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2007年8月

縁とシンクロニシティ

 次元論的に言えば、シンクロニシティ(共時性)などというものは、畢竟、我々の存在する時空間よりも高い次元で連続なものの射影が、我々の存在する時空間に投影されたものに過ぎないと考えられる。

 これを拡張すれば、我々の世界での「縁」・・・それは例えば、「何故あの人が私の父であり母であるのだろうか」とか「地球上に60億の人間がいる。ならば出会わない人の方が多いのに、何故私はこの人とつきあったり、一緒になったりするのだろう」・・・というような事柄も、我々の存在する時空間よりも上の方の次元では、連続性を持つ、いわゆる「つながり」というようなものが存在することに帰着するのではないか。つまり我々は、それらの射影の断点の連続に過ぎないと。

 上の考えは運命論的ではあるが必然論ではないというのが私の信じるところである。

 結局、私の場合、禅などを組むことの至上目的は、この、上の世界でのつながりに体を合わせてゆき、その脈々たる「絆」を感じ取りたいということである。もちろん、それは自分の内面にあるのか、それとも他にあるのかまでは、私の修行は至っていない。しかしその方向性で進めているというのが、正直なところだ。

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円形脱毛症克服

 あれは確か五月頃だったと思うが、友人の親父さんが亡くなったお通夜か告別式の時に、ある友人から指摘されて、後頭部で何ヶ所か髪が抜けていることを知った。普段からいろんな悩み事がつきない性格の私は、それまで苦しんでいたストレスからか、後頭部に三ヶ所、円形脱毛症ができてしまった。しかも私の頭は坊主なので余計に目立ってしまう。しばらくは外に出ると、過度に人の視線を、勝手に気にしてしまっていた。気持ちも何かふさぎがちになって、マイナス思考になっていた。

 しかし、それでは埒があかないのは分かり切っていたことなので、開き直って、逆さに考えるようにした。つまり、「何でなってしまったんだろう」とか「また生えてくるのかなあ」とかいう後ろ向きな考えを捨ててしまい、「数ヶ月後に生えてくる」と決めつけて、そのためにはどうしたらいいかと、前向きに考えることにした。食生活も、脂っこいものは避け、ワカメなどを毎日食べた。発毛剤も注意書き通り、毎日付けた。床屋に行ったときも、髪を伸ばそうか迷ったが、弱気になるのが嫌で、坊主頭で通し抜いた。

 いろいろあったが、何にも気にならなくなったとき、髪がどんどん生え始め、今現在、三ヶ月目にして、やっと元に戻った。過ぎたことだから言えるのかも知れないが、今迄、もっと辛い経験をしてきたことが糧になったのかも知れない。もちろん現在でも悩みはつきないが、いつかきっと、全てが解決する日が来るものと信じて、前向きに精進してゆきたい。

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煩悩無数誓願断

戻ってこないものや

戻ってはくれないものを

いくら望んだって

不毛というものだから

せめて私は

前を向いて

歩いてゆきたい

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銀河鉄道の夜

 宮沢賢治の「銀河鉄道」は「幻想四次元冥界列車」である。それが明確に解るのが、主人公、ジョバンニの切符を車掌が拝見するときである。車掌は言う「これは三次元空間からお持ちになったのですか?」と。そして、その切符なら最果てまでゆけること言う。これは、きっと、ジョバンニの清い心がもたらしたものだと推測できる。このとき、親友のカムパネルラとジョバンニは銀河鉄道に揺られながら、色々な乗客と出会う。後になって解ることなのだが、この、「幻想四次元冥界列車」は様々な死に人とを乗せている。カムパネルラも例外ではない。バックに伺えるのは、現世で亡くなった死者が、より高次元の方へと向かうという思想である。

 宮沢賢治は熱心な仏教徒(日蓮宗)であった。詩集にしろ、童話にしろ、一貫して、何というか、仏教的な命の崇高さが根底に流れている。他の作品についても後日述べるが、「銀河鉄道の夜」にもそれを伺わせるストーリーがいくつかある。例えば、タイタニック号の乗客の死に人も載っている。ここで、象徴的なシーンは、いざ、船が沈むときに、賛美歌か何か知らないが、三〇六番がどこからともなく聞こえてきて、死に行く皆が、様々な母国語でそれを歌うというシーンだ。人間の魂の敬虔さを物語っている様に思えてならない。  同じく、クライマックスで、いじめっ子のザネリを救うために、川に飛び込んだカムパネルラが、身を挺して犠牲になったシーンにも、仏教的な生命愛を感じる。それは、数年前、新大久保駅で日本人と韓国人の留学生が、線路に落ちた人を救うために飛び込み、自分たちも犠牲になってしまったことと同じだと思う。・・・生き物の無意識下に於ける敬虔たる美しさ、(人間だけに限らないし、見返りを求めたりしない)とでもいうものであろうか。

