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2008年6月

荒れ狂うおっちゃん

昨日は大沼公園でくつろぐ。現在、側のYHの朝食後。それにしても昨晩は大変だった。ミネラルウォーターのVolvicのペットボトルに焼酎を入れて飲んでいるおっちゃんが酩酊状態で、相部屋のお爺さんを眠らせてあげないので、仕方なく私がおっちゃんを談話室に連れていって付き合う。前日、四時間しか寝ていなかったので早寝するつもりが、結局、余り眠れず。私もお酒は好きなので、気持ちは解るけれど、いい加減にしてくれよな、おっちゃん。・・・同時に、普段の自分のお酒との付き合い方も考えさせられた。

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北海道上陸

昨日の昼のフェリーで北海道上陸成功。函館見物を終える。函館山で三時間粘って夜景鑑賞成功。その間、福井出身のおっちゃんと語る。石川、富山、福井の県民性を教えてくれた。曰く、もしも財産が無くなった場合、石川の人はもの乞いをする。富山の人は泥棒に入る。そして、福井の人は詐欺をするような県民性とのこと。地元の方が言うのだから、少なからず当たっている面もあろう。・・・ちなみに、昨日函館の神社で引いたおみくじは末吉。これって、吉の下なのだろうか?それとも末広がりの吉なのだろうか?・・・自分としては都合のいい後者で解釈する。

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SHIP AFFAIR

早くイカなくちゃ・夜明けと共に・北への船が待っている

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恐山のガイド役のクソ坊主

恐山を散策していると、坊主が数名の団体客のガイドをしている。端から聞いていると・・・団体客「ありがとうございました」・クソ坊主「ありがたいと思われることが大切な事です」・・・これは相手に言っているのか?自分に言っているのか?・・・料金三千円也。

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恐山の地獄巡り

恐山を散策していると、さんざん地獄巡りをした後、最後に産道くぐりというのがあった。

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疲労のピーク

昨日、車を停めて、十和田湖の北の、奥入瀬渓流を三時間掛けて歩く。丁度、天候もよく若葉の中、木漏れ日に包まれて心地いい。渓流には滝があったり、いろんな瀬があったりで、飽きない。日常からかけ離れた森林浴で心が洗われる。普段、見失っている様々なことについて考えさせられた。旅の疲労もたまってきたなあ・・・

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十和田湖のおばちゃん

7年前に十和田湖を訪れた際に色々と旅の知恵を教わった十和田湖の観光案内所のおばちゃんがまだおられて感激。明るい方で話していると心がなごむ。今回も山程、資料をいただき色々とアドバイスと笑いをいただく。どんな話でも返してくれる。お歳は還暦前位と読んでいるが、若い頃はモテたと思う。もう30年早く産まれていれば、口説いているところだ。それはともかく、十和田湖があれほど美しい湖だとは知らなかった。湖水の色が美しいく周りのロケーションも抜群だった。遊覧船に乗っての感想。

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忘れ物

・写真を撮ってください、とお願いするも、何故か撮れない。よおく見てみると、バッテリー切れ。デジカメの電池の充電をし忘れた事に気付き呆然。痛恨のミスに、来年の年賀状の写真をどうしようかと悩むも、少し考えて、写るんですでいいかと、妥協。購入してみると、昔より安くなっている気がしたが、気のせいかも知れない。

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YHでの相部屋

山形のYHで、元教員という方と相部屋になった。定年後に日本百名山を巡っているとのこと。それにしても、よく喋る方だったが、独りぼっちよりはましだろう。

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高速道路の走り方基本編

・みんなが走行車線を走っているときには、追い越し車線で、1人だけ飛ばしてはならない。北陸道などでは高速道路で、ネズミ取りをやっていることか゛、ごくたまにだがある。・インターチェンジや、SAやPAなどの加速車線があるところでは、走行車線の車と追い越し車線の車が並んで走ってはならない。加速車線から車が入ってきた時に、走行車線の車が加速車線に避けられなくなってしまうからだ。

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旅立つ胸に

 今日からしばらく旅立とうと思っている。小説の〆切りも近いのだが、何分創造意欲が湧かない。これではどうしようもないなと、旅立つ。旅立ちの日、いろんなものを胸に抱えているのだが、雨が降っていると、どうにも気分をそぐわれる。

 現在それ程不調でもないのだが、友人との約束の為もあって旅立つ。親鳥から自立しようという子供の鳥の映像には心打たれる。自分はたいしたこともしていないけれど。

 僕は行き詰まったら旅に出る。友人にも話したが、最初は現実逃避から始まる。それで旅の最中に色んな方達と出会ってゆくうちに、自分のパワーが充電される。僕は旅から帰ってきたら異常に元気な奴らしい。普通は疲れると聞いたが、好奇心が後押しする。

 ノートパソコンも持って行こうかとは考えてはいるが、車中泊だと電話回線がない。モデムや携帯電話による通信も考えたが、パソコン音痴の私にはよく分からない。そこで、小説はノートで打って、blogは携帯からということにする。伴い、内容がいまいちなことはご勘弁願いたい。また帰ってきたら、気合いを入れて書きますから。

