« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

2007年11月

なじみのガソリンスタンドにて

 今日、父の入院先の病院からの帰り、洗車をした。ガソリンは数日前に入れていたので。そんな中、顔なじみの店長と挨拶を交わし、少し質問してみた。・・・「去年の今頃のガソリンの価格はいくらぐらいでしたっけ?」・・・「よく覚えていないけれど、今年の方が高い。それに来月はもう5円ほど高くなりそうだしね」・・・この言葉に驚いた。その店では努力している分、他のお店より安いのに、そこでも(あくまで予想で)リッターあたり5円も値上げされたらたまらない。慌ててガソリンも入れようとしたが、ほぼ満タンなのに気づき、落ち着く。そこで、エコカーについての見解を多少聞いてみた。「ハイブリッドカーとかが増えてきて、売り上げに影響してますか?」と。すると、「今のところはそれほどでもないけれど、もっとシェアが増えてきたら解らないよ」との返事だった。

 昨日のニュースだったと思うが、アメリカの原油備蓄量に顕著な減少はなく、OPECも増産見込みとのことから、アメリカの原油市場が1バレル100$程度から90$程度にまで売りが殺到したと聞いた気がするのだが。欲の皮の突っ張った連中が原油高を招いているのだから、一気に落ちるとこまで落ちちまえとも思ったが・・・。大元がこうでは、実際の現場ではなかなか値下げしたり、値上げしたりとは行かないもとも感じた。

 現実的に、自分の部屋を見渡しててみると、木材と原油とで創った物が溢れている。部屋中の本・漫画・CD・プラスチックスのボックスに木の椅子と机・・・その他多数。「まずは無駄をなくすことから」の精神で、節約していきたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

浪漫飛行

 何ヶ月か前に、米米CLUBの「浪漫飛行」をテレビで見て、昔を思い出すと同時に、いい曲だとも思った。その頃の私は、いろんなプレッシャーの中で、世界中を旅してみたいという思いが強かった。実際には、その金を工面するのに多少の苦労もしたが・・・。

 若者は(って私も気持ちだけは負けない)大いに勉強して、学問し、その果てに未知の世界との交流を望むべきだ・・・好奇心ある限り。英語を難しく考えてはいけないと思うが、基本が出来ていなければ、どんな物事だって伸びない。当たり前のことだ。私の友人曰く「英語に金を使う必要は無い。英語を話せるガールフレンド(もちろん外人も)と付き合え」・・・とは言われてみても、そっちの方がよっぽど金がかかるだろ、と言ってみたら、彼は「解ってない」とだけ言った。私は、クラブに来ているようなお姉ちゃん相手なら、なるべ、関わらない方がいいんじゃないかと、現在でも思っている。・・・元来、そういうケバイ所は嫌いなのだ。もちろん、友人はそういう意味で言ったのではないと感じてはいるが。

 話を「浪漫飛行」に戻すと、夢のある曲だった。確かに、トランク一つだけで世界中を飛び回りたかった。好きなフレーズは「時が流れて、誰もが行き過ぎても,You're just my friend.~~」・・・歳をとるに従って、出会いや別れは必然だけど、親友は離れない・・・そういう絆を大切にしたい。・・・でも、昔は飛行機越しに空の美しさと、CHARAの「タイム・マシーン」を聞いていてとてつもなく切ない気持ちになった。深刻な顔をしていると、隣のおっちゃんが、お酒とチョコレート菓子をプレゼントしてくれたのも事実である。嬉しかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

唯我独尊について

 「天上天下唯我独尊」とは、よく使われる日本語である。なんでも、お釈迦様が生まれたときにその姿勢を示したとか。単的に使われる、この言葉には、「この世の中で自分が最もえらい」もしくは「実力がある」などと大変よく使われる。それこそ、お釈迦様の掌の上の孫悟空みたいなものだ。

 私は旅先で、友人に悩みをうちわけ、その結果もらった言葉が、「天上天下唯我独尊」とは己のためにある言葉だと言うことを知った。その時のひらめきは嬉しかったが、簡単に語れるかどうかは解らない。

 その後、仏教の勉強を進めていくうちに、少しずつ認識していったという感じだ。一言で言ってしまえば、「天上天下唯我独尊」とは、天狗の人間に使われるような言葉ではなく、もっと深い意味を持っている。

 それは、人間誰しもが、様々な運命を背負うけれど、その本人の命というか、生き方というか、人生というかは、それぞれがオリジナリティー(独自性)を持っており、他の何物にも代え難く、それを真剣に大切に思え、ということなのだ。あくまで仏教的な観点だが、僕は仏教というのは性善説と近い面があると思う。仏の慈愛や慈悲なるものは、人の心の内で悟るものだと思うからである。・・・それにしても、素晴らしい仏像群には沈黙を強いらせられる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

テーブルマナーについて

 私と弟が小学生の頃、両親と月に一回外食をしていた。そこではスープの飲み方から、肉の焼き方、ナイフとフォークでライスを食べたりなど、いろいろとテーブルマナーについての基本的なことを教わった。そこで得た経験というのは、後々考えると、案外大きい。

 私が大学三年の時だったと思うが、防衛大学校に在籍していた友人がいた。日本には、軍隊は無いといえど、士官学校ではある。防衛大学校の学生証を見せたら、友人を四人まで横須賀のアメリカ海軍のベースに入れて良いことになっていたらしく、私を含め、友人何人かとで行った思い出がある。まず高級将校のレストランに入り、腹ごしらえをしたのだが、何しろ周りはアメリカ人ばかりである。自分のテーブルマナーに疑問を持った点がいくつかあった。もう一つ痛感したのは、英会話能力を何とかして上げる必要があるとも思った。

 いろんな友人の披露宴に招かれても、日本人同士、あまりテーブルマナーを重視する傾向にないが、迷うのはナプキンの掛け方である。膝に乗せる方もいれば、角っこを襟に引っかける方もいる。自分としては臨機応変に対処してるが・・・。

