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古典の思い出

 私が通っていた学校(中・高男子校)は国語の盛んな学校であった。中学一年の時に、四字熟語、故事成語、百人一首、主な古典の冒頭、などを記憶させられた。しかも、夏休み明けに漢字のテストがあって、ずいぶん忙しかった。でも、それらは、後々の自分の糧になったと心から思っている。・・・もちろん当時は歌の意味などは分からなかったのだが。

 また、高校時代にも、当然、「古文」の授業はあるのだが、文法なんて面倒だから覚えなかったが、授業を真剣に聞いていると、その場のアドリブで何とかなったのも懐かしい。しかし、授業を真剣に聞くも聞かないも、教師次第なのだ。どうでもいいものは、読書か就寝の時間にしていた。

 当時の、国語力を強めるという教育方針は、先見性があったし、その後のあらゆる事ごとに役立った。日本語の語彙が増えるということは、それだけ表現力豊かな人間になれるということである。話も膨らむし、日本人として、古典を習うことはかなり重要である。

 ある親父さんと話したら、「行き着くところ、酒は焼酎、音楽はクラッシック、女はbeautifulではなくてPrittyでなければダメだ」と語っておられた。大方同感である。

 私が思うのは、現在の流行を追ってもいいが、昔からの歴史の荒波を乗り越えてきた古典は万世に通づるものなのではないかということだ。教科書通りに訳して100点を取るのもいい。でも、少しは自分の語彙の許す中での力で解釈してみてもいいのではないか。・・・塾講師時代に、「徒然なるままに」をどう訳すか国語の教師から質問された。迷っている間中、彼は生徒に自慢していた。私が「時の流れに身を任せ」と真面目に言うと、全員が笑う中、彼は真剣に首をひねった挙げ句、「それは正解ですよ」と言った。・・・もっとも、徒然草の冒頭を覚えていたので、何とかなった技ではあるが。

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