« 師の間違いを指摘すべきか? | トップページ | 詩心(曹植と実朝について) »

宮沢賢治が目指したもの

 昔、ある友人から、「自分を愛せない人は人を愛せない」と言われた。最初は意味が解らなかった。その頃の僕は、例えば、恋愛などの場合、相手の全てを受け入れる覚悟でも、自分の影の部分を相手に背負わせるのは罪なんじゃないかと感じていたからだ。・・・しばらくして気が付いたのだが、こんなにワガママなこともない。その頃には友人の言葉も何となく理解できていた。自分の影も見つめ、そして自分を愛し、その上でしか人間なんて人を愛せないということなのだ。何も恋愛に限らず、似たような概念で、福沢諭吉の「独立自尊」という概念は、人間が生きていく上で大切な教えだと思う。

 ちょっとニュアンスは異なるが、仏教でも似た様な概念がある。「自利利他」の概念である。「自利」とは小乗仏教の概念で、「まず自分を鍛え上げて一人前にする」というようなニュアンスである。「利他」とは大乗仏教の概念で、「他のものに対して功徳を施す」というようなニュアンスである。つまり、「自利利他」の概念とは、「まず、成熟した自分があった上で、初めて他のもののためになれる」といった感じである。実際に坊さんも修行してから、人のために動く。

 しかし、宮沢賢治は違った。有名な言葉だが、「世界全体が幸福にならなければ、個人の幸せはあり得ない」と残している。これはつまり、「利他」があって初めて「自利」が成り立つという意味と変わらない。「自利利他」の概念と正反対だ。熱心な仏教徒であった宮沢賢治が間違えるはずがない。

 僕は最初、当時の貧しい岩手の農村をイメージして、「お金」のことを言っているのかとも思った。それもあるだろう。しかし、妹トシの夭折も含めて、苦しんだ宮沢賢治の、もっと深い考察からの、「仏の慈愛や慈悲のあるべき姿」を指しているような気がしてならない。つまり、宮沢賢治が目指したものは『如来』なのだろう。そんな宮沢賢治を『菩薩』と呼ぶ意見に、私は賛成です。

|

« 師の間違いを指摘すべきか? | トップページ | 詩心(曹植と実朝について) »

学問・資格」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/521582/54006286

この記事へのトラックバック一覧です: 宮沢賢治が目指したもの:

« 師の間違いを指摘すべきか? | トップページ | 詩心(曹植と実朝について) »