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2007年9月

麻雀の基本

 ルール自体は小学校の五年生の時に父から教わり、家族でも時々やってはいたが、父はコツなどは一切教えてくれなかった。しかも、勝つと必ず、子供からでも「いつもニコニコ現金払い」などと言って、数十円でも回収していた。・・・今になって思えば、それも父なりの教育だと受け止めてはいるが。つまりは、博打で負けた金を払わない奴ほど卑怯な奴はいないと。

 中学・高校・大学と、麻雀を続けていくうちにレートは上がっていったが、ガキの頃からなじんでいたので、すんなりと入っていけた。麻雀友達みたいなのもできた。私は決して強くはないが(実は疲れるのであまり好きではない)、麻雀は勝ち越している博打の一つである。大学の頃、麻雀友達と、「麻雀の基本は何だと思う?」という話題になったのだが、結論は「やっぱり、メンタンピンだろ」と話した記憶があるが、後日そいつに会ったら、「麻雀の基本は、リーチのみだ」と笑いながら言っていた。後者はもちろんギャグである。それどころか、常に上がりに行くことは、麻雀では敗北を意味する。簡単に説明すると、流局も含めると、上がれる確率は、単純計算で四回に一回もない。つまり、いかに凌ぐかの「我慢」のゲームなのである。

 私の父は社内麻雀で車を買った。亡くなった友達の親父さんは雀荘通いで家を建てた(その親父さんはカミさんに小遣いをもらったことがないらしい)。数年前、父が珍しく、麻雀のコツについて語った。「基本はピンフだ」と。私も同じように考えていたので、そのことには驚かなかったが、普段コツなど、絶対に語らない父が打ち明けたのには、かなり驚いた。

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「爆問学問」を観て

 先程まで、NHKの「爆問学問」をぼんやり観ていた。爆笑問題のおもしろさは、お笑い芸人と言うよりも、知識派の面が強く、好奇心をあおってくれる番組が多いことに、改めて気づかされた。確かにそれまでのお笑いタレントと異なり、シュールである。言っていることも、まっとうであり、いろんなジャンルに応用が利く。こういうタレントはネタが尽きないであろうし、寿命も長いであろう。

 番組では、主にデジタル化され、バーチャル化してゆく未来について取り上げられ、各方面の専門教授達とのトークとなっていたが、学会臭さもなく、あくまで番組として楽しめた。その反面で、結局は結論が出ていなかったのはやむを得ないことなのかも知れない。途中で塾長が登場し出しから、専門色は薄まり、学問について語られるようになったが、こちらの方が個人的には興味のあることであった。塾長は学問には二つあると語っていたが、はっきり、勉強と学問という言葉で使い分けてしまってかまわないとも感じた。つまりは知識を着けるための「勉強」と、その下地の上での「自分の疑問に迫る学問」との繰り返しに寄ってしか、教養や知恵は身につかないと。その上で様々な交流を持つことが、どれほど大切かを力説して欲しかった。

 最後の学生の質問で、「学問することによって、どのように幸せに結びつくのか?」という質問があったが、本当に学問している同士で話をすると、共鳴作用が起き、時には自分や他人にブレイクスルーを生じさせ、より自分達を高めてくれるのである。自分が高められることは、宿題も増えるが、好奇心あるものにとっては、幸せなのではなかろうか。

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プレート温暖化説

 ここのところ、日本近海や、大きなものではインドネシアのスマトラ島沖で、昔に比べ地震が頻繁に起きている。私は地球物理学者でも専門家でもないので、以下に書くことは暴論かも知れない。

 プレート型地震の仕組みとして、年に数センチ規模で動くプレート同士の歪みが、長年掛けて大きくなり、ある段階を超すと、プレートが元に戻ろうとする歪みのエネルギーで、大地震が起こるということは周知のことだろう。また、大地震が起きたことによる衝撃から、再び大地震が起こるという、地震の連鎖についても研究されている。日本などのプレートの境目は、特に地震が多い。

 一方で、巨大なプレートが僅か数十センチで地震を起こすことになるという事実は、よく考えてみれば、意外なことのようにも感じられる。プレート全体と、歪みの長さの比率が、余りにも大きすぎるからだ。実際に、プレートの長さを、歪んでいる長さで割ったら、天文学的な数値になるだろう。・・・これは、裏を返せば、プレート全体に微妙な変化が現れると、地震など、いつでも起き得るということではないのか? 海上に海流があるように、海底でも底流が流れている。その底流に一定の温度上昇が起きたとするならば、プレート全体で熱を持ち、膨張するのではないかと考えた次第である。ほんの僅かな膨張でも、単純に上の比率を考えると、地震の生じやすさでは、大きな違いになるのではないだろうか。実際に、地震が増加しているのは事実なのであるから・・・。もちろん、地震にも様々な種類があり、一概に言えることではないであろうが。 

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民主主義の欠点

 文化の堕落に歯止めがきかない意味での民主主義の欠点ならある。・・・誰にも責任のとりようがないことだ。

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科挙について

 「科挙」とは昔の中国の国Ⅰみたいな試験である。その中で最も優れたものが表紙になったことから「圧巻」という言葉が出来た。

 「科挙」には詩の項目があったので、他の国に後れを取ったと説明されたことがある。つまりは、いろんな方面での実践的な項目に即した試験のみを行わずに、詩なども基準にしたから立ち後れたという考え方である。・・・実利的でないと。

 確かにそういう面は否めない。しかし、人間、ある程度の歳になると恋愛詩に共鳴したり、また、自分でも様々な方向性で、詩想を練ることは大いにある。いくら実利に優れた人間でも、そういう心が解らない人間には魅力がない。