 塾講師時代、私のせいで迷惑をかけた男子生徒が一人いたので、食事に誘った。その生徒はテーブルマナーや、肉の焼き方さえ知らなかったので簡単に説明した。洋食の場合は、とにかく食器同士で音を立てないのが最低限のマナーだとも言った。・・・そんな私であるが、両親は箸の持ち方がおかしいのに、自力で箸の持ち方をマスターした。たかが箸の持ち方一つでナメられるのが悔しかったからでもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

低温やけどの恐怖

 数年前と去年、就寝時に古いあんかを使っていたら、見事に低温やけどになってしまった。低温やけどは、高温でのやけどに比べ、やけどしているときにあまり感覚がない。しかし、料理の煮物と一緒で、傷は皮膚の下、奥深くまでやけどするので、ものすごく治りが悪いのである。状態としてはかさぶたが出来て、その奥深くまでやけどが広がるというものだ。「かさぶたははがすな」とはよく言われることだが、そう言われると、逆にはがしてみたくもなる。実際にはがした経験から言うと、普通のかさぶたに比べ、圧倒的にはがすのが痛く、中のやけどしている組織の一部ごとはがれる。傷口からは血があふれ出し、イソジンで消毒しながら、かなり大きめの絆創膏を貼るといった具合である。全治にはおよそ二、三ヶ月掛かった記憶がある。

 こういう嫌な目に二度もあってしまうと、もう、あんかを使うこと自体が怖くなってくる。とりあえず、それまで使っていたものは、使うのを止めて、もっと暖まり方や、形状がソフトなものに切り替えた。第一感、ぬるい感じがしたのだが、なかなか使い勝手も良い。・・・しかし、それでも低温やけどの恐怖からは、なかなか逃れられない。最初はくるぶしをやってしまい、去年は太ももで、松葉杖をついていた状態だったので、あんかに不信感を持っても仕方ないのである。寝ていても、体に密着すると無意識のうちに、そっちに行けとやっている具合。いっそのこと布団の上に置こうかなどと、間抜けなことも考えている。と、振り返ってベッドを見ると、愛犬の弥七君が、あんかの上で気持ちよさそうに寝ている。少々、疑心暗鬼になりすぎているのかも知れないが、皆さんも低温やけどには気をつけて欲しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ネットと子供と

 以前、既婚の友人三人と飲んだときに、私は質問してみた。「自分達の子供と、ネットとの間に何かしらの制約を設けるか?」と。すると、三人中一人は「物事の分別がつくまでは、ある程度、距離を置くようにする」と答えたのに対し、後の二人は「放任主義でかまわない」という回答であった。もし、私だったら、前者の意見が当然だと思っていたのだが、案外、人によって考え方が異なることに気づかされた。というのも、私以外はみんな、コンピューターに詳しい友人なので、答えも重みを増す。

 私たちの親の世代は、人生の途中でテレビができたが、私たちは生まれながらにして、その存在を認識している。ネットというのも、私たちの世代の途中で出てきたものなのだが、今の子供にとっては、生まれながらに存在している。・・・要は、文明の進歩と共に、新たな文明の利器が出てきて、私たちは、それとどう付き合うかの、付き合い方が問われている気がしてならない。小学校の時の授業で「漫画を読むのは悪いか」とか「テレビを見るのは悪いか」などといった議論をした記憶があるが、要はいいものならば、取り入れるべきだし、悪いものには手を出すべきではない。その、いいものを自分で選べるだけの力が付くまでには、ある程度、年季がいる。また、何がいいものなのかも、人によって定義が異なるから難しい。

 実際、今の世の中、電子メールや携帯電話は必需品であろう。ネットもそうかも知れぬ。しかし、ネットには危険な面も強く、私なら放任することはできない。また、いくら家庭で管理しているつもりでも、友達の家などで簡単にアクセスできてしまうというのも難しい所だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

まずは観察力から

 ずっと前に、ある友人から、「俺は記憶力がいいから・・・」というような話を聞いたものである。私は、それだけでは無いだろと思いつつも、正直マユツバで聞いていた。とりわけその友人に反論もしなかった私は、自分なりに色々と考えてみた。将棋の棋士などの本も参考にした。

 よく考えると、記憶力に先立つ力はあるのだ。私の場合、最初に来るのは「観察力」である。物事を見る目がなければ、何にもならない。次には基本的に「洞察力」が来るのだが、ここで「選択力」が来ても不思議ではない。そしてやっと、「集中力」に結びつくのだが、ここでも「洞察力」を超えた「判断力」が会ってもかまわない。

 その挙げ句に「記憶力」がものを言うのだが、次のステップである「思考力」につながらなければ意味がない。そうして「思考力」は「応用力」へと姿を変える。

 ここで初めて、「決断力」が大切になってゆき、それに伴って結果が出る。結果いかんにせよ、そこで初めて、人間というのは「経験を」得て学ぶのだ。この「経験」は、「記憶力」にも影響するし、「選択力」にも影響する。もちろん、一番大切な「観察力」にもフィードバックされる。・・・固い文章だと自分でも反省しながら、自分なりに考えて結論を書いている模様。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

千代大海は勝ちきれるか

 今場所(九州場所)は地元大分出身の千代大海が元気である。悪い癖だった、”引き”も余りで出てはいない。そんな中で回転の良い突っ張りが、好成績に結びついている。押し相撲で大関以上といったら、私の記憶では北勝海と千代大海くらいしかいない。そして、押し相撲というのは勝つときには勝つけれど、負けるときにはぼろ負けする、波の荒いものだ。

