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当たるも八卦、当たらぬも八卦

 私は占い師や易者と話すのが好きである。ただし条件がある。いいことしか言ってくれるなと頼むのだ。嫌なことを言われると、後々ボディーブローのように効いてくるので、それだけは避けたいのである。懇意の方もいる。しかし、ある時、待ち合わせでの時間つぶしに新宿を徘徊していると、易者がいた。年は35前後といったところか。女性である。その人は、何言う暇もなく、「あなたはお金持ちにはなれない」と言った。やや不快な気持ちで、『こういう人もいるんだな』と考えながら、根拠を探り寄せようとした。よくよく話を聞いてみると、根拠なんて無いのである。思い付きか、第六感だか知らないが、こういう易者は迷惑である。金など払いたくはなかったが、時間が推していた。金を払ってから後悔したのではもう遅い。その時はたまたま通りがかりで神社の神主さんが話しかけてくれた。その方曰く「気合いは肩に出る」そうだ。捨てる神あれば拾う神あり。大分慰めてもらった記憶がある。

 渋谷のセンター街入り口ののじいさんにも見てもらったことがある。友人が隣の易者と話し込んでしまい、やむを得ず「じいさん、聞きたいことだけでいいから、1000円を500円にまけてくれ」と交渉したが、じいさんは譲らなかった。金を払うと、当時、私が最も知りたかったことについて聞いた。「じいさん、俺はいくつまで生きる?」と。じいさんは「あんたの生命力なら、70までは持つ」と言った。その後、私は何も聞かなかったが、「おぬしは多分、将来、多くの人から信頼されるぞい」みたいなことを言われて、ありがたかった。また、じいさんの観察力からくる洞察にも驚かされた。隣の友達は未だ話し込んでいる。コンビプレーかと思いつつ、終電に走った。

 いろんな方に会ったが、最寄り駅の占い師の先生には、占いの仕組み等、様々なことを教わった。先生の暇な時間(読書されている)に土産を持って行ったりして、よく相手にしてもらった。その先生にもいろんなことを言われたが、多すぎるので、何を選んでいいか判らない。先生と私は大概、世間話をしていたが、いろいろと教わったことには、感謝している。

 全く別の易者に、今後の将来を占ってもらったこともあった。じいさんはサイコロのようなものを振ると、「これは出たぞ」と言って私に結果を教えてくれた。同時に本から引用して、「あなたは臥竜じゃ。今まで土の中に潜っておったが、今は水面を泳ぎ、これから飛び立つ刻じゃ」と教えてくれた。私は嬉しかったが、そのページが使い込まれていることに、すぐ、気がついた。そうしているうちに、易の話で盛り上がる。しかし、段々それとなく気がついた。『この人は俺をスカウトしているんだな』と。その道に興味が無いわけではなかったが、少し寂しかった。

 結局、私の占い(易)についての感想は、アテにならないということだ。例えば、いくつかのH.Pの占い欄だけでも、正反対の結果が出ていることがある。経験的に若い女性の易者ほどキツい感じがする。煎じ詰めると、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」とは、本人の占い師(もしくは易者)を観る眼力にかかっているのではなかろうか、ということだ。

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