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疑問

 私の家の上では、昔から毎日、米軍機が轟音を立てて飛んでいる。いつ頃からか、これが不思議でしょうがなかった。

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弥七君は病院嫌い

07042912_21_15 我が家の愛犬「弥七君(ミニダックス・♂・満九歳)は病院が大嫌いである。私自身は連れて行ったことはないのだが、連れて歩く道が病院に向かう道だと知ると、テコでも動かないそうである。そして、病院の中では震えているとのこと。しかしいざ、診察台に上がると、おとなしくなり、注射なども黙って我慢している。

 そんな弥七君が一番おそれているのは、「お泊まり」である。家族全員が家を数日間留守にするとき、一泊3000円で病院に預かってもらう。これは精神的にこたえるのか、迎えに行くと、死にものぐるいで家に帰ってくる。だから出来るだけ、預けないで済むようにしている。

 そんな弥七君が、今年の春先、血尿を出し、近所の病院で見てもらったところ、腫瘍らしい物が出来ているとのこと。悪性かも知れないということで、もっと大きな病院への紹介状を書いてもらい、車で連れて行った。

 幸い大したことはなく、ホッとしたのだが、犬の治療費は保険がきかない分、高額になってしまう。それはそれで痛いのだが、長生きしてもらいたい。・・・私の二番目の弟みたいなものなのだから。

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野口英世の言葉

 以前、帰国子女で英検1級、Toeic1回で満点という友人がいた。その友達が我が家に遊びに来てくれたとき、私は思わず言ってしまった。

「中学入る手前まで、サンフランシスコにいて、日本で育って英語を学んだ俺から見れば、ものすごくうらやましい」

 すると友人は、落ち着き払った声で、

「おまえ、俺がそれを維持するのにどれだけ努力しているか解っていない」

 このときほど恥ずかしい気持ちになったことはなかった。

 以前、なんかの格言集で野口英世の言葉があったが、そこには「人の三倍、四倍、五倍、努力する。それが天才だ」と書いてあった。この言葉を単純に受け入れられる程、私は出来た人間ではないが、この言葉のミソは、二倍という言葉が抜けているということである。つまり二倍じゃ足りないのだ。このことだけでも、野口英世がどれだけ努力したかが伺える。 

 私も勉学においては同じような姿勢でありたい。

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死者の奢り

 死者の奢りを最初に呼んだときにはあまりピンとこなかった。その後、友人から「あれはゾッとする」とのアドバイスを受けても読まなかった。それから何年経つであろうか・・・あることで毎日悩んでいた私は、ひらめきに近い感覚で、「死者の奢り」を手にした。

 内容は割愛するが、一言で言って、妊婦のおなかのなかの胎児に、人生を生き抜いて、物となったホルマリン漬けの死者が、「生まれてくる価値のある物ではないよ、この世は」とささやいている気がしてならなかった。作中で妊婦は転ぶ。そしておなかを痛める。そんな中で人間の尊厳ような物を悟ったのか、堕ろすつもりだったけれど産む方向に気持ちが傾いてゆく。しかし、私にはその瞬間に、妊婦が流産しているように思えてならなかった。

 初期の大江健三郎氏の作品で鋭いと感じたのは「セブンティーン」も同じだ。人間の気持ちなんて振り子のようにあっという間に逆転してしまう。現に共産党員から民主党員に変わった人間を知っている。政治思想は特にこの現象が顕著だ。

 以前、友人から私の政治スタイルを質問されたことがある。その時に引用したのが芥川の「侏儒の言葉」の一節で「彼は左翼でも最左翼だと信じていた。だから左翼の人間でさえ敵に見えた」というシニカルな部分だ。自分としては現象を右からも左からも見る。その際、出来るだけニュートラルにしようとするのだが、それでは物事は進まない。現在ではニュートラルよりちょっとだけ右なくらいか・・・もちろん内容によっては左になることもあるが・・・。

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どくろのTシャツ

 昨日、入院している親父にノートパソコンを持って行った。丁度、高校野球も終わって、退屈し出すだろうと思って、一昨日何時間もいじって、セットアップしたものだ。元々、親父のパソコンは古いので丁度いいタイミングでもあった。目にした親父の第一声は、「そんなに金使わなくてもいいのに」だったが、私が帰った後の親父は早速麻雀をやっていたと母から聞いた。私は、「それもいいけど、(父が)最近凝っていた文筆促進のためなのになあ、親父らしいや」と返した。