 そんな中で、大関の千代大海と魁皇が励まし合っていると聞く。長い間、大関を張り、二人には底知れぬ友情のようなものもあるのであろう。現在、千代大海は11勝2敗、魁皇は7勝6敗である。本日、千代大海と横綱白鵬の取り組みがあると聞いたが、私はそんなことに関心は持っていない。・・・それよりもむしろ、千秋楽で仮に七勝七敗の魁皇と2敗か3敗の千代大海がぶつかったときのことを想像してやまない。

 大相撲でも、自身の進退をかけた本場所では、怪我をしようがしまいが、がむしゃらに勝ちに行く。でも、そんな中で、勝ち越している力士が、負け越しが掛かっている力士に、情けを掛けるというのは何度も見てきた。・・・ちなみに私は、それが悪いことだとも思わないし、枡席で酒を飲みながらヤジを飛ばす連中など、どうでもいい。

 結論としては、千代大海は魁皇に情けを掛けるのかどうかということである。辛いことだらけの両者なだけに、むしろそちらに目が行く。どちらが勝つにしても、無様な相撲だけは見たくはないものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ゴミの分別

 先程、起床してすぐに、生ゴミを出しに行ってきた。外はまだ暗く、寒い。星空を楽しみにしていたら、今日は曇りであった。ゴミ置き場に着いてみると、カラスの被害を防ぐための折りたたみ式ネットがあるのだが、一番早く行った人が組み立てる。この時間帯だと、大概は、私が組み立てることになる。二つあるので、二つ組み立ててゴミを放り込んで家に戻る。ちなみに、そのネットをたたむ役目は町内で順番にやることになっている。

 昔はゴミの分別など無かったが、主としてリサイクル目的で、段階的に分別項目が増えてきた。現在の区分は、「生ゴミ」「瓶・缶・ペットボトル」「プラスチック」「厚紙・段ボール」の四つがあり、私の部屋にはゴミ箱が四つある。ごっちゃにしているものを、後から分けるのは、現実的に不可能であるから、最初から分別するしかない。曜日によって出すものも異なり、生ゴミが週に三回で、他は一回ずつ、それぞれ半透明の袋に入れたり、紐でくくって出すことになっている。・・・そういえば昔、生ゴミの日にフライパンを入れている、超強気なゴミが捨ててあったが、それは回収されずじまいだった。ルールを守らないと、回収してくれないのである(そうしないと、分別している意味が無くなってしまう)。

 家庭内のゴミの分別で、一番面倒なのが、ペットボトルである。本体はもちろん「ペットボトル」として区分するのだが、キャップと周りを包装しているビニールは、「プラスチック」なのである。だから、一本空く度に、ゴソゴソと仕分ける。面倒だが、少しはエコロジーに貢献している気分になれるのが、せめてものやりがいでもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ガングリオン

 今年の六月ぐらいから、仏画の前で経を唱え、座禅足をして座禅に励んでいた。座禅足は強烈に痛かったが、それも修行と、黙々とやっていた。慣れてくると、痛みは意識から遠のき、精神を違う境地に持ってゆけた。ただ、これにはコツがあり、某和尚の本の中で、「人間は、二つのものを、両目で同時に見ようとしたら、何も考えられなくなる」というのを実践したに過ぎない。一度、何事も考えなくなった頭が復活すると、とても新鮮なものである。体や精神の深呼吸をした感じである。その快適さが禅を続ける力になったし、自身ではもっと大きな冒険をしてみたかった部分もある。

 ・・・ところが。それを初めてまもなく、左足に瘤ができ、医者に行くと、「ガングリオン」という病名で、骨と骨の間の液体が、保護膜ごと、たこ焼きみたいに外に張り出した状態だというのだ。手術も考えて、話をしたが、根治は難しいとも言われた。・・・ということは、私は、これから一生左足のガングリオンとつきあってゆかねばならないということだ。現在、五円玉くらいの大きさで、私の左足にある。痛みはない。違和感はある。

 もう、二回くらい中の液体を、注射で取り除いたが、それでも膨らむ。固まったりもしない。普段はラフな靴を履いているのだが、いざ革靴を履く段になって、履けないでは済まされない。作戦としては二つ。フォーマルなときに事前に中の液体を抜いてもらうか、靴を新調するしかない。私は前者でいいと考えているのだが、どちらにしろ、試しに履いてみなければ始まらない。面倒な症状を抱えたものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

インド式算数と電卓マーク

 インド式算数という言葉が出だしてから久しく経つが、先日、テレビを見ていて、その洗練された手法に驚いた。私などが計算のコツと言っているものは、大概が因数分解を絡めて処理してしまうものが多いからである。もちろん、インド式算数にもコツはあり、慣れたらある程度出来るようになるのだが、さすが日本で言う九九を十九*十九まで覚えさせる国だなと感心した。

 一方で、一昨年、私が通っていた小学校の閉校式について、色々と聞くために、母校の校長と話した思い出がある。その時、私は、「算数の教科書の電卓マーク、あれはまだあるのですか?」と聞いたら、「あります」とおっしゃっていた。現在はどうなっているかは知らないが・・・。(ちなみに電卓マークとは、問題の計算は電卓でやってもいいという記号である)

 小学校から電卓で計算させるというのは、私から言わせれば言語道断である。下手をすると九九も出来ない子が電卓に頼ってしまう。基本が解らずに便利さのみを追求したら、必ず知識がつながらなくなってしまうのだ。また、検算する癖がつかないのも考え物である。例えば、私が大学入試の試験管補佐のバイトをやったとき、統計的に50人に1人は、答案に名前を書いていないという状態であったが、現在はもっとひどくなっているのではないか。また、いくら大学に入っても、検算する癖がない者に実験などをやらせると、最悪、事故につながってしまうのだ。・・・インドの算数と日本の算数の実態を考えると、この国の先行きが不安でもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アメリカがくしゃみをすれば・・・

 ここのところ、経済関連のニュースは、新聞とネットとTVで仕入れている。現象を直に見るのには数値の長期的な変動が参考になるが、何故そうなったのか?などは、例えばNHKのクローズアップ現代などを参考にしている。

