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科挙について

 「科挙」とは昔の中国の国Ⅰみたいな試験である。その中で最も優れたものが表紙になったことから「圧巻」という言葉が出来た。

 「科挙」には詩の項目があったので、他の国に後れを取ったと説明されたことがある。つまりは、いろんな方面での実践的な項目に即した試験のみを行わずに、詩なども基準にしたから立ち後れたという考え方である。・・・実利的でないと。

 確かにそういう面は否めない。しかし、人間、ある程度の歳になると恋愛詩に共鳴したり、また、自分でも様々な方向性で、詩想を練ることは大いにある。いくら実利に優れた人間でも、そういう心が解らない人間には魅力がない。

 一方で、試験で問うものかどうかも、難しい。例えば、「おまえ、切なさの詩を作れ」といきなり言われても、なかなか秀作は出来ないはずだ。即興と実力は異なる。

 日本の政治家は、この、人の心に触れるという部分がずっと欠如してきたのではないか。最近では、実力もない政治家が多い。「二世、三世議員」、「タレント議員」が増える中、これは「大化の改新」以前の、悪しき氏姓制度が繰り返されていることに他ならないのではないか。政治家も小粒揃いだと改めて受け止める。

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