 病院というのは相部屋なら険悪なムードは絶対に良くない。まずは挨拶から始まって、今ではみんな前のカーテンを開けるようになった。良い兆しだ。父以外はみんな放射線科らしいので、多分、癌だろう。また、甲子園の決勝戦を見ていて、広陵(広島)対佐賀北(佐賀)となったので、果たして島田洋七はどちらを応援するのか(自伝「佐賀のがばいばあちゃん」参照)疑問に思った。

 病院というところには様々な人々がいるが、私が昨日見てインパクトを受けたのは、産婦人科外来の妊婦のTシャツの背中に大きな、どくろが描かれていたことだ。私は余計な詮索で「堕ろすのかな?」などと考えていたが、もし生むならば、その神経が知れない。趣旨は全然異なるが、大江健三郎の「死者の奢り」を思い出してしまった。別の日にも、バスで小さなしゃれこうべがプリントしてあるマフラーを着た女子高生を見たことがある。もし、ファッションだとするならば、それをまとう気持ちが、私には理解できない。

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パソコン嫌いの私が・・・

 今日、ネットで注文していたノートパソコンが届いた。OSはWINDOWS VISTA。私はOSをWINDOUS XPにするべく、その系統のソフトを買っていた。まずはメモリーの増設だが何とか上手くいった。次に、XPをインストールしようとしてもなかなか素直には受け付けてくれない。イライラしていた私は、VISTAのプログラムを消しちまえ、とばかりにアンインストールを繰り返した。実はこれが大きな誤算だったのだが、消しても消しても、XPを読み込ませる際に、「互換性」のエラーが出た。六時間粘ったが、最終的にはあきらめ、OSはVISTA、officeは2003というところで落ち着いた。しかし、VISTAのプログラムを消してしまいすぎたが故に、何か中途半端なパソコンとなってしまった。落ち着いたら再びXPのインストールに挑戦するつもりでいる。

 今回は急ぐ理由があったのだ。父が癌で入院し、その発覚以前に、私がこのブログを始めたことに触発されたのか、古いぶっこわれかけのパソコンで文章を毎日書くようになったのだ。母と割り勘で購入したが、病床の父に一刻も早く届けたかった。

 そして、私としてはパソコンに向かうのではなく、パソコンいじりで10時間という恐ろしい記録を作ってしまった、私はパソコンが本当に嫌いなのに・・・。食事もとらず、休みも取らず、・・・というより私は凝り性で、何かに本気で向かうと時間を忘れてしまう。食欲もわかない。アドレナリンのせいか眠くもない。なんだかんだいって中途半端ながらも何とか終わった。後は爆睡するだけだ。

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機械科なのにパソコン音痴

 私は某大学の機械科を卒業した。そのころ深く話をしていた友人とは今でも交流がある。ところが何故か、私だけパソコン音痴なのだ。基本的なことは大体判っているつもりだが、友人達はそれをビジネスにしてしまうくらいすごいのである。

 私が車のエンジンについて興味を持ったのが中三の時。その時は教科書から専門書まで読んでいた。結果も付いてきて、その一年は技術は全部10であった。それまで、私は車はモーターで動くものだと勘違いしていた。あらゆる車のプラモデルは全部、電池とモーターで組み立てていた。だから、内燃機関についてハマったと同時に、「よくこれで吹っ飛ばないな」などと考えてもいた。また、エンジンの機関についてもレシプロとロータリーがあり、特にロータリーエンジンの幾何学的美しさに感動した。そんなこんなで機械科に進んだ。

 友人達によると、パソコンも(車の)マシンみたいなものだと言う。言われてみればそんな気もするのだが、とりわけ興味をそそられない。パソコンをタワーで組み立てたり、水冷式にしたりという話も聞いたが、私はそこまでこだわれない。ただの便利な道具として使っている。困るのは、トラブルが起きたときで、友人に何回助けてもらったか判らない。

 私にはパソコンを車と同じようには考えられないのが本音だ。ただ、これだけ便利な道具なんてないよな、とは思う。何せ昔はワープロ単体で売ってたりしたんだから。ちなみに、私はブラインドは出来ないが、昔、親父が会社から借りてきたものでキーの配置を覚えた(当時は感熱紙だった)。懐かしい反面、時代の推移の早いことに、ただただ驚くだけである。

