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わかりやすさと創造性

 最近思うのだが、ほとんどの流行りの邦楽を聞いても、メロディも詩もどこかで聞いたことがあるようにしか感じられなくなった。最近の曲の傾向がそうだからか、耳が肥えたからか、歳をとったからかは解らない。自身、絶対音感があるわけでもなく、楽譜が読めるわけでもなく、楽器をいじるわけでもないから、必ずしも根拠があるとは思えないのではあるが。昔は曲のワンフレーズでも素敵だったらCDを購入していたので、邦楽に関する限り、CDにかかるお金が減ったのは良いことなのだが。

 自分の感受性が鈍くなったのかとも思う。確かに昔ほど、いろんな意味で発想も浮かばないし、その時間も無い。しかし、あらゆるメモは増える一方なのではある。つまり、OUTPUT自体は増えている。これは、昔、時間を掛けて、音楽に限らず、興味の湧く物事を手当たり次第にINPUTしていた遺産だと思う。実際、OUTPUTしながらINPUTしていると、重要になってくるのが、INPUTの量より質である。それで悩むことの方が多い。

 実感として感じるのは、時代のカラーが読みにくくなったとは思う。わかりにくい時代だし、価値観が多様過ぎるのと、変化のスピードが速すぎるのには、ただただ驚く。・・・だから、何でもわかりやすいものが受けるというのは、おかしい。なぜならば、それは単に文化の最大公約数であって、本当の意味での物事の深みとは異なり、重要なのは、もちろん後者なのである。物事の最大公約数には、時代を眺めることは出来ても、次の時代への真に創造的な要素は無い。結局、わかったふりばかりが上手くなっているのではないのだろうか?

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