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ペイトリオットという名のミサイル

 MD(ミサイルディフェンス)構想が今後の日本の対ミサイル防衛の主軸となりつつある。ある国から発射されたミサイルを、着弾する前に迎撃ミサイルによって打ち落とすという構想だ。しかしながら、少し考えてみれば、これは気休めで、ザルに近い防御網なのではないかという疑念は誰だって抱くであろう。実際に1〜2年前の実験段階で、自軍で発射したミサイルを自軍の迎撃ミサイルが撃ち落とせないという実験失敗のニュースが流れたのは記憶に新しい。これは剣道に例えるなら、練習で、打ち手が「面を打ちますよ」と宣言してから竹刀を振り下ろしたのに対し、受け手がそれを防げず、面を食らったのと同じ事だ。この場合、打ち手と受け手に相当な実力差が無ければあり得ないことだ。しかも、これはあくまでも練習での話である。実戦では、予告して攻撃するやつなどいない。

 ミサイルでミサイルを撃ち落とす事なぞ、よほど理想条件下に近い環境でなければ不可能なのではないか。無論、実験で成功した例を顧みて。詳しいことは専門家に任せるとしても、生やさしいことでないことは容易に想像される。また、振り返れば湾岸戦争当時、アメリカの迎撃ミサイルによって打ち落とされたイラクのスカッドミサイルの映像がT.Vに流れたが、あれは明らかなメディアコントロールであった可能性が高い。当時に比べ、技術も進歩し、精度などが格段に上がっただろう事は事実であろうが、それは、撃ち込まれるミサイルにとっても同じ事だ。ましてや、技術的には迎撃ミサイルの精度を上げる方が桁違いに困難であろう。もし、きわめて曖昧な実験によるMD構想が本格的に軌道に乗ったとすれば、我々は、「気休め」を莫大な金で買うことに繋がるのではないかという疑念は拭えない。下手をすれば、武器商人のカモになるだけなのではないか。

 思うに、それよりも深刻な問題は、ペイトリオット(愛国者)という、ミサイルのネーミングにあるのではないか。いくら防衛のための迎撃ミサイルとはいえ、「ミサイルに愛国心を抱かせる」という発想自体がそもそもナンセンスである。ブラックジョークとしても解せないどころか、はっきり言って、洒落にならないほどの不条理を感じる。こういう発想体系というのは、許されない思想形態なのではあるまいか?極論、あらゆる戦争に正当性が無い以上、武器に愛国心を抱かせる様な思想というのは、破滅に繋がることを暗示してはいないだろうか?

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