 私がガキの頃の塾の経済の授業でよく聞いた言葉は、「アメリカがくしゃみをすると、日本は風邪をひく」というものであった。もう何十年も前に習った言葉であるが、どうやら現在でも成り立つようである。

 サブプライムローン問題に端を発した、ドル安、株安からの、円高、株安は景気の先行きを案じさせる。原油相場や穀物相場の値上がりは、物価高となって、もろに家計を直撃する。それでも、全体で見ればデフレ状態だというコメントは、希望を失わせる。デフレの一番のデメリットは、借金が、より重くなる事であろうし、原料のコストが上がっては、中小企業などはたまったものではない。もちろん、一般家庭も。

 こんな中で納得がいかないのは、実際の需要に対して、同じくらい、投機の金が原油市場や穀物市場に流れているということである。私は、お金というのは、生産に対しての対価なのだと考えている。しかし、一部の人間が私腹を肥やすために、金を生むために金を回し、大多数の人間が苦しい生活を余儀なくされるというのは納得がいかない。資本主義もここまで来たら、もはや末期症状である。・・・経済学が一番嫌いな私でさえそう思うのだから、もっと矛盾を感じている方は多いであろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

インフルエンザ予防接種

 今月の上旬にひどい風邪をひいた私は、昨日、インフルエンザの予防接種を受けてきた。ワクチンのlot.No.はインフルビゲンHA0750なのだが、予防接種を二回受けろという病院と、一回で済む病院とがあるのが不思議であった。私は、後者を選んだのだが、どちらにしろ予防接種は小学生の時の強制的なもの以来であったから、懐かしい気持ちがした。

 私はガキの頃、注射が大嫌いで、インフルエンザやツベルクリンなどがあると、前の日から落ち込んでいた記憶がある。低学年の頃は、不安から家で泣いた記憶もある。それから何年も経って予防接種を受けたのだが、ガキの時のトラウマからか、余り乗り気ではなかった。現にこれまで何年も受けていないし、インフルエンザにもなっていない。しかし、風邪で辛い目に遭っているのと、インフルエンザが流行する兆しがあるとの情報から、時間があるうちに受けておこうとは考えていた。そうして、受けてみると、あっという間に終わり、ガキの頃の、あの憂鬱は何であったんだろうとも思った。よく考えてみると、血液検査で血を抜いたりしたことは今迄何回もあったので、注射は嫌いでも、別にたいしたことはないのである。

 驚いたのは、金額で、インフルエンザのワクチン一つ打つのに、三千円近く掛かったことだ。こんなに高額なものであるとは知らなかった。確かに、子供に強制的に予防接種させるのを、国が取りやめた事も頷ける。・・・ただ、インフルエンザはかかったら地獄を見るので、予防接種を受けておくに越したことはない。また、過剰にワクチンに頼りすぎても意味がなく、結局は、日頃から養生しておくに越したことはないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

茶漬けの話

 先日、母の足の退院祝いと、父のこれからの抗ガン剤入院予防治療の精気を付けるべく、箱根に一泊の旅行に出かけた。私もつきあいということで、宿泊費自腹で、行ってきた。この時季の箱根ということで、紅葉も楽しみにしていたが、ただ道が混んでいるだけで、ほとんど色づいていないのが残念でもあった。母は温泉宿に行くと、最低でも三回は風呂に入る。足への効用を考えたら、いいことなのだろうが、夜中でも入りに行くのでドタバタする。そんな中で、ふと気づいたのだが、箱根の温泉宿や、温泉施設には北条早雲と掛けている部屋などが多い。ダイレクトに「早雲」の間があったり、「層雲望」などという部屋があったり、といった具合だ。確かに戦国時代には小田原を中心に北条氏が治めていた地域であるから納得はゆく。

 昔、私が子供の頃、茶漬けを食べるのに、お茶を注ぎ足したら、父から、「北条家の何代目かが、息子が茶漬けに、お茶を注ぎ足すのを見て、こいつの代でこの国は滅ぶだろうと、ぼやいたらしい」との故事を聞いたことがある。当時は余り意味がよく解らなかったが、何年か経った頃には、理解できた。それはつまり、たかがお茶漬け一つをとっても、お米の量とお茶の量の配分一つさえ、まともに計算できないようでは、たかが知れているということだ。実際にその代で北条家は滅んでいる。・・・そこまでスキが許されないことに驚いたものだ。

 とはいえ、今回の旅館、夕食一つ食べるのに、二時間も掛かるように設定されていた。高級志向だか何だか知らないが、時間が掛かりすぎて、お茶漬けの話もあったものではなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サッカー五輪予選を見ていて

 先程まで、U22のサッカーの五輪予選であるベトナム戦を見ていた。結果は4-0で申し分無いのだが、内容は今ひとつという感じが拭えなかった。確かに才能溢れる選手もたくさんいたが、連携のミスや、蹴ったボールが相手へのパスになるなどのミスが頻発していた。DFは比較的安定していたようだが、相手のミスに救われたケースも多く、ポジショニングにもバランスの良さが感じられない面も多々あった。こないだの、浦和レッズとイランのセパハンとの、アジアのクラブチームNO.1を決める試合に比べて、格段に安定感に欠ける気がした。オシム監督が病の中、気合いは伝わったが、前半に比べ後半は運動量が落ちていたのも否定できない。 私は、これではオリンピックに出場できたとしても、良い結果は出ないと思うようになった。

