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2008年2月

「しったか」の値段

 先程まで、私の両親と愛犬の弥七君が、とある漁師が経営する海岸のお店まで、新鮮な魚介類を求めて出かけていた。たまに私が同行することもあるのだが、大体、二ヶ月に一回くらいの頻度で出かける。購入するものは、主に、いか、アジ、サザエ、カサゴ、しったか、などである。両親は既に顔なじみになっているのか、おまけに野菜などもくれるらしい。魚介類は、購入時には生きており、新鮮な状態であるから、すぐに調理したものは抜群においしい。贅沢といえば贅沢だが、原価で買えることを考えると、案外そうでもないのである。

 「しったか」というのは巻き貝である。多分、高級料亭などに卸されるのではないか。我が家では味噌風味で食べるのだが、酒の肴には最高である。針で貝殻から実を取り出すのだが、上手く取るコツは、針で回そうとせずに、貝殻の方を回すことだと、母から聞いた。

 問題は、この「しったか」の値段である。大小様々あるが、原価で買うと、1.5Kg(普通の鍋で下から三、四分目位の量、余裕で100個はある)が3300円なのである。しかし、これが流通ルートに乗ると、値段が跳ね上がる。近所のデパートの食品売り場では、十個で1000円するそうである。・・・つまり、巻き貝一つが100円ということであり、とてもじゃないけれど手が出せない。単純計算で価格が三倍になっている。ましてや、料亭などで食べたら、もっと行くのではないか。・・・他の魚介類にしても、新鮮で、安く、おいしいことを考えたら、わざわざ車で買いに行くのも、まんざら損とは言い切れない。どころか、得していると思う。・・・って、あんまり損得勘定で物事を考えてはいけないが。

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パソコンと眼と肩と腰

 今朝起きたら、尋常ではない肩こりがやってきた。これは、前にマッサージを受けた時に聞いたのだが、パソコンに向かうことが多い人は、眼の疲れと、肩と背中の「こり」が著しいらしい。その時の私も、例外ではなく、眼のツボと背中と肩を中心に揉んでもらった。

 今日の肩こりについては、とりあえず湿布で応急処置をしたのだが、私は肩が凝らないタイプだと思っていたので、少しショックだ。また体に爆弾を背負うのかも知れない。体をいたわるには、ストレッチなどがいいのだろうが、集中してしまうと忘れてしまう。

 今やパソコンでのデスクワークが多い時代だが、必ずしも予防法がないわけではない。背中や肩や腰というのは、適度にストレッチをしたり、いい椅子を使ったり(不可能なら、いいクッションを使う)、姿勢をよくしたりして予防できる。しかし、眼についてはツボ(目の回り、首の後ろ側、側頭部の眼の脇、その他)を押す位しかないと思っていたのだが、他にあったのだ。

 ある友人から、ずいぶん前に聞いた話なのだが、コツはパソコンの明るさを暗くすることなのだ。一見、画面が明るい方が見やすくていいというのは落とし穴で、それだけ眼に負担が掛かる→目が疲れる→目が悪くなる、という仕組みになっている。最近のパソコンはモニターが液晶だから、調整が難しい部分はある。だから、私は、一人きりで画面を見る時には、サングラスをかけている。ところが、二日程前、サングラスのレンズがとれてしまったので、早く修理に出したい。普通の眼鏡だと眩しくて眼の疲れ方が違う。

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ニュートンとライプニッツ

 誰でも知っているニュートンは、私が尊敬している科学者の一人だ。主な功績は、ニュートン力学の構築、光学についての理論、微積分法の発明などである。前の二つは物理学だが、後の一つは数学である。物理学の法則を証明するために、数学を発明したと見るのが妥当だろう。

 一方で、ほとんど同時期に、ドイツで、ライプニッツという学者が、やはり数学に於いて、微積分法を(ニュートンとは別に)発明した。例えば、積分記号の∫(インテグラル)などは、ライプニッツが用いた記号であり、現在使われている微積分法の記号はこちらが主流となった。

 ここで、問題なのは、ニュートン(イギリス)とライプニッツ(ドイツ)には接点がなかったという説が有力な中、微積分法という重要な概念が、何故、ほぼ同時期に発明されたのか?ということである。 私は単純に、『こういうのを(偶然性の高い)シンクロニシティ(共時性)と呼ぶのだろうな』と思ったし、それが定説なのではないだろうか。・・・しかし、ある友人から『プランク的』という概念を聞いて、面白く思った。それは、『時代が必要としていたから、上記のような現象が起きたのだ』というような立場であったと記憶している。つまり、必ずしも偶発的なものではないということである。・・・ここのプランクとは量子論のプランクだと聞いたが、プランクが言ったことかどうかは知らない。

 以前、神保町の本屋街を徘徊したが、『プランク的』な概念についての本は見付からなかった。友人はどこで知ったのだろうか?

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袋田の滝

 今回の旅で、日本三名瀑の一つである、「袋田の滝」を観るべく、昨日、半日ツアーのバスに乗った。この滝は茨城県にあるのだが、なんでも、昔、西行法師がたいそう気に入ったらしく、「四季に渡って鑑賞するべき滝」と言ったそうである。また、滝そのものは、長さ120m幅73m、滝川が四段にわたって落ちるとのこと。私はワクワクしていた。と、同時にカメラを忘れたことを後悔していた。

 昼頃に到着し、細く長いトンネルを歩いた末に展望台があった。滝は真ん中あたりが微妙に凍ってはいたが、何段にも渡って、まさしく『川』の字のように水が落ちてきていた。落ちると言うより、滑り落ちるという感じであろうか。・・・ただ残念だったのは、展望台が、あまりに滝に近すぎて、思いの外アングルが悪かったことである。四段全てが見えずに、一番下から三段目位までを見るのがやっとであった。

 これで、「華厳の滝」「那智の滝」と合わせて日本三名瀑は制覇したのだが、それぞれに個性があるのが面白い。「華厳の滝」には迫力と厳しさを感じる。「那智の滝」には絹糸のような繊細さがある。「袋田の滝」にはさらさらとした女性らしさを感じた。

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問題あるもの

(問題のあるものを)とらえたり、利用したりすることは、その存在を認めていることに他ならない。

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日本史の学び方

 これは世界史でも変わらないのだが、歴史を学ぶ際には、まず、『流れ』を押さえることが肝心である。そんな中で、歴史を学ぶコツとしては、できるだけ早い時期から、できるだけニュートラルな歴史の漫画を読むことをお勧めする。小学生ぐらいでも、漫画なら結構、頭に入るし、繰り返し読むことによって、全体的な『流れ』を押さえられると共に、案外細かいことまで頭に入るものなのだ。漫画が、現在、いくらぐらいするのかは解らないが、将来のことを考えると、決して痛い出費ではない。価値ある投資である。ただし、勧善懲悪ものなどはよくない(なぜならば、歴史は勝者が作るからだ)。あくまでもニュートラルなものであるということが大前提である。・・・この、歴史の『流れ』を押さえているのと、そうでないのとは、その後の「伸びしろ」で大きな差が出るのだ。

 私の中学時代までは、日本史(世界史)の試験の前になると、一夜漬けの奴はみんな、漫画を読んできていた。それでも、なんとかなったものである。さすがに高校生になったら通用しなかったが・・・って、実力テストで「平安京の縦のメインストリートは何というか?」などというマニュアックな問題なども出ていたから、漫画では対応できない。知っていなければ解けないという意味では、半ば反則な問題であるが、そこは実力テストであったから、いろんな教養が試された。正解は「朱雀大路」なのだが。

 『流れ』を押さえた後、歴史を学んでいく上で必要なのは、様々な角度から掘り下げることである。戦争の歴史、文化史、宗教史、経済史・・・という様に、それぞれの時代で、どのように変態してきたかを知るのが肝要だ(全て理由があるから)。その際には専門書を繙くことや、様々な文献を調べたり、実際に行ってみたりすることも必要となる。

 歴史というのは、後付けの学問であるが、何でその時、そんなことが起きたのかを推理したりする様になってくると、案外面白いものである。

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いざ福島へ

 『いざ福島へ』などと書いてしまったが、『いざ・・・へ』という表現は、鎌倉時代の御家人の合い言葉であった。何か非常事態があると、『いざ、鎌倉へ』という話になる。具体的には、後鳥羽上皇の承久の乱や元寇の時に使われたと思われる。・・・御恩と奉公の関係の中で、幕府と御家人達は結びついていた(実朝暗殺の際に出家した御家人も多いと吾妻鏡には書かれてはいるが)。奉公した御家人に対して幕府が(敵から奪った)土地などを提供したことによって、御家人は、一層、忠誠を誓った。しかし元寇の時は、勝ったはいいものの、攻められる一方で、御家人は御恩に預かれなかった。生活が苦しくなり、幕府は「徳政令」を出す。ある方は、「これで鎌倉幕府がゆらいだ」とおっしゃった。それまでは、初めての武士政権としては画期的なくらい、よくできたシステムの中で運営されていたのである。経済というものは、昔も今も、政権の鍵を握るものらしい。

 ・・・何でこんな事を思い出すのかは解らない。一人連想ゲームをしてしまった。趣旨は全く異なるが、明日と明後日と、両親と福島に行くことになった。自分自身でもまだ現実味がないので、何とも言えない。目的は両親の療養であるが、いろいろと煮詰まっている自分にとってもいいことかも知れない。

 できたら、ノートとペンを持って、いろんな事に気が付きたい。まあまあ。

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ドンピン

 もう八、九年ぐらい前のことになるが、私の親父が癌になり、再発したときに、治療に専念するために会社を退職した。当時、塾講師をしていた私も、『考えてみても仕方のないこと』と思い、親父が望むようにすることを支援するつもりでいた。母も父に従っていた。

 そして、父が最期の出勤となった日の夕方、手空きだった私は、突如、車で、最寄り駅前のデパートに乗り付けた。銀行に寄り、数万引き出したあと、デパート地下のワイン売り場に行った。その中でも高い酒は、空調設備がしっかりしたところに置かれている。

 実はそこには何度か行ったことがあるのだ。・・・入籍しても披露宴を挙げないという友人がいる中で、私は何かの集まりの時に、そこで、『ドンペリ』を買って持って行っていた。送ったこともある。デパートだからちゃんと箱まである。

 今回は、世話になった親父のためにと思って、『ドンピン』しかないだろうと、おそるおそる値札を見ると、四万円弱。・・・五秒迷った私は、箱を手にして会計を済ませた。決断したのだから後悔はない。包んでもらった後で、花屋に行き、本格的な花を作ってもらった(僕の財布の中身は空っぽだった)。私が帰宅し、花は母が買ったことにしようという中で、親父が帰宅。二人で「お疲れ様」と言った瞬間に、母が花を渡す。親父は少し照れたけれど、嬉しそうだった。親父が部屋に入り、着替えが済んだ後で、私は秘密兵器の『ドンピン』を出した。二人でグラスに注ぎ、『乾杯』となるも、酒好きの親父が余り飲まない。私は、『もったいないと思っているのかな?一口数千円の酒だしな』と勘ぐっていた。

 後日聞いた話によると、親父はシャンパンが大嫌いらしいのだ。それを聞いた私は倒れそうになった。何のために自腹で一番高い酒を買ってきたのかが解らなくなると同時に、親父のシャンパン嫌いを知らなかった私も迂闊だった。・・・幸い、お花の方は数日後に咲き、おかげさまで父は現在でも元気である。

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並べ直し

 親父と囲碁か将棋をすると、いつも、文句の言い合いになる。トイレに立って、戻ったら、「石の配置が変わってないか?」などとお互いに言い合う。本来は記憶しておくべきものなのだが、お互いに酔っているから二手前を覚えていない。二十歳前の私は並べ直しが出来たが、現在ではどうか解らない。・・・お互いに素面で打つことなどあまりないからだ。ただ、その時の直感のみで打つ(多少は計算するが)。しかし、酔うと弱くなるのは事実である。

 プロ棋士みたいに、途中の場面からやり直すことは難しいが、最初からの並べ直しなら、結構何とかなるものである。なぜならば、全ての石には意味があるからだ。将棋でも同じで、全ての手には意味がある。その意味さえしっかり記憶しておけば、並べ直しは、素人でも出来る。その、「意味を押さえる」というのがコツなのだが、きっと、強くなろうと思う方は、そこを反省し、修正するのだろう。・・・最も、私などにはプロの手の意味など、皆目解らないが。

 この、「意味を押さえる」という方法は、結構重要である。他にも応用が利きすぎるからだ。勉強などでも、丸暗記はすぐに忘れるが、「意味」を押さえておけば、結構、長いこと覚えているものである。私は、浪人時代、電磁気学の基本である、オームの法則の概念が解らなくて、二日二晩悩み続けた。誰も教えてはくれない。ただ、悩む。・・・ふと、眠りから覚めた瞬間に、納得できた。ここで基本的な「意味」を押さえた私は、一週間で(受験のための)電磁気学が終わった。・・・不思議なものだと思う。人間は寝ながらも考えるものか」と思ったし、基本がどれだけ大切かを身にしみて感じた。

 昨日は置き碁(六目)だったが、私の中押し勝ち。いつの日か、互先で打って、親父に勝ちたいものだ。

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政治への倦怠感

 アメリカでは、大統領選の予備選挙で、民主党のオバマ氏とクリントン候補の、まれに見る接戦に盛り上がっている一方で、日本の政治は?と言うと今ひとつである。去年の夏の参議院議員選挙では、民主党に年金旋風が吹き、自民党が惨敗したが、もし、今、衆議院が解散し、いざ衆院選となったらどうなるだろうか?