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銀行員の電話応対

 少し前にアマゾンで大きな買い物をした。すると、振込先の銀行から私宛に、至急電話を乞うとの封筒が届いた。驚いた私は即座に電話をし、事情を説明した。結局、話は一件落着となったが、なんでも、クレジットカードで大きな買い物をしたことが無く、銀行のセキュリティーチェックに引っかかったとのこと。

 それにしても、何故、銀行員の態度はいつまで経っても変わらないんだろう。金を貸しているから、態度がでかいのか、金銭感覚に麻痺しているからか、数字勘定に夢中になっているからかは判らない。今回の電話でも、「まぎらわしいことするんじゃねーよ」という感情が裏には隠れていた。はっきり言って、普通の民間企業でこんなことやったら潰れる。言い方は悪いが、態度だけでかいアンドロイドのような印象を電話からは受け取った。

 銀行は潰れにくいから(ほとんど潰れない)、殿様商売でも成り立つのだろうか。昔、親父が税務署かどこかへ出かけたとき、体調が悪くなって、死にものぐるいで旧アルファベットの銀行に電話したが、銀行はどこ吹く風という感じだった。後で親父が電話したのだが、送られてきたはがきには頭取の名前が書かれているにもかかわらず、行員は逃げ口上ばかりだったらしい。

 以前の参議院銀選挙で竹中平蔵氏が多くの票を取ったのは、それだけ銀行に泣かされてきた方々が多いからではないだろうか。

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携帯電話と公衆電話

 旅の途中、あるユースで初対面の人ばかりで盛り上がっていたら、何やら英語の会話が聞こえてくる。ユースの管理人さんと話している様子だったので、行ってみると、何やら電話のことらしい。

 外人のカップル相手に「どうしたんですか」と聞いたら、国際テレフォンカードを見せてくれた。そして、「公衆電話で使えない」と言うので、カードに目を通してから、掛け方を聞いたが、それも問題ない。そこで、私は「何色の電話を使いましたか?」と聞くと、「緑色」だという。それが原因だと解った私は、「グレー、もしくは大きな駅のインターナショナルフォンでしか使えないでしょう」と言った。

 そして、「今の日本では携帯電話ばかりが普及して、公衆電話がどんどん減っているんです」と言うと、「そうだね」という感じで、頷いていた。「もう一度探してみる」と言った二人はその後、ユースで見かけなかったので、別の宿に泊まったのかも知れない。

 日本国内だけで見ると、携帯電話はとにかく便利だ。しかし、海外に持って行くかと考えると、充電器はかさばるし、電圧も周波数も解らない。国際電話が可能な携帯も出てきてはいるが、プリペイドカードの国際電話カードには公衆電話はやたら不便だ。私が海外に行くときにはキャッシュで掛けるようにしているが、公衆電話の問題、何とかならないだろうか。

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セミの記憶

 東北地方の蝉は「カナカナカナカナ」と鳴き、その共鳴がまさしく、「岩にしみ入る 蝉の声」という感じだった。一方、私の住んでいるあたりの蝉は「ミーンミンミンミン」の大合唱で、とてもじゃないが「岩にしみ入る」様な風情はない。どころか、この酷暑を逆なでするかのように、暑さが「身にしみ入る」といった感じだ。

 東北の蝉の学名は知らないが、私の周りの蝉は「ミンミン(ニーニー)ゼミ」もしくは「アブラゼミ」、時々「ツクツクボウシ」が鳴いている。

 子供の頃のセミ取りの記憶によると、「クマゼミ」は鳴くのに夢中になっているのか、素手でも捕まえられた。「ミンミン(ニーニー)ゼミ」は小さいが数が多いので虫取り編みですぐに捕まる。「アブラゼミ」は木の高いところにいるので、子供には捕まえにくかった。一番やっかいなのは「ツクツクボウシ」で動きが素早く、滅多に捕まえられなかった。「ヒグラシ」は鳴き声は聞いたことがあるが、早朝と夕方に鳴くので見たことがない。また、一度だけ、脱皮する前の土から出てきたセミの幼虫(学名知らない)を見たことがある。

 暑い暑いと言っても、盆を過ぎたら秋のイメージが濃くなる。やかましいセミの音も、やがてスズムシなどの音色へと変わってゆくのだろう。

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もしあなたがタレントだったら・・・

 もしあなたがタレントだったら、消費者金融のコマーシャルに出ますか?

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浄財とはなんぞや?