 サッカーといえば、大学の研究室時代の先輩で、毎週サッカーマガジンを読むくらいに熱心な先輩がいた。披露宴にも呼んでくださり、片道三時間掛けて行った記憶がある。すごく思いやりのある先輩で、いろんな事でお世話になった。その先輩は、現在、家族と一緒にシンガポールに海外出張されている。行かれてから、もう二年ぐらいになるが、日本での情報(特にサッカー関係)などをメールで報告しているのだが、どうやらシンガポールはインフラがしっかりしているので、ネットを通じて日本での情報も、私より早く入手されている感触である。仕事が忙しいだろう事もあり、最近は節目々々にメールを送ることにしている。・・・と、よく考えれば、もうすぐ年の末、今年はどんな年賀状やら年賀メールを出そうか、そろそろ考え出さねば。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

眼鏡を作る

 昨日、眼鏡を作ってきた。はやりの細いのが八割以上だったが、私はなるべく視野の広いものを選んだ。車を運転するとき、視野が狭いと怖いからだ。結局、レンズの厚みなども考慮して選んだのは、丈夫でフチありというものだった。

 前にフチなしの眼鏡を作ったが、行方不明である。丹念に探しても、見付からず、時間待ちをしたが、見付からない。気合いで、昔の二代前の眼鏡を使っていたが、どうもピンとこない。そこで、眼鏡を新調する覚悟を決めた。最初はフチなしにしようかと考えたが、レンズが厚すぎる形になってしまう。値段とデザインのバランスを取りながら、消去法から始まり、候補を選び挙げた。そして「これにします」と決断する。・・・ひどい違和感がない限り、眼鏡に顔が合ってゆくものなのだと思う。

 また、今回は、コシノ姉妹でも知らない(失礼)名前の方のフレームを買った。他と比べて、はるかに、なじみやすいのだ。これはブランド志向ではなくて、たくさんの眼鏡を掛けて感じた次第。・・・といっても眼鏡は所詮、道具である。眼鏡が似合わないという前に、もっともっと自分に磨きを掛け、その上で言ってみたいものだ。

 昔は眼鏡がない方が、風景がぼんやりとしていいと感じていたが、最近は、眼鏡を掛けなければ、重要なシグナルを見落とすと感じている。まあ、本を読む限りではいらないのだが、これから目薬の出番が増えそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

パチンコ台の釘について

 初めてパチンコを打ったのは高校生の時だったと思う。もちろん私服で行っていたが、友人に誘われるままに、しばらく研究したことがある。たしか、煙草もこのときに覚えた。当時はまだヒコーキ台も多く、セブン台よりもこちらの方が好きだった。台それぞれの釘に個性があり、それを観察しながらやっていた記憶がある。現在のパチンコ屋は、どこも、セブン台ばかりになってしまって、それはそれで面白いのだが、データがものを言い、釘はそれほど見なくなった。と言っても、ここ数年は時間もなく、行っていない。

 釘を見る基本は、上下左右を確認すると同時に、全体としてどういう風に球が運ばれる傾向にあるかをつかむことである。そして、重点の釘が、どうなっているかを見る。部分的に、釘が右を向いていれば球は左に行きやすいのは、すぐに納得が出来たが、上げ釘には球が絡みやすく、下げ釘では球がはじかれやすい事について、論理的に納得できたのはしばらく経ってからであった。その、上げ釘と下げ釘と球の動向についての関連性は、単に抵抗が大きいか小さいかの違いである。つまり、球が上から下へ落ちてくる以上、上げ釘に比べ下げ釘の方が球に接する時間が長く、それだけ抵抗が大きい分だけ球の邪魔をする、結果、下げ釘は球をはじきやすいということになる。

 他にも、いくつか気がついた点があるが、それはまたの機会に。・・・パチンコといっても、四円玉を転がしている事と、時間が掛かりすぎる事を考えたら、軽々しく店に行く気持ちになれないのが、最近の心境である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大油田

数日前、ブラジル沖に世界最大規模の油田が見付かったと、ニュースで聞いた。日本では、あまり注目されなかったが、私は、それがもし、尖閣諸島沖だったら、どうなっていただろうと、ぼんやり考えていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

健康保険証

 ほぼ毎週、金曜日の夜、仕事帰りの空いた時間に電話をくれる友人がいる。ここのところ体調が悪かったりで、ずっと電話を取れていなかったのだが、こないだの月曜日に電話が鳴って、久々に話をした。このブログを読んでくれている友人でもあり、丁度、私が風邪をこじらせた頃に、その友人も、ほとんど同じ症状で、会社を三日ほど休んだらしい。お互いに「接点がないのに不思議なもんだな」と話し、「今回の風邪は中途半端だけど、だるくてしつこい」という点で見解が一致した。お互い風邪は治ったのだが、私の方は、左足に釘を踏み抜いたような激痛がある状態で、「今度は整形外科。それが終わったら、内科でインフルエンザの予防接種。時間があったら歯医者だ」などと話していた。 翌日、足の痛みが退き、整形外科に朝一番に行くと、尿酸値が上がっており、痛風の薬を処方していただいた。痛風の発作経験のある父に聞くと、本格的に発作が起こると(痛み止めの)モルヒネも効かず、足を切り落としたくなる位に痛いと言っていた。いわば私は、左足に爆弾を抱えているようなものなのだ。現実的な気持ちが湧いてきて、しばらくは粗食で通すしかないという覚悟を決めた。

 考えてみれば、これだけ病院をハシゴしていると、健康保険のありがたみがよく解る。・・・ひと昔前、ある知り合いが、歯医者に行くのに、私の健康保険証を貸してくれないか?と打診してきたことがある。このときは困った。無論、犯罪である以上、貸すわけにはいかないのだが、親しかったこともあり、困っているのは解るが、断るのに、どう言ったら角が立たないかで苦しんだ覚えがある。たしか、「お金なら貸してあげられるけれど、保険証は貸せない」と言った記憶がある。・・・今になって、よく考えてみると、恐ろしい奴だなと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