 私の感覚では、もう民主党に風は吹かないと思う。だからといって、以前のように、自民党が議員の2/3をしめるような圧勝もないと考える。あんなことは、今後、少なくとも二、三十年は起きないだろう。現段階では、投票率が落ちる中、適度に自民党が勝つのではないか。

 何故、こう考えるかというと、既に、国民が政治に対して辟易している気がする。衆議院の国会中継で、自民党の議員が自民党の議員に質問しているのを観ると嫌になる。伴い、いろんな問題が次から次へと浮上する中で、国民は政治にばかり目を向けてはいられない。ダラダラした討論が続く中で、生活苦に悩まされる国民は、その解決を、政治に期待しているとは思えない。ある意味、諦めに似た倦怠感があるのではないか。比較的、政治的関心が強い私でさえ、政治欄に目を通す時間が無駄になることが多い。

 そんな中で、舛添厚労大臣の活躍が大きいとも観ている。C型肝炎問題や、年金問題は未だ解決してはいないが、舛添大臣のがんばりは目を引いた。一時期などは、福田総理よりTVに出ている時間が長かった気がする。とある時期には、「舛添首相説」なるものまで、巷で聞いたことがある。

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撃墜された戦闘機

 私が高校生の頃だったと思う。母方の祖父母が我が家にやってきた。父母は近所の史跡を案内したりしていた。私は学校があったので同行しなかったが、夜には弟も含めて、みんなで食卓を囲んだ。

 私が母から聞いた話によると、祖母は優秀だったらしい。戦時中も、満州に渡る前か後に、東京にいたらしいのだが、女子寮の班長だった祖母は、空襲のサイレンが鳴っても、みんなを起こして防空壕に追いやり、自分は『人間死ぬときは死ぬ』と、寮で悠々と寝ていたそうだ。

 また、こんな話も聞いたことがある。満州から引き上げるときに、鉄道で港に向かう中、外から、盗賊の群れがおそってきたらしい。その時、祖母は機転を利かして、フライパンのようなものを、鉢のようなものでガンガン叩いたそうだ。ひるんだ盗賊は逃げていったとか。そして無事に帰国できた。

 そんな祖母に、当時の若い私は、戦争のことを聞いていた。その時の祖母の話が忘れられない。・・・(たしか)東京時代のことだ。なんでも、昼間に空中戦が行われていたらしい。まもなく、日本の戦闘機が撃墜される。その時は祖母も防空壕にいたのだが、その戦闘機が、自分達のいる防空壕めがけて落ちてきたそうだ。みんなが「キャーキャー」言う中、その戦闘機のパイロットは(多分)残る最期の意識の中で、精一杯に舵を切り、飛行機は、軌道を変え、横の川に落ちて爆発したそうだ。「その時はみんな泣いたねえ」と言う祖母は涙ぐんでいた。

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blogの削除について

 ここ最近は、blogを一日にいくつか書くことにしている。友人と毎日続ける約束をした中で、一通だけだと、削除した際に途切れてしまうからだ。いわば保険である。

 今日も含め、ここ半月で三つくらいは削除した。別に脅されたわけでもないし、自分の信念が正しいと思えば、脅されても削除などしない。別にケチとかそういう問題でもない。自分自身の判断の中で、『これは許されないblogだ』と思ったら消す。書いた後に読み直して、訂正することも多い(はっきり言って、訂正しきれないくらい、過去のblogには書き損じが多すぎる)。書いてしまった後で後悔する事というのは余りにも多いのだ。

 ここ数日、書いていた小説が止まってしまい、心がすさんでいた。気軽な気持ちでblogを書くことは少ないが、そのストレスでblogを鬼のように書いていた。その中で私が不適切と判断したものを削除した。・・・恥ずかしい限りだ。

 本来ならこんな事は許されないだろう。将棋で言えば「待った」みたいなものだ。できるだけそういうことがないようなblogを目指してゆきたい。

 削除することは、自分の分身を失うようで、書いたものにとっても辛い。できれば残しておきたいのが本音だが、自分で自分の人間性を疑ってしまうようなものは残せない。

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床屋に行ってみたら

 朝一番か二番のつもりで、開店前の床屋に行ってみたら、今日は混んでいたらしく、後の時間になるという。それじゃあ、と名前を書いて、先に整形外科に行く。通風の報告と、薬をもらいにである。そうしたら、尿酸値は減っていたものの、γーGTPが上がっていて、落ち込む。また、近いうちに禁酒月間を作らなければいけないなと感じた。健康になんて気を配ったことの少ない私であるが、ある友人からは電話で、「お前が一番長生きする」と言われた。根拠なんて聞く気にもなれなかったが、何となく嬉しかったのは事実である。・・・禁酒も三ヶ月ぐらいならやったこともある。出来ないはずはない。

 『そうなると、詩が浮かんでこないだろうなあ』と悩みながら、ある本屋に着く。二階にはCDの販売コーナーもある。二階に上がって、あるアルバムを予約した後、車に戻り、曲を聴く。悔しくて、その全ての美しさに、少し涙を浮かべる。

 減量のしすぎか、車を運転するにも注意力が欠けていた。自分自身で危なっかしくて仕方がない。何とか床屋に着いて、挨拶したのだが、また眼が悪くなった気がする。首とか眼の周りとか、教えてもらったツボを刺激する。・・・僕の番になると、運動が好きな床屋の若マスターは、今度どこかのマラソンにエントリーするらしい。僕も運動は嫌いではないが、積極的にはなれない。どちらかというと文学とか音楽とかを愛す。そちらに時間を使う。今日も床屋でモーツアルトが流れていたとき、これこそが、突如、小林秀雄の脳に響いたメロディなんだろうな・・・と独りで考えていた。

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Can you swim?

 いつのことだったろうか、もう忘れてしまった。どこかの海水浴場で浮き輪を借りて遊んでいた。もたれながら、カエル足にしてみたり、バタ足にしてみたりで、とりあえず海水浴場の限界のラインまで行った。そこで私は、浮き輪に尻を沈め、クルクルと回りながら和んでいた。煙草でも吸いたい気分だったが、沖なのでない。そんなとき、女性の声がした。

「Excuse me?」

 僕は振り返った。外人の女性が泳いでいる。次に彼女が言った。

「Can I borrow it?」

 と言って、僕の浮き輪を指さした。僕は迷った。『平泳ぎならいくらでも泳げるんだけれど、海だと自信がないなあ』・・・迷った挙げ句、「ここで溺れ死ぬならそれも天命」と考えて、

「O.K. Please.」

 と浮き輪を渡したのだが、僕の様子を見た彼女が、怪訝な顔で、

「Can you swim?」

 と聞いてきたので、私が、

「No」

 と言ったら、浮き輪を返してくれた。恋人らしい男がやって来て、事情を聞いている様子。彼女は爆笑している。私は、『(何の義理もないのに)命がけで(?)貸してあげるつもりだったのになあ』とボンヤリしていると。彼等は、

「O.K.・・・Thank you」

 と言ってどこかに行ってしまった。まあいいか。

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高校生にπを教えない?

 高校生に弧度法(πによって角度を長さで表す方法)を教えていないというので、驚いた。前の塾講時代もそうだったのだが、今でもそうなのだろうか?これでは、数学的な美しさというか、伸びるものも伸びなくなる。円というのは不思議なものなのだ(他にもあるけど)。

 πとは円周率のことで、直径のπ倍が円周になる。それが、3.1415・・・なのだ。無理数である。それを半径を使って角度を表したのが弧度法である。つまり原点から、半径が円周上を回る中で、180°いったらπとする(直径の半分なので)というような「角度の表し方」なのだ。・・・何故、弧度法が用いられるかというと、つじつまが合っているのだ。つまり、円の角度は何で360分割にしなければならないか、という理由はない。それに対して、弧度法は、半径に対する長さで決めるから、相対的に根拠がある。

 これだと、大学に行っても苦労するだろうなあ・・・と思っていたら、苦労しているのは大学なのである。昨日のネットのニュース欄を閲覧してみると、二次方程式が解ける大学生は全体の三割と書いてあった。「二次方程式の解の公式が証明できる学生」なら解る。・・・それにしても、余りにもひどいんじゃあないのか?

 二次方程式ぐらい解けないでどうする。ってことは、つまり、二次関数も書けないって事だろ?三次方程式とか、四次方程式とか、コツは「くねり」の部分にあるんだ。くねったり、くねらなかったり。・・・理系の大学生なら、基本的な微分方程式は解けて当たり前。偏微分方程式でもそうかな。・・・勉強に打ち込めるって素晴らしいし、幸せだと思うんだけどな・・・。

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僕等が失ったもの

 僕達、日本人は、戦後G.H.Q(アメリカ)によって憲法を主導され、戦前の日本の主要基地は、全てアメリカに抑えられという中でやって来た。文句を言う方もおられるかも知れないが、これは事実である。そんな中で、日本という国はどこに向かおうとしたのであろうか?

 多くの文章や話に耳を傾けるほどに、戦後の貧しい日本は、豊かになろうと努力したと伺える。この時点では、まだ良かったのかも知れない。私はアメリカの主たる文化とは「増長した物質文化と、パイオニア精神だと思っている」・・・一言では言い切れないが。

 やがて、日本は経済的に成熟した国となるが、全く文化がついてこなかった。皇族が女性週刊誌で捉えられ、地方のお寺は壊滅状態。・・・僕には「国家神道」の話をする気もないし、右も左もない。ただ、文化の最前提にあるのは「宗教」であり「道徳」だとは考えている。

 そういう意味でも、日本の宗教は聖徳太子の頃から「神仏習合」であった。私の祖父母の家にも仏壇と神棚はある。そういう伝統が、都市化の中で、失われていった。つまり、畏れ敬うべき対象がないままに僕等は育ったのだ。また、「道徳」としても、「武士道」のような恥の概念が崩れていった。これでは教育が目茶苦茶になっても仕方がない。

 アメリカ的な「物質文化」の中で、僕達は、「欲望」に流されるままに流され、いつしか、「(人間としての)誇り高き気高さ」を失った気がする。・・・現在の我々には、憲法を決めることはおろか、自分のアイデンティティさえ求められなくなったと、街で感じる。

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バルカン半島

 旧ユーゴスラビアのあったバルカン半島は、様々な民族が入り乱れ、過去の話かどうかは知らないが、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれた。実際に、第一次世界大戦の引き金になったのも、当時統治していたオーストリアの皇太子が、結婚か何かのパレードで、セルビア人の若者に暗殺されたことに寄る。

 現在、コソボでは人種の90%以上がコソボ人で、セルビアからの独立を求めている。お互いに対立したまま、どちらも譲らない姿勢のようだ。このバルカン半島の独立問題を扱った番組で、忘れられないものがある。

 やはり、NHK関連のドキュメンタリーだったと思うが、旧ユーゴの別の国の独立紛争で、ある、アドリア海に面した街の話をやっていた。今でも、こなごなな市街地の中で、復旧を目指している中、ガイドの人がリポーターを山の上の展望台に連れて行った。そこは、かつてはケーブルカーかロープウェイの駅だった様子である。ガイドの人が、「綺麗に街を眺められるでしょう?」と聞いたら、リポーターは「綺麗ですね」と言った。しかし、ガイドの人が、次に語った言葉を耳にしたとき、僕は辛くて耐えられなくなった。その人が言ったのは・・・

「ここはかつて街全体が見える夜景のスポットでした。たくさんの人が来ました。しかし、戦争が起きたとき、敵はここから砲撃を浴びせたのです。・・・今では誰も来なくなってしまいました」

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P.P.M.の思い出

 P.P.M.(Peter,Paul,&Mary)とは、もう、かなり前に、フォークソングを歌っていたアメリカのグループである。男二人と女性一人で、その名前の頭文字から「P.P.M.」と言われた。現在、手元にアルバムがない(枚数が多すぎて見付からない)ので、半ば当てずっぽうで書いてしまうことは、ご勘弁いただきたい。これも二十年以上前の記憶なのだ。

 私が中学の時の英語の教師は、やたらテープレコーダーを聞かせ、発音させた。批判的な意見もあったが、この時の経験は、洋楽を聴いたり、海外に行った時にとても為になった。・・・そんな中学時代のある晩、親父が寝室に来いという。TVが点けてあって、(たしか)NHK関連の放送局で、「P.P.M.」のコンサートをやっていた。私は年甲斐もなく、親父の布団に潜り込み、一緒に見ていた。親父はクラッシックとフォークぐらいしか聞いていない人である。ビートルズも知らなかった。そんな中で、「このグループは、若いときによく聞いていた」と懐かしそうな目をしていた。父の青春に少しだけ触れた気がした。