 ある寺の坊主に質問したことがある。

 私:「賽銭箱に浄財と書かれてあったが、それはいかなるものか?」

坊主:「仏様への功徳です」

 私:「仏は見返りを必要とするか?」

坊主:「私たちが経を唱えるとき、お布施をいただきます。しかし、それは自分へではなく、その後ろにいらっしゃる仏様への功徳だと受け止めています」

 私:「ならば、賽銭箱の金が本当の浄財であるならば、今頃は、あふれかえっているはずではないのか?」

坊主:「・・・」

 しばらく後、あるボランティア活動に参加した私を見て、父がこう言った。

「おまえが今回使った金は浄財と呼んでもいいんじゃないか」

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北海道に梅雨?

 ガキの頃から、気象で、日本中にあって北海道にだけない物として「梅雨」と習った。「梅雨」の明確な定義は知らないが、大まかに、南の太平洋高気圧と北のオホーツク海気団がぶつかり合って出来た前線近辺での雨模様と記憶している。明確な定義からは外れるのかも知れないが、昨日、今日と、最近の天気図を見ると前線が北海道付近で停滞し、雨の北海道が続いている。地球の温暖化による影響なのか、ラニーニャ現象によるものなのかは知らないが、現に北海道で雨が続いている以上、これは梅雨の様なものではないのか?

 また、気象関連でここ数年で変わったポイントとして、台風の発生位置の緯度がかなり北になった、つまり、より日本近海で発生しやすくなったという傾向がある。これも前の二つのことが原因なのかも知れないが、昔に比べて、台風の進路の傾向が変わったとは感じる。これから、九月、十月と、台風が日本近海で、全盛期のカネヤンのカーブのように偏西風に乗って曲がってくるようになるのが、今までの傾向であった。

 ここ数年は気象面で、何もかにもが極端になってきた。今や日本は温帯と呼べるのかさえ疑問である。何はともあれ、ひどい災害が起きぬことを祈っている。

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お盆

 「盆に殺生はするもんじゃない」と父も母も私に言ったことが何回かある。「盆には死者の魂が現世に戻ってくるんだ」とも言われた。ならば、私の知っている恩人で、会ってみたい故人が二人いる。

 一人は私が高校二年の終わり頃に亡くなった数学塾の恩師。たくさん怒られはしたが、当時の私を認めてくださった数少ない方であった。きっと今の私に喝に入れてくださるだろう。 

 そして、もう一人は、言わずと知れた、父方の祖父。私の大学時代に亡くなった。祖父は読書が趣味で、父の実家で庭の見える所のロッキングチェアーに座り、ひなたぼっこしながら本を読むのが至福の時であったらしい。葬式の時にじいちゃんの本棚を見ても、何も感じなかった。しかし、それからの本屋通いで目が肥えた私が、五年前に行ったとき(その時は祖母も実家にいた)、じいちゃんの本棚は宝石のような本ばかりであることがよく解った。と同時に、生前、あまり接点がなかったじいちゃんの人柄までもが、本棚にある本から伝わってきたのだ。当時、ばあちゃんが、「好きなだけ持って行け」と言ってくれたので、よくよく吟味した上で、面白そうな本を大量に拝借してきた。

 歳をとるごとに、知人や多くの方との別れが多くなってゆく。何とも言えない寂寞感を感じることも多くなった。

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将棋は娯楽といえど・・・

 将棋は娯楽といえど、コンピューター相手だと強すぎて、私など歯が立たない。父とはよく指すが、父は決まって矢倉、わたしはいろいろとやる。矢倉なのが分かっているなら、矢倉つぶしの定跡を覚えるべきなのかもしれない。でもそれは、余り気が乗らない。現在、私がわずかに勝ち越してはいるが、定跡を覚えると勝負が偏ってしまう気がする。娯楽でやっている分には今のままでいい気がする。また、一番やる気がわくのは、日曜の教育テレビのNHK杯を見た後である。脳が活性化される。

 将棋は小学校の一年の時、囲碁はその一年後に父から伝授された。しかし、当時の私は外で遊ぶ方が好きだった。将棋は何か「足し算のゲーム」に思えてならなかったし、囲碁は寄せに入ってからの欲張り方が嫌いだった。将棋の方は「足し算のゲーム」という見方は改め「トリックのゲーム」と最近では感じている。囲碁に関しては以前と余り変わらない。こんな私だから、強くなるはずがない。

 しかし、コンピューターに負けるのは屈辱である。これは何とかしないといけない。二回に一回しか勝てない(最弱レベル)のは、何とか変えないと。と言っても、棋士の書いた本を読むのは好きだが、定跡本はまず読まない。・・・ダメだ。

