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秀行先生の弟子

 囲碁の高尾秀紳・本因坊が趙治勲・十段から三タテで十段位を奪取した。高尾・本因坊は、本名は紳路というのだが、確か去年あたりか、秀紳と名乗った。碁打ちが改名することは、珍しくはないのだが、当然、気になったのは、『秀』の字である。

 もしかしたら、とは思っていたが、やはり、あの秀行先生の弟子だった。秀行先生とは、正確には藤沢秀行・名誉棋聖のことであるが、弟子がいたとは知らなかった。もちろん、昔は秀行塾などといって、多くの若手が集まって合宿などをしていたのだから、不思議ではない。現役の碁打ちでも世話になった方も多いだろう。親分肌で面倒見がよく、先生は、いろんな人から慕われている。若い頃の趙治勲さんに稽古を付けている写真を見たこともあるし、昔の中国の碁打ちにも指導していた。当時から、日本の囲碁界が世界に後れを取ることを危惧されていたし、それは現在、現実のものともなっている。

 秀行先生と言えば、大酒飲みで、博打打ちで、女好きで、・・・と、武勇伝やエピソードには事欠かない方なのだが、一辺には書けないので、今回は棋聖戦の話を書く。棋聖戦とは、秀行先生が交渉して作った囲碁の棋戦で、先生は、初回から五連覇して名誉棋聖になる。当時の秀行先生は、「囲碁には三連勝の後、四連敗することもあり得る」と語っておられたのだが、棋聖戦の六期目に、あろう事か挑戦者の趙治勲さんに、先生自ら、史上初の三連勝四連敗を食らって、棋聖位を失った。・・・それを考えると、今回の十段戦は、弟子が師匠の仇を取った構図になるな、と勝手に思った。

 また、高尾さんが三十代の初めにもかかわらず、秀紳と改名したのは、多分、秀行先生のご高齢を考えてのことだろうとも思った。生命力に満ちあふれていた先生も、好々爺になっておられる様子。生きる伝説として、長生きをしていただきたいものだ。

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