 もちろん私も興味を持つ。「父の日」だったか、誕生日だったか、貯めていた貯金で、まもなくベスト盤を買ってきた。すると父は、懐かしそうな顔をしながらも、一度聞いたきりで、「お前の英語の勉強のために使え」と言った。・・・そうなのだ。父は過去を振り返らない人なのだ。

 素敵な三人のハーモニーの中で、今でも覚えている曲は、反戦歌の「100miles」、デュランのカバーの「Browin' in the wind」、後は、魔法の竜の歌の「Puff」である。

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毛越寺YHでの思い出

 毛越寺YHが今年の三月一杯で閉館になるとのことで、思い出を綴ってみる。

 やはり、一度目の時のインパクトが強い。その旅では、北海道まで車で行ったのだが、もう、七、八年前のことだと思う。前の日に予約をしていて、次の日の夕方に着いた。その時いた坊さんと話し込んでしまい、夕食に遅れた覚えがある。冷えた夕食を食べながら、『坊主というのは、なるほど、話せる奴が多いな』と思っていた。食事を終え、食器を下げるのだが、食器を自分で洗うというルールだった。私は疲れもあって、適当に洗ってしまった。そうして、今度は、旅の途中の、文学好きな御夫妻と話していた。その日は夏休み前ということもあり、宿泊客は私たち三人だけだった。いろんな本の話で盛り上がっていたのだが、御夫妻は消灯前に就寝された。

 一人で酒を飲んで考え事をしていると、さっきの坊さんが少しだけ赤い顔をして来てくれた(どうやら般若湯をひっかけたらしい)。私が、「車の旅なのにシェイバーを持ってきてしまったんですよ」と言うと、「髭剃りを買えばいい」と言われ、「お金を節約したいんですが」と言うと、あっけらかんと、「じゃあ伸ばせばいい」と言われ、私は、思わず、「なるほど」と手を打った。そして、夏休みの他のYHの混み具合を聞いたら「空いてないぞ」と言う。「どうしましょうか?」と聞いたら、「車で来てるんなら、パワーのあるうちは車中泊だ」とおっしゃった。私が般若心経をコピーしてもらった坊さんとはこの方である。なにしろ面白い坊さんだった。

 そして翌朝、朝食を食べようとして、食器を取る時に気が付いた。昨晩、自分が手を抜いたがために食器が汚れている・・・なるほど、『因果応報』とはこういう事かと身を以て知った。そして悔い改め、真面目に洗ったのだった。『寺』恐るべし。

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平泉・毛越寺YH閉館と聞いて

 平泉で一番有名な寺は中尊寺だろう。しかし、通りから裏手に、もう一つ、毛越寺(もうつうじ)という大きな寺がある。時折、TVにも出てきていた。 毛越寺にはユースホステル(以下YH)があり、過去三度お世話になったことがある。ちょうど去年も、泊まった。そのYHが今年三月で、建物の老朽化により、閉館となると聞いて、現在少しショックを受けている。平泉が世界遺産になるかも知れないという中で、残念極まりない。坊さんと話をするのが好きな私には、貴重なYHだったし、建物の中の雰囲気も忘れられない。寺の入り口向かいにあった酒屋も懐かしい。

 平泉駅から国道を北にしばらく歩くと中尊寺がある。結構急な上り坂の途中に、いくつものお堂があり、いろいろな仏像などがある。そして一番奥が、有名な金色堂である。また、平泉と言えば、奥州藤原氏の栄華と、義経と弁慶の最期の地としても有名である。地元の方に聞くと、源頼朝の奥州征伐の際に、主立った建物は全て焼かれてしまったそうである。確かに線路の裏手は何もなかった記憶がある。ところで、国道から西側の中尊寺から、もう少し奥に入ったところに、毛越寺はある。中尊寺と異なり、広い池のある庭園や、長い歴史の中で唯一、焼失を免れた、立派な薬師如来の鎮座する薬師堂がある。その敷地の片隅に、YHはあった。フロント向かいのロビーで、いろんな旅の方と話した思い出がある。そして翌朝には早朝座禅を二度ほどやった。その後、朝食を採り、荷物をまとめて、翌日には花巻に向かうということが多かった。

 そんな中で、思い出深い事柄をいづれ書こうかと思う。

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如来と菩薩について

 『如来』と『菩薩』と言っても、単に仏教上での仏の位みたいなものである。『如来』が上で、『菩薩』はその次の位である。具体的には、『如来』とは「悟りきった仏」を指す。阿弥陀如来とか薬師如来とか釈迦如来とかいくつかある。それぞれに真言がある。真言とは、元々、サンスクリット語(梵語)で書かれた呪文のようなものを、日本語に音写したような形のものである。教典を調べてみても、ひらがなで書かれてある。例えば薬師如来の真言は「おん、ころころ、せんだり、まとうぎ、そわか」である。真言の最後には「そわか」が多いのだが、これは「そうありますように」というような締めの言葉である。お経などにも出てくる。

 真言が不思議なのは、呪文性が強く、唱えれば唱えるほど、いい流れを呼ぶような、不思議なところがあると、少なくとも、そう、私は思っている。

 一方で『菩薩』とは、簡単に言うと「如来を目指すもの」であり、観音菩薩(真言「おん、あろりきゃ、そわか」)などが有名である。日本では、いろいろな菩薩がいる中でも、特に観音菩薩への信仰が深い。また、(たしか)ある坊さんが、良寛和尚の話をするのに、「私は良寛菩薩と言いたい」と語っておられた。人間に菩薩を付けるのは、一瞬おかしな気がするが、その和尚は、「『菩薩』とは、『如来』(悟りきった仏)になろうとして、永遠に努力するもののことをいう」と語っておられた。私は、宮沢賢治もそんな中の一人だと思うし、そう考えている人も多い。・・・人間で、『菩薩』と称されて、違和感がない生き方をした人は限られている。

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疲れ

 「難しいものこそ、失敗を恐れずに取り組もう」という気持ちが強かったが、ちょっと今日は疲れている。いいアイデアも浮かばない。現在の所はご勘弁。

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詩心(曹植と実朝について)

 詩心というのはなんて辛いんだろう。詰まりきった気持ちのはけ口として歌にするという感じだ。苦悩の痕跡が伺われる。何年か前に、東大の(たしか文Ⅰ)の漢詩の問題で曹植が出ていた。いい問題だったが、解いてみた上で、切なさを感じると同時に、これは受験生には難しいだろうなと感じた。

 曹植とは『三国志』の中での大国である「魏」の国の王、曹操の何番か目の息子である。当然、長男が跡を継ぐという中で、『三国志』にも出てくる「七歩の詩」のエピソードが有名である。曹植の立場が伺えるが、多分、他の人が作った物であろう。それ程、出来が悪い。深い哀しみがないのだ。やがては権力闘争の中で、(助かるのだが)命すら危うい、という哀しみが薄い。

 同じように、葛藤した人が日本にもいる。鎌倉右大臣『源実朝』だ。鎌倉三代将軍であり、右大臣でもあった。北条家が暗躍する中で、実朝は自分の代で滅ぶことを覚悟していた。だから、亡命しようとしたり、ひたすら官位を求めた・・・「自分の代で家を高めておこう」の一心で。僕は実朝は余り研究していないから、代表的な歌を挙げる。

『大海の磯もとゞろに寄する波 われてくだけて裂けて散るかも』・・・実朝の風景を見る目は、常に死を意識し、「散ること」を意識していたのだろう。百人一首の歌などにはそんな感じはない。実際に実朝は鎌倉八幡宮の大銀杏の木に隠れた公暁に暗殺される。兄貴の息子にだ。その公暁もすぐに殺される。

 曹植にしろ、実朝にしろ、「死の宿命」の中で、歌に走り、見事なものを残した。とてもblogでは書ききれない。まとまっていない中で言いたいことは、時代こそ違えど、似た境遇の二人が、命の証として、秀歌を残したことである。歌心とは切ない。

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宮沢賢治が目指したもの

 昔、ある友人から、「自分を愛せない人は人を愛せない」と言われた。最初は意味が解らなかった。その頃の僕は、例えば、恋愛などの場合、相手の全てを受け入れる覚悟でも、自分の影の部分を相手に背負わせるのは罪なんじゃないかと感じていたからだ。・・・しばらくして気が付いたのだが、こんなにワガママなこともない。その頃には友人の言葉も何となく理解できていた。自分の影も見つめ、そして自分を愛し、その上でしか人間なんて人を愛せないということなのだ。何も恋愛に限らず、似たような概念で、福沢諭吉の「独立自尊」という概念は、人間が生きていく上で大切な教えだと思う。

 ちょっとニュアンスは異なるが、仏教でも似た様な概念がある。「自利利他」の概念である。「自利」とは小乗仏教の概念で、「まず自分を鍛え上げて一人前にする」というようなニュアンスである。「利他」とは大乗仏教の概念で、「他のものに対して功徳を施す」というようなニュアンスである。つまり、「自利利他」の概念とは、「まず、成熟した自分があった上で、初めて他のもののためになれる」といった感じである。実際に坊さんも修行してから、人のために動く。

 しかし、宮沢賢治は違った。有名な言葉だが、「世界全体が幸福にならなければ、個人の幸せはあり得ない」と残している。これはつまり、「利他」があって初めて「自利」が成り立つという意味と変わらない。「自利利他」の概念と正反対だ。熱心な仏教徒であった宮沢賢治が間違えるはずがない。

 僕は最初、当時の貧しい岩手の農村をイメージして、「お金」のことを言っているのかとも思った。それもあるだろう。しかし、妹トシの夭折も含めて、苦しんだ宮沢賢治の、もっと深い考察からの、「仏の慈愛や慈悲のあるべき姿」を指しているような気がしてならない。つまり、宮沢賢治が目指したものは『如来』なのだろう。そんな宮沢賢治を『菩薩』と呼ぶ意見に、私は賛成です。

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師の間違いを指摘すべきか?

 中学一年の時の国語の教師は、授業で、よく、主な故事成語の由来を名調子(?)で語ってくれていた。全部は覚えてはいないが、おもしろおかしく教えてくれた記憶はある。由来から教わったので、二十年以上経ってもニュアンスを大体覚えている。例えば、日本語でよく使われる「皮肉」なども、馬にまたがる男の話で、れっきとした故事成語なのだ。また、横のつながりのようなものもあった。「科挙」→「圧巻」→「一炊の夢」という感じで(「科挙」は故事成語ではないが)。・・・当然、私が知っているものはごく一部だが、現在でも、忘れたものや、知らないものの由来を、本で読んでみるだけでも楽しい。必ずそこにはドラマがあり、物語があるのだ。さながら、中国の超短編と言ったところか。

 そんな国語の授業の中で、『泣いて馬謖を斬る』という故事成語についての解説があった。これの由来は『三国志』である。先生の説明では、「中国が『魏・呉・蜀』の三国に分かれていた時代に、蜀の国の丞相『諸葛亮』が、自分の存命中に魏の国の長安を落とそうと何度も征伐に出る。その何度目かで、人材の少なかった蜀の国では、『諸葛亮』が、若いけれど、才気を見込んでいた『馬謖』を前線の司令官にする。『馬謖』は若気のいたりか、命令違反をする。戦争には勝ったのだが(?)、軍紀を乱した『馬謖』に、丞相の『諸葛亮』が泣くなく死罪を命じ、自らも位を丞相からいくつか落とした」という話であった。

 みんなが黙っている中、既に吉川英治の『三国志』を読んでいた私は、『おかしいぞ。あの戦争は、馬謖が勝手に山の上に陣を取って、敵に補給路を断たれて負けたはずだ』と思った。それを言うべきか、言わざるべきか、子供心に迷った。・・・結局、黙っていたのだが、その時はそれでよかったと僕は思っている。間違いを指摘すべき場合と、そうでない場合というのは案外判断が難しい。しかし、この場合は指摘するべきではないだろう。誰にだって記憶違いはある。危うく師の顔に泥を塗るところだった。

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「運慶」のいる風景

 運慶とは鎌倉時代の仏師である。京都、奈良、鎌倉、その他、全国各地に師の仏像はある。有名なのは東大寺南大門の「阿吽」の仁王像の寄せ木造りや、三十三間堂の木造群であるが、私が旅で訪れた寺の中に、いくつもの師の彫刻が眠っていた。私は発見する度に、息を呑み、深い感動に包まれた。平安時代までの仏像に比べて、はっきり言って、『別格』なのである。歌舞伎のカタみたいに、師の仏像にはインパクトがあり、それまでの無機的な仏像とは異なり、全体のバランスも表情も異なり、見ている人を虜にする。鎌倉彫などというのも、そんなとこから出てきたのかも知れない。