 車に布団を積んでの車中泊(もしくはユース)の旅。胸がワクワクする。車上荒らしに注意しながら、進んでゆく。ガソリンが高すぎる中で、贅沢すぎるかも知れないが。

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揶揄の仕方

 先日あるblogを読んで、考えさせられた。その方は、朝日新聞の夕刊の『素粒子』というコーナーのある記事について激怒されていた。その記事に関しては多くの苦情があったらしく、珍しく筆者が詫びるようなことを書いていたが、これが全然お詫びになっていないのにも驚いた。朝日新聞社としても謝罪する気は無いとか。・・・そのblogがもとで、数日分の朝日の夕刊の素粒子を読んだ。あまりにも揶揄が稚拙で、デリカシーがない。朝日の朝刊の天声人語(この言い方も気になる)も目茶苦茶だが、夕刊の素粒子はひどすぎる。

 朝日を読んでいても思想的な偏りを感じる。何でもかんでも否定することは誰にだって出来ることだ。否定するのも結構だが、ちゃんと下調べしているのかどうかさえ怪しい。最近は仲の悪いNHKに対する不満ばかりが目立つ。公共のメディアとして猛省を促す。

 揶揄と言う言葉には、皮肉というニュアンスもある。メディアが物事を皮肉るのもいいが、問題はその内容にある。私たちもblogを書く際にそのことには気を遣う。そんな中で努力する。それが、朝日の夕刊の素粒子を書いている記者は、それで飯を食っていながら、あまりに無神経すぎる。・・・どの記事だ?と言われれば、全てがそうだと答える。あらゆる人への最低限の気遣いがない。あの欄はペンで人を刺しているようなものだ、物事や人を皮肉るにも最低限のマナーはいる。それがあの記者には全くない。

 記事を書いて飯を食っている奴があのレベルなら、朝日もたいしたことはない。世界中にもっといい情報は転がっている。素粒子の記者へ・・・何を書いてもいいけれど最低限のマナーは守れよな。これだけ書いて解らないなら、社の体質と、人間性を疑う。

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何のためにblogを書いているのか?

 時々ふと、不安になる。自分が何のためにblogや小説を書くのか解らなくなるからだ。単なる創作意欲の発散とも思えない。ストレスの解消にはなるが、それが目的だとも思えない。自分の中にポッカリと穴が空いてしまったようで、なんと表現して良いか解らない。

 こういう悩みは常にあった。そんな時、面白い話を聞いた。TVだか何だか知らないが、あのテリー伊藤氏が語っていた。「最近のブログを見てみると、自分の半径5m以内のことしか書かれていない」と。これは視野が狭くなっていることどころか、自分のことしか考えていない人間だらけだ、ということではないのか。もしくは想像力のことを語っているのかも知れないが、私見では、他人に迷惑をかけないという前提の基に、blogごときに多少の脚色があってもいいと思う。少なくとも僕は、blogにはエンターテイメント性がなければならないと感じている。人を喜ばせるのは嬉しい。

 読む価値があるblogを書くのはしんどい。それも毎日なら苦行に近い。単に友達との約束から始まったこのblogも常態化してしまった。それでも、何のために書くのかは解らない。・・・以前、文学を語れる友達と話したら、彼は、理解してくれる人に伝えたいがため、と語っていたが、僕はそこまで読者を信用していない。もちろん、理解ある人に伝えたいことはたくさんある。けれど、受け止め方というのは十人十色なのだ。本当に伝えたいならば会えばいい。

 何だかグダグダ書いてしまったが、自分の発するものの存在意義を考えるとややこしくなる。自分が何のために、自分の内部から出てくるものを表現するのかは、もう少しよく考えた方が良さそうだ。

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初めての授業参観

 初めての授業参観は国語だったと記憶している。小学校の一年生の時のことだ。母親が参観に来ていた。先生の話を聞いていたかどうかは記憶にないが、僕は教科書も開けずに、一人であれこれと空想していた。どの科目の時間もそうだったかは覚えてはいないが、いつも一人で、あれやこれやと空想していた。担任の先生も、別に僕をしかることもなかった。興味のある事については一生懸命聞いたし、そうでないことはぼんやりしていた。先生は、思いやりの深い女の先生だったと記憶しているが、僕が真面目に聞いている時だけ、当てるようにしてくれていた。当時から国語は嫌いだったので、空想の時間にしていたのだろう。母が来ているときぐらい教科書を広げて、授業を聞けばいいのに、そんな機転の利くガキではなかった。まもなく授業参観が終わり、母は帰っていった。

 放課後、気の合う友達と一緒に家路についた。色んな事を話しながら、後で遊ぶ約束をして、別れた。「ただいま」と言って帰宅しても、返事がない。『どうしたんだろう』と思って部屋に入ると、母が泣いていた。僕が理由を尋ねても黙っている。やむなく、庭で日なたぼっこしながら本を読んでいる親父に聞くと「授業参観でがっかりしたみたいだぞ」と言われた。それでも当時の僕には理由が分からなかったので、母に「授業参観で何かあったの?」と尋ねた。すると母は、「あんたが授業中に教科書も開けてないのを見て悲しいんだよ」と言った。間抜けな話だが、悪気があってやったわけではなかったので、そう言われるまで気が付かなかった。僕はバツの悪い思いをしながら、「ごめんなさい」と謝った。

