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仏画の慈悲に支えられ

 今年の三月中旬、我が家に巨大な荷物が届いた。巨大と言っても、縦横が1m以上あるのだが、厚さは僅かしかない、持ってみても軽い。何だろうと思って差出人の欄を見ると、字が薄くてよく見えない。しかし、宛先や電話番号は合っている。身に覚えがないので、よもや、新たな悪徳商法ではあるまいか?などと怪訝な気持ちでいたのだが、放っておいても仕方がない。家の空き部屋に持って行き、蛍光灯にさらし、よくよく差出人を見てみると薄いカーボンの文字で、友人の奥さんの名前が書いてある。さっそく電話をして事情を確認したところ、仏画を送って下さったとのこと。そこで受話器を置いて、初めて段ボールを取り除いたところ、見事な仏画が現れたのである。驚きを隠せなかった私に、友人の奥さんは事情を説明して下さった。「画廊で眺めていて、私が一目惚れした絵なの。でも、うちにはクリスチャンのお婆ちゃんがいて偶像崇拝は出来ない。そこで主人と相談して、あなたなら大切にしてくれるだろうと思ってお送りしたの」私はお礼を言い、素直に感謝することにした。友人とその奥さんの気持ちがものすごくありがたかった。

 飾る場所を探す間、空き部屋に置いていたのだが、その頃ある事情で苦しんでいた私は、毎日座って、仏画を眺めたり、問答を繰り返したりしていた。限りない慈愛を感じると共に、私のP1000475心の有り様によって、表情やおっしゃることが変わるのだ。かなり救われた感があった。まもなく別の部屋の壁に飾ることにした。そこは、毎日ではないが、私がお経を唱えたり、座禅を組んだりする部屋なのであった。ただ壁に向かうのと、対象があるのとではありがたみが違う。

 絵を頂くに当たって、友人と奥さんは、私の文筆促進も願ってということを忘れなかった。ブログを始めることを約束した友人の中の一人である。そして私はこのブログを始めるに当たって、毎朝、この仏画の前で経を唱え、座禅をすることに決めた。しばらくは感覚を取り戻す感じであったが、その座禅の最中、私は左足の甲の古傷を痛めてしまった。一昨日、判ったのであるが、過去にも痛めた所であり、一週間ぐらいで治ると決めつけて病院にも行かなかったら、今朝になってひどいハレと痛みを生じた。歩くこともままならず、 正座さえ出来ない。ましてや、座禅での組み足などは怪我を助長するだけである。

 申し訳ないなと思いながら、左足を伸ばして合掌したり、手を組みながら続けているのであるが、何か不遜な気持ちは拭えない。体が硬い私のこと、ぼんやりと、今度は足の組み方を左右逆にして、もっと入念にストレッチをしようなどとと考えている次第である。

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