 仏像を見るのが好きな私も、よくぞ、あの時代に、不世出の天才仏師が出てきたと思う。何を参考にしたかは解らない。それくらい、それまでの既成概念と異なるのである。・・・去年、遠野を旅したときに、円空という仏師の仏像が七体有り、円空信仰が盛んな地だと聞いた。私は一体でも見たいと探した末に、その時期には見られないことを聞いてがっかりした。円空仏師は梅原猛氏の話によると、元々、木の中にある仏像を掘り出しただけのような仏師との話で、ユニークな仏像が多い。・・・私は、運慶も間違いなくその境地にいたと考える。でなければ、あれ程の仏像革命を起こせるはずがない。しかも仕事の手も早い。じゃなければ、あれほどの数は残せない。跡継ぎを息子ではなく、弟子の快慶にしたところも職人らしい。

 私が知りたいのは、運慶の思想である。探してみればあるかも知れないが、仏教に対してどのような思想を持って彫っていたのかを知りたい。仏師と坊主の違い・・・難しいところでもある。

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アイスホッケー その9

 わずかな眠りの後、自室に戻った。時間だったので、みんなを起こした。仲良くしてた奴などは、夕べ抱きついちゃったよ」と笑う。いいから来いと言って上段の間に連れて行った。

 そこでは、締めの会が催されていた。僕はそいつと足を伸ばしてぼんやり座っていた。眩しすぎる日光を遮るように、人影が映った。眼が合った。笑っていた。『あの娘』だった。追いかけようか一瞬ひるんだ。相棒は寝ている。

 部屋に戻り、布団と荷物を整え、移動して、フロントの前の席に座った。灰皿があったので。僕は煙草をふかしながら、相棒と盛り上がっていた。・・・段々人混みが増えてくる。気にせずに相棒と話していた。すると、やけにうるさい女の声が耳につく。何だ?」と思ったら『その娘』だった。彼女はわざと騒がしくしていた。僕のちょうど目の前で、女友達と上品に騒いでいた。・・・僕は見とれた。相棒が何を言っても、そうか」で通した。

 相棒がそろそろ行こう」と言っても僕は見とれていた。と、いうより立てなかった。彼女の頬は紅がかっていて、僕も本気で受け止めた。・・・しがらみの中で、どうすればよかったのだろう?まもなく送迎バスが来て、彼女は僕の前を通って立ち去った。流し目のまま。

 そうして僕達は、お互いの空間を消し、時間が経つ中ですれ違っていった。

僕は、今でも時々、君のことを思い出すことがあるよ。

淡く儚い思い出としてね。

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アイスホッケー その8

 醒めた女の子達を笑わすために私はギャグを飛ばした。

「おまえだったのか」と言ったら、爆笑。そして、「馬鹿野郎。モノポリーじゃねえんだから、買い占めなんてするんじゃねえ。せめて1本は残しておけ」でまた爆笑。

 空気も良くなり、居心地も良くなったところで、また一服。観察してみると、友達が思いを寄せている娘はいたけれど『あの娘』はいない。おまえらの祝勝会につきあえるわけないだろ」という思いの中、「おい、グラス持って行くぞ」と言って部屋を出た。

 友人の部屋に戻り、グラスを並べて、事情を説明した。一人が混ざりたい」と言う中、友人はコタツの中で、そいつの足をけっ飛ばした。そして、初体験の話になった。いろんな面白い話の中、私の番が回ってきた。私は「中・高、男子校だったし、ない。でも好きな娘はいる」と言って、主としてクラ友に語った。するとそいつは、「今から電話するしかねーだろ」・・・「馬鹿野郎、今何時だと思ってんだ、ぶち壊さないでくれ」と言った。僕の表情を見て、友人は・・・「だって、おまえ電話しねーだろ」みたいな野暮なことは言わなかった。認めてくれた。僕が真剣に悩んでいたことを。・・・そんな中、杯も進むうちに男四人が歌い出す(三人かな・・・?)。

 朝まで歌っていた記憶がある。バカバカしい歌をバカバカしく(笑)。

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アイスホッケー その7

 その晩は何か芸を披露する会だった。とてもじゃないが行く気にはなれない。何故かビールが売り切れの自動販売機を尻目に日本酒を買って、一年の男友達の男部屋に行く。・・・まもなく寝る。・・・・・・あ~~お前だと思った・・・クラ友が戻る。日本酒を携えて、まあまあ」と言って注ごうとしてもグラスがない。部屋から持ってくる」と言って私は裸足で戻った。

 部屋に戻ると異常にスリッパが多い。何なんだよと思って襖を開けると、男女が二十人以上いた。『は?』と思ったら、友人の恋人とかがいる」と認識し、襖を開けた瞬間にビールがこぼれた娘がいる。「大丈夫かい?ごめんね」「ちょっと失礼」などと言いながら、奥の間で自分の寝間着に着替える。そうして煙草を吸い、様子を見る。すると、同部屋のホッケーでライバルチームだった奴が、

「おまえ、ビール飲みたくねえか?」

と言う。ああ」と言うと、売って無かっただろ」と言う。

「俺が買い占めたからだ」

 と言う。こんな馬鹿がいていいのかと思ったのだが、部屋の女の子達は醒めている。

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アイスホッケーその6

 パックは前にある!リバウンドだ!絶対相手に取られちゃいけない。足がどう動いたかは解らない。ただ、跳んだのは事実である(相手のスティックが邪魔だったから)。その後、『自分で決める』という炎が燃え上がっていた中、動かない足で、咄嗟に片手でドリブルした。結果的にそれは、身方へのパスとなったのだが、その時も鬼の目をしていた。

 緊迫したゲームの中、僕は自分の体が壊れることを覚悟した。あの責任を取れるなら、一生、不便な思いをしてもいいと思った。腰を叩きながら滑った。『ぶっこわれてもいい』とも思った・・・ガキのくせに生意気だろうが、自分が許せなかったし、何より悔しかったのだ。

 ・・・守られる中でピリオドが鳴る。僕は初めて腰をおこし、マスクを取り、並んだ。並んでいる時、肩で息をしているのは僕だけだった。視線は下だったが、顔は意地で上を向いた。

 休憩席でも、僕は死んでいた。僕のせいで負けたという気持ちが捨てられなかった。ただ、黙っていたが、ポソリと「勝ちたかったよな・・・」という奴がいて、僕は耐えきれなくなった。外の誰もいない所で泣きたくなったのだ。先輩に行かせてください」と言っても許してもらえなかった。この理由はよく解らないのだが、説得された。

 コートぐるみで肩を落としている僕に、高校時代の友人が手を貸してくれた。・・・そして、うちの体育会と地元の高校の試合を見ていた。先輩はDFだったが一度もベンチに戻ってこなかった。監督から「大丈夫か」と声が掛かっても「大丈夫です」と言っていた。大丈夫なわけないだろ。・・・先輩は私に、先輩なりの意地を見せてくれたのだ。

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アイスホッケーその5

 自陣のゴールが決まった後、私はしばらく立てなかった。責任の重さもあったが、単純に、この時間帯での得点をかみしめていた。少しの深呼吸の後、ナヨナヨではいけないだろうと、スケ-ト張りのバク転のようなものを決めた(いえ、たいしたことないっす)。笛が鳴る中、僕は『あの娘』の方を見上げた。そうして・・・そうして、俯きながら覚悟を決めた。

 僕の中で聞こえる・・・「おまえは二着で良かったと思っていたんじゃないのか?」「お前のチームはいつも二位だったからなあ」「今回だってそういう仕組みなんだろうなあ」・・・僕の眼は鬼の眼になった。

 GK(ゴールキーパー)以外が全員上がるというギャンブルに出た。数で劣る分、そうせざるを得なかった。そうなると、うちのチームは圧倒的に押す、押しまくる。僕は綻びだけを気をつけていた。そうでない限り押す。相手は守りに入っている。なかなか点が入らない。

 ふとカウンターを食らった。私はこの時のために備えていた。どうやったら早く滑れるか?スティックををたたみ、腰を落として、スピードスケートの様に滑る。追いついた・・・追い越した。でも、俺よりでかい相手は、二人がかりでシュートに来る。でも、ここで取られたらおわっちまう。俺は気合いで止まり、瞬間的に相手の運動量を考えた。スティックも一番深いところを右手が握っていた。『当たることなど恐くない』・・・次の瞬間驚いた。(つづく)

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アイスホッケーその4

 試合の合間に体育会の上手い奴が寄ってきた。お前、いい位置にいる」ああ」といって別れた。はっきり言って、自分は、試合中の怪我のことなど考えなかった。パックなどは全然恐くなかったし、わざとぶつけられても、技術がない分、気合いでカバーしようと思っていた。

 400mの屋外リンクでタイムを取ったときも、私は真面目に滑らなかった。みんな途中でこけていた(笑)。でも、1着の奴はスカウトされていた。それが悔しかった。必ず優勝したかった。

 そういえば、僕は朝食にはいても、朝練にはいない奴だった。誰かに代返を頼んでいた。早朝トレーニングが嫌なのではなく、体中、痣まみれになっていたのだった。

 勝ち抜いて、決勝戦まで行ったとき、僕は勝てるか不安だった。でも、それまで一回も負けてはいなかった誇りがあった。決勝戦もたしか9対11ぐらいだった。でも勝てると思った。

 前半はノーゴール。後半、GKが指示しするにもも関わらず、僕は夢中になっていた。浮いたパックをクリアしたつもりが敵へのパスになっていた。・・・気が付いたら僕は、体ごと飛び込んでいたでれど、パックはゴールに突き刺さった。

 残り時間は少ない。何とか、たたき込まないと

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アイスホッケー その3

 ホッケーの試合の合間に女子チームとのおめあわせのようなものが企画された。体育会の先輩達の思いやりだった。そうして我々のチームは、次ぎに会う女子チームのホッケーを観に行った。・・・誰も動かない。パチンコホッケーだ。それでも同僚達は声を送る。『現金なものだな』と、戦友を見て笑っていた。

 その後、フルーツバスケットのようなものが二回行われた。一組目はいろいろと友人関係の、因縁のあるチームであったが、緊張はしなかった(もちろん魅力的な女の子はいたけれど)。問題は二組目だった。自己紹介から始まったのだが(当時は女の子と話せなかった)私としては辛い。しかも、食事の時の『あの娘』もいる。私は自己紹介が苦手な旨を伝えたが、納得してもらえなかった。逆に、好きなタイプは?」とか聞かれるのだが、クラコンの女の子、食事の時の女の子含めて、言えない。真っ赤な顔をして黙っている僕を、しかたがねえな」扱いで許してもらった。悔しいし、情けないし、他のみんなにも迷惑を掛けてしまった・・・屈辱以外の何物でもなかった。もう、僕も疲れ切っていたのだ。

 しかし、アイスホッケーは負けない。さっき加え忘れたが、いいゴーリー(GK)も我がチームにはいたのだ。面白い奴だったが、試合になると真剣。体を張って止めてくれた。僕のミスを何度もカバーしてくれた。そんな中で、我々のチームは、引き分けはあっても負けなし。勝率10割で、シード1位でトーナメントに駒を進めた。女子にはトーナメント戦はない。

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アイスホッケー その2

 ホッケー靴に慣れても、体育会の人は何も強制しなかった。好きなようにやらしてくれた。私のチームには体育会で一番優秀な奴とヘボな一年生が加わった、私は性格的にDMFなのだが、もう一人OMFで上手い奴がいた。前はそいつ、中は体育会の奴、後ろは俺、という風にメインの配置が決まった。こういうチームは強い。途中で何人も怪我人が出たが、8対11でも勝っていた。

 私は全体を見る。パックがどこにあり、この群れが今後、どういう動きをするかまで読んでいた。DFとしてはそれで合格点なのだ。

 一方である、夕飯だった(と思う)。メニューは忘れたが、僕が『いいな』と思っていた女の子が、いきなり僕の前に座っていた。・・・驚いた。今だったら気の利いたことも言えるんだろう。当時は食べるのでやっとだった。何も話しかけられなかった。腹立たしそうな、不満そうな顔が今でも浮かぶ・・・今の僕なら軽く流すのにねえ。・・・その時の僕には出来なかったんだ。よく考えてみると、彼女の方が冒険している・・・誰のために?・・・僕のために?・・・こんな僕のために?・・・彼女は僕のどこに魅力を感じたんだろう?・・・でもその後見放される。当たり前だ、勇気を持って、女の子が「沈黙の告白」をしてくれたのに、俺は解らなかったんだから。全然駄目だ。情けなさ過ぎる。

 でもね、クラスに一人残していたし、俺の神経は壊れつつあったし、どうすればいいか僕には解らなかった。

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アイスホッケー その1

 1年後、書けるか解らないので書いておく。

 15年前の今頃、僕は軽井沢にいた。選択科目のアイスホッケーをやるためだった。その前の日は複雑な気持ちの中で、当時のクラスのコンパに参加し、終電だった。・・・僕は誰が悪いとも知れぬ悪循環の中で疲れ切っていた。寝不足で始発に乗り、軽井沢に着いたのだ。