 

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神は死んだ

 ニーチェの本の中の有名な台詞に「神は死んだ」とあります。色々な解釈が可能でしょうが、私はこれを、「(我々の文明が)神を殺した」という風に受け止めます。地球は丸いから、様々な風土で様々な宗教ができた。当初はそれぞれが畏敬の念を持って崇められたのに対し、現代では、人工衛星からの地球の写真などを見ることもでき、かつての神への畏敬の念が薄くなったどころか、逆に、宗教が、戦争の道具として利用されるようになったと感じます。

 哲学も、ごく最近のもので、現代でも生き残っているのはベルグソンだけだと感じます。ある大学の講師をしておられた方に「実存主義はもう古い」と諭されたこともあります。ベルグソンは難解です。小林秀雄も筆を折ったくらいです。そういう、難解な哲学とは別に、生活に結びついたテツガクというものは、「お金」だと思います。いつの時代だってそうかもしれませんが、現代は特に「お金で地球が廻っている」気がしてなりません。

 お金の問題に関しては、長年、私も悩みましたが、一番影響を受けたのは、「モモ」で有名なミヒャエル・エンデでしょう。エンデの有名な言葉に「パンを買う金と、株を買う金は違う」などとあります。

 現在、必要なのは、宗教の枠を超えた、畏敬の念を抱かせる絶対的対象なのかもしれません。梅原猛氏の言葉を借りるならば、「知られざる神々」と言ったところでしょうか。

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5年降りのプロ野球

 昨日、某球場にナイター観戦をしてきた。13:00頃、当日券を求めて、行ってみたのだが、自由席は完売。残るは内野の指定席だけだった。なるべく席が近いところを求めて、二枚購入したが、相手チームのスタンドしか空いてなかった。二枚購入したのは、親父の分で、明日入院して、明後日ガンの手術を受けるから、親父にとって、最後になるかもしれない観戦のためだった。親父は17:00過ぎにくる手はずで、それまで私は本屋で時間をつぶしていた。やがて時間になると、入り口に親父がやってきたので、とりあえずビールをごちそうした。観戦席もそれほど離れていなかった。試合が始めると、何が何でも勝って欲しかった私は周りが相手チームのファンだらけの中、一所懸命に応援した。何度かチャンスがあったものの、結局は負けてしまった。感想としては高校球児ほどとまでは言わないが、せめて、プロとして、しらけるようなエラーなどはして欲しくはなかった。

 よくよく考えてみると、相手チームが勝ったから、私は無事だったのかもしれない。もし、相手チームに勝っていたら、私は無事に帰れたか分からなかった気がする。

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男の生理

 男が女の気持ちを知るのに、一ヶ月間、何もせぬことと考えたことがある。私は辛いときには、松蔭に習って血を抜こうかと悩んだ。

 23の時には、こういう風には考えてはいなかったが渡米して五日目で夢精した。

 30の時には九州旅行で前兆を感じながらも、何もしなかった。案の定、鹿児島で夢精して、次の日の朝の暗いうちに、便所で着替えた。その後、すぐに指宿温泉に入りさっぱりした。

 人間の五大欲は押さえすぎると爆発すると、ある行者から聞いた。性欲の場合、やたら家族の、誰かの足の上で腰を振っている弥七君の方が自然なのかもしれない。

 

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高校野球を見ていて思うこと

 団体競技で、自分のせいで負けること程つらいことはない。誰もエラーしたくてしているわけではないのだ。何年か前の昔の名勝負の特集をしていたとき、サヨナラエラーをしてチームが負けたおじいさんは、その時のことを語ると目に涙を浮かべていた。きっと、一生それを背負って生きてきたのだろう。もともと、甲子園に出るような選手達は、死にものぐるいで練習してきたはずだ。若いし、敗れて涙こぼれる気持ちも分かる。また、高校野球で、敗れた挙げ句に、相手の校歌を聞かされる程、屈辱的なこともない。

 プロ野球では一昨年のパリーグのプレーオフの時のことが印象に残っている。千葉ロッテのクローザー、小林雅投手が、圧倒的優位から自滅して、まさかの逆転負けを喫した(きっとその晩は悔しくて眠れなかったことと思う)。その後のプレーオフの試合の勝負所でバレンタイン監督は再びクローザーの小林雅を使った。今度は見事に押さえた。そうして千葉ロッテは日本一になった。二度目に小林雅を使ったときに報道陣から起用についての質問が出た。このときのバレンタイン監督の言葉は忘れられなかった。「あの試合で一番つらい思いをしたのが彼なんだ。彼を今回使ったのは当たり前だ」というような内容だったと思う。思いやりのある、選手の気持ちの解る監督だと感じた。

