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強運じいちゃん

 私の母方の祖父は大正生まれだが、瀬戸内海で今もミカンを作っている。祖父は日中戦争に陸軍の兵卒として従軍したが、それがまた強い部隊だったらしい。いつか、敗戦についてどう思ったか聞いたことがあったが、自分達の部隊は連戦連勝だったので、当初、信じられなかったらしい。また、よく聞く話だが、海軍では将校が兵卒を竹刀で叩いたりしていたが、陸軍では一切無かったとのこと。なんでも、そんなことをしていると、上官でも後ろから鉄砲で撃たれるからとのこと。また、戦闘中も、銃の弾丸の音で狙われているかどうか分かったらしい。そして、銃口が向けられていないときには豚を追いかけていたらしい。

 そんな祖父の部隊が、ある小屋に駐屯していたところ、真ん中に座っていたじいちゃんは、ここだと危ないと、端に移動したところ、本当に真ん中に砲弾が落ちてきて、命拾いしたらしい。また、飯ごうを盗まれてしまったと、同郷の親友に話したら、その方が自分の分をくれ、他の人のを盗みにいったとか・・・当時、金属は貴重だったので無くしたら大変だったのだ。

 終戦を迎えても、祖父は蒋介石の軍隊の傭兵としてやむなく戦ったらしい。その時、生存率が3%もない戦場に三回行って、全て五体満足で生還したとのこと。捕虜みたいな扱いを受けていたのかと思ったら、威張り散らしていたらしい。何でもそれには裏があって、当時の中国人は壁に金を埋め込んで隠していたので、壁を掘り返したら金が出ることがよくあったらしい。噛んだら真贋が分かるとも言っていた。それがあるものだから、兵舎で南京豆(ピーナッツ)を持ってこさせて、悠々と将棋を指していたらしい。・・・そんな祖父だが帰国してからも近隣の戦友とは大変仲良くしていたと聞いている。

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