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いじめ問題

 ここのところ、いじめで亡くなった生徒に関する記事が多い。いじめをどう解決するのかは難しい問題だといえる。それぞれに事情があるだろうし、中には形にならない陰湿ないじめもある。あらゆるコミュニティーに於いて、多かれ少なかれ、いじめは確実に存在するものなのだ。本来は周りがフォローしたりするものだが、「我、関せず」だと解決は難しい。

 昔、私はいじめられっ子にもいじめっ子にもなったことがある。そんな中で、感じたのは、いじめられる側にも責任があるということだ。辛いときに、いかに耐え凌ぐかというのも大切なことだと思う。人生には波があり、何がどう変わるか分からない。浮き目も必ず来るものだ。自分の可能性を信じている者は、簡単に死など選ばないはずだ。具体的に、自分の場合、いじめられているときは、いかに敵を作らないかで、話を面白くするように努めた。それが環境が変わった場合、人を惹き付けるパワーになるのだから、不思議なものだ。

 塾で教えていた頃、いじめによる登校拒否の子がいた。中学生だったが、「いじめられる側にも責任がある」と語ったら、驚いていた。「殴られるのが嫌なら、何か体育系の部活に入ればいい」とも言った。しかし、彼は自分で「鬱の気がある」と話していた。彼は繊細で、デリケートだった。プライドも高い。しかしそんな彼が自宅では妹をいじめているという。私は二人だけの時に「人にやられて嫌なことをするな」とだけ言った。・・・現在、彼がどうなったかは私は知らない。大検を受けると言ってはいたが、そんなことよりも、「やさしさ」というものだけは見失わないでいてくれることを祈っている。

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