英語喫茶「World is Yours!」

 ブログを毎日書いていると、いろんなトラックバックがやってくるが、八割以上は営利目的のものが多く、もちろんそんなものは、私のブログにはハナから載せない。迷うのが、ブログをやっている方からのものなのだが、内容を読んでみて、変に偏った視点で書かれているものは困る。悩んだ挙げ句に、申し訳ないなと感じながらも、置いておくことが多い。そんな中で、私がブログを初めて間もない頃に、現在でもアクセスの多い「老人と海」について書いたところ、素晴らしいトラックバックがやって来たので、喜んで掲載させていただいた。

 ご存じの方も多いと思うが、「World is Yours!」というfighterkさんという男の方がyaplogでほぼ毎日(一日二本の日もある)更新されている、主として日本人と海外の方との交流をテーマにされている素晴らしいブログだ。昔は私のブログに喜んでfigterkさんのトラックバックを載せさせていただいていたのが、現在無いのは、fighterkさんのブログが、たしか夏の終わり頃にgooからyaplogに移籍され、その際に私は、どう更新したらよいのか解らず、申し訳なくも、自分のブログのページから消したのが実情である。従って、個人的にfigterkさんの「World is Yours!」を毎日読んでいる次第である。

 「World is Yours」の面白さは、一言では言えないが、主としてアメリカの文化の紹介やいろんな大物ミュージシャンとの交流、アイデンティティが確立された上での様々な批評などがしっかりとした文章で書かれている点だ。URLを載せるので興味のある方は是非訪れて欲しい。http://yaplog.jp/shootist-k/なのだがサーチエンジンでもすぐに検索できると思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

健康な人などいない

 健康な人などいないと書いたが、根源的に健康な人などいないと書いているつもりである。つまり、つまらない何かの数値で健康であるか、そうでないかを決めるのはナンセンスな部分もあるのだ。数値というのは、あくまでも基準であって、慰めに過ぎない。なぜならば、「健康である」ということの定義はこの世に存在しないはずだ。医者に掛かる方は、その原点から外れないで欲しい。同時に、医者も人間であることを忘れてはならない。

 別の問題で、医者は健康か?と尋ねられても私は頷かない。いろんな医者を知っているから。医者それぞれに生活があるのも事実である。大概の病気は、健康とされる医者に見てもらうのがいいとは思う。しかし、様々なる深刻な病気で、健康な医者が、身を以て知るということもまれであろう。

 私が医者に求めたのは誠実であることだった。医師としてだけではなく、人間として信用できるかは、この一点に絞っていた。現に、多少の診療ミスがあっても、またその医者に掛かる事が出来る・・・というのは、結局、医者を医師として見るか、人間として見るかということだと感じる。医師も人間である限り、チョンボもすると思う。・・・問題はそれが致命的であるか、そうでないかだ。人生と一緒で、致命的なミスだけはしてはならない。

 私は医師に万能を求めるのはナンセンスだと思う。確かに、医師の言葉は重い。しかし、医師だって生活の中で色々なことがあるだろうし、患者だって、身に覚えのあることが色々あるだろう。やたら責任を医師に押しつけたがる方がいるが、極端な例を除いて、本人にも責任のあることなのだと感じる。患者の狭い視点からの一方的な訴訟が増えている件は遺憾である。「あわよくば」では済まされない。・・・もちろん、C型肝炎問題など、明らかに国や行政に問題があるケースもあるが、地域のお医者さんを、患者が一人前にしてあげようという動きがあるのも事実だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

沖縄集団自決問題について

 沖縄集団自決問題に関して、大江健三郎氏が著書「沖縄ノート」の内容の一部の著述について訴えられていた裁判の記録を先程確認した。その中で、元隊長の原告が「自決命令を出してはいない」という旨で名誉毀損で訴えているのに対し、大江氏は尋問で、隊長個人の責任を問うよりも、むしろ、当時や今の日本と沖縄の状態および関係を主張しているという点で、私は、多少論点がずれているイメージを持った。一隊長の立場の問題よりも、沖縄戦や戦後の本土との関連性の問題の方が、はるかに大切な問題だと改めて意識した。もちろん隊長の中には、軍からの集団自決命令に従わなかった方もいるだろう事も視野に入れた上での視点である。

 また、集団自決命令に関しては、歴史教科書検定の際に、軍が関与しなかったと訂正される動きが当初は起きたが、それに対して沖縄では数万人規模の人が集まり、それに抗議する集会が行われたのも事実である。その際、そのニュースで、それまで口を重く閉ざしていたおじいさん、おばあさんが沖縄の戦争体験について語っておられていたが、いずれも集団自決を肯定するものであった。一連の動きから、歴史教科書問題は軍の関与についての記述をどうするかで現在もめている。

 結局、私が思うのは、沖縄が戦中戦後と、本土の捨て石みたいにされた事実を、本土の人間はあまり意識していないどころか、消そうとさえしている事に大きな哀しみを覚えるのである。自分がしたことでなくても、その関連のニュースが流れる度に申し訳なさのようなものを、少なくとも私は感じる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

断定された方が治るか?

 母が足首の骨折から退院したら、今度は私の番だった。一週間以上風邪で苦しんでいた私は、やっと内科にかかる余裕が出来て、一昨日、診療していただいた。その際、「後どれくらいで治りますか?」と尋ねたら、即座に「あと三日くらいだね」と言われ、安心したと同時に、それから二日ぐらいで治ってしまった。しかし、悪いことは重なるもので、風邪が治ったかと思ったら、今度は左足が猛烈に痛み出した。近所の整形外科に通っていたのだが、ついに夕べは痛くて夜中何度も目が覚めた。近所の整形外科の先生は、ものすごく親切な方なのだが、病状をあまり断定されないタイプだ。一般的な痛み止めであるロキソニンと湿布をいただいたが、症状は改善しなかった。そこで、失礼ながらも、以前お世話になっていた整形外科に、先程まで行っていた。もちろん、それまでの治療等については話さず、痛いことだけしか伝えなかった。どちらの先生にも失礼だからだ。以前通っていたこともあり、私に痛風の兆しがあることを知っておられたその先生は、レントゲンで骨に異常がないことを確認されると、血液検査を行ってくださり、痛み止めもいくつか処方してくださった。その先生も断定はされないのだが、患者としての安心感がまるで違った。なんとなく、すぐに治るのではないかという気がするのだ。足が痛い事に変わりはないのだが。

