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情報の伝言ゲーム

 あらゆるメディア(媒介)を通じての情報に、信頼できるものなどないと私は考えている。例えば、新聞の、特に国際欄などは一番疑う。なぜならば、事実→通信社(ロイター、共同など)→新聞社→新聞記者→読者、という仕組みになっているからだ。→が増えれば増える程、伝言ゲームの様に情報がねじ曲がる。つまり、それぞれの主観が入ったりして、事実とはかけ離れた情報が伝えられることだらけである。イラクの問題を扱ったある記事で、同じ事件を扱っている筈なのに、記者の受け取り方の違いから、同じ新聞の別々の欄に全く正反対の結論が述べられていたことがあった。同じ新聞でもそういうケースがあるのだから、様々な新聞の間では、こういう事は日常茶飯事なのであろう。そもそも、大いに筆をふるうのは結構だが、中にはその記者のものの見方を疑わせたり、何様のつもりだと首をかしげざるを得ないものも多い。・・・ほぼ毎日、広告ばかりで読むところがほとんどない、などと溜め息をつく。記事を熟読するべきかどうかは、まず、斜め読みをしてから判断するのはまだ良い方で、結論だけを読んでしまってから選択する場合もある。結果、八割方は読まない。新聞でさえ、こうなのだから、他の雑誌などの類は、必要なところだけ立ち読みする。

 T.Vのニュースも疑う。ある事件の映像などは確かに事実を映しているものもある。しかし、映像が一つだけならともかく、何故この映像を選んだのかを考える。長時間の映像を編集している場合でも、何故こういう風に編集するのかとも考える。もちろん、全ての報道でこんな事をしていては混乱するだけなので、「これは何かある。重要だ」というもののみである。ところで、T.Vのニュースのあり方を劇的に変えたのは、やはり、ニュースステーションの久米宏氏であろう。それまでのニュースというのは、ただ、ありのままに原稿を読み、伝えるだけだった観が強い。氏は自分の主観も織り交ぜながら、視聴者を煽っていた。結果、それが斬新な報道のスタイルとして人気を呼び、今日ではキャスターが自己主張しないT.V局の方が珍しい。時に、行き過ぎた自己主張には閉口させられるが・・・。

 では、どのように情報を取捨選択するか?私の場合はとにかく多くのメディア(媒介)に触れ、一つの事象に対して様々な角度からアプローチするように努める。場合によっては、他のジャンル(政治と経済と国際と歴史と文化と地理と・・・)も絡めて、総合的な判断をする。それでも多くの場合、真相は藪の中である。推論めいたものはいくつも出てくるが、どれとも言い難いものが大方だ。結局、可能性の高い順番に心の中で整理する。実際、原因そのものが複合めいてる確率の方が高いのではないか。

 私の場合、情報を疑う癖がついたのは、親父のおかげかもしれない。幼い頃にいろんなゲームを家族でやっていたが、毎回親父がトップだった。そんなある日、親父がイカサマをしているのに気が付いた。今になって聞いてみるに、「ほぼ毎回、ワザとやっていた。世の中にはそういうやつがゴマンといるっちゅうこっちゃ」と、一種の教育法だと主張するのだが、私は単に父の負けず嫌いによるものではないかと疑っている。

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