 それからは授業中に空想するのをやめた。教科書を開いて真面目に授業を聞くようにした。子供心に母を泣かせた自分が許せなかった。・・・今となっては、懐かしい思い出である。

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てすとらん

てすとらん

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法と次元とeと

 これから書くことは暴論かも知れない。その上で読んで欲しい。『e』とは数学で微分しても積分しても変わらないという特異点である。確か値は『e=2.17・・・』だった気がする。この『e』が、微積分しても変わらないというのが何ですごいのかを考えてみた。

 とりあえず、私達が四次元時空間にいると仮定する。そうなると私達は三次元空間と、時間軸という実質的にマイナスが考えられない尺度に属することになる。四次元立方体が想像しにくい様に、次元の拡張は想像しにくい。しかし四次元ぐらいまでなら、下の次元から拡張していくと案外分かるものである。

 一次元は『線』である。二次元は『面』である。三次元は『空間』である。四次元はアインシュタインによって、『時空間』であることが解っている。それ以上の宇宙の不思議を解くために、スーパー・ストリングス・セオリーなども出ているが、私は興味を持ってはいない。宇宙が何次元かなどが解るはずがないと考えている人間だからだ。一例として挙げれば、宇宙は膨張していると言うが、何に対してなのだろうか。神が宇宙を真上から見ているとでも言うのか。

 高次元の解析は別として、我々は低次元からのアナロジー(類似性)によって先の次元を予想する。ここで、数学で次元に左右されない数『e』が興味深い。我々の運命などが、何らかの高次元からの射影だとするならば、僕の解釈では、仏教で言う『法(ダルマ)』とは、数学で言う『e』に近い気がしたのだが。

 つまり、運命やあらゆる物事に、我々の存在としての次元性として、一貫しているものがあるのではないかと考えたのだが。

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都合を合わせる

 夏に友人がやっている草加駅前の飲食店『Katsu』で、友人みんなが集まることは、以前の飲み会で決まった。いつも私が幹事をやるのだが、昨日、私にしては恐ろしいほどのメールのやりとりがあった。もし、迷惑に感じている友人がいるなら、この場で謝罪する。

 しかし、いずれも職の異なる個性的な八人の幹事とは生やさしいものではない。もちろんみんな合わせてはくれるのだが、みんな忙しすぎるのだ(というより私が暇なのか・・・)。とりあえず七月か八月か九月かでもめていたのだが、八月か九月になる模様。それならば、私は、とっとと小説を仕上げて旅行にでも行きたい。

 一方で大学の研究室のOBからハガキが届いた。指導教授の退任を祝って帝国ホテルでやるとか。よく見ると会費が16000円。とてもじゃないけれど行く気にはなれない。正直言って、もう見切りを付けようかとも考えている。・・・これ以上は悪口になるので書かない。

 友達とはありがたいものだ。それに、私の友達は絶対に嘘をつかない。一見、当たり前のようなことだが、実はこれが一番大切なことなのだ。正直であれば人からも信用されるし、何より、自分自身の心の余裕が違う。この心の余裕というのは結構、重要で、やはり物事がいい方向へと進む最低条件のようなものでもある。もし、「嘘を誓う」としたら、論理学的にそれが本当か嘘なのかは明白ではなくなる。まあまあ。

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祝・羽生永世名人誕生

 二年続けて永世名人が誕生するとは・・・それだけ、実力が拮抗していることを物語っているのだろう。永世名人にふさわしい人が永世名人となった。多くの方が指摘する通り、今回の名人戦では七冠を取った頃のような、勝負師魂というか執念のようなものが、羽生新名人にはあったと思う。ドラマチックな名人戦であった。

 今回の名人戦の将棋そのものは、ズブの素人である私には皆目解らなかった。棋譜を追うごとに、頭が混乱した。将棋の内容よりも、ライバルである二人が繰りなす壮絶なる死闘が印象的だった。化け物のような頭脳同士の、頂上での男の意地のぶつかり合い。そんな二人の対局する姿は、この上なく美しかった。

 以前、七冠を究めたときの羽生新名人は、それをいつまで維持するかということが話題になったが、すぐに現A級の三浦八段にタイトルを取られた。それから、同じく現A級の谷川九段に竜王位と名人位を取られている。当時は、強烈な目標達成の反動から、無意識のうちに将棋が緩んだと言われた。今回はどうなるのだろうか。

 しかし、何がどうあれ、十年以上に渡って、将棋界の王様は羽生なのだ。それは、記録も証明している。タイトル戦があれば羽生がいて、ライバル達と、しのぎを削っている姿ばかりが頭に浮かぶ。七冠、永世名人と来て、羽生新名人の次の目標はどうなるのか。また今期の名人戦のような熱い戦いをファンは待っている。

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いい父の日

 一昨日の父の日に、私からのプレゼントとして、白ワインをあげた。先月の母の日には何にもしてあげられなかったことを母に詫びると、母は「構わない、構わない」と言って笑って許してくれた。せめてカーネーションの一本でもプレゼントしたかったのだが。で、ワインを冷蔵庫で冷やして、頃合いになると、父が「持ってこい」というので取ってきたら、「一緒に飲もう」と言ってくれたのでコルク抜きと、グラス二つを用意した。私が父に注ぎ、父が私に注いでくれて、乾杯となったのだが、父が美味しそうに飲んでくれたので買ってきた甲斐があった。同時に半分ぐらいは私が飲んでしまったのだが・・・。

