« 宮沢賢治が目指したもの | トップページ | 疲れ »

詩心(曹植と実朝について)

 詩心というのはなんて辛いんだろう。詰まりきった気持ちのはけ口として歌にするという感じだ。苦悩の痕跡が伺われる。何年か前に、東大の(たしか文Ⅰ)の漢詩の問題で曹植が出ていた。いい問題だったが、解いてみた上で、切なさを感じると同時に、これは受験生には難しいだろうなと感じた。

 曹植とは『三国志』の中での大国である「魏」の国の王、曹操の何番か目の息子である。当然、長男が跡を継ぐという中で、『三国志』にも出てくる「七歩の詩」のエピソードが有名である。曹植の立場が伺えるが、多分、他の人が作った物であろう。それ程、出来が悪い。深い哀しみがないのだ。やがては権力闘争の中で、(助かるのだが)命すら危うい、という哀しみが薄い。

 同じように、葛藤した人が日本にもいる。鎌倉右大臣『源実朝』だ。鎌倉三代将軍であり、右大臣でもあった。北条家が暗躍する中で、実朝は自分の代で滅ぶことを覚悟していた。だから、亡命しようとしたり、ひたすら官位を求めた・・・「自分の代で家を高めておこう」の一心で。僕は実朝は余り研究していないから、代表的な歌を挙げる。

『大海の磯もとゞろに寄する波 われてくだけて裂けて散るかも』・・・実朝の風景を見る目は、常に死を意識し、「散ること」を意識していたのだろう。百人一首の歌などにはそんな感じはない。実際に実朝は鎌倉八幡宮の大銀杏の木に隠れた公暁に暗殺される。兄貴の息子にだ。その公暁もすぐに殺される。

 曹植にしろ、実朝にしろ、「死の宿命」の中で、歌に走り、見事なものを残した。とてもblogでは書ききれない。まとまっていない中で言いたいことは、時代こそ違えど、似た境遇の二人が、命の証として、秀歌を残したことである。歌心とは切ない。

|

« 宮沢賢治が目指したもの | トップページ | 疲れ »

学問・資格」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/521582/54006307

この記事へのトラックバック一覧です: 詩心(曹植と実朝について):

« 宮沢賢治が目指したもの | トップページ | 疲れ »