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師の間違いを指摘すべきか?

 中学一年の時の国語の教師は、授業で、よく、主な故事成語の由来を名調子(?)で語ってくれていた。全部は覚えてはいないが、おもしろおかしく教えてくれた記憶はある。由来から教わったので、二十年以上経ってもニュアンスを大体覚えている。例えば、日本語でよく使われる「皮肉」なども、馬にまたがる男の話で、れっきとした故事成語なのだ。また、横のつながりのようなものもあった。「科挙」→「圧巻」→「一炊の夢」という感じで(「科挙」は故事成語ではないが)。・・・当然、私が知っているものはごく一部だが、現在でも、忘れたものや、知らないものの由来を、本で読んでみるだけでも楽しい。必ずそこにはドラマがあり、物語があるのだ。さながら、中国の超短編と言ったところか。

 そんな国語の授業の中で、『泣いて馬謖を斬る』という故事成語についての解説があった。これの由来は『三国志』である。先生の説明では、「中国が『魏・呉・蜀』の三国に分かれていた時代に、蜀の国の丞相『諸葛亮』が、自分の存命中に魏の国の長安を落とそうと何度も征伐に出る。その何度目かで、人材の少なかった蜀の国では、『諸葛亮』が、若いけれど、才気を見込んでいた『馬謖』を前線の司令官にする。『馬謖』は若気のいたりか、命令違反をする。戦争には勝ったのだが(?)、軍紀を乱した『馬謖』に、丞相の『諸葛亮』が泣くなく死罪を命じ、自らも位を丞相からいくつか落とした」という話であった。

 みんなが黙っている中、既に吉川英治の『三国志』を読んでいた私は、『おかしいぞ。あの戦争は、馬謖が勝手に山の上に陣を取って、敵に補給路を断たれて負けたはずだ』と思った。それを言うべきか、言わざるべきか、子供心に迷った。・・・結局、黙っていたのだが、その時はそれでよかったと僕は思っている。間違いを指摘すべき場合と、そうでない場合というのは案外判断が難しい。しかし、この場合は指摘するべきではないだろう。誰にだって記憶違いはある。危うく師の顔に泥を塗るところだった。

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