 一方で、試験で問うものかどうかも、難しい。例えば、「おまえ、切なさの詩を作れ」といきなり言われても、なかなか秀作は出来ないはずだ。即興と実力は異なる。

 日本の政治家は、この、人の心に触れるという部分がずっと欠如してきたのではないか。最近では、実力もない政治家が多い。「二世、三世議員」、「タレント議員」が増える中、これは「大化の改新」以前の、悪しき氏姓制度が繰り返されていることに他ならないのではないか。政治家も小粒揃いだと改めて受け止める。

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雪舟展

 ずいぶん前に、上野に「雪舟展」を観に行った。ガイドブックが手元にないから、買ったのかどうかは忘れてしまった。しかし、当日のことはよく覚えている。

 基本的に私は入場の時に説明のイヤホンを聞かない。自分の直観が鈍ってしまう気がするからだ。その日も、たいそう混んではいたが、私の身長だと丁度良く作品が見える具合の客層である。おばさまが多く、ザワザワしている。欧米の美術館でも感じたことなのだが、日本人は基本的にマナーが悪い・・・うるさいのだ。そんな中、色々と刺激を受けながら歩いていたが、国宝や重要文化財に指定されている作品が少ないのも印象的だった。恐らく、それだけ贋作が多いのだろう。ずっと順路に従って歩いていたが、これは間違いない、という作品は「天橋立図」だけだった。全身に電気が走り、しばらく私は見とれていた。当然、国宝なのだが、その作品にはオーラがあった。圧倒されるような迫力であった。脳裏に焼き付けた後、会場を後にしたが、よくあの時代にあれだけのアングルで描いたなと、感心した。結局、そのレベルの作品を見てしまうと、他のものが全て贋作に見えるのだから不思議である。圧巻といったところか。

 骨董といえば、昔、鎌倉の骨董屋のおっちゃんが師匠から、「損をして覚えろ」と言われたという。同時にTV番組での鑑定などはデタラメだとも語っていた。「買う人、売る人の気持ちの問題だ」と。いいものがみたいなら、東京の京橋がいいと教えてくれた。・・・骨董は下手をすると家が傾く。自分にもっと余裕が出来てから行ってみたいものだ。

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『金閣寺』 その2

 三島の自決前の言葉である・・・「このまま行ったら日本はなくなって・・・・・・その代わりに無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富俗な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう。それでもいいと思っている人達と、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」・・・この言葉の末尾には、私は同意しない。しかし、この予言は少なくともある時期までは成り立っていた(今でもそうかも知れない)。現在の私はこの言葉に、氏の文化の堕落への危惧と諦念を感じるのみである。

 では、三島にとって「金閣寺」とは何物であったのだろうか。少なくとも私は、氏の人生の縮図のようなものであると考える。つまりは、三島自身が「金閣」であったと・・・。多数の氏の小説を読めば読むほどに、この印象は確信に変わる。氏が愛した肉体美の極致は切腹の作法に終わる。三島はナルシストであると同時に(氏の展覧会参照)、極度にその美意識へのけじめを己に要求した作家でもあった。仮に、戦後の三島が金閣ならば、氏が夢見た戦前の夭折作家とはかけ離れており、戦後の自分への、ある意味での自虐行為は本望でもあったであろう。

 三島の戦前と、生き延びてしまった戦後のギャップ。それは己の理想像への憧憬と、本人自身(もしくは日本そのもの)が、あまりにかけ離れてしまったという点で、金閣と坊主の関係と同じく、自身を消し去ることによってしか解決されなかったものと考える。

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時に人は・・・

時に人は想いを詩に乗せるけれど

いらない言葉ばかり。

同じように

惚れてしまえば

相手のいらないところを消してしまう。

 こんなに

危なげなことはないよ。

『星の王子様』のキツネのように

かんじんなことは心で観なくちゃね・・・

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『金閣寺』 その1

 ドストエフスキーの「罪と罰」が事件後の葛藤なのに対し、三島の「金閣寺」はそれ以前を記していると小林秀雄が言った。三島の「金閣寺」について、ここであらすじを述べてもよいが、どのような切り口から入ろうか・・・?

 戦前、幸いなことに京都にはひどい空襲がなかった。その中で寺の坊主(世に金閣ほど美しいものはないと言われて育った)が、あちらこちらの空襲の中で、金閣と親しみ、段々と(外見上は)美しくもない金閣の虜となって行く(初対面のがっかりした印象が変態してゆく、この仕組みは実は人間的にとても深い)。戦時中の緊迫感と共に、金閣を神の如く崇めるようになる。その緊張感が主人公と金閣をより一層シンクロ(同一化)させてゆく。

 しかしながら、幸か不幸か、金閣は戦災を免れる。主人公は複雑な気持ちながらも、終戦を迎える。そんな中で、危機に瀕していた頃の金閣と主人公の関係が崩れてゆく。・・・つまり、「金閣」が残ったのは、ありがたいが、『美』という観点からは、最高に美しいはずの金閣が生き残り、自分自身の想いとの乖離に苦しむ。・・・戦時中の一体感は薄れ、次第に「金閣」との距離が遠くなって行く。そんな中、主人公はある決断をする・・・「金閣は焼かねばならぬ」と。

 小説では、その坊主が放火し、尻切れトンボみたいなオチになっている。しかし、これがフィクションでなく、現実であったならば・・・

(つづく)

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ブーイング文化

 アメリカのMLBを観ていると、しょっちゅうブーイングが起きる。それと対照的で、ファインプレーにはスタンディング・オベーションが待っている。いかにもアメリカらしい風景だなと見つめる。極端というか、現金なのだ。最近は日本のプロ野球でもブーイングだけは見かけるようになった。

 私自身は、ヤジなら解るが、ブーイング(単にブーブー言う場合)は醜いものだと感じる。たとえ、どんなことがあろうとも、集団で個人をバッシングするのは卑怯である。そういう意味で、多くのマス・メディアを私は軽蔑している。ブーイング文化そのものどころか、自分達で勝手にコントロールしているケースが余りにも多いからだ。好き勝手なことを言い、責任を取らない。そんな中で、自分の本を売るために利用する輩も出てくる。そいつらには直接的に鉢が当たるのだろうが、裏で喜んでいるのは出版社である。・・・ある友人に、「十年後には出版社なんか無くなる」と聞いたが、偽物は消えてかまわないと私は思う。伝統ある文藝春秋のメインが立花某だと頭が痛い。東大至上主義者で、ブーイングでのし上がった適例だ。売れない若い頃、亡き寺山修司にゴマをすっている、ずる賢そうな写真が忘れられない。彼の本やら記事やら報道に散々目を通した結果である。

 ブーイングにもう一度目を向けると、大相撲は今日、千秋楽を迎えるが、来年の一月の初場所で朝青龍が帰ってくる段取りになっている。今後の行動次第だが、静かに朝青龍が戻ってくる場合、万が一、横綱にブーイングが浴びせられるならば、私は神事としての大相撲を見捨てる。それほど情けないことは無いと思うのだが・・・

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チューリップの歌

 アメリカを旅したとき、ハリウッドのチャイニーズシアター側のユースに泊まった。そこのキッチンで、旅で知り合い、五日ぐらい行動を共にしていたシゲと、メシをどうしようかなどと話していたら、外人が話しかけてきた。英語だったが、私の住んでる地域についてやたら詳しく聞いてくる。妙な奴だと思ったら、いきなり日本語を話し出した。なんでも、私の住んでいた地域で五年間くらいバーテンのバイトをしながら生活していたらしい。名前はマーティンという世界中をブラブラしているスケベなオーストラリア人だった。

 しばらくして、マーティンが女性を連れて、私とシゲに「飲みに行こう」と誘いに来てくれた。女性はオランダから移住してきた、元ストリッパーの人で40半ばといったところ。ユースからしばらく歩いて、女性の行きつけのバーへと入っていった。シゲは行動派で、その時点では、英語に不自由していたからか、マーティンと話していたので、必然的に私とその女の人とで飲みながら語っていた。ありきたりな話だった、オランダ出身と聞いたので、「ネーデルランドですね」と言ったら、「そう」と言って懐かしそうな目をしていた。他にも、「風車やポルダー、チューリップ畑などが有名ですね」と話したら、赤ワインを飲みながら「そうね」という感じだった。「日本にはチューリップの歌があります」と言って歌ったのだが、訳が分からない様子。悔しかったのと酔った勢いで、「英語で歌ってみますよ」と言ってみたら、「By English?」と目を丸くして聞き返してきたので、「It's a little challenge.」と答え、少し考えてから、節を外さない様に注意しながら歌ってみたらなんとかなった。するとその女性は「It's charming !」と喜んでくれ、それまでの態度から一変して、いろんなことを教えてくれたりした。・・・トイレに立つと、スケベ外人のマーティンが、「これでヤれるぞ」と話してきたが、「そんなつもりな訳ねーだろ」と言った覚えがある。

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ゴッドファーザー

 私が好きな映画の中に「ゴッドファーザー」がある。演技について、詳しくは判らないが、ゴッドファーザーⅠの初っぱなに出てくる、初代ゴッドファーザーを演じている俳優(マーロン・ブランド)も、故丹波哲郎氏のように全く台詞を覚えない役者だったと聞いたことがある。それでいて、後で自分の演技を観たときに自分の演技の甘さに苦しんだらしい。

 ゴッドファーザーⅠ・Ⅱ・Ⅲ共に好きなのだが、Ⅰはエンディングが見事だ。同時に子供の洗礼式か何かの時に、神に誓うのだが、それがことごとく後々の作品の悲劇への伏線になっているところも素晴らしい。Ⅱは激しく展開が変わるのだが、若き日のドン・コルリオーネ(初代・デ・ニーロ)の成り上がる物語と並行して、二代目のドン・コルリオーネ(アル・パチーノ)の駆け引きの描き方が面白い。複雑な面もあるが、二代目が力量を試され、マフィアとしてどのように凌いでいくかがよく解る。印象に残っているシーンは、夜行の列車の中で、薬を飲むシーンだ。あれで緊張感が余計に引き締まる。エンディングも切なすぎる。

 Ⅲについては私は余り認めてはいない。けばけばしいイメージだが、あれで一つの結論が出る。ファミリーのためにと、命がけでやって来た老年のマフィアのドンが、愛してやまない娘を殺されることは悲しすぎる。エンディングの朽ち果てた老人は孤独を物語る。これがこの作品の結論ならば空しさを覚える・・・ところで、Ⅲでドン・コルリオーネが糖尿病の弱みを見せ、懺悔する。あのシーンはそのまま観てもよいのだが、私には懺悔と同時に、復讐のために、バチカンへのコネクションを手にしようとしている気がするのだが、勘違いだろうか?

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What about K.K.K ?

 大学時代、自分の英語能力を測るのと伸ばすために半年くらい英会話スクールに通った。今で言えば、そこも詐欺まがいの授業料の払い込みシステムだったが、当時は巷の話題になっていなかったので、続いていたのだと思う。おそらく今は廃業しているだろう。ただ、そのスクールの面白いところは、講師が話題を決め、最高十人までの予約制で、話したい奴はいくらでも話せるというのが、私の肌に合っていた。Lvは1~4まであり、私はLv.2と診断された。多少の屈辱感はあったものの、私は聞き取りに関しては問題がなかった。喋るときに、言葉を探すのに苦労したぐらいか。他のルームメイトよりは有利な条件だったので、私は思うことをどんどん喋っていた。外人講師もいろんなのがおり、授業はピンキリだった。

 入ってしばらくしての授業で、その時旬だった「地下鉄サリン事件」が起きた。ネタはそれで、その時の講師は、結構、目茶苦茶な白人だった。クラスのみんなが何を言っているのかが、あまり判らないことをいいことに、途中からその講師は言いたい放題に言っていた。黙って聞いていると、「オウムみたいなのを英語では教団ではなく、カルト集団と呼ぶ」とか、「仏教もああなったら単なる過激派だ」みたいなことを語っていた。しびれを切らした私は、その講師に「What about K.K.K ?」と聞いた。そうして、あれはカルトではないのか?過激な差別集団では無いのか?と問いただした。その講師は苦虫をかみつぶしたような顔をして「そうだ」と言った。どこの国にもお家事情はある。ろくすっぽ勉強もしていない外国人に、どうこう言われる問題ではない、という意思表示だったが、彼はまもなくクビになっていた。ちなみにK.K.Kとは(クー・クラックス・クラン)の略で、昔のアメリカの、黒人排斥運動の集団である。

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さりげない友情

 仏画をくれた友人とは大学時代から仲が良かったし、集まる友人のほとんどとも大学時代から仲間だった。そんな中で、子作りがミッション(7月バックナンバー参照)となった友人は、私がみんなに紹介する形で仲間になった(もう一人数学科の友人もそうなのだが前回の会合は欠席)。 仏画をくれた友人は、ある事情で十年以上前に、自分でベンチャーを旗揚げして、見事成功した。現在では、ハイテク銘柄の立派な株式会社をやっている。そんな中、後からみんなに紹介した友人が、そこの株を1株持っていることを大分前に知った。株で儲けようなどとしない友人なのに、何故そんなことをするのか、不思議だった。探りで「友達の会社の株で儲けようとする奴は友達なのか?」などと聞いてしまったが、実はこれが大変失礼な振る舞いであったことに、最近何となく気がついた。現在、謝罪したい気持ちである。

 私が気づいたこととは、その友人は、後から仲間に加わった分、どこかしっくりこない面が合ったのかも知れない。それで、友情の証として、損得勘定抜きにして、株を買ったのではないかと考えたのだ。・・・きっとそうだと思う。偶然、昨晩、仏画をくれた友達から電話があったので、さりげなく伝えておいたが・・・。

 私は、その、株を買った友人の気配りに改めて感心した。自分からはそういうことを言う奴ではないので、私はもっと早く気がつくべきだった。そういう、さりげない気配りは素晴らしいと思うし、改めて、その友人と知り合えたことが幸せである。・・・そうそう、そういえば今日は仏画をくれた友人の長女の誕生日だったはずなので、メールでも書きますか^^。

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予告ホームラン

 昔、大学の研究室対抗ソフトボール大会の一回戦の数日前、引くに引かれぬ事情によって、私は先輩達の前で「予告ホームラン」をした。私はこれに名誉を賭けた。「もし打てなかったら、何と言ってもらっても結構です。でも、もし打てたら、今までのことは水に流してください」と言った記憶がある。確信など無かったが、ソフトボールなら何とかなるんじゃないかと、別段何の準備もしなかった。先輩達は面白がって、噂は研究室中に広がった。

 実際の試合の日、私自身もワクワクしながらグラウンドに足を運んだ。先輩達から「本当に来たぞ」などという言葉が飛び交う中、試合が始まった。ホームランを狙うなら、1番を打つ方が打席が廻ってくる分だけ、有利と言えば有利だが、どっちにしろワンチャンスだろうと考えていた私は何番でも良かった。ポジションもどこでも良く、結局、6番サードということになった。2回に1アウト一塁で打席が廻ってきたので、適当に素振りをしてから打席に入った。相手のピッチャーのタイミングをずっと確認していたこともあり、程よい緊張感の中で、打つことに集中していくことが出来ていた。先輩から「ホームランだぞ」などと声が掛かっても、「はい、わかりました」と答える余裕もあった。一球か二球、観た後、アウトコースの球を軽くミートしたら、ファーストとライトの間のファウルライン近くにスライスしながら打球が飛んでいる。走りながら、『入ってろ』と念じたボールはわずかにフェアで、グラウンドの遙か果てのフェンスまで転がっていってくれた。ボールが戻ってきた頃には、私は余裕でホームベースを踏んでいた。 試合には負けたが、口約は果たせた。桑田流に言うなら、ソフトボールの神様が打たせてくれた様なホームランだった。

 その後、研究室での先輩とのやりとりもうまくいくようになったのは言うまでもないが、危ない橋を渡るのはこれくらいにしておこうとも考えさせられた。

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参考書オタク

 私が受験生だった頃だから、ずいぶん経つが、参考書はよく買っていた方だと思う。ある友人に、「参考書ばっかり買っている奴っているよな」と悪気無く言われ、当時の私は珍しく反論した。「確かに軸になる参考書は一冊だけれど、それで解らなかったら、俺は他の参考書も買うぞ」と。当時の友人は「それだったら立ち読みすればいい」と言っていたが、その件では私の方に分があった。しかしながら、結果は、彼は現役で東大に行き、私はニギっていた御祝儀を払い、浪人が確定した。彼からはいろんな科目の参考書をもらい、使ったり使わなかったりしていた。浪人の時も、予備校には通わず、自分で週単位の計画表を創った。浪人してもまじめに勉強したのは半年もなかったと思う。追い詰められた中で、計画表が週単位であったので、幾らかスケジュールに余裕があったがために、挫折しなかったのだと思う。

 逆に大学に入ってからは参考書はほとんど買わなかった。その金があったら、博打に回していた。専門に入っても、コピーと親父の古い参考書で凌いだ。何とかなるものである。

 その代わり、専門以外のあらゆるジャンルの、興味深い本を買う金には何回か困ったことがある。そんな中、バイト先の某大学の物理学科の奴は、大学に入ってからも参考書オタクだと自ら言っていた。中には答えの付いていないMITの問題集が有り、「人間がある星に着いたのだが、その星が球状で自転していることを示せ」みたいな問題があった。答えが分からないのだが、私は「フーコーの振り子」と答えた記憶がある。・・・未だに正解なのかどうなのか、判らないのがむずがゆい。

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感性の共鳴作用

 昨日、NHK教育だったと思うが、ピアノのレッスンの講座があった。曲はドビュッシーの「月の光」で、外人の教師が弾き方について、事細かに、一人の日本人にコーチしていた。そして番組の最後に、この曲のバックにはベルレーヌの詩と印象派(?)の誰かの絵が影響を与えており、そこのバックグラウンドを押さえるのも大切だと語っていた。私は、さすがプロのコーチでも、TVに出るような人はよく勉強しているなと、感心した。そして、一つの芸術作品の下地に、様々な芸術的感性が共鳴し合っている構造にも興味を持った。

 これは何も芸術作品だけに言えることではなく、我々の生活の中の出来事でも当てはまるのではないか。例えば私の場合、やっていることが壁に当たったとき、全く関係ないことをする。アイデアを寝かせた上で、他の部分で自分の感性や経験を磨き、積み重ねることにしている。そうしてみると、寝かせていたアイデアが起き上がってくることが多いので不思議だ。・・・結局、自分を豊かにすることの大切さとは、いろんな引き出しを持っていることの重要さと変わらない気がする。

 話をクラッシック音楽に戻すと、ドビュッシーはまだ近代の作曲家なので情報も多いだろうが、もっと昔のスコアから演奏するのは、かなり、その人任せになってしまう気がする。例えば、私は五種類の「トルコ行進曲(モーツアルト)」を持っているが、みんな弾き方が違い、異なる印象を抱いてしまう。そのうちの一枚は、これは売ってはいけないだろう、というぐらい、お粗末なものである。そのピアニストの性格のきつさが解ってしまう感じだ。

 何はともあれ、クラッシック音楽は奥が深い。

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NUSKIN(ネズミ講)について

 大学院を辞めて間もない頃、学部で卒業した研究室の仲の良かった友人から手紙が届いた。内容は、サイドビジネスとしてNUSKINの同志にならないか、というようなものだった。よく意味が分からないので、ネットでNUSKINについて調べたところ、アメリカの商品を仲立ちにしたネズミ講だと解った。私はそいつに電話して「NUSKINの同志ってどういう意味だ?俺に子ネズミになれと言うのか?」と問い詰めた。するとそいつは「NUSKINは慈善事業にも多く貢献しているから、地球を良くするという意味で同志と言ったんだ。悪気はないし、納得がいかないならもちろん参加しなくてもかまわない」と応えた。私はそいつに悪気はないのだろうが、根本的なところで間違った考え方をしていることに、単純に馬鹿な奴だと感じた。勉強がいくら出来ても、そんな奴はただの馬鹿なのである。当然私は、そいつとは絶交した。

 NUSKINが扱っている商品は品物も良く、当時のアメリカの大統領であったクリントンも認めていたと聞いた。しかし、いくら大統領が認めようが、何だろうが、ネズミ講であることには代わりはないのである。そういう意味ではAMWAYも同義だ。 ネズミ講のどこに問題点があるのかと考えると、いくらでも悪いところが出てきそうだが、私が考える上で最もよろしくないことは、かけがえのない友達を売って、それを自分の利益に結びつけるところだと思う。物事が解っている人間ならば、そんな話には乗るはずがないし、誘って来た人間を軽蔑するだろう。当然、信用も無くなる。

 友情を金に換える人間ほど見にくい人種はいない。

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EAGLESのニューアルバム

 今、パソコンを起動して初めて知ったことなのだが、EAGLESがニュー・アルバム『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』を発売するらしい。これは多分買いだろう。アルバムのタイトルからは、前回の『ヘル・フリージィーズ・オーバー』を連想させられる。『ヘル』の方は新曲が4曲だけでベスト盤に近い内容だったが、新曲のうちの一つ、「learn to be still」については何度も考えさせられた。自分なりの解釈(大意)は出来ているのだが、英語に詳しい友人に言わせると、異なるものかもしれない。彼のこの曲についての意見は「走り続けた末に納得できる世界があるのか、走り続けた末に納得できるようになるのかは微妙だが、EAGLESは、それまではkeep on running(走り続けろ)と言っていて、それまでの様々な曲の一つの結論のようなものが伝わってくる」と話していた。

 ニューアルバムの『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』には、9.11関係でグラミー候補にもなった「Hole In The World」も含まれるのだろうが、私はこの曲には深みを感じなかった。どうしてもEAGLESには抽象的で深みのある曲を期待してしまう。今までの曲で影響を受けたのは「The Last Resort」「Hotel Carifornia」「Desperado」がメインでこのうちの二つは紹介された曲だ。何を隠そう、今でも仲のいい友人の一人は、「Hotel Carifornia」を通じて仲良くなったと言っても過言ではない。偶然、彼の車に乗ったとき、ホテカルが流れていたので、その中の「beast」ってどう解釈すればいいんだ?という私の疑問から色々と話すようになった。ホテカルについては十年以上かけて納得の出来るニュアンスが理解できたが、あのときの友人と同じく、「一言では言えない」のがEAGLESの深みと言ったところか・・・EAGLESについては、またいずれ書くことにもなるだろう。

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交通事故

 昨日、夕方頃、行きつけの本屋の駐車場で事故を起こしてしまった。幸い、相手方にも怪我はなく、それは不幸中の幸いであったが、生まれて初めての他車との事故に、段取りが解らず、とりあえず相手の了解を得てから、保険会社に電話した(今日の午前中に担当者から電話がある予定)。それから、これも了承の上で、警察に電話した。このとき強制保険である自賠責保険と免許証を見せた。それからディーラーに行き、見積もりと保険の仕組みについて教えてもらった。もちろん当事者同士の情報交換もしている。

 事故についてはまだ確定していないので細かいことは言えないが、駐車場からバックで出ようとしたときに、死角から来た車とぶつかってしまった。もちろん、右見て左見て、後ろを向いてアクセルを少し踏んだときに、嫌な衝撃が走った。右ハンドルの場合だと、助手席に左手を乗せてバックすると右側が死角になる。そこから車が来てしまった。私にも過失はあるが、相手の車も混んでいる駐車場を旋回して、奥に停めようと考えていたとのこと。ここのところの過失の割合は保険会社が決めることなので、どちらがどうとかは、現段階では言えない。私は正直に話すつもりだ。

 駐車場ということで、お互い余り速度を出していなかったのと、他の人を巻き込んだり、怪我がなかったことがせめてもの救いだが、今後は、もっと気を引き締めて運転するようにしなければ・・・

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お経について

 私は、車の中でもお経を聞く。これは私にとって自然な行為なのだが、さすがに病院に戻る父に「それはないやろ」とつっこまれた。私は、死にゆく者や、死者のためのお経ではないことを軽く説明した。はっきり言って、父のスケジュールに合わせていたのでは、「お勤め」が出来ないので、やむなくそうした。

 父も頭の硬い人ではないので、一緒に合唱する私を見て、「よく覚えたなあ」といった感じ。・・・そんなの当たり前だ。毎朝唱えていれば誰だって覚える。「門前の小僧」みたいなものだ。

 父は父で、すがるわけではなく、般若心経くらいは知っておきたいとのことで、数日前に、私が勉強した本を貸した。読んだはみたものの、唱えられなければ余り役に立たないかも知れない本であった。

 「他にないのか?」と言うので、仕方なく、「同じ般若心経でも受け止め方は十人十色。自分で合うのを探した方がいいと思うよ」と返した。父は「そうやな」と言ったが、私の選ぶ本に信頼を寄せてくれているようで少し情けない気がした。

 自分の直感的解釈を人に伝えるのは難しい。

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OB会

 私が大学時代に所属していた研究室から、今日、一通の草書が届いた。恒例の秋のOB会へのお知らせである。いつも旅やら何やらで欠席がちだが、今年は教授が定年で最後になるかも知れないとのこと・・・どうしようか迷う。

 私は好きこのんで、その研究室を選んだわけではなかった。選んだ頃には、もう、理系に見切りを付けていた(興味が無くなったのとは違う)。その研究室に入った頃から、私は、文学・哲学・宗教学・・・などの方向性に興味を持っていた。それは、いつか教授にも話した。私は大学院の修士二年に上がったときに退学届けを出して辞めたのだが、もう、学部四年の頃には見切りを付けていた。それは、この研究室でなくても同じことであったと思う。正直、私が大学院へ進んだのは、考える時間が欲しかったからである。・・・従って、四年生の時も、大学院に行くと言ってはいたが、推薦をもらうつもりはなかった。推薦申請には二日間用意されていたが、毛頭、私は出す気はなかった。辞めるかも知れない以上、院試で行くのが筋だと思っていたから・・・。二日目、推薦を希望していない私を、教授が部屋へ呼んだ。そこで説得され、推薦を出すことになり、取れてしまった、というのが本音である。伴い、私は卒業論文に本気で取りかかったし、最低限のことはやろうと決めた。しかし、合わない道は合わない。結局は喧嘩別れとなった。・・・その後を見ると、どちらが悪いとも言えない。

 年月が経ち、年賀状ぐらいは出してはいるが、杯を交わす気にはなれない、というより、私は年老いてしまった。老兵は去るのみ。もはや、振り返ることのない道なのだから・・・

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勉強と学問

 私は幼い頃より、母には毎日のように「勉強しなさい」と言って育てられた。父は放任主義で、何も言わなかった。代わりに、勉強に関しては、何にも教えてくれなかった。今の歳になって、父に聞くと、「親の両方から言われたら息苦しいやろ」と言う。母に聞いても、「好きな服も何年も買わず、あんたと弟に投資した」と言う。

 現在、私は色々なことを考えている。その中には、「勉強」しなければついて行けないことも多い。勉強と言っても、我流で、興味のあることには時間を惜しまない。ほとんど本や友人との会話で身につける。学生時代は、ずっと、「勉強」は嫌いであった。授業中も「欠席」か「本を読んでいること」がほとんどだった。何故好きになったのか・・・?