 自分も、大学時代、アイスホッケーで同じようなことがあったからこそ、そういう気持ちが解る。まあ、その話は気が向いたときにでも書くつもりだ。

 

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びっくりコーラ

 学生時代、友人と「びっくりドンキー」でメシを食うことになった。「びっくりドンキー」は私にとって初めて入るファミレスであった。メニューを見ていると何やら怪しい物がある。そう、「びっくりコーラ」である。500円はしたであろうか・・・一度気になるとどうしても試してみたくなる私は、注文を聞きに来たウェイトレスに、「あの、びっくりコーラって本当にビックリさせてくれるんですか?」と半ば冗談で尋ねた。戸惑うウエイトレスに、とりあえず、食前に持ってきてくれるよう注文すると、友人は「コーラを飲みたいんなら、ドリンクバーがある店にすれば良かったかな」と言うので、私は「別にコーラが飲みたい訳じゃない。500円でビックリさせてくれるなら安いもんだ」と言って待った。 そうしてやって来た物はお茶筒を細くした様な物で、周りは銅、中は黒という入れ物で、まったく「びっくり」させてくれる様な代物ではなかった。友人は笑う。私はアンケート用紙に「びっくりコーラなんだからビックリさせてくれないと困る」と簡単に苦情を書いた。

 それから五年ぐらい後であろうか、今度は一人旅の途中で、仙台の「びっくりドンキー」で再び「びっくりコーラ」を頼んだ。何か変わったか調べてみたかったのだ。すると運ばれてきた物はヘネシーのXOの瓶を逆さにしたような形状で、よく、トロフィーにあるような持ち手が付いていて、様々に飾り立てられた、巨大なガラスの容器の中に、なみなみとコーラが注がれてやって来た。今度は前の経験とのギャップから、ビックリした・・・のはいいものの、いくら飲んでも減らないのだ。泣く泣く全部、飲みきった経験がある。

 前に苦情なんて書いたからバチが当たったのだろう。でもビックリさせてくれた。

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新渡戸稲造資料館にて

新渡戸稲造資料館は花巻の宮沢賢治記念館のすぐ側にある。二人とも私が非常に影響を受けた人物で、今回は新渡戸稲造について触れてみたいと思う。昨年、大ベストセラーとなった「国家の品格」も大元は新渡戸稲造の「武士道」から来ている。 私が資料館で印象に残った、映像の言葉は、若い新渡戸に外人が「日本の宗教は何ですか?」と聞いたところ新渡戸は答えられず、続けて言った外人の言葉の「無いのですか。ではどうやって道徳教育をするのですか?」と言ったフレーズである。 日本の宗教は、聖徳太子の頃から神仏習合であるが、明治の頃の文明の進歩に文化が追いつかなかったのは、神仏習合だけでは文化を網羅しきれないということでもあるのではないか?故に新渡戸は「武士道」という道徳が存在し、その元に教育がなされ、文化を担うと考えたのではないか? この構図は現代でも成り立つ。梅原猛氏の言葉を借りれば、「知られざる神々への畏敬の念」→「道徳」→「教育」→「文化」ということが成り立っているのではなかろうか。 武士道の精神は美しい。そういう意味でベネディクトの「菊と刀」はいい着眼点だ。 思うに、終戦後、菊は野ざらしにされ、刀は折られた。武士道のような高いモラリティーが失われ、何でもかんでも、アメリカの欲望のままに膨らむ物質文化が、大勢を占めるようになって戦後62年も経つと、果たして現代の日本人は自分たちの手で憲法など作れるのだろうかという疑念が残る。

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朝青龍と報われない力士達

 横綱朝青龍に秋場所と九州場所、11月までの謹慎処分が下されたが、当然であろう。土俵上は白と黒の世界、だからといって、勝てばいいというものでもない。力士を志した多くの若者達は、無論、横綱とまでは行かないまでも、関取(十両以上)を夢見ているのではないか。最終的には関取にもなれずに、やめていく力士も多いだろう。しかし、あれだけの体格を持った、やめていった力士達には、再就職が難しいことも予想される。・・・そういう報われない力士達の頂上にいるのが横綱である。様々な男達の無念の上に成り立っていることを忘れないで欲しい。  また、巡業を休むということも問題である。これはお客さんあっての大相撲ということを全く意識していないとも考えられる。頂上にいる横綱が模範とならねばならないのに、今回の朝青龍の振る舞いは下の人に示しが付かないどころか、巡業そのものをしらけさせる。  相撲協会も厳罰にするべきか悩んだであろう。やっと横綱が二人出て、新大関の琴光喜が誕生し、人気も復興気味になっていた中でのことであるから。・・・もし、今後このような事態が繰り返されるならば、横綱としての品格の面から許されることはでないことを肝に銘じて、これからも大相撲を楽しませて欲しい。