 そういえば昔、友人からワインの注ぎ方について教えてもらったことがある。グラス一杯に注ぐものではなくて、グラスの開口面積が一番大きいところまで注ぐものだとか。理由を聞くと、ワインは香りも楽しむものだからだそうだ。なるほどと、納得した。

 夜になると弟一家が遊びに来た。弟の子供は男兄弟なのだが、小三の長男が野球にハマっているそうだ。少年野球では、弟の子供はピッチャーをやっているらしい。本人に話を聞いてみると、上級生達と朝練までしているそうだ。すると、弟が「そのせいでテストの点数が下がったんだよな」とツッこんだら、照れくさそうな顔をしていた。みんなでお寿司を食べたのだが、私や父や母が、弟の子供達に、玉子とかイクラとか、好きなものをどんどん分けてあげた。チビどもが嬉しそうに食べているのを見て、親父も喜んでいた。いい父の日だった。

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お前解らないのか?

 私が塾講師をやっていた最後の年、地方出身の若手が入ってきた。みんなが「あいつはやばい」という中、大学で囲碁部に所属しているというので、「君は地で打つかい厚みで打つかい?」と訪ねたら「地で打ちます」と返してきた。「そうか」と言ったと同時に思ったのは、こいつには将来性がないな、ということである。碁とは、初心者のうちから地で打っていたら、伸びないものである。と同時に、「藤沢秀行についてどう思う?」と聞いたら「誰ですか、その人は?」との返事に、「大学の囲碁部で藤沢秀行知らないと言ったらモグリだぞ」と言った。数日後、先輩に聞いて僕の言葉が分かったらしく、「失礼しました」とやってきた。

 またあるときは、下宿の話になった。そいつ曰く「私立に通うよりも月謝が安い分、一人暮らしでも国公立の方がましだ」とぬかした。同席していた塾講師がぶち切れた。そんな中で、私が「お前は通勤電車に乗ったことはあるのか?」と聞いたら「無い」と言う。「だったら空いている日の午前七時に某駅から東京まで乗ってこい。社会勉強だ」と話した。それは実行したのかどうかは解らないが、「仕送りしている親御さんの気持ちが解らないのか?」と言ったと同時に、「俺は受験生の時、京大でも下宿は無理だと、親から断られたぞ」とだけ言った。そんなことも解らないようでは駄目なのである。

 また、そいつがセンター試験のみで大学に入ったことを知り、「お前、某地方では神童だったかも知れないけれど、受験ていうのは、男が全身全霊をかけて勝負する場だ。なのにお前は、推薦で大学に行っているようなものだ。センターぐらいのレベルで大学に行くこと自体が勝負から逃げている。そんなのは女なら許せるが、男には許されないことだ」とも言った。

 まあ、彼にもいいところもあった。こちらが夏期講習で地獄のスケジュールをこなす中、帰省するというので、「名産の某ます寿司と地酒を買ってこい」と言ったら、どちらも最高級のものを土産に持って帰ってきた。どちらも美味しく頂いた記憶がある。

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通風の恐怖

 通風とは、プリン体が多いものを、飲食したがために、血液中の尿酸値が上がる事によって、生じる病気である。その名の通り、風が吹いても痛いというほどの激痛を伴う。で、昨日、血液検査の結果を聞きに行ったのだが、尿酸値は問題なかった。もっと心配していたγーGTPの結果も、標準よりやや高めだったので、まあ無難な線で落ち着いていた。と言うより、私は赤血球の密度が低かった。大学時代にも指摘されたのだが、貧血の気があるのだ。下まぶたをめくると、白かったらしいのだ。赤いのが正常らしい。

 で、最初はガングリオンだと指摘された足の甲の瘤は、尿酸の結晶の集まりとのことで、薬を飲んでいたらへこむだろう、とおっしゃっていたが、実際に半年経った現在は、ほとんどへこんでしまった。先生の予言が当たり、さすがだと思った。

 また、最初はアロチームという薬を処方していただいていたが、途中から尿酸を外に出す作用のあるユリノームという薬を処方していただいた。一日一回、毎日飲みながら、利尿作用の高いウーロン茶をガブガブ飲んでいた(お酒も飲んだけれど・・・)。

 病院で先生に呼ばれて診察室に入ると、先生の机の上に医療用のコンピューターみたいなものがあった。「ハイテク化されましたね(笑)」と言ったら先生は照れておられた。性格も明るく、名医である。そして先生の話を聞くと、痛風は悪化すると腎臓を痛めるらしい。最悪、人工透析などに頼るようになるとのこと。

 そんな私であるが、貧血にはレバーがいい。しかし、レバーはプリン体が多いので痛風には良くない。う?む、今度先生に相談してみるか。

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天変地異と人災と

 昨日、午前8:30頃、M6.9 規模の、『岩手・宮城内陸地震』なるものが東北地方で起きたとか。亡くなった方や怪我をされた方、心よりお悔やみ申し上げます。もし、現在、忙しくなかったらボランティアにも参加したいのですが、できないことが残念でなりません。