 着いてみて、後で知らされたことだが、学部もクラスもサークルもバラバラな部屋割りにしていたらしい。僕は昼飯代わりにまんじゅうを買っていたので、それでみんなに挨拶していた。本当に知らない奴だらけだったのだ。そんな中でも気の合う奴が見付かり、彼と僕は、科目外の行動を共にしていた。卒業名簿に載っていなかったから心配でもある.。

 女に悩み、女に嫌気がさした中でのこの旅でも、やはり女が主役だった。最初の駅からの送迎バスでも、観た瞬間、ある女に見とれたが、全くの無視。独り苦笑いする。・・・それって間違っているのだろうか?裏切れない思いも強い中、僕にはよく解らなかった。

 リンクに連れて行かれ、ホッケー靴を履く。まず間違いなくみんなコケる。普通のスケート靴みたいに前に抵抗のギザギザがないのだ。コケまくったが、コツは逆ハの字で、横に滑っていくことなのである。片方を基本軸に、もう片方を滑らせていくことの積み重ねなのだ。

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ドラゴンボールと北斗の拳

 大学一年の時だったと思う。当時まだ連載されていた「ドラゴンボール」を読むために、僕は友人からジャンプを借りた(大学にジャンプを持ってくる奴もどうかと思うが)。読んでみると、主人公の悟空が一番遅く着く設定で、皆、頭の上に死んだ印のワッカを乗っけていた。

 それだけ読んだ私は、すかさず言った。「何でこいつら、死んだ後まで修行しているんだ。俺だったら、せめて、死んだ後ぐらいはゆっくりしたいぞ」と。周りのみんなも笑った。

 ・・・それから何年かが過ぎた頃、ある塾の塾講師室での余談のこと、私が「ビシ!、バシ!、ドカ!・・・飲茶が死んだ。これがドラゴンボールの全てだ」と話した。みんな爆笑して話が盛り上がり過ぎてしまい、北斗の拳の話になった。私は、「たしか、『蒙古覇極道』とか言って、肩からつっこむオッさんいたよな」と言うと、みんな「いたいた」という話になり、私が「あいつはどうやって技を極めたんだろう?・・・テッポウ柱か?」みたいな話をすると、みんな爆笑しながら、誰かが「こんな感じですかね」と柱に笑いながら肩をぶつける。「それって修行なのか?」と言ったら、また爆笑。・・・その敵は、主人公のケンシロウに、片手でその技を止められてしまい、秘孔を突かれて、死ぬ。

 余り馬鹿話も言ってられない。当時の私は、生徒に、「試験の時には界王拳五倍を使ってくれよな」とか言って励ましていた。ドラゴンボールが好きな生徒は笑っていた。

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A級

 今期の将棋のA級順位戦が、残り一局となり、また、「将棋界で一番長い日」を迎えようとしている。ここでは残留、挑戦を争って、棋士が死にものぐるいになる。新聞将棋だけを観ていると、羽生二冠が強さに円熟味を混ぜた気がする。どんな場合でも、その場で対処している感じだ。研究が盛んな現代将棋界において、これは、本当に強いことを意味している。私はほぼ、挑戦者は決まった感がするのだが・・・最終戦は谷川九段とか・・・まだまだ解らない。

 確かに将棋にはいろんなタイトル戦がある。主たるものは七つだ。しかし、名人への挑戦権を賭けた順位戦というのは、棋士の番付表だし、挑戦権はA級の十人の中で勝ち残った者にしか与えられない。将棋界は上からA、B1、B2、C1、C2、他に順位戦を戦わないフリークラスというのがある。人数的にもピラミッド構造なのだ。年に一度だけ勝敗で入れ替える。相撲と同じで白と黒の世界である。下の方では、全勝しないと上がれない例が多い。一つ勝てば、誰かが一つ負ける。男ならこんな世界に生きてみたいと、一度は思うが、生半可な気持ちでは出来ない。滅ぶだけだ。

 何かの棋戦に絞っている棋士もいる。それは別にかまわない。しかし、あくまでも、順位戦が番付なのだ。今は余り聞かれないが、「A級を落ちたら引退だ」と言う棋士も多かった。・・・それだけモチベーションを維持するのが困難なのと共に、覚悟があったと思う。それは棋士として、名人に挑戦できる立場でないと意味がない」ということでもあろう。

 強い奴は必ず『A』に上がってくる。男同士の人生を賭けての修羅場に・・・

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鯛の絵を骨から描く子供

 私は絵を観るのも好きだが、描くのも好きである(最も、最近は暇と機会がないが・・・)。高校で、「書道」「音楽」「美術」から選択するときも、迷わず「美術」を選んだ。中学の頃から美術の先生にはかわいがられていた。私の描く絵が、何故か気に入った様子であった。そんな中でも、風景画が特に好きだった。コンクールに出品するぞ」と言われたこともあった。ただし、デッサンは余り上手くないな」とも言われた。

 物心が着くか着かないかの頃、私は、両親から与えられたクレヨンで、いろんな絵を描いていたらしい。私には余り記憶がないのだが、両親がビックリした絵があったらしい。何でも、鯛の絵を描くのに、まず骨を描いて、身を描いて、そうしてから赤く塗ったらしいのだ。そういえば、たしか骨は黒で描いた。重ねて塗れるのもクレヨンの強みだろう。・・・というより、この経緯は、私の性格を物語っているのかも知れない。しばらく居間の壁に貼っておいたそうだ。

 まもなく幼稚園に入ると、両親は私に絵を習わせた。やっぱりクレヨンなのだが、いろんなものを描いたらしい(記憶があまりない)。幼稚園の先生がテーマを与え、後は、子供の好きなように描かせる。私は、先生が「好きな乗り物を描きなさい」というとき、「観覧車」を描いたらしい。「一番好きなものを描きなさい」というとき、「親父の顔」を描いたらしい。両方とも、今は無いし、記憶にないのだが、いつも迎えに来てくれていた母親は、「褒められたことしかない」と言っていた。

 そんなこんな言っても、もう、何年も絵を描いていない。「昔取った杵柄」も、今では通用しないだろう。離れすぎた。せめて文章に還元できるといいのだが。

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名画盗難について

 今朝、NHKのニュースで、また、名画が盗難されたと聞いた。『またか』と思う中、先程までネットで調べていた。場所はスイス・チューリヒの「ビューレル美術館」という印象派のコレクションで名高い所らしい。盗まれたのは、セザンヌ、ゴッホ、ドガ、モネの四点で、被害金額は175億円相当とのこと。・・・金額の問題ではないのだが。

 よっぽどのことがない限り、これらの絵は、相当長い間、出てこないだろう。ブラック・マーケットをさまようか、誰かの私利私欲のために埋もれてしまうのではないか。絵をこよなく愛す私には、許し難い。何か漫画の「ギャラリーフェイク」を思い出す。

 盗難で思い出すのは、モネの「印象・日の出」である。あれは確かルーブルだったと記憶しているが、もう数十年出てきていない。実はこの絵は私が一番好きな絵なのだ。朝霧の中での朝日の色遣いが、なめらかで、やわらかくて、忘れられない。

 好きな西洋画家は、モネ、レンブラント、セザンヌ、モディリアーニ、ロートレック・・・きりがない。嫌いな画家は黙っておくが、よく考えると、日本画家には、あまり詳しくない自分を知る。よく解らないのが、ピカソである。「ゲルニカ」も実物を見たが、眼鏡を掛けていなかった。ゴッホの自画像も、ガキの頃は気味が悪かったが、最近は『何か』に対する執念というか、怨念を感じる。でも、ゴッホが好きだった黄色は、実は私が一番嫌いな色でもある(だからといって、ゴッホが嫌いなわけではないのだが)。

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『つむぎ』

 ちょっと醒めた君

僕は

冷える手を握っていた

そして

君の笑顔を引きずり出そうとした

 いやらしく醜く過ごす俺

どうか貴女だけは美しくいて

 ちょっと酔った僕

君は

温かい声でたしなめていた

そして

僕の力を引きずり出そうとしてくれた

 時折、

何でこんな想いになるのかと思うよ

人を愛するっていうのは

いったい

どういうことなんだろうな・・・

 俺には何が出来るんだろう?

君はどう思う?

 けれど

俺には

捨ててしまったことが多いし

忘れたことも多すぎる

 俺達は何のために

いったい

何のために努力しているんだろうな?

 人はただ

バラバラになりそうな想いを

ただ

 ただ

つむいでいる

 つむいではゆき

つないではゆき

それだけに全てを賭ける

 きっと

二人は

『何か』

をつむぐことによってしか

強くはなれないんじゃあないのか?

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中村屋のおばあちゃん その2

 親父が、インベーダーゲームをやってはいけない」と言うのにも理由があった。無機的だし、それを取り巻く環境に巻き込まれることを危惧していたのだ。しかし、上手い人がやるのを、僕達兄弟はよく眺めていた。そんなある日、誰もいないことがあった。・・・やるなと言われればやってみたくなる。小学生の僕は、百円玉を入れてみたが、親父との約束を破った申し訳なさから、すぐに終わらせた。その度に『デーデデデ、デーデ、デーデデデデ』というショパンの「葬送行進曲」のサビが鳴っていた。弟にからかわれたが、わざと終わらせたのだ。

 そうして時代は、家庭用のTVゲーム機の時代を迎え出す。中村屋は改装して、裏をゲームセンターにしていた。・・・そんな中で親父が動く。X'masプレゼントにゲーム機を買ってくれたのだ。その日は家族みんなで盛り上がった記憶がある。親父は悪い仲間と付き合わせたくなかったのだ。私たち兄弟は、まもなく塾や習い事で忙しくなる中、ゲームを忘れてゆく。

 小学校も高学年になり、受験を控えた頃、ゲームも好きなTVも見られないくらい、毎日塾に通っていた時、あるニュースを聞いた。・・・近くの学校のPTAが、教育上良くないからと、中村屋のおばあちゃんに因縁を付けたのだ。この時、中村屋のおばあちゃんは、涙混じりで、平身低頭、「私たちはあれで食べていますから」と土下座したらしい。

 この歳になると、気持ちが痛いほどに解る。確かに悪い噂はあったが、一番の責任は親にあるんじゃないのか?老人をそこまで追い込む事に腹が立ったし、納得がいかない。それ以上攻めなかったと聞いたので、黙っていたが、おばあちゃんだってやりたくてやったわけではないのだ。・・・それを、寄ってたかって痛みつけるな。卑怯だ。

 おばあちゃんが、もし黄泉の人なら、お墓参りをしたい。

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中村屋のおばあちゃん その1

 「中村屋のおばあちゃん」と言っても、有名な中村屋とは関係がない。多分名字が中村というのだろう。僕が小学生の頃の近所のお店のおばあちゃんで、思いやりのある方だった。今は店もなくなってしまったし、おばあちゃんがご存命かも解らない。

 当時の店の前には、ガチャガチャや、いろんな子供向けのゲームが置いてあった。インベーダーゲームもあったと思う。僕と弟は、よくお遣いに行って、ついでに、ガチャガチャをやったりしていた。ただし、親父との約束で、インベーダーゲームには手を出さないということになっていた。僕達兄弟はそれを守っていた。

 今でも思い出すのだが、母から麦茶を一袋買ってきて」と言われ、お店に行くと、おばあちゃんがいた。お金を払っての家路の途中、(雨の日だったのだが)何を考えたか僕は、麦茶のパックを、傘の上に乗せてみてしまった・・・まもなく落っこちて、袋の中の麦茶がはじける。・・・僕には母の怒る顔が想像できて、しばらく止まっていた。そして、おばあちゃんに相談しようと思って、残りの麦茶の袋を持っていった。・・・すると、おばあちゃんは、「それは私達が飲むから、新しいのを持って行きなさい」と言って、笑って新しいのをくれた。・・・僕は自分が情けなかった。そんなつもりではなかったのに・・・御好意に甘えて、今度は大事に大事に、家に持って帰った。何か嘘をついたみたいな気持ちで辛かった。

 今、会えるなら、本当のことを言って、肩でも揉んであげたいのだが、生きておられるかさえ解らないのが辛い。

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グレイハウンドバスの思い出 その3

 ・・・君が読んでいてくれるなら、今日は小説はいいや。休む(これも必要な行為なのだ)。

 当時のグレイハウンドのバスの運転手さんは定年を迎えた、退役軍人の方などが多かった。ロッキー山脈を越える頃だったと記憶しているが、その運転手さんは新米で、まだ先輩の運転手が乗っていた。その日、私は珍しく昼のバスに乗っていた。ロッキー山脈を見たかったのである。道路というのは一番易い所に作るせいかもしれないがイマイチだった。

 そうして、ブレイクとなった。すると運転手さんが話しかけてくる。「日本から来たんだろ?俺も日本にいたからなあ」と優しい眼で聞いてくる。僕が「何処におられたんですか?」と聞いたら、「沖縄だよ」と言った。・・・多分この時僕は複雑な表情をしてしまったのだろう。運転手さんは、「俺のあだ名がわかるかい?」と聞いてきた。「ヒントは動物だよ」とも言っていた。しかし、外したときの失礼を考えて、私は「解りません」と応えた。すると、「ラビットだよ」と笑って教えてくれた。確かに少し出っ歯で耳が大きくて、優しい眼をした方だった。私は眼で応えた。・・・そして皆が昼食を採る中、「行こう」と誘ってくれ、「この店のバーガーはNo.6が旨いんだ」とも教えてくれた。実際に注文してみると、本当においしい。その後何度も食べた。

