湧かないだろう。何処で誰が笑っているのかは知らない。一瞬でも安くなったというトリックが購買意欲を誘う。

 話は変わるが、タバコが一箱千円という議論も、かつてはあった。禁煙者は歓迎でも、喫煙者にはたまらない額である。喫煙者は、マナーを守っていても、どんどん隅に追いやられてゆく。これは差別だ・・・とまでは言わないまでも、共存できる道を探して欲しい。

 タバコが一箱千円というのは大げさにしても、700円位にはなると思う。やはり、千円と思いこませておいての、値下げというトリックだ。総選挙が近いから誰も何にも言わないが、間違いなくそうなると思う。しかしこれを安くなったと感じる人間は一人もいないであろう。

 

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麻雀放浪記とイカサマ

 麻雀好きなら、必ず一度は『麻雀放浪記』は読んだことがあると思う。故・阿佐田哲也氏(色川武大氏(直木賞作家))の作品で、博打打ち達が、様々な玄人芸で、しのぎを削りあい、そうしてみんな滅んで行くという流れだったと記憶している。私が何度読んだか解らない程読んだ、数少ない本でもある。その中で出てくるイカサマは、数え切れないが、覚えているだけでも、積み込みのバクダン、ゲンロク、ツバメ返し、山を整える振りをして牌を入れ替える技、指輪に牌を引っ掛ける技、通しなど、数え切れない。

 これらの技でも、ツバメ返しは、アクションが大きすぎるので、僕はフィクションだろうと思っていた。他の技ならまだ理解できる。ゲンロク積みが比較的、易しいのではないか。どの道、積み込みは必要な牌を集められ、サイコロを自在に扱えなければ成り立たない。

 何で私が麻雀のイカサマについて思い出したかと言えば、ネットの映像で、積み込み技を披露していたからだ。積み込むときに、左手の内側に必要な牌をどんどんため込んでゆくというものだった。それを見ていて、一番簡単なバクダン積みは天和だろうと思った。しかし、麻雀放浪記にもあるとおり、二人がかりでやるものだ。ゲンロク積みはツモを良くするための積み込みだが、鳴きが入ると牌が他へ行ってしまう。ツバメ返しは独りで可能な積み込みだが、映像を見たら、必ずばれる、と感じた。

 現代の麻雀では、全自動卓が多いので、積み込みは難しい。しかし、牌を多く持ったり、入れ替えたりというのならあり得る。いや、もしかしたらMr.マリックぐらい創意工夫する人なら、新たな麻雀のイカサマを発明してしまうかも知れない。

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お経の哲学性

 お経とは不思議なものである。私の家では浄土真宗の大谷派のお経が読まれる。京都に総本山がある。先程唱えたのだが、ファーストインプレッションは、物語調で深みがないという感じだった。何度唱えても、大谷派のルーツしか唱えていない気がする。肝心の念仏も、最後の「南無阿弥陀仏」という所のみが重視されている気がした。当然といえば当然なのだろうが、研究のしがいがない・・・こんな事、書いたらバチが当たるかもしれんな。

 まだ般若心経の方が深みがある。偏りが少ない。仏前のお経としてふさわしいのかどうかは知らないが、こっちの方が面白い。『空』というものをいかに捉え、我々の存在根拠とあるべき姿を知らしめているのがいい。親父も仏教徒だったが、「お前の代で宗派を代えてもかまわない」とまで言ってくれていた。

 僕は哲学として考えるのなら禅が最善だと思う。生きているものにも納得がゆく。かと言って、親父には禅僧めいたところはない。言葉ではなく、行動や生き様で私たちを引っ張ってくれた。我々はボーダイサッタを目指して生きているのだ。そこに間違いはない。