 それにしても地球規模で天変地異が発生しています。ミャンマーのサイクロンによる被害、先月中旬に起きた中国の『四川大地震』、気温の激しい変動、季節外れの台風。数え上げたらきりがありません。ミャンマーでは被害直後に、己の政権が揺らがぬ為に、海外からの支援を一切拒否してきました。これにより、一番辛い思いをしたのは、立場の弱い人々でしょう。また、中国の地震は人類史上最悪の地震である気がしてなりません。この地震では学校が崩れ、やはり、無力な幼い命が、多く奪われたという報道を耳にしました。いずれの災害に対しても心からお悔やみ申し上げます。

 天変地異は予測が難しいですから、対応するのが難しいです。また、同時に訳の分からない人間が凶悪な犯罪を起こすことも増えています。日本では、先日起きた秋葉原での無差別殺人事件は社会のゆがみと共に生じた気がしてなりません。また、アメリカでも大学などでの銃の乱射事件が後を絶ちません。人々の狂気が、渦となって社会のゆがみとなっている気がしますし、残念ながら、こういう人災も、天災と同じく予測が立ちません。

 気軽に街を歩けないというのも、何だか哀しいご時世ですね。

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帰ってこれない

 私がガキの頃、『帰ってこいよ』と言う歌がブレイクした。中には、いっちょ前に、フレーズに乗せた、詩を書いてくる奴もいた。内容が暗くて、ウケねらいだったと記憶しているが。もう覚えてはいない。

 問題は『帰ってこれない』事にある。先程、草加駅前『Katsu』のクソ元気な店長と話をしたのだが、「早めに決めてくれればいつでもいい」との返事をくれた。思いやりも人一倍強い奴だから、電話の声も優しかった。距離的に日帰りは不可能だから、私はどこかのビジネスホテルに一泊するつもりである。

 『Katsu』の店長は、「(一人頭の)値段さえ決めておいてくれれば、いくらでも対応する」と言っていたが、私は一人頭10000円ぐらいが妥当だと思っている。それで、おいしいものが食べられるのなら不満はない。前にも書いたが、『Katsu』の店長の味覚はすばらしいのだ。同じ金を落とすのなら、『Katsu』で落としてあげたい。

 まだ、みんなの都合を聞いていないので、いつになるかは不明瞭だが、もう、約束事の会にはしたくはない、というのが本音である。しかし、動かない私に、動けと言ってくれる友達には感謝している。文章を書くのが好きだから、最近加速してきた。

 みなさま、草加駅前の『Katsu』は安くて美味しいものが、いつでも食べられますぞ。是非、ご来店賜りたく存じます。

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屈辱、八連敗

 ここのところ、親父と将棋を指しても勝てない。ついに八連敗してしまった。屈辱である。これだけ負けが込むと、もう、将棋盤や駒など見たくもなくなる。親父には「詰めが甘い」と言われるのだが、確かにそうか知れない。でも、詰め将棋を解く気分にはなれない。

 序盤はいつも私がリードするのだが、中盤でねじり合い、終盤での、私の攻めのスピードが遅いのが大きな敗因である。普通、序盤が良ければ勝率は上がるはずなのだが、何かおかしい。先手と後手を交互に入れ替えてやっているのだが、あることに気が付いた。私が先手番の時に、親父は真似将棋をやるのである。真似将棋とは、序盤に先手が打った手と同じ手を後手が指すというものである。別に反則ではないのだが、私が「少しは自分の頭で考えたらどうだ?」と聞くと、親父は「いや、序盤はお前の方が上手いからな」と言い、私が「そうかな・・・プライドはないのか?」と聞くと、親父は「勝てば官軍や」という調子である。

 少し前まで、親父は居飛車の矢倉しか指さなかったのだが、最近は振り飛車穴熊を身につけて、相当やりにくくなった。二通りある分、序盤での駆け引きが難しくなったのだ。最初に様子を伺う手を打たないといけなくなり、私も振り飛車で指すことが多くなった。

 何はともあれ、八連敗は屈辱である。これから一矢報いるために挑戦状をたたきつけようか。・・・って小説も進めないとな。

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街の文化度

 私は、初めて訪れる地では、必ず本屋をチェックする。地方では大型ショッピングセンターなどがあり、把握しづらいが、それでもチェックする。東京とか大阪などは、参考にならないかも知れないが、小さな街に行ったら、まずは本屋のチェックから始める。

 個人的な意見だが、本屋の質というものは、その街の文化度を表している気がしてならない。いい本と悪い本との定義は、人それぞれだから一概には言えないが、そういうときは古本屋に置いてある本の質をチェックする。学生街などにはいい古本屋が多い。

 私が『この街はいい本を置いているな』と思っても、そのコーナーには人がまばらなことが多い。みんな雑誌とかのコーナーに集まっている。これでは宝の持ち腐れだろうと思うこともよくある。雑誌は込んでいても、専門書や文庫本のコーナーは案外空いているものだ。

 私が一番、感心した街は神戸である。繁華街ということもあろうが、古本屋に並べられていた『岩波文庫』の量が半端ではなかった。それなら東京の神保町だってそうだろう、とおっしゃる方もいるだろうが、趣が全く異なる。