 日本にあるハンバーガーショップでも、アメリカ並みにおいしいハンバーガーが食べられるところは少ない。アメリカのバーガー屋はコーラをおかわり自由でバケツみたいな器で出すところもある。カルチャーショックだ。・・・アメリカにはオリジナルの料理がない(せいぜい七面鳥)と思う中で、この国ほどハンバーガーがおいしい国もないと思った次第である。

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グレイハウンドバスの思い出 その2

 後ろから肩を叩いてきた、高校生ぐらいの白人はヨーロッパ(何処の国だか忘れた)から来た」と言った。そうして、「この国に来てろくなことがない。荷物は盗まれるし、最低だよ」みたいなことを言った。私は『(アメリカ人がたくさん乗っているバスの中で)こんなことを言うこいつは馬鹿だな』と思ったし、大体、旅先での荷物の管理は自己責任である。「そうか」とだけ言って、当時のテープ式のウオークマンをまた聞いていた。

 すると暫くして、また後ろから指でつつく。イヤホンを取り、振り返ると、「君はオウムシックにならないのかい?」と聞いてきた。最初、私は、当時の日本を震撼させた「オウム真理教」を思い浮かべた。『こいつは、俺がオウムの信者だと思っているのか?』と一瞬考えたが、そいつが何度も、「オウムシック」と言うので、ひらめいた。・・・そういえば昔、ヨーロッパのいくつかの国では、「ハヒフヘホ」の発音が下品だとして、「H」を発音しない国があると聞いたことがある。そうか、こいつは「Don't you feel homesick?」 つまり、「ホームシックにはならないのかい?」と聞いていることを飲み込んだ。私も孤独で寂しい思いは何回もしていたが、成田で飛行機に乗ったときに覚悟を決めていた。だから、「ならない」と強気で通した。そして、こんなアマちゃんじゃあ駄目だと、覚悟を引き締め直した。そして、窓に映る自分の顔を見つめた。音楽はバラードになっていた。

 すると、今度は右後ろからつつく感触がある。振り返ると、さっきの『Hotel Carlifornia』の白人だ。「俺、アラスカに行ってきたんだ」と言って、鞄から一枚の絵はがきを出して、僕の方に差し出してくれた。手にとってよく観ると、ほぼヌードに近い女性の背中が、氷の壁と一緒に映っていた。私が「ワァオ」と言って喜んだら、「あげるよ」と言ってくれた。お礼を言ってはしゃいだのだが、多分、彼はこの会話を聞いていたのだと思う。・・・祖国を誇りにしない人間など数少ないのだ。

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グレイハウンドバスの思い出 その1

 アメリカを旅したときに、僕はグレイハウンドのバスを利用した。西海岸から東海岸まで行ったので、何度も乗り継ぎをした。宿代を浮かすために、夜行バスを多用した。そんな中で、何処の区間だったが解らないが、バスでインパクトがあったことについて触れようと思う。

 バスで長距離移動すると言っても、約一時間半に一回くらいは、日本で言うP.Aのようなところで、十五分くらいブレイクをとる。そこにはハンバーガーショップやレストルームもある。トイレを済ませた私は、夕食は既に採っていたので、ぼんやり煙草をふかしていた。すると黒人の女性が大きな箱を持っていた。私は何気なく「それは何ですか?」と聞いたら、彼女は笑いながら、「ポップコーンよ」と言って、あなたも食べなさいと、たくさん分けてくれた。・・・そんなつもりで聞いたのではなかったのだが、嬉しかった。すると、若い白人の男性が近づいてきて、「日本人だろ?俺も日本に行ったことがあるぜ」と言うので、「何処へ?」と聞いたら、「大阪だ」と言ってHotelの名刺を見せてくれた。そこには、『Hotel California』と書かれてあった。私は間違いなくラブホテルだろうと確信し、いけない遊びでもやったんだろうな」と思ったが、「It's a song.」と言って、お互いに爆笑した。

 ブレイクが終わり、みんなバスに乗り込む。私は安全のために、運転手の真後ろに座っていた。すると後ろの席から、僕の肩を叩く奴がいる。「誰だ?と思い振り向くと」眼鏡を掛けた若い白人の、まだ高校生くらいの奴だった。(つづく)             

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仕事明け

 仕事明けというのは誰でもピリピリしている。そんなの当たり前だ。気のきいたblogを書く気はない。疲れ切っている。

 自分が己の全身全霊をかけてやる仕事というのは、隙が許されない。張り詰めた気持ちを維持できるのも、現在の私の場合、六時間が限度だ。

元々、友人達との約束で、blogを続ける約束を守ったのに、今は、それに小説を上乗せしている。私の場合、blogから入る。面白いかどうかは読者が決めることと、余り気にはしないが、やはり多少は気になる。ヒット数が異常に多いものなどは、逆に恐くなる。そういうときは、逆に堅いネタを入れる。普段、私が話していることを何かに撮って、この際、自動入力してもらいたい。馬鹿ネタはいくらでもあるのだ。しゃべりには自信がある(嘘です)。

 これは、blogを続けてみて解ったことなのだが、真面目なネタは時々拾われるが、爆発しない。しかし爆発を狙って書いたら、blogの趣旨がよく解らなくなる。大ヒットの秘密も何となく解ってきたが、私は迎合しないと思う。・・・食うのに困ったら解らないが。

 一方で、仕事の小説の方も疲れてきた。恋愛シーンで、『何で俺が恋愛もしていないのにこいつらを描くんだよ!』とも思うが、昔の因果か・・・。また誓うが、「私は一回もお持ち帰りはしていません」・・・でも、感情とかは解ることがたまにあった。

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減量をしながら

 減量をしながらも、時々はカロリーが低い食事を取る。そうしないとやってゆけない。正月から10Kg 落としたが、ややスローペースモードに入ってきた感じだ。・・・多分ここからが、きついんだろう。運動も必要だとは感じてはいるが、そのパワーがない。私は睡眠時間が異常に長い方なのだが、その代わり、起きているときは、いつも頭は、レッドゾーンである。そんな中、ここ数日、起きたときに頭が働かない事が起きた。炭水化物を取らなさすぎた。おにぎりを食べる。・・・最近、起きてから、今日は(食べなくても)大丈夫か、そうでないかが解ってきた。それでも最低限の食事は採る。

 炭水化物はこの歳になって、避けがちになったが、通風のせいもあって、乳製品でタンパク質を採ってきた。整形外科の先生に言わせると、左足の瘤もガングリオンと言うより、痛風による尿酸の結晶の塊だとも言われた。・・・確かにアロチームという痛風用の薬を飲みながら、粗食に走っていたら、瘤も縮んできた。みんなと飲むときも、ビールは付き合いで一杯飲むが、後は焼酎を飲むことが多くなった。・・・って今度はγーGTPの値の方が不安でもあるけれど、まあいいか。

 どんなにダイエットしていても、我が家オジリナルのスタミナジュースだけは飲む。以前レシピを書くといったので書くが、「缶詰の桃半分、卵1、ハチミツ大さじ1杯、牛乳1カップ、青汁の粉1袋」をジューサーでかき回して飲む。味もそれ程悪くはない(甘いが)。・・・言っておきたいのは、私を真似してはいけない。眠るとき、明日が来るのだろうか」と思いながら眠りにつく。こんなに寂しいことはない。・・・起きる度、今日も地獄かと諦めながら、自分を奮い立たせる。・・・仕事を抱えている人間なんてこんなものだが。

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『ゲームの達人』の矛盾

 『ゲームの達人』とはシドニィ・シェルダン(アメリカ)の小説である。日本で初めてブレイクしたものかも知れない。映画化もされた。軽い小説だったので、中身は余り覚えていないが、駆け引きの中で、主人公が成り上がってゆくストーリーだったと記憶している。哲学的な深みなどない。学ぶところもなく、単なるエンターテェイメントだ。

 中学の時に、友人が映画を見て、「すんげー面白かったぞ」と言ったので、本屋で日本語訳の『ゲームの達人』上下巻を買って読んだ覚えがある(我が家にはビデオデッキがなかったので)。ストーリーは、まずアフリカの南を舞台に始まっていた(はずだ)。そこで汚い商売をする奴に、一泡吹かせてやろうと、主人公は決死の覚悟で、無数にダイヤが落ちているが警戒が厳しい所に潜り込む。その土地は敵の土地なのだ。そんな中、ダイヤを拾い集め、その財力で、敵を破産させてしまう。ここから、のし上がってゆく。

 賢明な読者ならもうお気づきだと思うが、これは矛盾している。無数にダイヤが落ちている土地を所有している敵が、破産するわけないのである。読み間違いかとも思って確認したが、間違いがない。映画はアレンジしたのだろうが、小説としては、これは致命的なミスである。というより、アメリカ人のPioneer精神に協調する感じを受けた。

 アメリカの文学には深いものが少ない。帰国子女の友人に、アメリカ横断の旅の後、「あの国には哲学がない」と言ったら、明くる年、「日本には思想がない。そういう国は滅ぶんじゃあないか?」とやり返されたが・・・それへの反論も気が向いたら書く。

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中学受験での失敗

 大学受験や高校受験はもう少し先だと思うが、中学受験はほとんど終わったと思う。・・・そこで敗れた受験生諸君よ、もう、嘆くのはおよしなさい。君達にはまだこれからがある。ショックだろうが、たかが十代の初めでの試験でのこと。君達の人生は『これから』に掛かっている。まだ若いのだ。勉強だけが全てでもない。・・・今の悔しさを忘れずに、努力して、将来、必ず一角の人物になろう」と気合いを入れなさい。まだ、君達は人生の敗者ではないんだよ。僕にも行きたい学校があったけれど落ちた。間抜けなミスで落っこちた。それについて語ってみようか。

 僕の中学受験の第一志望は県でトップの中学だった。小学校では、私が本命視されていた。そんな中、両親に駅まで送ってもらってから、一人で学校の校門をくぐった。案内板を見て、自分の教室に入った。科目は「国・算・社・理」の順番だった。この日のために、両親はない金をはたいて、僕に最高級の鉛筆を買ってくれた。僕も気合いが入る。

 そうして国語の試験が始まった。当時は苦手科目だったので、かなりきつかった思い出がある。そうして少しの休憩の後、得意科目の算数。この時、問題用紙と計算用紙が配られた。問題を見る・・・易しい。挽回するべく計算用紙に途中式を殴り書きし、問題用紙の回答欄に解答を積み重ねていった。・・・終了十分前に終わる。見直しをしようと思ったが、僕はあることに気が付いた。『計算用紙って式も書かなきゃいけないんじゃないのか?』・・・大慌てで消しゴムで消し、最初から書き直すも、時間がない。・・・この時に僕の受験は終わった。間抜けで致命的なミスであった。

 友達達と家に帰るも、帰宅したとたん、僕は泣き崩れた。それまで二、三年、努力してきたことが、間抜けなミスで壊れたことが悔しかった。今でも忘れられない。

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般若心経について

 以前、親父と般若心経の話をした時に、「無の教えだろ?」と言ったので、私は、「違う。空の教えだ」と言った。確かに、般若心経の中で一番多く出てくる漢字が「無」なので、そう受け止めやすいのだが、全体の流れを簡単に言うと、「空の中であらゆるものが無となり、そんな中で、悟るべき所を求めて、あらゆる仏界の中で、祈りながら努力しよう」というようなニュアンスなのだ。・・・とは言ってもこれは私見である。世に「般若心経」について書かれた本は数え切れない。十人十色の解釈でかまわないとも思うのだが。

 一番有名なのが、「色即是空 空即是色」だと思うが、ここで言う「色」とは、俗な意味ではなく、サンスクリット語で言う「ルーパー(目に見える世界)」を指す。だから後に「無色声香味触法」・・・「(空の中では)法に則って、眼も耳も鼻も舌も身も意も無い」という論理になる。つまり、有名な「色即是空 空即是色」の「色」の部分は上に挙げられた、主に人間の五感(六感?)を象徴する漢字と置き換えても同じ事なのである。ここで、「法(ダルマ)」についての説明をすると枚挙にいとまがないので、個人的見解はいずれ書く。・・・で、般若心経は、その後も、素晴らしいが、ややこしい論理が続く中で、「ぎゃ諦 ぎゃ諦 波羅ぎゃ諦・・・(「ぎゃ」の漢字が出てこなかった)」で締めくくられる。般若心経では、「色即是空・・・」よりも、「ぎゃ諦 ぎゃ諦・・・」の呪文(真言)の方が肝心なのだ。そして、森羅万象に於ける「空の様」を知ろうと努力することが要である。・・・とまあ、簡単に書いてみた。