 医者の立場に立った場合、様々な病気があるから、断定的であるのは一概にいいとは言えないだろう。また、断定するというのは一種の決断であり、責任を伴う難しさがある。しかし、風邪や足が痛いなどの場合は、ある程度断定していただいた方が、患者としても安心するし、治りも早くなる気がする。断定と責任と症状のバランスを取ることは医師にとっても難しい事なのだろうと感じた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

愛別離苦

 過去の言動について、私は飾り立てることはしない。正直に、その時その時の決断を信じた上で述べるものである。また、私は反省はしても後悔はしないようにずっと心がけてきた。自分の決断を信じると同時に、前向きな自分でいたかったからだ。

 少し前に、私は、父の命をルーレット台に乗せるような書き方をした。確かに不遜である。しかし、誰が尊敬する人の死を望むだろうか?ギャンブルという表現はしたが、命と金とは釣り合わないどころか、比べものにならない。そういう意味で、父が生還してくれたことは、他の何物にも代え難い。

 以前の文章では、どのようにも取れる。そういう風に書いたのも事実であるが、それは受け止める側の問題として処理した。でなければブログなど書くものではない。

 当時、父の病気が快方に向かうことや、それを信じていたという意味では私は「確信犯」だろう。「確信犯」の定義も調べては見たが、私が筋を通していないと受け止められることは、覚悟の上で遺憾でもある。なぜならば、人の命に「絶対」などあり得ないのだから。

 先週末、足首の複雑骨折で入院していた母も戻ってきて、我が家も少しは活気づいた。しかし、いつ、何時、何が起こるかという暗雲は拭えない。私もしっかりせねば。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

そろそろコタツの季節だ

 ここ数日、めっきり冷え込んできて、我が家でもエアコンの暖房を入れることが多くなった。しかし、風邪をひいているせいかどうかは解らないが、どうも、エアコンで温められた部屋の空気を吸っていると気持ちが悪くなる。昔の私はそうでもなかったのだが、今年は特に違和感を感じる。それに比べると、まだホットカーペットやコタツの方が快適である。少なくとも私の部屋ではエアコンの暖房はまだ使っていない。

 昔は、居間にコタツとガスストーブが置かれていた。私は平気なのだが、両親が石油ストーブ嫌いということで、ガスストーブやガスファンヒーターなどを主として用いていた。子供の頃の思い出としては、風呂から上がったばかりの弟が、ガスストーブに座ってしまい、尻に網の模様の火傷が出来たことがあった。冷え切った冬の早朝には、学校に行くのに、ファンヒーターの前で身震いしながら、着替えたりもしていた。 よく考えると、ガスで温めても空気は悪くなるはずなのだが、昔は何も感じなかった。エアコンでも、昔は特に不快感は無かったのに、今年に限って何故か嫌なのである。単に空気が乾燥するからかも知れないが・・・思えば、私は飲み物でも温かいものよりも、冷えているものの方を選ぶ傾向にある。

 そこを行くと、暖房器具で、昔から変わらず愛用しているのはコタツである。毎年、居間に置くのだが、愛犬の弥七君も大好きで、居心地がいいのか、普段は二階の私の部屋に上がりたがるのに、潜って出てこないこともある。気配がないなと思ったら、大体、中で寝ていて、なかなか出てこない。猫ならまだ解るのだが、犬がコタツで丸くなるというのが何ともおかしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

不孝なギャンブル

 父が最初に癌になったという事を聞いたときは、ショックを通り越して、現実をただ認め、対応するしかない状態であった。舌癌と食道癌の併発で、舌癌は放射線治療で治ったものの、食道癌は本格的な手術を受けるしかない事になった。食道癌は、ただでさえ主要な臓器が集まっている部分なので転移しやすく、手術も肋骨を開いて、食道を切り、胃を持ち上げるという、医者にも患者にも大変手間が掛かるものに決まった。幸い早期だったので、不自由はするが、他への転移は防げる見通しの中、術後、数日は集中治療室(ICU)に入らなければならず、三日間ぐらいは意識が無い状態になると聞いていた。母は常に父と行動を共にしていたし、普通なら私も父を見守るのが当然であろうとも考えた。しかし、私は、迷った挙げ句、手術の前後には、敢えて顔を出さない方が得策なのではないかと考え、携帯電話で母に毎日連絡する事を告げて、車に荷物一式を積むと、北へとあてどもなく旅に出ることにした。

 常識から考えれば、私の取った行動は目茶苦茶であるし、親不孝の極みとして、何を言われても仕方が無いと覚悟していた。現に、退院後に父からも、「俺の入院中、遊びに行ってた」と言われたが、ずっと私は無言で通していた。・・・数年後に誤解は解けたが。

 正直に言うと、あのときの私は、何としても父に生還してもらいたかった。その場合、彼岸をさまよう父に、付き添いまくるのが上策とは思えなかった。父が、生き死にの彼岸をさまようとき、生きる方に心が動くためには、この世への未練が鍵を握ると考えていた。わざと術前に会わないことによって生還するエネルギーにしてもらいたかったのである。いろんなケースを覚悟した上での、自分勝手で不孝なギャンブル(勝負手)に賭けたのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

流れを変える

 ここ数日、そして現在も風邪で頭が働かない状況の中、抗生物質などを飲みながら寝ている現状である。そんな中で、仲間と、毎日続けると約束したブログが、ネタはあっても話が膨らまないということで苦しんでいた。というより、膨らませようと思っても、コントロールが効かず、「文章が暴走」し、何が言いたいのか解らなくなってしまい、何回も書き直すということの繰り返しであった。そんな状況で掲載する時間が遅れがちになり、全てが後手後手に回ってしまう始末で、ここ数日、悪循環を繰り返している。