 街の文化度は本屋の質で決まると考えているが、アメリカの本屋にはろくなものが置いてなかった。日本史の本を買ってみたが、淡泊であった。

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blog一周年

 おかげさまで、blogを一年間、毎日やってこられました。これは読んでくださる方々の、おかげさまです。本当にありがとうございます。

 最初は、友人達に聞かれるままに、このblogのURLを伝えたのですが、他にもいろんな方が来てくださり、とても感謝しています。私のblogは文字ばかりですが、少しでもユーモラスなな話ににしようと精一杯努めました。

 読んでくださる方々ありがとうございます。まさか、一年間、毎日続くとは考えておりませんでした。時には旅先から携帯で送ったこともあります。苦しんだ頃もありましたが、、「あるがままに受け止めよう」と、悩む前に行動をしていました。

 blogというのは難しいですね。確かに自己主張なのだけれど、行き過ぎてはいけない。

 blogをやれと言ってくれた友人達には感謝しています。

 色々な意味の中で、本当にありがとうございました。

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東大の英語の入試問題について

 以前、アメリカを旅したときにワシントンDCのインターナショナルユースに泊まった。アメリカでは個人で経営しているユースも多く、ユースの会員証を提示しなくても泊まれるところが多かったが、そこは違った。さすがに設備もしっかりしていて、みんながくつろげる部屋には、TVやチェスボードがあった。その時の話。

 私は将棋はやるがチェスはまずしない。なので、対局を眺めていたのだが、決着が付くと、東洋人らしい勝者が、私に日本語で話しかけてきた。何でも、日本での高校受験に失敗して、ツテを頼りに、アメリカに渡ったらしい。最初の半年は、英語が分からずにノイローゼになったけれど、それを過ぎたらなじめたそうだ。短い時間でいろんな話をしたが、彼が東大の入試の英語の問題について、「仲間と見たけれど、四択とかの場合、答が一つじゃない・・・つまり、正解じゃない言い方もする」と語った。私は、そんなものなのかなと思ったけれど、彼の話す日本語が崩れていたので、少し疑った。

 そして、日本に帰国した後に、帰国子女で英語が堪能な友達にこの話をしてみた。すると、彼は断固として言った。「確かに、英語は言葉だから、時代と共に変遷する面はある。でも、訛りとかとは関係なく、ちゃんとした文法というのはあって、それに基づいた英語というのが絶対に正しいんだ。だから、東大の問題は間違ってはいない」

 東大とか大学とかどうこういう話ではなく、言葉とか文化って不思議だなと考えさせられた話である。

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『名もなき詩』について

 相当昔のこと。

「ミスチルの『名もなき詩』は駄目じゃないか?」

「そんなことないだろ。かわいい歌詞だと思うよ」

 それから二人してCDを聴く

「なるほどな」

「だろ」

「そういえば、昔、ある女の子が歌ってたなあ」

「チャンスだな」

「えっ」

「お前、何にも解ってないなあ」

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タバコの値上げについて

 数日前にタバコを一箱1000円にするかもしれないという話を耳にしたが、それが実際に政治家の間で意見交換され出したとか。いくらなんでも、一気に三倍以上の値段にするのは無茶苦茶だろう。タバコが一本50円もするのなら、原価から考えても、税金の塊である。タバコなんて、原価は一本1円もしないのではないか。

 確かにタバコは体に良くない。ある友人からは、動脈硬化の97%は喫煙者だとも聞いた。自分でも健康に悪いとは解ってはいても、吸ってしまうのは、ストレスの発散や気分転換のためである。だから、できるだけまわりに迷惑をかけないのがマナーでもある。

 いくら喫煙者の権利について述べても、説得力がないのも解っている。みんな解っているから、年々肩身の狭い思いをしてきた。それを、ここにきて税収の増加や医療費の削減を見込んで、馬鹿みたいな値上げをするのならば、非喫煙者の権利ばかりを尊重することになる。そもそも、タバコをやめる人が激増するだろうから、みんな長生きしてしまって、余計に医療費がかかるケースを生じるのではないか。自分の感覚でも、1カートンが10000円もするのなら、禁煙する気分にもなってくる。きっと、ニコチンパットでも張って禁煙する人が急増するだろう。すると、世の中からタバコは消えるかも知れないが、税収増など見込めるはずがない。様々な反作用の方が大きくなるだろう。

 タバコにしろ何にしろ、一方的に物事を、悪いものだと決めつけるのは間違っていると思うのだが。

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素振り1600回

 大学一年の時、週に一回、体育があった。いろんな事をやったのだが、その中に剣道が含まれていた。剣道は高校の格技の授業でもやったことがあったので、多少は心得があった。

 また、体育に限らず、あらゆる科目に於いて、朝一番の授業の時には、しょっちゅう遅刻していた。私か、パパというあだ名の奴かが一番遅かった。二人とも理由は一緒で、寝坊による。

 で、剣道の話に戻すと、クラスの男子が集まって、基本から順番に教わった。素人集団なので、中には竹刀をバットのように振ってくる奴などもいる。型ができていないが為に、まるでチャンバラだった。また、加減せずに打ってくる奴もいたので、そいつには、禁止されていた突きを、よっぽど食らわしてやりたかった。