 なんで、僕が般若心経に出会ったかというと、もう10年ぐらい前、ある鍋の席で、ある友人が毎日(心の中でも)唱えている」と語ったからだ。僕はすぐには実行しなかったが、親父が病になったとき、お寺でコピーしてもらったのだ(仏壇屋にあるとは知らなかった)。それから何年も掛けて、ゆっくりだけど確実にかみ砕きながら覚えていった。

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高田純次の年

 私は今年は、高田純次氏の年になると予感している。十年以上前に売れていたが、しばらく氏は姿を消した。その後、去年の暮れ頃から、ポツリ、ポツリと出演されている。その間に遊んだ分だけ、芸が良くなった。罪もないし、人を爆笑させる。以前、温泉の紫色の薬湯のところで、俯せで腰を使っておられた。私は、「なんなんだ」という中で爆笑した。

 馬鹿みたいな事をやってはいるが、馬鹿ではないのである。頭の回転も相当速い。・・・似合う番組とそうでないものがあるのが欠点だが、バラエティタレントは、自分の土俵で闘えばいいのだ。そうでない奴など認めたくもない。

 忘れられないのが、郷さんと外人の女をナンパする」という企画の中で、高田さんが、決めゼリフに「My face is sixty.BUT,My body is twenty.!!!」と言ったのである。『それで女を口説くのか?』という中、私はやはり爆笑した。

 そんな高田さんに子供さんがいると聞いて、一瞬、驚いたものの、何となく察した。・・・あえて馬鹿を演じることの辛さ。そうしてみんなが笑うことの辛さ。自分に対する罪悪感。家族を犠牲にするかも知れないという恐れ・・・チャップリンを思い出す。チャップリンは喜劇の帝王であった。しかし、産まれに恵まれたわけでもなく、笑い転げる人たちを尻目に、楽屋では密かに涙を流していたという。この涙を我々は無視してはいけない。コメディアンの、伝えたくても隠さざるを得ない一滴なのだ。

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人生万事塞翁が馬

 「人生万事塞翁が馬」とは故事成語である。ここで説明するのも面倒なのだが、してみる。・・・昔の中国の故事である。良くは覚えていないので誤りは勘弁していただきたい。もう二十年前の記憶なので。

 ・・・途中からになるが、塞翁という人が、運命的な出会いとも言える、立派な馬に乗っていた。みんな、「いいな、いいな」と言う。しかし塞翁は、落馬か何かをし、体をこわして、馬には乗れなくなってしまう。みんな、「可哀想に」と嘆くのだが、まもなく戦争が起こる。その時、塞翁は、体をこわしていることを理由に、徴兵を免除される。・・・いろんなことを言っていた人々の息子達は戦死して帰ってこない。そんな中で、塞翁は生き残る。

 ここから、「人生万事塞翁が馬」とは、「人生にはいろんな波乱がある中で、何が本当に良くて、何が本当に悪いなど決めつけられない」という故事成語となった。

 人の世なんてもろい。落ち目の時はおとなしくしているしかない。でも、真面目に努力を続ければ、人生の風向きが変わる。今は辛い人も、向上を目指せば「明日の種」となる。だから頑張って欲しい。浮き目もあるのだ。 今は威張っている人も、やがては落人となる。諸行無常。・・・若者がそれに挑戦してもいい。けれど、所詮は諸行無常・・・。人間なんてものは、この螺旋からは抜けられないのだ。悟った上で、哀しみに耐えるのが、人生かも知れない。

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入試の倍率1.06倍?

 先程まで、ネットのニュースを読んでいた。そんな中で、茨城の県立高校の倍率が1.06倍だと書いてあった。・・・これって、一人か二人の不合格者が出るって事じゃないのか?それなら定員増やして、試験なんかしない方がいいんじゃないか?と思ったのだが。まあ、公立高校の場合、公立中学時代の成績や内申書で振り分けられるから、余り強くは言えないが。それにしてもひどい。もっとひどいのは、公立中学の振り分け方である。根拠が全然解らないのだ。塾講をしていた頃に感じたのだが、内申点には、教師個人の好き嫌いも入っている気がした。レベルも低い。例えば数学の問題で、「√ー2は存在しない」という問題の正解が「○」だった。こんな無茶苦茶があるか。複素数を知っていたら、「√2*i」になるのだ。問題として不適切極まりない。

 大体、国立にしろ、公立にしろ、私立にしろ、少子化のせいか、倍率が下がりすぎている。私が中学受験した学校は二校あったが、本命の方は5倍を超え、滑り止めの方は13倍を上回っていた。もちろん実質倍率である。私は本命の方を落ちたため、滑り止めの方の学校に行ったが、同級生には同じ塾に通っていた奴が多かった。・・・だからすんなりと馴染めたのかも知れないが。その頃の知り合いで、今でも大切な友達はたくさんいる。みんな勝ち抜いたという気持ちもなく、同級生として楽しく過ごした。

 競争は良くないという理念から、「ゆとり教育」みたいな概念が産まれたが、あれは、教師によほど力量がなければ成り立たないために、崩壊したのではないか?所詮、社会では実力がなければ生きてはゆけないのだ。そのための方策を探すべきではないか?

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Feast

 僕が自信をなくし

貴女さえ粗末にしそうな時

貴女には気が付いて、叱って欲しい

『甘えなさんな』・・・と

 僕は、いつも

貴女だけは大切にしたいけれど

それでも、貴女は気が付いて欲しい

『甘えなさんな』・・・と

 決して

貴女が特別に強いということではないんだろう

人は皆

いろんな波を乗り越えなければ

生きてはゆけない

 『ときめく街にメヒョウ達とすれ違う』

もうそんな時代じゃない

あのころはよかったね」と言ってみても

俺達が壊してしまったのかも知れない

 『グラスを揺らし、キャンドルで火を点ける』

もうそんな時代じゃない

かつて見た「あこがれ」はもう捨てなければならない

俺達が目茶苦茶にしてしまったのだから

 エレベーターがこないからと言って

(俺達は)プリンスの階段を駆け上がった

文句を言うボ-イ

やめるべきなのに、やめられなかった

 そうして部屋に着くと

ダブルに

三十人はいた

交わされる赤ワイン

 俺は嫌気がさした

『お前ら、どこまでずうずうしいんだ』

終電の残る中

寂しい卒業式を迎えた

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ちょっとね・・・

 相手もいない僕が

懸命に恋愛を書こうとしている

ちょっとね・・・

寂しくなった。

 かつて

ランボーは

恋愛でさえ、「ぬるい」

と言った。

 相克に苦しむ。

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官能について

 『官能』について辞書(広辞苑・第四版)を引く。そこには、①感覚器官の機能。また、一般に生物諸器官の働き。②俗に「感覚」「感官」と同意に用い、特に性的感覚をいう。と書いてあり、特に『官能的』と言う言葉は、「肉感をそそる様であること」。と書かれてある。・・・僕はこれを読んで驚いた。

 俗に言う「官能小説」などという言葉からは、「エロ小説」を連想される方も多いと思う。実際にそんな本が「官能小説」として売られているのだから仕方がないかも知れない。しかし、これは教育上よろしくないのではないか?恋愛とはもっと深いものだと僕は考える。

 谷崎潤一郎の小説などが「官能的」と言われるが、私から言わせると単なるマゾヒストの小説がほとんどだと思う。読んでいて気持ち悪くなって、ゴミ箱に放り込んだ。確かに一種の芸術的要素はあるが、僕には耐えられない。

 相当悩んだ挙げ句、「官能」とは「何らかへの極度な(病的な)美意識へのこだわりである」と解するようになった。

 肉感を伴わない官能もあると思う。例えば、三島由紀夫の『潮騒』の中で、裸の男女がいろりを囲んでいる。女が「(男なら)火を飛び越えてこい」と言う。これこそ僕は素晴らしい官能シーンだと思う。・・・そこに肉感はない。

 恋愛にはいろんな要素があると言った僕は、ただ、いやらしく抱き合うだけのものなど、どうでもいい。そんなものは「官能的」とは呼ばない。・・・私ならば、もっと、もっと、純粋な、若者達が悩む中で、踏み込んで行かざるを得ないものを書きたい。

 「官能」については10年以上悩んだ。結論としては、「官能のスパイス」とは、匂わないフェロモンのようなものでなければならないと考えている。

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見抜かれた

 横須賀線でゴトゴト揺られながら、高校生の僕は友達と話していた。・・・途中駅で友人が降りる。そうして、またゴトゴト揺られる。その頃の僕は悔しかった。好きな人に好きと言えずに縮こまっているのが。彼女は僕をどう扱っただろう?別に片思いでも何でもない。僕に度胸がなかっただけなのだ。

 横須賀線は走る。窓越しに大船観音を見たとき、僕の心は潰れそうだった。・・・遠い人を求めて。・・・今でも思い出す。確かにあの時、僕は初恋の人のことを考えていた。空しさが覆う中、自分の将来も解らないのに、遠くを見つめていた。

 つれない気持ちの中、駅で電車を降りたら、『トン』と肩をつつかれた。「何だこの野郎」と思って振り返ると、思いやりの深い眼をした現国の先生がいた。「やあ」と言われた。僕は恐縮して、駅を案内した。先生は映画を見に行くために下車した」とおっしゃっていたがそうではないと思う。私がある女を思っていたことを見抜かれたのだ。直感で解った。僕は気持ちを切り替えて、上の人に対する言葉を使っていた。それでいいのだが、あの日の先生の心情までは伺えない。これが辛いところでもある。

 客観的に観る。その先生はいつも読書をされていたが、教え子のやるせない表情に見入る(そんなつもりではなかったのだが)。多分、僕の眼の動きや何やらで、「果たせない恋」を直感したんだろうと思う。

 素晴らしい先生だったし、生徒も気合いを入れなければ。

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なごり

 ときめく夜に

せめて

なごりだけは

残したくはなかった

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勇敢な人

 以前、ある友人と飲んでいて、「生還率1%でも、月に行けるというなら、そのロケットに乗るか?」と聞いたことがある。その友人は即座に、「乗る」と言った。やっぱり友達同士というのは似たもの同士なのかも知れない。私は嬉しくて笑った。

 昨日のNHKスペシャルで宇宙飛行士についてやっていた。いろんな状況や、役割、立場がある中での思いを、真剣に見ていた。スペースシャトルは二度事故を起こしている。シャトルとはいえ、死亡率もかなり高い。そんな中で、死ぬのを覚悟で飛び立つ宇宙飛行士達は勇敢だと思った。宇宙でLennonの「IMAGINE」が流れる場面では、不覚にも涙がこぼれそうになった。番組で紹介された宇宙飛行士達も、神秘的な感覚の中、儚い地球の存在に感化されていた。

 「IMAGINE」は塾講師の時に生徒達のために訳した。思想の押し売りではない。常識として。その中でも迷ったのが「You may say I'm a dreamer」という所の「dreamer」が訳せなくて悩んだ。結局、その時は、「理想主義者」と訳してしまったが、現在なら「(現実が)何にも解っちゃあいないんだね」と訳す。・・・まあ余談だ。

 話は変わるが、アメリカ大統領選に出た民主党のオバマ氏も勇敢な人だと思う。アメリカの歴史から考えると、暗殺されかねない中で、全米の人たちのために闘っている。スーパーチューズデイが楽しみでもある。

 結局、人間なんて、命がけにならないと、何にも出来ないものなのだろう。

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時代が尾崎豊を必要としているのか?

 「あいつは言っていた~ね。サーラーリーマンにはなりたくねえ。朝夕のラッシュアワ~、酒浸りの大人達」

 この歌詞に象徴されるように、尾崎豊は矛盾した社会へと挑戦していた。僕は、尾崎豊は二期に別れると思う。「愛、自由、反抗」が第一期だ。それに対し、アルバム「Birth」の頃には異なる価値観が存在する。彼自身が生きることを肯定していたかどうかは知らない。もしそうだったら、40過ぎの尾崎に出会えるだけだ。僕はそんな尾崎には会いたくもない。夭折したから華があるのではないか?尾崎ファンも、老けた彼を彼自身がどう思っていたか察して欲しい。

「あくせく流す、汗と音楽だけは止むことがなかった」

 これは素敵な歌詞。けれど、何故、今の時代に尾崎豊が問われるのかということは考えてみた方がいい。・・・染まらずに考える。平成生まれのあなたたちのもっと前、この国には青少年達の不満と葛藤が溢れていた。先公を殴り飛ばす奴、窓ガラスをぶち破る奴、暴走する奴・・・みんな馬鹿だけど、みんな吐け口のない不満を抱えていた。それだけ反抗心なりエネルギーを持っていた。肯定する気はない。けれど、おまえら、おとなしすぎるんじゃあないのか?若者のくせに醒めている。結局はこういう人生になるんだろ」ふざけるな!自分で自分の首締めてどうするんだ。・・・あの、センターの問題は、きっと、君達に、もっとエネルギーを持ちなさいと言っているんだ。要するに人生をナメるなと言っているんだ。若者ならばもっと大志を抱きなさい。

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結論

 年上は笑う。年下は泣く。(精神年齢上で)

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泣くもいいよな

 泣くのもいいストーリーになりそうだけれど、そうされると男が困る。

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泣くじゃないだろ

 (前回の blog読んでない方すいません)

女は妖しく笑わなければいけないよなあ!・・・to Katsu(^^)

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小説の続き

 以前の書きかけの小説を読んでいた。毎日意識してたから、大体解る。読み終わって、疲れて、また書くことになる。前に書いたのを見ると、いろいろな駆け引きが重視されている。ナワバリ争いや、プライドや、勉強や、恋愛や、友人関係や・・・と。そんな中で、主人公と出会った女の子との恋愛がテーマになる。これは結構、書きがいがある。

 現時点では、男に抱かせてみた。女が拒む理由もないので。

う~ん・・・抱いている途中に女が泣くというのはどうだろう?悩む。暴力ではなく恋愛からの涙。思いやりからの涙。存在への涙。・・・僕に書けるのか?

