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感性の共鳴作用

 昨日、NHK教育だったと思うが、ピアノのレッスンの講座があった。曲はドビュッシーの「月の光」で、外人の教師が弾き方について、事細かに、一人の日本人にコーチしていた。そして番組の最後に、この曲のバックにはベルレーヌの詩と印象派(?)の誰かの絵が影響を与えており、そこのバックグラウンドを押さえるのも大切だと語っていた。私は、さすがプロのコーチでも、TVに出るような人はよく勉強しているなと、感心した。そして、一つの芸術作品の下地に、様々な芸術的感性が共鳴し合っている構造にも興味を持った。

 これは何も芸術作品だけに言えることではなく、我々の生活の中の出来事でも当てはまるのではないか。例えば私の場合、やっていることが壁に当たったとき、全く関係ないことをする。アイデアを寝かせた上で、他の部分で自分の感性や経験を磨き、積み重ねることにしている。そうしてみると、寝かせていたアイデアが起き上がってくることが多いので不思議だ。・・・結局、自分を豊かにすることの大切さとは、いろんな引き出しを持っていることの重要さと変わらない気がする。

 話をクラッシック音楽に戻すと、ドビュッシーはまだ近代の作曲家なので情報も多いだろうが、もっと昔のスコアから演奏するのは、かなり、その人任せになってしまう気がする。例えば、私は五種類の「トルコ行進曲(モーツアルト)」を持っているが、みんな弾き方が違い、異なる印象を抱いてしまう。そのうちの一枚は、これは売ってはいけないだろう、というぐらい、お粗末なものである。そのピアニストの性格のきつさが解ってしまう感じだ。

 何はともあれ、クラッシック音楽は奥が深い。

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