 物書きは特に、締め切り間際まで粘るというイメージが強い。もちろん、推敲された上でモノが良くなればいいが、大抵の場合、私はそうではないと考えている。確かにアイデァが湧かない辛さというものはあるが、納得のいかない辛さの方が、現在の私の場合は辛い。変に妥協すると、後悔ばかりが残る。下手に頭の中でばかりシミュレートし過ぎると、どこかで限界の壁にぶち当たり、何も書けなくなる。そういう意味でも、私の場合は、時間に余裕のある時の方が自由度も高く、発想を素直にしたためることが出来るタイプだ。

 物事には煮詰めなければならない場合と、そうでない場合がある。臨機応変に対処しなければならないのが現実であるが、生活の基本を押さえた上での、自分の流儀から背を向ければ向けるほど、扱いづらくなる。それに慣れると自分の軸がぶれる。結果、スランプが待っている。・・・こういう時は、多少無理してでも、流れを変えて、自分の方に物事の土俵を持ってこなければ解決しない。一見、意味のないことかも知れないが、自分にとっては、過去の失敗からの自身への戒めである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

好胤効果

 二、三年前の一時期、般若心経の写経に凝っていたことがある。写経といっても、下にお手本を置き、トレーシングペーパーのようなものに筆ペンで上からなぞっていたので、決して本格的なものではない。心を落ち着かせる事が目的だったので、あくまでも個人で親しんでいたに過ぎない。最初は一時間半ぐらいかかっていたが、慣れてくると大方、四十五分位で仕上がる感じであった。その際、奈良の薬師寺の元管主、故高田好胤和尚の説法のCDを順番に聞いていた。内容は仏教的なことをテーマにしており、勉強にもなったが、たとえ話が多すぎたりもして、やや無駄話も多い印象であった。テーマを具体的に挙げると、「唯我独尊の本当の意味」や「日本人の心」、「盆と正月について」など様々あるのだが、そんな中で、ふと、和尚が夏にもマフラーをしていたことを語っておられた事を思い出したので、それについて触れてみたい。

 仏教とは全然関係ない話であるが、和尚は、馬鹿にされようが、夏にもマフラーをしていたのは、風邪をひかない為であると語っておられた。医学的根拠まで語っておられたかは覚えていないが、人間は喉の下の部分を冷やすと風邪をひくとは語っておられた。私は、なるほど、確かに人間の主要な血管が集まっている中でも、表に出やすく、そこを温めると効果があるのだろうと、実験したら、本当に体が暖まることを身を以て知った。それから、マフラーをする際には首の前で結ぶようになった。・・・ところが、今年はずっと気温が高かったので、私はそのことを忘れていた。急に寒暖の差が出だした頃に風邪気味になっても、忘れていた。風邪をこじらせて数日経つが、大慌てで首にタオルを巻いている次第。迂闊であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

病床にてのメモ

・広告のコメントは全部読むと、何が言いたいのかよく解らないことが多い。

・「煮詰まったらパンクを聞け」という、友人のアドバイスはなかなか面白い。丁度、頭をリセットするようなものだろう。

・満州国の理念を考えてみると、当時の日本の経済のみでなく、政治的保険でもあった気がしてならない。

・ちょっと前、出会いの結婚ビジネス会社から、「サクラになってくれ」という旨の電話があり、即座に切った覚えがある。呆れて物も言えなかった。

・人間社会というものは、(進まざるを得ない場所はあっても)帰る場所はない。それが歴史を知り、現実を知るということだ。

・フランス人がやたらナポレオンを持ち上げるのは、それ以外では、ことごとく痛い目に遭っているからだろう。果てはブランデーにまでなってしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

向かうこと四時間

 今日のブログは苦労した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ことしの風邪は・・・

 一週間ほど前から、熱こそ出ないが、喉に違和感を感じ、咳が出て、鼻水が止まらない状況が続いていたのだが、イソジンでのうがいと風邪薬を飲みながらの処置をしながらも、ろくに眠れない状況が続く中、ついにこじらせてしまった。昨日辺りから頭が働かず、何をするにもだるい状態だったので、今日は一日中寝ていた。幸い熱こそ出ないものの、症状は改善しない中、病院に赴く時間もなかなか作れない。一方で、左足のこぶ(ガングリオン)の中の液体も、二度抜いてもらったが、再び大きくなり、痛みも出てきたので、手術も視野に入れなければならなくなってきた。また、奥歯のうちの一本の銀歯がゆらぎ気味なので、いずれ歯医者にも行かなければならない。歯医者での治療は10年ぐらいしていなかったのだが。

 それにしても、忙しいときに限って、何故こんなに事態が重なるのかは不思議だ。こういうときこそ、逆に気持ちに余裕を持たせなければならないのだが、とりあえず風邪は早く治って欲しい。ここのところの寒暖の激しさに体がついて行けなかったのだろうか。気合いで乗り切る事が多かったが、歳と共に体がいうことを聞かなくなってくる。それでも「気合い重視」な私は、ただの馬鹿かも知れぬ。

 風邪といえば、受験生の頃、数学塾の亡き恩師が「風邪はひいてからでは遅い。風邪気味の時に直さなければダメだ」とよく言っていた。また、「数学に関する限り、本格的に風邪をひいてしまうと、二ヶ月は思考力が落ちて問題が解けなくなる」とも言っていた。風邪で泣いた友人を知っているだけに、受験生の方はくれぐれも気をつけて欲しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

あまりに芸術的な

 人間なぞ

あまりに芸術的なものに

浸りすぎると

耐え難く

疲れ切ってしまう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »