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愛別離苦

 過去の言動について、私は飾り立てることはしない。正直に、その時その時の決断を信じた上で述べるものである。また、私は反省はしても後悔はしないようにずっと心がけてきた。自分の決断を信じると同時に、前向きな自分でいたかったからだ。

 少し前に、私は、父の命をルーレット台に乗せるような書き方をした。確かに不遜である。しかし、誰が尊敬する人の死を望むだろうか?ギャンブルという表現はしたが、命と金とは釣り合わないどころか、比べものにならない。そういう意味で、父が生還してくれたことは、他の何物にも代え難い。

 以前の文章では、どのようにも取れる。そういう風に書いたのも事実であるが、それは受け止める側の問題として処理した。でなければブログなど書くものではない。

 当時、父の病気が快方に向かうことや、それを信じていたという意味では私は「確信犯」だろう。「確信犯」の定義も調べては見たが、私が筋を通していないと受け止められることは、覚悟の上で遺憾でもある。なぜならば、人の命に「絶対」などあり得ないのだから。

 先週末、足首の複雑骨折で入院していた母も戻ってきて、我が家も少しは活気づいた。しかし、いつ、何時、何が起こるかという暗雲は拭えない。私もしっかりせねば。

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