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野グソの作法

遠野のガソリンスタンドで、その日の12時30分~のNHKの放送「どんど晴れ」で遠野をやるということで、私は車を走らせ、電波状況のいい地帯へと移動した。あと15分で始まるというときに、急激な腹痛に襲われた。大慌てで「野グソ」が出来そうな場所を探した。条件は、誰にも見られず、車の陰ででき、迷惑が掛からないところだ。「もう限界だ」という時に、バラック小屋が見付かった。まわりに人の気配はない。車を小屋の壁沿いに止め、エンジンも切らずに、ティッシューペーパーを持って駆けだした。まわりに人の気配はない。安心して「野グソ」を満喫した。野グソは迷惑をかけない限り、自然との一体感がある。なかなかいい案配であった。そしてまた場所を移動してから、「どんど晴れ」をじっくりと見た。遠野の名所が映っており、観光の道しるべとなった。   これと同じにしていいのか分からないが、ワシントン見物をしていた時にも必死に公衆トイレを探したのであるが見付からない、やむを得ず、ホワイトハウスの脇のブッシュ(茂み)で「野グソ」をしたことがある。当時は紙がなかったので、やむを得ず、持っていたガイドブックの、もういらないというページを破いて、揉んで用を足した。外人の親子連れと目があったが、向こうも知らない振りをしてくれた。その時は正直言って情けなかった。ホワイトハウスの横なんかだと、人の気配がない所なんてないんだから。   結論としては、誰にも見られない限り「野グソ」は、きわめて人間的かつ自然な行為であり、すてきなもんだというのが私の意見である。

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河童淵

 遠野の河童淵には哲学的な重みがあった。それでいて、蕩々と流れている。何時間でも座っていたい場所だった。しかし、あとで畑を耕していているばあちゃんの孫が7つの時に落ちて流れて亡くなったらしい。やがて、そろそろ行こうかというときに、ばあちゃんは左手を差し出した。僕はわざと右手を差し出した。ばあちゃんの手が汚れているのは知っていたが、ばあちゃんには、「ばあちゃんの勲章だよ」と言い、力を込めた。別れの時に、ばあちゃんは「またあおう(方言分からない)」と言ってくれた。私も「さようならと」言うのをやめて「ではまたどこかで会おうね」と言って別れた。

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耕すばあちゃん

 はあちゃんの所の畑の脇にお地蔵さんが置いてあった。河童斑で七歳の孫がおぼれ死んだとか・・・。お地蔵さんの真言と、般若心行を、久々に本気で唱えた。

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津軽海峡冬景色

 「津軽海峡冬景色」の歌詞をよくよく聞いてみたら、主人公は連絡船に乗るが、函館まで行き着いていない。

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黄昏時

 生い茂る

木立の中

ひぐらしの

切なき音色の

合唱に

雲はゆき

星さえ望めぬ

田舎宿

 ただ光る

入り口の側の

ランタンは

遅あじさいを

浮き立たせ

 いつしかの

憧れだった修羅の里

 気がつけば

菩薩であった

その人を

裏切る気持ち

許せなく

老いたる自分に

ムチ打って

愛別離苦を

覚悟する

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お年寄りへの言葉

 畑を耕していたばあちゃんと、一時間以上話し合った。やがて、ばあちゃんが、「生きていても仕方がない」などと寂しそうに言うので、私はとっさに応えた。「心をいつも澄明にして、一日生きれば、それだけ、何かの発見がある。それだけでも生きる価値はあると俺は信じている」と言ったら、ばあちゃんの目は潤んでいた。それは、いつか、自分のばあちゃんにも言った言葉だが、すべてのお年寄りの励みになることは出来ないかもしれない。しかし、全てのお年寄りに、少しでも長生きしてもらいたいのだ。

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俳句

川深く 新緑ゆする 遠野かな

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ばあちゃんの教え

遠野で畑を耕していたばあちゃんと、一時間以上話をした。ばあちゃん曰く「勉強し過ぎると馬鹿になる」この歳でやっと勉学の面白味を知った私にも、その言葉は重かった。反動で失ったものが多過ぎるからだ。

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