 とりあえずのつぶやきblog...

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雪かき

 雪が降るとワクワクするのは、子供の頃からであった。昨日の朝早くに目覚めると、雪かきをしている音がする。近所の方だ。私も、普段の寝間着に49ersの帽子、手袋で頑張る。そうしてると、隣の親父さんも出てきた。挨拶すると、まさかこんなに降るとはねえ」の返事で、みんな張り切る。

 よく観察してみると、車が通った後の所とそうでないところは異なる。車が通っていないところはホイホイ出来るのだが、タイヤの跡は固い。下手をしたら凍結する。雪かき用のスコップを揺らしながら、何とか取ろうと努力する。一度決めたらやり抜く主義なので、しんどくても頑張る。・・・そうして家の前はきれいになった。次は車庫である。車がへこむといけないので除雪する。通り道も、おふくろの足のことを思って必死で除雪。・・・しまった。先にこっちをやっておくんだった。通りに再び浴びせられた雪をまた除雪。

 何か間抜けで計画性のない雪かきであったが、私は久々に雪遊びが出来た。歳をとっても、子供心にうれしいものである。ワクワクする。

 その後、疲れた私は、今年の冬、初めてスキー用の靴下なるものを履く。目茶苦茶温かくて、ベッドに転げ込む。寝てしまった・・・。先程起き、猛烈な勢いでblogを書いてはいるが、これからやってくる、文筆への試行錯誤は覚悟している。

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模試を振り返ってみて

 私は宅浪だったが、模試だけは真面目に受けていた。それは、故数学塾の恩師の言葉を聞いたからでもあった。私が予備校に通うと、遊びすぎてしまうし、第一、訳の分からない講師に教えられるのも嫌だった。だから、自分で計画表を作ってこなした。予備校の講師の大概が、その道の一線から外れている話も、大学に入ってからはたくさん聞いた。パチンコで五万負けたのを自慢にしている馬鹿もいて、『こいつに教えられる奴らはかわいそうだ』とも思った。だから、私は、自分が遊んでいる間は人を教える気にはなれなかった。バイトも肉体労働からやってみた。宅急便の仕分けである。給料日に免許も持っていなかった私は、学生証を見せた。・・・それから、周りとの関係が難しくなった。悩んだ挙げ句に行くことをやめたが、僕の気遣いが足りなかったのかも知れない。

 さて、模試についてであるが、数学はいつも良かった。それに伴い、思い出すのが、勉強をしていないのに、何故か「国語」が良かった。難しい問題になればなるほど、良くなった。中・高の英才教育もあったからかも知れないが、模試の問題はそれ程ぬるくはない。・・・思うに、あの頃は、片思い(か両思いの中でのしがらみ)でも、恋をしていたから点数が上がったのだと思う。まあ、通常授業で小林秀雄を読ませるのもどうかと思うが・・・。

 小林秀雄の文章など、数学で言う高度なロジックに過ぎない。けれど、あの人の残したものは大きい。鎌倉のなじみの古本屋に行くと、「小林秀雄は人気があるからなあ」と言う。しかし、私が読解まで10年費やしたものが、それ程軽いとは思われない。

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やるしかない

 新年会で、小説なり短編なりを持ってゆく」と宣言した以上、当然そうするつもりである。しかし、言ったはいいが、なかなか構想なんて出てこない。寝ているときも悩んでいる。起きて、心を整理して、また考える。シュミレートするのだがどこかで行き詰まる。こんな約束するんじゃなかったと後悔しても遅いし、何より私は物書きなのだ。

 物書き(詩人?)というものは浮かぶときには、目茶苦茶浮かぶ。論文だったら三日で書ける。・・・しかしそうでないときには、泣き寝入りするしかない。まだ、約束まで半年あるのに、もう胃が痛い。現在、昔の書きかけの作品を読んでいる。

 私には書きかけの小説(これは宿題)と短編一本の構想は明確にできあがっている。短編の構想は二年ほど前に夢で見たことであり、起きている間に考えるとなると、(余計なことまで考えてしまうので)結構面倒だ。社会経験が少ないのも辛い・・・と考えていると、その逆を行けと脳が指示する。それでいいけど。

 みんな無茶苦茶な約束を結んだのだ。だったら俺に出来ないはずはない。気合いは入っても胃が痛む。やるしかないんだ。今後の生活もどうなるか解らない。そんな中でも、どんなにハードであろうが、みんなやっている。俺も負けてたまるか。・・・・・・それにしても、何でこんな中途半端な時間にblogを書いてしまうのだろう。

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雪が降ると

 雪が降ると私は初恋を思い出す。何故だか解らないのだが、私の感性に訴える。寒い中、これだけ積もってしまうと、今日は一日家にいることになるだろう。底冷えがする中、未だに雪は降り積もる。確かに「雪化粧」と言うくらいに、ロマンティックなものではあるが、解けた後の汚れを意識すると、少し面倒な気持ちになる。・・・それだけ歳をとったと言うことかも知れない。なにはともあれ、寒い。

 雪が降り積もる中、詩情も働くのだが、受験生の皆さんにとってはそれどころではないだろう。受験のスタッフも大変だ。交通事情はどうなっているのだろう。一年間努力してきたものを、雪に阻まれるほど、うっとうしいこともない。リズムが乱れ、今後の試験に影響が出ないことを願う。少なくとも、体を冷やして風邪などひかないように気をつけて欲しい。

 ああ、そういえば昔短歌を作ったな・・・

雪降りて

都度に思うは

初恋の

緒も知らざれば

情もなきこと

・・・確か誰かを皮肉ったものだったと記憶している。

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親父との将棋・囲碁

 昨日、親父と久々に将棋と囲碁をやった。何の動機だったが解らなかったが、二人で話が盛り上がり、「それなら実際に勝負しよう」みたいな流れだった。家には、碁石と碁盤だけは立派なのがあり、将棋盤は以前も書いた通りに、親父がガキの時の手作りのものがある。将棋の駒はもう、裏面はほとんど色が落ちてしまって、微妙な赤の中、お互いに記憶で指す。

 まずは将棋だが、以前負けた私が先手。振り飛車が好きな私は、角交換から速攻を掛ける。相手が囲う前につぶせというのは、セオリーだが、私の方も右美濃に持って行こうと思ったが、なかなかそうさせてはもらえない(急所である3六の地点を抑えられた)。お互いに責め合いになる。そんな中、親父の玉が動き出す。最初は気づかなかったが、次の手で入玉を狙っていることが判明。「それはないんじゃないのか」と私がつぶやく中、入玉されてしまい、私の負け。

 悔しいので、次は囲碁だという話になる。こちらは親父の方が上級者なので、置き碁である。私が石を九目置こうとしたら、「それはないやろ」と、七目に減らされた。いつものことだが、序盤中盤と私が圧倒的にリード(七目も置いたら黒が普通に打てばこうなる)。しかし、ヨセに入った段階で、私は急にヘボ碁になる(ヨセが重要なのは解ってはいるが、欲の張り合いみたいであまり好きでない)。それでも何とか頑張って、十五目程度の勝ち。

 研究なんてしないのだが、新聞の囲碁将棋欄は毎日チェックしている。実際に並べることはしないが、頭の中で駒を動かしている。

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できるひと

 私は、「この人はものすごく仕事が出来るんですよ」と紹介されても「ああ、そうですか」で受け流す。同時に、「この子はものすごく勉強が出来るんですよ」と紹介されても「ああ、そうですか」と相手にしない。まずはその人なり、その子なりを見てから判断する。そうであったら嬉しいのだが、大概は異なる。

 まず、何事も出来る人の机の上は散らかっていない。必要なものを必要な所に最小限だけ置いておく。非の打ち所がない程に、整理整頓されている(机の上が無茶苦茶ということは、頭の中も複雑なのだ)。これは、一所懸命に雑巾がけをされているものとも異なる。そんなハッタリはどうでもいい。

 本当に出来る人というのは、机に向かう姿勢が異なるのだ。側から見ていると、思わず、うっとりとなり、同時に、声など掛けられる雰囲気ではないのだ。見ているだけで、一つの絵となり、美しい。そういう子なり人は、腰が据わっている。

 以前、亡くなった友人の親父さんが、麻雀が強いかどうかは姿勢を見ただけで解る」とおっしゃっていたそうだ。何でも同じである。私が塾講師の時に、最初にチェックするのは姿勢だった。姿勢が悪い子⇒成績が悪い。は、完全ではないが大方成り立つ。逆の、成績がよい子⇒姿勢がよい、は、ほぼ100%成り立つ。

 物事は、何事も、心構えからである。

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ソニータイマー

 ここのところ、温暖化のせいか寒暖の差が激しい。それが原因かは分からないが、昔に比べ、家電製品がぶっ壊れやすくなっているように感じる。私の部屋のコンポも、ここ数年で何台も壊れてきた。CDや、特にMDはぶっ壊れやすい。HD型ウオークマンが多い中、MDは大した打撃ではないが、壊れたら、やはり、腹が立つ。・・・だから使わない、という私の気持ちも、各メーカーで真剣に取り組んで欲しいのだが・・・。

 家電メーカーでも、特にソニーがひどい。緻密なのだろうが、ぶっ壊れやすすぎる。だから、私はソニー製品は買わない。・・・しかし、何にも知らない両親が、居間にTVを買ったとき、来て三日で壊れた。保証書によって、修理屋を呼ぶも、主電源を着けた瞬間に、「故障です」と言われ、新しいTVが来た。しかし、半年も経つと、そのテレビの音声がイカれ始めた。衛星放送は普通に聞けるのに、一般放送にしたら何も聞こえなくなる。地デジになることもあり、液晶TVに買い換えた。この間わずか三年足らずである。

 友人に「ひどくないか?」と聞いたら、「ソニータイマーだ」と言った。何でも、買い換える時期に、都合良くぶっ壊れるそうな。それにしても、タイマーのリミット早すぎないか?・・・大体、買って三日でぶっ壊れるTVを買う奴がいるか?俺がガキの頃に買ったウオークマンも一週間でぶっ壊れて泣いたぞ。井深さんや盛田さんの本も相当読んだけれど、おかしくないか?技術だけに偏るのではなく、市民感情を察して欲しい。

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ダルクについて

 以前、私が痔で入院したときに、隣のベッドにシャブ中で更生を目指しているヨシという奴がいたと書いた。その更生施設の名はダルク(Drug Addicted・・・の頭文字をとった略)という。このblogでも、昔の記事を読んでくださる方が多い中、いくつかある中で、現象が深刻なダルクについて触れようと思う。

 私は薬物をやったことがない。せめて煙草を吸うぐらいだが、ない。だから、ダルクについても聞いた範囲でしか話せないことは断っておく。シャブについても詳しくは触れない。

 まず、ダルクとは法人である。そこでシャブなり何なりの薬物中毒の人々が共生する。スタッフも薬物経験者で、そこから抜け出てきた方達らしい。共生の中で、帰宅は許されない(親が甘やかしてしまうことが多いため)と聞いた。一日に与えられる金は(たしか)750円。ヨシはカップラーメンばっかり食っていて、高脂血症で呼び出されていた。せめて、金出しあって自炊しろ」と言い、やる気がないヨシに喝を入れた。これでは自分の子供がかわいそう」と思われる方がいるかも知れないが、ダルクは「来るもの拒まず、去るもの追わず」の姿勢だ。

 ダルクの中では日々のミーティングが重要視される。何でも正直に話さなければならないのだ。最後に祈りをすると聞いたが、ヨシはそれさえ忘れていた・・・。

 共同生活の中で、こいつはもう大丈夫」というのはスタッフが判断する。その目は厳しい。前にも書いたが、はっきり言って、死ぬまでSEXをしない事よりもきついと思う。でも、少なくともヨシは、これまで、あらゆる事を、無茶苦茶にしてきたのだ。

 これだけを書いても、ダルクのスタッフの皆さんや、いろんな方々に迷惑が掛かると思う。しかしながら、聞いた話でも、少しでも内情を公開した方がいいと判断したから書いている。少しでも薬物汚染の抑止、もしくは歯止めになればいいと考えている。

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