 唯識論は疲れる(自分という訳の解らないものを拠り所にするから)。真言密教も疲れる(マナヤ識とかアラヤ識以上の十識を考えたくもない)。聞いていて楽しいのは禅問答であるが、鈴木大拙氏の講演を聴いていて複雑な思いがした。存在論がゼロか∞であるというのだ。同じような講演を坂本龍一氏のArt(YouTube参照)という作品でも聞いた。そこではもっとダイレクトに西洋宗教と現代哲学の葛藤(最後の審判について)が語られていた。何度聞いても耳に残る印象的なものである。と同時に僕が最も疲れる作品でもある。

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ノーゲームと払い戻し

 昨日は親父が存命中に購入していた、プロ野球の内野指定席のチケットを持ってナイター観戦に行った。電車にゴトゴトと揺られて行ったのだが、何せ眠かった。空を眺めると曇天模様なので、嫌な予感がしたのだが、折角取ったチケットだし、気分転換に丁度いいと考えていた。内野の指定席で、一番外野寄りのところである。

 球場内では物価が跳ね上がるので、コンビニで日本酒の紙パックのやつと、つまみを買っていった。球場に入ってみると、案の定、ビール一杯650円などと暴利をむさぼっていた、が、一杯だけ飲んでしまった。持ってきた日本酒を入れる紙コップが欲しかったのだ。

 トイレを済ませて席に着くと、雨がピリピリしていた。天気予報が雨だったので、雨具の用意をしてはいたが、二回の表が終わった頃には、相当の雨が降ってきた。ここで試合が一時中断。スコアは3-3であった。一旦、球場の外に出て、喫煙所付近でタバコを吸っていたが、雨がやむ気配はない。既に夕飯代わりのおつまみは全部平らげていた。日本酒が少し残ったが、まあいい。すると、まもなく試合が再開された。三回の裏に、もう三点入れられて、スコアは3-6となる。こうなると、もう、ファンはノーゲームになることを祈る。私も例外ではなかったが、再び試合中断。ノーゲームになった場合、チケットはどうなるんだろうと、売り場のおばちゃんに聞いてみたら、翌日から一週間以内に払い戻しとのこと。はっきり言って二度手間である。現金よりも、振り替え戦のチケットが欲しい。と、雨がやむ様子がないので、一足早く家路につく。

 家に帰ってTVをつけるとノーゲームになっていた。今日のナイターは完璧に無駄足だった。球場で声を出してストレスを発散しようとしていたもくろみは崩れた。中途半端で、ただただ、ずぶ濡れになりに行ったようなものだった。何処のファンかはもちろん言わない。

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らくらくホン

 お袋が携帯電話を購入するというので、一緒について行った。駅まではもちろん歩きである。お袋もバテていたが、私も寝不足で頭が働かなかった。DoCoMoショップに行ったのだが、うちの母がややこしい携帯を使えるはずもなく、らくらくホンの中から選んだ。

 らくらくホンとは、字が大きく、使い方が簡単な携帯電話である。らくらくホンにもいろいろあったが、カメラとかi-Modeなど、うちのお袋が使いこなせるわけもなく、本人の「簡単なものがいい」という希望もあって、お店の人と相談して選んだ。

 それまでの携帯の電話帳に七件しか登録していなかったこともあり、三つの宛先を登録できる簡単ボタンに、どの番号を入れるのかも大して迷っていない様子だった。もちろん操作は全部お店の人にやってもらったのだが。契約が面倒だったが、お袋は喜んでいた。操作方法を教えてくれるDVDを一生懸命観ていた。って、DVDの操作方法もお袋は解らず、私が全てセッティングした。そして、携帯の電源の切り方とマナーモードの設定方法だけは詳しく教えてあげた。

 私は携帯をいじるのが嫌いである。でも、お袋に説明していたら、逆に簡単すぎて解らないことが多かった。取扱説明書など読む筈もない。お袋もどうでもいいらしいが、電話を掛けるときのマナーだけは教えておいてあげないといけないかな。