 そんなある日の授業で、素振り1000回が課題の時があった。いつも通り、私が遅刻してゆくと、遅刻した順番に100回ずつ上乗せさせられて、私は1600回素振りをすることになった。ちなみに、パパは1500回である。・・・さすがに1600回は無理だろうと思ったが、真面目に数えながらやってみた。みんなが終わって立ち去ってゆく中、振り続けていたが、パパの終わるのがやけに早い・・・多分サバをよんだのだろう。私は一人で素振りを繰り返した。

 馬鹿正直に数えたのは、剣道をナメたくなかったからだ。やがて、私がもうすぐ終わるという頃合いに、先生がやってきた。その先生は「誰の挑戦でも受ける」という面白い方だったが、1600回の素振りが終わった後、私に、「どこで剣道を習ったんだ?」と聞いてきた。『何で解るんだ?』と思いながら返事をすると、出席簿を広げて、「今までの遅刻は全部チャラにしてやる」とおっしゃられた。真剣にやったらラッキーなこともあるものだ。・・・このおかげで体育の単位を落とさずに済んだようなものである。

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6月6日といえば

 私は、才能があるけれど友達に恵まれない友人に、私の知っている限りでの最強メンバーと食事をしたりして、きっかけをあげた。もちろん、いきなり全員と話すようにはせずに、個人的な紹介から始めた。そこから、グループに、とけ込んで込んでいった友人もいる。よく考えると、とけ込めるケースとそうでないケースは若干異なる。

 現在集まる連中というのは、学生時代に鍋を囲んで、酒を飲みながら徹夜で議論した友達がほとんどであった。私は学生時代に100人以上の友人がいたが、結局、今でも続いているのは、鍋を囲んだ連中だ。何でも言いたい放題だったから上手くいっているのだろう。

 そういう集まりにとけ込むには、なんと言っても、数をこなすことだし、実際上手くいっている友人は、自分を売り込むのが上手い。私がきっかけを作っている場合には特に嬉しい。世の営業などという職業(私の弟がやっている)も、まずは自分を売り込むことからだろう。

 さて、今日の日付6/6といえばある友人の誕生日でもある。言われても嬉しくはないだろうから、電話はかけない。・・・そういえばこの時期に友人関連の誕生日が多い。

 結局、僕が思うのは、才能のある人に、それを分かち合える仲間がいなかったら辛いだろうな、ということである。学校で得る最高の財産は、かけがえのない友達だと思うのだが。

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肩書きでものを言うな

 ある旅の途中で、民宿に泊まった。しばらくぼんやりした後で、風呂に入り、食事を採った。その後しばらく眠れなかったので、隣の部屋のおっちゃんと、ビールを飲みながら話した。おっちゃんは釣りに来たらしいのだが、少しお酒が入るとこう言った。

「私、こう見えても一級建築士なんですよ」

 私は呆れた。肩書きでものを言うような人間にはロクなのがいないからだ。それに、私の親戚をはじめ、まわりには一級建築士が多くいた。つまり、私にとってそんなことはどうでもいいのである。それでも、まあ、おっちゃんの顔を立てるために建築の話をした。私が、「エンタシスとかって、今の建築でも用いられるんですか?」と聞いたら、「エンタシスを知っているのか」と驚かれた上に、信じられないという顔をされた。エンタシスなどは、小学校の時から知っていたのだが、ずいぶんナメられたものだ。まずい酒を飲んだ。

 エンタシスとは、ギリシャのパルテノン神殿の柱などが有名だが、高い柱などを下から見上げたときに、目の錯覚で、柱が細く見えるために、柱の真ん中あたりをわざと膨らますことによって、まっすぐに見えるようにする建築技法である。写真などでもよく見るとそうなっていることが解ると思う。

 人の肩書きを利用したり、肩書きでものを言う人間は、それ以外になんにも無いから、そうするのだと思うのだが。

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空を飛びたくて

 飛行機が飛んでいる姿を見たくて、昔は、ちょくちょく近くの飛行場まで行っていた。カメラこそ持ってはゆかないものの、飛んでいる姿を見ると、理屈抜きにして、美しいと思ったし、何時間見ていても飽きなかった。何よりも空を飛ぶことには夢がある。

 外国で一度だけ気球に乗ったこともあるが、地上の眺め自体は、飛行機よりも良かった。ただし、それ程高度はなかったが。気球は揺れるものなのかと思っていたのだが、案外、安定していた。はるか遠くに地平線が見える景色は、なかなかのものだった。

 飛行機は見るのも乗るのも好きだが、長時間乗っていると苦痛である。たばこが吸えないからイライラもする。長距離移動する場合は、必ずアイマスクをして寝ることにしている。しかし、せっかく飛行機に乗ったのに、なんだかそれも、もったいない気もするが。

 子供の頃に、父が出張に行くのに飛行場まで家族で見送りに行った。生まれて初めての空港だったが、展望台から飛行機を見ているうちに、『自分もいつかパイロットになりたい』と子供心に思ったこともある。目が悪くなったので、別の道を選んだが。

 仮にパイロットになっていたとしても、夢は壊れていたかも知れない。旅客機を操縦していたら、それが日常になってしまうだろうから。また、仮に家族を持ったとしたら、カミさんがよほどしっかりしていないと、家を空けがちなパイロットでは、子供が心配でもある。

