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『金閣寺』 その1

 ドストエフスキーの「罪と罰」が事件後の葛藤なのに対し、三島の「金閣寺」はそれ以前を記していると小林秀雄が言った。三島の「金閣寺」について、ここであらすじを述べてもよいが、どのような切り口から入ろうか・・・?

 戦前、幸いなことに京都にはひどい空襲がなかった。その中で寺の坊主(世に金閣ほど美しいものはないと言われて育った)が、あちらこちらの空襲の中で、金閣と親しみ、段々と(外見上は)美しくもない金閣の虜となって行く(初対面のがっかりした印象が変態してゆく、この仕組みは実は人間的にとても深い)。戦時中の緊迫感と共に、金閣を神の如く崇めるようになる。その緊張感が主人公と金閣をより一層シンクロ(同一化)させてゆく。

 しかしながら、幸か不幸か、金閣は戦災を免れる。主人公は複雑な気持ちながらも、終戦を迎える。そんな中で、危機に瀕していた頃の金閣と主人公の関係が崩れてゆく。・・・つまり、「金閣」が残ったのは、ありがたいが、『美』という観点からは、最高に美しいはずの金閣が生き残り、自分自身の想いとの乖離に苦しむ。・・・戦時中の一体感は薄れ、次第に「金閣」との距離が遠くなって行く。そんな中、主人公はある決断をする・・・「金閣は焼かねばならぬ」と。

 小説では、その坊主が放火し、尻切れトンボみたいなオチになっている。しかし、これがフィクションでなく、現実であったならば・・・

(つづく)

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