 大学生クラスで、ある程度物事を考えるようになると、成績の上での勉強では、解決口にならない。つまりは、自分の中で疑問が浮かび、それを解決しようと努力する。この上で、礎になるのが「勉強」なのである。「学問」が「問うて学ぶ」と書くなら、それ以前の知識として、「勉強」することは必然なのである。・・・と同時に、自分の疑問解決のためにする「勉強」は面白い。もちろん、どんなにマセていても、小・中・高位の知識は無くてはならない。

 嫌々する勉強でも、気合いで乗り越えてゆく。これくらいの根性がなければ、将来の伸びしろは期待できない。学問とは何も、机に向かうことだけではなく、人生を豊かにするものという認識である。

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「不動心」を読んで

 ヤンキースの松井秀喜選手の本、「不動心」を読んだ。松井選手がアスリートとしてだけではなく、人間としても一流を目指していることに感激した。読んでいて、自分に足りない部分を、身につけ、自身を変えていきたいという気持ちにさせられた(もちろん心のあり方や、人間としての部分)。

 そんな中で、松井選手が理想の女性像を挙げていた。列挙すると、・健康な人・相手を思いやる気持ちを持っている人・自分と同じ価値観を持っている人・遠征が多いのでひとりでいることに耐えられる人・食べることが好きなので、できれば料理の上手な人 が理想だと書いてある。この五つの条件を読んで、松井選手の理想が高すぎると思う方はいるだろうか・・・? よく考えてみれば当たり前のことを言っているのに過ぎない気がする。

 今時の女性はどうのこうのと書いても、意味がないので書かないが、女性で結婚願望がある方は、上の条件をクリアすることが出来たら、その思いが叶いやすくなるのではないだろうか。

 もちろん、男の方もナヨナヨしてばかりでないで、男らしく、しっかりとするようにしなければならないことはいうまでもないが・・・。

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一ヶ月ぶりに

 癌の手術を受けて、入院していた父が、外泊許可をもらい、今週末は家に帰ってきた。現在は抗ガン剤のTS-1の錠剤を飲んで様子を見ているところだ。ただ、聞いた話によると、白血球の値が3000台だったのに2000台まで落ちたとのことで、別の抗ガン剤に切り替えるかも知れないとのこと。

 そんな父を迎えに行くべく、昨日寝付いてから三時間で母に叩き起こされた私は、車を病院まで運転していった。夕べの台風では、私の住んでいる辺りはとりわけ何もなかったが、道路などには木の葉や、様々なものが散乱していた。病院の外で車を止めて煙草を吸っていると、しばらくして、父と母がやって来た。父は私の側に来て、「煙草を一本くれ」と言い、相変わらず懲りていない。そうして、帰りは自分が運転すると言う。

 車は何故か家にではなく、酒屋に向かった。ワイン二本とビールを一ケース買った。・・・やっぱり全然懲りていない。

 そうして、家に戻り、赤ワインを抜いて、私と乾杯。父は久しぶりのアルコールで、顔がすぐに赤くなっていた。癌になっても全然懲りてない父だが、多分、入院中は酒・煙草を楽しみにしていたのであろう。母も私も何も言わなかった。

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9.11を思い出す頃

 9.11の時、私は第二第三の広島・長崎を見るような錯覚に陥り、しばらく辛い気持ちになった。「人間は進歩しているのか?」などと悩み、苦しんだ。「進歩を肯定できないと人類の存続意義が無くなってしまう」ともがいた。果たして、「そんなもの」は存在するのか?

 あの晩は徹夜で苦しんだ。翌朝、いつも通りに出勤する人々を見て、泣いた。

 ああ、我々とは何なのか・・・?

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おもちゃ

 先日、父への見舞え返しとして、大手のおもちゃ屋に車で乗り付けた。中はかなりのスペースで、店員に聞かないと、どこに何があるか解らない状態であった。目当ては機関車トーマスのおもちゃである。やっとたどり着いた挙げ句に愕然とした・・・トーマスとレールと他のキャラを買ったら、あっという間に王台に乗ってしまうのである。気持ちとしての贈り物だから、値段はどうでもいいのだが、子供のおもちゃがこれだけ高いとは知らなかった。

 元々、私はおもちゃは買うものではなく、創る物だと思っていた(本とかの贈り物や大人への贈り物は別だが)。父も為にならないおもちゃは一切買ってくれなかったので、ガキの頃は友達がうらやましくて仕方なかったこともある。しかし、そのおかげで、私は自分でいろんな遊びを発明したり、無いものは作ってみることを覚えた。

 私の頃などはゲームなどなかったので、外でみんな野球をやっていた。場所取りに夢中になったこともある。

 これは家宝だと思ったおもちゃが家にある。数年前、ばあちゃんの家でホコリをかぶっていたのだが、めざとい私は見つけた。・・・それは、切り取った頑丈な木の板に、彫刻刀で将棋盤が彫られていた。こんな発想をする人間は彼しかいないと思った私は、帰宅するなり、父に問うた。すると、元々はテーブルだったらしい。捨てる際にもらって、作ったとのこと・・・上には上がいる。

 

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横浜ラーメン

 しばらく前に、横浜ラーメンを食べた。チャーシュー麺の中盛りで900円だからいい値段だ。いつもと同じく、お好みを聞いてきたので、「麺かため」にしてもらった。しばらく待つと、出てきたのだが、チャーシューは五、六枚に、ほうれん草、のり三枚、ウズラの卵が浮かんでいた。私のラーメンの食べ方の作法は、具を全部食べておいてから、レンゲでスープを飲むのだが、本当に器用な人は左手にレンゲ、右手に箸という具合に食べている。また、私はコショウをまんべんなく振りかけ、ニンニクを三杯入れる。これをやると、翌日はガーリックのフレバーが効き過ぎて、話す人に迷惑を掛けてしまうので、ガムかアメをモグモグやっている。

