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般若心経について

 以前、親父と般若心経の話をした時に、「無の教えだろ?」と言ったので、私は、「違う。空の教えだ」と言った。確かに、般若心経の中で一番多く出てくる漢字が「無」なので、そう受け止めやすいのだが、全体の流れを簡単に言うと、「空の中であらゆるものが無となり、そんな中で、悟るべき所を求めて、あらゆる仏界の中で、祈りながら努力しよう」というようなニュアンスなのだ。・・・とは言ってもこれは私見である。世に「般若心経」について書かれた本は数え切れない。十人十色の解釈でかまわないとも思うのだが。

 一番有名なのが、「色即是空 空即是色」だと思うが、ここで言う「色」とは、俗な意味ではなく、サンスクリット語で言う「ルーパー(目に見える世界)」を指す。だから後に「無色声香味触法」・・・「(空の中では)法に則って、眼も耳も鼻も舌も身も意も無い」という論理になる。つまり、有名な「色即是空 空即是色」の「色」の部分は上に挙げられた、主に人間の五感(六感?)を象徴する漢字と置き換えても同じ事なのである。ここで、「法(ダルマ)」についての説明をすると枚挙にいとまがないので、個人的見解はいずれ書く。・・・で、般若心経は、その後も、素晴らしいが、ややこしい論理が続く中で、「ぎゃ諦 ぎゃ諦 波羅ぎゃ諦・・・(「ぎゃ」の漢字が出てこなかった)」で締めくくられる。般若心経では、「色即是空・・・」よりも、「ぎゃ諦 ぎゃ諦・・・」の呪文(真言)の方が肝心なのだ。そして、森羅万象に於ける「空の様」を知ろうと努力することが要である。・・・とまあ、簡単に書いてみた。

 なんで、僕が般若心経に出会ったかというと、もう10年ぐらい前、ある鍋の席で、ある友人が毎日(心の中でも)唱えている」と語ったからだ。僕はすぐには実行しなかったが、親父が病になったとき、お寺でコピーしてもらったのだ(仏壇屋にあるとは知らなかった)。それから何年も掛けて、ゆっくりだけど確実にかみ砕きながら覚えていった。

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