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論理の塊になってはいけない

 『論理の塊になってはいけない』と書いたが、もちろん、基本的な論理性を備えた上での話である。と言うより、論理の重要性を認識した上で、非論理系について観じるべきだということだ。なぜならば、我々の世界とは、論理的なようであって、実は非論理的な事柄の方が多くを占め、むしろそちらが大切かも知れないからだ。

 そもそも、誰かと話をする場合に、論理を欠いた話では、誰も納得しない。自分の知り合いには理系が多いせいか、論理には事欠かないのだが、某企業に行った高校時代の友人は、実際に論理的な話が全く通じない奴もいると言っていた。これほど面倒なこともないだろう。幸い僕はそういう奴と関わりを持たなくて済んでいるが、実際、仕事などで、そういう輩を説得するとなれば、どうしていいか解らなくなる。誰もそいつの言うことを理解しないだろうし、基本的な話の整合性というか論理性は、いろんな意味で重要である。

 しかし世の中には上記と全く逆の、『論理の塊』みたいな奴もいる。こういう輩も面倒である。こういうのは圧倒的に理系に多い。確かに実証的に研究を進める場合には論理は絶対である。しかし、人間の行動のほとんどは非論理的である。例えば、人間の本能について論理的に説明が付くならしてもらいたい。明日の朝に自分がどこにいて何をしているかという根拠もない。・・・もちろん、「不確定性原理が根拠だ」などというのは根拠になってはいない。論理で説明が付かないから不確定性原理が出てきたのであって、それの逆はおかしい。それでも、納得がゆかないなら、「鶏が先か卵が先か」という論議に終止符を打って欲しい(これは初期条件次第なのだが)。

 話をまとめると、人間は常に死と裏腹な中で、それでもカン性(感でも観でも勘でもどれでもいい)を働かせて、ささやかな運命を、少しでもより良いものにしようと努力しながら、楽しむべきだと思う。論理性をふまえた上での、非論理的な世界への関心というのは、人生に於いて大切だろう。

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タイムマシーンは存在しない

 高校の時、友達数人で映画『バックトゥーザフュチャー2』を見に行った。その中で、博士がタイムマシーンについての理論を説明する場面があった。その時の理屈がよく分からなくて、そこから後のストーリーはどうでもよくなってしまい、博士のタイムマシーンの理論についてばかり考えていた。映画が終わったときに、友人みんなに「あの解説、理解できるか?」と聞いたら、みんな「理解できない」と言う中で、一人だけ「説明はできないけれど理解はできる」と答えた奴がいた。私は、スピルバーグの映画だし、まんざらデタラメではないんだろうと思い、悔しくてそれから二日二晩考えたが解らなかった。

 この話を大学一年の時に、クラ友に話して、「説明できるか?」と聞いたら、あっさりと「タイムマシーンは存在しない」と言われた。私が「えっ、何でだ?」と問うと「因果律に反するからだ」との答え。「因果律って、あの因果応報の因果か?」と聞いたら、「そうだよ」と教えてくれた上で、「大体、タイムマシーンが存在するなら、設計図があるはずだろ」とも教えてくれた。私は、「ちょっと待ってくれ」と言って、「もし物事が時間軸に逆行すると・・・」と呟きながら考えるうちに、頭の中ではドラえもんのタイムマシーンが駆けめぐり、「そうか、存在するなら世界がドラえもんで溢れかえってしまうな。それは矛盾だ」と、ようやく納得できた。そして、高校の時の奴の言っていたことがブラフだと解り、「とんでもねー野郎だ」と言った記憶がある。

 それで一件落着となったのだが、今度は新たな疑念が湧いた。それは、あの映画の博士はマッドサイエンティストということになってしまうのではないか?というものだったが、まあ、どうでもいい。

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うどんとそばと西と東と

 私の両親が関西出身ということもあって、我が家では結構、薄味なうどんを食べてきた。しかし、そばに関しては、関東風の味付けである。したがって、私も、そばは関東風、うどんは関西風の味付けが好きになった。今日はうどんとそばに関して考察してみる。

 私の知っている限り、『立ち食いそば』というのは聞いたことがあるが、『立ち食いうどん』というのは聞いたことがない。店でもネーミングからか、ついつい、そばを頼んでしまう。しかし、カレーを入れる場合は必ず、うどんを頼む。なぜだか解らないが、カレーうどんは良くても、カレーそばは口に合わない。それから、カレーうどんはスタミナを付けたいときに食べるのだが、服に付かないように食べるのが大変でもある。もちろん、カレー以外でも、うどんを食べたいときには、うどんを頼むが。

 自分はダシの濃い、そば派だと思っていたのだが、四国の香川県を旅したときに、『さぬきうどん』なるものに感心した。安くて早くて味がいいのである。私が食べたお店では、(多分、みりんを入れていると思うのだが)ダシが甘かった。それがコシの入ったうどんと絶妙に合うのである。家に宅急便で送った記憶がある。

 また、うどんもいいけれど、名古屋のきしめんも捨てがたい。うどんよりヒラヒラしていて、ダシを絡ませるには最適である。

 私が車の旅をするときは、朝はバナナで、昼は抜き、夜にご当地ものをしっかり食べる。日本のご当地ものを覚えたのは、ゲームの『桃鉄』によるところが大きい。後は、現地の方に聞いて食べる。そんなことを考えていると、また旅立ちたくなってきた。

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