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『Why?』について

 先日友人に紹介された、YUIの『Why?』が入ったアルバムと、とある洋楽のCDをアマゾンで購入して聴いている。洋楽の方はメインの曲の歌詞は載っていたが、訳す時間がない。ただ聴いてみたら、荘厳な感じの僕好みの曲だった(他の曲は駄目だったけれど)。一方で、友人からの宿題の『Why?』の方はとっかかりが難しかった。

 まず、『Why?』全体の歌詞を捉えるよりは、サビの、「どうして人は言葉を持ったのだろう 心が見えにくくなる」という部分のみにスポットライトを当てることにした。実際に友人はこの部分に影響されたのだし、歌詞全体を自分の過去の経験や思いに照らし合わせるのはナンセンスな気がした。だから、サビだけを考えるのだけれど、どうもピンと来ない。

 「初めに言葉ありき」と言うように、人間のあらゆる思考の基底は言葉である。言葉によって物事を考えるのだが、それ故に、必要以上に苦しんでしまったり、悩んだり、「心が見えにくくなる」ということは実際にある。嫌な例えだが、言葉を持っている人間のみが、自殺を選んだりもする。・・・だけど、僕は、言葉というものは、使い方によって、毒にもなれば薬にもなると思う。また、言葉を持っているからこそ、人間なのであって、それを受け止めた上で生き抜いていく強さという所に、人間の尊厳があるといっても過言でもない気もする。

 また、何も人間というのは、言葉のみが心を支配するわけでもない。例えば、(言葉による)理屈で恋に堕ちる人間などいない。もっと、直観的なものが、実は人間同士を結びつける上で大切であったりする事もかなり多い。以前、将棋の羽生善治氏が語っていた、「パッと観てパッと解ることは結構大切なことです」という言葉は、何も人間関係だけではなくて、あらゆる事象に対して直観を磨く大切さを語っている気がしてならない。これは禅にも通ずる面がある。また、『星の王子様』で、キツネが王子様に「肝心なことは眼には見えないんだよ」と語るが、これは何も眼だけではない。「肝心なことは言葉では解らないんだよ」と置き換えても同じ事だ。・・・もっと拡張すると、空の視点から心や万象を捉えようとすれば、般若心経にあるように、「無眼耳鼻舌身意」ということになってしまう。

 また、心とは何なのかということも考えなければならない。仮に理性と本能とで区別するなら、理性と言葉というのは同値なのではないか。だとすれば、言葉がない世界は本能のみの世界となる。それは幸せなことなのだろうか?生物は、本能が理性に勝る事は当たり前だが、理性を否定してしまうと、やはり、人間の尊厳に関わるのではないか?また、愛犬の弥七君を観察してみると、本能が中心だが、犬でも(言葉をしゃべれないだけで)理性で判断していることが、ままあることが解る。これでは、本能のみの心とは存在するのか迷う。具体的な適例が思い浮かばない。

 ややこしく考え過ぎかも知れないが、結局、僕が行き着くところは、「言葉がない方が心がよく見える」というのは、人間である限り、理想論に過ぎず、言葉にこだわらずに、もっと心なりなんなりを磨いて、より多くのことを吸収できるように努力するべきだと思うし、そうしたら、きっと、自分の発する言葉というものにも変化が起き、より優しさというものを発することができるのではないか、というスタイルである。

 『Why?』を紹介してくれた友人に、心を込めて

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