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文体で調子が解る

 毎日毎日、blogを更新するには、それなりのネタ入れも必要である。変わったことをしてみたり、あれこれと工夫する。それでもネタがないときには、話を作ってみたり、パワーがないときには一行で済ませたりする。斬新なものなど、なかなか出てこないのが現状だ。

 私は、他人に迷惑を掛けない限り、blogごときに多少の脚色があってもいいと考えるタイプである。そうでもしなければ、やってゆけない。逆の言い方をすると、いかにうまい嘘が書けるかというのも実力の範疇だと思う。バレなければいいのだ。日常生活でこんな事をやっていたら信用を失うのがオチだが、文章には、上手いフィクションの入れ方も重要である。そこら辺の、読者との駆け引きも楽しい。

 しかし、いつも私のblogを読んでくれているある友人から、「文体でお前の調子が解る」と言われた。それ以上は聞かなかったが、私は何か後ろめたい気がした。基本的に文体とは文章におけるリズムのようなものであるから、内容とは異なる。書く際に、私は、それ程、文体を意識しない。というより、解らない。なので、友人の指摘は鋭いと思ったし、痛いところを突かれた気がした。

 それだけ読んでくれていることには感謝したいが、文体で調子を見抜かれてしまったら、廃業である。バイオリズムみたいなものもあるが、見抜かれないように精進しないと。基本的に写実的に書いてしまうので、フィクションを入れないと。でも友人には嘘をつきたくない。何だか二重人格になろうとしている自分が怖い。

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何故か英語

 昨晩、行きつけのバーで飲んでいたら、途中から騒がしいのが入ってきた。何なんだろうと思いつつ、自分がヘベレケになるまで酔っていることを知る。そのうち、なぜだか解らないが、外人の男と英語で会話していた。スペイン人だったこともあり、聞き取りにくかったことだけは覚えている。何を話したんだか・・・。

 酔いがまわるにつれ、時を忘れる。気が付いたら時計は三時を回っていた。何にも食べていないことだけは確かだ。おふくろと大ゲンカして家を飛び出したことだけは記憶に残っている。なのに、起きると何故か家のベッドにいる。こんな酔い方は止めたい。

 昨日は英語で話し込んでしまい、時間を忘れた。未だにボーとしている。あれは夢だったのか本当だったのか。財布の中の領収証を見て本当だったと知る。そういえば最寄り駅からタクシーで帰った記憶だけはある。レシートを見てボラれたんじゃないかと疑う。

 私は酔ってはいたけれど、そんなに飲んではいなかった。シラリとした記憶だけは残っている。何処でもらったのか解らないライターだけが、手元にある。いくらなんでも、もう、こういう飲み方だけはしてはならない。

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メンテナンスの日

 今日はメンテナンスの日なんだけど、昨日は記憶が無くなるまで飲んでしまった。二日酔いだ。メンテナンスで何が変わったのだろう?

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blog復旧

 今日はネタがないのでblogの復旧の話でも書きます。

コメント欄とモブログについても数日前に復旧が終わりました。どんなコメントでもお待ちしております(ってblogの知名度を上げる方が先ですね)。

残念ながら以前のblogの復旧は不可能でしたが、印刷して取っておいたものが多いので(生前の父が私のblogを読みたいけれど、ディスプレイの文字が小さすぎたために、印刷して読んでいてくれた為)少しは鬱憤も晴れました。

 書きたいことはたくさんあるのですが、それが形となって浮かんでこない日というのがあります。こういうときは、そのネタが発酵するまで寝かせておくしかありません。ですから、今日は気楽に書きます。

 人間、いつも気楽に考えられたらどんなにいいことでしょう。そうできるように精進することが大切なのかも知れません。日々の生活はあまりに大変ですから、せめてそういう風になりたい。悩みが悩みを増幅させるようなことだけは避けたい。素直に笑えない自分を作ってしまう。親父を亡くした今、『千の風になって』を聞くことが多いです。本当に千の風になって、世界中を駆けめぐりたいような人でしたから。今頃、何処で笑っているのか想像します。

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