 横浜ラーメンで忘れられないのが、私の大学院の面接の前の日に行ったときのことで、研究室の先輩とか同輩とかで行ったのだが、私がニンニクを入れないのを見て、先輩が「どうした」・・・「はあ、明日面接なのでニンニクは避けようかと」・・・「馬鹿野郎。ニンニク食ってスタミナ付けるんだよ」と言うやいなや、五、六杯のニンニクを入れられてしまった。やむなく食べたのであるが、その先輩も面白い人で、このようなことも含めて、かわいがってもらった思い出の方が多い。

 三十過ぎると、横浜ラーメンはストマックにヘビー(胃にもたれる)なのが感想だ。これからは胃にやさしいラーメンを食べることになるだろう。

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座禅会

 先日、あるお寺の座禅会に足を運んでみた。左足を痛め、瘤のようなものが出来てしまった(後日病院で中の液を抜いてもらう予定)私はあぐらで許されたが、いろんな方がいた。空気がピーンと張り詰めたようでもあった。まずはストレッチから始め、本格的な座禅が始まる。しばらくすると、あっちこっちで叩かれている音がする。和尚はすり足で移動するのだが、それを気にしてはいけない。私はいつも通りの精神状態に持って行き、何事も気にならなくなった。叩かれもしない。

 何にもしないことというのも、時間が長く感じられるようだが、ある領域に身体と精神の状態をもっていけば何も気にならなくなる。その日は二十分ぐらい座ったであろうか、私は『これで鉢を受けずに済むな』と意識してしまった。そう思った瞬間、体が微動したのか姿勢が微妙に崩れてしまった。とたんに私は叩かれた。

 結局、全員が叩かれた様子で、中には数発叩かれている人もいた。スキをなくすのとも、気配を消すのとも違う。むつかしいと、あとで、みんなで話し合った。

 達磨和尚はたしか8(?)年座っていたのだから大したものだと思う。その弟子も片腕切り落として入門したのだからものすごい根性である。私もせめて一日一回は座るようにしているが、まだまだ娯楽の部類だろう。

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XPに戻したくて

 一昨日、大手の電器屋から、注文していたCDドライブが入ったとの電話が入ったので、早速行ってみた。日曜で、大分混んでいたためか、なかなか店員が戻ってこなくて、ちょっと待つことになった。ようやく戻ってきたので、確認して接続してもらった。

 次に私はVISTAからXPに乗り換えようとしてうまく行かなかったので、どなたか詳しい方はいないかと探したがなかなかいない。挙げ句の果てには、修理カウンターに置き去りにされてしまった。修理カウンターでは先客がいて、店員はそっちの面倒を見ていたが、一段落すると、私に話しかけてくれた。そこで事情を話すと、いろんなやり方を教えていただいたが、覚えにくいので、DOSのコマンドでハードディスクを空っぽにしてしまうやり方を聞いてみた。

 私は今まで、「Format/c」のようにやっていたのだが、その人は「format c:」だと教えてくれた(よい子の皆さんはまねしないでね)。MS-DOSの基本コマンドも忘れているとは・・・。最近、本屋にはマイクロソフトのofficeの本や、Windows、その他、の本があふれかえっているが、DOSの本はあるだろうか、今日にでも確認してみようか。

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弥七君はドライブ好き

06090910_49_51  何度も紹介しているが、我が家の愛犬「弥七君」(ミニ・ダックス、♂、満九歳)は、散歩に行きたくないけれど、ドライブは大好きである。運転しているとき、時々窓を開けてやると、心地よさそうに風に当たっている。

 そんな弥七君だが、一時期、家から飛び出す癖があった。一度だが、通りかかった車にぶつかったこともある。何故なのかは後で解ったことなのだが、当時、家の側の月極駐車場に車を止めていた。そこに行きたいがために、家から飛び出してダッシュで走っていたのである。もう解約して三年ぐらい経つが、現在では飛び出さなくなった。

 何を隠そう、弥七君は散歩が面倒なときは、ドライブで気分転換しているのである。長距離の移動の時には、水飲みも持ってゆく。しかし、最近、歳からか、普通のドライブでも、すぐにバテてしまう。ましてや、真夏の炎天下に放っておいたら危ないだろう。気を遣いながら、彼を乗せるのが現状だ。

 今回の車は、禁煙車にしたのだが、弥七君が乗りすぎているため、彼の毛だらけである。時々、車がパワーモードになっていたりして、私は「おやじも歳なのによくやるな」と思っていたら、親父の方も「あの馬鹿、いい年して」と感じていたらしい。原因は弥七君が独りで車の中にいるときに、シフトレバー脇のスイッチを踏んでいただけなのだが、何とも間抜けな話だ。

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母からの人生訓?

 昔、ガキの頃であろうか、母と近所のスーパーに買い物に行った時のことである。パンを買うというのでついて行ってみると、母は一番奥のパックされた食パンを取っていた。何故かと聞くと、新しいものは後ろにあり、一番手近なものは賞味期限が近いとのこと。今でもそうだが、野菜類なども何を基準にしているのか明確には解らないが、色々と手にとって物色する。ただし、レジでの会計だけは、おつりが多いときも少ないときも正直に申告する。

 そんな母に買い物をするときの鉄則として、「腹が減っているときには買い物をしてはいけない」と教えられた。なんでも、腹が減っていると、なんだかんだで知らないうちに買いすぎてしまうそうである。これは、なにも、食品だけではなく、あらゆる買い物に共通するのかも知れない。腹が減っているときほど、気持ちに余裕が出来なくて、無意識で満腹中枢を満たそうとするのか、買いすぎてしまう。

 この、「気持ちに余裕を作る」というのは実は、とても大切な人生訓かも知れない。裏を返せば、「焦らない」ということだし、人は追い込まれたときほど、「絶対に焦らない」ことが大切なのだと思う。これが逆境を乗り切る上での、一番大切な心がけかも知れないと、しばらく前に考えたことがある。

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